Eva -- Frame by Frame --

 

<第9話 瞬間、肌を重ねて>

 

(14歳で大学卒業、か)

 弐号機パイロットについて与えられた情報を、何とはなしに思い返しながら、碇シンジは登校中であった。早起きで時間の正確な彼にとっては、余裕の登校だ。

 そんなシンジが、足を速める。目線の先には、佇みシンジを見つめる綾波レイの姿があった。

「おはよう、綾波」

「おはよう、碇君」

 レイは少し口ごもってから、話しを切り出そうとする。心のメモには、「今朝、学校に行くまでに碇君と話すこと」が、たどたどしく綴られている。それは例えば、昨日見たテレビのこと。そんな小さなことでも、少女にとっては新しい世界への入り口だった。

 けれども、シンジが一歩、踏み出したところで−−

 どっこん。

 痛つう。

 しりもちをついたシンジの目の前には、二本の脚線美と、それを包む制服のスカート。さらにその奥には?

 べち。

 視覚情報が処理されるよりも前に、シンジの頬には真っ赤な張り手の跡が刻印されていた。

 

***

 

「何?んで、見たんか、その娘のパンツ?顔は?」

「別に、見たってわけじゃ...ち、ちらっとだけ...顔だって、覚えてないよ」

「くわ〜っ、朝っぱらから運のええやっちゃなあ。そいで、パンツの色は?」

 シンジは恥ずかしがって答えられない。頬に残る張り手の跡をおさえつつ。しかし真相は意外なところから明らかになる。

「...ピンクの水玉...」

「「へっ?」」

 あっさり答えるレイに、トウジとケンスケの煩悩はへろへろとしぼんでしまった。ここで教訓。秘すれば花(あんたは正しい>世阿弥)。

 チャイムが鳴った。朝のHRだ。担任の敷島先生に続き、入ってきた少女は、その輝ける美貌をもって、一瞬にしてクラスの視線を強烈に集める。

「よろこべ男子!今日は噂の転校生を紹介する」

「惣流・アスカ・ラングレーです」

 クラス一同をにこやかに見渡しながら、少女は自己紹介する。

「「あわっ!」」

 トウジとケンスケが同時に珍妙な叫びをあげた。今しも、横須賀沖で出会ったタカビー少女の話しをシンジにきかせようと思っていたところに、実物の出現である。だが、二人の驚き声は、アスカの金切り声にかき消された。

「あ〜っ!あんた、今朝のパンツのぞき魔!先生、あいつ、ヘンタイですっ!」

 アスカの指先はビシリ、とシンジを指す。赤みがかった金髪が逆立ち、シンジの胸中には、なぜか映像で見た、暴走するエヴァ弐号機の姿がよみがえった。

「ち、違うよ。何言うんだよ」

 叩かれた頬を心細げにおさえながらでは、迫力負けであった。

(オレら三人そろって、この惣流の張り手の犠牲者、ってわけや)

 トウジはどうでもいいことに思いを巡らせていた。

(2年A組の三馬鹿ってのも、ムベナルカナ、ムベナルカナ)

 納得するなよ、というツッコミを入れたくなるケンスケの悟りであった。

「あれまあ。碇は、いつから惣流とそんな仲だったんだあ?(ぐふふ)」

 敷島先生が煽る。

「...完璧に違います...」

(ありっ?!)

 レイの思わぬリアクションに、クラス一同が思わず引いた。次なる展開に息を飲む。

「こらこら碇よ、正直に言うのだ。お上にも慈悲はある」

 シンジは相変わらず赤面してうつむくばかり。ここでアスカはブチ切れた。

「えっ、あんたこそ何、すぐにこのヘンタイをかばっちゃってさ、へっぽこのチルドレンどうし、デキてるわけ?」

 いきなり朝から乱気流。

「ちょっと、授業中よ、静かにして下さい!」

 イインチョ・洞木ヒカリが仕切る。

(平和やのぉ〜)

 トウジは頭の後ろで腕組みをして、あくび混じりに思った。

 

***

 

 久しぶりに歩く電気街で、洞木コダマは一瞬、足を止めた。そのニュースは、多感な少女でなくても、胸をひどく痛めるものだった。

「ひどい」

 胸が詰まり、コダマは涙目になる。映像では、新たな厄災が報道されていた。今この時、画面で見るだけの、一生出会うことのない他人たち−−明日には死んでいるであろう、虚ろな瞳を見開いた幼児。あるいは怨嗟を弾薬に変えるべく、武器市場を徘徊する少年。

「いつまで、こんなことが続くんだろう」

 一緒に電気街にくり出したクラスメートが言う。店頭に何十台と並べられた大型テレビの画面には、瓦礫の下になった肉親の亡骸を捜し、いつ果てるともなく、黒焦げの石塊を拾っては投げる老人が映っている。どの画面も、いっせいに同じ仕草で。

 世界中の人たちが、一つに溶け合えたら、争いもなく、誰もが分かり合えるのに。コダマはそんな悲しい夢想をしながら、友達と街の中に消えていった。

 

***

 

 ドアは開いていたが、潮マドカは一応気をつかって、軽く一、二回ノックをすると、ユリア・ハンナヴァルトの研究室に入った。

「もうすぐ終わります」

 肩越しにユリアが言う。マドカは持ってきた書類をかかえなおし、所在なげに部屋を見回した。ファイルや本はいかにもドイツ流のきちょうめんさで整理されていた。作業中の机の上にはわずかに雑然さの気配が漂うが、照明の配置も工夫されているので、部屋は非常に明るい印象がある。

 だが、そんな中、マドカの視線をくぎづけにするものが机の片隅にあった。

「ね、ね、ね...」

「何か?」

 ユリアが振り返る。襟にかからぬ程度に、綺麗に切りそろえた直毛の髪。青みがかったグレーの瞳。長いまつげと、西洋人にしては小さい顎。

「ね・こ・み・み〜!!」

 ぜーはー興奮しながら、マドカはユリアの机の上の、三角形がペアになった物体を指さした。

「これが、どうかしましたか、潮技官?」

「マ、マドカと呼んで下さあ〜い!ですぅ」

「創造性あふれる仕事をする時には、この器具を装着すると大いに効果があるのです。赤木博士のご教示です」

「赤木博士が?!」

 目の前のユリアの、銀の髪の上にネコミミが乗った姿を思い描くだけで萌え上がっていたマドカであったが、赤木リツコまでもがネコミミをつけた姿をさらに妄想し、悶絶がグレードアップした。

「ぎんいろネコさん...きんいろネコさん...わふ...ぎんいろネコさん...きんいろネコさん...」

(何の書類をもって来たのかしら?)

 状況をよく把握できぬままユリアは、「ぎんいろネコさん...きんいろネコさん...」と呟きつつ書類も渡さずに部屋をゴロゴロ状態で出ていったマドカを見送ると、ドイツ支部への守秘回線を開いた。

 

***

 

「マジに可愛いじゃん、惣流」

「帰国子女だろ?やっぱ進んでんのかな?」

(おばかさん)

 進んでないのは、アンタらモテない男子だけじゃん−−女子生徒一同は内心でぺろり舌を出した。

 

***

 

 第29放置區(旧東京湾岸)。

「ここが、かつて花の東京ディスティニーランドと呼ばれた場所とはね」

 偵察ヘリの機内で、ネルフ作戦部長・葛城ミサトが言い放った。眼下には、前世紀、絶大な人気を誇った遊園地の、うち捨てられた廃墟が海上に姿を見せていた。汀に生い繁るマングローブが、テーマパークのかつての輪郭を浮き上がらせる。ノイシュヴァンシュタイン城を模したという、グリム童話の姫君の居城は尖塔が崩れ、剥げ落ちたペンキの下のコンクリートが風化している。

 塔の上空では、海鳥たちがゆるりと旋回する。

 かつてはたくさんの子供たちを運んだだろう、ジェットコースターのレールは、あるいは歪み、あるいは折れて、赤錆がごつごつと盛り上がっている。

 カメラをさらにズームすれば、セカンド・インパクトの時、おとぎの屋敷の中に取り残された来場客たちが、今は白骨となって、作り物のモンスターたちと仲良く波に洗われているのが見えたかもしれない。姫君や妖精にかわって、今の遊園地の住人はセーレーンだった。

「エレクトリカル・パレード、見たことがありますよ」

 日向マコトがぽつり、と言った。

「とてもきれい」

 ユリアが廃墟を見下ろし、いささか場違いな感傷を口にした。

「これが?」

「人の夢がたくさん詰まっているから。儚いものは、美しいのです」

 何とまあ文学的な、とミサトがため息をつきかけた時−−

「使徒です!」

 マコトが下前方を指さし、同時にディスプレイに拡大映像を映す。第七使徒は、かろうじて人型と思える姿。頭部や肩はなく、前から見ると、上体は半円弧を描くように滑らかな流線型で、その先に腕らしき部分がある。二足歩行も可能かと思われたが、脚部の形は定かでなく、浅瀬を滑るように陸地に向けて移動している。その動きは不自然なまでにスムーズで、わずかに立てる小波が廃墟となった遊園地の跡を撫でては去る。使徒は上空のヘリに気がついた様子もなく、変わらぬペースで陸地に向かっている。

「これでは使徒の攻撃能力も分からないわね」

 携帯端末に情報を入力しながら、赤木リツコがこぼした。

「やるしかない、か」

「水際作戦ですか?」

 これはマコト。

「そういうことね」

 ミサトはエヴァ三機の同時出動を決断した。

 

***

 

 時は少しさかのぼる。ここはネルフ本部。緊急出動のため、チルドレンはスタンバイ中である。

(どうして?)

 プラグスーツに着替えながら、レイの中では、先の海上での使徒戦の時に感じた疑惑がよみがえっていた。弐号機パイロットの豊かな胸。しかし、服を脱げば自分と同じではないか。よく見れば、プラグスーツのサイズもほとんど変わらない。自分の方が全体に細いだけだ。文明の利器、テレビジョンを部屋に導入したおかげで、「男の子は胸の大きい女の子が好きだ」という刷り込みをついつい受けてしまったレイにとって、これはぜひとも解決を要する問題となっていた。

 そっと、レイはアスカの脱ぎ捨てた下着に目をやる。「Angel's Bra」というブランド名が見えた。

(使徒のブラ...)

 レイがネルフ購買部のおばさんを絶句させたのは、その数日後のことである。

 

***

 

 作戦は、シンプルだ。エヴァ三機による近接戦闘。先鋒はアスカの弐号機、零号機と初号機はATフィールドを中和しつつ弐号機の援護に回る。第三新東京市から搬送され、今、水際に並んで立つ三機のエヴァの姿は、まさに壮観だった。

「三人がかりなんて、卑怯でやだな。趣味じゃない」

「私たちは選ぶ余裕なんてないのよ。生きるための手段をね」

「分かってるわよ」

「エヴァ全機、発進!」

(見ててね、ママ)

 ソニックグレイブを握りしめ、アスカが疾走する。零号機と初号機は援護の弾幕を撃ち出す。

「行ける!」

 電光石火。

 逆行し、ふたたび発現した使徒にも、作戦の立て直しを許さぬほど、アスカの動きは神速をきわめたものだった。

 だが、パレットガンを乱射しながら、シンジは気づく−−使徒のコアのようすがこれまでと違う。円形の輪郭は同じだが、仮面のような外殻があるでなく、また赤い光球とも違う。それはまるで、二つの勾玉が巴の形に向かいあって一組になったようだった。シンジがその言葉を知っていれば、陰陽模様と呼んでいただろう。しかも−−

(コアが二個?)

 弾幕ごしで、じゅうぶんに確認できなかったが、確かに、陰陽模様のコアが、タテに二個並んでいる。しかし、シンジが警戒をよびかける間すらなく、アスカは大上段にふりかぶった刃を、使徒の直上から一気に斬り下げる。

「闘いは、つねにムダなく、美しくよ!」

 一刀両断。

「おみごと...」

 真っ二つになった使徒の切断面は、体液すら滴らず、金属のようになめらかだった。

 されど−−

 二分裂して再生した使徒の暴れぶりは、半端ではなかった。

 

***

 

「ブザマね」

 スクリーンには回収されるエヴァの姿が映っている。再生自在の使徒を相手にしては、打つ手はなかった。

 アスカは、獅子奮迅の切り込みを見せるも、あまりに高いシンクロ率がアダとなり、使徒のラッキーパンチにブラックアウト。

 シンジは、砕いたコアさえも余裕で再生するのを見て、パニックっている間に、ぶいぶい投げ飛ばされて悶絶。

 レイは、シンジやアスカの救援に向かうところで、アンビリカルケーブルを切断されて活動停止ののち、使徒のW攻撃に沈黙。

 まさに、ちぐはぐを絵に描いたようなチルドレンの負けっぷりであった。

「まったく、恥をかかせおって」

 ネルフ副指令・冬月コウゾウがぼやいた。

「戦自は喜んでるんでしょうねえ」

 日向が渋面を作りながらこぼした。第三使徒戦に続き、N2爆弾による足止めが辛うじて功を奏していたのだった。

「祝電でも打ってやれ」

「はあ?」

「冗談だ」


 

Episode 09: Both of You, Smile if You Care for Each Other

 


「君たちの目的は何だ?」

「エヴァに乗ること...」

 

(正直な子たちね)

 冬月とチルドレンとの問答を思い返しながら、リツコは天井を仰いだ。

「どうかされましたか?」

 ユリアが怪訝そうに問う。リツコは軽くかぶりを振ると、ユリアから渡されたファイルを開いた。

「第七使徒、イスラフェル...委員会でも詳しい属性の把握はできていない、ってこと?」

「私が持って来ることの出来た情報は、そこまでです。水際作戦の様子からして、分裂・合体以外に、特殊能力はないと思われますが」

「加持君の発案した、二機のエヴァのユニゾンによる二点同時攻撃、確かに有効だと思うけど」

「問題があるのですか?」

 ユリアが眉間に小さく皺をよせた。ちなみに、ネコミミはしていない。

「いえ、そうではないのよ。でも、こちらの作戦...というか、エヴァの戦闘パターンを、使徒が先読みしていることを思わせる徴候が、これまで見られたの。だから、もし、ユニゾン攻撃が使徒に予測されている場合、対応を考えないと」

「たしかに...どうか、私を単なるオブザーバーとは思わず、どんな命令でもして下さい。それに、マギ・オリジナルを使えることは、この上ない名誉です」

「考えておくわ」

 

***

 

「いや〜ん、な感じ」

「フケツよっ!二人とも」

 などと言ってひやかしてみたものの、すぐにこれがギャグで済まない状況であることを、トウジとケンスケは悟った。思いはアスカの見舞いにやってきたヒカリも似たようなものだ。

「何度言ったらわかるのよ、このおたんこなす!(べこっ)どてかぼちゃ!(ばきっ)」

 レトロな罵り文句とともに、アスカのドツキが入る。涙目のシンジにも容赦なく。

 ハッピーなのはペンペンだけかもしれない。ヒカリの膝の上にぺたん、と座り、彼女が買ってきたババロアを、先割れスプーンで器用に賞味中だ。いっぽう、二人を呆れてながめるミサトの横顔には、たら〜とタテ線のシャドーが入り、事態が絶望的であることを示している。

 この場合、絶望的とは、人類の命運が風前のともしびということだ。

 それを思い、目の前のようすとのギャップの大きさに、トウジはめまいがしそうになった。アスカとシンジのやり合いは、どう見ても「ガキの喧嘩」である。そして使徒の再侵攻はもうすぐ。そんなトウジには、ヒカリの膝まくらを独占しているペンペンが、ちょっぴり羨ましかったりする。

「しょうがないわね。レイ、やってみて」

 

***

 

 レイは何も言わず立ち上がり、シンジのそばに立った。制服姿なので、レオタードのシンジと並ぶと、不釣り合いな感じだ。

 音楽が始まる。レイはためらわずシンジの手をとり、体を寄せる。シンジは一瞬びくりとするが、おずおずとレイの背中に腕を回した。初めて出会った時に抱きかかえたのとは違う。あの時は無我夢中で支えただけだ。だが、今回は動きに合わせ、リードしていかなければならない。

 ターンを切る。

 レイはジャストのタイミングでステップを合わせた。制服のスカートがふわりと舞う。そしていったんシンジは体を離してから、レイの手を強く握ってぐいと引き寄せる。傍では、カメラを構えたケンスケにアスカが鉄拳制裁を加えている。しかし、その憤りは、必ずしもケンスケだけに向けられたものではないようだ。

(合わせてくれてる?)

 シンジは不思議な感覚をおぼえていた。初めてなのに、そう感じない。次にどんな動きをするか、間合いを全部感じとってくれるように思える。

 レイの細い腰にシンジは腕を回して、次のターンを切った。視線が合う。湖面のように静かな、澄んだ瞳がそこにはあった。だが一層レイが体を密着させ、微妙な胸のふくらみを感じた時、シンジは「あの時」のことを思い出した。

 制服ごしに、一糸まとわぬ姿が二重写しになる。

 シンジはステップを間違い、あやうくレイの足を踏みそうになった。そして回避行動は別の狂いを生み、オカズ的に、いやカオス的に何もかもタイミングが外れていく。態勢を崩しそうになってついレイの手を強く握りしめると、レイも必死に握り返すのがわかる。それがダンスの流れを壊さないための努力だと意識しつつも、煩悩が増殖するのを止めることはできない。

 もはやボロボロである。

 ついにシンジはステップを踏み外して倒れた。レイも勢いよくひきずられ、カーペットの上に二人で重なる。

(あーあ)

 部屋中でため息があがる。アスカか、ミサトか?

 シンジの鼓動は極大に達していた。いや、他にも極大になっていた部分はあったわけで−−

 レイは体を引き離そうとするそぶりを見せない。少し乱れた吐息がシンジの耳元にかかる。

 シンジは無限とも思える茫然自失状態の後、起きあがると「ごめん」と消え入るように言って、マンションから駆け出して行った。

(最低だ、僕って)

「途中までは、ぴったりユニゾンできてたのにねえ」

 レイは起きあがり、無言で制服の乱れを直している。

「シンちゃん、レイと一緒だと意識し過ぎるのかしら」

「まったく、こんな人形女のどこがいいってのよ」

「わたしは人形じゃない」

(((えっ?!)))

 みなが驚く。あの綾波レイが、はっきりと感情を見せた。「人形」というコトバに過剰なまでに反応して。

「そうよ、アスカ。見てごらんなさい、レイってば赤くなっちゃって、可愛いじゃない」

 たしかに、よく見ると、物を言わずに座っているレイの頬が心なしか赤く染まっている。運動のせいか、他の理由かは分からないのだが。

(綾波さん、変わった)

 ヒカリは何となく嬉しくなった。

「これはこれは一大事ですねえ、鈴原さん」

「碇センセと綾波が!まあエヴァのパイロットで変わり者同士、よろしいのとちゃいますやろか、相田さん」

 

***

 

 まったりと時が流れた。

 アスカがまたお菓子に手を伸ばした。指先が空をさまよう。もうないの、という顔をすると、やれやれとばかりに頬づえをついた。

「お茶、入れかえてきましょうか?」

 ヒカリが立ち上がった。レイは手持ちぶさたに、うつむいて床の上にのの字を書いている。

 クエエエーとペンペンが雄叫びをあげた。それはアクビだったのか。

「そうだ、シンジ君!」

 ペンペンに触発されたか、ミサトが二日酔いからさめたように声をあげる。アスカもやっと気がついた。

「帰って来ないじゃない、あのバカ」

 

 その頃、シンジはたそがれ始めた公園の一角で更にとっぷりとたそがれていた。

(やっぱり僕はいらない子なんだ。えぐえぐ)

 人類の命運はどこにいったのだ。

 

「しようがないわねえ。捜してくるわ」

 そう言うが早いか、アスカは立ち上がり、レオタードの上からシャツを羽織った。何やらこぼしながら、ボタンをかける。

(ををっ!!)

 ケンスケの眼鏡がキラリと光った。アスカはミニスカートをさらにはいて、よし、と気合いを入れる。

「凄い!凄すぎるぅ!オトコだったら涙を流すべき状況だね、これは」

 ケンスケは小声でトウジに悶えんばかりに訴える。

「何をゆうてんねや?」

「分からないか、それまで見えていたものが隠されていく、この萌えさかるわびさびの世界。あのシャツとスカートの下には、あのレオタード姿。想像と現実の幸福なる一体化。いやはや眼福至極なり、とはこのことだね」

「あ〜い〜だ〜!!(げしっ)」

 アスカよりも先に、ヒカリの正義の一撃がケンスケを沈めた。

「じゃ、行ってくるわ」

 だがそう言ったアスカを制するように、レイが無言で立ち上がる。

「レイ、あなたも捜しに行くの?」

「はい」

「それじゃ、二人でいってらっしゃい(やれやれ)」

 

 マンションを出て、しばらく歩いたところで、レイは通行人に尋ねる。

「あの...碇君を見ませんでしたか?」

「はあ?」

 すぐそばでは、アスカが拳を握りしめてキレかけている。

「バカバカバカ!分かるわけないでしょ、そんなきき方で?!」

「じゃあ、何て言えばいいの?」

「レオタード姿の中学生の男子を見かけませんでしたか、ってきけば一発でわかるっての!」

「どうして?」

「そんなヘンタイなカッコしたヤツは、他に街を歩いていないからよっ!」

 

***

 

 ほどなくシンジは見つかった。

「綾波、来てくれたんだ」

「碇君に、帰ってきてほしいから」

 見つめ合う二人。しばしの沈黙。

(うそ、こいつら本当にラブラブじゃん)

 もじもじ状態のシンジとレイを見ながらアスカは呆れる。

(それでもって、気づいていないのは当人ばかり、というお約束のわけね)

 使徒をちゃっちゃっと片付けたら、こいつらを思いっきりネタにしてやろう、とアスカは固く心に決めた。

 

***

 

 決戦前夜。

 やるべきことは全てやった。アスカの理解と、シンジの死に物狂いの努力で、ユニゾンは完成した。

「じゃあ、今夜は二人きりってことね?」

 そういってからニラミを効かせ、アスカはふすまの向こうに消えた。だが、それからしばし−−

 思わぬ気配に薄目を開いたシンジの前には、闇を透かしてアスカの胸の谷間があった。

「よくやったわ、バカシンジ」

 小声でアスカはそう言うと、シンジにさらに近寄る。長い髪がシンジの顔にかかり、甘い香りが彼の鼻腔をくすぐった。アスカの唇が、シンジの頬をかすめようとした時−−

 

 ピルルル ピルルル ピルルル 

 

 がば、とシンジは跳ね起きた。激突しそうになるのをアスカは絶妙のスウェーでかわす。

「あ、もしもし...綾波?...うん、有り難う...」

 ピッ。

「ど、どうしたの...惣流」

「どうもこうもないわよっ!」

 こんなバカに甘い顔などするのではなかったと、いささかの羞恥とともに憤怒しまくるアスカであった。

 

***

 

 使徒は二体。エヴァも二体。

「いいわね、最初からフル稼動で行くわよ」

「わかってるよ。62秒でケリをつける」

 ミサトの号令一下、初号機と弐号機はリニアレールを疾走していく。減速されぬまま、アンビリカルケーブルをパージすると、永遠の夏空の中に二体のエヴァは吸い込まれていった。

 使徒は急降下する深紫と真紅のエヴァの波動を知覚しながら、自己進化プログラムを作動させる。第一次会戦の時と同じく、構成物質の変異と淘汰が瞬時に行われ、新たな生命形態への変容が起きる。

(あっ...)

 ケージの中で零号機に搭乗し、控えているレイが小さく叫んだ。

 眼前に使徒を捉えたシンジとアスカの前で、使徒が姿を消した。いや、正確には−−

 使徒は四分裂していた。

「冗談じゃないわよっ!」

 ミサトが憤慨する一方で、見事なユニゾンで地面への衝突を回避したシンジとアスカはしかし、これまた口をあんぐりとユニゾンで開く。

「二対四なら、卑怯でも何でもないね、惣流」

「う、うっさいわね。とにかく行くのよ、シンジ!」

「二人とも!ケーブルをつないで!」

 指揮官としての役目は激怒しようが驚愕しようが、果たさねばならぬ。ミサトは作戦の立て直しを迫られていた。よく見ると、使徒甲・乙共に、分裂後は陰陽模様のコアを二分割していた。

「ハーフコア?」

 ミサトがその言葉をこぼすよりも早く、二体のエヴァは猛然と一糸乱れぬ攻撃を仕掛けていた。機動性では元来、エヴァの方が優っている。だが、決め手がない。使徒も決して受けに回る一方ではない。エヴァ二体の華麗な舞いに合わせながら、手数が少ないとはいえ、攻撃を繰り出していった。それは完璧な合わせ鏡の演舞といえた。

「ちょっと、いったん引き上げて!」

 だが、シンジにもアスカにも、それは不可能だった。体が勝手に動く。終局へと突っ走る舞踏病のエヴァ。パイロットの意志とはもはや無関係に、二体のエヴァは必殺の攻撃をたたみ掛ける。ついにハーフコアを流麗な回し蹴りが捉えた瞬間−−

 使徒は八分裂していた。

「何よこれーっ!」

 ミサトが髪をかきむしる。ユニゾン作戦を発案した加持も、にやけ顔を作ろうとするが、頬が引きつる。司令部の二人の男たちは相変わらずの表情だが、内心はいかばかりか。

「いったんエヴァを回収するわ。レイの零号機を護衛に出して!」

「待って」

 横からリツコがさえぎる。

「この使徒は虚像よ。実体ではない。見て、コアがないわ。それに、攻撃力は明らかに落ちる」

(じゃ、十六分裂はないんだな)

 日向マコトは内心で最悪の可能性が否定されることを祈った。

(使徒の団体ご一行様ってことかよ)

 青葉シゲルはほとんどヤケクソで、アドレナリン潮吹き状態となっていた。

(でも、もしかしたら)

 伊吹マヤは分裂を重ねて、手乗りサイズになったミニ使徒がわらわらと押しよせる場面を思い浮かべた。

(それって、ちょっと可愛いかも)

「使徒の運動パターンの解析は?」

 冬月が尋ねた。

「実行中です。エヴァのスピードが圧倒的に上回っているため...出ました」

 ディスプレイを見ながらリツコが言う。

「これは?」

 横からミサトがのぞき込む。

「使徒の実体も、<陰>と<陽>の組み合わせ...汝の影を愛でよ、か」

 加持が身を乗り出す。

「すべてが太陰の卦に収束した時、加重攻撃をかければ、勝てる!お願い、リツコ!」

 ミサトのハラは決まった。旧友へ必殺のアイコンタクト。

「マギによる反筮の法。使徒の分裂・合体パターンを予測し、一点に追い詰めます」

 リツコが言うより早く、マヤは使徒のトレースのリバースモードを起動した。

「サポートをお願いするわ、ハンナヴァルト二尉」

「ユリアで結構です」

 ダッ、とコンソールにつくと、ユリアは流れるような指先でマギの操作を開始した。

(速い...)

 マヤは息をのんだ。マギのシミュレーションと、使徒のトレースのグラフが、見る間に重なっていく。同時に、分裂した使徒を一カ所に追い込むべく、要塞都市のレイアウトが、ユリアの叩き出すコマンドによって瞬時に最適化されていった。

 地上では、エヴァの繰り出す打撃は、二本の手足で行っているとは思われぬ迫力で、ほとんど阿修羅の域にはいっていた。使徒の虚像は、攻撃を受けては実体と入れ替わり、あるいは四分裂や二分裂にもどってパワーアップする。そんな使徒の同時攻撃を、アスカとシンジは奇跡ともいえる俊敏さでかわしていった。

「パイロットの集中力が極限まで高まった今が勝機だ」

 易者姿の似合いそうな冬月が叱咤する。隣りの総司令・ゲンドウは黙って戦況を見つめるのみ。

「当たるも八卦」

 加持はつぶやきながら、ミサトの横顔を見た。

(そういえば、昔から勝負運は強かったな)

 ミサトの当てた万馬券で、最初で最後の温泉旅行に行ったことを思い出す加持だった。そのミサトは−−

「見せてあげるわよ、この第三新東京市の実力を」

 

***

 

(惣流?)

 この感覚は、初めてではない。第五使徒戦で、レイの遠隔操作するフェイクたちと共同作戦を行ったときにも、レイの「思い」がシンジの心に伝わってきた。

 高速で舞うような戦闘を続けていると、時間の感覚がスローになり、一刻一刻が、粒だって知覚される。

 それは相転移を生み、アスカの「思い」が、シンジにも伝わる。

 アスカの痛み。アスカの苦しみ。アスカの希望。

(アンタたちに、負けてらんないのよっ!)

 人類なんて、やっぱり僕にはまだ分からない。けど−−

 目の前の使徒には、絶対に勝つ。

 

***

 

 見事にユニゾンする二人を見て、レイは不思議な思いにとらわれた。

 胸が苦しい。

 キャンプの時の会話を思い出す。

(気持ちが通じてこそラブラブになれるのよっ!)

(他に決まった人がいたら、困るでしょっ!)

 レイにとって、「心」の存在はこれまで無意味だった。必要があれば行動する。他者の思考や感情は、憶測する意味などなかった。だが、今は違う。

「好き...」

 きっと言える。この使徒を倒したら、告白するのだ。

 

***

 

「しかし、使徒を相手に詰め将棋とはな」

 冬月は眼前の奇跡に、勝利を確信した。

「二人とも、最後の攻撃にかかるわよっ!」

 

 臨。

「マギの直結回線、開きます」

「予測値との誤差は計測限界以下」

「兵装ビルの配置完了」

 小畜。

「トラップ作動!」

「ATフィールド中和よし」

「全砲門開け、撃て!」

 中孚。

「ハーフコア再生、四分裂に戻ります」

「誘導よろしく!」

「シールド展開、地雷原スタンバイ急げ」

 大有。

「影の使徒、再び出現!」

「使徒がN2地雷原に入ります」

「二人とも、跳んで!」

 

 真紅と深紫のエヴァが跳ぶ。ギエムのように跳ぶ。バリシニコフのように跳ぶ。

 地雷原に誘導された使徒は続けざまに起きる大爆発になぶられ、影の使徒がまず消滅した。使徒は八分裂から四分裂へ、そして爆炎とともに剥ぎ取られた構成物質を再び補給すべく、四分裂から二分裂へと姿を変える。

 

「王手!」

 

 乾。

 

 坤。

 

 爆炎を切り裂いて、急降下するエヴァ二体。完璧にして最強のパ・ド・ドゥ。

 

 一擲。

 

 太陽は太陰へ−−

 

「よっしゃああああああ!!

 

***

 

 戦いすんで陽が暮れて。

 使徒迎撃要塞都市としての機能をフルに発揮した初めての戦闘が終わった。処理班がきびきびと動き、工作課が総出で破壊された機能の復旧にあたっている。

 ミサトは事後処理をいったん日向たちに任せると、チルドレンをのせて車を駆っていた。アスカの歓迎会をかねた夕食の準備だ。いったん買い出しを済ませれば、料理はシンジに託して、本部にトンボ帰りなのではあるが。

「あっ、見て見て、遊園地!」

 アスカがはしゃいだ声をあげた。指さす先には、小さな西洋風のお城の形をした、カラフルな建物。

「今度あたしと行くのよ、シンジ!」

「あらあら、アスカったら大胆ね」

 ミサトがからかう。

「じゃあ、ファーストも来るのよっ!」

「3Pとはますます大胆ね。でも、中学生はだめよ」

 そこには一条ゆかりもびっくり、「砂の城」という看板を掲げたド派手なラブホテルがあった。

 

<つづく>

2002.10.21(2007.10.12オーバーホール)

Hoffnung

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