『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第3章〜『運命の歯車』 第23話『家族と旅路(前編)』



辺りには暗闇がわだかまっていた。
と――
一人のシルエットが浮かび上がる。
女性だ。
シルエットから見て妙齢の女性である事は間違いないだろう。
沈黙が横たわる。
不意にその沈黙を破るように野太い男性の声が闇に響き渡る。

『今回の事件の唯一の当事者である初号機パイロットの直接尋問を拒否したそうだな...葛城三佐』

どうやら人類補完委員会の尋問の場のようだ。
だが、妙齢の女性――ミサト以外の姿は何処にも見えなかった。

「はい、彼の情緒はとても不安定です。此処に立つ事が良策とは思えません」

ミサトはそう答えたが、実のところシンジの情緒は不安定ではない。
それどころか、以前にも増して、いや、以前とは比べ物にならない位落ち着き払っている。
このような審問にも冷静かつ的確に対応できるとミサトはシンジを分析していた。
ではなぜ?
理由は他でもない。
全てはシンジの為だった。
シンジをこのような場所に連れて来る事、あまつさえ中傷を負いかねない様な些細な尋問につき合わせる気などサラサラなかった。
シンジはネルフのチルドレンである以上に、今のミサトにとっては家族――弟同然であるのだ。
可愛い弟に辛い思いをさせる位なら、自分が受け持った方が良いという判断だった。

『では聞こう、葛城三佐』

『先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね?』

「被験者の意見からはそれを感じ取れません。イレギュラーな事件だと推定されます」

『彼の記憶が正しいとすればだが』

「記憶の外的操作は認められませんが」

ミサトは相手のいやらしい言い方にも冷静に対処していく。

『エヴァのACレコーダーは作動していなかった...確認は取れまい』

『使徒は人間の精神――心に興味を持ったのかね?』

「その返答は出来兼ねます。はたして使徒に心の概念があるのか、人間の思考が理解できるのか全く不明ですから...」

ミサトは常にに相手の出方を窺っていた。
間違っても、誤った回答を返してはいけないのだ。
ここで、自分が失敗するという事は、即ち、再びシンジが査問会に呼び出される事を意味する。

『今回の事件には使徒がエヴァを取り込もうとしたと言う新たな要素がある...これが予測されえる第13使徒以降とリンクする可能性は?』

「これまでのパターンから使徒同士の組織的な繋がりは否定されます」

『左様。単独行動であることは明らかだ...これまではな...』

ミサトの頭脳が黄色信号を点滅させる。

「...それはどう言う事なのでしょうか?」

『君の質問は許されない』

「はい」

思い切って聞いてみるが予想通りの回答が待っていた。
内心で舌打ちしながらも、減点対象に触れかかった事に焦りを覚えた。
だが、ミサトの焦りは杞憂に終わる。

『以上だ...下がりたまえ』

「はい」

どうやら、無事に乗り越えられたと思いつつ、素直に退場する。
後は相手がどういうカードを切ってくるかという事だけであった。
ミサトが退場して場は再び沈黙を迎え入れた。
暫くすると、再び声が闇に響く。

『どう思うかね...碇君』

闇にゲンドウの姿が浮かび上がる。
どうやら、最初からこの審問会に参加していたようだ。

「どうやら使徒は知恵を身に付け始めています。残された時間は――」

『後僅か...という事か』

「...はい」

『ご苦労だったな碇君。何か分かれば直ぐに連絡したまえ』

「分かりました...では」

ゲンドウの姿が消える。
再び闇が全てを覆い隠した。
そして三度、闇に明かりが灯る。
現れたのは幾つものモノリス群。
モノリスにはそれぞれ数字が刻まれている。
あたかもそれが彼らの氏名であり階級であるかのように――

『碇...』

『アヤツの言う事はいまいち信用が置けん』

『左様、鈴からの報告もいまいち要領を得ない』

『...新たな鈴を用意するか?』

『いや...我々の駒を――それも切り札を送り込む方がよかろう』

『だが、それではシナリオが狂うのではないか?』

『左様。まだ時が満ちてはおらぬ』

『何も直接送り込む必要はあるまい』

『...確かにアヤツならそれも可能...か』

『では...決まりだな』

『いや、まだそう決め付けるのは早い』

『ではどうする?』

『...しばし様子を見る......』

『それが良かろう』

『急いて事を仕損じては不味いからな』

『では今度こそ決まりだな』

『全てはシナリオ通りに進める必要がある』

『そう...全ては...』

『全てはゼーレのシナリオ通りに』

01と書かれたモノリスが話をしめるように言葉を発する。
そして、残るモノリスも復唱するのだった。

『「「「「ゼーレのシナリオ通りに!!」」」」』



「えええっっ!! 温泉っっ!!!」

アスカの叫びがリビングに上がった。
毎度の様に葛城家は夕食時は騒がしかった。
大体騒がしいのは午前の朝食時とこの午後の夕食時くらいだろう。
そう、家族団らんの時間帯だけである。
この時間帯はどの家庭でもそこそこ騒がしくなるものだが、この家族の騒がしさは他の家庭に追随を許さないものがあった。
シンジが退院して3日が過ぎたが、1日としてこの家族が静かな夕食時を過ごすという事はない。
その原因の1人が先の叫び声の張本人であるアスカだった。

「ちょっとぉ、どういう事よミサトぉ!!」

「どういう事って言われてもねぇ〜。まあ、温泉に行けるだけましって事で...」

そしてこのセリフを吐いた妙齢の女性――即ちミサトが騒がしさの元凶であった。

「クァッ!! クワクワッ!!」

「ほら、ペンペンだってこんなに...」

「納得できるかぁ!!」

「まあまあ、アスカもそんなりいきり立たないでさ」

シンジが何とか仲裁に入ろうとしても――

「アンタは黙ってなさい!!」

と、この通りである。

「あのねぇアスカ...。私達は仮にも人類を使徒から守ると言う重要な役目を担ってるのよ。だから...ね。分かるでしょう。だから...」

「だから、たまにゆっくりさせようって事で旅行に行くわけでしょうが!!」

ミサトの言葉も逆上したアスカに届くわけも無く――

「旅行に連れて行くって行った以上は、キリキリと責任取ってちゃんとした旅行に連れて行きなさいよ!!」

「はぁぁぁ〜〜」

と、こうなる。

「碇くん...おいしい」

「そう、ありがとう綾波」

まぁ一部ではマイペースな方も居たりする訳だが...。
深い溜め息を吐いたミサトだったが、ここは何とかアスカに納得してもらうしかなかった。
何せこの温泉旅行を取り付ける為に、ハッキリ言ってどれほど苦労したか分からないのだ。



そうあれは昨日の事――

「旅行!? ミサト...正気で言ってるの?」

リツコは忙しい合間を縫って、ミサトに呼び出された挙句、ひと言目に『旅行』と言うセリフを聞かされ、怒りを通り越して呆れた表情を浮かべていた。

「もちのろんよ!!」

自宅で旅行に行けるのを楽しみに待つ家族の為、ミサトは必死でリツコに説得を行っていた。

「ミサト...。私達にはそんな時間はないの。それはミサトもよく知ってるでしょ」

「それは分かってるけど...皆がんばってるんだし、ほら...修学旅行の沖縄にも行かせてあげられなかったじゃない」

無論、そんな理屈が通用する訳もない事はミサトは重々承知していたが、それでも諦めるわけにはいかなかった。

「皆がんばってるのはいっしょ。あの子達だけ休みを与える訳にはいかないでしょ」

「あの子達はまだ14よ。青春を戦争だけに染め上げるのは納得できないわ」

「じゃあ、旅行に行ってる間に使徒が攻めてきたらどうするの? 3人とも連れて行く気でしょうミサトは」

「そ、それはそうなんだけど...」

「だったら無理だって事くらい分かるでしょう」

「だ、だったら、せめて近くの温泉にだけでも...ね。それだったらヘリですぐに帰って来れるじゃない」

いつもに輪を掛けて粘るミサトにさすがのリツコもどうしたものかと思案顔を見せる。

「ハァ〜。あのねぇミサト...」

長年の付き合いで、こうなればリツコが落ちるのも近いと見たミサトは、泣き落としならぬ甘え落としにかかる。

「ねっ、ねっ、お願い〜〜リツコぉ〜〜」

「例え私が許可しても司令達が...」

「じゃ、司令の許可が出ればいいのね!」

遂にボロを出した親友の隙をミサトが見逃すはずも無く、リツコに訂正の言葉を出させるまもなくその場から駆け出していく。

「い、いや、そういう事を言ってるんじゃなくて」

「じゃあ、私はちょっち司令に許可貰ってくるから!! ありがとリツコ!!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! ミサト!!」

こうして、ミサトの旅行大作戦は、恐怖の第1ラウンド『対リツコ』戦を勝利した。
そして恐怖の第2ラウンド『対司令』戦の幕が切って落とされる。
と思いきや――「よかろう」のひと言で勝利を飾る事となる。
ある意味、色々考えていた言い訳を言わずにすんでホッとしたものだった。



そして今日、ようやく手続き等の準備が整いこの夕食時に伝えているのだ。
この期を逃せば、旅行なんて行ける訳もなかった。

まったく、アスカは私の苦労も知らないで!

そう考えるとアスカの態度に段々と腹が立ってくる。

「ちょっと、何とか言いなさいよミサト!!」

元々短気なミサトである。
勢いに任せて言い返そうとしたその時、シンジが話に割って入ってきた。

「あのさ、アスカ。少しはミサトさんの苦労も分かってやったらどうかな」

「甘い! 激甘ね、シンジは。約束は約束よ。きっちりしっかり責任を...」

「じゃあ、アスカがミサトさんの立場だったら、いつ使徒が攻めてくるか分からないのに3人揃って旅行に行かせられる?」

「うっ...そ、それは...」

「あのリツコさんや父さんから許可を得る自信ある?」

「......」

確かにそう言われるとグウの音もでない。

「...だろ。その中でミサトさんは僕達の為に近場とはいえ温泉旅行に行ける様にしてくれたんだ。感謝するならまだしも、怒るなんて筋違いじゃないかな?」

「......」

「それでも、どうしても遠出したいんだったら、アスカと綾波だけで行ってくればいいよ。僕が本部で待機してるから」

「...私もいい。碇くんと待ってる。アスカだけで行ってくればいいわ」

レイもシンジの意見に同意を示す。
さすがにシンジにそこまで言われて、黙っているアスカではない。

「へ、へぇ〜。いつからシンジはそんなに物分りの良い子になったのよ。そんなにお父さんに褒めてもらいたいわけ?」

この言葉にはシンジよりミサトが反応した。
だが、アスカに言い返そうとしたところをシンジに手で制される。

「...僕の事はいいんだよ。アスカが楽しんでこれるなら、僕は行かなくていいって思っただけなんだから。でも、アスカは行きたいの? 行きたくないの?」

「そ、それは...」

シンジは当然アスカの本音が分かっている。
アスカが言いたいのは全員で旅行に行きたいという事であり、1人で行きたい訳ではけしてない。
それが分かってて、あえてシンジはアスカに問いただしているのだ。

「どっち?」

シンジが追い討ちをかける。

「......わかったわよ。勝手にすれば!!」

そう言うとアスカはドスドスと足音を鳴らしながら自室へと消えていった。

「シンちゃん...」

「碇くん...」

2人が心配そうにシンジの顔を覗き込むように見つめる。
だが、シンジはそんな2人を安心させるように優しく微笑み言葉を返す。

「大丈夫ですよミサトさん。綾波も心配しないで」

そう言うと席を立ち上がり、落ち着いた足取りでアスカの部屋に向う。
そんなシンジの姿を見ながら、ミサトは嬉しそうな、それでいて違和感を含んだ眼差しを浮かべる。

シンジ君に庇われるなんてね...。
シンジ君...いつの間にこんなにしっかりしたのかしら。
あの使徒に囚われて還ってきてから、まるで別人のよう...。
あのディラックの海の中で何があったの?

ミサトがそう思うのも無理もないことだった。
ミサトはレイやアスカ、保安部からの報告で聞かされていたが、シンジは還ってきてから明らかに変わったのを実際に感じたのだ。
かつてのような内向的な部分が影を潜め、代わりにしっかりと自身の考えに基づく行動や言動を取るようになった。
先のアスカを言い包めた事が良い例だ。
以前のシンジからは想像もつかない。
クラスで目立たない存在だったのが、今ではクラスに止まらず、明らかに異彩を放っている。
落ち着いたという言葉だけでは物足りない。
勉強に関しては、以前からそこそこ上位に入っていたので変わり映えはしないが、事運動に関しては明らかに違っている。
体育の時間ではトウジを押さえ、トップを取る。
人付き合いも上手くなった。
元々が中性的な甘いマスクをしているのだ。
当然のように女生徒がほおっておく訳もない。ファンクラブすら出来たとの情報も入っている。
そうなれば無論の事、敵もふえる。
だが、それをことごとく返り討ちにしているというのだ。
ケンカをするなど以前のシンジでは考えられない。
まだエヴァのシンクロに関しては自宅療養という事で測ってはいないが、多分伸びているだろうとミサトは予想する。
とにかく別人と入れ代わったように見えるのだ。
ミサトが違和感を感じても仕方のない事だった。
だが、それとは反対に嬉しさも感じている自分がいる。

他人の事を考える余裕すら感じられるのよね。
ホントどうしたのかしらシンジ君。
悪い事じゃないから余計に聞きにくいのよね...これが。
今は良い風に変わったと素直に喜ぶべきか...。

人間が劇的な変化を遂げるには、何か大きな出来事があり、自身で己の欠点に気付く必要がある。
ミサトはシンジの成長を喜ぶと共に、シンジの身に何があったのかと不安も感じるのだった。



コンコン。
扉をノックする。
だが、室内から返事は返ってこない。
コンコン。
再びノックしてみるが、やはり返事はない。
シンジはゆっくりと扉の向うにいるアスカに向って言葉を紡いでいく。
聞いてくれるだろうか。無視されないだろうか。
以前のシンジだったら、そう真っ先に考えたはずである。
だが、今のシンジにはそんな考えはない。
聞く聞かないはアスカの自由なのだ。
ただ自分の伝えたい内容を語る。ただそれだけだった。

「アスカ。僕の話を聞いて欲しい。僕は別にアスカを責めているつもりはない。ただ、勘違いしないで欲しいんだ...。僕は決して旅行に行きたくない訳じゃない」

扉の向うからは何も返って来ない。
だが気にせず言葉を続ける。

「それどころか、僕はアスカと一緒に旅行に行きたいと思ってる。アスカだけじゃない。綾波やミサトさんとも一緒に旅行に行きたい。だって...僕達は『家族』だろ」

ピクリとアスカが布団の中で反応するのが『視』えた。

「正直、僕は家族に憧れていた。僕の母さんは小さい頃に死んだし、父さんは見ての通り。僕はずっと先生のところで過ごして来た。だから...やっと僕に...僕にとってアスカは本当の家族なんだ」

ゆっくりと布団から這い出してくる気配が伝わってくる。

「だから...アスカとケンカなんてしたくないよ。だってアスカは僕の...」

ガラリと扉が開く。

「あ、アンタってよくそんな恥ずかしいセリフが言えるわね...」

少し顔が赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。

「もちろん。本心だからね」

微笑みながら答える。

「まったく...聞いてるこっちの方が恥ずかしいわよ」

「アスカ...僕は...」

「もういい...分かったから......。ミサトにも謝っといて。...言い過ぎたって」

「うん、わかった」

「じゃ、アタシはもう寝るから...」

「うん...ありがとうアスカ」

シンジはそっとアスカを抱きしめるとそう呟いた。

「ば、ばっかじゃないのアンタ!!」

声が裏返るが抵抗はしない。反対に嬉しく感じてしまったのは何故だろうか。
アスカ自身がそれに気付いてさらに顔を赤くしてしまう。

「はははっ、おやすみアスカ。じゃ...」

「...おやすみ......シンジ」

再び扉が閉まる。
少しシンジの顔も赤く染まっているようだ。
そんなシンジの姿をリビングの扉の影から覗いている2つの人影がある。

「やるわね...シンちゃん」

「...碇くん」

そう呟くニヤケ笑いのミサトと膨れ面のレイだった。



葛城邸を出てシンジは隣の部屋に戻らず、高台の公園に来ていた。
1つのベンチでタバコの煙がたゆたっている。

「お待たせしました」

ベンチに近づき、タバコを吹かしている人物に声をかける。

「別にそんなに待ってないさ。時間通りだよシンジ君」

加持はいつもの軽い笑顔でシンジを出迎える。

「シンジ、久しぶりだね」

ベンチ裏の木陰から女性の声が聞こえてきた。

「そうだね...マナ」

木陰から現れたマナに笑顔と共に声を返す。
突然、マナはシンジに駆け寄り飛びついてくる。
シンジは飛びついてきたマナをしっかりと抱きとめると、ゆっくりとその身体を離していく。

「もう、シンジったら恥ずかしがって...」

「マナ、今日は遊びに来た訳、それとも仕事?」

「分かってるけどさぁ〜〜」

少しふて腐れた振りをしてみる。

「仕事と遊びは区別しようね」

「ぶぅ〜」

シンジはマナから加持に視線を向け直すとさっそく話を切り出した。

「で、例の件はどうなってますか?」

「ああ、解析は進んでいるが...やはり未知なる物だ...そう上手くは進まない」

「まぁ、そうでしょうね」

シンジにとっては既に分かっていた結果だったが、やはり落胆の色は隠せない。

「だが、彼のお陰でそこそこの進展はあったよ」

「...アベル...ですか」

「ああ、そうだ。彼はよくやってくれている。それに...彼は君に会いたがっていたよ」

「そうですか...もちろん僕も会いたいですよ。そうか...元気にしてるんだ」

加持の言葉に嬉しそうに目を細めながら、アベルの事を思い浮かべる。

「そんなに僕と会いたかったかい?」

と――上空から声が聞こえる。
シンジは驚きの表情を浮かべると上空に視線を移す。
ゆっくりとした動きで上空から一人の少年が降りてくる。
銀髪に真紅の瞳をした少年――アベルは柔らかな笑顔を浮かべながらゆっくりとシンジの前に降り立った。

「来てたんだね...アベル」

「相変わらず、君の心は繊細だね...好意に値するよ」

「それは?」

シンジも笑顔で答えながら言葉を返す。

「「好きってことさ」」

シンジとアベルの声が重なる。
2人は声を立てて笑い合うとゆっくりと握手を交わす。

「久しぶりだね」

「うん、君も変わりないようで安心したよ」

「ありがとう。たしかアメリカの方に言ってたんだよね?」

「ああ、第2支部の方へね」

「どう、上手くいきそう?」

「まあ、そこはマナ君ががんばってくれているから」

「へぇ〜マナが」

「えっへん、えらいでしょシンジ」

マナが嬉しそうに声をかけてくる。

「うん。ありがとうマナ」

「へへへへへ〜〜っっ」

マナが照れ笑いを浮かべる。

「でも、無茶はしないでね」

「うん。分かってるよ」

「何かあったらすぐに...」

「大丈夫だよシンジ君。僕が責任を持ってマナ君を守って見せるから」

アベルは笑顔を絶やさず、シンジにウインクをしてみせる。

「頼むねアベル」

「おっと、シンジ君に伝える事があった」

3人の様子をベンチに座ったまま笑顔で見つめていた加持が話しに割り込んでくる。

「どうしました?」

「ああ...ガルムがイスラエルの研究所の位置を確認した」

加持の言葉にシンジの視線が真面目なものに変わる。

「...どうなりました?」

「作戦に出たかどうかまだハッキリした情報が入っていない。エリスが繋ぎをしてくれるようなんで、明日か明後日には結果が出ると思う」

「そうですか...。ああ、その頃僕は多分温泉に行っていると思います」

「ほう」

「ええっっ!! ずるいよシンジ!!」

「それは羨ましいね」

三者三様で感想を述べてくるが言っている意味はどれも変わらない。

「茶化さないで下さい。後、ミサトさんに言って加持さんも参加出来る様にしておきます」

「なるほど、アスカとレイ...それに、先の結果はその時に...という事か」

「はい。それに...」

「あの計画か...。そうすると...本部の監視はどうする?」

加持は短くなったタバコを携帯灰皿に押し付けると唸るように呟いた。

「......やはり、これが問題か」

「そうですね...」

シンジも加持の考えと同じだった。
本部の監視は必ず行わなければいけない。
ゲンドウの計画の全貌はまだ掴めていないのだ。今ここで手を抜くわけにはいかない。
ネルフ本部はMAGIが監視をしている。そう簡単に本部の監視など出来るものではない。
MAGIのデータバンクからこっそりと情報を引き出す事も難しい。
それを行うという事は、リツコを敵に回すのと同意だ。
内部ならシンジが担当すればと思うかもしれないが、チルドレンという立場上、セントラルドグマをうろうろとする訳にもいかない。
それ以上にチルドレンには監視の目が厳しいのだ。
だとすると危険を承知で、誰かが直接現地で監視するしかなかった。
今までこの役割を加持が受け持っていた。
だが加持を温泉に誘う――これは外せないファクターだった。

葛城家の今後を考えると、加持は非常に重要な存在となってくる。
計画が実行に移されるのは時間の問題だろう。
そうなった時に葛城家を支えるのは加持の役割となる。
だがこの前のアダムの件以来、彼女達の加持を見る目が変わっている事は確かだった。
ミサトはまだいいだろう。何と言っても大人だ。
過去においても、その行動は実証されている。
レイに関しては問題ないだろう。
どうなるかはわからないが、シンジの予想が正しければそうそう崩れる物ではない。
問題は――アスカだった。
加持=地下のアダムというイメージが強い。
だからこそ、今回の温泉旅行でそのイメージを払拭しておく必要があるのだ。
そうしなければ計画遂行の後、家族の崩壊となる可能性が高い。
葛城家が崩壊する事はチルドレンのチームワークが崩れる事を意味する。
これからの使徒は強敵揃いだ。
皆が一丸となっていなければ使徒に対応できなくなるのは過去を見ても明白だった。
そしてその後の脅威――
世界の安寧は葛城家の存亡にかかっているといっても過言ではないだろう。
だからこそ加持はこの温泉旅行に同行する必要があるのだ。

ただ今回の温泉の件はあまりに突然の事だった。
加持が担っていた役割はかなりの物だ。中でも本部の監視は重要課題のひとつだ。
穴を開かせる訳にも行かない。
余計な人員を急に裂く事は出来ない――他にもやる事はいっぱいあるのも事実なのだ。

「...僕は第2支部から離れられないし...」

アベルも動けない。

「なら、私が動くよ」

不意にマナが自信有りげに名乗りを上げる。

「! 危ないよマナ」

シンジが即座にストップをかける。

「大丈夫だよシンジ。うまくやってみせる」

「でも...」

「以前もシンジ達の監視をしていたんだよ。問題ないない」

「......」

しかしシンジにはGOサインを出すことが出来ない。
以前マナがシンジ達を追ってネルフに侵入出来たのは、停電が起こり、MAGIの大半の機能が役に立たなかったからだ。
普段ならそう簡単にチルドレンを追ってネルフに侵入出来る訳がない。
加持でさえゲンドウに見つかっている可能性もあるのだ。
利用できると思って見逃されている節もある。
そんな場所にはたしてマナを送り込んで無事でいられるだろうか...。

「......」

「シンジ...私を信じて...」

マナは真剣な表情を浮かべている。

「...マナ」

マナの真剣な態度に、ようやくシンジが言葉を発する。

「...命がけの仕事になるよ」

「うん...分かってる。私だっていつまでも皆の足を引っ張ってるつもりはないよ」

話をしている最中も2人の視線は互いの瞳からそれる事はない。
どうやらマナの決心は変わらないようだ。
どうあっても、この役割を受け持つつもりらしい。
シンジは深い溜め息を吐く。そして――ゆっくりと首を縦に振った。

「...分かった」

「シンジぃ〜〜」

マナは表情を一変させるとシンジに飛びついてくる。
よほど嬉しかったのだろう。
シンジの首筋に猫のようにじゃれ付いている。

「でも約束して...」

「うんうん、分かってるって。絶対に無茶はしないよ」

了承はしたものの、心配そうな表情を浮かべるシンジにマナは満面の笑みで答えるのだった。
何はともあれ、これで今後の配置は決まった。
となれば、時間がおしい。
彼らに余分な時間などないのだ。
皆すぐに自分の役割を果たす為、それぞれの持ち場に散らなくてはならない。

「じゃあ、僕はアメリカに戻るよ」

「気をつけて...アベル」

「うん、わかってるよシンジ君」

「導き手の件...頼むね」

「任されたよ」

アベルは笑顔でそう言うと、再び上空へと舞い上がっていった。

「じゃあ、俺達も行くか」

加持が傍らのマナに声をかける。

「うん。加持さんの引継ぎは私がしっかりしておくね」

「マナ...くれぐれも無理しないでね」

「大丈夫だって。私を信じなさい! まったくシンジも心配性なんだから」

2人のやり取りを苦笑を伴いながら聞いていた加持がベンチから腰を上げる。

「じゃあな、シンジ君」

「温泉から帰って来たらデートしようね」

言葉を残し2人も夜の闇へと消えていく。
公園に再び静寂が戻ってきた。
残されたシンジは闇の中、独り思いに馳せる。

奴らがどう動くか?
父さんは?
そして彼女は...。
分からない事が多すぎる。
だが...後手に回る訳にはいかない。
ガルムさん達もそれぞれの役割をこなしている。
今は僕も自分の役割をきっちりこなす事だけを考えよう。
僕に迷ってる時間は残されていないんだから。

「トウジ...」

シンジは高台から街を見下ろしながら厳しい目で未だ見えないモノを睨んでいた。


Please Mail to 葵 薫
( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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