『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第9話 『二人』



太平洋上を一台の輸送ヘリが飛んでいる。
眼下に広がる海は空の色を反射して青色に輝いていた。
見渡す限りの青色が視界に広がり――その中を黒い点の群れが動いている。自然物ではない――それは人工的に作られたモノだった。
ヘリはその群れに向かってゆっくりと降下していく。
近づくにつれ、その点一つ一つが軍艦である事が見て取れた。
ヘリには所属を示すロゴであるUNが大きく描かれていた。が、乗っているのは軍人とは思えない面子だった。
女性は仕官と思えるが、軍服ではない。後部座席に座っているのはあろう事か学校の制服を着た少年と少女――このヘリはネルフという組織の重要人物を移送しているのだ。
後部座席に座る少年――シンジはヘリの窓から、群をなして進む軍艦の、その中の一隻の空母――国連軍所属空母オーバー・ザ・レインボゥを感慨深そうな眼差しで眺めていた。
だが、シンジの瞳に映っているのは軍艦の無骨なフォルムではなく、一人の少女の面影だった。
赤みがかった長い金髪――
碧眼の鋭い、だが優しい眼差し――
いつも隣にいた我儘で強気で――だけど、淋しがりやで甘えん坊な少女。
そして、シンジにとって忘れえぬ特別な――宝物のような女性――

アスカ......

空母オーバー・ザ・レインボゥ――そこはシンジにとって思い出での場所だった。



ミサトはシンジ、レイを連れ、外部充電用ソケットを積んだヘリから甲板に降り立った。
3人には周囲からの嫌悪とも奇異とも取れる視線が集まっていたが、その只中をミサトは悠然と歩を進めた。
続いて、いつもの無表情でレイが続き、シンジは集団の最後尾を少し遅れ気味に歩いていた。
シンジは自分の思考に思いを飛ばしていた。
レイとアスカ――二人は仲が悪い。 
幾度と過去を巡っても、その事実だけは変わらなかった。
レイとアスカの性格は根本的に違う。
言うなれば、明るい太陽のような溌剌な少女と淡い月のような儚げな少女。
静と動。光に照らされ輝く少女と闇に儚く浮かび上がる少女。あまりに対照的といえる二人――この二人の場合、ある意味それは仕方ないのかもしれない。
だが、解りあえた過去もあった。確かにあったが――それでも時間がかかった。出会ったばかりではそうはいくまい。
兎にも角にも、シンジは二人に仲良くしてもらいたいと思う。
何気にシンジはレイのうしろ姿に視線を移す。
綾波レイ――過去ではこの場に居なかった少女。
確かにこの世界の『綾波レイ』は、今まで知りえたどの『綾波レイ』とも違う――それは間違いない事だ。
だが――直面する問題において、どう違いがあるのだろう。

出会うのが早いか遅いかの違いでしかないよね。
でも、どうすれば二人は仲良くなるんだろう...。 


「ヘロゥ、ミサト!」

思考に突然聞こえてきた明朗活発な声。その声にシンジはビクリと身体を震わせ反応する。
瞬間、呼吸が止まった。
声の聞こえた方向に視線を向けると、勝気な表情をした少女――アスカがいた。
長い赤みがかった金髪に碧眼。アイドル顔負けの美貌は変わっていない。 
トップモデルと言っても違和感が無いほどの均整が取れたプロポーションは、持ち前の活発さと合わされて太陽のようなイメージを抱かせる。

ア、アスカだ......変わってないんだ......

強気な態度を取っていても、その影に寂しさが隠されている事をシンジは知っている。
外見に目を奪われるより、その内面が変わってない事をシンジは感じ取った。
一瞬目頭がカッとなり、熱い雫が溢れそうになるのを必死で止めるシンジ。
そんなシンジを横目で見ているレイの顔は相変わらずの無表情だったが、嬉しそうな、その反面、どこか悲しそうな表情にも見えるのは気のせいだろうか。
背後にいるそんな二人には気付かず、ミサトが笑顔でアスカに声をかける。

「久しぶりね、アスカ。背、伸びたんじゃない?」

「あったり前でしょう成長期ですもの。それに、成長してるのは背だけじゃないのよ」

そう言うと、自慢の肢体を見せ付ける。 
同年代よりも遥かに豊満な体のラインが、ミサトには及ばないまでも、はっきりと自己主張をしている。西洋の血が流れている為か、抜群のスタイルだ。
レイと比べるとその違いは一目瞭然である。無論、レイも胸を除けばプロポーション的には決して負けてはいないのだが......。

「まぁ、それなりに成長はしたようね......」

余裕顔のミサト。だが、中学生に対抗意識を燃やし、張り合っている事実に、未だ気付いていないようだ。

「フン! ミサトと違って、私はこれからなのよ!! 一緒にしないで欲しいわね!! それに比べて...あれぇー小皺? やっぱ、歳には勝てないかぁ?」

「!! 言ってくれるじゃない......」

ミサトは額に青筋が浮かべるが、その反面、どこと無く楽しそうに見える。

「冗談よ冗談...で、他のチルドレンってのはコレ?」

アスカは思い描いていた通りの反応に苦笑を漏らしながらも、ミサトの背後にいる二人を見回す。

「えっ...あぁ......碇シンジ君と綾波レイちゃんよ」

と思わずレイの背中を押すミサト。
アスカは無表情のまま視線だけを送ってくるレイを見て呟く。

「......そう...ふーん、冴えないわね。まぁ、これからは楽出来るわよ。なんたってこの天才美少女が来たからには使徒なんて楽勝よ!」

シンジは今までのように、強気な視線で胸を反らせるアスカに、思わず微笑を浮かべる。

「へ、へぇー、ちゃんと笑えるんじゃない。本部の二人は無表情だって聞いてたけどさ」

突然のシンジの笑顔に戸惑い、頬を少し朱に染めつつも、ジーッとシンジを見ながら手を差し出す。

「ま、足だけはひっぱらないでね」

「う、うん......よろしくね」

シンジもアスカの手を優しく握り返す。
レイはそんな二人の握られた手をジッと見ていた。
アスカがレイの視線に気付き手を差し出す。
だが、ただじっとその手を見続け動こうとしないレイに、アスカが苛立ちげに声をかける。

「何してんのよ!」

無表情に握り返すレイ。
アスカは気付かなかったが、その瞳には僅かな怒りと戸惑いの陰りがあった。



ミサトは合流したアスカを含む3人を引き連れて艦橋に来ていた。
ミサトと艦長が本音を隠したまま、笑顔で建て前の会見を行っている。

「わざわざネルフからのお越し、恐縮だな」

「この度はエヴァ弐号機の輸送援助ありがとうございます。こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」

ミサトから書類を受け取ると、一瞥もせずに副長へと渡す。

「ふむ、ご苦労だった。だが、この海の上でアレを動かす要請などは聞いちゃいないがね?」

「万一の為の備え......と、理解して頂けますか?」

「だが、その万一の為に我が太平洋艦隊が護衛に当たっていると理解しているが?」

「我々、太平洋艦隊はネルフの宅配屋ではないぞ! 第一、あんな人形など役に立たん!!」

「まぁ、落ち着きたまえ副長。彼女に本当の事を言っては失礼だろうが」

艦長が軽く手を上げて副長を制する。

「ハッ、失礼しました」

「ま、何にせよだ......わざわざネルフの輸送の為だけに、太平洋艦隊が勢揃いしているのだ。これ以上何か心配があるかね?」

ミサトはそ知らぬ顔で書類を差し出しながら答える。

「万一の事態が起きた時、エヴァだけは守る必要がありますので......では、この書類にサインを頂けますか」

「いや、まだだ。エヴァ弐号機及び同操縦者は、ドイツ第3支部より我々太平洋艦隊が預かっておる。君達はあくまで乗船を許可されたに過ぎない。君たちは受け渡しが済むまで、船内でのんびり過ごすがよかろう」

「普段から何もしてないのだろうがな。まあ、ネルフは給料だけは良いらしいから、子供の面倒を見るのも嫌じゃないだろうな......」

「おいおい、副長。それは言いすぎだ。それでは葛城一尉が返答に困るだろう」

「はっ、申し訳ありません!」

副長の敬礼を再び手で制しながら、表面上は優しく、それでいて毒のある言葉をミサトに投げかける。

「...ああ、葛城一尉、気にせずネルフにいるつもりで、いつものように子供達とのんびり過ごすがよかろう」

「お、お心遣い感謝致しますですわ......」

シンジは横目でミサトを見る。口調が変だ。笑顔を浮かべた顔にも青筋が浮かんでいる。 これはキレかかっている証拠だとシンジは判断した。

「で、では、い、いつ引きお渡しを?」

「新横須賀に陸揚げされてからとなる。海の上は我々の管轄となる事をご理解頂こう」

「わ、解りました。ただし、有事の際は我々ネルフの指揮権が、何があっても、最優先される事だけは、くれぐれもお忘れなく!」

ミサトの一言に、さすがの艦長も苦い顔をする。
ミサトがキレずに最後まで話が出来た事にシンジはホッとした。
その時、扉が不意に開かれ、ニュッと人影が現れる。

「加持さぁん!」

アスカの嬌声に思わず振り向くミサト。

「どぉもー」

右手を軽く上げながら、軽い挨拶をミサトに送る。

「んなぁぁぁ!!」

手に持っていたファイルを床に落としながら凍りつくミサト。
そんなミサトに加持は笑いながらも、その視線はシンジを観察していた。
シンジは久しぶりに会った加持を懐かしそうに眺めている。

......なるほど、確かに...のような反応だな

加持はそんなシンジの反応を納得するかのように一つ頷いた。



4人は揃って艦橋から退室する。
ミサトが退室の挨拶をしているのを横目に、加持は階段を下っているシンジの傍に近寄ると声をかける。

「よっ、シンジ君」

「......」

シンジは内面戸惑っていた。

?? どういう事だろう?
この世界で、加持さんとは初対面のはず...。

だが、加持は知り合いに会ったように――以前、会った事のあるかのように声かけてきた。
慎重にシンジが返事を返す。

「......初めまして」

初めまして...か......確かに...な

内心で苦笑する加持。
ミサトが艦橋からの階段を下りてきたのを確認すると、一行は休憩室に向うことにした。



それぞれ思い思いの飲み物を片手に、食事も取れるような広いテーブルに5人は座った。
アスカは当然のように加持の隣に座り、対面にシンジを挟んでミサトとレイが座っていた。
みんなが着席したと同時に、ミサトが話を切り出す。

「加持ぃぃ! 何で、あんたがココに居んのよ!!」

「んん!? 彼女の随伴だけど」

「んなっっ......う、うかつだったわ......十分考えられる事態だったのに...」

あっさりとした加持の返答に、思わず両手で頭を抱えるミサト。
そんなミサトを優しい眼差しで眺めながら、加持が質問を投げかける。

「それより、今...付き合っている奴...いる?」

「そ、それがあなたに何の関係がある訳?」

プイッっと横を向くミサト。

「あれぇ......つれないなぁ」

加持がおどけた表情のまま視線をシンジに移す。

「君は葛城と同居してたよね」

「.....はい」

「どうだい、彼女の寝相の悪さ...直ってる?」

「ええええぇぇぇぇ!!!」

「な、何言ってんのよ、あんたはぁ!!!」

驚いた恰好のまま固まるアスカと真っ赤な顔で食って掛かるミサト。対照的にレイは興味が無いとばかりに紅茶を飲んでいた。

「あはは...変わってないと思いますよ......加持さん」

冷静に切り返された言葉にミサトの顔が青くなり、そのままテーブルに突っ伏す。

「そうか......それは大変だな、碇シンジ君」

なるほど......どうやら、本当の事らしいが......やはり、直接確かめるしかないか...

シンジは不思議そうな顔を浮かべ、思っていた質問を加持に投げかける。

「あの...加持さん!? どうして僕の事知ってるんですか?」

「そりゃ知ってるさ...碇シンジ君。この世界じゃ君達『チルドレン』は有名人だからね。もちろん綾波レイちゃんも知ってるさ」

そう言うと加持はレイにウインクを投げかける。が、当のレイはそれに反応せず、素知らぬ顔で紅茶を飲み続けていた。
加持の言葉に我を取り戻したアスカが横目でシンジを睨む。

「そう...ですか......」

「そうさ。特に君は......ね」

「えっ!?」

「いや......」

チラリと時計を見るとゆっくりと席を立つ加持。

「じゃ、また後でな...シンジ君...レイちゃん」

アスカに目配せする。アスカが頷いた事を確認すると二人は連れだって退出して行った。
後には、それを納得の行ってない表情で見送っているシンジと、無表情のまま紅茶を飲んでいるレイと――

「これは夢..・そう、悪い夢なんだわ......私は今暖かい布団の中に包まっているのよ...だからこれは悪夢なのよ......悪夢なんだわ......そうよね......ね!」
 
テーブルの上に突っ伏したまま虚空に向かってブツブツとひたすら呪文のように呟き続けるミサトが残った。



太平洋上を悠然と進み行く艦隊は、見るものに畏怖と羨望を抱かせる。戦争中であれば、あるいは絶望をだろうか......。だが、それも遠い昔の事だ。
そんな風を切って進む軍艦の甲板上に加持とアスカは移動していた。
甲板の縁にある柵に凭れ掛るような体勢で、加持は傍らの少女に話しかけた。

「どうだい、他の二人は?」

「つまんないヤツら......あれがチルドレンなんて...幻滅」

「だが、噂ではシンジ君が計測不能のシンクロ率を叩き出したそうだ」

「......うっそぉ!」

その言葉に驚愕の表情を浮かべ、視線を加持に送る。

それだけじゃない......。
彼は不思議なATフィールドも張って見せている。
それに、電源の供給されていないポジトロンライフルで使徒を消滅させた。ライフルで消滅など......出来るはずないことをね。
だが、『彼』のいう事が本当ならば......。

加持は自らの思考を追い出すと、ゆっくりと言葉を続ける。

「ま、それは一瞬だったらしいがね」

「ふ、ふん、火事場の何とかってヤツじゃないの?」

「そうかもしれんが......実際に瞬時に使徒を殲滅しているぞ」

「......」

アスカは無言のままきつく唇を噛み締めた。



ミサトはレイを伴い甲板へ続くエスカレーターを上っていた。シンジはトイレに行っており、後から追いつくことになっていた。
まだ、ミサトの表情は暗く翳っている。さっきの事から立ち直っていないようだった。

「ファーストチルドレン!」

不意に上方から声が聞こえる。
エスカレーターの脇にアスカが立っていた。
アスカはレイを僅かに睨みながら言葉を続ける。

「ちょっと付き合って」



時を同じくして、シンジがトイレから出てくるのを待っていたかのように、加持が壁に体重を預けながら声をかけてくる。

「よっ」

「......」

無言を返すシンジ。
加持は無邪気な笑みを浮かべると呟いた。

「...ちょっと、付き合ってくれないかな」



弐号機に被せられたビニールシートを捲り上げながらレイに話しかけるアスカ。

「どう、これがエヴァ弐号機よ! 所詮、零号機と初号機はそれぞれ試作機と試験機。けど、この弐号機は違うわ! これこそ実戦用に作られた世界初の本物のエヴァンゲリオンなのよ!! 正式タイプのね」

アスカが胸をそらせながら高らかに言い放つ。
それに対してレイは興味なさそうに呟いた。

「そう...」

「そう...って、それしかいう事は無いわけ!? 何かいう事があるでしょうが!!」

「そうね......赤いのね」

「そう、私のカラーは赤なのっって、そーいう事じゃないでしょうがッッ!!」

もう、なんなのよ、この女は!!
わざとやってんじゃないでしょうね!?

地団太を踏みながら横目でレイを睨む。

「.........」

だが、レイは沈黙を守ったまま、表情すら変えない。

「ハァ。もういいわよ! アンタ、どういう思考回路をしてんのよ...まったく」

溜め息を一つ吐くと、レイを疲れた顔で眺め、両手を挙げて降参を示す。
それを聞くとレイは、相変わらずの無表情で視線を弐号機に移し、じっと弐号機を眺めた。
つられてアスカも自分の弐号機を誇らしげな表情で眺める。
不意にアスカがレイに問いかけた。

「ねぇ......サードってどんなヤツ?」

「......どうしてそんな事を聞くの?」

初めてレイの表情が少し変化した。が、アスカは弐号機を見ていたのでその変化には気付かなかった。

「どうでもいいでしょ! とにかく、どんな奴なのか聞いてるの!」

「......別に...」

「別にって...答えになってないわよ!」

キッとレイを睨むアスカ。

「碇くんは碇くん......それ以上でも以下でもないわ...」

淡々と語るレイに一瞬呆然とするアスカだったが、すぐに我に返り、尚も言葉を紡ごうとしたその時、遠くで水柱が上がり、続いて船体が大きく揺れる。
その反動で床にレイが尻餅をつく。

「きゃぁぁぁぁ!!」

叫び声に続いて、レイの上にアスカが覆いかぶさるように倒れこむ。

「......お、重い」

「なんですって!!」

ガバッと立ち上がりながらアスカが叫ぶ。
レイはアスカの言葉を無視して、風に捲くられたシートの向うの海に視線を送る。

「......使徒!?」

打ち付けた痛みに顔を顰めながらポツリとレイが呟く。
レイの視線を追うように海を見ると一隻の戦艦に向かう水飛沫を確認する。
一瞬、黒い鱗のような物が目に写った。

「あれが...本物の使徒!!」

アスカは一瞬驚きの表情を覗かせるが、すぐにその表情が怪しい笑みに変わる。

「フフフフフッ............チャ〜ンス!!」



少し時間は前後する。
シンジは加持に与えられている士官室を訪れていた。
ベッド意外何もない質素な部屋だ。
加持はベッドに腰掛けいつもの惚けた笑顔で話しかける。だが、加持の語ったそれはシンジにとって理解しがたい言葉だった。

「......久しぶりだね。碇シンジ君」

「.........」

無表情の仮面をつけたシンジは椅子の上で、今の加持の言葉を理解しようと頭脳をフル回転させる。

久しぶり? ......どういうこと?
加持さんとは面識が無いはず......。
もしかして...僕みたいに戻って来たのかな?
......いや、そんな筈がない。第一、僕が戻って来ている事は誰も知らないはず...。
じゃあ、別の誰かと勘違いしているとか?
......いや、それも考えられない。はっきりと僕の名前を言っている。

無論、考えて答えが出る問題ではない。しかし、考える事を止める事はシンジには出来なかった。
だが、今生での加持に関する情報は一切持っていないのだ。
既にオーバーヒート気味のシンジの頭では、感情を面に表さないようにするのが精一杯だった。
不意にシンジの頭の中に、まるでインプットされていたかの如く一連のフレーズが思い出される。

考えても分からない事は相手に聞けばいいんだったね...アスカ。

自分の思考では判断を付けられないシンジは考える続けるより、記憶の中のアスカの言葉に従う事を優先した。アスカはこんな状況の時にそうすればいいと言っていた訳ではないのだが、今のシンジには、アスカの言葉を実行するしか思いつかなかったのだ。
シンジは戸惑いを言葉に乗せない様に、ゆっくりと問い返した。

「......初めてお会いしたと思いますが...どこかでお会いしましたか?」

何とか自然に言葉を返す事が出来たシンジだった。

「.........」

だが加持は何かを待つように、ただジッとシンジを見つめ続ける。そんな加持をシンジも無言で見つめ返した。
二人の間に重い沈黙が流れた。が、唐突にその沈黙は破られた。
不意に加持は柔和な表情を浮かべると、いつもの軽い口調で言い放った。

「いや、俺の勘違いらしい。君とは何処かであった気がしたんだけどね」

「......そうですか...」

シンジには加持が何をしたかったのか訳が分らない。過去と違う加持の行動。だが、ひとつだけハッキリと分ったことがある。今生は今までの過去と何かが大きく違っているという事だけ――

何が起きるか分からないって事か...。
もっと用心したほうがいいのかな?

だが、訳の分からないままというのは何か気持ちが悪い。

「......あ、あの......」

意を決して、シンジが声を掛けようとしたとした時、何かの爆発音が響き、次いで船体が大きく揺れた。不意の衝撃にシンジは自分の身体を支えきれず、そのまま加持の方に倒れこむ。衝撃にまったく動じず、加持が両手でシンジを支えながら声をかける。

「おっと、大丈夫かいシンジ君」

「は、はい...ありがとうございます」

「それより......葛城の所に早く行った方がいい」

「えっ...。 は、はい!!」

シンジは加持の言葉に頷くと艦橋に向け走り出した。
その背後では、加持が悪戯が成功した子供のような、そんな表情でシンジを見ていた。

その頃、海上では黒い物体が水飛沫を上げながら軍艦と相対していた。
――第6使徒ガギエルの来襲だった。



艦橋では艦長が唾を交えた大声で檄を飛ばしている。

「何故沈まん! 魚雷を何発も喰らっているんだぞ!!」

「現状はどうなっている!? 報告しろ!!」

艦長の憤慨気味な絶叫に続き、副長も現状を把握する為に通信機に向けて怒鳴り声を張り上げている。艦橋はまさに騒然としていた。

「失礼しま〜す。ネルフの見えない敵の情報はいかがッスかぁ?」

軽い乗りでミサトが現れる。
どうやら、嫌みったらしいこの二人の慌てた姿を見て、機嫌がよくなったようだ。

「必要ない! 貴様らは黙って室内で震えていればいいんだ!!」

副長が怒鳴り返す。艦長もミサトを一瞥した後、視線を戦場に戻す。どうやら無視を決め込んだようだ。
もともと気が短いミサトが我慢しているはずがない。頭に来たのか、今までのよりドスが聞いた声で喋り掛ける

「こ・れ・は、ど〜見ても使徒による攻撃と思われるんですがねぇ!!」

「黙れ! 部外者は引っ込んでろ!!」

副長の言葉に今度こそミサトがキレた。

「あんですってぇ!! アンタこの状況が分かってないんじゃないの!!」

「な、なんだと!!」

ミサトが怒鳴り、突然のミサトの変化に戸惑いつつも副長が怒鳴り返す。艦長もミサトをジロリと睨む。

「落ち着いてください、ミサトさん。艦長さん達も落ち着いてください」

まさに一瞬即発の状況だったが、艦橋に現れたシンジの声でこの危機的状況は回避された。



「こんなところで使徒襲来とは、話が違いすぎませんか?」

シンジが出て行った士官室では、加持が携帯電話で連絡を取っていた。電話の相手が誰かは――言うまでもないだろう。

『問題ない、その為の弐号機だ...パイロットも追加している。最悪の場合、例の物を持って、君だけでも脱出したまえ』

「......分かってます」

それきり電話は切れた。加持が一つ溜め息を吐く。 
懐からタバコを取り出すと口に咥える。

「逃げろ...か」

だが、そうはいかないんだよ......。
『彼』との約束もあるしな。
それに......どうやらこの船は沈みそうにないしな......何も逃げる事はあるまい。



「...碇...シンジ......か...」

呟くと咥えたタバコに火を付け、深く煙を吸い込んだ。



『オセローより入電! エヴァ弐号機起動中!!』

「な、なんだと!」

「ナイス! アスカ!!」

二人の異なる反応を聞き、シンジは顔が真っ青になった。いや、二人の反応にではなく、通信によって入ってきた内容に対してだったが...。

し、しまった! アスカの弐号機に行かなくちゃ行けなかったんだ!!

しかし、艦橋内はそんなシンジの戸惑いをよそに、再び激論――というか、口喧嘩が始まろうとしていた。第二戦は艦長対ミサトだ。

「いかん! 起動中止だ、直ぐに戻せ!!」

マイクに向かって艦長が叫ぶ。が、後ろからミサトがそのマイクをひったくるとアスカに命令を出す。 

「かまわないわ、アスカ! 発進して!!」

再びマイクを奪い返す艦長。

「エヴァ及びパイロットは我々の管轄下だ! 勝手は許さん!!」

「うるさいわねハゲ親父! こんな時に何言ってんのよ!!」

「小娘は黙っていろ!! 海上戦闘はプロに任せて置けばいいんだ!!」

「使徒にアンタらの武器は効かないって言ってんでしょーが!!」

「あんな人形ではものの3分も持たんわ!!」

「なんですって!!!!」

「なんだと!!!!」

「二人ともいい加減にしてください!!!!!!!」

艦橋が一瞬静寂に包まれる。

「ミサトさん、ネルフの代表として恥ずかしい真似はやめて下さい。艦長さんも有事の際は我々ネルフの指揮権が最優先されるはずです。指示に従ってください!!」

シンジの言葉に黙り込む二人。そこに、アスカから通信が入る。

『へぇー。サードチルドレンもなかなか言うじゃないのよ。少し見直したわ』

「アスカ!! 水中戦は避けて!!」

『ちょ、調子に乗ってんじゃないわよ!! 誰がファーストネームで呼んでいいって言ったのよ!!! それに、水中戦はダメってどういう事よ!』

『弐号機はB型装備のまま......水中戦は考慮されていないわ』

「あ、綾波!?」

「何...レイも乗ってるの!?」

突然のレイの声に戸惑うシンジ。二号機にはレイとアスカが乗っていた。
ミサトも突然の事に驚きを隠せなかったが、そこは軍人である。直ぐに思考を切り替える。 

「...試せるか......」

ミサトは少し考え込んだ後、ポツリと呟いた。どちらにしても、使途を倒さなくてはいけないのだ。そうしなければ人類に未来はない。少女達を危険な目に合わせるのは忍びないが、状況が状況だ。
ミサトは意を決して、力強くマイクから指示を飛ばした。

「アスカ、出して!!!」



「...来るわ」

「分かってる!」

レイの声にアスカは答えると、自分に言い聞かすように呟いた。

「行くわよ......アスカ!」

突っ込んでくるガギエルを避けるように次の軍艦へと飛び移る。
それを追うガギエルだったが、弐号機は八艘飛びの要領で次々と軍艦を飛び移りガギエルの攻撃をかわしていく。目的地は無論、オーバー・ザ・レインボゥである。



「ミサトさん、急いで電源ソケットの用意を...」

「そうね......お願いできますか?」

シンジの言葉にすばやく反応したミサトは背後の艦長に真顔で伺いを立てる。

「ぬ......わ、わかった」

今までと違う雰囲気に気圧されたかのような艦長の言葉に、ミサトは一瞬シンジと目を見合わせると、お互いにニコリと微笑み合う。

「......ありがとうございます」

笑顔を浮かべたまま、ミサトは艦長に礼を言うのだった。



「弐号機、着艦しまーす!!」

強烈な衝撃に続いて、船体が大きく傾ぐ。弐号機が微妙なバランスを取り、船体を元に戻す。
『ちょっと、アスカ!! もっとゆっくり飛び移りなさい!!』

「そんな事言ってる場合!? B型装備じゃ海に落ちたらアウトなんだから文句言わないでよ!」

ミサトと言い争っている間にも、ガギエルが接近してくる。

「...来るわ」

「分かってる!! 外部電源に切り替え...完了。さあ、かかってきなさい!!」

電源メータが無限大を現す8の字を表示する。アスカが肩口からプログナイフを抜き水平に構えると、プログナイフの刃が淡い光を発する。と、そこにガギエルが突っ込んできた。

「くぅうぅぅ......こんのぉぉぉx!!!!」

正面からガギエルを押さえ込む弐号機。 
強烈な突撃の影響で船体が大きく傾ぐ。
弐号機は衝撃で手に持っていたプログナイフを甲板上に取り落としたが、かまわずガギエルを押さえつける。
ガギエルの強烈な体当たりを何とか凌いでいた弐号機だったが、慣性の法則によって船体が揺れ戻った衝撃で、甲板の舳先に置いていた片足を踏み外してしまう。

「きゃぁぁぁぁ! な、なによぉぉぉ!!」

「......落ちるわ」

「冷静に言うなぁぁぁ!!」

こうして弐号機は大きな水柱を上げながら、ガギエルと共に水中に姿を消した。



「お、おい...落ちたじゃないか!!」

「ええ、落ちましたね...」

ミサトは艦長と副長の会話を無視すると、アスカに指示を出す。

「アスカ...水中戦闘は無理よ!」

『そんなの、やってみなくっちゃ分かんないじゃない!?』

『......無理ね』

『だから、冷静に言うんじゃない!!』

「ふむ......結構余裕があるようだな」

「そうですねぇ」

レイとアスカのやり取りを聞いて感想を漏らす二人。
再び、二人を無視してミサトが言葉を発する。

「ちょっと、二人とも言い争ってる場合じゃないでしょ!!」


『分かってるわよ!!』

『! ...来る!!』

一瞬静寂が訪れる。と、次の瞬間――

『きゃぁぁぁあ!!』『くぅぅぅ!!』

二人の悲鳴と同時に水柱が上がる。 
どうやらガギエルが跳ねたらしい。その口の中には――弐号機がガップリと咥えられていた。

「おい...食われたぞ!」

「ええ...食われましたね......」

「ギャラリーは黙ってなさい!! 二人とも大丈夫!?」

背後の二人に怒鳴りつけるとマイクに向かって吼える。

『な、何とか...ね』

『だ...いじょうぶです...ミサトさん』

二人から返事が返って来た事にミサトは胸を撫で下ろす。
シンジはその間、電源ケーブルを眺めていた。と、不意にミサトに叫ぶ。

「ミサトさん! ケーブルが!」

「クッ! 二人ともケーブルが無くなるわ! 衝撃に備えて!!」

声と同時にケーブルの残りが無くなる。 
水中では弐号機がピーンと張られたケーブルの衝撃で、ガギエルの口内の更に奥へと潜り込んだ。
電源ケーブルがガギエルの動きにそって右往左往とクネクネ動き回る。

「どうするんだね...葛城一尉」

ミサトが舌打ちした。判断に迷った時の癖だ。

よし、この状態ならミサトさんの作戦がうまくいく筈だ。
あくまで怪しまれないように言わなくっちゃ。

シンジは一つ頷くとミサトに声をかける。

「ミサトさん...なんだか釣りをしてるようですね...」

「シンジ君...冗談言ってる場合じゃ......」

ミサトが苛立たしげにシンジを見るが、シンジの目を見て言葉に詰まる。
シンジの瞳の色は真剣そのものだった。

シンジ君? 何が言いたいの?
釣りをしてるようって......釣り!?

「シンちゃん...それよ!!」

ミサトはシンジに微笑むと、マイクに向かって叫ぶ。

「アスカ、レイ......聞こえてる?」

『き、聞こえてるわよ、ミサト!』

『...大丈夫です』

ミサトは大きく息を吸うと、二人に指示を出す。

「いい。よく聞いてね......二人とも......絶対に使徒を放さないでね!!!」

『『はい!?』』



ミサトの立てた作戦は戦艦2隻によるゼロ距離射撃での使徒の撃破。
問題は戦艦の突入時に二人が使徒の口を開く事が出来るか――それに尽きた。
そして――作戦は決行され、電源ケーブルはどんどん巻き取られていた。失敗は許されない――戦艦は既に水中を沈降しているのだ。

「口を開けって言ったって......」

「...見えて来たわ」

『二人とも...まだなの!?』

ミサトの焦った声が聞こえるが、アスカはそれどころでは無い。

「やってるわよ! もう、何で開かないのよ!!」

『アスカ! 綾波! 心を合わせるんだ!! 開けって念じて!!』

「うるさい!! やってるわよ!!」

その間も戦艦が近づいてくる。
レイはレバーを握るアスカの手に自分のそれを重ねる。

「...アスカ......心を一つに......碇くんの言ったとおりにして......」

「......ファースト......アンタ......」

初めて見るレイの真剣な瞳を見てアスカも心を決める。そうしなくては、どうやらこの状況を打破する事は出来ないらしい。

「いいわね...集中よ......」

「分かったわ」

戦艦はすでに使徒の目前に迫っている。
二人は懸命にガギエルの口が開くよう念じた。

「開け、開け、開け......」

アスカが呟く――

「開け、開け、開け......」

レイが念じる――

『ダメ! 間に合わない!!!』

ミサトの絶叫が聞こえる。だが、二入の意識は今、一つの事だけに向けられている。
ミサトの声は二人には届かない――
そして、戦艦が到達する瞬間――

「「開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け............」 」

二人の心が重なる――
弐号機の4つの瞳が一際鋭い光を放ち、爛々と輝いた。と同時にガギエルの口が大きく開かれる。時を同じくして二隻の戦艦がガギエルの口内に突入――

『打てぇぇぇッぇぇぇ!!!!!』

ミサトの叫びに反応するかのように、戦艦の主砲が火を吹いた。



海面が持ち上がり、大きな水柱が天に向けてそそり立った。

なるほど......言った通りと言うわけか......

甲板から水柱を眺めていた加持が、思い描いていた通りの結果に薄い笑みを浮かべる。

「『彼』の言う事に間違いが無いのであれば......どうしますか......碇司令?」

咥えていたしけもくを海面に投げ入れながら、そう呟きを洩らすのだった。



甲板で待つシンジの前に二人が姿を見せた。
タラップから降りてくるアスカをシンジは笑顔で迎える。
アスカは自慢げな表情を見せると、何も言わずそのまま通り過ぎていった。
そんなアスカを暖かな眼差しで見送るシンジに、続いて降りてきたレイが声を掛ける。
無表情を装っている顔が、どこか悲しそうに見えた。

「...碇くん」

シンジはレイを振り返ると微笑みながら声を返す。

「おかえり...綾波」

「...ただいま」

シンジのその言葉に、ようやくレイの顔に微笑みが浮かんだ。

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