『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第3章〜『運命の歯車』 第25話『穏やかな日々、策謀の日々』



時は現代――
昼休みの学校は平穏と闘争の両面を持っていた。
この趣は全国共通して言える事だろう。
まあ、特別に集計を取ったわけではないので定かではないのだが――だがしかし、シンジ達が通っている第3新東京市立第壱中学校は、未だその趣は色濃く残す学校であった。
穏やかな空気が流れる学校内において、修羅場と化すのが食堂の一角である。
その中でも売店――通称:食の殿堂と呼ばれる――では毎日のようにパンの争奪戦が行われている。
勝者は微笑みパンを食し、敗者は涙し昼食を諦める。
まさに生死をかけた合戦場――それが昼休みの売店の日常だった。
売店の目玉商品は幻とまで言われるカツサンドであった。
限定で日に3つ。多くても5つしか発売されない。
運が良く激戦に勝ち抜いた者だけが手にする事が出来るお宝だった。
授業終了のチャイムが戦闘を告げる合図だ。
このチャイムが曲者だった。
クラスによってはチャイムが鳴っても、まだ授業を続ける教師もいる。
それだけで昼食を食いっぱぐれるのだ。
その為、中には昼食の為だけに、授業を抜け出したり、エスケープする生徒すら現れる始末だった。
一時はその事で生徒並びに教師からも苦情が出た事がある。
学校側の対応として『改善を試みる』とのコメントが発表されたが、未だ改善策は提示されていなかった。
そして今日も、全校生徒の内、弁当を持参しない者達が一斉に食の殿堂に駆け込んでいく。
それはシンジ達のクラス――2年A組でも変わらなかった。
筆頭はトウジである。
今日も今日とて全速力で食堂へと駆け込んで行った。
が――今日の結果は敗者となったらしい。
落ち込んだ表情...ではなく、さらに闘志を膨らませた表情で手にパンの入った袋を下げて帰ってきた。

「何だよトウジ。今日こそは勝ってカツサンドを手に入れるんじゃなかったのか?」

ケンスケが意地悪く声をかける。

「うっさいわい!」

トウジも結果を出せなかった為、苦々しくもそう答えるしかなかった。
とは言え、手にはパンの入った袋を持っているのだ。
カツサンドは手に入らなかったものの、他から見れば立派な勝者であった。

「明日こそ...明日こそは、勝負に勝ったるで!!」

「はいはい、がんばってね!」

「まかしとかんかい!!」

活をいれるトウジと茶化すケンスケのいつもの情景にシンジの顔がほころぶのだった。

「カツサンド1個にそこまでの闘志を燃やせるなんてね...いやいやご立派だ事」

そんなトウジ達に呆れ顔でアスカが声をかける。

「いや...アスカ...それはちょっと...」

シンジがアスカの言動に苦笑いを交え呟いた。

「ふん! シンジは黙ってなさいよ!」

旅行を帰って来て3日が経過し、アスカとシンジの関係は以前と同じ――元の鞘に収まっていた。
無論、両者とも内面は定かではないが、表面上は今迄と何ら変わらなく接している。
周りの友人達は旅行の間に2人の間で何かがあったなどとは露とも思っていないだろう。

「まあ、それはいいとして...弁当はいつもみたいに屋上でいいか?」

ケンスケが友人達の顔を見回しながら確認する。
皆、頷き了承を伝える。
面子はいつも通り6人。
元々はトウジとケンスケの2人だったが、そこにシンジが加わり、いつしかアスカ、レイ、ヒカリの女性陣も加わったのだ。

「ほなら、はよ屋上行って飯にしようや。ワシは腹減って辛抱たまらんわ」

その言葉に笑いが起こる。
変わらない日常がここにはあった。
それがシンジにとっての何よりの宝だった。

必ず、守ってみせる。
残された時間の全てを使っても...。
必ず...。

シンジは視線をトウジに向ける。

参号機のパイロットが誰か、今の状況では分からない。
やはりトウジなのか?
それとも...別の誰か...
でも、もしも...そう、もしもトウジだったとしても、必ず救ってみせるよ。
今度は失敗しないから...。

シンジは自らに改めて誓うのだった。

「じゃあ、行こうか」

ケンスケの言葉をキッカケに、皆はそろって屋上へと移動していった。



モニターには静止衛星からの映像が映し出されている。
アメリカの第2支部とその周辺を映し出していた映像だった。
モニター右下のカウントが『−』から『+』へと徐々に刻まれていく。
そのカウントが『0』になった時、映像の中心――何かの建物と思われる点を中心に爆発が広がっていった。
そして――映像は砂嵐に変わり、ブラックアウトする。
後に残されたのは巨大なクレーターのみ。他には何も残っていなかった。

「...酷いわね」

ミサトが呟くように言葉を発した。

「エヴァンゲリオン四号機ならびに半径89キロ以内の関連研究施設は全て消滅しました」

「数千人の人間も道連れにね」

マヤの報告にリツコが補足する。
その説明を聞きながらミサトは渋い顔を浮かべる。

まさか――第2支部が消滅するなんてね。

はっきり言って予想だにしない出来事だった。
リツコの表情からもそれは窺い知れる。

「タイムスケジュールから推測して、ドイツで修復したS2機関の搭載実験中の事故と思われます」

青葉が説明を続ける。

「予想される原因は材質の強度不足から設計初期段階のミスまで三万二千七百六十八通りです」

「...妨害工作の線もあるわね」

マヤの言葉にミサトが呻く様に言葉を繋げる。

「でも、爆発ではなく消滅なんでしょう。つまり...『消えた』と」

日向の言葉を肯定するかのように、頷きながらリツコが推論を述べる。

「たぶんディラックの海に飲み込まれたんでしょうね...先の初号機のように」

リツコの推論を聞いたミサトは表情も変えずに視線をリツコ向けると質問する。

「じゃあせっかく直したS2機関も...」

「パーよ...夢は費えたわね」

「よくわからない物を無理して使うからよ」

ミサトの言葉にリツコは無表情を返す。
だが、内面ではミサトを肯定していた。
いや、それ以上かもしれない。

確かにミサトの言う通りね。
でも...それはエヴァも同じだわ。
だけど方法が...それしかないのも事実。
ゲンドウさんの為にも失敗は許されない。
そう考えれば、今回の事故は良かったのかもしれない...。
これ以上の危険は冒したくないもの。
何より...『あの女』だけは起こさないようにしなければ...。



「えっ! 持って来てない訳?」

「ええ。作る暇がなかったの」

驚きの叫びを上げるアスカと対照的に、レイは淡々と事実を述べる。

「じゃ、じゃあ、お昼どうするつもりだったのよ!?」

「...別に1食くらい抜いても...死にはしないわ」

「そう言う問題じゃないでしょ!!」

アスカの表情は凶暴を通り越して凶悪となっている。
だが、レイはそれを飄々と受け流していた。

今朝は珍しくレイは寝坊をし、朝食もシンジが作ったのだった。
昨日シンクロテストの後、レイだけが居残りをしたのだ。
ちなみにシンジは昨日までは養生という事でテストは休みだった。
今日から復帰する事となっている。
アスカは定時で終わり帰ったのだが、何でもシンクロテストの際に不備があったらしく、レイだけがやり直しとなったようだ。
その結果、帰ったのはミサトといっしょで夜半過ぎだったらしい。
ミサトは当然のように朝は起きてこなかった。
アスカは「珍しい事もある」とただ単純に驚いていただけだったが、シンジはそんなレイに不審を抱いた。
原因は容易に想像出来る。
だが、レイに限ってそんな事があるのだろうか?
そう思う気持ちがあったのも事実だった。

「ま、まあアスカも...そんなに怒んなくても...」

「これが怒らずにいられる訳ないでしょうが!!」

ヒカリの言葉も怒髪天を衝いているアスカに届こうはずもなかった。

「...そんなに怒るなら、自分で作ればいいのに...」

「んな!?」

レイの一言にアスカの顔色が変わる。

「はいはい、2人ともそこまで!!」

今にもケンカをしそうな2人の間にシンジが割ってはいる。

「シンジは黙ってなさい!!」

「まあまあ、問題は昼食の弁当だろ。だったら...」

そう言うと、いつの間に持って来ていたのか、カバンの中から弁当箱を取り出し、アスカの前に差し出す。

「はい...アスカ」

「はえっ?」

アスカが素っ頓狂な声を上げ、驚きの表情でシンジの顔を覗き込む。
ニコリと微笑むシンジの笑顔に、瞬間湯沸かし器のように赤くなるアスカ。

「なんや、今日はシンジが作って来たんかいな」

トウジはそう言うと、視線をアスカに向け、からかうように言葉を投げ掛けた。

「よかったのう惣流。愛情籠ったシンジの弁当が食えて」

「は、はう!?」

「な、なんや...怒らんのかいな」

アスカの反撃を考えていた当時はアスカの態度に戸惑いを覚える。
珍しく俯くアスカを庇うように、ヒカリが話しに割ってはいった。

「まあいいじゃない。碇君、レイさんの分もあるの?」

「うん。もちろんだよ」

カバンから再び弁当を取り出すと、レイの手の上にゆっくりと乗せる。

「どうぞ」

「あ、ありが...とう」

レイの顔も赤くなる。

「おあついのぉ。シンジ」

「別にそんなんじゃないよ」

シンジが冷静に答える。

「そ、それじゃあ、食べましょうか」

無理やりこの話題を途切れさせる為、必要以上に大きな声でヒカリが宣言する。

「お、おう。ほなら...いただきます!」

「「「「「いただきます」」」」」

不思議な空気を漂わせながら、ようやくの食事となるのだった。



ネルフ本部内――ミサトとリツコがエレベーターに乗っている。
2人とも厳しい顔で何か話をしている。
先程の映像で見たアメリカの話だった。

「それで、残った参号機はどうなるの?」

ミサトの質問にリツコは手元のボードに視線を向けながら答えた。

「アメリカからのたっての希望で、うちで引き取る事になったわ。米国政府も第1支部まで失いたくないみたいね」

「はぁ? 何よそれ! 参号機と四号機は、あっちが建造権を主張して強引に作っていた訳でしょ。今さら危ない所だけをうちに押し付けるなんて...ホント、虫のいい話!!」

ミサトは怒りを通り越して、呆れ果てた表情を浮かべる。
それを見て苦笑しながらリツコが言葉を紡ぐ。

「まあ、そうは言っても、あの惨劇の後じゃさすがに弱気になるわよ」

「何にせよ、またここにエヴァが1機増える訳よね...」

ミサトも苦笑を返しながら言葉を返す。

「そうなるわね」

「なら、機動試験はどうする? パイロットは例の『ダミー』を使うのかしら?」

ミサトは苦笑いの表情のままだったが、その目は笑っていない。

「...これから決めるわ」

その事に気付いているのかどうか、リツコはボードに視線を戻すと呟くように答えた。



「んん!? そういや、ケンスケ。最近は弁当が多いのぉ」

早速パンを牛乳で腹に流し込みながら、トウジが隣で弁当を開いたケンスケに不思議そうに問う。

「そ、そうかな」

ケンスケが戸惑った声で答える。

「そうや」

「別に変じゃないでしょ。相田君、お母さんに作ってもらったのよね」

「う、うん」

「そいつはおかしいで。ケンスケんとこはオカン居らんはずや」

「えっ、そうなの?」

トウジの言葉に、ヒカリはすまなそうな視線をケンスケに向ける。

「ゴ、ゴメンね」

「い、いや、別にいいよ」

「で、誰に作ってもろたんや? 男らしゅう白状しいや」

「......」

答えないケンスケに皆の視線が集まる。

「相田...彼女でも出来たんじゃないの?」

ようやく再起動したアスカがボソリと呟く。
その途端にケンスケの顔が真っ赤に染まった。

「そうなんか!!」

ケンスケの態度に驚くトウジ。

「ま、まぁ...」

真っ赤な顔のまま緊張ぎみに肯定する。

「何で言わんのや...。ワイら親友やろが!!」

「い、いや...恥ずかしくてさ」

問い詰めモードに入りそうなトウジをシンジが止めに入る。

「まあ、いいじゃないトウジ。おめでとうケンスケ」

シンジの反応に戸惑い顔を浮かべる。

「えっ!? 祝福してくれるのか?」

絶対にからかわれると思っていた。
皆から彼女の事をしつこく聞いてくると思った。
だからケンスケは言い出せなかったのだ。
それを素直に喜んでくれるなんて――

「当たり前じゃないか?」

「せや、喜ばしい事やないか」

「おめでとう。相田君。彼女できてよかったわね」

「そうね。相田の彼女になってくれるなんて希少価値が高いんだからさ」

「...おめでとう」

口々に祝いの言葉を述べる。

「皆...ありがとう」

俯くケンスケの目尻に感動の涙が浮かんでいた。
暖かい雰囲気が辺りを包む。
だが、この面子でシリアスシーンがそう長く続く訳がない。

「で、いつ紹介してくれるんや!?」

「はいっ!?」

トウジの一言に、感動の涙が退いていく。

「せやから、彼女や」

「な、なんでさ」

「ケンスケの趣味とか...相手にちゃんと話しとかんとな」

「や、やめてくれぇ〜〜〜!!」

トウジのからかいに、ケンスケの絶叫が屋上に響き渡ったのはお約束である。



ミサトとリツコの2人は技術部長室――通称、リツコの実験室に居た。
松代での実験の話をするリツコとミサト。

「フォースを使うわよ...」

リツコのデータ見る。

「フォースが見つかったの?」

「ええ...」

リツコの口調はいつもと違い、何か歯に物が挟まった様に聞こえる。

「...何か訳ありのようね」

当然その事に気付いているミサトは、素直に問う。

「...そうね」

リツコはため息と共に、ミサトに書類を渡す。

「な、何よこれ...」

ミサトの瞳が微かに揺れた。



シンジは1人バス停でネルフ本部へ向うバスを待っていた。
アスカは週番の為まだ教室にいる。レイはアスカに乞われて手伝いをしているはずだ。
故に、シンジは1人ベンチに座ってバスを待っていたのだ。
不意に女性が現れ、バスの時間を確認するとシンジの横に座った。
美しい金髪が風にそよぐ。サングラスをしている為視線は分からないが、整った顔立ちの美女である。

「久しぶりね...シンジ君」

小声でシンジの名を呼ぶ。

「そうですね...エリスさん」

シンジも小声で応じた。
だが、二人とも唇は動いていない。
シンジの視線もエリスと呼ばれた女性には向いていない。
傍から見ると二人共ただベンチに座ってバスを待っているようにしか見えなかった。
二人はなおも互いを意識せず会話を続けた。

「第2支部が消滅したわ」

「そうですか」

「アベルの方は、どうやらうまくいったようよ。例のモノ手に入れた。ただ...」

エリスが言葉を濁す。

「最近、彼の様子が変だと言う話が入っているわ。たぶん例の事に関係していると思うのだけど...」

「...いつからですか?」

「...マナが居なくなった辺りからね」

「そう...ですか。アベルの方...」

「わかってるわ」

シンジの言葉を遮るように言葉を発する。
その時、ちょうど一台のバスがバス停に近づいて来る。
エリスがゆっくりと立ち上がりながら言葉を続けた。

「アベルの行動に気をつけておいて...でしょ」

「はい」

堂々と二人が会話をしないのはそれなりの訳があるからだった。
シンジはエヴァのパイロットである。エヴァがネルフの持つ全ての権限と活動の根底にある物であり、対使徒戦の切り札でもある事は周知の事実である。
そしてそのエヴァを14歳の少年少女が動かしているという事実。その事はシークレットとはされていたものの、ケンスケが知っていたように、これもすでに周知の事実であった。
チルドレンがいなければエヴァは動かない。故にチルドレン達は常に複数人の保安部員によって守られているのだ。
だがそれは警護の為だけとは限らない。チルドレンと他の組織との接触やスパイ活動等の監視も含まれているからだ。
特にシンジの監視は厳しい。他の二人と比べてその差は歴然だった。
その全ては、ゲンドウの指示であり、加持によって選抜された有能な者が常に監視をしているのである。
初号機の異常なまでの力――それがシンジへの畏怖と軽蔑、異端なモノへの興味を生み出していた。
ヒトは自分とは違うものに敏感に反応する生物である。元々ヒトは弱い生き物なのだ。
だからこそ特異な者に対して、一度恐怖の種に火がつくと、狂気となってその者を襲うという事となる。西洋の魔女狩りがいい例だろう。
そして現在――それは現在のネルフ職員に共通しているシンジへの思いと同意であった。
シンジの――初号機の見せた力はあまりにも大きい。だがその力を自分達――ヒトを守るために行使されている。故に暴動等は起きていないものの、シンジに対して余りいい感情を持っていない職員も少なくなかった。それは保安部員も含まれている。
それゆえ、危うい行動は僅かでも起こすわけにはいかないのだった。

「じゃ、今夜...例の場所で......」

「加持さんにも伝えておいてください」

「わかったわ」

バスが停車するとエリスはシンジにそう告げ、何事もなかったかのように到着したバスに乗り込んだ。
その間、シンジは微動だにしない。
違うバスを待っている。
二人の行動はバス停でバスを待っていた。ただそれだけの行為だった。
二人に接点があったなど誰にも知られる事はないだろう。
バスが出発するとシンジは今の話について思考を始める。

今夜...か...。
...あれからマナとは連絡がつかない。
加持さんも何の情報も得ていないようだし...。
マナは...やはり奴らの手に落ちたと考えるのが妥当だな。
とりあえず、第2支部の件はうまくいったようだ。
アベルはうまくやってくれた。
次は僕の番だ。

「さて、僕もがんばらないと...」

誰に言うともなく呟いたシンジの言葉は風に乗って周囲へと消えていった。



誰もいなくなった教室でトウジが懸命に机を並べていた。

「鈴原」

不意に声を掛けられる。

「ん...なんや...いいんちょやないか」

教室の扉のところからヒカリが話しかけてきたのだ。

「......鈴原......今日週番よね。もう1人は?」

周囲を窺うが、当然誰の姿も見えない。
分かっていて言ったのだ。
ようは誰もいない事を再度確認したかったのだろう。

「せや、さっきまで惣流と一緒やったんやが、NERVに行く用事があるゆうとったから、先に帰らせたんや」

「そう...なんだ」

ヒカリは答える。
実際の所、アスカが居ない事は知っている。
何分さっきまで一緒にいたのだから当然だ。
トウジが1人で教室にいると知っていて来たのだ。

「私...手伝おうか?」

「ほうか...そりゃあ助かるで」

「...うん」

トウジを手伝う事になったヒカリは、ゆっくりと教室に入っていく。
心臓がバクバクと音を立てている。
2人きり――
その思いがよけいにトウジを意識させる。
全てはアスカの企みだった。
ヒカリのトウジへの想いを知っているアスカが、一肌脱いだのだった。

がんばるのよ、ヒカリ!!
せっかくアスカがお膳立てしてくれたんだから...。

自らに気合を入れる。
そして、トウジに声をかけようとした時――

「それにしてもケンスケには驚いたよなぁ」

トウジがヒカリに視線を向け、声をかけてくる。

ドクン!!

心臓がひときわ大きく跳ねる。

「えっ?」

つい間抜けな返事を返してしまう。

「ケンスケやケンスケ。あいつに彼女が出来るとはのぉ...。正直驚いたで」

「そ、そうね...」

「それに弁当まで作ってもろおて...羨ましいのぉ」

羨ましいの言葉にヒカリが反応する。

チャンスよヒカリ!!
言うのよ...好きだって。

ヒカリは両手の掌を握り締め、勇気を振り絞って声を発する。

「す、鈴原...く...ん」

段々と声が小さくなる。

「ん? 何やイインチョ」

「あ、あのね...」

「......」

「そ、その...」

「あん? 何が言いたいんや?」

言葉が詰まる。
だが『好き』の一言が言葉にならない。

何か言わなくっちゃ...。
変に思われちゃう...。

「だ、だから...その...お、お弁当...。そう、お弁当!!」

やっと言葉になったが、言いたい言葉は口から出てこない。

ああ〜っ。もう私ったら何言ってんのよ!!

だが、すでにヒカリの頭の中は真っ白になっていた。

「ん? おお、ケンスケの事か...ほんま羨ましいで」

「そう...なんだ。...鈴原は誰か作ってくれる人いないの?」

「ああ、ケンスケと一緒でうちもオカンが居らんからな」

今よ!
言うのよヒカリ!!

ヒカリは勇気を振り絞り、再びチャレンジを試みる。
が、気持ちとは裏腹に勝手に関係ない言葉がポンポンと出てくる。

「あ、あのね...私、姉妹が2人いてね...名前はコダマとノゾミって言うんだけど...いつもお弁当、私が作ってるんだ...」

「そりゃあ難儀な事やなぁ」

「だ、だから...こう見えても私いがいと料理上手かったりするんだ...」

「ほぉ、そりゃすごいやないか! イインチョはええ嫁さんになるで!!」

ええ嫁さんになるで――
ええ嫁さんに――
嫁さんに――

トウジの言葉がリフレインする。
その言葉にボンと頭から湯気が出そうになった。

「えっ...っと...だ、だから私...い、いつも...お弁当の材料が...あ、余っちゃうんだ...」

すでに自分が何を口走っているのか分からなくなっている。

「なんや、そりゃあ勿体無い! 捨てるくらいなら持ってきい。残飯処理なら、幾らでもワシが手伝うたるで」

「えっ!? う、うん...なら...手伝って...」

「おう。なんぼでも食うたるで」

「じゃ、じゃあ明日作ってくる」

「分かった。なら、楽しみしとるからな」

「や...約束ね...」

「おう、約束や!」

その約束だけでヒカリは舞い上がってしまう。
すでに告白の事など頭から綺麗さっぱりと消えていた。
が、明日から弁当を作ってくる約束を漕ぎ着けた。
1歩ほどトウジとの距離が縮まったのは間違いなかった。



ネルフではいつものようにシンクロテストが行われていた。

「シンクロ率66%!?」

リツコの表情が大きく揺れる。

「突然どうしたんですかね、シンジ君。でもすごいですね」

マヤが驚嘆の声を上げる。
そう、あのシンジがシンクロ率66%を叩き出しているのだ。

「この短期間で3倍...幾らなんでも不自然すぎるわ!!」

驚愕と共に急激な成果を訝しがるリツコ。
確かに3人の中では最も低いシンクロ率ではある。
だが、先の使徒戦の前と比べると3倍強に伸びている。
シンクロ率は1日、2日でそんなに極端に伸びるものではない。
例え伸びたとしても、予測範囲は10%位と思われていた。
それが突然の3倍増――つまり40%以上伸びたのである。
今までシンクロ率に殆ど変化を見せることがなかったシンジの成長――言うまでもなく、それは不自然さを如実に表していた。
勿論、シンクロ率のアップはけして悪いことではない。
戦力と考えれば、格段に嬉しい出来事ではある。
確かに嬉しい出来事ではあるのだが...。

やはり、『彼女』が目覚めたと言うの?
いえ、目覚めたのであれば、こんなものじゃないはず。
だとすると、やはりシンジ君の成長と考えるしかない...。
だけど...

先にも述べたように、この伸び方は異常である。
あの異常とも思える初号機の『力』の発現。
そのとき弾き出されたシンクロ率は200%だった。

やはり『彼女』だけの力とは考えられない...。
鍵はやはり彼ね...。

碇シンジ――今のリツコにとって、もっとも理解が出来ない存在である。
すでにミサトからは聞かされていたが、先の使徒戦の後――ディラックの海から帰ってきてからのシンジはまるで別人のように見えた。
今日、自分の目で見てはっきりそう感じた。
あの落ち着き様。雰囲気。態度。そして――突然のシンクロ率の上昇。
どれをとっても別人としか思えない。
無論、あらゆる検査は行った。考え付く限りのありとあらゆる方面からである。
だが示された結果は――やはり普通の少年だった。それも『何処にでもいる』である。
DNA検査からシンジ本人であることも確認済みだ。

碇シンジ...彼は一体何者なの?

リツコの頭脳をもってしても解き明かせない謎。
科学で証明できない事はない。少なくともリツコはそう考えている。
どんな難解な問題でも、それがたとえ今の科学力では解明できないとしても、未来なら解明できるはずなのだ。
だが、あの初号機の見せた力だけは、どんなに科学が進んでも解明できるとは思えなかった。
そして『彼女』の力だけでは起こせない現象だとも思った。
そう、S2機関を取り込んでいるならまだしも、未だ初号機にその形跡は見られない。
その状態でのあの無尽蔵とも思える力の放出――
そんな事が出来るのは一般に『神』と呼ばれる存在くらいしか思いつかない。
それ故に科学者として、興味と共に恐怖を感じてしまうのだった。
そんなリツコの表情を後ろから眺めていたミサトも、シンジに対して違和感を多大に感じていた。
家族だから解かる違い――
家族なればこそ解かる違い――

貴方は私の知ってるシンジ君よね。

ミサトはシンジの変化に対して過剰なほどの心配をしていた。
ミサトの知っている碇シンジは内向的で、内罰的で、人見知りが激しく、それでいて誰よりも心の優しい少年。
そして――彼女にとって大切な『弟』。
確かに彼らしさは多大に感じる。と同時に彼らしくない事も多大に感じていた。
だからこそ心配する。不安になる。

貴方は私のシンジ君よね。

私のシンジ君でいてほしい!
その願いと不安は、彼女の心の中に大きな波紋を描くのだった。



シンクロテスト終了後、NERV休憩室で加持がマヤと談笑をしていた。
だが、そんな二人から醸し出される雰囲気は、ただ雑談をしているとは思えない。
いうなれば、ナンパしている男とナンパされている女の雰囲気だ。

「今晩...空いてるかな?」

加持がそう切り出すと、

「いいんですか? 葛城三佐に怒られますよ」

マヤがそう切り返す。
だが、マヤから加持に対する嫌悪感は全くとは言わないがほとんど感じられない。
それが解かっているのか、さらに加持が言葉を紡ぐ。

「フッ...今はんな事は考える必要はないさ」

と――
ちょうどそこに話題の女性――ミサトが現れる。

「じゃ、じゃあ、私はこれで...」

目聡くその姿を捉えたマヤは、そそくさとその場を去っていく。
が、加持はそれに動じることもなく、相変わらずの軽い笑顔と調子でミサトに声をかけた。

「よっ、葛城」

「この忙しい時にうちの若い子に手を出さないでもらいたいわね」

「なら、葛城ならいいかな?」

いつもの笑顔を見せる加持に、怒るでもなく、だが鋭い視線と表情を浮かべてミサトが答える。

「話の内容次第ね」

「...ほう」

加持が珍しいものを見たという表情を浮かべる。

「で、何が聞きたいのかな?」

二人は対照的に見えた。
すなわち、余裕のある加持と余裕のないミサトである。

「...フォースチルドレンが選出されたわ」

「...」

加持は静かにミサトの話を聞いている。
無言で先を促す加持。それはすなわち、加持がすでにその情報を得ている事を意味している。
無論、ミサトもそんな事は百も承知で話をしたのだ。
自分が間違っていない事を確認するのため、あえてそこから話を切り出したのである。

「マルドゥックから私の所には連絡が来ていなかった...。知ってるのは...リツコから教えてもらったから...」

「...で」

「あなたは...もちろん知っていたんでしょう...」

「...まあな」

冷たい笑みを浮かべるミサトに、楽しそうな笑顔で答える。

「じゃあ、私が言いたい事はわかってるわね...」

「...さて?」

「惚けないで!!」

ミサトの鋭く、それでいて有無を言わさぬ声が加持に突き刺さる。
このような状況に陥った場合、通常は何らかの反応が見られるはずである。あくまで一般人は――であるが。
だが加持は、それを何事もなかったかのように、さらりと受け流した。
そして、あくまで軽く、それでいて諭すような口調で言葉を返した。

「おいおい、いつもの葛城らしくないんじゃないか」

「...形振り構ってられないのよ。指令やリツコが何か隠している事は知ってる...。あなたと見たアレ...」

「葛城...」

加持はミサトの鋭く輝くような瞳をじっと見つめる。
瞳の中に己の姿が映っている。
瞳に映る加持の眼差しは今までと同じように優しい光を放っていたが、どこか悲しげで、それでいて厳しい色合いも含んでいた。
ミサトはそんな加持の視線に解かってるとでも言うように、ゆっくりと手を上げて制するが、なお追及の手は緩めようとはしなかった。

「言いたい事は解かるわ。でも...私には......真実を知る権利があるわ」

「...」

「私が言いたい事...解かるわよね」

「...」

「加持君!!」

鋭い視線で加持を睨む。視線で人を殺せたら――そんな視線だった。
だが――

「...葛城...無理は止めたほうがいい」

加持は変わらぬ笑顔と声でミサトに話しかける。
だが、内容は全く違う事を指し示している。
ミサトもそれがわかったのか、言いかけた言葉を飲み込んだ。
数瞬の沈黙の後、ようやくミサトの表情が柔らかなものになっていく。

「...そうね。私らしくないわね」

「ああそうだ。それでこそ葛城だ」

二人はそう言うと微笑みあった。
先ほどまでとは違い、柔らかな空気が二人を包んでいる。

「なら...今度こそ......『今』なら教えてくれるんでしょ」

「...ああ、『今』の葛城になら...な」



「あっ、ミサトさん。ここに居たんですか」

通路の先からシンジが歩いてくる。

「ん? どうしたのシンちゃん?」

「研究室でリツコさんが呼んでましたよ」

笑顔で答えるシンジに

「そう。ありがと」

そう言葉を返し、柔らかに微笑む。そしてリツコの研究室に行くべく、ゆっくりと歩き出した。
と――
不意に立ち止まり、振り返ると加持に声をかける。

「加持くん...ありがと」

対して加持はただ片手を上げて軽く微笑むだけだった。
だが、ミサトにはそれで十分だった。
言わなくても解かる――今の二人なら。
二人はミサトを見送ると、視線を交わす。
加持はおどけた口調で傍らに立つシンジに声をかけた。

「たまには、どうだいお茶でも」

「僕は男ですが...それでもよければ......」

「もちろん。お礼に、美人の女性を紹介するよ。来るかい?」

「ええ。それは嬉しいですね」

加持の飄々とした雰囲気と対照的に、どこか儚げでそれでいて存在感ある矛盾した雰囲気を醸し出すシンジ。
そんな二人は、互いに笑いあうと本部内からジオフロントに向けゆっくりと歩き出した。



漆黒の闇が辺りを覆い尽くしている。

コポコポ...

小さな泡が長方形の筒のようなものに浸している液体にその形状を描く。
人が一人入るくらいサイズで円筒形をしている。
いや、実際にその液体の中にある人物がたゆたっていた。

綾波レイ――
それがこの液体――LCLの中で瞳を閉じて漂っている人物だった。
その身体は衣類等何も纏っていない。生まれたままの姿で静かにまるで眠っているかのように、その深紅の瞳は瞼の裏に収められている。

「レイ...」

円筒形の筒――擬似プラグの傍らに立つゲンドウがゆっくりと声をかける。

「...ハイ」

レイはゆっくりと瞼を開き、その深紅の瞳でゲンドウを見つめる。

「もう少しだ...もう少しで完成する」

「...ハイ」

「もうしばらく...力を貸してほしい。お前はその為に存在しているのだからな...」

「...ハイ」

そんなレイの返事に、ゲンドウは目を細めて微笑むと、満足そうに頷くのであった。



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