『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第1章〜『過去と現実』 第4話『友と他人との境界(前編)』



襖をノックする音が響く。
シンと静まり返った中、窓の外の雨音だけが響いている。
しばらくそのまま待っていたが、部屋の中から返事が返ってこない事を確認すると、シンジは襖を開ける。

「......ミサトさん...もう朝なんですが......」

目の前の布団がモゾモゾと動く。

「うぅ〜〜ん。さっきまで当直だったのよぉ...今日は夕方までに出頭すればいいから......もう少し寝かせてぇ......」

「......じゃぁ、僕は学校に行ってきますから......」

シンジが襖を閉めようとすると、ミサトから声が掛かる。

「あっ! 今日、木曜日だっけぇ、燃えるごみお願いねぇ〜〜」

「...ゴミなら綾波がさっき出してましたから......じゃぁ......」

「ん〜〜、いってらっしゃぁぁい......」

器用に片手だけ布団から出すと左右に振る。
シンジは襖を閉めると玄関に向かった。
レイは既に登校したようだ。
ペンペンは自室である冷蔵庫から出てこない。
シンジは靴を履くと、玄関を出て学校へと向かうのだった。
雨はなお降り続いていた。



コンフォート17――ミサト邸があるマンション。
そこにシンジは上司であるミサトと同僚のレイと暮らしている。
すでに引っ越して2週間がたったが、家族のような触合いは無いに等しかった。
只の同居人――必要最低限の会話があるだけ――ただ一緒に暮らしているだけの関係がそこにはあった。先のやりとりがその顕著な例である。
引っ越した当初は気丈にも明るく振る舞っていたミサトだったが、その内、暗黙のルールのように現状が出来上がる。
無口なレイ、何事にも無関心なシンジ。
レイとシンジも特に話はしない。あくまで、必要最低限の会話があるだけだ。
そうなると、一人で明るく振る舞っても無理が出てくる――
そして、現在の構図が生まれた――それは必然だった。

シンジが出かけた葛城邸に電話の音が響く。
再び、布団がモゾモゾと動き、片手がニュッと伸ばされると受話器を掴む。
そのまま、受話器は布団の中に消えた。

「もしもしぃ......」

寝ぼけたミサトの声がシンと静まり返った室内に響く。
電話はリツコからだった。

『どう、家族ごっこはうまくいってる?』

「ん〜〜微妙なとこね。シンジ君、相変わらずレイとはあまり話さないようだし......正直怖いのよね...シンジ君、何か思いつめてる事があるようだけど、それにどう触れていいのか......」

『何、泣き言? 彼のメンテナンスもあなたの仕事でしょ』

「うっさい! けど...本音言うとねぇ...時々何考えてるのか判んないのよ...」

そう、シンジ君が何かを抱え込んでいるのは間違いないんだけど...。
何を抱え込んでいるのか、どんな事を悩んでいるのか...。
全く判んないのよね......。

「それに...この前だって、殴られた痕があったし......アイツ、虐められてるのかも...友達もいないんじゃないかな......」

『殴られた痕?』

「...うん、相手は判ってるんだけどね......何でそうなったかが解んないのよ」




シンジは傘を畳むと、喧騒に満ちた教室に入り自分の席に座った。
シンジの席は前から3列目だった。
斜め後ろ――窓側にはレイの席がある。
窓の外には雨雲広がっている。
窓の表面を雨が道を作り、流れるように落ちていく。
レイは既に登校しており、自席で読書を勤しんでいた。
他のクラスメイト達も、思い思いのことをして時間を潰している。
その内の一人がシンジをじっと見つめていた。
教室の最後尾、自席の机に脚を投げ出して座っている、黒いジャージを着た少年――鈴原トウジだった。
その瞳には惑いの色が浮かんでいた――微かな後悔の色を含みながら。

「トウジ...そんなに気になるなら話かければいいじゃないか」

そばかす顔の眼鏡を掛けた少年――相田ケンスケがトウジに声をかける。
隣に居座る親友が自分の視線の先に気付いていたのに少し驚きながらケンスケに返事を返す。

「べ、別にワイは碇の事なんか気にしとらんで」

発した声が大きいと感じたのか、周りを気にするトウジ。
特に自分が注目されていない事にほっとした溜め息を漏らす。
だが、一人だけトウジの言葉に気付いている者がいた。
いわずと知れたお下げ髪の委員長――洞木ヒカリであった。
友人と会話を交わしていても、しっかりと二人の会話を聞いているあたりは、さすがとしか言えない。
そんなヒカリには気付かず話続ける二人。
普段らしからぬトウジの態度に微笑を浮かべつつ、戯けるケンスケ。

「僕は『碇』だなんていってないんだけどな...」

「ぐっ!」

「大体さ、もっと早く謝っておけば、そんなに悶々としなくても済んだのに...」
一瞬、鼻白んだ様子でケンスケを睨むトウジだったが、直ぐに暗い表情を浮かべるとポツリと呟いた。

「......どないな面さげて話しかければええんか、わからんのや」

「.........」

トウジの言葉に戸惑い、二の句を次げないケンスケだった。
雨はまだ降り止まない――



数日前――
昼休みの校舎裏はひっそりと静まり返っていた。
不意に拳が肉に食い込む音が響いた。
地面にシンジが転がっている。
顔には殴られた痕がハッキリと残っていた。
拳を突き出した状態のままトウジが呟く。

「すまんな転校生。ワシはお前を殴らないかん...殴っとかな、気が済まんへんのや」

事の発端は、授業中にシンジの元に送られてきた一通のメールだった。
内容は『エヴァのパイロットか』を問うメールだった。
シンジがパイロットである事を認めたため、一時、クラスは騒然とした。
シンジの周りには人垣が出来たが、シンジのあまりに淡々とした態度に、徐々にその数を減らしていく事となる。
その後、久しぶりに登校して来ていたトウジに、校舎裏に呼び出されたのは過去と変わらなかった。

シンジは地面に転がったまま起き上がれない。いや、起き上がろうともしなかった。
ケンスケはシンジに近寄ると小声で話しかける。

「悪いね。こないだの騒ぎであいつの妹、怪我しちゃってさ......」

シンジは答えない。
視線を空に向けたまま微動だにしなかった。
殴られたことにも、何の反応も示さない。
その様子を怪訝に思って声をかけるケンスケ。

「おい転校生、大丈夫か? !!」

シンジを覗き込んでいたケンスケは、シンジの瞳を見て驚愕した表情を見せる。
その瞳は暗く濁り、何も映していなかった。

「な、なぁ...本当に大丈夫か? 当たり所が悪かったんじゃないのか?」

その言葉に反応して、トウジも少し心配そうな顔を浮かべる。
不意にシンジは何事も無かったように立ち上がると、汚れを取るかのようにズボンを叩く。その間も、シンジは顔色一つ変えることはなかった。
呆然とそれを見ている二人――

「なあ、転校生...お前、何で――」

話しかけてきたケンスケには一瞥もせず、そのまま静かにトウジに近づいていく。

「な、なんや!」

既にトウジから怒りは薄れており、内心戸惑いながらも、いつでも反撃が出来るように身構える。

「...ごめん」

ポツリと呟く一言――二人の瞳が大きく見開かれる。
シンジが発した言葉にではなく、その表情に戸惑いを――いや、恐怖を覚えた。

こ、こいつ...なんて瞳をしてんのや......

転校生......お前......

シンジの瞳は何も写していなかった。
ただ、暗く濁った光がたゆたっているだけだった。



昼休みを終え、午後の授業が始まっても、トウジとケンスケは授業に集中する事が出来ないでいた。
昼に見た転校生――碇シンジの瞳が脳裏にこびりついて離れない。
二人はまるで申し合わせたかのように、視線を宙に向けたままボーっとしていた。

ピリリリリ......

不意に、けたたましい音が教室に響き渡った。
音は2つ――レイとシンジの携帯から発せられていた。
レイは席から立ち上がると、教師に視線を送る。
教師が頷くのを確認すると、レイは机に広げていたノートPCの電源を落とし、通信ケーブルを外す。
シンジもそれに倣い、帰宅準備を終えると、二人は無言のまま教室から退出する。

数秒後、教室内に残された生徒達がザワザワと騒ぎ始める。
現状に戸惑う者、直ぐに現状を把握した者、反応は様々だったが、何かが起こっている事だけは、皆、理解した。
トウジは窓から校庭を眺めている。
校門に止まっている、漆黒の車に乗り込む二人の姿を眺めていたのだ。
漆黒の車は徐々に視界から消えていく。
トウジの心は、湧き上がってくる罪悪感で満ちていた。
間違った事をしたとは思わない――妹が怪我をして入院する原因を作ったのは間違いないのだから。
そう、間違ってはいない、だが――

「...訳ぐらい......聞いとくべきやったかな......」

車が見えなくなっても、消えた先にいるはずのシンジを――シンジの瞳をいつまでも追い続けていた。
そんなトウジをヒカリは心配そうに眺めていた

二人が教室を後にして数分後、第3新東京市全域に非常事態を示すサイレンが鳴り響き、続いて緊急放送が流れる。
第4使徒シャムシェルが襲来した瞬間だった。

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