『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第14話 『間者か刺客か(前編)』



乱痴気騒ぎから一夜明けた翌日――
今日から学校に復帰するシンジは、朝食をとる為、早朝の葛城家に姿を現した。
勝手知ったる我が家とはいえ、今は女性3人の住む家である。それも早朝――勝手に家に上がり込むのは幾らなんでも気が引ける。
チャイムを鳴らして来客である事を告げ、数秒後ドアが開き、中から既に制服に着替えたレイが出迎える――これが、シンジが隣に越してからの葛城家での毎朝の習慣的な出来事であった。
のだが――今日はいつもと少し違っていた。
葛城家の玄関前でシンジはチャイムを鳴らすのに戸惑いを覚えていた。
それもその筈である。
自ら進んで行った行為ではないが、皆の前でレイを押し倒したのである。
シンジでなくとも、一縷の戸惑いを感じるのは仕方の無いことであろう。

いったいどんな顔で綾波に会えばいいんだよ。
昨日も逃げるように家に帰っちゃったし...。
はぁ、アスカも怒ってるだろうなぁ。
それで、こんな日に限ってミサトさんが起きてきて――普段は起きてこないくせに――絶対に話を交ぜ返すんだ。
そして、アスカが怒り始めて...。

シンジの頭には今朝起きるであろう出来事が、音声付きで明確に想像できた。
だが、いくらシンジが考えたところで時間が止まる訳もない。そろそろチャイムを鳴らさないと、朝食抜きで学校に行くことになるのは明白であった。
シンジは深い溜め息を吐くと諦めの表情でチャイムを鳴らす。
と――すぐに扉が開き、蒼銀の髪が目に飛び込んできた。
シンジがいる事を感知したのか、もしくは既に待ち構えていたのか、そのどちらかというベストなタイミングだった。

「あ、綾波...」

レイの姿を見たとたんに、瞬間湯沸かし器の様にシンジの顔は真っ赤に染まった。

「おはよう、碇くん...」

そう呟くレイの頬も赤みがさしていた。

「う、うん...おはよう」

そして、そのまま見つめあう2人。その様子は、まるで初デートで待ち合わせをしている初々しいカップルのようだった。

「だーーっっ! アンタら、いつまでそう突っ立ってるつもり!! シンジもさっさと上がって、とっとと食事して学校行くわよ!!」

背後に不動明王のような火焔を背負ったアスカが、不機嫌もそのままに怒鳴りつけてくる。

はあ、やっぱり怒ってるんだ...。

「ほらほら、シンちゃん。アスカがキれる前に早く上がってらっさい♪」

シンジの予想通り、ミサトも起きているらしい。
シンジは頬と背中に冷たいものが流れるのを感じながら、美女三人の待つ恐怖の館へと脚を踏み込むのだった。



シンジが学校に着いた時は既に精神力の極致だった。

生きている事って、何てすばらしいんだろう。

シンジは涙を流しながら、自分の机に吸い付くように倒れ込んだ。
そこに背後から聞きなれたエセ関西弁が聞こえてくる。

「なんや、シンジ。久しぶりに登校して来たと思うたら、もうへばっとんか?」

首だけを動かして、机の横に移動してきたトウジに挨拶する。

「トウジ...生きてるって幸せだね」

死んだ魚のような目で見つめられ、うろたえるトウジ。

「な、なんや。どないしたんやシンジ。目が死んどるやないか」

「うん...ちょっとね...」

そこへ、カメラを片手にケンスケも寄ってくる。

「よう、シンジ。おはよう...って」

一目シンジを見て、奇怪なものを見たかのような表情を浮かべる。

「トウジ、どうしたんだシンジの奴」

「さあ、ワシにもようわからんのや」

シンジはギギギギっという擬音つきでトウジからケンスケに視線を移すと、弱弱しい声で挨拶を返した。

「おはよう、ケンスケ。生きて会えるなんて感激だよ」

「おいおい、大丈夫か?」

「うん。なんとか...ね」

今朝の事を思い出したのか、シンジの瞳から次々と涙が溢れてくる。
男が泣くなんて...と思っている人もいるかと思うが、そうシンジを攻めないでやって欲しい。シンジにとっては、今朝の葛城家は予想を超えた恐怖の館だったのだから――

時間は少しさかのぼる――
それは今朝の葛城家で起こった。

「いやー、昨日はすごかったわねぇ」

朝からあいも変わらずビールを片手に、シンジの予想通りに話を切り出すミサト。
隣のアスカといえば、不機嫌を通り越して、『アンタ達、私の前でイチャイチャすると殺すわよ』オーラを纏ったアスカが無言で箸を動かしていた。
シンジの隣のレイは無言で朝食の食パンを齧っている。
シンジといえば、この状況ですでに生きた心地はしていなかった。

どうして、僕がこんな目に合うんだ。
助けてよ...誰か僕を救ってよ!
アスカが怖いんだ。
ミサトさんも怖いんだ。
綾波も...よく解からないけど、怖いんだ。
ねえ、誰でも良いから、僕を助けてよ!

心の中でそう呟いても、無論助けなど来るはずもない。
何か一言でもアスカを焚きつけるようなら――無論、焚きつけるのはミサトだろうが――修羅のごとき怒りがシンジを襲うだろう。
シンジは平穏無事に学校へ向かえる事を――とにかく、一刻も早くこの時間が過ぎるのをただただ、祈るだけだった。
そして、この時間を終わらせるべく、必死に食欲のわかない胃に食べ物を詰め込んでいく。
がっつくという表現が正鵠を射たように当てはまる食べっぷりであった。
普段と違う行動を取れば、おのずと反動が自分に返ってくるのは必定である。
急ぐのと焦るのは全く違うというお手本のように、シンジがパンを喉に詰まらせる。

「あっ、碇くん」

レイは手近にあったグラスに入った牛乳をシンジに渡す。
一気に飲み干し、安堵と感謝の笑みを浮かべる。
レイも微笑み返す。
これが、恐怖の始まり――キッカケだった。
ミサトが薄ら笑いを浮かべながら、チャチャを入れてくる。これから起こる事を予想した上で楽しんでいるのは明白だった。

「あらぁ〜、まるで新婚のようねぇ〜2人とも」

アスカの眉がピクリと跳ねる。
あえて、アスカを怒らそうとしているのだろう。これもひとえに昨日のアスカに対する復讐かもしれない――

ミ、ミサトさん! それ以上アスカを焚き付けないでぇ〜!

顔を真っ青に染め、顔中から滝のような冷や汗を流しつつ、心の中でニヤニヤと笑うミサトに祈るような気持ちでお願いする。が、シンジの願いも空しく、ミサトは楽しそうにアスカに話しかける。

「ねぇ〜そう思わない、アスカ」

「......」

「あれぇ〜。アスカってば、額に青筋が浮かんでるわよ。やっぱり、シンちゃん取られて悔しいんでしょ。もっと素直に焼き餅焼いたら? そしたら、シンちゃんもアスカの元に帰ってくるかもよ」

「! ...」

「ごみんごみん。アスカも気にしてるんだったよね。いや〜余計なお節介だったか」

「!! ......」

アスカの箸がプルプルと震えている。
瞳は閉じているが、瞼の奥は真っ赤な炎が燃え滾っている事だろう。

「でもまあ、レイとシンちゃんがくっつく前に素直になった方がいいと思うけどね」

不意にバンと箸ごと両手をテーブルに叩きつけ、アスカが立ち上がる。

「だあぁぁぁぁ!! うるさぁぁぁいっっ!!」

「アスカぁ〜焼き餅は可愛く焼くものよん♪」

「言いたい事はそれだけか...アル中のビア樽三十路女がぁっっ!!」

「あんですってぇぇぇ!」

ちゃぶ台ならぬテーブルをひっくり返して叫ぶ。
レイはすばやくかわしたが、運動が苦手なシンジはそうはいかない。
見事にテーブルの下敷きになった。

「!! 碇くんを虐めないで!!」

レイの一言がさらに状況を悪化させる。
そして、恐怖の幕は切って落とされた。
それからの出来事をシンジは憶えていない。ただ、紫の髪をした鬼と赤い修羅が暴れまわっていたのを微かに記憶しているだけだった。

「...おい、シンジって! 聞いてるのか?」

ケンスケの声にようやく現実に復帰する。
どうやら、トリップしていたようだ。
ケンスケが話しかけている事にも全く気付いていなかった。

「ん、ああ、ごめん...」

「おいおい、ほんまに大丈夫かセンセ」

トウジが心配そうに声を掛けてくる。

「うん、大丈夫」

「なあ、保健室行った方が良いんじゃないか?」

「いや、必要ない...よ......」

不意にシンジがビクリと身体を震わす。
ガラリと前後の教室の扉が同時に開いた。
途端に室内の温度が数度下がったように感じられる。
入ってきたのはアスカだった。
頬には痛々しい絆創膏が張ってあるのが見て取れる。
おそらく、今朝の一件の結果だろう。
普段は明るく朗らかな印象を与えていただけに、いつもと違うアスカの雰囲気にクラスの視線が集まる。すでに教室はシンと静まり返っていた。
ついでレイも姿を表した。
そんなレイをアスカは一瞥するとガタン派手な音を立て自席に座る。
いや、それは一瞥ではなかった。怒気をレイに叩きつけているかのようだった。
はたから見ればアスカとレイが喧嘩をしているように見えたかもしれない。
まあ一方的とはいえ、あたらずとも遠からずというところだが...。
その間、シンジはガタガタと震えているだけだった。

「な、何があったんや...」

「こ、これはただ事じゃないね...」

トウジ達も嫌な汗が体から湧き上がって来るのを感じていた。
そんなクラスの雰囲気を気にも留めず、レイは自席にかばんを置くと中から一冊のノートを取り出し、シンジに近寄っていく。
皆の視線がアスカからレイに移る。
だが、レイはそんな視線に興味はないとばかりに、ゆっくりとシンジに授業のノートを差し出した。

「...碇くん、休んでいた間のノート。取っておいたから...」

その一言でレイにようやく気付いたシンジは顔を上げ視線を送る。
無表情ではあったが、シンジにはレイが心配をしている事を感じとっていた。

「あ、ありがとう...綾波......」

思わず、笑顔で答えるシンジに吊られたかの様にレイが微笑み返した。

「おおぉぉ!! 綾波が笑ったぜ!」

「な、なんて美しいんだ!」

「何何、碇君って、あんなふうに笑うんだ」

「イヤーン。可愛いー!」

教室内が再びざわつき出す。
このして、ようやく教室内は元の賑わいを取り戻していったのだった。



「ん? どこ行くんやケンスケ」

一時間目の授業が終わったところで、ケンスケがカメラを持って教室を出て行こうとする。

「ああ、実は隣のクラスに美少女が転校して来たんだ」

「な、なんやとぉーー!」

トウジは鼻息も荒く、ケンスケに詰め寄る。

転校生?
そんな...今までそんな事なかったはず。
...いや、間違いなくいなかった。
あったら、ケンスケから話を聞いていたはずだ。
まさか、ゼーレの刺客?
いや、父さんはまだゼーレと仲違いをしていないはず。
だとすると...戦自?

「ケンスケ、転校生ってどんな子なの?」

珍しく、シンジが話題に乗ってきた事で、トウジとケンスケが驚きの表情を浮かべる。

「なんだ、シンジも興味があるのか?」

「センセには惣流や綾波が居るやないか。センセは気にすることあらへん」

トウジが面白そうに声を掛けてくる。

「いや、だから、それは誤解だってさっき説明しただろ」

「わーっとるわ。冗談や、冗談」

トウジが手をヒラヒラと上下に揺らしながら笑う。
先の一時間目、シンジはトウジとケンスケにレイとアスカの変化についてチャットで問い詰められていた。
クラスの中ではアスカの激変が一番の話題だったが、二人はすでにアスカの本性(?)を知っている為、話題はレイの笑顔に偏っていた。

「でも、シンジが気にするとはな...」

「で、どんな子や?」

「いや、それが茶髪の可愛いい子なんだ。まだ、詳しい情報は手に入ってないけど、噂ではフリーのようだぜ」

ケンスケが眼鏡をキラリと反射させながら答える。

「で、とりあえず情報収集と写真をな...」

「ほなら、はよ行くで! シンジはどないするんや?」

トウジがケンスケを急かすようにして教室から出て行こうとする。

「あ、うん。僕も行くよ」

どんな子か確かめておかなくっちゃいけないしね。

シンジは内面を隠しながら、二人に続いて教室を後にした。

「いやーん。碇くーん」

「行っちゃいやぁ〜」

どうやら、今朝の一件でシンジにもファンが付いたようだ。
教室の一角で、嬌声が上がっている。
レイも無言ながら、自席からシンジに視線を送っていた。
だが、先の生徒達とは様子が違う。
ヒカリとアスカもそんな3人を眺めていた。

「意外ね。碇君も行くなんて...」

「ハン! 自分がモテたと勘違いして、調子乗ってんじゃないの?」

アスカが鼻息も荒く一言で切り捨てる。

「だいたい、あの2人も馬鹿よね。ちょっと可愛い子が来たからって大騒ぎして」

「まったくね...」

2人は溜め息を吐くと口を揃えて呟いた。

「「ホント、馬鹿なんだから...」」



授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。

「起立、礼」

ヒカリの声と共に教室が喧騒に包まれる。
ようやく、学校という鎖から解き放たれるのだ、喜びに騒ぎたくなるのもわかる。
それは、シンジ達も一緒だった。

「おーい、シンジぃ! 今日もネルフか?」

ケンスケが背後から声を掛けてくる。

「ん? ケンスケ、どうかしたの?」

「いや、今からトウジとゲーセンに行くんだ。で、シンジもどうかと思ってさ」

「せや! 今日こそ負けんで、ケンスケ!」

帰り支度を済ませたトウジがケンスケの隣に寄ってくる。
最近2人は3D格闘ゲームに凝っていた。対戦成績は35戦してケンスケが全勝している。
トウジとしては今日こそ念願の1勝といったところだった。

「はいはい。もう少し修行してからの方が良いと思うけどね」

「なんやとぉ! 今日という今日はギャフン言わせたるからな!!」

トウジは右手を握り締め、プルプルと振るわせる。

「で、シンジはどうなんだ?」

「あ、うん。今日から数日間は自宅待機なんだ」

シンジは養生の為、今日は自宅待機となっていた。
いくら退院したからと言っても、身体が全快している訳ではない。使徒がいつ攻めてくるかわからないのだ。常に万全の状態にして置く為に、リツコが休養を申し付けていた。

「んじゃ、一緒に行こうぜ」

「うん。それはいいんだけど、今日は週番なんだ。ちょっと待っててもらえるかな」

「ちょっと、シンジ! いくら休みだからって、無茶すんじゃないわよ」

アスカもレイを伴って寄ってくる。
ようやくアスカの機嫌も直ったようだ。本心は別としても...だ。

「うん。わかってるけど、少しくらいなら大丈夫だよ」

「ったく、用心するにこした事はないんだから...」

「お、なんや。惣流がセンセの心配かいな!? 雨でも降るんとち......げふぅ!!」

トウジがセリフを言い終わる前に、アスカの掌底で壁に吹っ飛ぶ。

「ふん。いちいち煩いのよ!」

「ア、アスカやり過ぎだよ」

「別に死にはしないわよ」

「そういう問題じゃ...」

頬に冷たい汗が流れる。

「とにかく、携帯だけは電源入れときなさいよ」

「うん、わかってる」

「ならいいわ、レイ」

満足げに頷くと、背後のレイに視線を送り、教室から出て行こうとする。

「綾波もがんばってね」

「......碇くん...気をつけて」

「えっ? どういう事?」

だが、レイは心配気に視線をシンジに送っただけで教室から出ていく。

「ぐぅ、惣流の奴...手加減って言葉を知らんのかいな」

トウジがようやく、壁に手を付きながら立ち上がろうとするが、急に視界が暗くなる。
ふと視線を上げるとセーラー服が目に映る。言うまでも無くヒカリだった。

「す〜ず〜はら〜〜!寄り道はダメっていつも言ってるでしょ。」

「か、堅い事言うなや、いいんちょ」

「だったら委員長も付いて来ればいいじゃないか」

「えっ!?」

ケンスケの言葉にちょっと考え込むヒカリ。
もう少しとばかりに、言葉を続けるケンスケ。

「たまには気を抜いておかなくっちゃ、ストレスが溜まるだろ。息抜き息抜き」

「で、でも......」

「トウジも委員長が来てくれれば嬉しいよな?」

「えっ...そうなの鈴原?」

「お、おう!」

ケンスケの合図で、首をガクガクとさせ頷いてみせる。
即座にケンスケがヒカリの耳元で囁く。

「ほら...トウジと一緒に入れるチャンスだぜ」

止め一言にヒカリもついに陥落。
結局4人でゲーセンに行く事となった。

「ほんじゃ、校門で待っとるでシンジ」

「後でなシンジ」

「じゃ、碇くんお先に」

それぞれシンジに言葉を残して、校門へと移動していく3人。
教室にはシンジの姿しかない。3人が週番の手伝いをしてくれたお陰で、残りは机を並べるだけになっていた。
夕日がシンジの影を長く伸ばしている。
薄暗い教室にシンジの呟きが漏れた。

「さてと、さっさと机を並べて校門に行かなくっちゃ」

シンジはずれた机を並べていく。
と、背後から声が掛けられる。

「あなた、碇シンジ君?」

声に驚いて振り返ると、目の前に制服を着た少女が立っていた。
ショートカットの茶髪が風に揺れる。

「そうだけど、たしか君は...」

「あれ? あたしの事知ってるの?」

「ああ、うん。友達が教えてくれたからね」

「あははっ、そうなんだ。始めまして。今日隣のクラスに転校して来た霧島マナです」

そう言うと、可愛らしく目を細めながら微笑み、手近な机に腰掛ける。

「それで霧島さんは、僕に何か用なのかな?」

「あのさ、あなたがあのネルフの兵器に乗ってるんでしょ」

「えっ? うん、まあそうだけど...」

「えへへ...。同い年だし、どんな人かちょっと興味が湧いちゃってさ」

マナはじっとシンジの瞳を見ていた。
瞳が猫のようにクルクルと変わる。

「でも、意外だったなぁ。シンジみたいな子が乗ってるなんてね...あっ、いいよね、シンジって呼んでも」

「べ、べつにいいけど...」

シンジが照れながら、了承する。
というか、可愛い子に親愛の情をもって話しかけられて、悪い気がするわけもない。

「やったぁ! じゃあじゃあ、私の事もマナって呼んでいいからね」

「そ、そんなこと言えないよ...出会ったばかりなのに」

「ふーん。なんかシンジってかわいいね」

「か、かわいいって...」

シンジの頬がほんのりと朱に染まる。
元々、シンジは人付き合いが得意ではない。ましてや始めてあった人――それも女性に声をかけられ、さらにかわいいとまで言われて、シンジが照れてしまうのもしょうがないだろう。

「ね、ね、私の事はマナって呼んで」

「い、いや、だから...」

「呼んで...」

マナの瞳がウルウルとしてくる。

「マ、マナ...」

マナの懇願に負け、シンジが照れながらそう言ういったとたん、マナの瞳がパッと輝いた。

「えへへ...ありがと。私、なんだかシンジの事気に入っちゃった」

「は、はぁ?」

「ね、これから暇?」

「い、いや。友達とゲーセンに行くことになってるん...だけど......」

マナは机から飛び降りると、シンジの顔に己のそれを近づけていく。

「じゃあ〜、私も一緒に行っていい?」

焦ってシンジが後ろへ一歩退くと、マナが一歩前に出てきて距離を詰める。
マナの吐息がシンジの頬に当たる。

「いや、その...僕の一存では...」

「じゃ、友達がいいっていったら?」

「ぼ、僕は...べ、別に構わないけど」

「やったーー! じゃ、友達のとこ早く行こ行こ!」

マナは飛び上がらんばかりに、体中で喜びを表現すると、シンジの腕に自分の腕を絡め、教室から出ようとする。

「き、霧島さん...。僕には、まだ週番の仕事が...」

「マ・ナ!」

「あっ、マ、マナ...その...週番の...」

「じゃあ、手伝ったげる! カバン取ってくるから、それまで一人でお掃除してて!」

言うが早いか教室から飛び出していく。
シンジは早くなった鼓動を抑えるべく、胸に方手を当てながら溜め息を一つ吐くと、ポツリと呟いた。

「霧島...マナ...か」

そして、クスリと笑う。

「変な子...」



その夜――久しぶりに夕食を作ったシンジはテーブルに料理を並べていた。
何か楽しい事でもあったのか、鼻歌を歌っている。
と――

「ただいまぁ〜」

リビングにミサトの声が響く。
ミサトがアスカとレイを連れて帰宅したようだ。

「おぅ、何かおいしそうな匂いがするわね」

最初にリビングに脚を踏み込んだのはミサトだった。
鼻をヒクヒクとさせながら、料理の匂いを嗅いでいる。

「あっ、ミサトさんお帰りなさい」

ミサトに続いて、アスカは文句を言いながら、レイは無言のままリビングに入ってくる。

「もう、ホントにお腹空いたわよ。リツコもいつまでテストをやらせれば気がすむのよ!」

「お帰りアスカ。夕食出来てるから、すぐに食べられるよ」

「ただいま、碇くん」

「おかえり、綾波」

とりあえず帰宅後、みんなリビングに集まったのだが、着替えやら何やらで、食卓に皆が着いたのはそれからしばらくしてだった。

「さて、まずは食前酒よね」

さっそく、ミサトはビールのプルタブを引きあげている。

「へえ、結構豪勢じゃない。シンジが料理できるなんて知らなかったわ」

アスカも驚きに目を瞬かせている。

「ありがとうアスカ」

「フ、フン。でも、味はどうかわからないわよね」

笑みを浮かべて礼を言うシンジから視線を逸らせながらアスカが軽口を叩く。
顔が赤いのは見間違いではないはずだが...。

「じゃ、いただきましょ」

「「「いただきます」」」

ミサトの号令のもと、それぞれ思い思いに料理に箸を付けていく。
アスカが手前の中華風の炒め物を口に運ぶ。

「......お、おいしいじゃない」

初めてシンジの手料理を食べ、思わず本音が出る。

せっかく、馬鹿にしてやろうと思ったのに。
意外ね、シンジにこんな特技があったなんて...。
レイより美味しいじゃないの。

アスカと違い、すでにシンジの料理の腕を知っている2人は料理に舌鼓を打っている。

「...碇くん...おいしい」

「やっぱり、シンちゃんの料理は美味しいわね」

「? 何よ、アンタ達はシンジの料理を食べたことがあるわけ?」

2人の意外な言葉にアスカが驚きの声を上げる。

「んふふ〜いいでしょー」

「...前に作ってくれたの」

「あっそ」

2人の優越感に浸った(アスカにはそう見えた)笑顔にアスカがピクリと反応する。

「あっ!」

不意にシンジが声を上げる。

「ミサトさん、それ食べるの待ってください」

「んあ、どったのシンちゃん?」

口に料理を入れかけたところで箸を止める。

「それにかけるソースを用意したんですが、忘れてました」

そういうと席を立ち、キッチンへ行こうとする。

「何だそんな事。いーのいーの、これでじゅーぶん美味しいから」

ミサトが手を振り静止しようとするが、シンジは譲らない。

「ダメです。すぐ取ってきますから待っててくださいね...絶対ですよ」

そう言うとシンジはキッチンへ移動していく。が、途中で振り返り、ミサトに確認の意味を込めて、再度言葉を投げ掛ける。

「ミサトさん...絶対ですからね!」

「ハイハイ」

再び、意外なものを見たとばかりに、アスカの箸が止まる。

「へーぇ、珍しいわね。シンジが自己主張するなんてさ」

「ま、料理の時はね」

と、シンジが戻ってくる。

「お待たせしました」

料理にソースを掛け、笑顔を見せる

「ふーん、どれどれ......んん! 美味しいじゃない!!」

「ミサト! 私にも食べさせなさいよ」

「ダーメ! これはシンちゃんの愛情の籠った私専用の料理なんだから!」

「誰が決めたのよ!」

「んふふ〜私」

「ふざけんなー!!」

かくして、楽しい(?)葛城家の夕食は続いていくのだった。



「ふーっ、おいしかったわ。満足満足」

ミサトが腹を手で擦りながらご満悦の表情を浮かべる。その姿はまさに親父そのものである。

「お粗末さまでした」

シンジも皆の食べっぷりに満足げだ。
と――
ミサトが何かを思い出したらしく、にへらーと怪しい笑顔を見せる。
人をからかう事に喜びを感じるところは相変わらずである。

「シーンちゃん。そう言えばさぁ...昼間一緒に歩いてた可愛い子、誰?」

ミサトの言葉で、もろにシンジの顔色が変わる。
ミサトが楽しそうに、話を聞いていたはずの2人に視線を向ける。
レイを見るが一見変化は見られない。が、微かに瞳の色が違うようにシンジには思えた。
アスカは俯いているがその手はプルプルと震えている。
ミサトは目を爛々と輝かせながら、話を続ける。
人が嫌がることをする、まさに、悪戯っ子の典型的な状態であった。

「仲良さそうに話してたわよね。まるでカップルみたいだったわよ」

「そ、そんな事は...」

ガタンと音を鳴らして椅子から立ち上がるアスカ。
続いて、パン!とかん高い音がリビングに響く。

「もう、寝る!!」

頬を叩かれ、瞳に涙を浮かべたシンジを横目に、アスカがドスドスと音を立てながら自室に戻っていく。
からかわれると思っていたシンジにとって、なぜアスカが怒ったのか分からない。

アスカが焼き餅を焼くわけがないよな...。
別に今回は付き合っているわけじゃないし...。
僕に好意を持ってるとはねぇ......。

そう考えつつ不思議そうな表情を浮かべる。
ふとレイと視線があう。

「ど、どうしたんだろうね、アスカ」

レイの視線に怒りを見た気がして、どもりながらレイに声をかける。

「...おやすみ」

レイはシンジからハッキリと意識的に目を逸らすと、自室へと消えていった。
残されたシンジは訳も分からず途方に暮れていた。

「な、なんなんだよ...いったい」

そんなシンジを横目に見ながら、悪の元凶はポツリと呟いた。

「シンちゃん...もう少し乙女心を勉強した方がいいわね」

Please Mail to 葵 薫
( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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