『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜
〜第2章〜『家族の輪郭』 第16話 『運命のトライアングル』
第3新東京市は厚い雨雲に覆われていた。
今朝から神の怒りと思しい雷を伴った激しい雨が降り続いている。
そして、暗く湿った憂鬱な朝を迎える――
ミサトは自室で着替えをしていた。
鏡に己の裸身を晒している。
中肉中背。無駄な肉が殆ど見られない鍛えられた体付きだ。
だがその身体には、美顔とは程遠い傷跡が刻まれている。
鳩尾から胸元にかけての大きな傷痕――今の医療技術をもってすれば、消せないまでも痕はほとんどわからないように出来るはずだが、ミサトは何故かその痛々しい痕を未だに残していた。
ミサトは普段とは違い、酷く真面目な面持ちで自らの身体を――傷痕を眺めている。
ミサトは表情を曇らせ、酷く感傷的な口調で言葉を紡いだ。
「あれから...もう15年たったのね...」
――15年前――
西暦2000年――後にこの年は人類にとって忘れる事の出来ない年となる。
地球の最南部である南極は凄まじい光で覆われていた。
南極はすでに人間が存在できる土地では無かった。
雪煙が舞い、暴風が吹き荒れる。
冷気の中に暖気が溢れ、その環境の変化は生きとし生けるもの全てに死をもたらした。
現象の中心となったのは1つの南極基地だった。
建物はすでに崩壊しており、瓦礫やら何やらが暴風に乗って空に舞う。
だがこの風雨の荒む環境も、今から始まる出来事に比べれは些細な事だった。
その出来事こそが世界を死に至らしめる大災害――通称、セカンドインパクトであった。
そして、この南極基地がセカンドインパクトが起きた中心の場所であった。
南極基地には、各国から集められた科学者達によって構成された調査隊が訪れていた。
調査隊の目的は、この永久氷河に眠るある物体の研究、及び発掘作業という事になっている。
ある物体――科学者達は南極で神を見つけたと言った。それが、己を、いや地球にとっての災いの種になる事も知らずに――。
そしてその発掘作業中に事件は起きたのだ。
結果、南極は人の立ち入る事の出来ぬ『死の大地』と化した。
その事件の発生は調査隊にとっては予想外の出来事だった。
だが、この出来事はある組織の中では予想内だったのかもしれない。
その組織はゼーレと呼ばれていた。
その事件が起きた時、ミサトは災厄の中心地――南極に居た。
胸の傷もその時に負ったものだった。
ミサトは当時の事は殆ど覚えていない。
微かに記憶に残っているのは、父の微笑みと南極の空を覆った光の翼だけだった。
傷ついた自分を救命ポットへと運ぶ父。
決して仲の良い親子ではなかった。いや、それどころか家族を顧みない父を怨んでさえいた。
だが、父の胸に抱かれた時、ミサトは不思議と安心感を感じていた。
そして、自分を救命ポットに入れる時の父の笑顔――そして呟いた言葉。
父が何と言ったかは分からなかったが、その笑顔だけは心の奥底に刻まれている。その笑顔は満足そうであり、何かをやり遂げた顔だった。そして、目の前の人物が始めて己の父親であると実感した瞬間だった。
だがそんな父ももう居ない――。
ミサトはその後しばらくの間、気を失ってしまう。
その直後だった。
全てを奪いつくすような大爆発が起きる――南極は太陽にも似た眩い光に包まれた。
気を失っていたミサトはそれに気付かない。次にミサトが気付いたのは南極の海の上だった。
そして見たのだ。
天まで届きそうな光の柱――南極を覆い尽くす4枚の光の翼を――
ミサトはゆっくりとブラを着けていく。
その表情は未だ曇ったままだった。
「お父さん...あの時何を言っていたの?」
稲光と轟音がミサトの呟く声を掻き消した。
机の上に置かれた十字のペンダントが悲しく光っていた。
雨は尚激しく降り続いていた。
「すまんなぁシンジ、雨宿りさせてもろて...」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、トウジが礼を言う。
「ああ、別に構わないよ」
シンジはたいして気にした風も無く、3枚のバスタオルをテーブルへ置いた。
帰宅途中、突然雨に降られた3人はシンジの家に避難していた。
と言っても此処はシンジの家ではない。
シンジの住まいは隣だ。
普段からシンジは寝る意外の時間の大半を葛城邸で過ごしている。
今日もいつものように葛城邸へお邪魔していたのだ。
無論、ミサトもシンジを家族の一員と思っているので、シンジの家と言っても過言ではない。
「ところでミサトさんは?」
バスタオルで濡れた髪を拭きながら、ケンスケが質問する。
「さあ、まだ寝てるんじゃないかな? 最近、徹夜の仕事が多いから...」
「大変な仕事やしなぁ」
「じゃあ、ミサトさんを起こさないように静かにしてようぜ。静かにな」
「そやな。それがええ」
2人は揃って人差し指を口の前に持って来て、ポーズを決める。
ミサトファンとしては当然、ミサトに迷惑をかける事は決して行わないのだ。
だが、そんな2人の淡い思いも少女の叫びによって打ち砕かれる事となる。
「ああ〜〜っっ!! あんた達何してんのよ!!」
隣の部屋のカーテンの隙間から顔だけを出したアスカが驚きの声を上げる。
2人はアスカに「静かにしろ」と言わんばかりにポーズを見せつけながら睨みつける。
だが、そんな事はアスカには関係なかった。
「まあ、シンジは別としても、何であんた達がここに居るのよ!」
奥でアスカの声に反応してか別の声が聞こえてくる。
「碇くん?」
「ちょ、だ、だめよレイさん! まだ下着姿なのよ。出るなら着替えてからにしなくちゃ」
「...わかってる」
どうやら、中にはレイとヒカリもいるようだ。
マナはいない。
先の使徒戦の翌日、再び転校していったのだ。
中学校にいたのは述べ3日くらいのものだろうか。
シンジの周りにいつも居た為、その存在感は大きく、皆をひどく驚かせた。
引越しの原因も良く分らないままだったが、シンジは近いうちにマナと再び出会いそうな予感を感じていた。
「レイさん、よく身体拭かないと風邪引くわよ」
「...大丈夫」
シンジは思わずヒカリのセリフに、かつて見たレイの裸身を思い浮かべ、真っ赤になる。
他の2人も先程までの怒りは何処へやら、思わずニヘラ顔を浮かべている。
3人の様子をアスカがジト目で観察していたが、それぞれの表情に何かを思ったらしい。
「この3バカトリオは何考えてんのよ! い〜いっ! 今着替えてんだから、見たら絶対...殺すわよ!!」
言うなり乱暴にカーテンを閉じる。
「けっ! 誰がそんなもん見たがるかい!」
「ほんと、自意識過剰なんじゃないの。まあ、写真は取りたいけど...」
2人は再び湧き上がってきた怒りを押さえつつ小声で悪態をつく。
全てはミサトの為だった。ここまで来るとある意味立派である。
どうやらアスカの本性を知った今となっては、2人にとってミサトの方が比重が重いようだ。
全く2人とも...。
でも、ミサトさんの本性を2人が知ったらどうなるのかな?
シンジは心の中で密かに微笑を浮かべながら言葉にせず呟いた。
と――
不意に襖が開き、ミサトが姿を見せる。
その顔はいつに無く真剣で、いつものおちゃらけた雰囲気が微塵にも感じられない。
2人はキリリとしたミサトの表情に思わずうっとりと赤面しつつ、挨拶の言葉をどもった声で懸命に口から吐き出す。
「お、お、お、おじゃましてます!」
「...してますっっ!」
そんな2人にようやくいつもの表情に戻ったミサトが声を返す。
「あら、いらっしゃい」
そして、シンジに視線を向けると事務的に用件を告げる。
「シンジ君。今日はハーモニクスのテストがあるから遅れないように」
「はい」
視線をカーテンに向け、同じように声をかける。
「アスカとレイも...分かってるわね」
「...はい」
「はぁ〜い」
凛々しいミサトの顔をのぼせた顔で見ていたケンスケが、ミサトの襟章を見て驚きの表情を浮かべる。
「ああっっ! こ、この度はご昇進おめでとうございます!」
そう言うなり斜め45度に頭を垂れる。
「お、おめでとうございます」
ケンスケに続くようにトウジもそれに倣う。
「あら、ありがと」
ミサトも笑顔で礼を返す。
「「いえ、どういたしまして」」
頬を赤く染めながらユニゾンで答える2人に、シンジは呆れた表情を浮かべる。だが、無論の事ミサトの昇進が嬉しくない訳ではない。ミサトの気持ちとこれからの事を考えると素直に喜べはしないのだが、めでたい事には変わりはないと思い、シンジもお祝いの言葉を述べる。
「ミサトさん。その...おめでとうございます」
「ありがと、シンちゃん」
シンジの言葉に含みを持った笑顔を浮かべるが、直ぐに真面目な面持ちに返ると玄関の扉を開ける。
やっぱり、そんなにうれしくはないんだろうな...。
まあ、ミサトさんからすれば、復讐にまた一歩近づいたという意味だし...ね。
ミサトは玄関の外に出たところで顔だけで振り返り、再度確認するように声をかける。
「じゃ、行って来るわね。3人とも遅れないようにね」
そう告げると扉を閉める。
「「いってらっしゃ〜い」」
2人は幸せな笑顔を浮かべながら、扉の向うに居る(はずの)ミサトを送り出すのだった。
「何、何? ミサトがどうかしたの?」
ようやく着替え終わったアスカが、頭にバスタオルを巻いた格好で姿を見せる。
後ろには私服に着替えたレイとヒカリが続いている。何故かレイの胸にはペンペンが抱かれていた。
「知らなかったのか? 襟章が1本から2本に増えてる。一尉から三佐に昇進したんだ」
レイに抱かれたペンペンに羨ましさと嫉妬をこめた眼差し向けていたケンスケだったが、アスカの言葉に呆れ顔で説明する。その横ではトウジは横でウンウンと相槌を打っていた。
「へぇ〜。知らなかったわ。いつの間に昇進したのかしら?」
アスカが驚きの表情を浮かべる。
レイも同意を示すかのように、隣でコクンと頷いていた。
「マジで言うとんのか? 情けないやっちゃなぁ」
自分の事は棚に上げて、トウジも呆れ顔を浮かべる。
「あぁ〜。君達には他人を思いやる気持ちは無いのだろうか? あの歳で3人の中学生の面倒を見るなんて大変な事なんだぞ!!」
ケンスケが芝居がかった調子で口上を述べる。
「ほんまや。わしらだけやなぁ、人の心持っとるのは...」
「......」
レイとヒカリはポカンとしているが、アスカだけが何故か俯いている。
何となくこの後の展開が思い浮かばれ、シンジは思わず一歩退いた。
やばい!
間違いなくアスカが切れかけてる!!
2人とも早く気付いてよぉ...。
これ以上アスカを刺激しないでくれぇ!!!
アスカが静かな時は怒りの前兆。それを身をもって知っているシンジは、2人から距離を取りながら、心の中で叫んだ。
口に出しては言えない――言えば怒りの余波は間違いなくその身に振りかかってくるのだから...。
だが、2人は自分の世界にダイブしているのか、全くその事に気付いていないようだ。
何時になく反論して来ないアスカに容赦なく追い討ちをかけていく。
「惣流達も少しはミサトさんに感謝しろよ!」
「せや! ミサトさんの爪の垢でも飲んでしっかりしいや」
「......」
アスカは未だに無言を通していたが、肩がヒクヒクと小刻みに揺れている。
ようやくアスカが俯いたままボソリと呟いた。
「...言いたい事はそれだけか......」
「へっ?」
「は...おぅ!」
2人の顔が一瞬で真っ青に変わる。
ようやく事態に気付いた二人だったが、時すでに遅し。
アスカはレイの胸からペンペンをワッシと掴み取る。
「ギョワァ!?」
ペンペンが驚きの声の声を上げるがアスカの耳には届いていない。
「お、おい...惣流...」
「じょ、冗談やがな...」
2人とも徐々に後退していくが、腰が引けていて殆ど動けていない。
シンジは既にアスカを避けつつ、こそっとレイの傍に退避を完了させていた。
「...ミサトの爪の垢を飲めですって? ふざけんなぁぁぁぁ!!!」
アスカの手から弾丸のような勢いでペンペンが飛ぶ。
「クギョワァァァ!!!」
「ぎょぇぇぇぇぇ!!」
「ごわぁぁぁぁ!!」
2人と1匹の悲鳴はそれからしばらくの間、葛城邸に響き渡ったのだった。
「相変わらずねぇ...シンジ君」
ミサトが溜め息を吐きながら呟いた。
葛城邸でミサトが伝えた通り、数時間後3人はネルフでハーモニクスのテストを受けていた。
成績だけを言えば、アスカがダントツでシンクロ率81%をキープ。次いでレイの62%。シンジといえば22%と相変わらずの成績だった。
進歩というものが殆ど見られない状態に、ミサトが溜め息を吐きたくなるのも頷ける。
普通の企業ならとっくにクビになっているだろう。
だが、ネルフだと――それもチルドレンとなるとそうはいかない。
世界の命運を一身に背負っていると言っても過言ではないのだ。クビになどなる訳がなかった。
ましてや、シンジは何故か結果だけは出している。計測はされていなかったにせよ、使徒を瞬時に仕留めるという偉業をこなしているのだ。
今のシンジはネルフにとって、決して手放せない大切な戦力であり、調査の対象であった。
そんなシンジの様子を眉に皺を寄せながらリツコが眺めていた。
その顔には謎が理解出来ず、苛立ちを溢れさせた表情が浮かんでいる。
あれは幻だった?
いえ、そんな訳がない!
私以外にもミサトを始め、あの場所に居た全員が見た...。
でも...だったら何故?
そう、納得など出来ない。第5使徒との戦闘で見た異様なまでの力――それは間違いなくシンジの操る初号機から発せられた力だ。だがそれは人間が持てる力の許容量を遥かに超えていた。
その後リツコは、ミサトにすら気付かれないように、幾度となくシンジの調査を行っている。細胞から体液に至るまで、得られるモノは全て採取した。採取したモノを利用して、ありとあらゆる検査も行った。だが、結果は全くと言って良いほど何も表さないのだ。
シンジはただの人間――何処にでもいる少年と大差ない結果しか得られていなかった。
でも...あの力が起こした現象は、伝説の『神が起こす奇跡』と呼ばれる力に近いものだった。
そんな力を年端もいかない少年が...いや普通の人間が持っている訳がないのよ。
シンジ君...あなたはいったい何者なの...。
シンジに対する疑問は尽かない。
例えば――
その1――何故、シンクロ率が上がらないのか?
人間であれば慣れと言うものがある。エヴァに慣れるだけでシンクロ率は向上するはずだった。
だが、操作は上手くなっているものの、シンクロ率には殆ど変動が見られないのだ。
その2――何故、低シンクロ率にも係わらず、他の2人に引けを取らない程エヴァを操れるのか?
確かに始めて初号機に乗った時は動かす事すらままならなかった。だがシンクロ率はその頃から20近くあったのだ。起動させた後の基本動作くらいは理論上出来るはずだった。
逆に、動かせるようになった後は、目を見張るほどの動きは見せないまでも、結果としてアスカやレイと同じようにエヴァを操作している。初めて搭乗してからずいぶん時が流れた。だがシンクロ率に変動は見られない。
理論を無視すれば、シンジにとってシンクロ率は何の目安にもならないという事になる。
その3――何故、あのような異常な力が使えたのか?
原因は不明。シンジ自身も良く分っていないものと思われる。
各種調査、検査を行うもやはり不明。現代科学では解明出来ない現象となっている。
その4――シンジに対する最大の謎は、本当に『碇シンジ』なのかという事だった。
彼は召集前の調査結果から判断して、碇シンジらしからぬ行動を取っている。
見た目や検査結果からは、彼が碇シンジ本人であると示されているのだが、彼の雰囲気や物腰、何よりその瞳に浮かべる感情の色合いは、明らかにデータとかけ離れている。
初めて出会った頃は全てに絶望したような瞳だった。
そして第5使徒戦以降は、人が変わったかのように――多少は内向的ではあるが、何処にでもいる普通の少年のようになった。
その瞳からも絶望の色合いは消えている。
全てはあの第5使徒戦だ。
だが、変わらない事もある。
それは己の身の危険を返り見ないその行動。
何か問題や危険な状態が起きるとその身を挺してアスカやレイを救おうとする。たとえ死の香りが漂っていても、シンジは2人を守ろうとするだろう。
そして何より違うのが、他人との接し方だ。データによると他人との接触を好まない。いや、極端に避けるタイプである筈だ。だが、先にも述べたが、今のシンジは多少は内向的であっても、何処にでもいるごく普通の少年だ。こんな異常な環境に置いてさえ――である。
考えても答えなど出てこないのは分っている事だ。
だだ、分らない事でも何とかして解明しようとするのは、やはり科学者の性だろうか。
兎に角、もう一度調査のやり直ししかないわね。
リツコは無理やり思考に結論を付ける。
「で、どうする?」
ミサトの言葉にリツコは溜め息を1つ吐くと、声を大にして叫んだ。
「テスト終了!」
真っ赤な海に幾つもの数知れぬ氷の柱が立ち並んでいる――この氷の柱の一本一本が人の墓標なのかもしれない。それほど人の犯した罪は重いのだろうか。
この死者の住まいし憂いの海――南極はすでに人類にとって不要な場所になっている。
いや、地球が人類を不要としているのかもしれない。だが、その不要なはずの海に1つの船団が航海していた。
1隻の空母を中心に、5隻の駆逐艦が空母を守るかのように、その周辺を取り囲んでいる。
重要なものなのか、空母の甲板には布で包まれた大きな棒状の物が固定されている。
言うまでも無く、『ロンギヌスの槍』と言われる一品だった。
この槍を臨む展望室から2人の男が赤い海を眺めていた。
「如何なる生命の存在も許さない死の世界......南極。いや、地獄というべきかな」
冬月が真紅の海を眺めつつ、感傷的に呟いた。
「だが、我々人類はここに立っている。生物として生きたまま...な」
冬月とは対照的にゲンドウは悠然と言葉を返す。
「科学という力でで守られているからな...我々は......」
「科学は人間の力だよ」
ゲンドウのセリフに苦々しい物を吐き出すのように言葉を返した。
「その傲慢が15年前の悲劇セカンドインパクトを引き起こしたのだ。結果この有様だ。与えられた罰にしてはあまりに大きすぎる。まさに死海そのままだよ」
「セカンドインパクトによる被害は大きい。だが、それゆえにこの穢れなき浄化された世界が生まれたのも事実だ。すでに人類による地球の統治は終焉を迎えているのだ」
「だからこそ、計画を実行し人類を救うというのか?」
「......」
冬月の言葉に無言で返すゲンドウ。
それは肯定でも否定でもないことを冬月は感じ、ようやくその矛を収める。
「それこそ人間の傲慢だと思うが...な。それを決めるのは我々であってはいかん。すでに闇に染まり、血で薄汚れた我々ではな...」
「それでもやらねばならん。それこそが......ユイが望んだ事なのだからな」
ゲンドウの表情が微妙に揺れる。それを冬月は見逃さなかった。
「確かに、ユイ君が望んだ事かもしれない。だが、それは人類を救う為でなければならん。滅ぼしてはならんのだ!」
「わかっている...冬月」
「...ならば、何も言うまい。だが、忘れるな。お前が個人の思惑でのみ計画を実行するようなら...俺はお前の敵に回る。例え...それでユイ君に会えなくてもだ」
ゲンドウに挑発的な眼差しを送るが、ゲンドウの答えはすでに決まっていたのだろう。悠然とした態度は崩さない。
「ユイもそれは望んでいないだろう。ユイの最後の言葉...我々は決して忘れてはならんのだ。その為にはどうしても、あの計画を我々の計画に塗り替える必要がある」
「...そうだな」
「その為にも...もう少し力を貸してもらう必要がある」
「ああ...わかっている。だからこそ俺は...碇に協力しているのだからな。俺は罪に塗れても人が生きている世界を望むよ。だからこそEVA...あれに対処せねばならん。さもなくば...」
冬月のセリフの後をゲンドウが引き継ぐ。
「...人類は滅亡する」
「そうだ。止まることは許されん...」
力強く締めくくる冬月にゲンドウが珍しくも穏やかな笑顔を見せる。
「フッ......わかっていますよ冬月先生」
その言葉はかつて約束したころからゲンドウが変わっていない事を示していた。
冬月も満足げに笑みを零した。
と――
通信が繋がるブザーと共に、UN軍の下士官から報告が飛び込んでくる。
『報告します。ネルフ本部より入電。インド洋上空衛星軌道上に使徒発見』
それは、2人に不吉なものを感じさせた。
「2分前に突然現れました」
日向が振り返りながらミサトに報告する。
「第6サーチ衛星より目標の映像データの受信を確認」
淡々と現状を告げる青葉。
「目標を映像で捕捉。モニターに回します」
青葉の言葉と同時にメインモニターに巨大な物体が映し出される。
発令所のいたる所で驚愕の叫びがあがる。
「こりゃあすごい!」
日向の言葉が発令所の全ての人々の思いを語っている。
「まったく...常識を疑うわね」
ミサトも呆れ顔を浮かべている。
大きさだけを言えば、今までの使徒とは比べ物にならないサイズである。
だが、驚くのは大きさだけではない。使徒は奇抜なスタイルをしているのだ。
巨大な単眼の模様が描かれた本体から手とも思える部分が左右に一本ずつ生えている。
その手の両端からは大きな3本と小さな2本の指と思われる物が伸びていた。
「目標と接触します」
青葉の言葉と共に映像が切り替わる。
衛星が使徒に近づいたものと思われる。
と――
映像が突然砂嵐に変わる。
「ATフィールド?」
「新しい使い方ね」
驚きの声を上げるミサトの横で、冷静に状況を述べるリツコだった。
「で、これが使徒の攻撃ね...たいした威力だわ」
ミサトの顔はすでに作戦部長のそれに変わっている。
中央に置かれた巨大モニターには海上が丸く陥没している映像が映し出されていた。
使徒による攻撃の跡だった。
「さすがはATフィールドってところかしら」
「落下のエネルギーと質量を利用してます。使徒そのものが爆弾みたいなものですね」
マヤの説明を次いでリツコが説明を続ける。
「とりあえず初弾は太平洋に大ハズレ。で、2時間後の第2射がそこ」
映像が爆心地を追って移動する。徐々に陸地――第3新東京市へと爆心地が移動している。
「あとは確実に誤差修正して、徐々にココを目指しているわ」
「学習しているって訳か...」
ミサトもさすがに渋い顔を浮かべる。
高度数百メートルならまだしも、衛星軌道上相手ではエヴァでは手の出しようがないのだ。
「N2航空爆雷による攻撃も効果ありません。」
「以後、使徒の電波攪乱の為、消息は不明です」
日向と青葉の報告も予想通りであった。
「って、ことは碇司令とも連絡は...」
「はい、使徒の強力なジャミングで連絡が取れません」
「よね...やっぱり」
これまた予想通りのマヤの言葉に感慨無く呟いた。
「次は、間違いなく来るわね...」
「そうね、此処に...それも本体ごと...ね」
どうやら、リツコも同じ事を考えていたようだ。
「で、どうするの葛城三佐? 今の責任者はあなたよ」
ミサトは一息吐くと厳しい表情を浮かべたまま、作戦を語るのだった。
「で、本当にやるの?」
「ええ」
「あなたの勝手な判断でエヴァを3体とも捨てる気?」
「......」
「葛城三佐!!」
「......遣れる事は遣っときたいのよ。使徒殲滅は私の仕事だから...」
「仕事? ハン! 笑わせないでよ! あなたの遣ってることは復讐でしょ?」
「そうかもしれない...。でもね...今はそれ以上に、未来を...あの子達に未来を残してあげたいの」
「その当人達を使って?」
「......そうね。やっぱり自己満足なのかな?」
「......」
「...ここを放棄すれば、あの子達は戦わないで済む」
「そうね...例えその後に滅びが待っていたとしても、怖い思いはしないで済むわね」
「私はあの子達に何もしてあげられない...。でも何もしないで死を受け入れさせる訳にはいかないの。未来は自分の手で掴んでこそ価値があるのよ」
「いつまで家族ごっこを続ける気なの? 勝算は0.00001%...万に1つも可能性はないのよ」
「分ってるわ。でも...例えごっこであっても、あの子達は私の大切な家族なのよ。だから私は...あの子達を信じる。それに...あの子達も逃げる事は望まないでしょう?」
「まったく......本当に馬鹿ね......あなたは」
「ええ〜っっ! 手で受けとめるぅ!?」
アスカの驚愕の叫びが室内に響いた。
「そうよ。落下予測地点にエヴァを配置して、ATフィールド全開で受け止める...これが今回の作戦の全てよ」
淡々とした口調でミサトが言葉を発する。
「敵の攻撃の威力からして、勝算は神のみぞ知るって所ね」
呆れ顔を通り越して、疲れた表情を浮かべながらリツコが補足する。
だが本音を言えば、勝算はゼロではない。可能性があるからこそ、強行手段に訴えていないのだ。そうでなければ、最後まで反対意見を述べていただろう。
そう、シンジ君があの力を再現出来るのであれば...間違いなく使徒を殲滅できるはず。
でも...もし、発現出来なければ?
リスクは確かに大きい。チップは自分の命だ。分の悪い危険な賭けである事には変わりはないのだ。
だが、生命より科学者としての意地と探究心が勝った。だから、子供達を信じて――シンジに賭けてみようと思ったのだ。
信じる...か。
ロジカルじゃないわね...全く。
自分らしからぬ行動に己自身が戸惑っているのも確かに事実だった。
「...なんてリーズナブルな作戦かしらね...笑っちゃうわ」
アスカは両手でお手上げ状態を作ると、呆れ果てた表情を浮かべる。
「他に方法がないの...エヴァを信じるしか...ね」
ミサトも自分が言ってるのが無謀である事は重々承知していた。その証拠に口元には苦笑が浮かんでいる。
自分でも言ったように、他に対処する方法が見つからない今となっては、3人を信じるだけだった。
「つまり奇跡でも起こして、何とかしてみせろって事?」
アスカがミサトに食って掛かる。
アスカにしてみれば、勝算の見えない作戦と分ってて実行しろと言っているのだ。死にに行けと言われたと思っても仕方がない。文句の1つも言いたくなるのが当然の反応だ。
「悪いけど...ね。でも、奇跡は起こしてこそ価値がでるのよ」
「......」
さすがのアスカもこうまではっきりと断言されては言葉を失ってしまう。
シンジは無言で2人のやり取りを静かに聞いていた。
幾度となく過去を繰り返してきたのだ。この無謀な作戦も結果としては成功し、使徒を殲滅する事が出来る。分かっているだけに反論するはずもなかった。
だが、心のどこかで不安が渦を巻いているのも事実だった。
今までは確かに成功してきた。
だが今回はどうなるだろう?
僕の知ってる歴史とは明らかに違う。
使徒が歴史通りの場所に落ちてくると楽観できないよな。
それに......。
不安の種はシンジ自身であった。
今の僕ではうまくエヴァを操る事は出来ない。
もし、仮に落下地点が変わっていたら...僕に対応する事が出来るのだろうか?
不安がさらに増していく。
「...碇くん」
微かにレイの声が聞こえた気がした。
視線をレイに送る。そこには柔らかな視線を送ってくるレイが見て取れた。
そうだ。僕が不安になってどうするんだ!
綾波を、アスカを守ると自分で決めたのに...。
シンジはレイに頷くと、強固な意思が込められた視線をミサトに向けた。
「簡単に言ってくれちゃってまあ...。自分が何を言ってるか分かってる訳?」
ミサトはアスカの言葉に一度瞼を閉じる。そして、再び瞼を開いた時には、何とも言えない笑みを浮かべていた。
「...そうね。無茶である事は承知してるわ...。だから、拒否する事も出来る......どうする?」
ミサトが険しい顔で3人に順番に視線を送る。その視線には様々な思いが込められていた。
戦わせたくない。だが、死を受け入れさせる事も出来ない。
相反する結論。矛盾を含んだミサトの視線に、3人は無言で答えている。
言葉はない。瞳がその意思を――思いを伝えている。
ミサトに3人の思いは確かに伝わっていた。
4人には確かな絆があるのだ。絆――そう『家族』と呼ばれる絆が。
ようやくミサトの険しい表情が、和らいだものに変わる。
「みんな.........ありがとう」
「MAGIによる落下予想地点を算出したわ」
既にエヴァに搭乗をすませている3人は、プラグ内のモニターに映った地図に視線を送る。
東京近郊の地図の殆どが落下予想範囲を示す赤色に覆われている。
「な、何よ...こんなに範囲が広いの?」
アスカが思った事を口にする。
「そうよ。目標のATフィールドを持ってすれば、この何処に落ちても本部を根こそぎ抉る事が可能よ」
アスカに言葉に答えるかのようにリツコの声が聞こえてくる。
「だから何処に落下してきても落下地点に対応出来るように、エヴァ全機をこのように配置したわ。後は目標を確認出来次第、あなた達が全力で落下地点に移動、ATフィールドで使徒を受け止めるのよ」
赤い範囲上に3つの点が浮かび上がる。エヴァが配置された箇所だ。
エヴァ三機は第3新東京市上、ネルフ本部を中心にトライアングルの形に配置されていた。
「で、何処に落ちてくるか目視で確認しろって事?」
「使徒による電波妨害によって、正確な位置は測定不能ですがMAGIが1万メートルまではサポートします」
マヤが簡潔に情報を伝える。
「良いわね? 3人とも」
「「「了解!」」」
「目標を最大望遠で確認!」
「距離、およそ2万5千!!」
青葉と日向の凛とした声が発令所に響き渡る。
「お出でなすったわね...。エヴァ全機スタート位置!」
ミサトの指示によりエヴァ全機がクラウチングスタートの構えを取る。
「いい、目標は光学観測では1万メートルまでしか計算出来ないわ。よって1万メートルを超えたら肉眼で捕らえるまで、とりあえず全力で走って。その後は各自の判断で行動して。あなた達に...全て任せるわ」
ミサトの声に頷く3人。
アスカは自信に満ちたいつもの笑顔で――
レイは静かに目を閉じて――
そして、シンジは――いつもと違い、獲物を狙うような鋭い眼差しを天空に向け――
三者三様に気合は十分だった。
「使徒接近......距離およそ2万!」
青葉の報告にミサトは1つ頷くと3人に最後の指示を出す。
「作戦開始!!」
「行くよ...」
シンジの言葉に2人はプラグの中で頷く。
「「「外部電源パージ!!」」」
エヴァの背後に付いている外部電源用ソケットが勢いよく外される。
内部電源の値が秒数を刻んでいく。
「スタート!!」
シンジの言葉と共に、3機のエヴァが同じ方面に向ってダッシュを開始する。
小山を飛び越え、道路を陥没させながら全力で3機は走った。
天空から落ちてくる第10使徒サハクイエルは、未だ地上との距離があるにも関わらず、その巨大な全貌を現し始めていた。
「距離1万2千!!」
サハクイエルの姿が段々と巨大さを増してくる。
「えっ!?」
不意にマヤが驚きの声を上げる。
「何!? どうしたのマヤ?」
何かマヤの言葉に違和感を感じたのか、リツコがマヤに問いかける。
「はい...。MAGIの計算と違い、質量、落下速度共に大きく変化していきます」
「何ですって!?」
リツコの叫びに反応したかのように、モニターに映る使徒の姿が変化していく。
異変はエヴァに乗るシンジ達にも確認できた。
単眼の本体から伸びた2本の腕が本体に急速に吸収されていた。
「何が起きてるの?」
アスカも予想外の使徒の変化に戸惑い顔を浮かべる。
だが移動速度を落とすわけにはいかない。
3機はそれぞれ第3新東京市の北に零号機、東に初号機、西に弐号機が配置されていた。
使徒が落下してきたの北東の位置――弐号機が一番遠いのだ。
既に3/4の距離は移動済みだったが、ここで速度を落とすと落下予測時間に間に合わなくなる恐れがあった。
「もう、何をしようってのよ!!」
「距離9千!」
1つの球体と化したサハクイエルの身体に大きな変化が起きたのはその時だった。
「何!? 分離した!?」
まるで細胞が分裂したかのように、使徒の身体が二つに分かれる。と同時に、勢いよくその落下方向を変える。
1つは北西方向――つまりレイの方向に、そしてもう1つは南東方向――シンジを飛び越え第3新東京市南部方向へと弾け、飛び散る。
エヴァの全機ともすでに市の北部に移動済みである
「分離の勢いで加速した目標は本部付近に落下すると思われます!!」
青葉の悲痛な叫びが発令所に響く。
「んなっ! や、やばい!!」
日向の絶叫。
「そんな...今からでは......」
「セ、センパイ...」
呆然とするリツコとマヤ。
「シンジ君!!」
ミサトが思わずシンジの名を呼ぶ。
レイの零号機が急制動をかける。
落下してきた使徒の半分はレイを目掛けて落下しているようにも見える。
だが、レイの目はもう片方の使徒に釘付けになっていた。
レイの口から絶望的な呟きが漏れる。
「ダメ...」
「間に合わない!」
レイの後を受けるようにアスカも叫びを上げる。
弐号機はすでに零号機の近くに迫っていた。
つまりは完全に逆をつかれた形だ。
今から全力で走ったとしても、絶対に間に合わない距離だ。
「くそっっ!!」
シンジはプラグの中で拳を固める。
シンジの初号機も弐号機同様に零号機近くに迫っている。
――ダメだ!
間に合わない!!
このままだとみんな――――死ぬ。
フラッシュバック――シンジの脳にアスカの、ミサトの、トウジの、ケンスケの...皆の顔が――そしてレイの顔が走馬灯のように次々と浮かんでいく。
瞬間――
シンジは酷く眩しい、それでいて真っ白な光を見た。
「!! 碇くん!? ダメ!!!」
シンジの変化を何故か気付いたレイが顔を蒼白にして叫ぶ。が、その声は既にシンジには届いていない。
ドクン!!
シンジの中で何かが反応した。
かつて第5使徒ラミエルとの戦いの時に感じた巨大な力の奔流が再びシンジを襲っていた。
驚くほどの高揚感と破壊観念がシンジに沸き起こる。
身体の底から力が溢れ出す。
――全てに滅びを!
シンジは強固な檻の中で何かが歓喜の叫びを上げているのを感じた。
と――
同時に初号機の両の瞳に炎が灯る。
グゥゥォォォォォォォォォォン!!!
顎のジョイントが外れ、初号機が天に向って高らかに雄叫びを上げた。
突如、初号機の動きが変化した。
瞬間、その動きを止めた後、猛烈な勢いで大地を駆ける。
その動きは、あたかも瞬間移動でもしたかのように、誰の目にも映る事はなかった。
「き、消えた!?」
ミサトが驚きの声を上げる。
それまで発令所のモニターも初号機の姿を捉えていたが、雄叫びを上げた後の動きは捉える事が出来ずにいた。
「しょ、初号機の反応...本部直上!」
マヤが何とかMAGIで初号機の所在地を報告するが、その発見場所に驚き、声が裏返っている。
既に初号機はサハクィエルの新たな落下地点に移動を終えていた。
サハクィエルは初号機を目指しているかのように落下してくる。
初号機とサハクィエルが衝突する――
誰もがそう思った。だが、予想に反し、サハクイェルはいつまでたっても初号機に向わない。
「なに...何が起こったの...」
マヤが絶句する。
サハクィエルが初号機の真上で停止しるのだ。。
何かにぶち当たっているようには見えない。何も無い空中に停止しているのである。
「何...よ...それ...」
ミサトも初号機と使徒の予想不能な動きに目を離せないでいた。
『うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!』
不意にシンジの声が発令所に響き渡った。
「!! シンジ君! 初号機内どうなってるの!?」
シンジの叫びにミサトが驚きの声を上げ、即座にマヤに視線を送る
「ダメね。初号機内のモニタリング出来ないわ」
マヤに代わりリツコがミサトに答える。と、何気にサブモニターに視線を移したその視線が止まる。
シンジの変化に反応するようかシンクロ率が撥ね上がっていた。
これは...まさか......
リツコの瞳が恐怖と歓喜に染まる。
視線で周囲を窺う。皆の視線はメインモニターに注がれている。リツコの行動には注意が向いていない。それを確認するとキーボードを操作しシンクロデータの表示を停止、次いで今までのデータをダミーへと変える。
これは、ミサトに...いえ、皆に知られる訳にはいかないわね...。
そう呟くと、皆と同じように視線をメインモニターに向けた。
モニターには天に向けて右腕を突き上げている初号機の姿が映っている。
「こ、これは......」
「な、何だ...このATフィールドは...」
マヤと日向の叫びが発令所に響き渡る。
初号機の周辺に銀紅のATフィールドが発生していた。
少し時間は戻る。
「!! 碇くん!? ダメ!!!」
シンジの変化にレイが顔を蒼白にして叫ぶ。シンジの身に何が起きたかは直ぐに分った。だから叫んだ。
たとえ今のシンジには自分の声が届かないと解っていてなお、レイは叫ばずにはいられなかった。
グゥゥォォォォォォォォォォン!!!
初号機が天に向って吼えた。次いで、ものすごい勢いで駆け始める初号機。
すでに、レイのプラグのサブモニターにはシンジの映像は写っていない。砂嵐が表示されているだけだった。
愕然としていたレイの耳にアスカの声が聞こえてくる。
「何してるの! レイ!」
別のサブモニターに写っているアスカの表情にも戸惑いが浮かんでいるのが見て取れる。
アスカもシンジの変化に意識を奪われていたのだろう。
だが、使徒は2体いるのだ。アスカは上空から落下してくるもう1体の使徒に対応する為、レイに声を掛けたのだった。
「上から来るわよ!」
「で、でも...碇くんが...」
「わかってるわよ! でも、こっちを済ませないといけないでしょ」
「...わ、わかってる」
レイからは珍しく戸惑いや焦りといったを感覚をアスカは受けていた。
シンジが気になっているのは先の叫びからも明白なのはアスカも気付いている。
アスカにしても、シンジが気にならない訳がない。だが今は、落下してくる使徒の対応が急務だった。
「やるわよ、レイ!!」
「ええ!」
2人の声が重なる。
「「ATフィールド全開!!」」
上空からサハクイエルの半身がATフィールドを纏って落下してくる。
第2落下地点に辿り着いた初号機は上空に掌を広げた格好で右腕を伸ばす。
幾ら使徒の半分だけとは言え、分離した際の速度を加えたその破壊力は並ではない。
いくらエヴァでも1機でその落下を止めるのは難しいだろう。
いや、難しいはずだった。だが、使徒の身体は何故か空中で静止してしまう。
まるで蜘蛛の巣に絡まってしまった蝶のように、動く事すらままならないらしい。
すでにサハクイエルからは、ATフィールドの発生すら確認出来ていない。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!」
シンジが吼える。
サハクィエルに代わり、初号機の周りにATフィールドが発生した。
そのフィールドはかつて見た銀紅に輝いている。
サハクイエルはその銀紅のATフィールドによって、あたかも空中に停止しているように見えたのだ。
全ての力を封じられたかにも見えるサハクイエル。その姿は実際のサイズより小さくすら見えた。
不意にシンジの意思に声が聞こえてくる。
――全てを無に――
「!」
シンジは自分の意識の中に何か別の存在を感じていた。
シンジの瞳が真紅に染まる。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!!!!」
シンジの口から獣のような咆哮が上がる。
突き出している右手で天を握り潰すような、手の中の物体を掴むような仕草をイメージする。
シンジの思考に初号機が反応するかのように、グッ! と一気に天に向けていた拳を握りしめた。
シンジの目の前で使徒のコアが一気に拉げた。
同じ頃、レイによってATフィールドを中和された使徒のコアに、アスカのプログナイフが突き刺さる。
第3新東京市の2箇所で同時に爆発が起こった。
「......な、なんなのよ...アイツ......」
「.........碇くん」
事の成り行きに戸惑うアスカと瞳に悲しみを湛えるレイ。
発令所でも初号機の変りように、皆言葉を無くしていた。
爆煙の中、仁王立ちに佇む初号機の姿は――まさに鬼人の様だった。
「第10使徒が倒された...これで8つめか」
冬月がようやく障害が無くなり、NERV本部と連絡をとれたのは、使徒が倒された数時間後の事だった。
「ああ、約束の時まで...残り7つ。我々の準備にはまだ時間がかかる...」
ゲンドウがいつもの引き攣ったような笑みをその顔に浮かべる。
「だが、この『槍』を手に入れたことにより、我々人類は『約束の時』まで少しばかりの時間の猶予を手に入れた」
冬月は1つ頷くとゲンドウの後を引き継ぐ。
「切り札は手に入れた...同時に『かの者』が現れるのを待つ事も出来る...」
「そうだ。しかし......」
ゲンドウ達を乗せた空母は護衛の駆逐艦に守られながら、ゆっくりと死の海を日本を目指して進んで行った。
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