EVA -- Frame by Frame --

 

<第3話 アルマジロのジレンマ>

 

「クエエエッ!」

 さも悔しそうな奇声を発し、彼は抜き取ったカードを収めた。そしてくるりとシンジに背を向けると、慣れぬ手つきでカードを並べ替える。

 そのペンギンは再び向き直ると、今度は意外にも器用に鈎爪を使って何枚かのカードを扇状にしゅばっと広げた。胸を張り、シンジの考え込む表情をじっと見つめている。鳥類の凝視というのは、至近距離だとけっこう不気味だったりする。葛城家の主、ミサトはまだ仕事だ。

「じゃあ、これかな?」

 なお一層ふんぞり返った同居人、いや同居鳥類−−名をペンペンという−−の様子を見れば、「ババ」を引いたことは明らかだったが、一度手を触れたカードは引くのが仁義、シンジはさっき抜かせたばかりのカードを再び手の内におさめることとなった。

 

 虚しい。

 

 ペンペンはえっへん、とばかりに両の羽根を歓喜の雄叫びとともに打ち羽ばたかせる。

 

 ぱたぱたぱた。

 

(飛んだら、どうしよう)

 さすがにそれはないだろうとシンジ思うものの、さらに何回かカードを引き、ついにおのれの敗北が決した時には、無辺の蒼穹へと高らかに飛翔してゆくペンギンの勇姿が脳裏をよぎって行った。

 

 ぱたぱたぱた。

 

 その横顔にたそがれた微笑みが浮かびかけたが、頬にずきりと痛みが走るのが一瞬だけ先んじた。

 

***

 

「すまんなあ、転校生。ワシはお前を殴らないかん。殴っとかな気が済まへんのや」

 なぜだか分からないまま、呼び出され、裏庭で殴られた。

「悪いね。この間のアレで、コイツの妹さん、怪我しちゃってさ」

 鼻息荒い少年、鈴原トウジのそばで、大きな丸いフレームの眼鏡をかけた少年が解説役を引き受けた。

「アレって...」

「そ、エヴァンゲリオンの戦闘さ」

 シンジには謝るにしても、言葉がみつからなかった。しょせん、大人たちがせっせといそしむ「誠意」というコトバのやりとりなど、醜怪なものだ。黙って殴られることが、シンジには自分の気持ちに素直になる唯一の方法だった。それに、転校して二週間、まともに仲間と口をきいたこともない。話すきっかけもなかった。

 だが、下を向いたまま次の言葉をうかがうシンジに投げかけられたのは意外な問いだった。

「で、どうだった?コクピットの様子とか。どんな武装があるんだよ?」

「えっ?」

 相田ケンスケと名乗ったクラスメートは、目を輝かせてシンジに歩み寄る。いじめるなら、さっさと本題に入ればいい−−そう思っていたシンジには、何やら違う展開となっていた。これまでの彼には絶対境界線だった間合いに、たやすくケンスケは割って入った。トウジは鉄拳制裁でケジメをつけたのか、ミリタリーマニアの親友の燃えさかる好奇心にはわれ関せずのようだ。腕を組んだまま、口をへの字に曲げて仁王立ちしている。

「なあ、ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃないか」

 身構えていたシンジだったが、無邪気ともいえるケンスケの好奇心に、つい肩の力がぬけた。一介の中学生が、エヴァンゲリオンという極秘のはずの正式名を知っていることに警戒心を覚えるような態勢にはない。

「そんなの、覚えてないよ。さっきも言ったけど、出ていってすぐに、使徒に...化け物に体当たりされて...電源ケーブルで縛られて...ぶら下げられてたんだ...」

 クラスでエヴァのパイロットだと大騒ぎになった後、自分はまるで戦力にならなかったことは、途切れ途切れに説明した。おかげで偽物のヒーローにはならずに済んだのだが。そうして思いに沈む道すがら、シンジは今日はじめて知ったその苗字をつぶやくように口にした。

「あれは綾波が...戦ったんだ...」

 今日になって気がついたことは、他にもあった。無口で、誰とも会話らしい会話をしないこと、休み時間には一人で本を読んでいること、暗いエヴァのケージの中では気がつかなかったが、紅く美しい瞳の持ち主であること。

 ケンスケは意外な情報に目を丸くするが、やがて、やれやれ、という感じで質問の矛先を収めた。だがそれと入れ違いに、今度はトウジが急に詰め寄る。

「何やて?もう一度ゆうてみい」

 シンジは強引に肩を捕まれた。

「自分、怪我したおなごに戦わせて、その間、逆さ吊りにされてのびとったゆうんか?」

「だって、動かなかったんだ。どうしようもないんだ」

 シンジにできるのはただうつむき、唇を噛むだけだった。トウジの憤りがまっすぐな義憤から来ることはわかる。けれど−−

「とことん情けないやっちゃな。どのツラ下げて出てこれるんじゃ?!」

「そんなの、分からないよ」

「分からんかったら、分かれ!」

「分からない!」

 今度はシンジもムキになって言い返そうとする。学級委員長の洞木ヒカリが止めに入らなければ、成り行きとはいえ、もう一発、拳が飛んでいただろう。どちらに転んでいても、シンジにとって気の重い幕切れには違いなかった。

 

***

 

 午後の日射しが、三人の少年と一人の少女の上に照りつける。それぞれの思いを内に秘め、物言わずにかれらは教室に戻って行った。

 少年達をせかしながら、ヒカリは不安になる。淡い想いをよせる少年が、武骨な「漢」を子供っぽい単純さでもって演じようとしていることはいつも見ていた。だが−−

(鈴原ったら、綾波さんのことが好きなの?)

 転入してきてからも、学校を休みがちな少女のことは、ヒカリもよく知らない。必要最小限のことしか語らず、いや、必要なことすらも無表情な沈黙を答えにかえる彼女は、誰にとっても現実感のない存在だったから。

 

***

 

 翌日。

 目標をセンターに入れて−−

 自動機械のように、シンジは動作を反復した。仮想空間に、ポリゴン処理された化け物−−この間の「使徒」だ−−が現れ、弾丸が命中するたびに倒れていく。

「ATフィールドの位相・強度とも安定しています。使徒の逆位相の波形を生成することも、これなら可能です」

「まさに才能というべきね」

 試験場では技術部のマヤとリツコが言葉を交わしていた。ATフィールド−−使徒とエヴァだけがもつ、絶対境界。一切の通常兵器を受けつけない輝ける「場」。それをシンジの初号機が理想的な状態で発生している。適性は完璧、後は実戦に対する応用の問題だ。

「でも、学校にも行かないで、いいんでしょうか」

「彼にもあるのよ、色々と」

 不意に、遠いものを見る顔になった上司をマヤは不思議に思ったが、すぐに再び作業に没入していった。あの少年が、訓練を受けるという積極的な姿勢から学校を休んだとは思えない。しかし、マヤに今できるのは、自分の仕事を果たすことだけ。

 目標をセンターに入れて−−

 掌に、硬質な反動がフィードバックされる。熱した銃身の温度が肌に伝わってきた。感覚データも仮想的に実現されたものだが、戦闘の訓練はリアルなほどよいという作戦部長・ミサトの判断だった。

 死ぬことは怖くない。今までの来し方も、死んでいるようなものだったから。

 あの時、何かが変わると思った。でも、無力で臆病な自分は、エヴァに乗っても同じだった。今はまた、こうして流されている。

(でも、どうしてだろう...この中にいると温もりを感じる...妙に懐かしい感覚がする)

 行き場のどこにもない自分、エヴァの胎内に安堵する自分、巨大な兵器を取って容赦なく放つ自分−−シンジはそこから一本の糸を紡ぎ出すことができないでいた。

 

***

 

 そして数日後。

 保護者、ということになったらしいミサトに豪快にどやしつけられて、シンジは再び学校へと向かった。特訓だって、24時間続くわけではない。マンションで時間をもてあまし、ペンペン相手にババ抜きをしても、圧倒的なまでに負けがこんでは、再挑戦する気もしぼむ。もともと誰に、何に抵抗していたわけではない。否が応でも関わりをもってしまったクラスメート達と、どう接してよいかわからないだけだったのだから。ここは処世術のままに、おとなしくミサトの命令に従うのみである。

「クウゥ〜」

 ペンペンに見送られて登校しながら、それでも気持ちは沈んでいく。

 黒いジャージの少年−−鈴原トウジ−−に殴られたのは仕方のないことだった。自分のせいで、人が傷ついた。怒りをぶつけられたって、当然だ。それでも、軽傷だったらしいことは聞き知った。自分の乗ったエヴァ初号機が本格的に暴れていたら、状況は違っただろう。シンジは複雑な気持ちになった。

 問題は、次に会ったとき、どんな顔をして接すればいいのか。これまでと同じように、薄い言葉を交わしていくのか?

 それと、綾波。

 何を話す?謝る?そんな資格、僕にあるのか?あの時、エヴァに乗ろうとした時の気持ちは何だったんだろう。でも、確かめたい。何かを話したい。

 小さな公園のそばを通りかかる。一瞬、今日もやっぱり学校をさぼろうかと思う。しかし、トコトコと駆け寄る子供の額から汗を優しげに拭いてやる若い母親の姿を見ると、シンジは足早にそこを離れた。

 

***

 

 授業も今のシンジにとっては、気まずい時の隙間をうめるブロックだった。それでも、時々視線は宙を泳ぎ、じっと窓際の席で外を見つめる少女の様子をうかがってしまう−−幼い罪悪感を感じながら。

 綾波レイは学校に来ていた。頬杖をつきながら、じっと窓の外に視線を向けている。前ほどではないが、まだ包帯が痛々しい。右の目はふさがれたまま。

 まなざしを固定していると、遠近感がなくなる。

「...これが、世にいうセカンドインパクトであります...」

 終わらない夏。

 鳥が一羽、木の幹をかすめるようにすばやい影を残して飛び去った。嘴には獲物のセミがくわえられている。窓を開けていたなら、急に音色の変わったセミの断末魔がかりそめの静かさを破ったにちがいない。

 レイは視線を教室の中に転じ、机の上の端末をうつむいてぼんやりと追っている少年を見やる。光の調節を瞳孔がすぐにはしてくれず、軽い現実からの剥離を感じる。さっきまで少年から見つめられていたことなど、知るよしもない。

「...その頃、私は根府川に住んでましてねえ...」

 するうち、授業は終わりを迎えた。シンジは立ち上がり、レイの方に向かいかけるが、顔を伏せて文庫本を読むレイに気づく。何呼吸かのためらいの後、シンジはいたたまれずに教室を出た。その時、顔を上げたレイの紅い隻眼が、背中を追っていたことを知ることもなく。

 もどかしい視線のすれ違いは、昼休みまで幾度も繰り返された。それを観察させられることになった少年達が呆れて言う。

「何しとるんや、あいつら」

「うーん、これはアルマジロのジレンマってヤツだな」

「はあ?」

「アルマジロの場合、互いに近寄りたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど、不安のあまり体を丸めて防御してしまう。人間にも同じことが言えるんだな。それで...」

「ほいで、どないなんねや」

「コロコロと転がっていって、気がついたらまた離ればなれってわけさ。ま、碇くらいはオレたちが声をかけてやろうぜ」

 

***

 

 そして昼休みも終わる頃−−

 

「んで、親バレしそうになってさあ。ビビったぁ」

「そこのあんみつ、トッピングが色々で〜」

「わり〜、数学の宿題、うつさせてくれ!」

 

−−シンジは人との接触を避けようと、屋上にいた。

 

「こんなところにおったんか、転校生」

 この間の少年達、トウジとケンスケだった。

「まだ、何か言うことがあるの?」

「それはないだろ。仲間に声をかけるのは、当然じゃないか」

「でも...鈴原君には、ほんとに悪かったと思って」

「トウジでええ。もう済んだこっちゃ」

「え?」

 シンジはさも意外という顔をしてトウジと目を合わせた。ぶっきらぼうな口調とはうらはらに、優しい笑い顔がシンジを迎えた。

「おまえもシンジでいいだろ?おれもケンスケって呼んでくれよ」

「うっ、うん。僕なんかでよかったら」

 ぷっ、とトウジが吹き出す。その表情にはもはやシンジに対する憤りはなかった。

「あんさん、そら一つ間違ったらプロポーズのセリフやで。わては男の友情は大事にするが、<さぶ>とはちゃう。ま、天然も才能のうちや。大事に生かしぃ」

 関西系のトウジをけろりと笑かすとは、(こいつ、顔によらずデキル)と認識を新たにしたケンスケであった。

 それからしばらく、まだ少し距離感の不安定な会話を続けていたシンジの表情が急に変わった。意外な様子に、トウジとケンスケがその視線を追うより早く、レイの小さい、しかし透き通る声が耳をとらえる。

「非常召集...先、行くから」

 それだけ言い残すと、レイは少年達に背を向けた。顔色一つ変えず、この日を予測していたかのように。

「あっ、待って...一緒に行く」

 レイを追うように走り去ったシンジの背中を送りながら、トウジはつぶやいた。

「綾波が、自分から口をききよった」

「これは事件と言うべきだね」

 数十分後には、二人はシェルターの中の人となる。そしてさらに数十分後には、再び地上の人となるのだが−−

 

***

 

「碇司令のいぬ間に、第4の使徒襲来。意外と早かったわね」

「前は15年のブランク、今回はたったの3週間ですからねえ」

「こっちの都合はお構いなしか。女性に嫌われるタイプね」

「それだけの甲斐性があるんでしょう」


 

Episode 03: A Transmigration

 


本日正午に、東海地方を中心とした関東・ 中部地方の全域に特別非常事態宣言が発令されました。

詳しい情報は入り次第、お伝えいたします。

TV VHF

 

***

 

「今回の対使徒戦は、零号機と初号機による共同作戦とします」

 すでにエヴァ搭乗用の服−−プラグスーツと呼ぶことをシンジは教わっていた−−にレイとシンジは着替えている。

「初号機がAポイントから前線に出て、陽動戦を行います。Bポイントまで引きつけてから、零号機と共にATフィールドを中和しつつ、近距離からの一斉砲撃」

 二人のエヴァ操縦適格者<Children>は短く了解の返事をした。使徒のATフィールドをエヴァ本体の力で無効化し、エヴァならびにネルフ装備の兵器からの物理的衝撃によって撃破する−−それが基本的な戦闘の方針だった。

「それから、シンジ君」

「はい」

「あなたの役割は使徒を引きつけて誘導することだから、決して深追いはしないでね」

「はい」

 

***

 

「シンジ君、大丈夫かしら?」

 パイロット達が退出した後で、リツコが言う。

「自分で提案しておいて、それはないんじゃない?」

 現場指揮を預かるミサトにしてみれば、もっともな反応だ。

「零号機は完調とはほど遠いのよ。制御系に不安がある機体を陽動戦には使えないわ。それに、レイ自身も。神経回路は一日にして成らず、ってこと。運動野の神経マップを再活性化するには時間が必要なの。つまりリハビリ期間ね」

「そんな満身創痍の子供を戦場に送り出してでも生き残る。非道いものね」

「まともな死に方ができるとは思わないでね」

「分かってるわよ」

「本当に?」

 その言葉に、一瞬だけ火花が散る。ミサトの苛烈なまなざしと、リツコの冷徹なまなざしと。

「今は、あの子達を信じるしかないのよ」

「そうね。作戦のサポートは全力でするわ。それも信じて」

 ミサトが力強く肯くのを待たず、リツコは踵を返して持ち場についた。敵性体の光学観測による形状、大きさ、およびATフィールドの強度といったデータが次々に入力され、解析にかかる。

(本当に、大丈夫だといいけど...)

 人前では決して口に出さない希望的観測を、リツコは胸の内で解放した。その横顔がわずかに曇った。

 使徒は理不尽な滑らかさで碧空に浮かびつつ、第三新東京市の市街部に迫っていた。ATフィールドの聖衣をまとった使徒に、通常兵器による迎撃はやはり無効だった。

 

***

 

 地上に射出されたエヴァンゲリオン初号機を前に、使徒は一瞬動きを止めた。

 目標をセンターに入れて−−

 初号機はパレットガンを構えると、フルオートで弾丸を撃ち出し、またたく間に弾倉は空になる。

 使徒の体内で、一つの映像が鮮やかに甦る。爆煙の向こうに立つ紫蘭のネメシス。今、なすべきこと−−

 その本能は、反射的に攻撃を開始した。そこにあるのは、絶対の拒絶。

 使徒の触手から放たれた光の「鞭」は、初号機のもつパレットガンをなで切りにすると、袈裟懸けに肩の装甲を切り裂き、もう一方の触手は横なぐりに初号機の頭部を激しく弾いた。

 今、なすべきこと。ケーブルを断ち切ること。一瞬、意識が遠のき、よろめいた初号機の紐帯−−アンビリカルケーブル−−を、使徒は一撃で切断する。遙けき記憶は命じる。このネメシスの力が尽きるまで距離をとって攻撃せよ。しかる後、滅殺。

「電源を!27番から回して!」

 

 4:53

 

 通信機を通じて飛び込んできた叫び声に、シンジは軽い脳震盪から回復した。見ると、バッテリーの残量カウンターが確実に減りつつあることに気づく。だが転げ周りながらではミサトの指示をフォローすることもできない。その間にも使徒は兵装ビルをいとも簡単に薙ぎ倒し、シンジを追いつめていった。その展開は、陽動の域をとっくに越え、誘導ポイントからは離れる一方だった。

 使徒の両腕にあたる触手−−光の鞭−−は斬撃だけでなく、突撃・打撃と自在に初号機を襲った。そして崩れ落ちたビルにひるんだ時、シンジは足首に焼けるような感覚を覚える。何が起きたのかを確かめることもできぬまま、初号機は宙空に放り投げられていた。

 地響きとともに、初号機の巨体が山肌に叩きつけられた。

 

***

 

 ふわり、と気色の悪い浮遊感を味わった二人の少年は、衝撃と共に再び地面の固さを足元に感じとると、おそるおそる目を開いた。砂塵で口の中がしゃりしゃりする。使徒を迎え撃つべく出ていったシンジとレイが心配になって、シェルターから様子を見るために忍び出たのだった。もっとも、ケンスケにとっては、巨大な人型兵器の戦闘をカメラにおさめたいという欲望に忠実な行動だったのも事実だが。

 目の前には、濃い紫色の構造物。涙目でそおっと視線を巡らせると、少年たちは自分たちのいるのが、錯覚でも何でもなく、エヴァンゲリオンの指の間であることに気づいた。そして遠目にもはっきりと分かる、異国の僧衣を思わせる流麗なフォルムの化け物が迫って来ることにも。それは両脇から二本の輝く触手を伸ばし、すぐにでも彼らを襲ってくるように見えた。

(トウジ、ケンスケ!)

 エヴァの中で、シンジは驚いた。こんなところに民間人が、しかも友達になれたばかりの仲間がいるなんて。なぜ、と考える余裕はない。 

「通常、エヴァは有線からの電力供給で稼働しています。非常時に体内電池に切り替えると、蓄電容量の関係で、フルで一分。ゲインを利用しても、せいぜい五分しか稼働出来ないの。これが私達の科学の限界」

 シンジはリツコから説明されたエヴァのスペックを思い返した。あと4分で、何をする?モニタの一角に表示されるマップは、使徒の動線を避けてたどりつける電源設備が存在しないことを表していた。

 使徒は初号機に対し、再び光の鞭を浴びせかけてきた。大気を焦がし、高速で振り下ろされる二本の鞭を、シンジは必死に受け止め、握りしめる。またたく間に両手の装甲が焼けて剥がれ落ち、火傷するような痛みが襲った。

「何で戦わんのや?」

「オレたちがここにいるから、自由に動けないんだ」

 

 3:28

 

「シンジ君、そこの二人を操縦席へ」

 司令部からミサトの指示が入った。

「許可のない民間人をエントリープラグに乗せられると思っているの」

 音声モニタからはリツコの責めるような声が聞こえる。

「私が許可します!」

「越権行為よ、葛城一尉」

 

 3:00

 

「エヴァは現行命令でホールド。その間にエントリープラグ排出。急いで」

 そうだ。今しか、ない。シンジはレバーを握る手に力を込めると、初号機の背中を浮かせ、装甲を開いてエントリープラグを外部に露出させた。

「そこの二人、乗って!早く!」

「シンジ、シンジか?!」

「早く!」

 物見の少年二人は、とにかくもエヴァの操縦者が入るという円筒形の構造物に身を投じた。LCLと呼ばれるオレンジ色の液体に満たされたプラグ内で体をよじりながら、二人は慌てて口をぱくぱくさせる。

「ぐをををををををを(ごぼごぼ)」

「あうっ、ディスクが(ぐふぐふ)、僕の、カメラがあああっ(ごふごふ)」

 同時に、初号機の活動レベルが落ちた。使徒はこの時を待っていたように、掴まれた触手を振りほどき、自由の身となった。直後、プラグの再エントリーが完了し、エヴァは稼動態勢に入ろうとする。だが、体が重い。発令所に警報信号が鳴り響いた。

「神経系統に異常発生」

「異物を二つもプラグに挿入したからよ」

 使徒はそんな反応にはお構いなしに加速すると、初号機に攻撃を開始した。触手を振り下ろし、なぶるように追いつめる。対抗する武器のない初号機は、ただ山肌を転がって身をかわすだけだった。

「レイは?!」

 ミサトが叫ぶ。

「迎撃地点のBポイントからでは遠すぎます。初号機付近の32番ゲートまで搬送します」

「急いで!初号機の回収もお願い」

 発令所のモニタには、搬送される零号機内のレイが映った。かすかに唇を噛んでいる。前回の使徒戦に比べれば状態はずっとましたが、激しい動きに耐えられるとは思えない。ルートが直線に入り、はね上がったGにレイは顔を歪める。

 モニタを見守りながら、冬月は戦況を分析した。総司令たる碇ゲンドウはこの場にない。現場の統轄についてほぼ同等の権限をもつ冬月といえども、レイの「運用」は管轄外であった。今次の戦闘は、つまるところ初号機を囮に、零号機の陽電子砲で決めるしかない。

(囮で済めばいいが...)

「砲撃の照準計算は?」

「データ入力は93%まで完了。零号機の地上射出20秒後の射撃を想定して計算します」

 状況の全てがつかめたわけではなかったが、この間の情報はシンジの初号機にも伝わっていた。

 

 2:10

 

(くっ...)

 シンジはレバーを固く握りしめながら、唇を噛んだ。エヴァの反応速度が明らかに遅い。「異物」のクラスメート二人の存在が神経パルスに干渉していることは彼でも想像がつくが、それを言い訳にしたくはなかった。しかし、回避行動にも限界がある。隙をついて左右から繰り出された光の鞭をかわすことは、もはやできなかった。攻撃を受け続けるシンジの体を、焼けた火箸を押しつけられるような激痛が襲う。

(ここを...離れなきゃ)

 だが、シンジが一気にジャンプして前線を離脱しようとした瞬間、使徒の触手はエヴァの足元に絡みつき、再びその巨体を地面に叩きつけた。外部装甲には幾筋もの焼け焦げた亀裂が走っていた。ただれた素体部分からは、体液の蒸発する煙があがる。シンジはなおも必死に離脱のきっかけを見出そうとするが、使徒は巧妙な動きでそれを封じていく。決して逃すことなく、最適の距離をとりながら、確実にダメージを増大させる狡猾さがそこにはあった。

 使徒の攻撃パターンを解析しながら、リツコはいぶかしむ。

(明らかにこの使徒には、戦術能力がある。でも−−)

 二本の触手の切れ味は見たとおりだ。

(−−この間合いの取り方は?)

 リツコは軍の人間ではない。しかし、科学者として、生物であれ機械であれ、合理的な行動とは何か、ということは理解している。使徒は今、間違いなく合理的に行動している。あるいは、合理的過ぎるほどに。

(まるで、初号機の活動限界を見切っているよう)

「レイを急がせて!攻撃時間を繰り上げます。軌道計算のデータは私に回して。いいわね、葛城一尉?」

 ミサトは旧友にして同僚のただならぬ申し出を、即断で受け入れた。

 シンジは苦痛に顔をしかめている。二人の少年も、LCLからのフィードバックをわずかに感じるのか、体がこわばっている。

 

 0:43

 

 発令所のオペレーター達はこの事態にパニック寸前だった。初号機のプラグ内でもまた、トウジとケンスケは歯の根が合わぬほど震えていた。二人の恐慌からくる心理グラフへの干渉は、制御の限界を越えようとしていた。

「シンジくん!あとはレイに任せて、帰投しなさい」

 それが出来れば、などと言い返す間もなく、シンジは確実に追いつめられていった。もはや正常な判断のできる状態ではなかった。いや増しに早鐘を打つ胸の鼓動が、耳の奥でドクン、と増幅され、自分のものではないように思われる。頭の片隅から、真っ白な領域が急速に広がっていくのを感じながら、シンジはエヴァの武装を必死に思い返した。

(武器...!)

 シンジは肩部装甲のラックからナイフを取り出し、握りしめた。少年の掌の中で、原始的な生存本能と攻撃の欲求が弾けた。眼球は目前の使徒一点へと凝固する。

「うわあああっ!」

 エヴァ初号機は、本来のスピードを取り戻し、使徒の体の赤い光球−−コア−−をめがけ突っ込んでいった。生き抜くために。見知らぬ明日にまた出会うために。

「戻りなさい!命令違反よっ!」

 だが初号機を前に、使徒はその攻撃を予想していたかのように、軽々と青天に舞い上がる。同時に使徒は光の鞭をぴしりと振り下ろし、ナイフを初号機の掌から奪い取った。シンジの最後の武器はその手を離れて放り投げられ、はるか遠くのビルの谷間に突き刺さった。

 勝ち誇る使徒がその言葉を知っていたなら、突き立ったナイフを、墓標と呼ばわったことだろう。

 

 0:30

 

 再び地上すれすれに急降下した使徒は、今までになく距離を詰め、両方の触手を初号機の胴体に一直線に撃ち込んだ。茫然とする初号機に逃れる道はなく、腹部を貫通されたまま、倒れることすら出来ずに動きを止められる。一秒ごとに四肢の痺れが増し、シンジの体から感覚がなくなっていく。苦痛と入れ替わりに襲った悔しさで、シンジの目に涙がにじむ。「異物」の少年たちは言葉もなくLCLの中を漂うしかなかった。

 

 0:18

 

(シンジ...)

(おまえ...)

 

 0:03

 0:02

 0:01

 

「エヴァ初号機、活動停止」

 紫蘭の巨人が氷結する。それは絶望のフリーズ・フレーム。

 使徒はこの時を待ちわびていたように、動きの止まった初号機の胴体から両方の触手をずるり、と引き抜いた。そして一方の触手を一閃させると、初号機の巨体を山肌に打ち倒す。仰向けになったまま沈黙するかつてのネメシス=初号機を前に、使徒は容赦なく光の鞭を浴びせかけていった。一撃ごとに、装甲は破損し、肉が裂け、骨の軋む音がモニタされていく。やがて使徒は、照準を初号機の胸の中央に定めると、狂ったように集中攻撃を開始する。

(どうして...動いてよ...)

 レバーを引き絞り、シンジはうめく。

「もう...ミサイルでも何でも、ありったけ撃ち込んで!」

 だが使徒のATフィールドが健在である限り、目くらましにすらならない。硝煙の向こう側では、一方的な破壊の行為が続いていた。

「初号機、胸部装甲に亀裂」

 マヤの声がかすれる。

(動け...動け...動け...動け...)

 シンジは狂ったようにレバーを引く手に力をこめる。

(お願いだ、動いてよ!...何もできないなんて...もうイヤなんだ...)

 なおも使徒は両の触手をリズミカルに繰り出し、初号機の胸部を抉っていく。そして装甲が完全に剥ぎ取られ、その下のエヴァの素体からは、使徒がもつのと全く変わらぬ赤い光球が露わにされた。

(あれは...?!)

 ミサトはそう言いたくなる気持ちを封じ込め、指示を続けた。

「プラグを強制排出!」

「だめです。ノイズが混じって信号を認識しません」

「そんな...」

 操縦席のシンジはもがきながら、ただ奇跡を叫ぶだけだった。

(動け...動け...動け...動け...)

 使徒の光の鞭はなおも容赦なく、初号機の胸の光球に襲いかかる。活動限界を越え、シンクロは止んでいても、コアを砕かんとする使徒の攻撃から伝わってくる衝撃は、シンジの心を傷めるものだった。エントリープラグには亀裂が入っていく。

(動いてよ!...母さん...)

 その時、使徒の動きが止まった。初号機の双眼に禍々しい光が宿り、かつてない力の奔流が生まれる。周囲の空気がイオン化したのか、映像がブン、と揺らぐ。初号機が獣のように上体を跳ね起こすと、地鳴りのような魔性の咆吼と共に、その顎部装甲が砕け飛ぶ。さきほどの防御態勢とはレベルの違う圧倒的な力がみなぎり、初号機は一瞬で使徒の触手を絞り上げていた。

「初号機、再起動!」

「ATフィールドは再び活性化...いえ、計測値の有効範囲を遙かに越えた数値です」

 モニタを見ながら、青葉が報告する。その声は震えていた。

「シンクロ率も上昇中...100を越えました!150...200...」

「いかん!」

 冬月は蒼白になって叫ぶ。

(彼女が、目覚めるというの?)

 リツコは愕然とする。

 モニタの片隅では、不意に顔を上げ、何かを強く求めるようなレイの姿があった。零号機はリニアレールの上を地上に向けて疾走している。

 

<つづく>

2001.8.16(同9.12改訂;2007.10.9オーバーホール)

Hoffnung

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