決戦は誕生日−−More than a feeling−−

 

 朝がきた。

 新しい朝、希望の朝である。しかし碇シンジはユーウツだった。いや、ユーウツなどと言っては失礼だ。少年は真剣に悩んでいるのだった。

 気持ちだけじゃダメ。

 誰にいわれたわけでもない。ギャルむけ雑誌など、もちろん読んではない。むしろそれは集合無意識というか、内なる超自我のささやきというか。まあ、それはどうでもいいとして。

 気持ちだけじゃダメ。

「だけど、何をプレゼントしたらいいんだろう」

 ついつい小さく声にでてしまう。

 あと3日で、やってくる。

 綾波レイの、17回目の誕生日。

 

 

「だ〜か〜ら〜!」

 気持ちだけじゃダメ。

 目の前の少女はそういった。

「誕生日なんだから、なんでもドカーンといってみればいいのよ」

 なんというアバウトな、とはレイは思わない。レイの不思議発言でうろたえるシンジを、これまでも何度か見てきた。そんなときは、奇妙な多幸感がわきあがってくる。

 そうはいっても。

 満ち足りた日々。世界のどこかでは、悲惨な出来事がおきているのは事実だ。それでも、使徒のいない世界、あらゆる人間を抹消する恐怖が襲ってこない世界が、今はある。シンジとすごす今日が、明日もつづく世界−−レイには、それでじゅうぶんだった。

「アンタは何かプレゼントをもらったことないの?」

「...ない...」

 あの、バカシンジ。女の子なら、クリスマスだの桃の節句だのホワイトデーだの盆でも正月でも、いつだってプレゼントをもらえば嬉しいってことがわかってないのかしら...アスカは頭をかかえた。

「ここは援軍が必要ね」

 

 

 どうしよう。

 彼女のために何かしようという気持ちは、いつだってある。だが、あらたまって「プレゼント」というものは、したことがない。これまで疑問に思わなかったが、いざふりかえってみると、罪悪感がムクムクと頭をもたげてしまう。

 うわっ、僕ってやっぱり自罰的なのか。

 思いかえせば...

 14歳の誕生日。すべては混沌の中にあった。組織の解体。査問と監視。もう会えないかもしれないと思った。

 15歳の誕生日。自由のない日々はつづいた。けれども不思議に静かな生活だった。いっしょにいるだけでよかった。

 16歳の誕生日。第二東京への移転。新しい生活になれるのに精一杯だった。そして、もうすぐ一年がすぎる。

 新しい生活に、必要なものをレイといっしょに買いにでたことは何度もあった。移り住んだ学寮のフロアは別だったが、食事は共にすることが多かったから。そんな中で、レイは何かを求めるでなく、ただシンジのそばにいることに安堵しているように見えた。

 綾波が、欲しがりそうなもの?

 考えても、思い浮かばなかった。決まった目標があればプランを考えることもできる。しかし、レイの喜ぶプレゼントという目標そのものが見あたらないのである。これはたいそうな難問だった。

 

 

 アスカの「援軍」はわらわらと増員されていった。

 ついさっきは、このさいシンジにメイド服を着せて、一日ご奉仕させてはどうかという某女子の提案に異様な盛り上がりをみせていたところだった。

少女A「うちのママがいってたけどね、誕生日に料理から掃除からぜーんぶパパにやってもらったときは嬉しかったみたいよ」

「碇くんの料理...いつも食べてる」

少女B「とりあえず光り物なんてダメなの?」

「青魚より、白身魚のほうが好き」(<違います)

少女C「かれ、チェロやってたんだっけ?誕生日にはレイだけのためにコンサートなんてよくない?」

「このあいだ、聞かせてくれたわ」

少女D「じゃあさ、授業もエスケープして(<死語です)、いろんなことから解放されて、一日ず〜うっと一緒にいるってのは?」

「昨日もずっと...一緒だった」

「はー」

 アスカがおおげさに肩をすくめる。

「この、幸せものが!」

少女E「じゃあ、このさいプロポーズさせちゃえ!」

(...ぽっ...)

少女B「いや、それもうこの娘にはデフォだから」

(...ぽっ...)

少女A「でも<まごころ>をあげるなんていってきたら殲滅していいよね」

 と、ここでパーン!と指鉄砲のしぐさをする少女A。まわりの少女たちもつられて笑う。

 このさい、メイド服どころじゃなくて、あいつには裸踊りでもさせないと気がすまなくなってきわね、とアスカは思った。

 それはさておき、ここらで現実的な提案を。

「んー、それじゃ、ペアのティーカップとかは?夫婦茶碗アドバンスってことで。マイセンの旗艦店のカタログならもってるわよ(値段は言わぬが花だけどw)」

 赤い瞳が小さく揺れた。紅茶を入れるのはレイの担当だったから。同じカップでお茶を飲む、それは素敵なアイデアに思えた。

 

 

 ラップトップを閉じる。リサーチしてみても、シンジには何をプレゼントしていいかわからずじまいだった。

「はあ〜...」

 優柔不断。そんな単語が頭の中でチカチカと点滅する。

 そのとき、シンジの携帯が鳴った。緊急連絡の着信音。あわててとると、それはアスカからだった。見れば、短いメッセージ。

 ウダウダ考えてないで、<まごころ>をあげればいいのよ、bksj!

 回線の向こうのアスカの黒笑は、シンジには見えない。

 

 

 今日は綾波レイの、17回目の誕生日。

 学校の帰り道、声をかけた。

「あ、綾波、今日は誕生日だよね。こんど新しくできたショッピングセンターに行かない?えっと、誕生日...だからさ、何かプレゼントできたら、って」(<曖昧な誘い方をするものではありません)

 レイは一瞬きょとんとした。シンジと出会うまで、誕生日はないも同然だった。彼と出会ってから、会話の中に誕生日が出てくることはあっても、イベントは何もなかった。だが、アスカをはじめクラスメートのレクチャーをうけた今日はちがうのだ。だから、「きょとん」の次は「にっこり」だった。

 そしてショッピングモールへと二人はむかう。ふだんとは違う、絶妙の緊張感を漂わせながら。

 1F−−ファストフードやケーキ屋がならんでいた。ええっと、と声には出さねど、シンジの目線が泳ぐ。

 あっ、バースデーケーキ!という単語がうかんだときには、レイは無言でエスカレーターに上がっていた。あわててシンジも後を追う。

 2F−−レディースファッション。エスカレーターを上がってすぐのところに、こじんまりとしたジュエリーショップがあった。ショーケースの中にはこぎれいにディスプレイされたたくさんの宝石たちが輝き、プレッシャーをかけまくっていた。

 レイはフロアに出ると、ショーケースの前で立ち止まってじっと見ていた。どきん。シンジの鼓動が急に早まった。おそるおそる、きいてみる。

「何か、気に入ったのがあるの?」

 だが、レイはちょっと考えて、首をふった。

「星空みたいだから」

 そのディスプレイは、黒の天鵞絨のうえに宝石を散らして置いたたものだった。プレッシャーから解放されて、シンジはふたたびエスカレーターに歩をすすめる。

 3F−−ブランドショップとフォーマルウェア。エスカレーターの先には、「春のブライダル」と大きくプリントされたパネルがあり、いくつものマヌカンが美麗なるウェディングドレスをまとっていた。いや、まさか、ここでおりて見て回るって...というシンジの動転をよそに、レイはすっ、とフロアに出た。

 あわっ、いや、逃げちゃだめだ、と自分にいいきかせる余裕もなく、レイに肩をならべてフロアを歩きだすシンジ。

 そのとき、どこかでおおっ、という声が聞こえたような気がシンジはしたが、見回しても声の主はいなかった。だが、レイはブライダルを素通りしてフロアガイドをちらと見ると、まっすぐ歩き出した。その行く先はというと、同じフォーマルでも、二人がいまいる学校の御用達コーナーだった。

「ここでいい?」

 とレイが言う。シンジの妄想は一気にしぼんでいった。そういえば昨日、シンジの制服のボタンが一つなくなってしまったのだった。レイが気づいて、どうしようか、と話したのを思い出す。

「ボタン、ください」

 って、自分の買い物してどうすんだよ、と内罰思考がまたもや出てきたシンジであった。

 

 

 4Fは通過。メンズだから当然だった。5Fは半分が食器やキッチンまわりの日用品、半分がイベント会場になっている。ここが最上階だ。

「これって...」

 シンジは立ち止まる。レイも一緒に立ち止まり、会場の中をのぞいた。

「入って、いい?」

 もちろん、と言ってシンジはあわててサイフを出した。<ハートフル・昭和>という、素人だってもっと気のきいた名前を思いつくんじゃないかという小展示だったが、どこかひかれるものがあった。入り口ではチケットのかわりに、キャンペーン商品を買うしくみだった。復刻版のオマケつきお菓子を手にして、二人はこじんまりした会場に入った。

 展示は思ったよりよく考えられたものだった。昭和の、とくに第二次大戦後を中心に、セカンドインパクトを経ても残された日用品や古い写真が展示されていた。昭和30年代、40年代、そして50年代と、それぞれの時代の子供たちの写真が、大型プロジェクタでいれかわり映し出されていた。

 古いものは白黒だった。だが、粒子の粗いイメージの中で虫歯をむきだして破顔する少年は、生命に満ちていた。あるいは、色あせたカラー写真の中で、飾りのついたバトンを振ってごきげんの少女。シンジたちにはもちろん、どんな子供番組のヒロインをまねているのかわかるはずもなかった。

「こう...?」

 レイがさっきの少女のポーズをまねる。背筋をそらせ、片手を腰に、片手は見えないバトンを頭上にかかげて。その姿はあまりに決まっていたので、映像の中の少女がレイのまねをしたのではないかと思うほどだった。シンジの表情がゆるむ。じゃあ僕も、とべつの映像の中の男の子がしていた、腰を落として両腕を体の前で直角に交差させるポーズをとってみようとしたが、後ろの人に軽くぶつかって、よろけてしまった。ごめんなさい、とあやまると同時に、レイが小声でくすっと笑う。

 それぞれの時代を代表する事件の報道写真も展示されていた。悲惨なもの、愚かしいもの、人々を勇気づけるもの、さまざまだった。

 シンジとレイは、<1977年>と書かれたパネルの前でたちどまる。最も偉大であった野球選手が喜びに満ちた表情で両手を翼のように広げてグラウンドをゆく写真がディスプレイされていた。

「母さんの、生まれた年だ」

 その年にあったイベントの記述を、シンジはむさぼるように読んでいった。レイは無言で寄り添い、自分も文字をおっていく。

 読み終わると、シンジははっとしてさっき通り過ぎた年表を振り向いた。レイもその意味をすぐに理解した。

 <1967年>

 展示写真は、なかった。1つ前の年には、黒いブレーザーの上に法被をはおった4人の英国人が、飛行機のタラップ上で手を振る写真が大きくディスプレイされていた。

 それから二人は、ゆっくりと、再びユイの生まれた年へと、年表を追っていった。それは無味乾燥なイベントの羅列だったが、間にときどき挿入される人々の生活風景をうつした写真は、かれらにとってさきほどまでとは全く違う鮮やかさをもって映った。

 ゲンドウが、そしてユイが歩んだ道。年表は<1989年>で終わった。二人がその後いつどうやって出会うのか、シンジもレイも知らなかった。

 見ると、ライティングを落とした一角に、ほかとは違う展示があった。不活性ガスを充填して密閉されたケースの中には、紙の切れはしや形のはっきりしないプラスチック素材が散らばっていた。ケースの脇には<1985年のタイムカプセル>と書かれたパネルがあった。密閉がちゃんとできなかったのか、それともセカンドインパクトの時に壊れたのか、浸水して紙はふやけ、文字はほとんど読めなかった。かつては色鮮やかな写真や希望に満ちた言葉がこめられていたのだろう。「科・学・博」という文字だけは、かろうじて判別できた。

「行こうか」

 それだけシンジは言うと、特設会場を後にした。

 

 

 二人は言葉少なげに、売り場を見てまわった。<ハートフル・昭和>にシンジの心はざわついた。そしてレイもまた。それぞれ感じたことは同じではなかったが、互いが感じた微妙な心のざわめきの実体は、ほぼ正確に読み取ることができた。

 綾波...

 偽りの誕生日。偽りの誕生。

 三年前のあの時、僕は知ってしまった。でも、もう逃げないって決めたんだ。

 空白の記憶。空白の始まり。

 それにくらべたら、実在した過去の思い出をゲンドウやユイから聞かされなかったことなど、小さなことに見えた。だから。

「あのさ...」

 シンジはにっこりと笑った。目線の先には、インテリア小物のコーナーがあった。

「誕生日プレゼント、ああいうのでいいかな?」

 

 

「へー、ま、平凡だけど、あいつにしては上出来ね」

 物陰から偵察行動をつづける少女たちが三人、四人。もちろん、「ジュエリー売り場のレイとシンジ」、「ブライダルコーナーのレイとシンジ」などなど、現場写真は完璧におさえていた。それは第三東京に残った相田ケンスケがいたら垂涎の状況といえた。

少女A「<まごころ>だけじゃなくてホッとしたよね、あたしたちも」

少女B「写真は明日プリントもってくるから」

「よし、状況終了。撤収!」

 アスカはひそひそ声で号令した。

 

 

 レイの部屋。

「それじゃ、あらためて、誕生日おめでとう」

「あけて、いい?」

 やはり手渡されたら、シンジのいる前であけて飾りたいと思うレイであった。

「うん、もちろん」

 中身はわかっていても、心がはやる。どこに置こうか、もう目が部屋の中をスキャンする。

 それはフォトスタンドだった。今ではデジタル化されたものもあったが、シンジが選んだのは、シルバー仕上げのちょっと古風なものだった。売り場では小さいかと思ったが、ふつうの部屋に置くと、なかなかの存在感だった。

「でも」

 シンジはちょっとすまなそうに言う。

「かざる写真、今日はとらなかったね」

 レイは首をふった。

「これから、とっていくから」

「そうだね」

 二人は知らない。このフォトスタンドに最初に飾られることになる写真は、「ブライダルコーナーのレイとシンジ」となることを。

 気持ちだけじゃダメ...でも、いつまでも変わらない気持ちは、もっと大切なもの。

 

 こうして、初めてのバースデーイベントが無事終了したのだった。めでたしめでたし。

 

 

 One more final−−

 レイの携帯がなった。

 短い応答ののち、レイはアスカが、とだけ言って部屋を出た。少し手持ちぶさたなシンジ。

「これ...」

 すぐにもどってきたレイの手には、さっきのショッピングモールのロゴ入りバッグが。

「アスカの、プレゼント?」

 二人で開けてみると、中身はペアのティーカップだった。さすがにマイセンではないが、白を基調にした上品なデザインだった。短いメッセージがそえてある。

 レイとシンジへ。 誕生日おめでとう。レイの紅茶で乾杯しなさい。これはシンジの誕生日のぶんも一緒だから、もうプレゼントは期待しちゃだめよ。それから、これは天才アスカ様のお言葉。あなたたち二人で作る現在が、あなたたちの過去になっていくの。そしてそれを、まわりの人や後にくる人に伝えていくの。あの昭和のからくり屋敷を出てくるところを見かけて、ちょっと気になったから言ってみた。せっかくの誕生日なんだから。それじゃ、viel Spass!

 

--Maerz 30, 2010


■By Hoffnung

■Back inserted by FC2 system