EVA -- Frame by Frame --

 

<第6話 激戦、第三新東京市>

 

 それはもう見知らぬ天井ではなかった。

(また、ここだ)

 だが、決定的な違いが一つある。

(あの使徒...)

 八面体の幾何学的形態をした雷天使。今度は、使徒殲滅を果たしての帰還ではない。

 不意にあることに少年は気づく。それは声となってこぼれた。

「綾波...!」

 あの時、使徒の放った光線は一条ではなかったはずだ。二機のエヴァをもってしても歯が立たぬ敵。

(どうするんだ...)

 

***

 

 実寸大バルーン・ダミーによるフェイク、自走臼砲からの攻撃、誘導兵器による攻撃、どれも結果は同じだった。遠距離からでも目視可能なほどのATフィールド−−朱金の壁−−によって攻撃は弾かれ、直後に加粒子砲と思われる光線の逆襲を受ける。同時に、その下部から伸びたボーリング機構は、確実にジオフロントの特殊装甲を貫き、本部施設の中枢へと近づいていた。

「攻守共にほぼパーペキ、まさに空中要塞ね」

 ミサトの言葉はパーフェクトかつカンペキに正しかった。

「使徒の加粒子砲のパワーは私達の陽電子砲の比ではないわ」

 リツコが現実を認める。

「国内最大級の粒子加速器が筑波研のアレですからね」

 マヤがデータの一部を指さしながらリツコにこぼす。

「せめて、待兼山のイゾルデが建設されていれば、類推可能な基礎データが入ったんでしょうけど」

 マドカがフォローする。

「白旗でもあげますか?」

 そんな軽口を言う日向をとがめる者はいなかった。ナンセンスな精神主義を信奉する者はこの特務機関ネルフにはいない。敗北主義者もいないのではあるが。

「波動砲でも欲しいわよね...」

 ないものは、ない。ミサトはしかし、一つのことに思い当たる。

「そういえば戦自で開発中の陽電子砲、最大出力は?」

「徴収する気?あの目標のATフィールドを使徒の射程外の長距離から貫くには...」

 リツコは手元の端末に指を走らせる。

「日本中の電力が必要ね。送電途中の減衰を計算に入れるとそれでもギリギリ」

 

***

 

「綾波、大丈夫だったんだ」

 シンジは部屋に入ってきたレイの姿を認めると、半身をベッドから起こした。

「よかった」

「そう...」

 理由を明晰に述べられるほど、シンジは能弁ではない。ただ、薄いため息をついてレイを見返すだけだった。

「あれは、使徒は?」

「目標は現在、本部に向かって侵攻中。第二層まで突破したそうよ」

「それで、僕たちは?」

「今は作戦会議中、別命あるまで待機」

 

***

 

「マギは賛成2、条件つき賛成1で支持、か」

 ミサトは計算結果を見てつぶやいた。今、会議室には旧友と二人きりだ。時間は限られている。あのボーリング機構が本部の心臓部に達した時が、敗北の時なのだ。

「聞いてほしいことがあるの、葛城一尉」

 リツコが煙草の火を消し、口を開く。

「これまでの戦闘データを解析すると、不審な点がいくつかあるのよ」

「不審て、工作の形跡でもあるの?」

「いえ、データは事実の通りよ。問題は使徒の動き」

「どういうこと?」

「この間の第四使徒戦、覚えてるでしょ。シンジ君が出ていって、弾着の煙で視界が悪くなったところを攻撃された−−」

「ええ」

「アンビリカルケーブルを切断するまでは、通常の攻撃の一部と考えていいかもしれない。でもその後、初号機と、まるで活動限界を計っていたかのような狡猾な距離のとり方をしていたと思わない?そして、シンジ君の最後の突撃を予測したようにかわした」

「つまり、こっちの攻撃パターンを先読みしているってこと?」

「最悪の場合、そうね」

「そういえば第三使徒戦でも、戦闘態勢のできていない初号機はとるに足らず、と見て放っておいて、そのままジオフロントに侵攻、か。確かに戦術能力はありそうね」

(いえ、初号機を置き去りにしたのは、その逆。暴走させると自らの破滅を招くことを、使徒は知っていた)

 その推論を却下する材料がないことに、リツコの体温はすうっと下がっていった。

「使徒が本当の予知能力をもっているとは、私も思わない。だけど、エヴァの能力や動きを把握している可能性は高いと思わないと」

 今度はミサトが黙り込んだ。爪を噛む目がすわっている。

「西洋で、決闘が流行らなくなった理由の一つが−−」

 作戦部長の意外な発言に、リツコはとりあえず先を促すことにした。

「拳銃の性能が完成されるにしたがって、相討ちばかりになったからだ、ってどこかで聞いたわ。士官学校の時かしら」

「昔は火薬が湿っていたりもしたでしょうね」

「そう。だけど技術が進歩して、命中率も上がってからは、一、二の三で撃つと、弾丸は互いの胸をめがけて一直線」

 みなまで聞かずに、リツコは作戦をマギでシミュレートした。

「使徒のエネルギーは事実上無限。こちらが射程外から攻撃するといっても、それが真に射程外である保証はない。ましてこちらの攻撃が読まれているとすれば−−」

 ディスプレイを見て、リツコは憂鬱なため息をつく。もう一本、煙草に手がのびる。

「これを見て」

「初弾は互いに干渉して、どちらも外れる?」

「ええ。次弾の装填の速いほうが勝つわ。よくて相討ち。それをしのごうと思えば、エヴァを盾にするしかない」

「レイかシンジ君が犠牲になるってこと?」

「あるいは、両方」

「くっ...」

 使徒の加粒子砲の力はすでに見たとおりだ。ほとんど原型をとどめずに溶け落ち、歪んだ初号機の胸部装甲を思い返す。時間差で攻撃を受けた零号機も、レイの迅速な状況判断がなければ、損傷はずっと大きかったろう。

「しかも...聞いてる?」

「続けて、リツコ」

「初弾の外れることを前提として出力を抑えた上で、次弾をいち早く装填して決するという戦法もあるけど、使徒もそれを知らないという保証はない。ゲーム理論の応用問題よ、これは。フルパワーをどこで投入すればいいのか、決定不能ということ。けっきょく、使徒は常時フルパワーを発揮できて、かつ、こちらの戦術を予測しうる、という限りにおいて−−」

「必敗、ってこと?」

「未知数が多すぎるわ。でも勝率が当初の予測値の8.7%を大きく割り込むことは確かね」

 その時、部屋に日向が緊張した面持ちで入ってきた。

 

***

 

(やっぱ可愛いよなあ)

 サブ・オペレータとして技術部に配属されたばかりのマドカのデータを密かにチェックしつつ、青葉は萌えていた。同僚の日向は、すでに上司である葛城一尉の下僕となりつつある。そして紅一点だったマヤは、なぜか赤木博士一直線だ。消去法でいけば、このオレはマドカさんと結ばれる運命にあるに違いない。

 身長、158cm、体重、44kg、スリーサイズは−−

 そんなもの、健康管理センターのデータにあるわけがない。それでも青葉はマドカのγ−GTPのデータをチェックしながら(<ヲイヲイ)、どのくらい飲ませれば酔いつぶれるかなどと、あらぬ思いに萌えさかっているのであった。

 そんな時、手元のコンソールが、会議の招集を告げる。

(生きるか死ぬかの時にこれだから、人間ていうのは妙なもんだな)

 なぜか悟っている青葉シゲルであった。

 

***

 

「どうしたの、日向君?」

「マギを使ってこれまでのデータを再検討してみました。あくまで推論ですが−−」

 日向は端末からファイルを開き、大型モニタに映し出す。

「この数値は?」

 リツコがデータの一部に注目した。焦りとは無縁に見える彼女だが、こうしている間にも、使徒の一部が本部の特殊装甲をまた一層と貫通していることを思わずにはいられない。

「使徒の加粒子砲のタイムラグです。再加速プロセスには、一定の時間が必要のようです。体内のエネルギー反応の大きさから見て、初号機と零号機への攻撃がこれまでの最大出力と思われますが、出力が高いほど、ラグは広がるようですね。また、このデータが示すように、違う方角への照射においても、わずかながらラグが増しています」

「でも、試行回数が限られているし、正確な予測は無理ね...いずれにせよ、使徒の計算アルゴリズムが全く想像できないものである以上、ラグがあるという事実をそのまま認めるしかないわ」

「エヴァが先制攻撃をされたのは?」

 こんどはミサトが質問する。

「さきの出撃では、使徒は起動したエヴァのATフィールドを感知したものと思われます。初号機が先に攻撃されたのは、シンクロ率の高さからくるフィールドの相対的な強さに反応したと考えるのが妥当です。攻撃に対する自動報復だけでなく、エヴァに対しては攻撃がなくても敵性体として排除したと見るべきでしょう」

「ちょっと待って!」

 ミサトが鋭い声を発する。

「つまり、使徒にとって、ATフィールドを発生する存在は優先目標となるわけね?」

「可能性としては...ですが」

「よーし。やったろーじゃない」

 

***

 

「宮里一尉、入ります」

 ドアが開き、小さくキレのある敬礼をして、戦略自衛隊の尉官は本部に入室した。

「たった今、ネルフ作戦部より入電がありました。さきに要請があった陽電子砲の徴収を撤回するとのことです」

「理由は?」

「文書には、記載ありません」

 部隊の指揮官と思われる男は、いぶかしげな表情をした。

「ネルフは何を考えている?」

 秘書官らしき男が気のない調子で答える。

「しょせん素人軍隊ということでしょう」

 

***

 

「フェイクと言っても、模擬体が二機しかありませんが」

「決まってるじゃない、世界中から集めるのよん」

 そして、エヴァ建造計画の立ち上がっている各地のネルフ支部から、模擬体および未完成ながらもプロトタイプ−−正確にはそのコアパーツと言うべきだろうが−−が徴収された。本部に搬入された順に、技術部の総力を結集して、急造の改修が加えられることになっていた。

 

 オセアニア支部からは海戦用エヴァのプロトタイプと模擬体。

 ユーラシア支部からは瀋陽から模擬体が一機。

 同じくイルクーツクからもプロトタイプが一機。

 ドイツから輸送中の弐号機の模擬体も先行して曳航されている。

 

「アメリカ支部は、無しですか?」

「間に合わないそうよ。SSTOでも何でも使えっての。こんな非常時にメンツにこだわってどうすんのよ。あくまでも参号機と四号機の建造権を死守するつもりね」

「世の中には、人類の存続よりも自国の利益が大事って人がけっこういるということよ」

 リツコがなだめる。

「さて、七機のエヴァフェイクの運用だけど−−」

「その問題は技術部で解決します」

 リツコはちらりとマヤに目線をくれた−−自信、あり。マヤは目線を落とし、こくり、と肯く。

 会議は、これまでだ。

「以後、本作戦をソロモン作戦と呼称します!」

 思わず(げっ、総員玉砕ですか?)と問いかけようとした日向だったが、ミサトの輝ける気迫に思わず直立不動の姿勢をとった。

「世界中の財宝を集めて塵にするからよ」

 確かに、投入されるコストという点では、ソロモンの伝説にふさわしい破天荒の作戦だった。「世界」と引き替えにするのでない限り、決してありえない作戦。

 日向には、(女王様とお呼び!)という上司の声が聞こえてくるようだった。そう、チルドレンはソロモン女王の指輪。作戦遂行へと向け、誰もが不安をかかえつつも持ち場へと散っていった。

 

***

 

「寝ぼけて、その格好で来ないでね」

「え、どうして?」

「...(ぽっ)...」

「うわああ」

 

***

 

 複数のキーボードを猛烈なスピードで叩きながら、リツコはちらりとマヤの方を見た。

「どうしたの?」

「いえ、別に...」

「これであの計画、遂行が繰り上がるわね」

 その言葉に、マヤの童顔が暗然とした憂いをおびる。

「センパイを尊敬してますし、自分の仕事はします。でも、納得はできません」

「潔癖性はね、つらいわよ...」

 リツコはため息をついた。その手は少しも休まることはないのだが。

 マヤは尊敬する上司の横顔を見やった。この人が、わたしの想像の及ばないところで、常人はずれた激務をこなし、E計画の暗黒面を知り尽くしていることは確かだ。それなのに、この研ぎ澄まされた理知と美貌は...

 わたしには、ついて行くしかないのだ。

 

***

 

 発令所に主要スタッフが集まっている。すでにプラグスーツに着替えた二人のエヴァ操縦者もスタンバっている。

「反対する理由はない。やりたまえ、葛城一尉」

 

 ミサトが方針を説明する。

「本作戦における、各担当を伝達します。オフェンスはシンジ君の初号機。シンジ君はシンクロ率ゼロの状態から、初動の瞬間に一気に上限まで引き上げて。これは使徒に存在を気取られないためよ。通常兵器による攻撃も全火力を投入して行うわ。シンジ君は、使徒と接触する最後の一瞬で、コア一点を破壊すること」

「武器は、何を使うんですか?」

「高エネルギー体は察知される恐れがあるから、エヴァ本体の力で瞬時に最大の物理的衝撃を与えるには−−ということで、あれを見て」

 発令所のスクリーンのウインドウの一つに、技術開発部第二課の様子が映されている。

「かたな...ですか」

「プログブレードと言ってほしかったわね。付け焼き刃じゃないわよ。単分子結合のブレードだから、ATフィールドさえ中和すれば、どんな物体でも一刀両断。うちの第二課も、なかなかやるわね」

「零号機は?」

「レイは遠隔操作でフェイクを動かして。方法はリツコが教えてくれるわ」

「そんなことできるんですか?」

 シンジがまっとうな質問をする。

「ん、あのリツコがやると言って、できなかったことは一度もないから」

 

 後方では小声の会話が始まっていた。

「こんな形でダミーシステムを試すとは思わなかったぞ」

「問題ない。基礎データの収集にもなる」

「それで、生き延びることができればだがな」

 

 ミサトの説明は続く。

「とにかく、レイは初号機が肉薄するまで、使徒をフェイクに引きつけておいて。頼んだわ」

「わたしは...わたしは碇君を守ればいいのね」

 ミサトが力強く頷いたのと同時に、ゲンドウの声が響いた。

「初号機だ、レイ」

 不要とも思える訂正に、ミサトは眉をひそめる。

(どっちだって同じでしょうに)

 

***

 

 生体部品の改修作業は、巨大化したフランケンシュタイン博士の実験室と似ていなくもなかった。だが、猛然たる勢いで動き回る技術部員たちの気迫と熱き技術屋魂は、むしろ清しさすら感じさせるものだった。製造した支部によって微妙に異なる仕様や、未完成の制御系が原因となって起きる問題を一つ一つクリアしながら、そして欠けている部品を補填しながら、エヴァフェイクたちが改修されていく。

「ウチのは精度が違うんだよ、精度が!」

「技術開発部総員の意地にかけても、あと三時間で形にして見せますよ」

 

***

 

「あかんわ、こら」

 シェルターの中は訓練時と変わらぬ秩序が保たれている。唯一の違いはといえば−−

 保安部の怖い怖いおじさんが、先の使徒戦でエヴァの無資格搭乗を果たした少年たちに睨みを効かせていることであった。

「酷いぃ、酷すぎるぅ!」

 ケンスケの嘆きはもっともだったが、監視をするのも、もっともだった。だから、今は小声で応援するばかり。

「頑張れよぉ...」

「頑張りやぁ...」

 

***

 

 孤高のペンギン。金の冠は月に映え、静寂の下界を見やるその姿は、凛々しくすらあった。

 ぱたぱたぱた。

 生きとし生けるものたちの運命を決する闘いは、間近に迫りつつあった。

 

***

 

 月の雫を少女は手に受け止める。それはケージのモニタごしに注ぐ光でしかないのだが、彼女がいるべき場所は、やはり月光の降りしきる下であるように思われた。そばに立つシンジは声をかける。

     「綾波は、なぜこれに乗るの?」

「絆だから...」          

                「絆?」

「そう...絆」           

            「父さんとの?」

「...みんなとの...」      

         「強いんだな、綾波は」

「わたしには、他に何もないもの」   

       「他に何もないって...」

「時間よ。行きましょう」       


 

Episode 06: Rei II--Mond in der Finsternis

 


 ドグマに入るのは初めてではない。しかし、マヤの心中は初めての時と変わらず、いやそれ以上に緊張していた。視線の先には急造のケージに固定された零号機。その脊髄からは、無数のワイヤーが伸びている。

「シンクロ開始...」

 手元のモニタに映るレイの様子は、いつもと変わらない。軽く目を閉じている。マヤの指示に応えて了解、と言おうとした時、こぽ、と肺に残っていた空気が吐き出され、プラグ内を漂った。メインのコントロールは発令所のリツコが掌握している。しかし、それぞれのフェイクをシンクロさせる−−正確には仮想シンクロというべきだが−−ための前処理は、ドグマから行う必要があった。

 コアのデータはレイのパーソナルに合わせて書き換えた。エヴァフェイクを起動させ、ATフィールドを発生させるための「依代」もすでにリツコの指揮のもとに装填されていた。フェイクたちの遠隔操作は、起動させた零号機からのインダクションモードで行う。しかし複数のフェイクとの並行シンクロは不可能であるため、零号機がサーバとなって、最小限のインタバルでフェイク間の操作を切り替えることになっていた。

 接続された少女。

 そんな言い方に思い当たり、マヤは唇を噛む。それは苛烈すぎる「絆」。エヴァフェイクは耐熱時間をかせぐために、防寒装備のようにぶ厚い特殊装甲がほどこされている。それでも、かれらはほんの数十秒で破壊されるだろう。リミッターを作動させるとはいえ、フィードバックはレイ一人に返ってくるはずだ。

(シンジ君、頑張って...)

 

***

 

「ソロモン作戦、開始!」

 ミサトの号令一下、作戦はスタートした。あらゆる対物兵器が投入されるが、使徒のATフィールドに阻まれ、間髪をおかずして報復攻撃が展開される。日向と青葉はより正確なデータをとるべく、加粒子砲が発射されるタイムラグを記録、解析していく。地下でフェイクの操作を補助するマヤに代わって、初号機の支援にはマドカがあたっている。

「エヴァフェイク、全機発進!」

 それと同時に報告が入る。

「第22隔壁が破られます!」

 もう後は、ない。

 零号機に接続された、七機のエヴァフェイクは同時に地上へと向かう。仮想シンクロ率は、どれもひとケタ台だ。

「シンジ君は?」

「シンクロカットのまま、ほぼ目標の直下に待機しています」

 映し出された映像には、プログブレードを抱えたまま、腰を落としてうずくまる初号機の姿があった。いわゆる隠形の構えだった。シンジは目をつむり、精神統一をしている。メインスクリーンには、なおも全方位からの通常兵器による攻撃が映される。

「発射のラグが...縮まっている?!」

 日向の声がかすれる。それを耳にしつつも、ミサトはスクリーンを前に、指揮をとり続ける。

「初号機、急速発進!」

 ミサトは圧倒的な戦力を見せつける青いクリスタル状の空中要塞を睨みすえた。

「エヴァフェイク、地上に出ます!」

 

***

 

 使徒は再び地の底から迫るモノたちの波動を感じていた。

 これも、違う。いや、はるかに弱い。

 ニ・セ・モ・ノ。

 殺。

 いまや、加粒子砲の攻撃力はかつての比ではない。

 前とは、違う。

 

***

 

 ホワイトアウトした画面が何を意味するかは、超長距離からの望遠映像に切り替えた瞬間に理解された。

「そんな、信じられない」

 七機のエヴァフェイクは、わずか数秒で、全てが破壊されていた。いや、跡形もなく消滅していた。予測値では、20秒前後はもつと思われた特殊装甲であったにもかかわらず。たとえ使徒の攻撃力が第一次会戦の倍であっても、虚を突いて初号機が必殺の一撃を加える時はあるはずだった。

「目標内部に、再び高エネルギー反応。これまで以上の数値です!」

「まだ初号機が起動してないのに?!」

(やはり使徒にとっても特別ということか)

 冬月は内心で苦くつぶやいた。来たるべき事態を思いながら。

「リニアを止めて!」

「この加速では、無理です」

 日向がそう言った時、予期せぬ事態が起きていた。

「零号機が...」

「いかん、レイ!」

 

 時は、わずかに遡る。

 初号機内部。

(何だ、この感覚)

 流れ込んでくる思い。あまりに寂しく、あまりに悲しく。

(綾波...?)

 それは儚い、しかしもはやシンジにとっては間違えようのない思いだった。零号機の「身代わり」たちのたどる運命がモニタされている。

 苦しい。

(綾波の欠片が、消えていく...)

 加速が強まった。直上の雷天使へと向けて。そして、不意にレイの強い思念が意識の中に流れ込む。

(さよなら...)

 何が起きているのか、シンジには分からない。だが、レイが何かを−−シンジの決して望まぬ何かを決意したことだけは確かだった。

(だめだ!)

 

 零号機内部。

(だめだったの...)

 フェイク−−いやダミーたちは、全て破壊された。地上に向かう初号機をどんな運命が待ち受けているかは、この上なく明瞭だった。

 苦しい。

 レイは零号機の電源をパージした。

 脊髄から延びたワイヤーを引きちぎり、零号機はリニアレールにのって地上へと向かった。間に合わないかもしれない。だが、何としても少年を守らなくてはならない。

(さよなら...)

 次の「綾波レイ」は、碇司令の他に微笑みかけることの出来る人を見つけられるだろうか。そう思った少女の心に、シンジの声が響いた。

(だめだ!)

 

 再び発令所。

 使徒の外周が白熱する。加粒子砲のゼロ距離攻撃を受ければ、初号機といえども、瞬時に無に還ることは確実だった。

「地上に出ると同時にプラグ排出。パイロットだけでも助けないと」

「その必要はない」

 ミサトの命令は総司令・ゲンドウの無慈悲な声にさえぎられた。

(なぜ...パイロットと、エヴァとどっちが大切なの?)

 ミサトの頭で疑念が渦巻く。今は太平洋上の弐号機パイロットの実力が未知数である以上、レイとシンジの命だけは本部を放棄してでも守るのが戦略ではないのか?奇跡は期待するものではないのに。

 その時、異変が起きた。闇夜が天蓋にかけられた黒布だとするならば、使徒の真上の一角が裂け、天上から神ならぬ人のつくりし雷が降り来る。

「使徒上空から強力な指向性エネルギー反応。来ます!」

 青葉がスクリーンの一角にウィンドウを切った。

「SOLかっ?!」

 冬月が声を荒げた。

 雷光は夜を駆けて、使徒へと一直線に落ちていった。剛直な輝きは打ち下ろされる灼熱の鉄柱を思わせた。

 

(早く...早く...)

 シンジはなおも加速される初号機の中で呻いた。

 

 使徒は上方向にATフィールドを強化しつつ、加粒子砲の発射角度を再計算する。雷天使の自動報復システムは、迫り来る偽りの母胎を排除するよりも先に、天空の愚者を撃つことを選んだ。八面体の頂点から、これまでにない大出力の一撃が衛星軌道に向けて発射される。

 天地の間を垂直に切り裂いて、二条の光線が向かい合う。それらは互いに干渉しながら、白熱の螺旋を描いた。そして天からの一撃は目標から外れた所に着弾する。

 

(早く...!)

 使徒の真下の射出口が、開いた。

 

「このおおおおおおっ!」

 プログブレードを構え、最後の一瞬でシンクロ率をゼロから最大限まで引き上げながら、シンジの初号機が起動した。高周波振動の刃を握りしめ、リニアからの加速もそのままに、シンジは逆袈裟の太刀行きをイメージしながら跳び出した。

 

 

 

 斬。

 

 

 

 使徒の装甲を、初号機のブレードは叩き割っていた。跳ね上げた切っ先から、青い液体が滴る。返す刀で、八面体の奥に垣間見える赤い真珠=コアにブレードを一気に突き立てる。使徒は最大出力でATフィールドを展開しようとするが、体内に飛び込んだモノを排除することはできなかった。剥き出しになったコアに食い込んだブレードから火花が激しく飛び散る。

「凄い...」

 ミサトは産毛が総立つのをおぼえた。

「がああああああっ!」

 使徒の内部には、殻を割った貝類のように分厚い肉質が詰まっていた。いま、八面体の使徒は口を開き、青い体液の泡を吹き出しながら、無言の断末魔をあげていた。臓物が二度、三度と躍り上がる。初号機は、青い血泥に湯浴みする羅刹さながら、なおもブレードに全筋力を込めた。使徒は身悶えしながら、蠕動する舌のような形の肉質を一対、ぬらりと伸ばす。それは明確な意志をもって初号機の体に絡みつき、同時に使徒の内部の残された反応機関から、再び巨大なエネルギーが発生する。

「自爆する気?!」

 使徒の体液は蒸発し、クリスタル状の外部装甲に光線が複雑に屈折する。

「まだ死なない?!」

 リツコが、らしからぬ悲鳴を。

「サクッと死になさい!」

 ミサトが、もっともな悲鳴を。

 そしてレイの零号機が、地上に出た瞬間−−

 地下の最終装甲に達していた使徒のボーリング機構が、停止した。

 全ての悲鳴と、祈りが、閃光と爆発によってかき消された。使徒の、最期だった。

「目標の反応、消失...」

「シンジ君は?」

 ミサトが畳みかける。

「初号機のATフィールドは健在。光学観測、回復します」

 マドカが震える声で答えた。

 モニタの向こう側には無傷の初号機のシルエットがそびえ立っていた。猛々しさもそのままに。

「あの爆発をしのぎ切る力をもったATフィールド...」

 マドカは素速く計算式を走らせ、それがエヴァ、使徒とを問わず、これまでに検出された最大値であることを知る−−第四使徒戦での初号機暴走時のデータは、彼女にはアクセス不能であるにせよ。

「これがエヴァの...シンジ君の...本当の力」

 胸の十字架を握りしめ、ミサトは現実からの乖離感をおぼえながらつぶやいた。

 地上に出た零号機は、冴え冴えとした満月の下、静かに立ち尽くしていた。その単眼のカメラアイは、心持ち傾き、初号機のいる場所を向いている。

「作戦終了。冬月、事後処理を頼む」

 発令所を後にするゲンドウを見送りながら、冬月は思案した。

(さて、どこまでおまえのシナリオだ?)

 

***

 

「次弾は不発だったか」

 ここは戦自の作戦室。

「化け物の一撃で、計器がイカれました。補修システムを走らせています」

「データは?」

「転送済みです。今夜は徹夜といきますか」

 

***

 

 リツコの入れるコーヒーは、あたしにはちょっと濃い−−

 ふだんはそう思うミサトだったが、今宵はその一杯がふさわしく思われた。

「戦自の衛星兵器、青葉君がデータをクラックしてくれたわ。MIRACL(=Mid-Infrared Advanced Chemical Laser)の改良タイプだそうよ。見てみる?」

 そうリツコは言って、プリントアウトを差し出した。

「プルートー級って...」

「そう。現存する最強の指向性対物兵器」

「そんなものがあったの?」

「いざという時のためにね」

「だって私たちの敵は使徒でしょ。なんで極秘にしてるのよ」

「だから、いざという時よ。正義の味方は、私達以外にもいるってこと」

「正義の味方、ね。覚えておくわ」

 ミサトは空になったマグカップの底をじっと見つめた。

 

***

 

 ドグマを出て、発令所に向かいながら、マヤは思った。今日、自分のしたことは、正しかったのか−−答えは見あたらない。

 上昇するエレベーターの中で、軽いめまいを覚える。

 だが、あの一瞬だけでも、少年が見せた鋭気は、重く沈んでいた彼女の心を定位置に引き戻す力強さをもったものだった。

 

***

 

「よくやったわ、シンジ君」

 プラグスーツのまま、椅子に腰掛けているシンジに、凱旋の作戦部長・ミサトは声をかけた。だが、様子がおかしい。体が小刻みに震え、過呼吸の気配すら見える。無理もない。最強の使徒を倒したその両手には、あの生々しい死の感触がまだ残っているはずだ。

 落ち着かせようと、肩に手をかける。だが、シンジはびくり、と身を縮め、壊れそうなほどに歯ぎしりをする。

「ミサトさん、綾波は?!」

 その表情に、ミサトは息を飲む。こんなにも強い意志にあふれる表情を、そう、戦士の表情を、この少年が見せるとは思いもよらぬことだった。

「大丈夫。ケガもないわ」

 その言葉は、シンジには宝石のように思えた。目元には涙が浮かび、表情もわずかずつ平穏をとりもどす。

「よかった...」

 ふとミサトは、視野の中にレイを認めた。

「シンジ君、レイが来てるわ」

 一瞬のためらいの後、レイは部屋に入ってきた。すれ違いながら、ミサトが小声で言う。

「レイ、シンジ君に優しくしてあげなさい」

 

 二人きりの部屋。やがてレイは怪訝そうに問いかける。

「何泣いてるの?」

「綾波が...生きてるから...嬉しくても、泣くことがあるんだよ」

「...そう...」

「もう、自分には、他に何もないって、そんなこと言うなよ...出ていく時に、さよならなんて、悲しいこと...」

 だが、言葉が続かない。そんなシンジを前にして、レイは紅い瞳を伏せた。こんな時、どうすればいいの。

(シンジ君に優しくしてあげなさい)

 ミサトの言葉が胸を突く。

 優しさ。わたしの知らないもの。

 いえ、わたしは知っている。碇司令の大きい手。温もり。微笑み。どれも、このわたしに向けられていないだけ。

 レイはシンジのもとに歩み寄り、そっと頬に手をあてた。見上げたシンジと、目が合う。少しかがみ込み、レイは紅く深い色の瞳でシンジを見つめる。その表情には、ほころび始めた朝の微光のような笑みがひろがる。

(あ...)

 レイはシンジが言葉を紡ぐ間もなく、その肩に腕を回してかき抱いた。

(優しさ...これでいいの?)

 レイの細く硬い肩胛骨のあたりに、シンジの頬がこつりとあたる。豊かな沈黙の時。

(綾波...)

 激しく波打っていたシンジの心は、白魔術のように癒されていった。再びうっすら浮かんだ涙は、安らかさの証し。おずおずとシンジもまた、レイの背中に腕を回す。

(碇君の温もり...ずっとこうしていたい)

 わたしが、わたしである限り。

 

<つづく>

2001.12.21(2002.7.25改訂;2007.10.10オーバーホール)

Hoffnung

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