『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第13話 『シンジの居場所と問われし方法』



マンションの1室と思しき薄暗い室内。その室内を照らす灯火の下に人影が見える。
室内には、隣同士に2組の布団が並んでいた。
その布団に寝ているのは1組の男女――少年と少女だった。
一人は赤みを帯びた金髪の少女――アスカ。
とすれば、もう一人は――予想通りシンジである。
2人は一言も発することなく、静かに天井に視線を送っていた。
年頃の少年少女によく見られる、ある種の緊張感は2人の間には見えない。
相手を信用しているのか、もしくは幾度となく同じ状況を繰り返していたのか、2人に動揺はない。至って普段と変わらぬ雰囲気だった。
と、不意にアスカの口が言葉を紡ぐ。その声はか細いが、声音は安心感をを孕んだものだった。

「......ねえ、シンジ」

「......なに?」

アスカの視線は天井に向いたままだったが、シンジはその声に反応し、視線をアスカに送った。

「どうしたの、アスカ?」

シンジの優しい声に導かれてか、ようやくアスカも視線をシンジに向ける。

「う、うん......」

「?? なに?」

「う、うん...その......」

何かを伝えたいのだろう。言葉は詰まっていたが、視線はシンジに訴えている。
ようやく、その意図するものに思い当たり、シンジは笑顔を見せた。
シンジは左手だけを隣の布団に潜り込ませると、そこにある柔らかな物をゆっくりと握り締める。
アスカも笑顔を浮かべると、シンジのそれを握り返した。
指と指を絡め、お互いに相手を感じあう。手の平から伝わってくるぬくもりが、互いの絆を確かに伝えていた。

「......あ、ありがとう」

「......どういたしまして」

恥ずかしげに目を細めて微笑むアスカに、シンジは小さく笑うと、優しく言葉を返す。
アスカはまじまじと視線をシンジに送っている。シンジもじっとアスカを見つめ続けた。
2人の視線が絡み合う。そして、2人の間には再び沈黙だけが残る。
どの位の時が流れたか、ゆっくりとアスカが言葉を発した。

「今度が本当に...最後の戦いよね...」

「うん...」

「絶対勝つわ...そして...」

ギュッとシンジの左手を握り締める。アスカの瞳には強い意思が宿っていた。
シンジもそれに答えるかのように左手に力を入れる。

「うん、勝とう。 勝って、生き残って、そして...」

「そして、シンジと...」

「そして、アスカと...」

2人は互いに微笑み合うとゆっくりと瞳を閉じていく。
目を瞑っていても、シンジの瞼の裏にはアスカの笑顔が思い描かれている。
左手にぬくもりを感じたまま、シンジは深い世界へと意識を誘って行った。

アスカと...
ずっと...
ずっと...
......
...

再び、意識が覚醒してくる。だが、瞳はまだ開かない。

「アスカ...」

思わず声に出して呟いた。
シンジは朝日が、己の瞼に暖かな光を注いでいるのを感じていた。
そして、ゆっくりと目を開いていく。
眩しい光の中、まず、目に飛び込んできたのは染み1つ無い真っ白な天井だった。

「また、この天井だ...」

シンジはゆっくりと周囲に視線を泳がせる。
個室のようだ。室内にはベッドが1つ、ベッドの右傍に何かの機械が置いてある。
点滴を受けていたのか、チューブが自分の右手に繋がっている。
シンジはゆっくりと左手を握り締める。もちろん、そこに期待していたものは無い。
しかし、シンジにはあのぬくもりだけは残されているように感じられた。

「アスカ...」

シンジは瞳を閉じると、再びその名を呟くのだった。



「目が覚めたみたいね」

扉が開き、笑顔を浮かべたミサトが姿を見せる。

「ミサトさん...」

シンジはベッドから起き上がりミサトを迎え入れる。
言葉を投げ掛けながら、ミサトがシンジの傍へ歩いていく。

「もう、シンちゃんってば無茶ばかりするんだから。3日間も意識がなかったのよ」

シンジの傍まで来ると、ミサトは立ち止まり、じっとシンジを見つめる。

「すみません」

シンジの謝罪の言葉を聞いて、ミサトの表情が蔭る。

「分かってると思うけど、はっきり言って命令違反よ。私の指示なしで...ましてや、D型装備無しでマグマに飛び込むなんて、自殺行為としか考えられないわ」

「す、すみません」

「まったく...」

そう言いつつ、ミサトはシンジに近寄ると、その身体を両手でギュッと抱きしめる。

「ミ、ミサトさん!?」

ミサトの豊満な胸に顔を埋める格好になり、驚いて顔を朱に染めながら、シンジが裏返った声を発する。が、言葉とは反比例して、ミサトを押しのけようとはしなかった。

「あまり無茶はしない事! 今回は多めに見るけど、普通なら営倉行きよ」

「すみません」

「クス...シンちゃんてば謝ってばかりね」

シンジを抱きしめたまま、小さく笑う。

「すみませ...あっ!」

再び、同じセリフを言い掛けて、シンジは更に顔を朱に染めた。
ミサトには抱きしめているのでシンジの顔を見ることはできないが、シンジの困った顔が頭に浮かび、再び小さく笑う。そして、シンジの柔らかな髪を撫でながら、言葉を紡ぐ。

「いい、シンちゃん。今回見逃す代わりに、約束して。お姉さんにこれ以上心配を掛けない事。どう、約束できる?」

「は、はい」

「ん、よろしい」

シンジの返事に満足してか、ようやくシンジを開放する。
開放されたシンジは、赤い顔をミサトに見られないように、反対の窓側に顔を背ける。

「んん〜〜? どうしたのかな、シンちゃん?」

「な、何でもありません!!」

「ふ〜ん、そぉお......ね、気持ちよかった?」

「ミ、ミサトさんっっ!!」

ミサトにからかわれて、思わず赤い顔のままで振り返るシンジ。

「フフフ...ゴミンゴミン。ま、何にせよ無事でよかったわ。やっぱり、元気が一番よね」

ミサトが上下に掌をパタパタとさせながら、笑顔で言葉を返す。

「うっ。ま、まぁそうですけど...」

そんなミサトの態度に、シンジはジト目を送り、反論している事を示す。

「アハハ...もう、シンちゃんてば、怒っちゃ、イヤ」

ミサトがはぐらかすかの様に、シンジにお願いポーズをする。
だが、シンジの言葉は辛らつだった。

「......可愛くないですよ、ミサトさん」

「......シンちゃんもね」



「じゃあ、アスカは無事なんですね!?」

「ま、まあね」

シンジの勢いに、ミサトは引きつった笑顔で答える。

「そう...ですか......良かった」

シンジは安堵の表情を浮かべた。

少し雑談をした後に、シンジはミサトから先の戦いの顛末を聞いていた。
無論、シンジも作戦に参加していたので、聞いたのはマグマに飛び込んでからの事だった。
ミサトはシンジの尋常ではない慌てぶり、そして安堵する態度に違和感を覚えた。

ただ、アスカの心配をしているようには見えないわね。
危機的状況だったから、いつも以上に心配してる?
まあ、アスカの事が好きだって事で納得できそうなんだけど、私の勘がそれで納得してないのよね。
シンジ君、何か私に隠してる?
......試してみるか。

ミサトは当たり障りの無いような内容から話を切り出した。

「シンちゃん...アスカの事、心配?」

「当たり前じゃないですか! 同じチルドレンなんだから」

ミサトは怪しげな笑みを浮かべながら、言葉を続けた。

「まあ、好きな子が危険な任務に付いて、死にそうな目に合ったんだもんねぇ」

「ど、どうしてそうなるんですか!」

シンジが真っ赤な顔で反論してくる。
ミサトは追い討ちを掛けるように言葉を紡いだ。

「そぉお〜。じゃあ、どうしてそんなに焦ってるのかなぁ〜」

「べ、別に...」

「ほぉ〜」

「ふ、深い意味なんて無いですよ」

「ああっ! やっぱり好きなんだ!」

ミサトがニヤケ顔で含み笑いをするのを見て、シンジはミサトから視線を逸らしながら呟いた。

「だからぁ、そうじゃないって言ってるじゃないですか! ただ、僕は...また違う事が起きるんじゃないかって...」

不意に、ミサトのニヤケていた顔が真顔に戻る。

「違うことって?」

「そ、それは...」

シンジはミサトの口調に違和感を覚え、横目で一瞬だけミサトに視線を戻す。そして、ミサトの表情が真摯なものに変わっている事に気付き、思わず自分が本音を漏らしてしまった事を思い出す。

や、やばい!
ミサトさん、何か疑ってるような...
いや、間違いなく疑ってるよね。

「それは、なに?」

ミサトが真顔のまま質問を続ける。
どうやら、ミサトはシンジの視線に気付かなかったようだ。気付いていたらミサトの態度も変わっているだろう。
シンジは気付かれなかった事に少し安堵したが、ミサトが気付いても気付かなくても現状が変わらない事にも気付いた。

どうする?
このまま黙ってるわけにもいかないし...。

シンジは答えを出せぬ苛立ちと焦りを感じていた。
そんな黙ったままのシンジに業を煮やしたのか、ミサトが更に追い討ちを掛けてくる。

「それは?」

「な、何となくです!」

シンジは、咄嗟の上手い返答を見つけることが出来ず、思わず意味不明な事を口走ってしまう。

「シンジ君。なんとなくってねぇ...。思っていた事と違う事が何となく起きたって事は分かったわ。でもね、私が聞いてるのはその『違う事』の内容のほうなの。」

「こ、言葉の言い間違いですよ。何となく、嫌な事が起きるんじゃないかって思っただけですよ」

「......」

「ミ、ミサトさん?」

「...ま、病み上がりのシンちゃんを虐めちゃ可哀想だし、そういう事にしてあげる」

「そういう事って......」

「何?」

「い、いえ...。そ、それより、使徒を倒したら、温泉行くんじゃなかったんですか?」

シンジは漸く話が逸れたのが、再び戻りそうになるのを感じ、慌てて別の話題を振る。

「シンちゃんが意識不明になったのに行けるわけ無いでしょ」

「アスカが良く納得しましたね」

「あら、アスカが言い出したのよ。シンちゃんが治ってからみんなで行こうって」

「ア、アスカが?」

瞬間、シンジの顔が意外とばかりに驚きの表情を刻むが、すぐに優しく、それでいて遠い眼差しを浮かべる。

シンちゃんが何か隠しているのは間違いないようだけど...。
まっ、今日のところは、この表情が見れただけでもよしとしますか。

ミサトの表情も再び柔らかなものに戻る。そして、シンジの表情を愛おし気に見つめていた。暖かな感情がミサトの体内に溢れていく。
だが、そんな時間はいつまでも続かないのがミサトだった。

「あれぇ〜シンちゃん、アスカの事ばかり考えちゃって...レイがやきもちを焼くわよ」

「ミ、ミサトさん!!」

ミサトの一言にシンジが再び赤面する。

「ゴミンゴミン。だって、シンちゃんの怒った顔って可愛いんだもん」

「ま、まったくもう、ミサトさんは...」

そう言うと、シンジはミサトから顔を逸らせる。だが、シンジの顔には笑顔が浮かんだままだった。
その後も、ミサトは微笑みながらシンジをからかい続けていた。
だが、心の中では、浮かべている笑顔の表情とは裏腹に、シンジを戦わせている自分に憤りを感じていた。
こんな日常の些細なやり取りを――いつまでも笑っていられる未来をシンジは望んでいるのだろう。
それは間違い事だ。
だが――当の大人たちはどうだろうか?

そうよね。シンちゃん達はまだ14歳。
この年頃の時期は、友達とバカやって遊んだり、学校行って勉強したり、将来の夢を思い描いたり、恋愛したりするのが普通...。
こんな子供達を戦争の道具にしているのは私たち大人。
私達は許されないわね......。

そんな事を考えているとは露知らず、シンジがようやく視線をミサトに戻すと、唐突に話を切り出した。

「ミサトさん、帰りましょう」

「はぁ?」

ミサトはシンジの突拍子の無い言葉が理解できず、間抜けな相づちを打つ。

「マンションに帰りましょう」

「だめよ。だってまだ...」

漸く話が見えたミサトは、シンジの体調を気にして留めようとする。

「......帰りたいんです」

「えっ?」

「綾波が、アスカが...そしてミサトさんが待っている家へ...僕の居場所へ」

「シンちゃん...」

この何気ない言葉はミサトの心に響いた。
シンジにとって、使徒と戦う事は降って湧いた災難に過ぎない。
そして使徒と戦う事を命じているのは、作戦部長たるミサトに他ならない。
そんなミサトのいる家が自分の居場所といったシンジ。
この言葉は、ミサトにとって何よりも変えがたい一言だった。
ミサトの目尻に涙が浮かぶ。
そんなミサトをシンジは満面の笑みで見つめた。
「帰りましょう。僕の居るべき場所へ...」



モニターの明かりしか灯っていない薄暗い研究室で、リツコはPCを操作していた。
モニターにはシンジの検査結果のデータが映し出されている。
キーボードを弾くリツコの背後に、不意に人影が現れる。

「何か用? 加持君」

モニターの明かりに反射され、映し出されたその人物を見てリツコが声を掛けた。

「よっ、りっちゃん。シンジ君の調子はどうだい」

加持は悪びれる様子も無く、椅子に座るリツコを背後から抱きしめる。

「別に心配はないわよ。軽い火傷を負った程度ね」

リツコもそんな加持の態度に憤慨する事も無く、眼鏡越しに視線だけを送る。

「...そうか、それは良かった。だが、俺が聞いてるのはその事じゃない」

その加持のセリフで、キーボードの音が室内から止んだ。

「......」

「で、結果はどうだった?」

リツコは眼鏡を外すと加持の手を振り解く。加持も逆らわずに両腕を離した。
リツコは加持と正面から向き合うように椅子ごと振り返った。それに応じるように、加持も背後のデスクから椅子を引き出すとドカリと腰を下ろした。
沈黙が流れる――
リツコは加持の瞳から視線を外そうとしなかった。無論、加持もリツコの視線を受け止めていた。
しばらくすると、諦めたように溜め息を1つ漏らし、ようやく口を開いた。

「ふう、わかったわ。加持君に隠しても意味がないしね......問題は...無いわ。彼の肉体は普通...歳相応の身体値、脳波も異常なし。MAGIも使ったけど、全く持って普通の少年ね」

「だが、それじゃ説明が付かないんだろう」

加持が男臭い笑みを浮かべるが、その表情から真意は読み取れない。

「......」

「...君は、彼女の覚醒とは思っていない...違うかな」

「何が言いたいの」

「さてね」

「あまり、深入りはしない事ね...これは、友人としての忠告」

「肝に銘じておくよ」

リツコの忠告を加持はおどけて受け止めると、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「...じゃ、俺は行くよ」

「そう」

そういうとリツコは、再び眼鏡を掛けて、モニターに向き直る。
加持は、今度は音を立てながら、堂々とドアを出て行った。
だが、加持が出て行ったにもかかわらず、リツコの指は一向に動こうとしない。
しばらくすると、モニター上で、ネズミを子猫が追いかけるスクリーンセーバーが起動し、シンジのデータを覆い隠す。
リツコの目はモニターに向いていたが、その瞳はモニターを映していなかった。

どこまで知っているの加持君...あなたでも、私の邪魔をするなら...。
ゲンドウさんの前に立ち塞がるなら......。

リツコは脳裏に浮かぶ加持の姿に言葉を投げ掛けるのだった。



「ただいまぁ」

玄関の扉が開き、ミサトの声が葛城邸に響く。
それに反応してリビングの方からアスカの怒鳴り声が聞こえてきた。

「おっそーい、ミサト!! 『すぐ帰るからご飯食べずに待ってろ』なんて言っておきながら、いつまで待たせるのよ!!」

久しぶりに聞いたアスカの声だったが、相変わらずの反応に、思わずシンジが声を殺して笑う。

「ゴミンゴミン。でも、食事は家族揃ってが一番よん。それに、今日はお土産があるんだから」

ミサトの口から土産の言葉が出た途端、ドスンという、何かが床に飛び降りたような音が響き、次いでリビングからパタパタとスリッパの音が響いてくる。

「何何、お土産...っ...て......」

言葉を発しながら廊下にアスカが現れるが、シンジが視界に入った途端、その動きがピタリと止まる。

「シ、シンジ......」

「ただいま、アスカ」

「...碇くん」

いつの間に現れたのか、レイもアスカの後ろに立っていた。
レイの瞳も驚愕に見開かれていた。

「ただいま、綾波」

シンジが笑みを浮かべ答える

「お、おかえり...なさい...」

レイはそう言うが早いか踵を返して、リビングに駆け戻っていった。
シンジはレイの態度をただ不思議そうに首を傾げて眺めているだけだったが、ミサトの目は誤魔化せない。ミサトの瞳はリビングに駆け込むレイの表情をしっかりと捉えていた。その顔が朱に染まっていた事を――その瞳が潤んでいた事を。

「ミサトさん、どうしたんですかね、綾波」

「そ、そうね」

不思議そうに問いかけてくるシンジにミサトは引きつった笑顔でそう答えると、シンジに分からない様に深く溜め息をつくのだった。



「ご飯の時はエビチュがサイコー♪ エビチュ、エビチュ、私のエビチュ♪」

調子はずれの歌を歌いながら、ミサトが早くも3本目のエビチュに手を伸ばす。
目の前に並べられた料理にはほとんど箸が付けられていないところを見ると、ビールが主食で料理がツマミといういつものパターンであろう。
ちなみに今夜の夕食は野菜炒め、無論だが、肉は入っていない。肉嫌いのレイが作るのだから当然である。

「ミサト! ビールしか飲まないなら、ご飯を待ってる必要なかったじゃない! それにお土産はどこにあんのよ!」

アスカが夕食の野菜炒めから、懸命にピーマンだけを皿の端に除けながら、ミサトに向け怒鳴る。
レイとシンジは相変わらず、騒ぎに巻き込まれないように無口で食事を摂取していた。

「アスカ、何言ってんの。お土産なら目の前に座ってるでしょーが。それに、シンジ君一人でご飯食べさせるのは可哀相でしょ」

「シ、シンジなんか一人でご飯を食べればいいのよ。別に待ってる必要なんてないでしょ」

アスカがプイっとミサトから視線を逸らせながら反論する。

「ああっ、そんなこと言って...アスカってば冷たい! シンちゃんなんて、病室でアスカのことばかり心配してたのにねえ」

「ミ、ミサトさん!?」

2人の話を何気に聞きながら夕食を食べていたシンジの表情が凍りついた。と、同時にレイの箸の動きも止まる。
同時に6つの視線を注がれ、シンジの表情が赤みを帯びた。

「な、なんで僕を見るんですか!」

「だってねぇ〜」

ミサトはが意味ありげな視線でアスカに見るとアスカの顔は朱に染まっていた。

「し、知らないわよ!!」

「ア、アスカ。その...そんなんじゃないから。別にアスカの事を聞いたわけじゃなくって、僕が気を失った後の事を聞いただけだから...」

焦ったシンジが真っ赤な顔でしどろもどろに弁解をするが、アスカは更に顔を赤くするだけで、無言で下を向いてしまう。
そんなシンジの態度こそが、ミサトの言葉が真実である事を証明しているのだが、当のシンジはそれに気付かない。
ミサトは赤面で俯く2人を肴に、エビチュを美味しそうに飲み干した。が、ふと残された一人、レイの反応に興味を抱き、ニヘラ顔で話をレイに振る。

「シンちゃんったら、あんな事言ってるわよ。酷いわよねぇ〜。アスカが来るまではレイとラブラブだったのにねぇ」

「ミ、ミサトさん!!」

シンジが焦った声を上げる。

「フフッ...隠さない隠さない。それとも...アスカに聞かれたら嫌なのかなぁ?」

諸悪の根源であるミサトが、さらに盛り上がりを見せ始める。

「な、何言ってるんですか!!」

「ミサト、アンタいいかげんにしときなさいよ。シンジもオタオタしない!!」

「ありゃあ、いいのかなぁ〜そんな事言ってて。レイにシンちゃん取られるわよ」

「うっさいわねミサト!! 勝手にすればいいでしょ!!」

「良かったわねシンちゃん。これで気兼ねすることなくレイとラブラブ出来るわよ。それともアスカに振られて寂しいかしら? あっ、でもレイは喜んでるわよねぇ」

ミサトが喜々にシンジとレイを眺める。

「ミ、ミサトさん! あ、綾波...。その、あの......」

シンジはパニック状態で、手をバタつかせながら、しどろもどろでレイに話しかけている。
その間レイは何も語らず、視線だけをシンジに向けていた。
それがアスカの気に障ったのか、アスカの視線が険悪なものに変わる。

「バカシンジ!! ミサトの冗談なんだから、真に受けるんじゃない!!」

アスカの言葉にレイはようやくシンジから視線を外す。
しかし、そこで終わってもらっては楽しくないとばかりに、ミサトがチャチャを入れる。

「やっぱりアスカもシンちゃんが好きだったのね...もう素直じゃないんだから♪」

「何言ってんのよ! 元々はミサトが酒のつまみ代わりにアタシ達をからかってるだけでしょーが! 」

「酷い...私をそんな目でみるなんて...」

泣きまねをするミサトにアスカが反撃の狼煙を上げる。

「まったく...ミサトも30の大台なんだから、もう少し落ち着いたらどうなの?」

「あんですってぇ! まだ、20代よ!!」

「かわんないじゃな〜い。そんなんだから、今でも独身なのよ」

「アスカぁ! 言って良い冗談とそうじゃない事の区別くらいつけないと、大変なことになるわよ!!」

「ミサトは既に大変だけどね!」

「良い度胸じゃないの...アスカぁ」

2人の間に殺気混じりの火花が飛びかう。
シンジの目には二人の身体から赤と紫のオーラが立ち上ってるのが見える気がした。

あああぁぁ! 帰って早々、何でこんな事になるんだ!?

「あの、2人とも落ち着いて...」

今にも飛びかかりそうな勢いの二人に、さすがにシンジが止めに入るが――

「うるさいわねぇ! シンジは黙ってなさい!!」

「シンジ君、邪魔しないほうが身の為よ!」

「ハ...ハイ......」

竜虎2人の殺気の籠った視線を浴びせられノックダウン寸前に追い込まる。
シンジは既に泣きそうになっていた。

ピンポーン!

不意に玄関からチャイムの音が聞こえてくる。

ありがとうございます、神様!

なんとも良いタイミングに思わず神に祈るシンジ。
そしてすぐさま、玄関へと逃亡を開始する。
だが、ストッパーたるシンジが居なくなった事で、リビングの緊張感は更に密度を増していくのだった。



「やあ、シンジ君久しぶりだね。」

シンジが扉を開くと長身の男性が扉の前に立っていた。加持である。

「加持さんっっ!!」

「よっ、シンジ君の見舞いに伺わせてもらったよ。ほら、退院祝いのケーキだ...って、どうしたんだいシンジ君?」

加持は相変わらずの軽薄な笑い顔を浮かべながら、手に持っていた洋菓子の箱をシンジに差し出すが、シンジの泣きそうな雰囲気に直感的に危機感を感じる。

「な、何かあったようだな...」

「うぅっっ...」

すでにシンジは本格的な泣きが入っている。
リビングからは怒声混じりの叫びが響いてきている。
加持は顔を引きつらせると、冷たい汗を流す。

「今日は日が悪いようだな...。俺はココで失礼させていただこう」

そそくさと退散を決め込もうとした加持に、シンジが縋るように言葉を発した。

「そ、そんな加持さん...見捨てないで下さいよ」

ここで加持が帰ってしまうと、もう二人を止めることは不可能だった。
はっきり言って、命に関わる。
かなり引き気味になった加持に、シンジは言葉ではなく本当に縋りつくと、ウルウルとした瞳で懇願する。

「ハァ〜〜。わかったよ......」

加持は諦めを含んだ深い溜め息を漏らすと、狂気の吹き荒れるリビングへと歩を進めるのだった。

「か、加持ぃぃ!!」

「加持さぁん!」

突然リビング現れた加持に、ミサトは唖然とした表情を浮かべ、対してアスカは嬌声を上げながら加持に飛びつく。

「やあ、葛城。アスカも久しぶりだな。ところで...離れてくれないか」

「ええっっ、そんなぁ〜〜」

加持の一言にアスカが駄々をこね始める。
アスカの声で我に返ったミサトがドモリながら、加持に言葉を投げる。

「な、何しに来たのよ加持!」

「いや、シンジ君が退院したって聞いたんでな、見舞いに来たんだよ」

「だ、誰が来いって言ったのよ!」

「そんなつれない事言うなよ。俺は葛城に会いたかったんだから」

「私は会いたくないわよ!!」

その割に顔を朱に染めている。
そんなミサトを加持は薄く笑いながら、自分の腕にしがみついているアスカに視線を送る。

「アスカ、そろそろ離れてくれないか?」

「イ・ヤ」

「おいおい...」

さすがに困ったような顔を浮かべ、視線でミサトに助けを求める。
ミサトは渋々といったふうで、返答代わりにアスカに声を掛ける。

「アスカ、シンちゃんが見てるわよ。いい加減にしといたら?」

「シンジなんてどうでも良いわよ。私には加持さんがいるもの」

そう言うと加持の腕を、自分の胸に押し当てるようにして抱きしめる。

「なら、シンちゃんはいらないのね。レイに取られるわよ」

アスカの返答にミサトが怪しく微笑む。こめかみには青筋が浮かんでいるが...気にしないでおこう。
ミサトの言葉に、アスカはビシッっとシンジを指差しながら、早口に捲くし立てる。

「ふん! 別にいらないわよ、あんなの。誰も欲しいなんて言ってないでしょ! 熨斗つけてくれてやるわ! 私には加持さんがいるもん」

そう言うとアスカが加持の頬に口付けをする。

「ちょ、ちょっとアスカ!」

「あっ!」

ミサトとシンジが同時に声を発する。

「何よ。恋愛は自由でしょ! 文句あるわけ!!」

「葛城ぃ〜」

やっぱり、俺の事を...。

加持が潤んだ視線をミサトに向ける。

「か、勘違いしないでよ、加持。あたしはシンちゃんが可哀相だと思って...」

「葛城ぃ〜そりゃないよ」

とほほな顔を浮かべる加持。

「な、何よシンジ...」

「......別に...」

そう言いつつもシンジの表情は暗い。

「碇くん...」

レイも悲しそうな視線をシンジに向ける。

「そ、そんなにキスして欲しければ、バカレイにしてもらえば良いでしょ! アンタらラブラブなんでしょーが!」

そう言うと、隣で呆然と立ちすくんでいたシンジをレイの方に突き飛ばす。
たたらを踏んだシンジを思わずレイが抱きとめる。

「作戦部長として許可します! レイ!! ブチュっとしてやんなさい!!」

普段は加持に対して素直じゃないミサトも今回は腹に据えかねたようで、作戦部長権限もフル活用してレイに発破をかける。正に職権乱用であった。
瞬間、アスカが不安げな表情を浮かべる。

「あ、あの...僕の意見は......いえ、何でもありません」

精一杯の勇気で抗議を試みたものの、ミサトの一睨みでシンジは撃沈。

ど、どうしろって言うんだよ!

シンジはチラリと加持に視線を送るが、加持も引きつった笑みを浮かべたまま、動くことが出来ずにいた。
こうなった時のミサトを止められないのは加持が一番知っているのだ。
ミサトは鋭い視線をシンジに向けたまま、微動だにしない。

これじゃ、動くに動けないじゃないかぁ!!

まさに、蛇に睨まれた蛙状態であった。
動かないシンジにレイが不思議そうな視線で問いかける。

「碇くん?」

「あっ、いや、綾波...。キ、キスって言うのはね、好きな者同士がするもので...」

しどろもどろに言い訳をするシンジに、アスカが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

どうせ、シンジにそんな事出来るわけないでしょ。
ミサトも無茶な事言うわね。

短いながらも寝食を共にしているのだ。シンジの行動など、アスカにとって、手に取るようにわかる。

「ああっ、もう。うざったいわねぇ!」

抱き合ったまま、遅々として進まない現状を苛立たしげに見ていたミサトが、不意にシンジ達に近づいていく。

「保護者が許可してるんだから、さっさとすればいいのよ!!」

言うが早いか、シンジの頭を押す。
シンジの唇がレイのそれに近づいていく。

「うわっ!」「きゃっ!」

その時、バランスを崩したシンジが、レイを押し倒すようにしながら、地面へと倒れ込んだ。
先程までの喧騒が嘘のように室内はシンと静まり返っていた。

「いっっ...ん? んんんっっ!!」

シンジはようやく自分がレイを押し倒していることに気づいた。

「あ、あやな...み...」

戸惑いを含んだ口調でシンジはレイに声をかける。
がレイはシンジに押し倒された(?)格好のままピクリとも動かない。
瞳の色からはレイが何を考えているのか窺い知れなかった。

「い、いや...その...」

そんなレイの態度に、シンジも惑ったまま動けなくなる。
加持とミサトが瞳を爛々と輝かせて、シンジの次の一挙一動を見守っていたその時――

「なに破廉恥な真似しとるかぁぁぁ!!」

「ぐはぁ!!」

アスカの跳び蹴りがシンジにヒットし、シンジはそのまま壁に激突し、完全に気を失う。

「碇くん!!」

レイが急いでシンジの元に駆け寄っていく。

「なぁんだ、アスカ。やっぱりシンちゃんの事が好きなんじゃない」

「ち、ちが...」

ミサトの言葉に真っ赤な顔で反論するアスカに加持が頷きながら声を掛ける。

「そうだったのか、アスカ。うん。俺も応援してやるぞ」

「そ、そんな加持さんまで...」

「...碇くんを虐めないで!」

「うっさいわね! 元はといえばミサトのせいでしょうが!!」

睨んできたレイに怒声を返し、ミサトに食って掛かる。

「何よ! アスカがシンちゃんに言ったんでしょ。レイにキスしてもらえって」

「アスカ、焼き餅は可愛く焼いたほうがいいぞ」

「ちがぁぁ〜〜う!!!」

こうして、葛城家の乱痴気騒ぎはまだまだ続くのであった。



深夜の公園はシンと静まり返っていた。
この公園は高台にあるので第3東京市が一望でき、絶好のデートスポットであった。
だが、疎開が始まった今では、以前は夜景を見に来ていたカップルの姿も見られない。
人気の無い深夜の公園には哀愁すら漂っているようだった。
そんな高台の公園のベンチに加持とシンジは腰掛けていた。

「今日は大変だったね、シンジ君」

「そうですね...」

「でもまあ、役得だったんじゃないのかな?」

「ちょ、何言ってるんですか、加持さん」

「あんなシチュエーションに持っていくとは...俺にも出来ないな」

「加持さん!!」

「ハハハハハ......」

真っ赤な顔で訂正するが、加持は笑ってそれを聞き流した。
加持の笑いが収まると、それきり2人の間に沈黙が流れる。
話を切り出したのはシンジだった。

「...話って何ですか?」

ようやく喧騒の収まった葛城家を加持とシンジは共に後にしたのはほんの数刻前である。
シンジの部屋は葛城家の隣だ。加持に礼を言い、帰宅しようとした所を散歩に誘われ、この高台まで歩いてきたのだった。

「ああ......」

加持が珍しくも神妙な顔つきで話を切り出した。

「シンジ君、君は何がしたいんだい」

突然の加持の言葉に、シンジはそれが意味するところを計りかねていた。

「どういう意味ですか、加持さん」

「君は命を掛けてアスカやレイちゃんを守ろうとしている。それは良く分かるよ。だけど、君が死んじゃ何もならないんじゃないのかな?」

加持がシンジに踏み込んでくる。

「......」

シンジは言葉を返す事が出来ないでいた。

言っていることは良く解かる。
間違ってもいない。
だが――

シンジが返事に窮していると、加持がさらに言葉を紡いだ。

「君が死んだら、アスカやレイちゃんが悲しむとは思わないのかい」

「それは...」

「だったら、命を粗末にするもんじゃない。君にはやらなければならない事があるんだろう?」

加持が不思議な笑みを浮かべながら言葉を投げ掛ける。

「加持さん...何を知ってるんですか?」

シンジは驚きを必死で押さえつけながら、神妙に言葉を返す。

「さてね...。俺が言える事は、方法は1つじゃないって事だけさ」

「方法は...1つじゃ...ない...」

シンジは加持の言葉を深くかみ締めながら、繰り返し呟いてみる。

「そうさ。後は、君への宿題だ」

加持はそう言うと、もう一度不思議な笑みを浮かべるのだった。

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