『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第18話『休日の過ごし方』



NERV本部では恒例のシンクロテストが行っていた。
リツコやマヤが作業に追われる中、ミサトだけが悠々と後方から3人の様子を眺めていた。
モニターにはプラグ内の3人の姿が、隣のモニターにはそれぞれのシンクロ率を示すグラフが表示されている。
シンジのシンクロテストの結果は以前と変わらず20%台。ほとんど上がることも下がることもない。
対してアスカは80%台後半、レイはあわや70%に迫るシンクロ率をマークしている。二人のシンクロ率が向上する中、シンジの成長のなさだけが目立っていた。

「はぁ〜。相変わらずシンちゃんだけが伸びずか...」

相変わらずのシンジの成績にミサトは溜め息を漏らすしかなかった。
そんなミサトに、モニターに目を向けたままリツコが声を掛ける。

「シンジ君、少しはマシになった?」

「それが全然...」

「そう...。以前からシンクロ率は悪かったけど...せめて、やる気だけでも見せてくれればね」

ようやくモニターから視線をミサトに向ける。が、ミサトを見て溜め息が漏れるリツコだった。

「ま、現保護者がこれじゃ無理ないかもね...」

「...どういう意味よ」

リツコの私物であるコヒーポットからコーヒーを注ぐ格好のままミサトが反論する。
「そのままの意味ね」

「...別にサボってる訳じゃないで...アチッ!」

リツコの言葉に渋い顔で誤魔化すようにコーヒーを口に含むが、あまりの熱さに声を上げる。
リツコは再び溜め息を吐くしかなかった。

「何よ、そのリアクションは! ...まぁ別にいいけどさ。でも、レイは調子良さそうじゃない」

「そうね」

「この前の互換試験の後、調子悪かったようだけど、もう大丈夫みたいね」

「......あの子なら問題ないわよ」

その為に存在しているんだから。
調子を落とした事の方が問題だったのよ。

リツコが表情や口には出さずに呟く。
だが、一瞬出来た沈黙にミサトは頭を傾げる。

「ん? どうかした」

「何でもないわ。それよりミサト、明日何着てく?」

レイの話題を変えるようにリツコがミサトに新たな話題を振る。

「ああ、結婚式ね...。ピンクのスーツはキヨミの時着たし...紺のドレスはコトコの時に着たばっかだし...」

「オレンジのは? 最近着てないじゃない」

「あれね...あれはチョッチ訳ありで...」

思わず苦笑いを浮かべながら、誤魔化し気味に頭を掻く。

「...キツイの?」

「グッ...そ、そうよ!!」

リツコの突っ込みにジト目で答えるミサトだった。



「ただいまー」

玄関の扉が開きミサトが帰宅する。

「おっかえり、ミサト」

寝転んだ体勢でテレビを見ながらアスカが声を返す。
レイは食卓に座ったまま静かにお茶を啜っている。

「...どう...シンちゃんの様子......」

ミサトが自室で服を着替えながらアスカに問う。

「ぜーんぜん。いつまでああしてるつもりかしらね...バカシンジ」

アスカは不機嫌そうに苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

「そうね......あっ、確かアスカは明日、デートだったわよね?」

「そ、スケート...」

不機嫌の表情のまま投げやりに呟く。

「へーーーやるじゃない......で、誰と?」

「ヒカリのお姉さんの知り合い......じゃなかったら、とっくに断ってるわよ!」

ミサトの言葉に不機嫌に輪を掛けた声で答えると深い溜め息を吐く。

「あら、乗り気じゃないのねぇ」

「あったりまえでしょ!」

「......じゃ、レイは?」

「......特に...ありません......」

テーブルで茶を啜りながら無表情に答える。

「じゃっさー、明日の日曜日、シンちゃん連れてぇ......」

自室からTシャツと短パンに着替えてリビングに現れたミサトが、何かを思いついたようにニヤけた笑みを浮かべながらキッチンに移動すると、冷蔵庫からビールを取り出しながら続ける。

「どっかに出かけてこない♪」

「......命令なら...従います」

珍しく、戸惑いながらレイが答える
ミサトはその反応に頬を緩めながら、レイの前の席にどっかと座ると、レイの目を見ながら呟いた。

「別に命令じゃないわ......レイが嫌なら断ってもいいわよ。どうする? ......行く?」

「......ハ.........ハイ...」

俯きながら、消え入りそうな小さな声で、おずおずと答えるレイを見て微笑むミサト。

「へ、へぇー! レイがシンジと『でぇと』ねぇ」

「アスカぁ......あっれーーもしかして......や・き・も・ちぃ♪」

「別に、そんなんじゃないわよ!! バッカじゃないの! ......もう寝る!!」

アスカはそう言い捨てると肩を怒らせたままリビングを出て行く。
食料が入った冷蔵庫とは別の冷蔵庫――別名ペンペンの部屋――から、手ぬぐいを持ったペンペンが出てくる。
今からお風呂のようだが、ミサト達の話が聞こえたのだろう、自分の顔を指しながらミサトに声を掛ける

「クェ!?」

「ああ、ペンペンはお留守番お願いねん」

「クエェェ〜〜」

ペンペンは寂しそうに頭を垂らすとペタペタと悲しげな足取りでリビングを後にした。
ミサトはシマッタと言った表情を浮かべ後頭部をポリポリと掻くと、正面のレイに声をかけた。

「ねえ、どこ行くか決まった?」

「い、いえ...まだ...」

「レイはデートした事あるの?」

「い、いえ...」

「なら、明日はビシっとキメて行かなきゃね。シンちゃんに『可愛い』って言ってもらいたいでしょ?」

「ハ、ハイ...」

珍しくも顔を真っ赤に染めながらレイが微かな声音で答える。

変わったわね...レイ。
アスカも変わったわ。
後はシンちゃんね...。
そして...。

ミサトの笑顔の裏側に微かな悲しみが生まれる。

そして...私...か。
フフッ...。この子達に負けてられないわね。

ミサトは自分の思いを吹っ切るように明るい声で、真っ赤になって俯いているレイに声をかけた。

「ほらほら、シンちゃんに出かける事を伝えてこないと」

レイはコクンと頷くと席を立ち、玄関に向かって歩を進める。
ミサトはレイを見送りながら幸せそうな笑顔を浮かべる。

「アスカには悪いけど、今日のところはね...。」

そして手に持っていたビールの缶を揺すりながらレイに聞こえないような声で呟いた。

「レイとシンちゃんの初デートに...乾杯!!」



「じゃあ、」

「行って」

「...きます」

口を揃えて言う3人にペンペンは「きゅーー」っと鳴くと右手を振りながら3人を送り出した。
ミサトは赤のスーツ、アスカは緑のワンピース、レイは白いワンピースを着ている。
ミサトとアスカはそろってエレベーターに乗り込むと、ミサトは笑顔で、アスカは引き攣った顔でそれぞれレイに一言ずつ声をかけた。

「レイ、がんばんのよ!」

「いいレイ! ...行く以上はバカシンジを元気にするのよ!」

スーッとエレベーターの扉が閉まる。
「...ハイ」

レイは扉の向うの2人にはにかんだ笑顔で答えた。
ゆっくりとエレベーターが下降していく。
それを見届けるとレイは隣の扉――シンジの部屋に行くとチャイムを鳴らしてみる。

「.........」

返事が無いのを確認し、こんな時の為にとミサトから預かった合鍵でドアのロックを開けシンジの部屋に入っていく。
室内はカーテンが閉まっていて薄暗いままだった。
シンジの寝室の前に辿り着くとノックしドアを開ける。

「碇くん......」

部屋の中も真っ暗だった。

「......綾...波?......」

シンジはベットに腰掛けたままボーっとしている。
レイがカーテンを開ける。
眩しい朝日が部屋に射し込み、薄暗かった部屋を明るく照らす。

「...用意...出来た?」

「......うん」

「...じゃ、行きましょ」

レイは微かに微笑むとシンジの手を取り立ち上がらせる。
シンジは未だ暗い表情のままだったが、レイに引かれようやく重い腰を上げた。
楽しいはずのデートが、行く前から暗い影を落としている。

「碇くん...」

レイは悲しみと心配を湛えた視線をシンジに送る。
その視線に気付いたシンジは、ようやく笑顔を浮かべた。
だが、その笑顔が無理に作ったものである事は容易に見て取れた。

「綾波...大丈夫だよ。ただ...」

「ただ!?」

「ただ、お願いが...行きたい所があるんだ」



アスカが待ち合わせの駅前に辿り着く。と、すぐに相手の男が寄ってきた。
幼く中性っぽい顔立ちをしている。話によると2つ年上らしいが、どう見ても年下に見えるとアスカは思った。
時間は約束の時間を5分越えている。
だが、男は心配げな視線を浮かべている。

「そ、惣流さん...来てくれてありがとう」

「いえ、こちらこそ遅れて申し訳ありませんでした」

「そ、そんな...来てくれただけで......」

はぁ〜〜。何かナヨナヨしてるわねぇ。
まるで、シンジみたい...。
って、なんでシンジを思い出さなきゃいけないのよ!!
やっぱ、男子たるもの男らしくなくっちゃ...そう、加持さんのように!!
まあ...シンジだって、戦ってる時は結構男らしいけどさ...。
って、なんでそこでシンジが出てくんのよ!!

「あ、あの...どうかしたかな?」

「あっ、いえ何でもないです...ホホホホホ。 さ、行きましょう」

アスカは猫を被ったまま、男に引き攣った笑顔でそう答えると、目的地のスケートリンク場に向かって歩きだした。



シンジは墓地にいた。今日はユイの命日だ。
レイには母さんに一人で会って来たいからと霊園入り口で待ってもらっている。
シンジは墓の前にしゃがみ込むと、ユイの墓を見ながら思い出に浸る。

母さん...。

過去を巡っているシンジには以前と違いユイとの思い出がある。
シンジが何を思っているのかは分らない。しかし、その面は全てに疲れ切っているような顔だった。

もう来ることは無いといつも思っているのに......また来ちゃったよ......母さん。

心の中で無気力に呟く。
その背後――上空からVTOLが降下してくる。
VTOLの機体からゆっくりとゲンドウが降りてくる。
シンジは背後を振り向きもせず、ユイの墓の前でしゃがみ込んだままだった。
ゲンドウは何も語らず、視線をシンジに向けたままゆっくりとその背後に立った。
ようやく振り向いたシンジの前には、いつもの無表情のゲンドウが立っている。
すでに視線はシンジに向けていない。その視線はユイの墓に向いており、ユイと何か話をしているようにも見えた。
シンジは無表情でゲンドウに視線を送り続けている。
ゲンドウもその視線に答えるかのように一瞬シンジを一瞥するも、すぐに視線をユイの墓に向けなおした。
シンジも墓に視線を戻す。

「......」

「......」

お互いに無言のまま時間は流れる。
沈黙はシンジが破った。

「父さん、久しぶりだね。こうやって2人で話すのは...」

「ああ...3年ぶりだな」

「......」

「......」

「父さん......僕は...本当に父さんと母さんの子供なのかな...」

呟くようにゲンドウに語り掛ける。

「......」

その意外な言葉にも、ゲンドウの無表情の仮面は、崩れることがなかった。

「父さん......父さんの思いは母さんに届いているのかな......」

ゲンドウが静かに、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。

「人は思い出を忘れることで生きていける。だが、忘れてはいけないものもある。全ては心の中だ......私の思いは変わらん...今は、それでいい」

「今の父さんを母さんが望んでいなくても?」

「......信念は...曲げん...」

「...そう......」

風が流れるように吹き抜けた。

「...私は私の考えに基づいて行動している。シンジ...お前が何を悩んでいるのかは知らん。知ろうとも思わん。だが...お前は、お前の思うように生きろ」

「!」

シンジの顔に感情が浮かぶ。驚きの表情だ。

「ユイと私の息子ならば......出来るはずだ......」

シンジは立ち上がると振り向き、ゲンドウと視線を交わす。
数瞬の後、ようやくシンジが言葉を返した。

「...わかったよ」

ゲンドウの顔は無表情のままだが、シンジには一瞬ゲンドウが微笑んだように見えた。

「...時間だ......」

VTOLのプロペラが回り、機体の周辺に砂塵を巻き上げる。
ゲンドウは機体の縁に足を掛けると、シンジを振り返らずに言葉を紡いだ。

「私は、私の道を行く......お前は...お前の道を行け......」

そのまま、VTOLは爆音を響かせながら虚空に飛び立っていった。
シンジは飛びたったVTOLを見上げていたが、一度瞳を閉じる。

そうだ。僕にはまだやる事がある。
たとえ、僕の身体がおかしくても...僕は僕の道を行かなければいけないんだ。
みんなと離れる事になるかもしれない...。
でも、それはこの戦いが終わってからだ。
...今度こそ...今度こそ父さんを止めてみせる。
ミサトさんやアスカにみんな...それに綾波にも、もう辛い思いはさせたくない。
生きて行こうと思えば何処でも生きていける。
たとえそれが、どんな場所であっても...。
たとえ一人になったとしても...。
僕はそう母さんに教わった...。

再び瞳を開くと、振り返り霊園の出口に向かって歩き出した。
もうその瞳には暗い影は映っていない、強い意思の光が灯っていた。

霊園の入り口に辿り着くと、シンジは作り物ではない笑顔を浮かべながらレイに言葉を投げかけた。

「ゴメン、心配かけたね...」

レイがゆっくりと小さく左右に首を振る。
その顔は微笑んでいた。

「さっ、行こうか」



スケートリンク――
アスカはいろいろ話しかけてくる男に言葉は丁寧だが不機嫌を隠さずに対応していた。

「で、......なんだって」

「...そうですか」

「あっ、のど渇かない? 何か買ってくるよ」

「いえ、結構です」

よく気の利く男だったが、アスカは終始退屈そうにしていた。

「惣流さんって、スケート上手なんだね」

別にアンタに褒められたってうれしくないわよ!

「いえ、そんな事無いです」

「そうかな? 」

「...はい」

「でもさ......・」

ああ〜〜もう、うるさいわね。
何で、こんな奴に付き合ってるのかしら...私。

それから少しの間、男の話に付き合っていたものの、いい加減に疲れてきたのか「......私帰るわ」と言うと男を置いてリンクの出口に歩いていった。
後には、呆然と立ち尽くす男が残されただけだった。



結婚披露宴に出席しているミサトとリツコ。
仲人の挨拶や新婦の友人の合唱など二人には退屈な時間が流れる。

「しばしご歓談の程を...」

司会者の声が聞こえてくる。
披露宴会場は楽しげな笑い声が溢れていた。
そんな中、ミサトは不機嫌そうにテーブルを眺めていた。
そんなミサトに苦笑しながらリツコが声を掛ける。

「遅いわね、リョウちゃん」

「あのバカが時間通りに来た事なんて一遍も無いわよ」

「それはミサトとのデートの時でしょ。仕事の時は違ってたわよ」

「フン...どうだか」

引き攣った顔で呟くミサトの背後に長身の男が現れると、芝居がかった口調でミサトに声をかけた。

「おいおい、そいつは酷いなぁ」

加持だ。普段と変わらぬ服装のままでようやく合流する。

「よっ。2人とも今日は一段と美しいねぇ」

「リョウちゃん遅かったわね」

「いやいや、時間までに仕事抜け出せなくてさ」

「いつもプラプラと暇そうにしてるくせに...」

ミサトが加持を睨むが、加持は「へへへっ」と笑いサラリとその視線を流すと手近の料理に舌鼓を打つのだった。

「う〜ん、うまい!! いやぁ〜、最近忙しくてさ、まともな食事取ってなかったんだ」

「ハン、何言ってんだか。って、もう! 行儀悪いわね。 それになんとかならないの無精ひげ...。ほら、ネクタイ曲がってる!」

ミサトはナプキンで頬についたソースを拭うと、次いで加持のネクタイをきちんと締めなおす。

「...これは、どうも...」

加持はいつもの軽薄な笑い顔ではなく、どこか間の抜けた――素の表情で言葉を返した。

「フフ...お似合いね。夫婦みたいよ...2人とも」

リツコのセリフにワインのグラスを傾けていたミサトが引き攣った表情を見せた。

「おっ、いい事言うねぇ〜リッちゃん」

いつもの調子に戻った加持がリツコに言葉を返す。

「...誰がこんな奴と......」

引き攣った表情をさらに引き攣らせながら、ミサトがボソリと呟くのだった。



高台の公園は以前加持と来た時と同様に、相変わらず散漫としていた。
太陽はすでに西に傾きつつあった。
レイとシンジは揃ってベンチに腰掛けている。
会話らしい会話をしている訳ではない。
ただ、隣どおしに座っているだけだ。

「ねえ、綾波」

公園に来て、ようやくシンジがレイに話しかけた。

「なに、碇くん?」

「今日は...誘ってくれて、本当にありがとう。でも、せっかく2人で出かけたのに...ゴメンね」

「そんなことない。私は...碇くんが元気になってよかったと思ってる」

「でも、そ、その...デ、デート...らしい事は何も出来なかったし...」

自分の言葉に照れながらシンジが言葉を濁す。

「ううん...そんなことない。一緒にいられただけで...うれしい」

「あ、ありがとう」

照れるシンジにレイは微笑みながら答える。そして、ゆっくりとシンジの手に触れる。

「...また一緒に出かけてくれる?」

頬を染めながら上目遣いに見上げてくるレイにシンジの心臓が締め付けられるようになる。
シンジはレイを愛おしいと感じている自分に気付いていた。
過去においてもこれほど強い想いをレイに感じたことは無い。
今もシンジの心臓は早鐘のようにドキドキを繰り返している。
今まではレイの中に母の――ユイの面影を見ていたのかもしれない。
家族の愛に飢えていた頃なら、今の気持ちもそう解釈しただろう。
だが、過去を巡り、多少なりとも経験を積んだシンジは、今の気持ちがそれとは違うという事に気付く事が出来た。
自分が抱いている気持ち――それが何なのか、今なら解る。
だから――
シンジは優しく、だがギュッっとレイの手を握り返した。
そして、頬が熱くなるのを感じながらも、満面の笑みでレイに答えた。

「もちろんさ。僕でよければいつでも...」

「...碇くん......」

レイも力強く握り返してくる。

「綾波...」

「碇くん...」

瞳を閉じるレイ。
ゆっくりとレイに近づくシンジ。
太陽によって伸びた2つの影が1つに重なる。
それは2人の距離がゼロになった瞬間だった。
それは純粋で儚い2つの想いが重なった瞬間でもあった。

今この瞬間に時間が止まれば――

それは2つの想いが紡いだ言葉なのかもしれない。
だが、いつまでも続くと思われた時間も終わりは来る。
ゆっくりと離れていく2つの影。だが2つの影は離れても、2人の心はいまだ繋がったままだった。

「もう少し、このままで...」

そっと首を傾け、シンジの肩にしな垂れかかるレイ。
それを優しく、笑顔で受け止めるシンジ。
そんな二人の周りには緩やかな空気が漂っているのだった。



葛城邸のリビングに人影があった。アスカが帰宅しているのだ。
冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、冷えたジュースを喉に流し込む。
ソファーに座り、テレビの電源を入れ、ただボーッと画面を見ていた。

「......つまんない」

しばしテレビを見ていたが電源を切るとソファーに倒れこむ。
そのまま瞳を閉じる。
後には、かすかな寝息が残されただけだった。



「ただいまぁ〜」

「...ただいま」

アスカに遅れる事、数時間後――ようやくシンジたちが帰宅する。
リビングに入るとソファーでアスカが寝入っているのが見て取れた。

「ははは...気持ち良さそうに眠っているね」

「ふふっ...そうね」

シンジはタオルケットを押し入れから取り出すとアスカにそっと掛けてやった。
レイに視線を送る。レイもシンジに視線を送る。
アスカが寝返りを打つ。

「...ねえ綾波、お茶にしようか?」

「...ええ」

二人はお互いに微笑み合うとテーブルに向かいお茶の準備を始めるのだった。
その後、葛城邸ではアスカの寝息をBGMに午後のティータイムを楽しむ二人の姿があった。



披露宴がすんだ後、ミサト達3人は式場近くのバーに足を運んでいた。
薄暗い店内に懐かしいジャズの曲が流れる静かな、アダルトな雰囲気を醸し出しているバーだった。
店員はマスターが一人だけ。店内の作りもカウンターがあるだけで、一度に客が入れる数もたかが知れている。
第3新東京市でも隠れた名店だった。
3人はすでに多量のアルコールを摂取しているようだ。
テーブルには幾つか引かれていないグラスが残っている。

「ふふっ...今更何を言ってんだか...」

ミサトは微笑みながら呟くと席を立つ。

「チョッチお手洗いね」

「とか言って...逃げんなよ」

加持の言葉にミサトは振り向くと可愛らしく舌を出す。そして、再びトイレに歩を進めた。
加持はふとミサトの足元に視線を向けた。ミサトの白いヒールが瞳に映る。

ヒールか...。

心の中でそう呟くと、席を1つ挟んだ向う――リツコに声を掛ける。

「何年ぶりかな、3人で飲むなんて...」

リツコは軽く笑うと、その質問には答えず、言葉を返してくる。

「ミサト、飲みすぎじゃない? 何だかはしゃいでるけど」

「...浮かれる自分を抑える為に、また飲んでる...いや、今日は逆かな」

加持が苦笑いを浮かべつつ、再びグラスを傾ける。

「ふふっ、やっぱり一緒に暮らしてたヒトの言葉は重みが違うわね」

「暮らしてたって言っても、葛城がヒールとか履く前の事だからな」

「そうね...大学の頃には想像が出来なかったわよね」

「あの頃は俺もガキだったし...あれは暮らしと言うより共同生活だな...現実は甘くないさ」

「そうかしら?」

「...そうさ」

加持は遠い瞳で過去を思い浮かべる。

「...そうね。現実は甘くないわね...」

リツコも遠い瞳を浮かべる。
そんなリツコに視線を移し、いつもの軽い調子ではなく、真面目な口調で声をかける。

「...余計なお世話かもしれないが...リッちゃんはもう少し自分に自信を持ったほうがいい」

意外とばかりに視線を加持に向ける。

「あら、自分のやってる事には自信があってよ」

「そうかな?」

「...そうよ」

2人の視線は交わったままだ。

「フッ...ならいいが、事実だけではなく真実にも目を向けて欲しいな」

「どう言う事かしら?」

リツコの視線が険しくなる。

「友人の言葉さ。...事実は1つじゃない。物事には表と裏がある。そしてそのどちらもが事実だ」

加持はリツコから視線を外すと、テーブルにあるグラスに視線を移す。
グラスを手に取り目線の高さまで掲げると、黄金色の液体に浮かぶ曇りの無い丸い氷の中から、何かを見出そうとでもするかのように視線を送り続けた。

「だが、真実は1つだけだ。混じりあった事実の中の曇りの無い真実を見つけて欲しい」

リツコの視線は加持に向いたままだったが、その瞳の色は戸惑いを映し出している。
「...そう。あなたの言葉、真摯に聞いておくわ」

そう言うと席を立つ。

「フフッ...まさか加持君の口からそんな言葉を聞くなってね。」

「まっ、たまにはね」

「一応、ありがとうと言っておくわね。...そろそろ私は引きあげるわ。まだ仕事が残ってるしね」

「ああ...」

「ミサトの事...お願いね」

「...わかってる」

リツコは最後に微笑むとカバンを持って、扉から姿を消した。
トイレから戻ってきたミサトはリツコがいないのを訝しんだが、結局、加持とそのまま飲み続ける事となった。
2人は過去を、時には現在の事を互いに語りあった。楽しかった事、仲違いした事――話題は尽きない。
2人は時間が経つのを忘れて話に興じていた。そして語り合いながら杯を重ねていく。
だが、底なしと思われたミサトにも限界はある。
加持の知っているミサトの限界酒量はとうに超えている。それでもミサトは飲む事を止めようとはしない。
加持にはそんなミサトの態度が、何かから必死に逃げているようにも、そして反対に、何かに必死に立ち向かおうとしているようにも思えるのだった。



葛城邸のキッチンから食欲を誘うような美味しそうな香りが漂っている。
すでにアスカは目覚めており、3人で遅めの夕食を取っていた。
今日はシンジとレイの合作で夕食は作られていた為、アスカが驚くほどの豪勢な夕食となっていた。
夕食は楽しい雰囲気に包まれていた。
シンジが今までよりアスカの話に耳を傾けているので思った以上に場が盛り上がっているのだ。
楽しければ笑い、冷やかすと怒り、照れる。
アスカは昨日までの無表情でないシンジに驚き、不思議に思ったが、無気力なシンジでは無い事の喜びの方が大きかった。
だがその反面、寂しくもあり悔しくもあった。
シンジが元気になったのは嬉しい。
だけど――無性に悲しい。
元気になったのはアスカの所為ではない。
傍にいたのはレイであって――自分ではない。
それが悔しい。
何故そう思うのか?
それが意味する事がアスカには分らない。いや、素直に分ろうとしていないだけかもしれない。

だから、それがなんなのよ!
よかったじゃない、元気になって!

そう思うのがアスカらしいと言えばアスカらしいのだが...。
その間レイは相変わらずマイペースに食事を続けている様に見える。
だが二人には、途中途中で箸が止まり、微妙に表情が揺れ動いている事に気付いていた。

楽しい夕食が続いている中、電話のベルが鳴る。
シンジは席を立つと電話機の傍に移動し受話器を取る。
電話の向うからは大人のムードの漂う音楽が聞こえている。
シンジが何か話しているのを2人は箸を止めて眺めていた。
照れたり、笑ったりするシンジをアスカは久しぶりに見た気がした。
レイも笑顔でそんなシンジを眺めていた。
電話を切るとようやくシンジが席に戻ってくる。

「ミサト!?」

「うん......今日は遅くなるから先に寝てろって」

「まさか...加持さんと一緒じゃないでしょうねぇ!」

「多分、リツコさんも一緒だと思うよ...心配することは無いんじゃないかな」

「うっ...そうかも知んないけど!」

「......加持さんが心配?」

「あったり前でしょうが!! 加持さんがミサトの魔の手にかかると思うと......」

「......恋愛は本人の自由だよ......」

「!」

アスカは驚きのあまり、眼を見開いた。

「相手は大人なんだから、自分の考えで行動し、自分の価値観で物事を判断するはずだよ」

アスカが魚のように口をパクパクさせている。

「??? ......どうしたの、アスカ?」

「お、驚いた......シンジがそんな事言うなんて......思いもよらなかったわ」

思ったことが素直に言葉になる。心底驚いているようだ。

「な、失礼な.........でも...今までは...そうだったかも知れない......」

「......違うわ......碇君は今まで言葉にしてなかっただけ......いつもいろいろと考えていたわ......」

レイがシンジを庇うように怒ったような顔でアスカに言う。
再び、眼を見開くアスカ。

「レイまで......ち、ちょっとアンタら、今日何があったのよ!」

レイとシンジは申し合わせたように、お互いの顔を見ると、クスクスと笑い合うのだった。



夜の公園はひっそりとしていた。
そんな中をミサトを背負った加持が歩いていた。
他に人の気配が無いのは現在の第3新東京市では珍しくはない。
それがミサトを素直にさせているのか、今日は加持と触れ合っていても嫌がる様子は見せなかった。
いや、加持の背に安らぎを感じているのか穏やかな表情すら浮かべていた。
加持が肩越しにミサトに声を掛ける。

「いい歳して飲みすぎんなよ」

「悪かったわねぇ...いい歳で...」

「フッ、歳はお互い様か......」

「そうよ...」

「...葛城がヒール履いてるんだもんな。時の流れを感じるよ」

苦笑する加持。
ミサトは甘えるかのように、首に回している手を加持の頬に摺り寄せる。

「無精ひげ...剃んなさいよ」

甘えた声で加持に呟く。

「へぇへぇ...」

加持は穏やかな声でそれに答えた。
2人の間に刺々しい雰囲気は見られない。恋人同士が語らっているようにすら見える。
まるで、2人で懐かしい過去にタイムスリップしたように加持は感じていた。
それは2人が少年と少女だった頃――まだ、大人の世界を知らなかった頃。
加持にとって世界が――人生が一番輝いて見えていた頃。
あの生きる事が楽しかった頃――
だが、ミサトにとってはどうだったろうか。

「あと歩く。ありがと」

「ん...」

加持はゆっくりとミサトを降ろす。2人は連れ立って夜の公園を歩き始めた。

「加持君...私...変わったかな?」

ミサトが今までに無い穏やかで、それでいて寂しそうな声で問う。

「...綺麗になった......」

「ゴメンね、あの時一方的に別れ話して...別に好きな人が出来たって言ったの...あれウソ。......バレてた?」

手に持っていたヒールを弄びながら、誤魔化すような明るい声で呟く。

「...いや」

加持にいつものおちゃらけた雰囲気は見えない。真摯な瞳でミサトを見つめている。

「私気付いたの。加持君が私の父に似てるって...」

「......」

「自分が男の中に父親の姿を求めてたって知った時......無性に怖かった。どうしようもなく怖かった」

加持はだまってミサトの話を聞いている。

「加持君といる事も、自分が女だって事も...何もかも...全てが怖かったわ」

「...」

「父を憎んでいた私が父に似た男を好きになる...だから全てを吹っ切るつもりでネルフに入った...でも...それもまた父の居た組織。...結局、使徒に復讐する事でみんな誤魔化してきたんだわ」

ミサトの足が止まる。溜め息を吐き俯く。
加持もミサトに合わせて歩みを止めた。そしてゆっくりと言葉を紡いだ。

「...全ては葛城が選んだ事だ...俺に謝る事は無い」

「違う!」

ミサトが叫ぶ。

「選んだわけじゃない! ただ...逃げていただけ。父親の呪縛から...父親の影から逃げ出しただけ! 臆病者なだけ!」

「葛城...」

「私...分からなくなったの。家族を振り返らなかった父、私を救った父。どれがホントなの? 私は本当に父を憎んでいるの? 私は何がしたいの?」

激昂の叫び。

「分かんないのよ...もう...」

ミサトは俯いていた顔を上げる。その瞳には涙が潤んでいた。

「ゴメンね...酔った勢いで今更こんな話」

「...もう...いい」

「子供なのよ...。私には...あの子達に何も言う資格なんてないわ!」

「もういい」

「あの子達はどんどん成長してる。レイもアスカもシンジ君も...。私だけ...私だけが迷ってるの。逃げてるの!」

「もういい!」

「都合がいいのよ! こうやって都合のいい時にだけ男に縋ろうとするズルイ女なのよ! あの時だって加持君を利用してただけかもしれない! やんなるわ!」

「もういい! やめろ!!」

「自分に絶望するわ! 私なんて生きてる資格な...ハァ...ンンッ!」

加持はミサトの唇を自分の唇で塞ぎ言葉を途切れさせる。
そのまま、長い口づけを交わす。
ミサトのヒールが地面に落ちた。ゆっくりと背に回される腕。抱きしめられるミサト。
ミサトの全てを荒々しく包み込むようなキス――

加持...く...ん...。

ミサトの瞳から一滴の涙が頬を伝って零れ落ちた。



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