Eva -- Frame by Frame --

 

<第19話 最後の戰い>

 

 僕が殺した

 

 少年はもはや数えられぬほど繰り返した想念を反復する。

 世界は剥き出しの「死」以外の何物でもなかった。それは少年の魂を浸食し、心の中の何もない空間を広げていった。

 空っぽの朝。空っぽの心。

 

 僕が殺した

 

 母さん...

 ヒトを殺してしまった

 トウジが死んだ

 銃を頭にあてて 引き金をひいた

 母さん...

 人生は始まったばかりだと思っていた

 でも 何もかも棄ててしまうんだ

 

 僕を一人にしないで

 僕を助けてよ

 

 あのとき、初号機に一瞬だけ暴走の兆しを感じた。エヴァに力が漲り、コントロールが体から離れていく感覚。だが、罪悪感と喪失感がやり場のない怒りとなって爆発する前に、電源は切れ、初号機は停止した。

 医療機器の低周波音だけが響く病室の中、少年はベッドの上で横向きになって体を縮めた。うずくまるその姿勢は、外部との接触を拒み、羊水に満たされた子宮の温もりへと回帰することだけを望む、萎え衰えた心そのままの姿だった。

 

 何も考えたくない。

 何も感じたくない。

 僕なんて、生まれてこなければよかった。

 

 生気を喪い、虚ろなまなざしで白い空間を凝視する少年の乾いた口唇が、わずかに動き、一人の少女の名前を象った。それが救済を与える唯一の祈りであるかのように。

 

 綾波...

 

***

 

 どこでもない空間で、虚像たちの饗宴が繰り広げられる。

「碇ゲンドウ、あの男にネルフを与えたのがそもそもの間違いではないのかね」

「だが、あの男でなければ、全ての計画の遂行は出来なかった」

「それも限界だ。アダムのサンプルを持ち出したのみならず、<鈴>の報告によれば、独自にダミーシステムを開発していたというではないか。補完計画は一つあればよい。違うかね?」

 いかにも、という呟きがどこからともなく聞こえた。それはやがて、虚像たちの唱和へと変わっていった。

「全ては久遠の安寧のために 裁きは墜ちたる魂のために」

 溶暗。

 

***

 

 第三東京市内は、今日も早朝から大規模補修工事におおわらわだった。さきの第13使徒戦は松代の実験施設近くで起きたものだったが、その前の第12使徒の侵入によって、施設の多くのブロックが切り取られたように消滅した。

 臨時に作られたゲートで、運び込まれる資材のチェックにあたっていたネルフ局員は、車の流れが一時的に途切れたのを訝しんだ。だが、しばしの後、トラックの流れは再開した。

 後ろにはトラックがつかえている。後続の車両は、容赦なくホーンを鳴らした。いつ次の使徒が襲来するかわからない−−そんな焦りが、彼の注意力をわずかに低下させていた。

「よし。通れ」

 その判断は、後に致命的なミスであったことを彼は思い知る。

 

***

 

「処理されたよ...使徒として」

 加持の言葉が脳裏でエンドレスで繰り返される。ミサトはこれまでの作戦行動によって、決して少ないとは言えない死者を出してきたことは承知していた。だが、今度はそれまでとは違う。

 殺したのは、エヴァパイロットだ。「家族」を演じてきた子供たちと同じ、14才の少年。それは同時に、強大な戦力の消失であり、チルドレンからの信頼の瓦解でもあった。

 大きく呼吸すると、折れた肋骨が疼いた。松代の実験場で救出された時に見た光景が悪霊のようによみがえる。空が、大地が、そしてエヴァたちが−−全てが赤い血の色に染まっていた。それは来るべき自分たちの命運を予告しているようにミサトには思えた。

 

***

 

「作業完了」

 リツコはそう宣言し、ドグマ最深部に近い層にある施設の一つをロックした。体調は最悪だが、軽いブランチくらいは摂ろうと思いつつ。

(ひどい慌てぶりだこと)

 ネルフ技術部長は、彼女本来の美学とはほど遠い、急造の隔離ブロックを見やった。

 最奥の層は0.0005Kを保っている。

「各室のデュワー壁にも異常は認められません」

 傍らに立つ伊吹マヤがこわばった口調で伝えた。巨大な半球状の隔壁から何本も絡まるように伸びたパイプは、古代の邪神を思わせた。

 怖いのだ。ヒトの身には怖くてたまらずに、覆い隠すしかないのだ。

 自ら空けた恐怖の穴を慌てて塞ぐのは、科学者の性なのだろうか。

 第13使徒として処理された参号機から、技術部は無傷のコアを摘出した。この隔離処置がどれだけ有効かはわからない。活動を再開する恐れはつねにつきまとう。

 全身がきしむように痛む。こめかみの裂傷は思ったより浅かったが、出血は止まっていなかった。傷跡はいつまでも残るだろう。

−−いつまでも?

 リツコはその言葉を反復すると、童女のように微笑んだ。

 

***

 

「お前ら、宿題はちゃんとやれよ!」

 第三新東京市を生徒たちが後にする。これまでの使徒戦で市街の廃墟化が進んでいた。だが、それよりもむしろ、第12使徒戦でシェルターがすっぽりと異次元に埋没したことが、疎開を決定的にした原因だった。第一中学では、一つのクラスがまるごと犠牲になった。子供たちを安全な場所に避難させるのは、むしろ遅すぎた措置といえた。

 空は悲しいほどに青く澄んでいる。ビコーズの空。

「先生はどうするの?」

 生徒の一人が尋ねた。教師は心配するな、という表情で答える。

「全員の出発を確認したら、すぐに出る。来年はお前らの進学指導もしなきゃいけないしな」

 

***

 

 薄暗いケージは巨大な霊安室を思わせた。

 冷却中の初号機の前にゲンドウは立っていた。

 右の手が疼いている。ついさっきまでは感覚をなくしていた手首が火照り、ザワザワという波動を感じる。その手中には、別の生き物が半透明の膜におおわれて脈打っていた。それはゲンドウの右の掌に生体融合したアダムの幼生だった。

 ゲンドウは愛おしげに魔神の頭部を見上げると、くぐもった声でつぶやいた。「終わりの七日間」もまもなく終幕を迎えようとしている−−どんな形であれ。

「あと少しだよ、ユイ」

 

***

 

「クウゥー?」

 葛城ミサト家から謎の知性体たるペンペンが運び出される。

 中学も閉鎖された。最初の適格者はロスト−−おそらくは総司令の直轄管理下だ。弐号機パイロットは使徒戦の新たなダメージにより隔離病棟。同じく碇シンジも心神喪失で隔離病棟。フォースは−−シンジの親友だったはずの少年は−−戦死。

(家族ごっこも終わり、か)

 それでもあたしは彼らを戦場に投入するだろう。コアの書き換えさえできれば、あの洞木ヒカリという少女すら、死地に追いやることをいとうまい。

 今日の朝、疎開の指揮にあたったネルフ局員に、ヒカリは狂気をたたえた形相で詰め寄ったという。

(鈴原を返して!返してください!)

 その場に崩れ落ち、思い人の名をただひたすらに呼び続ける少女を、ネルフ局員は起こそうとした。その手をぴしりと払いのけたのは、クラスメートの少女たちだったという。

 クール宅急便に梱包されるペンペンを見送りながら、ミサトはヒカリの疎開先を追跡・確認するよう、ネルフ本部に指示を入れた。

 

***

 

 宮里ミチルは、洗濯物を干し終えると、古びた料理本を開いた。引き取って育ている子供たちと一緒に作った家庭菜園には、色づいた作物が収穫を待っている。

(お父さん、おいしいって言ってくれるかな)

 古びたクッキングブック。そのレシピ一覧の終わりのあたりに、「カレを本気にさせるメニュー」という陳腐なフレーズがあった。その部分をミチルはじっと見つめると、頬を赤く染めて本を閉じた。

 

***

 

 窓のない部屋。隅には古びた作りのチェストがあり、その上には水の満たされたビーカーと薬の袋があった。透き通るような肌の少女が、部屋の中央近くに配されたパイプベッドに座り、ビーカーに入る照明の屈折光を見つめていた。約束の時をただじっと待ちながら。

 それが偽りの安息であることを、レイは知らない。

 

***

 

「...加持さん...」

 少女はうっすらと目を開いた。その目はまだ本来の輝きからは遠かったが、散乱した意識は一つの像を結び、惣流・アスカ・ラングレーとしての自己をしだいに回復していった。

 夜明け時、救急ヘリでネルフ本部に搬送される途中、アスカは悪夢の中にいた。

 

エースパイロットの座をシンジに奪われ、使徒戦で再起不能の惨敗をする夢。

廃墟となった第三東京市をひとりでさ迷い、誰からもかえりみられず、精神崩壊を起こす夢。

ボロボロの状態で隔離病棟に収容され、そのさ中にシンジに劣情にまみれた辱めを受ける夢。

 

 だが、今のアスカの胸中には、怒りだけがあった。それは同時に自分自身への憤りであり、おのれの誇りをズタズタにした使徒という存在への憎しみでもあった。

 あの化け物−−第13使徒が乗っ取ったエヴァ参号機−−から、頭部に強烈な打撃を受けた。物理的外傷はなくても、身体の動きのコントロールがまだ完全には出来ない。しかしアスカは何かに駆り立てられるような感覚を覚えていた。立ち上がること。動き出すこと。

 両の拳を固く握りしめる。

 許さない。絶対に。

 不意にアスカはベッドから身を起こした。そして枕元にある、冷えて味もわからなくなった食事にかぶりつく。軽い吐き気をおぼえつつも、あっという間に彼女はそのプレートをたいらげた。

 負けない。絶対に。

 その時、ふとアスカは考え込む。あの夢の中に出てきた使徒は何だったのだろう?見たことのない姿。いや、見えない敵?

 構うものか。

 目眩を振り払い、アスカは立ち上がる。

 敵ならば、撃滅するだけのこと。

 殺してやる。

 

***

 

 浅い眠りから、急な車の加速によって冬月コウゾウは現実に引き戻された。

「どうかしたのか?」

 時計を見る。眠りかけたのは十分間くらいだったようだ。作戦会議の時間にはまだ余裕がある。

「つけられています」

 一瞬、後ろを振り向こうとしたが、その愚にすぐに気づき、冬月は姿勢を崩さずに運転手に言った。

「振り切れるか?」

「おまかせくだい...それより」

 顎の角張ったネルフ司令部附の運転手は、奇妙な恍惚感の混じった声で告げた。

「シートベルトを御使用くださいませ」

 直後、運転手は思いきりアクセルを踏み込んだ。カーチェイスの当事者になるなど、研究者時代の自分が見たら仰天するだろう−−冬月は場違いな諧謔をおぼえた。

 最後に京大の研究室に行った時のことを、冬月はふと思い出した。あの時、葛城博士のノートをサルベージできたのは幸運だったのだろう。たとえ、それが残りの人生を暗黒の世界へと塗り込めていったのだとしても。

 

***

 

 葛城ノート−−セカンド・インパクトの真相に最も肉薄した記録。原本は失われ、存在すら霧の彼方にあったが、冬月の手元にはほぼ完全なコピーが残されていた。

 回想が脳裏をめぐる。ゼーレも、ネルフも、そしておそらくは国連や日本政府も最後の一手を打とうとしている今、そんな思いは場違いとも思えたが、冬月はしばし久方にわき上がった追憶に身を委ねることにした。

 

「ならば、黙示録の幻視は真の予言だったというのかね?」

 思わず上ずった声をあげた時のことは、今でも生々しく覚えている。2000年。旧東京大学、山上会館。

 葛城博士は、苦渋に満ちた表情で、うなずいた。研究室にこもり切りだったのだろう、落ちくぼんだ目と無精髭が痛々しい。

「アダムから生まれた18の可能性、その中のただ一つだけが母胎へと回帰し、新たな存在形態へ、そう、冬月先生のタームで言えば、真なる形而上生物へと進化することが許されるのです」

「ガイアはそのための培養基だったというわけか」

 

 最終進化の階梯を、葛城博士はファイナル・インパクトと呼んだ。神への長い道のりを歩むことができるのは、始祖種族の遺した道標=アダムにふれることのできるものだけだ。他の生命体がそれによって滅びることになっても、それは運命というよりない。これが、葛城ノートの骨子だった。

 本来ならば、ファイナル・インパクトは魚座の二千年期が終わる年に起きるはずだった。だが、それは真の終局とはならず、世はこれをセカンド・インパクトと呼びならわした。なぜなら−−

 なぜなら、彼らが最後まであの場にとどまり、「光の巨人」の覚醒をとどめたからだ。冬月は苦い追憶を呼び起こす。終局へのシナリオは、15年のタイムラグの結果、何通りにも分岐していた。

 最後の瞬間は、ヒトの心をもち始めたあの少女が決めるのだろう。今は刻々と移りゆく状況にむけて、細心の布石を打っていくしかない。冬月は有能な副官の表情に戻ると、本部施設の保安システムを脳裏で再チェックし始めた。

 車が、カーブを抜けるとさらに加速した。

 

***

 

「猊下...」

 鬱蒼とした樹林を思わせる書庫の中、老人はゆるりと振り返った。一瞥をくれると従者は下がり、老人は再び「書物」に集中した。

 エメラルドの石版が、明滅を始めている。

 火と薔薇とは一つのものだ。

 時が、満ちてゆく。

 

***

 

 執務室の薄闇の中、ゲンドウはその時を待っていた。黄昏を思わせる微光が広大なフロアを満たしていた。やがてその中に、モノリス状のホログラフィが低い機械音とともに次々に現出した。翻訳システムが稼働する直前の隻語が、そのままモニタからこぼれる。すでにヒトの映像ですらない、暗黒の支配者たちは、回線の状態が思わしくないのか、どこか落ち着きのない印象を一瞬だけ与えたが、すぐにいつもの傲然たる気配を漂わせた。

 ゼーレ議長、キール・ローレンツが唐突に本題に入った。

「約束の時が来た。もはやリリスによる補完はできぬ。唯一、その分身たるエヴァ初号機による遂行を願うぞ」

 ここに至っては、宮廷政治の儀礼すら不要ということか。そう思い、ゲンドウは眼鏡を軽く持ち上げると、言った。

「ヒトは新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァンゲリオンです」

 モノリスたちから、侮蔑と憎悪の入り交じった情念が立ち上る。

「言うに及ばぬ。だが、われわれはヒトの魂を失ってまでエヴァという名の箱船に乗るつもりはない」

「これは通過儀式なのだ。閉塞した人類が<黒き月>のもとに再生するための」

「滅びの宿命は、新生の歓びでもある」

 ゲンドウの口元が小さく歪んだ。宿命を踏破する者こそ、人間の究極の姿だろうに。それが、ゼーレと彼との分岐点だった。

 なおも、モノリスの一つがざらついた音声で告げた。

「全ての生命は死をもって、やがて一つになるために」

 ゲンドウは決別する。微塵のためらいもなく。

「死は何も生みませんよ」

 キールも、また。

「死は、君たちに与えよう」

 そしてブン、という低い鳴動とともに、モノリスたちは消えていった。

 

「ヒトは生きていこうとするところにその存在がある。それが、自らエヴァに残った彼女の願いだからな」

「戻っていたのか、冬月」

 振り返らずにゲンドウが言った。

「ああ。動き出すぞ」

「わかっている」

「誰が永遠の命を欲するというのだ。これが、彼らの神学の限界だ」

 

***

 

 初老の男はハッシュに手を伸ばしかけたが、いくらかの逡巡ののち、動作を止めた。

 間もなく、報せがもたらされるはずだった。議長の排除、そしてゼーレの新秩序が始まる。サードインパクトの発動は、世界を我が掌中におさめてからでよい。

 その時、ドアが背後で開いた。男が不審げに振り向く。

 同時に、乾いた破裂音と共にその身体に無数の銃弾が撃ち込まれていった。数十秒の傀儡舞の後には、濃厚な硝煙臭と赤い肉塊に付着したフラショナール生地の断片だけが残った。

 

***

 

 ローレンツは闇の中、第三眼を開いた。「異物」の処理は済んだ。これが私たちの作った世界なのか−−幾億回と繰り返した自問が、終わる。

 私はもはやヒトの断片にすぎない。大量の器械を埋め込まれ、長らえている老人にすぎない。

 すべてのヒトもまた、断片にすぎない。罪に穢れ、うごめく無明の存在にすぎない。

 福音を。すべての欠けたる魂に福音を。あらゆる苦しみ、あらゆる悲しみが終焉するところの薔薇園を。

 そして老人は万感の思いをこめて、声にならぬ声をしぼり出す。

「私は、人類を愛しすぎたのだ」


 

Episode 19: Too Much Love Will Kill You

 


 7日目−−

 琥珀色の薄闇の底には、低い機械音の鳴動がしていた。反響もせぬほどの広い空間。その中央に、幾つものパイプが接続した水槽があった。

 LCLの中、レイはまどろんでいた。少女の意識はほんのわずかしか覚醒していなかった。ただ、ここが自分のいるべき場所であり、全ての終局が間近にせまっていることだけが、厚い霧におおわれた意識の中で認識された。

 少女は気づかない。おのが精神がゲンドウによって操作され、記憶を遮断されていることに。今の彼女は、幼児に退行した意識しか持っていなかった。無に還る時が、迫っている。その予感に胸が震えた。

 もうすぐ、あの人が来る。

 あの人?−−レイの中で何かが軋んだ。その意味がわからず、少女は小さく眉を歪めた。さきほどとは違う胸の疼きを感じる。

(早く、来て...)

 

***

 

 発令所のスクリーンを日向は見上げた。零号機および参号機は欠番の表示となっている。第13使徒戦の事後処理と作戦計画の立て直しで、スタッフの消耗は限界をとうに越えていた。

 その時、発令所の重い空気を切り裂くように警戒信号が響いた。新たな緊張が走る。

「使徒?!」

 青葉がターミナルを睨みつける。あらゆるパネルの表示は一つの状況を指し示していた。

「すべての外部端末からデータ侵入、マギへのハッキングを目指しています...」

「敵は?」

「マギタイプが5、松代、ドイツ、中国、アメリカからの侵入が確認されました!」

(ったく、こんな時にリツコは)

 技術部スタッフでないミサトは、腕組みのまま仁王立ちしてスクリーンを睨みすえるしかない。

「まずいな。ゼーレめ、総がかりか...彼我戦力差は1対5、分が悪いぞ」

 冬月が独語する。ゲンドウに動く気配はない。

「メイン回路遮断...だめです」

「赤木君との連絡は?」

「つながりました...センパイ!」

 すがるようにマヤが状況を告げる。リツコが処方を最後まで伝える前に通信は途切れた。マヤは能力限界を突き抜けてマギへのアタックに立ち向かう。

(早く...来て下さい)

 

***

 

 アスカが異変に気づいたのは、強引に取り返した自分の服を身につけた直後だった。隔離病棟からどうやって抜け出そうかと考え始めた直後、どの扉も認証なしに開いた。

「ちょっと、待って下さい!」

 看護師があわてて引き留めようとする。アスカはその手を振りきった。

「うっさいわね。出動命令なの。ぐずぐずしてたら、使徒に喰われるわよっ!」

 そう言い放つと、アスカはエヴァのケージへと弾むように駆け去った。戦いの時が迫っていることを全身で浴びるように感じる。

(敵は、どこ?)

 

***

 

 再び、発令所。

「先ほど第2東京からA−801が出ました」

 日向がこわばった表情でミサトに伝えた。

「801...」

「特務機関ネルフの特例による法的保護の破棄、及び指揮権の日本国政府への委譲。最後通告ですよ」

 その後ろでは、冬月がゲンドウに囁いていた。

「マギは前哨戦に過ぎんぞ...」

 

***

 

「母さん、また後でね」

 そう言うと、リツコはマギの深奥にある生体ユニットの保護壁を閉じた。

 

***

 

「始めよう、予定通りだ」

 戦自の指揮官はそう告げると、ネルフ本部施設の直接占拠行動を開始した。

 三個大隊の投入、そして圧倒的な火力によって、ネルフ本部の防衛システムは次々と無力化されていった。

 本部メインゲートが開く。内側にはネルフ保安部員の死体がいくつもあった。補修工事の資材にまぎれて侵入していた工作員の仕業だった。

 陸続と戦闘部隊がネルフ本部内を侵す。

 急遽下ろされたシールドも、次々に破壊されていった。保安部の戦闘力は限られたものでしかなく、対人要撃システムもまた、あまりに非力だった。

 

***

 

(やはり最後の敵は人間か)

 冬月は声にならぬ声でつぶやいた。切り札はすべてこちらにある。連中が焦るのもムリはない。

「総員、第一種戦闘配置」

 ゲンドウが指令する。

「戦闘配置?相手は使徒じゃないのに...同じ人間なのに」

 マヤの声は震えていた。

「向こうはそう思っちゃくれないさ」

 

***

 

(タラップなんて...)

 第9使徒襲来のとき、停電した本部施設内を移動したことをリツコは思い出す。ネルフでは数名しか知る者のないルートを抜けて、ドグマへと彼女は向かっていた。応急の防御システムは作動させたが、時間かせぎにすぎないだろう。機関部分が破壊されれば、動きを止める。

 回廊を走り抜け、ドグマへの直通経路のハッチを開けた瞬間だった。リツコの耳元で、不快な金属音が立て続けに弾けた。彼女はハッチから転がるように暗い通路の中に走り込んだ。補助動力が生きていることを確かめると、近くの倉庫区画から大型ボンベをあるだけ搬送するよう指示を入れる。

 対人兵器というには、あまりに強力な銃火がリツコの後ろ姿を追った。それと時を同じくして、ハッチの前に投げ出されたボンベに亀裂が入った。爆発音とともに、周囲の空気が凍りつく。荒れ狂う液体窒素の嵐に巻き込まれ、殺到した戦自部隊は、立ち尽くしたまま死体となっていった。

 いわれなく人の命を奪う者は、いわれなき死を甘受せねばならない−−リツコは別のタラップにひらりと跳び移りながら思考した。

(あら、私って、意外と道徳家)

 

***

 

 本部の防衛システムが次々に機能停止に追い込まれている。多くのブロックで火災発生、そして第一層は落ち、内奥に向けて猛烈な勢いで食い破られている。本部施設内で起きているのは、今や無差別殺戮だった。無抵抗のネルフ局員たちが、戦自部隊の火砲の前に理由もわからぬまま、射殺され、爆殺され、轢殺されていった。

「西館の部隊は陽動よ。本命がエヴァの占拠ならパイロットを狙うわ。パイロットの捕捉急いで!」

 ミサトが咆吼する。

「初号機パイロットは隔離病棟。弐号機パイロットは...ケージに向かっています」

「護衛を急がせて!第一層は廃棄しても構わないわ。レイは?」

「零号機パイロットは...ロスト」

「早くしないと、殺されるわよ...」

 

***

 

「助けて綾波、助けてよ」

 ガキの戯言に付き合うひまはない。そう思いつつも、14歳の少年をパイロットとして酷使し、ここまで追い込んだことは、護衛の保安部員の胸に微妙な陰を形作った。

「もういやだ...死にたい。何もしたくない」

 ベッドから無言でシンジを引きずり起こし、抱きかかえるように病室から連れ出す。エレベータは使えるはずもない。この少年は軽い。ならば、機械系統のシャフトを急降下−−護衛は即断した。

 

***

 

「進んでいるようだな」

 戦略自衛隊の将官は誰に告げるともなく言った。

 死が、二本の足で進行している。対人戦闘の経験の乏しい者ばかりで構成されたネルフ本部が落ちるのは、時間の問題だろう。宮里部隊は、今後のネルフ施設の処置のために、可能な限りの情報を収集するはずだ。

 将官の手が愛用のマグカップに伸びる。

 同時に、戦自の作戦室にけたたましく警報が響いた。将官は新たな事態に驚愕する。

 あれは、何だ。

 

***

 

「これは...」

 ミサトは絶句する。

「駒ヶ岳防衛戦上に突如現れました。それまでの軌跡は記録されていません」

 巨大な、あまりに巨大な存在。大型草食獣の胴体のみが独立したかのような、手足をもたない未確認物体が、スクリーンの右側に映し出されている。その存在は浮遊しながらジオフロントに迫っている。戦自の侵攻によって機器が破壊され、スクリーン上のいくつかの光学映像が消えていたが、発令所スタッフには、それが何物かは明らかだった。

「第14使徒...」

 日向が凍りつく。

 戦自部隊の砲火が新たな目標に向けられた。だが、乱射された砲弾は目視可能なほどに強力な朱金の「壁」にはばまれて、どれ一つとして命中することはなかった。そして目標の中心部にある、人面を思わせる装甲のような部分に光の粒子が集中すると、次の瞬間、あらゆる光学観測がホワイトアウトし、本部施設にも激しい衝撃が襲った。

「何だ!」

 外から見れば、巨大な火柱が縦横に伸びるのが確認されたことだろう。

「第1から18番装甲まで総壊!」

 回復した映像からは、地上の戦自部隊が大打撃を受け、戦線の再構築にやっきとなているさまがうかがわれた。

(どうする?!)

 ミサトはいくつかの可能性を必死に模索する。

「目標はドグマ中枢に直接侵攻するつもりね。エヴァの地上迎撃は間に合わないわ。弐号機をジオフロント内に配置。パイロットはまだ?!」

 ミサトが号令した、まさにその時−−

「ハロー、ミサト!」

「「「アスカ!」」」

 オペレータたちがいっせいに声をあげた。アスカがケージに到着したのだ。ミサトはカメラごしに彼女の無事を確かめると、指令した。

「いい、アスカ、弐号機は本部施設の直上に射出、目標がジオフロント内に侵入した瞬間を狙い撃ちして。戦自部隊への応戦も許可します。初号機もすぐに出すわ。存分に暴れてちょうだい」

「任せなさいって。あたし一人で十分よっ!」

 そう言って、アスカはプラグスーツに着替えに向かおうとするが、一瞬、立ち止まると、手近にあったハサミをとり、自分の髪を一房切り落とした。そしてその房をきつく縛り、護衛の者に渡した。

「日本人はこうするんでしょ。シンジに言ってやって。あんたはバカなんだから、頑張り過ぎるなって...それから、ファーストを大切にしないと、化けて出るわよ」

「くっ...」

 マヤが思わず唇を噛んだ。ミサトはマイクに向かい、語りかける。

「アスカ、これはあなたと、そして自分の足で立って歩いていこうとする、全ての人間のための戦いなの。これが最後の戦いよ。どんなに傷ついても、酷い運命が襲ってきても、生き抜く意志があれば、そして支え合う心があれば、ヒトは未来を開いていくことができる。あたしたちも、総力であなたをサポートする。そして、帰ってきたら...」

 ミサトは言葉をふいに詰まらせた。アスカはみなまで聞かず、それまで誰にも見せたことのないような穏やかな微笑をうかべると、スクリーンから姿を消した。

 

「アスカ、行くわよ」

 シュッ!という鋭い音とともに、真紅のプラグスーツが少女の身体にフィットする。強烈な意志を秘めた青い瞳−−そこにはゲルマン神話に謡われた、猛き戦乙女の姿があった。

 

***

 

 深紅のエヴァ弐号機が、ジオフロントに姿を現す。本部施設の地上部分は破壊され、黒煙がいくつも上がっている。弐号機に対しても、現れるやいなや、戦自部隊からの砲火が豪雨のように降り注いだ。

「敵!!」

 アスカは右腕を振り払うように広げると、ATフィールドを広角で展開した。戦闘ヘリが「壁」に激突して爆発する。ネルフの残存迎撃システムは弐号機の制御系に直結されている。正面の地上部隊も、ミサイルとパレットガンの掃射によって次々と沈黙していった。

「邪魔!」

 使徒の侵入まで、あと6秒。

 

***

 

 力天使が、ジオフロントへと降り立つ。

 第14使徒は人型ですらなく、「力」そのものの塊のような存在だった。そこから放たれる膨大な「気」からは、この目標が最強の使徒であることが直感された。

「敵!!」

 アスカは戦慄する。

(どうすれば、勝てる?)

 ATフィールドの中和は、弐号機の最大出力で可能だろう。だが、その後は...アスカは使用可能な武装をスキャンしながら、究極まで気を高めていった。

 

***

 

 どこでもない場所。永遠の黄昏の中で、銀の髪の少年が透き通った声で呼びかけた。

「さあ行こう、アダムの分身、リリンの下僕」

 

***

 

「高空を飛行物体がネルフ本部に向けて高速移動中。編隊です!」

 日向が叫んだ。援軍...のはずはない。

「何ですって?!」

「空中で大型の物体が投下されました...識別信号...未登録。ATフィールドの発生を確認...光学映像、入ります!」

 ゲンドウは立ち上がり、ドグマに向かう。

「冬月先生、後を頼みます」

「わかっている。ユイ君によろしくな」

 

***

 

「エヴァシリーズ...完成してたの?」

 上空を白い翼の人造天使たちが旋回する。6機。それは滅びの輪舞曲。双方向回線は機能しない。アスカは瞬時に認識した−−

「敵!!」

 アスカの研ぎすまされた意識が、邪悪な、歪んだ意志を感じた。何らの必然もなく、生あるものを破壊する意志。仕組まれた黙示録。天駆ける巨大な滅びの戦車。

 エヴァシリーズは使徒を押し包むようなフォーメーションを維持しつつ、手にした武器を構えた。それはエヴァの体長ほどもある、中央に柄を持ち、両端に刃のついた長大な剣だった。

 やがて、白いエヴァたちの手の中で、その武器は形を変え、槍状に変化した。6機のエヴァは、上空で大きく体を弓なりに反らせると、急降下を始めた。アスカは使徒と対峙しつつ、槍の先端がさらに変形するのを見た。

(ロンギヌスの槍?)

 エヴァシリーズは引き絞った全身を反転させ、第14使徒へと次々に正確な軌道で槍を撃ち込んでいった。

 人喰い鬼たちの戦い−−オウガ・バトル−−が、いま始まる。

 

<つづく>

2006.12.28(2008.3.15オーバーホール)

Hoffnung

BACK INDEX NEXT
inserted by FC2 system