『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第19話『闇への誘い』



シンジは彼が現れるのを待っていた。
周りには畑があり、畑には無数の蔓が延びている。
そこはスイカ畑だった。

ここは安全だったはず...。

記憶を頼りにシンジは緊張した面持ちで立っていた。

「シンジ君じゃないか?」

ようやく待ち人が来たようだ。いつものおちゃらけた表情に、多少の驚きを含ませたような顔で加持が現れた。

「加持さん...」

「ん? どうした、シンジ...君...」

加持は立ち尽くすシンジから違和感を感じ取っていた。
シンジはいつもと違う雰囲気を纏っている。

『彼』なのか...それともシンジ君なのか......。

慎重に加持は問いかけた。

「何か用かな...シンジ君」

「はい...お話があります」

シンジは緊張の面持ちはそのままに、だが、力強い声で加持に答える。

「...よくこの場所が分かったね」

「はい...知ってましたから」

「知ってた?」

「...ここで加持さんがスイカを作ってる事です」

「ほう...」

加持の表情が僅かに変わる。
加持が一歩足を退く。
何気なく立っているようだが、見るものが見れば分かっただろう。
加持に隙はない。
ダラリと下げたように見える腕は、いつでも懐に隠された物を掴む事が出来る位置にある。
一歩足を退いたのも、半身になり急所をシンジから隠し、いつでも動ける体勢を作る為の動きだった。

「で、シンジ君、どんな話なのかな」

「他人には...聞かせる事の出来ない話です」

「...なら、安心しろ...ここは盗聴されていない。また、誰も近寄らないだろう...何が起きても...な」

加持の視線が鋭くなる。
加持はシンジを図りかねていた。

『彼』なら、こんな回りくどい事はしないだろう。
だが、いつものシンジ君でもない...。

加持にしてみればシンジは怖い相手ではない。
ただの子供だ。
だが、『彼』は違う。見た目は子供でも外見に騙されてはいけない。
懐の物も気休めにしかならないだろう。

「はい...知ってるから、ここで加持さんを待ってたんです」

「...なるほど」

「加持さん...」

すーっと右腕を持ち上げようとするシンジに、加持は一瞬背に冷たいモノが流れるのを感じた。
だが、シンジの右手はスイカ畑の端にあるベンチを指差している。

「あそこに座って話しませんか?」

「......いいだろう」

2人はゆっくりとベンチへ歩を進めた。
2人とも緊張は隠せないようだ。だが、2人の緊張は全くの別物だった。
シンジがベンチに座る。
加持は慎重にシンジの左側に腰掛けた。
無論、いつでも動けるように体勢は崩していない。

「で、話とは...」

「は、はい、実はお願いがあります」

「......」

「...ア、アスカとミサトさんについてです」

シンジは緊張しすぎたのか口が上手く回っていない。
そんなシンジの態度に、ようやく加持が自分の考えすぎだった事に気付いた。
完全には緊張を解かないまでもリラックス出来る程度まで緊張を解く。
いつもの軽い雰囲気ではないが、柔らかな笑顔を浮かべ、シンジの緊張をほぐすよう声を掛ける。

「おいおい、そんなに緊張するなよ」

「は、はい...」

「で、話とは? アスカと葛城についてだったな」

「はい...」

「......」

「......」

よほど言いにくい事なのだろう。シンジは言葉を詰まらせている。

「...安心しろ。出来る事は協力するし、他言もしない」

「はい」

シンジも覚悟を決めたようだ。
開いたり握ったりしていた手を、ギュッと握り締めると、ようやく話を始めた。

「アスカとミサトさんに...」



「なるほど...な...」

加持の表情が歪む。
はっきり言って驚きだった。シンジの話は予定外の内容だ。

なるほど、いつもと違うわけだ。
だが、シンジ君がそんな事を言い出すなんて...な...。

「ダメでしょうか?」

心配そうに訪ねるシンジを安心させるように微笑む。

「いや、わかった。やってみよう」

シンジの顔にも笑顔が浮かぶ。

「あ、ありがとうございます!!」

「おいおい、まだ成功したわけじゃないぞ」

「あっ、す、すみません...つい...」

加持が了承した事で浮かれていたシンジだったが、加持の言葉で我を取り戻す。
だが、恥ずかしいのか顔は真っ赤に染まっている。
加持はシンジの願いを了承した。だが、そんなシンジに疑問を残してもいた。

「いや、いいさ...。だが、こちらからも1つ質問してもいいかい?」

「は、はい」

加持の言葉に再び緊張した面持ちを浮かべるシンジ。

「...その話...何処で聞いた?」

「そ、それは...」

シンジが口ごもる。

「......」

「......」

「......」

「......」

「...OK。もういい」

加持は溜め息を吐くと、追及を取りやめる。

「...すみません。あ、あの...」

怪しんで断るのではないかと思ったシンジは、あわてて加持に謝罪する。
加持は笑うと再びシンジを安心させるように言葉を返した。

「大丈夫だ。約束は守るよ」

「じゃ、じゃあ...」

「ああ」

加持はワザとらしくウインクすると優しい声で囁いた。

「言っただろ。『出来る事は協力する』ってな」



「加持さ〜ん! こっちこっち!」

アスカの明るい声が聞こえる。

「おいおい、そんなに急がないでくれ」

加持も楽しげな笑いを含んだ声を返した。
2人は遊園地に居た。
人影はまばらだ。こんな遊園地にも使徒襲来の影響が及んでいる。
第3新東京市では、もう人が溢れかえるという現象はありえないのだろうか。
だが、今のアスカにはそんな事は関係なかった。
他人の存在なんか関係ない。
加持がいればいいのだ。

「もう、加持さんたら、まだまだ乗りたい物がいっぱいあるの! 急いで急いで!」

「乗り物は逃げないよ、アスカ」

「だって...急がないと今日中に全部のアトラクション廻れないんだもん」

少し拗ねた言い方でそう言いながら、加持の腕に己のそれを絡めると、加持を引きずるようにして目的のアトラクションへと急ぐ。

「わかった、わかった。おいおい、そう引っ張るなよ...」

「アハハッ! 加持さぁん。早く、早くぅ!」

アスカは本当に楽しそうだ。
その姿に加持は苦笑を漏らすしかなかった。



「ア、アスカぁ!?」

「ミ、ミサトぉーーっっ!?」

2人はそろって驚きの声を上げる。
加持とアスカはデートの後、ホテルのレストランで食事を取っていた。そこにドレスアップしたミサトが現れたのだ。
服装から考えて、デートかいずこかのパーティにでも出席するかのようだった。
ミサトのバックが柔らかな絨毯の上に落ちる。

「ちょ、どういうことよ、加持!!」

「加持さん!!」

ミサトはその場に立ち尽くしたまま、アスカも瞬間的に椅子から立ち上がって、共に加持に鋭い視線を送る。
加持はそんな2人の視線を気にもせず、テーブルからワイングラスを手に取ると、微笑みながら口に運んだ。

「ま、まさか...」

「...加持さんがミサトを呼んだの?」

ようやく2人とも事情が飲み込めたようだった。
そう、ミサトをこのレストランに呼んだのは他でもない加持だった。
2人に挑むような視線を送られた加持だったが、やんわりとした口調で2人に話しかける。

「まあ、葛城も座れよ。アスカも...な。ほら、ウェイターが困ってるだろ」

レストランのウェイターは確かに、これから一悶着ありそうなお客の反応を気にしてそわそわとしている。
そんな加持の態度に2人は戸惑いながらも、さすがにまずいと思ったのか、言われたとおり渋々とテーブルに座る。
だが、2人の瞳は「キッチリと説明してもらおうじゃない!」とでも言うように、加持に厳しい眼差しを注いだままだった。
加持は指を鳴らすとウェイターを呼ぶ。

「...ハイ」

「彼女にコーヒーを...」

「かしこまりました...」

ウェイターが下がっていく。
それを待ちかねたようにミサトが口火を切った。

「で、キリキリと説明してもらいましょうかねぇ!」

額に青筋が浮かんでいるように見えるのは目の錯覚ではないだろう。

「ん!? ビールの方がよかったか?」

「誤魔化すな!!」

ダン!! とテーブルに両手を叩きつける。
他の客も、何事かと加持達のテーブルに避難めいた視線を送ってくる。
中には好奇心に満ちた瞳や、何を考えているのか下世話なニヤケ笑いを浮かべている客もいる。

はぁ〜。こりゃ当分ここには立ち寄れないかな...。

加持は内心溜め息を漏らしていたが、表立っては表情を真摯なものに変えミサトとアスカに視線を送る。
そんな普段見せないような加持の視線に、2人も驚きの表情を浮かべた。
冗談や何かでどうやらココに呼ばれた訳ではない事をようやく悟り、ミサトも真剣な表情を浮かべた。
アスカも加持の姿に怒りより戸惑いを覚えていた。

「......ふぅ〜っ。OK...分かったわ。で、私"達"に何の話があるの?」

「加持...さん!?」

心配そうなアスカの視線を受け、加持は視線を柔らかなものに変えると安心させるように頷いた。

「大事な話があってね...。まあ、とりあえずは先に食事を頂こう」

そんな加持の言葉にようやく安心を覚えたアスカは――まだ、内心では戸惑っていたが――加持に頷き返す。

「ちょっとぉ、食事って...私の分がないじゃない!」

ミサトもようやく普段の自分を取り戻したようだ。

「ハハッ...いや、葛城が来るのはもう少し後だと思ってたからさ...」

加持が誤魔化し気味に笑う。

「ほ〜う...そうな訳ね」

ミサトは加持に意地悪そうな視線を送るとコーヒーを運んできたウェイターに注文を始める。

「お兄さん、コーヒーはいいから、代わりに生中をジャンジャン持ってきて!!」

「は、はぁ...」

戸惑いながらもウェイターが運んできたコーヒーを持ったまま厨房へと引き返していった。

「今日は加持の驕りだからね...飲むわよぉ〜!!」

そう言うとミサトはニヤリと加持に意味深な笑顔を浮かべるのだった。
加持はそんなミサトに引き攣った笑顔を返すしかなかった。

シンジ君...。
どうやらこの願いは高く付きそうだよ...。
はぁ〜〜〜っ。この店にはもう来れそうにないな...。

加持の予想は当たり、ミサトはその後何かを叫びながら生中を12杯ほど空け、加持は他の客と店員にイヤそうな視線を浴びせられるのだった。



「加持ぃ〜っっ!! いったいどこに連れてく気よ!!」

ミサトは訝しげな眼差しを加持に送る。
それもそのはずだった。
今、加持達がいるのはネルフの地下――ネルフ本部内最下層ターミナルドグマである。
加持はミサトとアスカを立ち入り禁止であるターミナルドグマへと誘ったのだ。
普通、カードキーと暗証番号が無ければ入る事が出来ない――いや、入れても直ぐに警報が鳴り保安部員が飛んでくるような場所を、さらに下へ下へと下っているのだ。
ミサトは最初こそ加持を引き止めようとしていたが、加持の視線に何かを感じ取ったのか、覚悟を決めて後を付いて来ている。
アスカは昼間とは正反対に無言で加持に従っていた。その顔は戸惑いを通り越し、不安が顔中に広がっている。
ようやく加持の足が止まる。
目の前には大きな扉が行く手を塞ぐかのように広がっていた。

「...ここだ」

加持は振り返ると2人にいつもとは全く違う、仕事の顔を向ける。
アスカは加持の表情に恐怖を感じ思わずミサトを見る。そして再び驚きの表情を浮かべた。
ミサトの表情もいつも知っているミサトのモノではなかった。
そして――
その手には拳銃が握られている。
照準は加持に合わせてあり、いつでも撃てる様にセーフティも解除されていた。
アスカは初めて、2人が自分とは違う世界――大人の世界の住人である事を実感した。

「なるほど...これがあなたの本当の仕事って訳ね。それともアルバイトかしら?」

「さて、どっちかな...」

拳銃の銃口を加持の後頭部に添える。

「惚けないで! 特務機関ネルフ特殊監査部所属、加持リョウジ。と同時に日本政府調査部所属、加持リョウジでもある訳ね」

「フッ...バレバレか...」

「ネルフを甘く見ないで! なぜばれると分かっていて私達を此処へ連れてきたの?」

「ああ...。葛城に隠し事をしていた事は悪かったと思ってる。だが、だからこそ、葛城を此処へ連れてきたかった」

「何故? こんな事をしてるとあんた死ぬわよ!」

「大丈夫さ。碇司令は俺を利用している...まだいけるさ。それに...俺にはこの奥のモノを葛城とアスカに見せる必要がある」

「どういう事よ?」

「司令やりっちゃんがやろうとしている事を2人に見せる...それが......約束だ」

「誰の「もうやめて!!」

ミサトの声を掻き消すようにアスカの叫び声が辺りに響いた。
アスカは蹲っている。その両肩は震えていた。
もう何が何だか分からない。

「加持さんもミサトもどうしちゃったのよ...。何コレ...どうなってるのよ」

顔を上げたアスカの瞳には涙が溢れている。

「おかしいよ。これが大人なの? これが私が憧れていたもの? そんなのないよ! だったら私...大人になんかならない!!」

「アスカ...」

ミサトは思わず銃を下げる。アスカの叫びは正しい。だが、間違っている。
ミサトにはアスカに掛ける言葉が見つからなかった。
こんな姿をアスカに見せる必要などなかったのだ。

「アスカ! 現実から目を逸らすな!」

思わず声を発した人物に視線を送る。アスカも加持に視線を送る。
そこには厳しい目をした加持の姿があった。

「アスカ! 目を逸らすな! 目を見開いて見るんだ!」

そして――
加持の瞳がフッと優しいものに変わる。

「これが大人の姿だ。だが、これはその一部分に過ぎないんだ。これが全てじゃない」

「加持...」

ミサトも驚きを隠せずに居た。
さっきの加持もそうだが、こんな加持も見た事が無かった。

加持君?
あなた...何を考えてるのよ?

「いいかアスカ...。今のアスカはエヴァに乗る事が自分の全てと思っている。それが良い事なのか悪い事なのか、それは自分で答えを出すしかない。だが、だからこそ、アスカは知らなければならない...エヴァが何であるかを...」

「加持...さん?」

加持は戸惑いを浮かべるアスカに微笑むとミサトに視線を送る。

「葛城も見ろ。これが、司令やリッちゃんが葛城に――みんなに隠している事だ」

加持はそう言うとスロットにカードを通す。
ピピッ! という電子音と共に眼前の扉が音を立てながら上下に開いていく。

「!」

「こ、これは...」

驚愕する二人。
眼前に広がるのは真っ赤な海。
小船のようにボートや船が浮かぶその向う――巨大な十字架に貼り付けられた物体があった。
人? いや、人ではない。
人の何十倍もあろうかと言う巨人だ。
巨大な十字架に貼り付けにされた巨人――
顔面には逆三角形に7つの目を模した模様が描かれている仮面が取り付けられている。
両の手は巨大な杭で十字架に繋ぎとめられていた。
下半身からは無数の人間の足が生えている。いや、人間の上半身が次々と埋め込まれて下半身だけが残されているように見えるだけかもしれない。

「これは...使徒? いえ、ま、まさか...」

ミサトの頭に記憶の中にある光が蘇る。

「そう、セカンドインパクトからその全ての要であり、始まりでもある......アダムだ」

沈黙が場を支配する。
ややあって、ミサトがかすれた声で反応する。

「ア...ダム......あの第1使徒がここに...」

「そして...アスカ...」

視線を送る加持。アスカは全身を震わせながら、蒼白な顔色でアダムを見ている。

「...エヴァは、このアダムから作られたものだ」

加持のこの言葉は、2人に新たな衝撃を与えた。



ネルフではいつものようにシンクロテストが行われていた。
リツコ監修の元、シンクロテストは恙無く進行されている。
管制室ではマヤを筆頭に技術部が中心となってリツコをサポート、ミサトは後方から見学していた。
モニターに3人の姿とシンクロ率を示すグラフが表示されている。
いつもとなんら変わらぬシンクロテストであった。
いや、であるはずだった。だが、その中でアスカだけがいつもと違う雰囲気を醸し出している。
テストに集中していない様でもあり、何かに怯えている様にも見える。
無論、その結果はシンクロテストにも影響を及ぼしていた。

「何があったのミサト? アスカの調子、悪すぎるわよ。前回より8もシンクロ率が低下してるのよ!」

いつもと違うアスカの雰囲気。それを証明するかのようなシンクロ率の低下。
責任者として文句の1つも言いたくなるのは仕方のない事だろう。

「さあ、アスカってば、どうしたのかしらね。もしかしたら...あの日なんじゃないの?」

素知らぬ顔で惚けるミサト。
それがリツコの怒りに拍車をかける。

「冗談言ってる場合じゃないのよ! 葛城三佐!」

「べ、別に冗談を言ってるわけじゃないわよ! 本当に分からないのよ!」

内心の焦りを隠しながらミサトが答える。
ミサトにはアスカの調子が悪い理由は想像に難くない。いや、考えるまでも無く分かっていた。

そりゃあねぇ...あんな物見せられて、「実はエヴァはアダムから作られている」なんて言われれば集中どころか、嫌悪感、恐怖心を抱いてもしかたないわよ!

ミサトは内心でそんな物をアスカに見せた加持を怨んだ。

まったく、あのバカ...なんであんなこと言ったのよ!
私だって不信感でいっぱいなのに、アスカはその中に入ってシンクロしなけりゃいけないのよ!
あのアスカがあそこまで取り乱した...強がっててもまだ14歳...こうなる事ぐらい分かってただろうに...。

ミサトの中で加持への罵倒は続く。

「ミサト!!」

「へぁい!?」

自分の思考に集中していたミサトは、突然のリツコの言葉に驚き、思わずまぬけな返事を返してしまう。

「聞いてるのミサト!」

「ゴ、ゴミン...聞いてなかった......」

リツコが深く溜め息を吐く。

「アスカに続いてあなたまで? こんな時にぼさっとしてる場合じゃないでしょ!」

「ゴメン...リツコ」

素直に謝罪するミサトに再びリツコは溜め息を吐くと、先程と同じ話の内容を繰り返した。

「いい! このままやっても進展がないから、今日のテストは終了とします。ただし、保護者としてアスカの調子が悪い理由を確認しておいて頂戴! 異論はないでしょうね!?」

「わ、分かったわ...」

リツコの怒りをこれ以上大きくしない為にも、異論はあったが渋々了承する。

「再試験は明日行います。それまでに...頼んだわよ、葛城三佐!」



レイとアスカはシンクロテストが終わって更衣室に戻っていた。
2人とも濡れたプラグスーツのままで、更衣室に設えてあったベンチに座っていた。
床がプラグスーツから滴り落ちたLCLで濡れている。
俯いているアスカに心配そうな視線を送るレイ。
ここに戻ってくるまでもそうだが、レイから見てもアスカの様子はおかしかった。。
あの時アスカは、シンクロテスト終了の声と共に、即座にエヴァからエントリープラグから逃げるように下乗した。
その時偶然見えたアスカの瞳――
エヴァを見上げるアスカの瞳が嫌悪感でいっぱいだったのを覚えている。
アスカはレイを待たずにケイジがら姿を消した。
その後、アスカに遅れる事数分後に更衣室に戻ったレイはプラグスーツのままベンチに座り込んでいるアスカを見た。
その身体は僅かに震えているようにも思えた。
そんなアスカの隣に、レイはLCLで濡れたプラグスーツのまま、静か腰掛けたのだった。

「......どうしたの」

レイは無表情だったが、優しい声音で問いかける。

「別になんでもないわよ!」

アスカの機嫌が悪い。
顔を上げ、キッ! とレイを睨みつける。
レイは思わず不思議そうな表情を浮かべる。
昨日からアスカが何に対して怒っているのかレイにはわからない。
アスカの機嫌が悪くなったのは、昨日加持とのデートから帰って来てからだった。
満面の笑顔で出かけた時とは正反対に、虚ろな表情で返ってきたアスカ。
心配したシンジが幾たびか声を掛けていたが、ボーッとして聞いていないか、聞いていても怒鳴り返すだけだった。
アスカはその日、部屋に籠ったままそれきり姿を見せる事はなかった。
今朝になっても様子は変わらず、ネルフのシンクロテストをしている時もボーッとして集中しているようには見えなかった。
レイにしてみれば、こんなアスカを見るのは初めてだった。
いつも強気で、弱みを見せようとしないアスカが、震えているのである。
何とか力になってやりたいが、声を掛けても先のように怒鳴るだけだ。
それは分かっている。だが、それでもアスカに声を掛けずにはいられなかった。

「アスカ...おかしい...」

「別におかしくなんかないわよ!!」

「...エヴァを睨んでいたわ」

「だから何!? 何か迷惑でもかけた!?」

「心を開かなければ、エヴァは答えてくれないわ...」

元気付けようして言った言葉だったが、アスカは嫌な物を吐き出すかのように答える。

「答えてくれなくてもいいわよ! あんなモノ...」

いい終えて、ハッとする。何故かレイが悲しそうな表情を浮かべているのだ。

「ご、ごめん...。いい過ぎたわ...」

「ううん...別にいいの」

「......」

「......」

「ねえ...」

先程までとは違い、急に落ち込んだ顔でレイに問う。

「何故レイはEVAに乗ってるの?」

「...それは......」

「それは?」

「......」

「......」

「...絆......だから」

誰との絆なの?

アスカはそう問いたかった。
だが、聞けない。
聞いてはいけない気がする。
レイの為に――そして自分の為に――

「そう...なんだ」

アスカはそう呟く事しか出来なかった。



シンジは再びスイカ畑に来ていた。
加持を待っているのは想像に難くない。
加持とは約束を交わしている訳ではない。
ここに加持が現れるかどうかなどシンジに分かるわけも無い。
だが、シンジは確信していた。
加持は此処に来る。
そしてその予感は間違いではなかった。
どの位待ったかは分からないが、そこに予想通り加持が現れる。

「おや、シンジ君。どうした?」

加持にもシンジがこの場所に来る事は想像に難くなかった。
昼間のシンクロテストの結果は加持も知っている。
アスカがあれを見ればどのような結果になるか...加持は十分承知していた。
その上で、あれを見せたのだ。

「いえ...話があって...」

「そうか...ベンチに座るかい?」

2人はベンチへと腰を下ろす。
途端にシンジが加持に声をかけた。

「...すみません。無理な事頼んじゃって...」

「いや、いいさ...」

もはや言うまでもないだろうが、ミサトとアスカにアダムを見せるように頼んだのはシンジだった。
そして、シンジもアスカに変化が起る事は予想内の出来事だった。

「それで...あの...アスカなんですけど...大丈夫でしょうか」

「さあ、どうかな? だが、シンジ君もこうなる事は承知の上で頼んだんじゃないのかい?」

「それは...そうなんですが......」

「ならそっとして――見守るしかないな。後は彼女自身で乗り越えるしかない」

「でも...」

加持の言葉にシンジが反論しようとする。だが、加持はシンジに諭すように言葉を発する。

「シンジ君。前にも言ったと思うが、アスカを守りたい気持ちは分かる。だがな、守るのと甘やかすのは違う。これは彼女の問題だ、今俺達に出来る事は...もうない」

加持の言葉にシンジは唇を噛み、黙るしかなかった。



その夜――
シンジとレイはベランダに居た。
2人は並んで空を見上げていた。
町は避難が進んでいる為、明かりが付いている家はそう多くない。
科学の発展したこの都市だったが、月と星の輝きは何ら変わる事なく、見るものに安らぎを与える。
この場所にはシンジとレイの2人の姿しかない。
ミサトはまだ帰ってきていない。アスカは苛立ちを周囲に――特にシンジに――振りまきながらも、ようやく風呂場へと姿を消した所だった。

「...碇くん? どうしたの?」

レイは視線をシンジに向けると心配そうに声を掛けてくる。

「ん...何でもないよ」

優しく微笑むシンジだったが、レイにはその笑顔の下に苦痛が隠されている事を見逃さなかった。
シンジが何を苦しんで、悩んでいるのか理由は想像が付く。
――アスカの事だ。
シンジはアスカが悩んでいる理由を知っているのだろう。
そこまでは想像に難くなかった。
だが、アスカが悩む理由の発端がシンジであることまでは想像できなかった。
レイは手すりに置かれていたシンジの右手を優しく両手で包み込んだ。
そして、自分の胸に抱くように優しく抱え込む。

「...碇くん...一人で悩まないで...」

「綾波...」

「私は...碇くんの味方だから...」

月をバックにレイが微笑む。

「...ありがとう...綾波」

レイの笑顔にシンジは心が休まる自分を感じていた。



それは突然だった。
第3新東京市にゼブラ模様の球体が浮いている。
使徒襲来――
携帯で呼び出しを受けたシンジは直ぐにその事に気付いた。
やはり、過去よりも幾分早い間隔で使徒が現れた。
過去とは明らかに違う。
だが、シンジに焦りはない。
使徒の襲来を予測していた訳でも、この第12使徒レリエルに対する決定的な対応策がある訳でもない。
過去でも、決定的な対応策は無かった。
ましてや、今までの経験上、このレリエルも過去に相対したレリエルと同じ行動や攻撃を取るとは思えない。
思いがけない攻撃をしてくるかもしれない。
それは想像に難くない。
ではなぜ焦りを感じないのか?
それはシンジにもよく分からない。
ただ1つ言えるのは――この戦い、何かが起こるであろうという事。
シンジは直感でそれを感じていた。
それが吉と出るか凶と出るかはわからない。
今言えるのは、どんな状況であってもレイを――アスカを――みんなを守るという事だけだった。



すでに3機とも第3新東京市上に配備されていた。
ミサトの指示だ。
現在ゲンドウと冬月は本部にいない。全てはミサトの判断に一任されていた。

「みんな聞こえてる?」

ミサトから通信が入る。

「目標のデータは送ったとおり...今わかってるのはそれだけよ」

3機は徐々に使途との距離を狭めている。

「作戦は先に行ったとおり。慎重に目標に接近、反応を窺い、可能であれば市街地上空外への誘導を行う」

レイ、シンジは緊張した面持ちのままモニターに映るミサトに頷いて答える。

「先行する1機を残りが援護...いい?」

アスカは何故か険しい顔つきのまま呆然としていた。

「アスカ?」

「! えっ!?」

「聞いてるのアスカ!!」

「わ、分かってるわよ! ...うるさいなぁ!」

ミサトに言われて我に返ったアスカがミサトに答える。聞こえないところで小声でミサトを罵っていたが...。

「では、各機の役割として...」

「僕が先行します」

シンジが名乗りを上げる。が、ミサトの隣に居たリツコがストップを掛ける。

「いえ、ダメね...」

「ど、どうしてですか?」

「今回の作戦には未知の部分が大きいの。使徒の特性も分かっていない...。だから、もし目標から予定外の攻撃があった場合、避けることが無理であれば...守る事――ATフィールドを張って耐える必要があるわね」

ここに来て、シンジはリツコの言おうとしている事がわかった。

「気付いたようね...。シンジ君のシンクロ率は23%...不意の使徒の攻撃を防げる程のATフィールドを張る事は難しいわ」

リツコの言ってることは間違いではない。
だが実際の所、これは建て前であった。リツコの本音は初号機の暴走を恐れてである。
解明されていないシンジの攻撃能力と破壊力。もしそれが、使徒ではなくネルフに向いたら...。
それは使徒よりも危険なものである可能性が高い。いや、高すぎる。

「で、でも...」

尚も食い下がろうとするシンジ。

「シンちゃん...私との約束、忘れてないわよね?」

「えっ?」

「そう...病院で言ったわよね...」

シンジは唐突に思い出した。
そう、確かにミサトと約束した。あれは第8使徒戦の後だった。
サンダルフォンからアスカを助ける為にマグマに飛び込んだ後、病院で目覚めた時だ。
心配を掛けない、無茶をしないと確かに約束していた。

「約束...したわよね...」

ミサトが畳み掛ける。

「は、はい...」

こうなるとシンジにはもう何も言えなかった。
結局、アスカが前衛、レイとシンジは後衛となった。



シンジは過去を知っているためうかつに攻撃を仕掛けようとは思っていない。
この使徒はディラックの中に存在している。
上空の影に攻撃しても効果がないだけで無く、影が広がり、ディラックの海へと飲み込まれるだけだ。
ましてや、いつ過去と違う攻撃をしてこないとも限らないのだ。
ここは慎重に慎重を重ねて、なお石橋を叩いて渡るくらいでなければならないだろう。

今回はアスカと仲たがいしてない...。
アスカも僕の言葉に耳を傾けてくれるだろう...。

シンジはアスカへと通信を開こうとした。
その時、シンジは自分に呼びかける声を聞いた気がした。

『シンジ...』

「えっ!?」

突然の声に驚きキョトキョトと周囲に視線を送る。
が、むろん誰もいない。

なんだったんだ?

気のせいと思い、再び使徒に視線を送る。

『シンジ...』

再び声が聞こえた。
声は直接シンジの脳に語りかけてくるように感じられる。

『落ち着いて聞いてほしい。もうすぐアスカが使徒...レリエルに攻撃を仕掛ける。その時、キミにはディラックの海に飛び込んでほしい』

突然の提案に戸惑いを隠せないシンジだったが、冷静に語った内容を吟味していく。

もうすぐアスカが攻撃を仕掛ける?
その時に使徒の虚数空間に飛び込めって言うのか...?

バカな話だ。
そんな事をやってどうなると言うのだろう。
使徒に飲み込まれるだけだ。また、初号機の暴走に期待するのだろうか?

それ以前に誰の声なんだ...コレ。

脳に語りかけてくるように感じる声。
通常この手の話では、初めての時は混乱するのが普通だろう。
だが、違和感は感じない。
それどころか、どこかで聞いた事のある声――いや、いつも聴きなれた声に感じる。
しかしシンジには思い当たる人物は浮かばない。

誰なんだ?

声を返して聞いてみれば済む事だ。
だがシンジは躊躇してしまう。
本当にこの声に返事を返しても良いものなのか判断が下せない。
それと同時に本当に語りかけているのかも定かではない。
その時、悩んでいるシンジの耳に、かすかにミサトの声が聞こえた気がした。

「作戦開始!」

思わず現実に意識を戻す。
アスカが使途に攻撃を仕掛けたところだった。

「アスカ! ダメだっっ!」

思わず叫ぶも間に合わない。
攻撃がゼブラ状の影に当たった瞬間、使徒が消える。同時に使徒の本体である『影』がアスカの直下に現れた。

「いやぁぁ! な、何よこれぇ...」

とっさに左手に持っていたライフルを投げ捨てると兵装ビルに飛びつく。
アスカはズブズブと沈下していく街並みに戸惑いを隠せない。
弐号機は右手に持っていたスマッシュホークと肩口のパックから取り出したプログナイフで兵装ビルをよじ登っていく。
ようやく弐号機が兵装ビル頂上に上り詰めた時、その兵装ビルの既に半分が闇に沈んでいた。

「ど、どうなってんのよ...コレ...」

弐号機の周囲は既に闇の中であった。
闇は尚、弐号機を求めて侵食を続けていく。

「弐号機を救出! 急いで!」

切羽詰ったミサトの指示で残る二機が弐号機へと駆ける。
初号機は右から、零号機は左から駆け寄っていくが、闇は弐号機のいる兵装ビルを囲むように展開しており、行く手を邪魔され二機は弐号機へと近づけずにいた。
その間にも闇は弐号機に迫っている。

「ちょ...これ以上こないでよ!」

ビルの上に立つ弐号機も、ビルごと徐々に闇に飲まれていく。

だめだ、このままだとアスカが...。

『もうすぐアスカが使徒...レリエルに攻撃を仕掛ける。その時、キミにはディラックの海に飛び込んでほしい』

先程の言葉が頭を過ぎる。

くっ、迷ってる場合じゃない!

今はあの言葉を信じるしかない。
意を決するとシンジは、初号機をディラックの海に飛び込ませた。

「碇くん!!」

レイが絶叫を上げる。

「なっ、シンジ君!?」

発令所でもミサトが驚きの叫びを上げていた。
ミサトはシンジにそこまで危険を冒させる気はない。
無論だからと言って弐号機を放置するつもりもなかった。
だが、実際には打つ手は見つからないでいた。
確かに弐号機を救うタイミング的にはギリギリだったかも知れない。
だが、あれでは確実に初号機は使徒の手に落ちるだろう。

「なんて事を...」

リツコも戸惑いを隠せずにいた。

その間にも初号機は弐号機の待つ兵装ビルに近づくと弐号機を肩に担ぐように持ち上げる。
その反動で初号機は胸辺りまで闇に覆われることとなった。

「ちょ、な、何してんのよバカ!」

「黙っててアスカ! 今、助けるから...」

シンジは闇の中を泳ぐように移動すると、未だに姿を保っている兵装ビルへと弐号機を移した。
このビルからならば、ジャンプすれば何とか闇の外側まで届くだろう。

「シンジ...早く手を...」

アスカの弐号機が初号機に向って手を差し出す。

「ダメだよ...アスカ。そんなことすれば脱出する機会を失う...。早く逃げて...」

初号機はすでに肩口までやみに浸っている。

「そんな事出来るわけないでしょ! 早...く...掴まり...なさい...よ」

無理やり身体を伸ばして初号機へと手を伸ばす。
だが、初号機は動こうとしない。

「もう遅いよ...逃げてアスカ」

サブモニターに映るシンジは微笑んでいる。

「碇くん...ダメ!!」

「バカな事言ってんじゃないわよ!! 何諦めてんのよ!!」

レイとアスカの悲痛な叫びが発令所に響いた。

「きっと...帰ってくるから......待ってて...」

それが最後の言葉だった。

「碇くん!!!」

「シンジ!!!」

初号機の姿は静かに闇の中へ――ディラックの海へと消えていった。
モニターに映っっていたシンジの姿は最後まで微笑んでいた。



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