『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第1章〜『過去と現実』 第1話『望まぬ回帰』



ピーピーピー......

何かを告げる音にシンジは眼を開いた。
目の前には公衆電話がある。
公衆電話は恰も自分の存在を示すかのように音を響かせていた。電話機のスロットからはカードが吐き出され、取り忘れることが無いようランプが点滅を繰り返している。
足元にはボストンバックが置いてある。
シンジは呆然とその場に立ち尽くしていた。
遠くで爆音が響いていた。

また、ここだ...
やっぱり、戻ってきたんだ...

思わず、手を強く握り締める。
クシャ、とする音とともに手に握られていた物が潰される。
写真だった。そこには車をバックに前かがみの女性が映っている。
『ココに注目!!』と胸元へ矢印が引かれている写真だ。
しかし、今のシンジにはそんな事はどうでもいい事だった。
瞳は暗く濁り、目の前の状況をただ映しているだけにすぎなかった。

どうして、僕なんだろう...
何も出来ないのに...

シンジは力なくその場に座り込んだ。
公衆電話は催促するように音を響かせ続けている。

綾波...

シンジの気持ちを表すかのように、目の前の道路に視線を向ける。
記憶では、そこに蒼銀の髪と真紅の瞳をした女性が立っているはずだった。

ミーンミーンミーン...

蝉の声が響く中、シンジの瞳は大きく開かれる。
眼に映ったのは思い描いていた女性ではない。一人の男性――悲しそうな瞳、だが強い意思が込められた黒い瞳の少年――

あれは......

ドーン! と、突然の爆音が響き、続いて爆風がシンジを襲う。

「うわっ...!」

思わず、自分の身体を庇うかのように身を丸める。
近くにミサイルが落ちたようだ。
どうやら、戦場が近くに移ってきたようだ。
だがシンジはそんな状況にも関わらず、再度視線を目の前の道路に向ける。
が、そこには誰の姿も存在していなかった。
シンジの脳裏には数瞬前の情景が映し出されていた。
黒い、もの悲しげな瞳――

さっきのは幻だったのか...
あれは...

シンジの思考が次の言葉を思い浮かべようとした――ちょうどその時、視界の端に自分目掛けて墜落してくる物体が見えた。軍用ヘリはシンジの上空を飛び越え、黒煙をなびかせながら3つほど先にあるビルの影に消えていき、そのまま爆発、炎上する。
爆発による爆風がシンジを襲う。
近距離での爆発は辺りのビルをも巻き込んでいた。

「ぐぅっ...!」

眼を瞑り、身体を丸めて爆風をやり過ごそうとするシンジだったが、不意に衝撃が何かで遮られた。
爆風が収まり、ようやくといった感じで眼を開く。
シンジの周辺は爆発により発生した、オレンジの炎と黒煙で彩られていた。アスファルトの道路にはコンクリートの破片――といっても、人間一人の存在を消すには不必要なくらいの大きさであったが――が散らばっている。
シンジに直撃しなかったのは僥倖だった。
と、前方に一台の乗用車が止まっている。どうやら、この乗用車が、爆発による被害からシンジを守ってくれたようだった。
青いルノー。
ガチャッ、と扉が開く。

「おまたせ! 碇シンジ君!」

黒く長い髪。首からはクロスを模ったネックレスが下げられている。
若い――見た目20代中頃くらいのサングラスをした女性が声を掛ける。
美女と言う言葉が正に当てはまる様な女性――
シンジはこの女性を良く知っていた――彼女の最後の姿も――
シンジにとって、初めて手に入れた家族――
姉と慕っていた女性――
命を賭けて自分を守ってくれた女性――
葛城ミサト――

ミサトさん...

シンジの瞳がミサトを捉えたと同時に、ドスン! という地響きと体感できる振動を引き連れ、大きな巨人が姿を現す。
異形な姿をした巨人――第三使徒サキエルだった。

「やっばぁ...」

ミサトは顔を顰める。
シンジはミサトを見詰めたまま呆然とその場にしゃがみ込んでいた。

「悪いけど急いで乗ってくれるかしら?」

「は、はい...」

そう答えはするものの、シンジはその場に座り込んだままだった。
その間も戦闘は続いている。
軍用ヘリと戦闘機が使徒の周辺を旋回し、幾つもの火線を浴びせている。だが、その攻撃をものともせず、使徒は徐々に距離を詰めてきていた。

「急いで!」

シンジは、ミサトの叫びでようやく我に返ったかの様に、手近に転がっていたボストンバックを掴むとルノーに転がり込んだ。

「しっかりつかまってんのよ!」

ドアを閉めるまもなくルノーは爆音を上げながら急発進する。
幾多のミサイルは確実に使徒に当たり爆発するのだが、その実、何の効果も与えていないことは明白だった。
爆音を後ろにし、ルノーを走らせるミサト。
必死にルノーを駆るミサトをよそに、シンジはさっきの情景を思い出す。
悲しい瞳を湛えた少年――

あれは......間違いなく...僕だった...



青いルノーがアスファルト上を疾駆している。
その車内には妙齢の美女と無表情な少年が乗っている。

「ごめんねぇ、遅くなって」

美女――ミサトは視線を前方に向けたまま助手席に座るシンジに声をかける。
が、返答は返ってこない。
ミサトが声をかけている事に気付いていないのか、シンジは何の反応も示さない。
再び出会った姉、葛城ミサト。だが、今のシンジには先の少年の事で頭がいっぱいになっており、その再開に何の感慨も抱いてはいなかった。

「...ジ君...シンジ君...」

幾度目かのミサトの声でようやくシンジは現実に回帰する。

「聞いてるの! シンジ君!」

「は、はい...」

戸惑ったように返事を返すシンジに、心配そうなミサトの声が聞こえてくる。

「大丈夫?」

「......ハイ」

車内には重い沈黙が流れていた。

まぁ、しょうがないか...いきなり、アレだったもんねぇ...

予想通りの――情報通りの反応を示すシンジに、ミサトは見えないように溜め息を漏らす。
自分の考えを表に出さず、言われた通りに物事をこなす。
内気で気弱。何事にも興味が示さず、やる気も無い。
ごく平凡な何処にでもいる様な――そんな少年像。
それが、ミサトが資料から描いたシンジの姿。そして、現実も思い描いていた通りだった。
良い悪いは別にして、ミサトはシンジの胸中が分かるような気がしていた。

父親が『アレ』で、しかもこの状況じゃ...ね。
でも、こんな子でも私達は利用しなくてはいけない...

サングラス越しにシンジを見るミサトの瞳が悲しいような、辛いようなそんな光を放つ。
再び自分の世界に入っていたシンジはその視線に気づかない。
そんなシンジにミサトは深い溜め息を漏らした。

「ん?」

ふと、爆音が聞こえなくなった事で、不振に思ったミサトはバックミラーに視線を移す。
ミラーは微かに写る使徒からUNの戦闘機が離れていく様を映している。
瞬間、ミサトの頭にある構図が描かき出された。

「...まさか...伏せてシンジ君」

それからのミサトの行動は素早かった。
サイドブレーキを引き、車を急停車させると、そのままシンジに覆いかぶさる。

――閃光
――爆発
続いて襲いくる爆風

「うわぁぁぁぁ...」

「くぅぅぅ!」

道路の上を転がるように吹き飛ばされるルノー。
ルノーが地面を数回転した後、ようやく爆風が収まった。
辺りにはアスファルトの道路はなく、土砂の小山が広がっている。

「だ、大丈夫...シンジ君」

「はい...」

二人は車から這い出るように降りる。

「ありがとうございました...葛城ミサトさん」

何の感慨も無く、呟くようにシンジは声を返した。

「...ミサトでいいわよ...シンジ君」

サングラスを外し、ニコリと微笑みながら返事をするミサト

「はい」

ミサトにつられるかのように微笑むシンジ。

こ、この子って......

シンジの微笑みを見て、表面上は平常を装いつつも、内心では戸惑いを隠せないミサトだった。
シンジは確かに微笑んだ――だがそれは何の感情もない、能面の微笑みのようにミサトには感じられた。



「やった!」

「見たかね! コレがNN地雷の威力だよ!」

軍服を着た男達から歓喜の声が上がる。
UN軍――。
国連軍――地球上で最も武力を持った組織。
その高官達が声高に叫んでいる。

「...残念ながら、君達の出番はなかったようだな」

恰幅のいい中年の高官が、背後に佇む男に不遜気に告げる。

「この爆発だケリはついている」

そこは、何かの発令所だった。
階下では数人のオペレータと思わしき男女が現状を確認していた。
眼鏡を掛けたオペレータの男――日向が現状を報告する。

「センサー回復します」

ついで、もう一人のオペレーターである青葉が続ける。

「爆心地にエネルギー反応を確認」

「な、何だと......」

オペレータの声に驚愕の表情を浮かべる高官たち。

「映像回復します」

中空に浮かぶモニターに映し出される。
それは、炎をバックに悠然と佇む巨人――使途の姿だった。



二人はネルフ本部内の通路を歩いていた。

「特務機関ネルフ......国連直属の非公開組織...それが、お父さんの職場よ」

シンジは手渡された資料を何気なく見ている。だがその実、その瞳は何も映していない。
幾度となく繰り返した現実――いや、過去。

そんなの、どうでもいいことなのに...。

そう、今のシンジにとって、全てはどうでもいいことだった。
ミサトに言われたから、とりあえず資料に眼を通している――ただそれだけの事だった。
今更、世界を救おう、過去を変えようなどという気持ちも毛頭ない。
ミサトの説明も、今のシンジには、雑音以外の何物にも感じられなかったのだ。
そうとも知らず、ミサトは説明を続ける。

「ごめんねぇ〜〜。まだなれてないのよねぇ」

地図を片手に愛想笑いを浮かべるミサト。
似たような通路が続いている。同じ場所を何度も通っている感じだ。
だが、シンジからは何の反応も返ってこない。ただ黙ってミサトの後ろに着いて歩いてくるだけだ。

はぁ〜。この子って何考えてんのか、いまいちわかんないのよねぇ...。

明るく振舞っていたミサトも、溜め息を一つ吐くと、さすがに観念したかのように黙り込んだ。
ようやくといった感じでエレベーターの前に辿り着く。
チン! と言う音とともに扉が開かれると、そこには金髪の白衣を着た女性が立っていた。
赤木リツコ――ネルフ本部技術開発部技術局1課所属。E計画責任者。
それが彼女の肩書きだった。

「リツコーーーー!!」

地獄に仏と言うかのように、リツコに飛びつくミサト。
シンジとの沈黙の空気は彼女には重すぎたようだった。
冷めた目でミサトを見ると言葉を紡ぐ。

「何やってたの葛城一尉。人手も無ければ時間も無いのよ」

「えへへ...ゴミン」

フゥーと溜め息を一つ吐くとシンジに視線を向ける。

「例の男の子?」

「そ、マルドゥックの報告書によるサードチルドレン」

シンジは下を向き資料を見続けていた。
リツコはミサトからシンジに視線を向けると観察するかのようにジッと見つめる。
リツコの目に映るのは、線の細いただの少年だった。
とりあえず、自己紹介を始める。

「私は技術局1課。E計画担当の赤木リツコよ。碇シンジ君、よろしくね」
その言葉に反応するようにようやく顔を上げるシンジ。

「碇...シンジです...」

二人の目と目が合わさる。
リツコの小さく眉間にしわを寄せる。

何て目をしているの...この子は......

リツコもミサトと同様に、シンジの瞳から暗く冷たい影のようなものを感じ取っていた。


受話器を下ろす音が発令所に響く。
UN軍の高官は忌々しさを隠そうともせず前方に佇む男に声を掛ける。

「...碇君...今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを見せてもらおう」

「...了解です」

「我々の所有兵器では、目的に対し有効な手段が無い事は認めよう...だが、君なら勝てるのかね?」

碇と呼ばれた男は眼鏡を中指で押し上げるようなポーズを取ると、淡々とした口調で返事を返した。

「その為のNERVです...」

「期待しているよ...」

高官たちは捨て台詞とも激励とも取れる言葉を残しつつテーブルごと退室する。

「国連軍もお手上げか...如何するつもりだ...碇...」

背後の白髪の老人から声が掛けられる。
眼鏡を掛けた男が振り向く。
碇ゲンドウ――シンジの父親であり、NERVを統括する司令である。
ゲンドウは傍らに控える白髪の老人――冬月に淡々とした口調で答えた。

「...初号機を起動させる」

「初号機をか...しかし『レイ』では...」

「...問題ない...予備が届いた......」

コツコツ。 と靴音を響かせると下降エレベーターに移動する。

「後を頼む...冬月...」

「...うむ」

ゲンドウはエレベーターに乗ると傍らに控えていた少女に声を掛ける。

「行くぞ...レイ...」

「...はい」



シンジは漆黒の闇の中佇んでいた。
不意に、明かりが点される。
シンジの眼前に巨大な人の顔――いや、すでに見慣れたモノが現れる。
傍らのミサトが心配と不安が混じった顔でシンジの顔色を窺うが、その表情は全く変化を感じさせなかった。

こ、この子って......いったい、どんな人生送ればこんな風になるのよ......

「...人の作り出した汎用人型決戦兵器...」

リツコがシンジに歩み寄りながら淡々と説明を行う。
無論、シンジが全て理解できるとは思っていない。
ただ、話を聞かせる――それが大切なことだった。

「人造人間エヴァンゲリオン...その『初号機』......我々人類の最後の切り札よ...」

「......」

「貴方にはコレに乗ってもらうわ」

シンジの両の手が震えだす。
ミサトは初めてシンジの顔色が変わるのを見た。

な、何なのよ...あの表情は...

シンジの顔には恐怖と嫌悪とあきらめが混じった表情が浮かんでいた。
シンジの脳裏に過去の情景が走馬灯のように浮かぶ。

見渡す限りの海――
へしゃげたエントリープラグ――
水槽に浮かぶ沢山の綾波――
ベッドに横たわるアスカ――
握りつぶす手の感触――
誰もいない砂浜――
血まみれのトウジ――
LCLに落ちるカオルの首――
巨大な綾波――
陵辱される弐号機――
真っ赤なLCLの海――
全てが静寂に満ちた世界――サードインパクト――

両膝がガクガクと震えだし、身体の底から震えが湧き上がってきた。
両の手を抱きしめるように身体に回すと、そのまま力無い様にその場にしゃがみ込む。

「し、シンジ君!?」

ミサトが慌てて、シンジのそばにしゃがみ込んだ。
シンジの顔は真っ青になっている。

何で、こんなに震えてるの...。

「シンジ...久しぶりだな......」

不意に野太い声が聞こえてきた。
EVAの頭部より上方――管制室からゲンドウが見下ろしている。
シンジは俯いて座り込んだままブルブルと震えている。

「フッ...出撃」

ポツリと呟く。

「なっ...」

ミサトの目が驚愕に見開かれる。
突然のゲンドウの台詞に驚きを隠せずにいた。
そもそも、数年ぶりにあったのだ。
ましてや、その子は恐怖に震えている。
一言も親らしい言葉をかけてやることもなく、吐いた台詞が『出撃』である。

な、何考えてんの? 碇指令は...。

たまらず、叫んだ。

「ちょっと待ってください。綾波レイでさえエヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったんです。今来たばかりのこの子にはとてもムリです! 再考を願います!」

「座っていればいいわ。それ以上は望みません...」

「リツコ!!」

「今はそんな事を言ってる場合じゃないでしょ」

「で、でも...! この状況で...」

ミサトはシンジの状態を見下ろしながら言葉を紡ごうとする。
が、リツコの言葉は反論を許さないものだった。

「この子が乗らなければ、世界は滅亡するのよ!」

「! そ、それは...」

「葛城一尉! ...現状は分かってるはずよ...」

ミサトは言葉を失い黙り込むと、悲しそうな目でシンジを見つめる。

「シンジ......乗るのか、乗らないのか...ハッキリしろ」

ゲンドウは依然、淡々と言葉を紡ぐ。
だが、シンジは動かない。震えたままだ。
沈黙が支配する――
誰も動かない。皆の目はただシンジに注がれている。
沈黙を破ったのはゲンドウだった。

「もういい...赤木博士、データをレイに書き換えろ」

「......ハイ」

『レイ』と言う言葉にピクリとシンジが反応する。
不意にケイジの扉が開かれた。
シンジは視線を扉に向けると驚きの表情を浮かべた。

綾波......

白いパイロットスーツを身に纏った姿――真紅の瞳に蒼銀の髪――扉から入ってきたのは紛れも無く綾波レイだった。
しかし、その姿はシンジの記憶している包帯に巻かれた姿ではなく、無傷の姿だった。


Please Mail to 葵 薫
( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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