『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第1章〜『過去と現実』 第2話『困惑の決断』




「初号機のシステムをレイに書き直して再起動!」

リツコの凛とした声がケイジに響き渡る。
周りで様子を窺っていたと思われる人々がそれぞれの持ち場に移動していく。
レイはシンジを一瞥すると、そのままエントリープラグに向かって歩いていった。

記憶の中のレイは傷だらけで、血まみれで、今にも死にそうな大怪我をしていた――していたはずだ。
シンジはレイを目で追う。
混濁していたシンジの黒い瞳には、驚愕が宿っていた。
シンジが何に驚いているのかはミサトには分らない。
だが、今までどんな状態でも変化も見せることのなかったシンジが、エヴァを見て恐怖し、レイを見てハッキリとわかるほど驚いている。
ミサトは複雑な表情を浮かべながらシンジに声をかけた。

「シンジ君...」

シンジの視線はレイに向いたままだ。だが、ミサトは気にせずそのまま話し続ける。

「彼女を...レイを乗せていいの?」

シンジの肩がピクリと動き、視線を再び地に向ける。
だが、それだけだった。
ミサトはシンジをただ、静かに見守っている。
だが内心は驚きと戸惑いで溢れていた。
あれだけ無反応だったシンジがここへ来て次々と感情を露にしている。
何がシンジの感情をこうまで騒ぎ立てるのか。
シンジが変わったのはエヴァを見てからだ。
だが――

『レイ』という言葉に反応するのはなぜ?

ミサトの頭脳はシンジの変化から何かを掴み取ろうともがく。

違う...そうじゃない!
レイを見たときの表情...あれは、どう見ても『出会うはずのない』人と出合った時の反応だった。
居るはずない、出会うはずない人? もしかして、シンジ君はレイを知ってる?
...いえ、それはありえない...資料にも二人に面識があったなんて記載はなかった。
じゃあ何故? 
なに?
何なの?
この子は何に怯え、何に驚いてたの......

その間も作業は着々と進んでいる。
レイの姿はエントリープラグへと消えている。
リツコも既に管制室に移動しており、あれこれと指示を出している。
ゲンドウは何も言わず、先ほどと同じ場所でシンジを見ている。

『エントリースタート』

リツコの声がケイジに響く。
エントリープラグが挿入される。
次々と読み上げられる情報から、接続が順調に進んでいる事が伝わってくる。
放送を聴きながらもミサトはシンジをジッと見つめ続けた。
不意に、非常事態を告げるように、緊迫した声色がケイジに響き渡った。

『パルス逆流! 初号機、神経接続を拒絶しています』

放送を聞いたとたん、シンジの身体が、再びビクッと反応する。
身体を抱きしめたまま、視線だけを初号機に向ける。
その目は恐怖に彩られていた。

それは突然だった。ケイジを振動が襲う。
使徒の攻撃による余波である事は想像に難くない。
今の振動によってか、シンジ達の真上に鉄材が落ちてくる。
気付いたミサトは、即座にシンジを連れ避けようとするが、脱力した人間を抱えてすぐには動けない。
ミサトはシンジの頭を抱きかかえると、シンジを庇うように覆いかぶさる。
だが――

避けられない!!

シンジを抱えたまま、ミサトの瞳がぎゅっと閉じられる。
ゲンドウの唇が歪む。

『まさか、レイが...』

『い、いえ神経接続は拒絶されたままです』

『そんな...ありえないわ』

周りから混乱したような声が聞こえる。
そんな周囲の声にようやくミサトはゆっくりと目を開いた。
自分の身体と抱えたシンジの様子を伺う。
シンジは未だ震えてはいるが無事のようだ。
自分の身体も問題はないように思えた。
何処にも怪我など負っていない――直撃のはずだったにも関わらずだ。

何故?
いったい何が起こったの?
それに......みんなの雰囲気も違う?

ミサトは人々の視線の先――己の頭上をゆっくりと見上げる。そこには人を握れるくらいの大きな手――初号機の掌があった。

何? 
シンジ君を守っている?
いえ、守ったの...レイが?

だが、先の会話の内容からして、それは考えられない。

...違う。
レイは動かせなかった。
じゃあ何故?
初号機が勝手に動いたとでも言うの?

ありえない事だ。
オーナインシステムとリツコが言うように、パイロットが乗っていても動くかどうかもわからない物なのだ――特に、この初号機は。
だが――

もしかして...シンジ君になら...エヴァを動かせるかもしれない。
だったら...。

このままでは、待っているのは『死』である事は確実だ。
だったら、生き残る為には、動かせる人間――シンジに戦ってもらう外、方法がない。
ミサトの作戦部長としての『勘』がそう告げる。
だが、『勘』を否定する自分も感じていた。

だけど、たとえ動かせたとしても、今のこの子を乗せてはいけない。
無駄に、命を落とすだけ...。

再び肯定する自分が告げる。

だが、レイは初号機を起動させられなかった。
現実にエヴァに乗れる可能性があるのはシンジ君だけよ。

再び、否定――

戦う意思の無い人を戦場に送り出しても、死にに行かせる様なものじゃない!

戦える...戦えない...。
肯定と否定。
ミサトは自問自答を繰り返す。両方とも自分の想い。
再び振動がケイジを揺らした。

此処に気付いた?

振動が起きる感覚が狭まってきている。
迷っている時間は無い。
ミサトは意を決するとシンジに視線を戻す。

「シンジ君...乗りなさい。レイでは初号機は動かせなかった...元々、レイが初号機とシンクロするのは難しかったのよ...。動かせる可能性があるのは、貴方だけなの」

ミサトの言葉に反応したかのように、シンジは俯いていた顔を上げる。
シンジの顔には未だに困惑の表情が浮かんでいる。
真剣な表情を浮かべたミサトは、ただじっとシンジを見続ける。

何を考えている? 
僕はどうしたいんだ? 
例えここで戦って勝ったとしても、結局、世界は滅びるのに......

シンジはピクリとも動かなくなった。
周りに反応している余裕は無い。自分の気持ちが揺れているのを感じる。
世界が滅びるのは変えられない事。
それがわかっているのに、何故か悩む自分がいる。

何を悩む必要があるんだ。
散々見て、感じて、苦しんで......変えようと努力して...それでも変えられなかった......変えようと思ってもどうしようもないだろ! 僕は所詮、子供なんだから...。
僕はもう十分がんばったさ。だから戦う必要なんてない...。滅びる世界の為に痛い思いをする必要はないはずだ!
もう戦わなくていいんだ!
もう戦わなくていい。
戦わなくていい..................でも......それでも......

動かなくなったシンジをじっと見つめ続けるミサト。
何故かミサトには、シンジが懸命に自分と戦っている事を感じていた。
死の恐怖、不安との戦い。
人はそう簡単に恐怖を退ける事など出来はしないのだ。
どんなに強がってみせても、簡単に逃れる事など出来はしない。
ミサトには痛いほどそれがわかっている。
ミサトでさえ、死の恐怖は抑えられるものではない。
だが、軍人である自分にはそれを乗り越えることが出来る。
いや、軍人であるからこそだ。
だがそれを14歳の少年に望むのは酷と言うものだ。
だから――

私に出来ることをしなければいけない。

不意にミサトは優しく微笑む。

「怖いのは分るわ...私でも始めてコレを見て、すぐに乗れって言われたら混乱すると思う。
でもね...私が貴方の立場だったらこれに乗るわ。でもそれは私に戦う理由があるから。
それを貴方に求めるのは酷である事は分ってる。
私には貴方が今、何を思っているかは分らないし、誰にも分らないと思う...。
でも、今は悩んでいる時じゃない。今は戦わなくてはいけないの。だって、貴方は生きているんだもの......」

ミサトはシンジの両肩に手を添えると、そっと自分の方へ向けさせる。
そこには混乱したままのシンジの顔があった。

「使徒を倒さなければ明日は無いわ。貴方だけじゃない...みんなの未来が無くなってしまうの。これは貴方にしか出来ない事なのよ。
そう、シンジ君だけにしか出来ない事...。
だから...シンジ君......貴方に...貴方の両手に...」

ギュッっとシンジを抱きしめると、大きくはないが強く、そして優しい声音で言葉を紡ぐ。

「...私達の想いと未来を...全てを貴方に預けるわ」

シンジの目が見開かれる。

変えられない未来......それはわかっている。
それでも...。
それでも...今だけは.........守りたい...。
心からそう思う...たとえ、それが今だけの事でも...
世界が滅びる運命だとしても...今だけは...

シンジの瞳に強い意思が宿る。
それはシンジが、今生において、初めて自らの意思で決断した瞬間だった。
それが、たとえ儚く脆いものであったとしても――

「のり...ます。僕が...乗ります」

弾かれたようにミサトは身体を離すと、真面目な顔でシンジを見つめる。
シンジが頷くのを確認すると優しく微笑んだ。

「ありがとう」

シンジも微笑み返した。
その笑顔は、初めてミサトが見た心の籠った笑顔だった。



ミサトの指示により、初号機のパーソナルデータを、シンジに書き換える作業が始まった。
シンジはミサトからヘッドセットを受け取ると、エントリープラグへと繋がるタラップに移動する。
エントリープラグが初号機からイジェクトされ、LCLが強制排出された。
ハッチが開かれると、濡れた髪から雫を滴らせ、プラグの中からレイが姿を現す。

「......」

シンジは何も言えなかった。
還ってきた時にいつも感じる疎外感。それがシンジの心を押し潰そうとする。
いつも思う――僕の知らない、僕を知らない...。
視線を合わせないよう俯いたまま、レイが通り過ぎるのを待つ。

「ごめんなさい...碇くん......」

すれ違いざまに聞こえた一言――聞き間違いじゃない。
確かに聞こえた一言。
呆然とした後、弾かれたように振り返る。が、そこには既にレイの姿はなく、ただ何も無い空間が横たわっていただけだった。



LCLがプラグ内に満たされていく。
プラグ内が血の匂いに満たされていく――
エントリープラグの中でシンジは、いつもの感覚を味わっていた。
自分と誰かが一緒になる感覚――
誰と一緒になるのか――その答えをシンジは知っていた。

母さん...

今までは、もっと深く母を感じようと接続に集中していた。
だが、今回は違った。
『なぜ、乗っているのか?』その疑問が、再び頭の中を駆け巡っていた。

懲りずにまた、コレに乗っている...何も変えられないのに...
わかってる...
そんな事はわかってるんだ。
でも...
それでも......

「守りたいと思ったんだ...」

誰に言うともなく、シンジは一人呟く。
道路で見たのは紛れもない自分の姿だった。
ミサトの雰囲気も今までと違う気がする。
初めて会ったレイは無傷だった。
そして、レイはシンジを知っていた――
いや、知っているどうかは判別できない。
だがそれは、今まで繰り返してきた過去ではありえなかった事だった。

だけど......確かに、綾波は...僕の名前を呼んだんだ......。

すでに神経接続、戦闘、未来に起こるサードインパクトの事――その全てが思考の外であった。
幾度となく繰り返してきた時間――だが、今回のような事は今までなかった事だ。
何がどうなっているのかわからない。あまりに違う事が多すぎる。
シンジはあまりの違和感に混乱していた。



『第2接続に入ります』

『A10接続に異常なし』

『初期コンタクト全て異常なし』

『双方向回線開きます』

次々と接続が完了していく。
神経接続自体は順調に進んでいたが、ここに来て、シンジが感じていた違和感は、当人の思惑とは違う形で姿を現した。

「シンクロ率18%。 起動指数ギリギリです」

オペレーターのマヤが告げる。
幾度となくエヴァに乗ってきたシンジだったが、シンクロ率は上がる事はあっても、下がる事は一度もなかった。それも起動指数ギリギリなど、考えられないことだった。
しかし、それを知らないリツコとしては予想内の結果だった。
違和感は感じない。
逆に、レイを基準に考えている為、現状の結果も驚きに値する事だった。

「いけるわ...初めて乗ったのよ。起動できるだけでもすごい事よ...」


「でも、戦闘には耐えられません...」

リツコの言葉にマヤが反応する。

「それでも、私達は彼に賭けるしかないのよ...」

さしものリツコも苦渋の選択である事がその顔から伺える。
マヤもそれ以上言えず黙り込むしかなかった。
二人の会話を聞きながら、ミサトが声高々と告げる。
その顔はすでに作戦部長のそれであった。

「発進準備!」

初号機を乗せたリフトが動き出す。
拘束部が除去され、EVA初号機が射出口に向かって移動していく。
ミサトがゲンドウを振り返ると、最後の確認とばかりに伺いをたてる。

「...構いませんね」


「もちろんだ...使徒を倒さぬ限り我々に未来はない」

手を顔の前に組み、肘を突いたポーズのままゲンドウが答える。
背後に控えていた冬月からも確認の為か声が掛かる。

「碇...本当に、これでいいんだな」

ゲンドウは返事の変わりに口元を歪め、引き攣った笑いを浮かべる。
意を決したミサトは、正面に向き直ると、再び声高に指示を飛ばした。

「エヴァンゲリオン初号機......発進」

第3新東京市の直上に降り立つ紫の巨人。
ネルフ初の戦闘が始まった――

Please Mail to 葵 薫
( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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