『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第3章〜『運命の歯車』 第24話『家族と旅路(後編)』



暗闇の中に声が響き渡った。

「時が満ちつつあります」

暗闇の中、影は1つしかない。
――少年だ。

「碇シンジ君が、今日第3新東京市を離れます」

暗闇の中にありながら、少年の真紅の瞳は怪しい色を放っている。

「器の存在も確認しております」

彼の口元が醜く歪む。

「もう暫くお待ちください...母上...」



「プッハァァァ〜〜!!」

ミサトがギンギンに冷えた生中を喉に流し込み、ご満悦の笑顔を浮かべる。

「くぅぅぅっっ〜! やっぱ、この為に生きてるって感じよね!」

「おいおい葛城...」

「着いてそうそうビールとは...さすがミサトね...」

加持とアスカが呆れ顔でそれぞれ意見を述べる。

「いいじゃないのよ。楽しい旅行なんだからさぁ。あ、お兄さんビール追加ね」

そんな2人の言葉もなんのその、ミサトの陽気が変わることはない。
まだ太陽の位置は高い。
普段ネルフで仕事をしている時間帯だ。
皆が仕事をしている中、誰にはばかる事も無くビールを飲める――それも自腹を切らずにである。
ミサトにとってこれ以上の幸福はないだろう。

「さあさあ、加持もジャンジャン飲みなさいよ!」

「マ、マジか...葛城...」

すでにテーブル上のグラスの数は10を超えている。
加持も付き合って飲んでいるのだ。

「ったりまえでしょ。飲むわよぉ〜」



シンジ達一行は、ひなびた温泉旅館に来ていた。
本来なら豪華ホテルで豪華料理と洒落込みたかったのだが、何分制限が多いのだ。
ここはその制限の中でもミサトが練りに練った計画の下で算出された温泉宿だった。
外見は古いが海は近く、露天風呂からはオーシャンビューが楽しめるという特典付きだ。
人気はまばらでゆっくりとした雰囲気を楽しむ事が出来、温泉も密かに隠れた名湯らしい。
まさに通好みの温泉旅館なのであった。
さらに距離にしても車を飛ばして第3新東京市からおよそ3時間と近場である。
如何に司令の許可を貰っていても、この辺りが許されるぎりぎりの距離だった。
そんな制限内でよくもこれほどの旅館を発見した物だ。
いかにミサトがこの旅行に力を注いでいるかが窺える。
ちなみに参加しているメンツはミサト、シンジ、レイ、アスカ、加持、そしてペンペンの5人と1匹だった。
当初、加持が来るという事で不安げだったミサトとアスカだったが、加持の参加が認められたのはシンジの努力が実を結んだ結果だった。

「どうして加持までくんのよ!!」

「運転手ですよ。運転手がいないとミサトさんがお酒飲めないでしょ。それに...僕はミサトさんにもっと素直になってもらいたいんです」

「ど、どういう意味よ、それ...」

「そういう意味です」

「うっ...。ま、まあ仮に私が許可したとしても...」

「アスカですか?」

「えっ!?」

「アスカが最近加持さんを避けている事は知ってます」

「なっ、シンちゃんどうして知ってるのよ」

「それよりも、良いんですかミサトさん?」

「な、何がよ」

「アスカと加持さん...。このままじゃ本当に顔も合わせられなくなっちゃいますよ。僕はそんなのイヤです」

「で、でもね...シンちゃん」

「2人の間に何があったかは知りませんけど、この機会に...ね」

「そりゃあ、確かにそうだけど...」

「大丈夫ですよミサトさん。アスカだって本心から加持さんを嫌ったりしてませんよ」

「そう思いたいわね」

「会えば元に戻りますよ。加持さんも仲直りしたいみたいだったし...」

「ったく、いつの間に加持とそんなに仲良くなったわけ?」

「加持さんとミサトさんが会ってる合間に...ですよ」

「......」

「まあ、ミサトさんと加持さんの結婚式にアスカだけ来れないってのもどうかと思いますし」

「ど、どういう意味よ、それ...」

「そういう意味です」

「うっ......」

こういった経緯の上で、加持の参加もミサトがしぶしぶ納得し雪崩式に参加が決定した。
アスカも気にはしていたのだろう。それほど反対せずに参加を認めた。
もっとも、シンジ存在が了承の一役を担っていた事をミサトは感じていたが。
そして、温泉旅行当日――
再びアスカと加持が面を付き合せて数時間――出発の頃になると2人の関係は元に戻っていた。
たとえ、それが表面上の事だとしても、ミサトはシンジの言葉を聞き入れてよかったと思ったのだった。

「ったく...まぁミサトの事は加持さんに任せて、レイ。温泉に行くわよ!」

呆れ顔のアスカは、盛り上がってるミサトと加持を視界に捕らえながらも、シンジといっしょに座ってその様子を眺めていたレイに声をかける。
皆が集まっているここは大広間だ。
部屋は男部屋と女部屋の2つ取っていたが、着いて早々ミサトに連れられ、大広間にあつまっているのだった。このとき既にペンペンの姿は見えない。
そう、温泉ペンギンであるペンペンはすでに男湯へと姿を消していたのだ。
アスカの言葉にレイが答える。

「...私はいい」

「アンタバカ!? 温泉宿に来て温泉に入らない人がどの世界にいるのよ! つべこべ言わないでさっさと来る!!」

アスカらしく強気を前面に押し出しながらも、どこか楽しげに再度レイを誘う。
別に着いた早々温泉に入る必要はない。
だが、放って置けばレイはマンションにいる時と変わらない感覚で温泉に浸かるだろう。
温泉はお風呂に入るという意味だけで浸かるのではない。
そう思ったシンジは、困り顔で見つめてくるレイに苦笑しながらも、アスカのフォローをする。

「行っておいでよ綾波。たしかにお風呂としては後でも良いかもしれないけど、せっかくの温泉なんだから...。風呂の時しか入らないなんて勿体ないよ」

「...そう。碇くんがそう言うなら...」

シンジのその言葉にようやくレイがのそのそと立ち上がる。

「分かってんじゃないシンジ!」

口元に笑みを浮かべながらシンジを見つめるアスカの瞳は穏やかだった。

「そうかな? でも、あまり長湯して逆上せないようにね」

「女の長湯は当然でしょ!」

「私は...長くないわ」

「一般的な事を言ってんのよ! シンジこそ...覗いたら...殺すわよ」

言葉とは裏腹に、以前のような嫌悪感が感じられない。
シンジに限って...といった雰囲気がある。
それだけシンジはアスカに信用されているという事だろう。

「ははっ、分かってるよ」

無論、それが解っているシンジも笑って答えるのだった。



「ええなぁ〜。シンジ達は温泉やそうやないか」

「ホントだよ。僕達はこうして面白くもない授業を受けなくちゃいけないってのに」

トウジのボヤきにケンスケも同意を示す。
学校ではいつもと変わらぬ授業風景が広がっている。
とは言え、授業といえど聞いていなければ遊んでいるのと変わらないのだが...。
クラスの殆どの生徒が思い思いの事をしている。
教壇ではいつものように老教師が昔話に花を咲かせていた。
毎度の事とは言え、授業という授業でもなさそうだ。

「まあそうは言っても、アスカ達は普段休む暇さえないんだから...」

腐る2人を相手にヒカリが温泉に行った3人のフォローにまわっていたが、どうも言葉に力が籠っていない。
名目上は慰安旅行という事だったが、3人だけが学校を休んで旅行に行っているのだ。それも公然とである。羨ましくないわけがない。

「はぁ〜。ええのぉ」

「全くだよ。惣流達の浴衣姿...高く売れたろうに...。いや、シンジのもいい値が付くし...」

「それが目的かい!!」

「...それもだよ」

「ボヤかないの。あの3人は沖縄にも行けてないんだから...」

「せやけどのぉ〜」

朝から空しい会話が繰り返されている。
学校行事で旅行に行くのと個人で旅行に行くのとでは意味が違う。
個人旅行に決まりなどないのだ。
結局のところ3人とも――

『温泉に行きたい!!』

――の一言に尽きるのだ。
例え親友であろうとも羨ましいモノは羨ましいのだった。



羨ましいのに大人も子供もなかった。
いや、大人のほうが仕事をしている分、余計羨ましいのかもしれない。
それも、同僚や上司だけが旅行に行っていればなおさらであろう。

「いいよな...葛城さん達」

「全くだね。葛城三佐の事だから今頃ビールを浴びるほど飲んでるんだろうな」

「違いないね」

日向と青葉もトウジ達と意見は変わらないらしい。
いや、チルドレンに対する妬みじゃないのが違いと言えば違いだろう。

「今頃、温泉に浸かってゆっくりしてるんでしょうね...」

マヤも同意のようだ。
目の前に詰まれた書類の束を見れば誰でも同じ意見かも知れないが...。

「喋ってないで、さっさと仕事をしなさい!! 全く、ただでさえ忙しいんだから...」

リツコの激が飛ぶ。

「怖いです...今日の先輩」

「さあ、仕事仕事っと」

「触らぬ神に祟りなしってね」

どうやらリツコの機嫌が悪いらしい。
何故かはもはや言うまでもないだろう。

なんでミサトだけが...。

後にその日のリツコは鬼の形相だったと伝えられる。



「ふぅ〜。いいお湯だった」

浴衣に着替えた2人が女湯から出てくる。
その様子をシンジは温泉旅館には付き物の卓球台の横にある長イスから眺めていた。
ミサト達は大宴会の真っ最中だ。
その場にいればシンジにもミサトの魔の手が忍び寄ってくるのは明白だった。
つまり正確には、シンジはミサト達から逃げてきたのである。
部屋を出る時の加持の瞳が印象的だった。

「碇くん?」

そんなシンジをレイが目敏く発見する。

「えっシンジ!? ちょっと、何してんのよシンジ!! さてはアンタ...」

アスカの目が凶暴性を増す。

「ああ、違うよ。いや、その、なんて言うか...実は...ミサトさんが...ね」

シンジは笑顔を浮かべていたが、その笑いは引き攣っている。

「ハハ〜ン。さては加持さんを生け贄に逃げ出してきたって訳か...」

アスカは意地の悪そうな顔でシンジを睨みつけてくる。

「そんな生け贄なんて...ただ、ちょっと外の空気が吸いたかっただけだよ」

「同じ事でしょ!」

「ま、そうとも言うかな」

2人は顔を見合わせたまま笑い出す。
その横では、レイが顔を綻ばせている。

「あっ、そうだ!!」

不意にシンジが何かを思いついたように目を輝かせながら大声を上げる。

「どうしたのよシンジ。急に大声を上げて?」

アスカとレイも急に大声を上げたシンジに驚きの視線を送る。

「ああ、アスカにちょっと聞きたい事があったんだ」

「ん、アタシに聞きたい事? 何よ?」

「えっと...いや、ここじゃあ...その......」

シンジは頬を微かに染めながら上目遣いにアスカに視線を送る。

「あによ、ここじゃ言えない訳? ったく、しょうがないわねぇ」

そう言いつつもアスカもその話に興味が湧いたらしい。
シンジとアスカは2人してレイに視線を送る。

「...私、先に戻ってる」

レイが無表情に呟く。

「あっ、そお。ゴメンねレイ」

「ゴメン...綾波」

2人揃ってレイに言葉を投げ掛ける。

「...じゃ」

レイはそう呟くと、2人を残しミサトの待つ部屋へと歩き始めた。
アスカはレイを見送ると、満面の笑みでシンジに問いかけてくる。

「で、話って何よ」

「......」

シンジはアスカと違い緊張した面持ちを見せている。

「んん? どうしたのよ」

アスカは心底楽しそうだ。
シンジは俯き加減でアスカに視線を送ると呟くように言葉を発した。

「ねえアスカ...ちょっと散歩しない」



ネルフのメンバーが働いているセントラルドグマのさらに地下――ターミナルドグマに繋がる配管の中をマナは走っていた。

早く、知らせなきゃ...。

マナが今思うのはその事だけだった。
何故マナがターミナルドグマにいるのかと言うと、全ては加持による工作のお蔭だった。
この道は以前から加持が使用していた抜け道の1つだ。
ジオフロント――そしてネルフ本部のあるセントラルドグマは異様に広い。
元々人が住むために作られた空間ではないからだ。
その証拠に、未だジオフロントの大半は地中に埋まったままだ。
人間が、科学の力を用いて、その一部をヒトが使えるようにしただけなのだ。
そしてその広大さゆえに、分かる人が見れば抜け道は案外見つかるものだった。
結果、つねに加持はいくつもの抜け道を用意している。
マナはその1つを教えてもらい、地下のターミナルドグマの探索に赴いていたのだ。
そして――マナは重要な物を見つけた。
それはシンジが今現在もっとも必要としている情報だった。

シンジに早く知らせなきゃ...。

ゆえにマナは焦っていた。
最初にマナが見たものは大きな水槽。そしてその中を漂う無数の綾波レイ。
だが、その事実は既に話に聞いていた内容だ。
もちろん、現実に見るのは初めてだった為、マナも非常に驚きはしたのだが...。
しかしその驚きも、遥か彼方に消え去ってしまう。
それ以上に重要な物を見てしまったのだ。
それは鋼鉄製の大きな筒の様なモノだった。

ダミープラグ――

そう、シンジは呼んでいた。
それは危険な物だった。人の意思を無視し、ただ目の前の敵を倒す為だけの機械。
その試作品――。
加持がこの事実を知らなかったところを見ると、此処に運搬されたのは数日内だろう。
いや、リツコが中心になって行っていたのだ。製作も此処――ネルフ本部の何処かで行われていたと見るのが正しい。
この悪しき機械が次の使徒戦を左右するのだ。
しかし、ダミープラグがあるという事は――

あの綾波レイって女が協力している!?

そう思うのが妥当だろう。
だが、彼女はシンジの味方のはずだ。
このような作業に協力するとは考えにくい。
だから、シンジもダミープラグについての情報を求めているのだ。

とにかく急がなきゃ...。

マナは配管の中をひたすら地上目指して駆けていく。
と――

カラン!!

前方で音が聞こえる。
何かを落としたような音だ。

誰かいる!!

この先の配管は90度に曲がっている。
先は見えない。
マナは立ち止まると、太ももに挿していた銃を抜き、安全装置を外す。
銃口を前方に向けながらゆっくりと歩を進める。
一歩...二歩...。
徐々に足音が近づいてくる。
姿を隠すつもりはないらしい。
もう直ぐ先にいるようだ。
マナが足を止め、照準を曲がった配管の先に合わせる。
配管の先から人影が姿を見せる。
引き金を引こうとした指が止まる。その人影はマナのよく知る人物だった。
だが、なぜ彼がこんな所にいるのだろう。

「アベル!?」

マナが呟く。が少年は答えない。
少年は真紅の瞳に笑みを浮かべながら、ゆっくりとマナに近寄ってくるだけだった。
悠然と歩いてくるその姿は隙だらけだった。

なんでアベルが此処に居るの?

戸惑いを覚えながらも、アベルに声をかける。

「どうしたのよアベル。あなた、アメリカに居るんじゃ...」

言いかけた言葉を途中で止める。
直感が騒いでいる。

違う! アベルじゃない!!

――危険。
即座にマナは反応する。
距離を取ろうと思い切りバックステップしようとするが――身体が動かない。
自分の身体なのに全く反応しないのだ。

「ちょ...どうなってんのよ!!」

少年の真紅の瞳が怪しく光る。

「...霧島マナくん......少し付き合ってもらうよ...」

ゆっくりと少年の手が伸びてくる。

イヤ!
助けて...シンジ!!

だが、ここには誰も居ない。
少年の掌が額に触れたと思った瞬間、マナの意識は朦朧としてくる。

「シ...ン...ジ......」

そしてマナはそのまま意識を失った。



2人は旅館から少し歩いたところにある海辺まで歩いてきていた。
シンジは数歩アスカの前を歩いている。
アスカは困惑の表情を浮かべている。
それもそうだろう。急に呼び出された上、シンジは一言も喋らず少し前を歩いているのだ。
シンジの顔色も窺えない。
シンジは何を考えているのだろう。何の話があるというのだろうか。
浜辺はシンと静まり返っている。
人気は全くない。
さすがのアスカも心配になったのか、徐々に苛立ちを表し始めている。

「どこまで行こうってのよ! もういいでしょ」

アスカの叫びにようやくシンジの足が止まる。

「で、何の話があるっての?」

ゆっくりとアスカを振り返りながら、シンジが声を発した。

「ねぇアスカ。なぜアスカはエヴァに乗ってるの?」

突然の質問。
前振りもない突飛な質問にアスカが戸惑いを表す。
その問いはかつてアスカがレイに聞いた内容だった。
レイは言った。
――『絆』だと。
ではアスカ自身はどうなのか――

「アタシがエヴァに乗ってる理由...そんなの、他人に認めてもらう為に決まってるじゃない!」

アスカは強気な態度は崩さず、詰まることなく返事を返す。
だが、本当にそうだろうか?
かつてはそうだったかもしれない。
でも今は――

「本当に今もそう思ってるの?」

シンジの言葉に自らが心の中で呟いた言葉が重なる。

「ど、どういう...意味?」

シンジは瞳を閉じると、呟くように語り始めた。

「僕はこの間までそんな事考えた事もなかった。ただエヴァが怖くて...もう二度と乗りたくないって思ってた」

「...怖い?」

「うん。怖い。いや、『怖かった』というべきだろうね。だけど...使徒に飲み込まれて――ディラックの海に漂って...」

「......」

「初めてエヴァが怖く無くなった」

「...何でそう思ったのよ」

「ディラックの海の中で考えたんだ。考える時間は...十分にあったからね。エヴァって何だろう、何でエヴァに乗って戦うだろうって...」

シンジの言葉にアスカの顔色が変わる。

『エヴァって何だろう...』

シンジのこのセリフは、アスカの脳裏に地下のアダムの姿が浮かばせる。

『エヴァはアダムから作られたモノだ...』

そう加持は語った。
アダム――人類を襲った第1使徒。
そして――セカンドインパクトを起こした張本人。
アスカの鼓動が早くなる。

「使徒と唯一渡り合えるエヴァ。初めてネルフに来た時、リツコさんは言っていた...人類最後の切り札だって。考えてみたらネルフの技術って、他の企業よりも段違いに高いレベルだよね。でも、それでも...使徒にしてもエヴァにしても解らない事が多すぎる...」

「何が...言いたいのよ...」

一呼吸おいて、ゆっくりと瞳を開きながら、シンジが疑問を言葉にする。

「エヴァって本当に人間の手で作られた物なのかな?」

アスカの身体が僅かに震える。
周囲の温度が数度下がったように感じた。
だが、相反して掌や身体からは汗が滲んでくる。

「何故そんなふうに考えたんだろう。多分...母さんに抱かれていたからかもしれない」

「えっ?」

「僕はディラックの海に漂っている間、エヴァの中で暖かな...優しい何かに包まれているように感じたんだ。そう、まるで母さんに抱かれているように感じた」

「シンジのママ...を...」

驚きと同時に戸惑いを感じる。
エヴァはアダムから作られたモノ。
そのエヴァに母を感じたシンジ。

「うん。恐怖は感じなかったよ。死ぬかもしれない状況下でも、僕は母さんに守ってもらっていたからね」

「......」

「そして、薄れゆく意識の中で願ったんだ...『僕は死にたくない』『助けて母さん』って。恥ずかしいけどね。そうしたら...」

「...助かった...と...」

アスカの言葉にシンジは微笑みながら肯定を示すように首を縦に振る。

「そう。リツコさんは初号機が暴走したって言ってた。でも、違うんだ。母さんが助けてくれたんだよ」

「シ...ンジ......」

「だから、僕はこう思うようにしたんだ...エヴァに母さんが宿って僕を助けてくれているって。そう考えたら、エヴァが怖く無くなった。エヴァは味方なんだ」

エヴァが守ってくれる?
エヴァが味方?

シンジはエヴァに人の魂が込められているとでも言うのだろうか。
再び、アスカの脳裏に磔のアダムの姿が浮かぶ。

違う。エヴァはアダムから生まれたモノだ。
人類を――中に乗っている人間を守るわけが無い。
でも――

アスカは首を左右に振ると、浮かんでくるイメージを消し去ろうとする。

もう聞きたくない。
考えたくない。

恐怖が後から後から押し寄せてくる。

「そ、それがアタシに何の関係があるってのよ!!」

押し寄せる恐怖を振り払うかのようにアスカが叫ぶ

「ああ、ゴメン。話が逸れたね」

シンジは軽く笑うと鼻の頭を掻いて誤魔化す。

「つまり、エヴァが怖く無くなったって、使徒とは戦わなくちゃいけない訳だろ。だから何故戦うのかよく考えてみようって思ってさ。それでアスカの意見も聞こうと思って」

話が振り出しに戻る。
だが、言葉から伝わってくる印象は全く異なっている。

「ア、アタシは...他人に認めてもらう為に...乗ってる...」

「嘘」

「えっ!?」

「アスカは嘘を吐いてる...。だって、アスカは前の僕と同じようにエヴァを怖がってるだろ」

「怖がってなんか...ない!!」

「いや、怖がってるよ。違うなら何故、身体が震えてるのさ。エヴァの話になってずっと震えてる」

確かにアスカの身体は震えている。
それも微かにではなく、誰が見ても分かる位にはっきりと。

「震えてなんかない!! 怖くもない!! バカシンジのくせにアタシの何が分かるって言うのよ!!」

「分かる!! 分かるよアスカの事は!! だって...長い間アスカを見てきたんだから」

そう、ずっとずっと――
何度も時を巡って、アスカに巡り合って、ずっとアスカと共に歩いてきたんだから...。

「...シンジ!? な、何よそれ...どういう意味よ...」

アスカの言葉を掻き消すようにシンジは語り続ける。

「僕の知ってるアスカは、強くて優しくて寂しがりやの女の子だ。でも、どんなに苦しい事があっても逃げずに立ち向かうような...そんな子なんだ」

「......」

「どんな困難も避けて通るような子じゃない。乗り越えて進んでいく子だ。そして、だから僕はそんなアスカに憧れていたんだ」

シンジはアスカにではなく自分にも言い聞かせるように語る。

「もうアスカも気付いてるだろ。1人で解決できない事でも2人なら解決できるって...」

「!!」

「アスカ...独りで抱え込まないで、僕に相談してよ。僕は...いつだって...アスカの味方だよ」

「シンジ......」

「はははっ...ゴメン。ホントはそれが言いたかったんだ」

照れたように頬を掻くシンジ。
だが、反対にアスカは俯いてしまう
震えはもう止まってる。
だが――

ダメ!!

シンジの言葉を受け入れるわけにはいかない。

「め、迷惑よ...」

呟きは波の音に掻き消された。

「えっ!?」

聞き取れなかったシンジが再び問う。

「迷惑なのよ!!」

今度ははっきりと叫んだ。
もう止まらない――
口から言葉があふれ出てくる。

「アンタはアタシの何なの!? アタシの事なんか何にも知らないくせに...勝手な事ばっかり言わないでよ!!!」

「アスカ...」

「うるさい!! バカシンジの癖に、アタシの相談を聞く? ハン!! お笑い種ね」

「......」

「さっさとアタシの前から消えてよ!! アンタなんかと一瞬たりとも一緒に居たくない!!」

数瞬の後、シンジは悲しそうな表情を浮かべると、振り返り呟いた。

「...分かった」

そのままシンジはゆっくりと歩を進めていく。
シンジとアスカの距離が離れていく。
ようやくアスカが顔を上げるが、歩き去って行くシンジに何も言葉を発せない。
その顔には何とも言い難い表情が浮かんでいた。
苦悩と悲しみと切なさが入り混じったような表情――。
シンジは振り返らない。
アスカの頬に一筋の涙が流れた。



アスカと別れたシンジは旅館に向って歩を進めていた。
表情は俯いていてよく見えない。
だが、その足取りからは悲しみが伝わってくる。

「碇くん...」

傍らから声が聞こえてきた。
振り向くと真紅の瞳がこちらの様子を窺っている。

「綾波...」

ゆっくりとレイに近づいていくシンジ。

「どうしたの、こんな所で」

微笑を浮かべながらレイに話しかける。

「......」

「綾波?」

レイは答えない。
だが、その瞳から伝わってくるのは、悲しみと怒り――

「どうして...アスカにあんな事を言ったの?」

どうやらアスカとの会話を聞いていたようだ。

「......」

今度はシンジが沈黙する番だった。

「答えて! 碇くん!」

シンジの表情が変わる。
シンジは悲しみを宿らせた瞳でレイに語りかけた。

「...少し...歩こうか...」



アスカの頬に一筋の涙が流れた。

「......」

声がでない。
叫びたくても声にはならない。
どうして素直になれないんだろう。
何で言葉が口から出てこないんだろう。
素直じゃない私。
そう、アタシはいつだって1人で生きてきた。
だから、これからも1人で生きていく。
それが自分で決めたルールだ。

違う!
そうじゃない。

もう1人の自分が否定する。
ただ強がっているだけ。
そんな事は分かってる。
人は1人では生きていけない事くらい――
でも、ダメ。
甘えてはダメ。弱くなってはダメ。
そんなのアタシじゃないから。

でも、シンジだったら――
シンジになら甘えてもいいの?

いつでも私を助けてくれるシンジ。
アタシが我が儘を言っても笑って答えてくれる。
『チルドレンであるアスカ』ではなく、『惣流・アスカ・ラングレー』の我が儘を聞いてくれる。
繋ぎとめて欲しかった。
それでも傍にいて欲しかった。
でも――もう遅い。
シンジは行ってしまった。
時は戻らない。

「シンジ...」

やっと声が出る。
だが、シンジの姿はすでに見えない。
砂浜に水玉模様の染みが広がっていく。
その染みの上に崩れ落ちるように、アスカが膝をついた。
俯き、両の手で砂を握り締める。

「うあああっっっ!!」

大きくはないが思いの全てを込めた叫び――
だが、その叫びに答える者は誰もいなかった。



シンジとレイは旅館までの道を逸れ、林の中を歩いていた。
シンジの足が止まる。
レイもそれに倣って足を止めた。
レイを振り返るシンジ。
見つめあう瞳と瞳。
沈黙が生まれる。

「どうして、アスカにあんな話をしたの...」

質問を投げ掛ける。

「それがアスカに必要だと思ったから...」

答えを返す。

「怯えていたわ」

「分かってる。だけど、アスカなら乗り越えられる」

「どうしてそんな事が分かるの?」

「彼女が惣流・アスカ・ラングレーだから...」

2人の表情は何も映していない。
だがそれでも2人は瞳を逸らせたりしなかった。
ただ淡々と言葉を交わしているだけだ。

「答えになってないわ」

「どうしてそう思うのさ」

そのシンジの言葉にようやくレイの顔に感情が生まれる。
レイの顔に浮かんだ感情は怒り。
レイは怒っていた。
そしてシンジはそんなレイに乾いた笑顔を返す。
そして、再び...言葉を発した。

「それは...時間がないから」

「時間? 何の時間なの?」

「...全ての」

再び沈黙の帳が降りる。
この沈黙を破ったのはシンジだった。

「僕も1つ質問していいかな?」

シンジの表情が変わる。
笑顔が引き締まり、真顔へとなっていく。

「...何?」

レイも表情を消す。
いつもの無表情へと戻っていく。
そんなレイを気にも留めずにシンジは質問を投げ掛けた。

「キミは僕が知ってる『レイ』じゃないのか...」

「......」

レイは答えない。
レイの表情からも何も読み取れなかった。
シンジはそれ以上言葉を発しない。
レイも何も語らない。
2人の視線が交わっているだけだ。
再び沈黙――
どの位たったろうか、シンジは表情を崩し、笑顔を浮かべるとようやく言葉を発した。

「ごめん綾波...僕の気のせいみたいだ」

シンジはレイの秘密を追求しなかった。

「...そう」

レイも何も言わない。
だが、それでよかった。
2人にとってはそれで十分だった。

「さて...と、帰ろうか...綾波」

「ええ...」

シンジが微笑む。
レイもようやく微笑を浮かべる。
2人はそろって、元来た道を戻っていく。
その時、不意に草むらが風に煽られ音を鳴らす。

「......」

「...どうかした碇くん」

「...いや。綾波...悪いけど先に帰っててくれるかな?」

レイは一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、言葉に出しては

「わかったわ」

そう言っただけで1人元来た道を歩いていく。
レイの姿が見えなくなったのを見計らったように草むらから声が聞こえてくる。

「シンジ君...」

加持の声だ。
だが姿は現さない。

「どうしました?」

違和感を感じることなくシンジが訪ねる。
が、それきり言葉は返ってこない。
言葉を濁している。
そんな加持の様子にシンジの中を何かが横切った。
嫌な予感がする。

「加持...さん?」

再び問うシンジ。先程までと違い、言葉に緊張感があった。
数瞬後、ようやく加持が重い口調で言葉を発した。

「悪い知らせだ。彼女から――マナからの連絡が途絶えた」



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( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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