まどろむ碇くん - Same old scene -

 

 

碇シンジは眠りに落ちようとしていた。

うぐ  ぷはー

カゼをひいたようである。夕方だというのに、食事の準備を始める気にもならず、着替えもそこそこに、ベッドにもぐりこんだ。だるい。きっと、熱もある。

もぞもぞ

ベッドの中で靴下を脱ぐ。

ぽさっ

床の上に靴下が落ちる。

む・む・むくり  ざあっ  こてん

カーテンを閉めた。それが精一杯だった。

ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル
ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル

出れない。

ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル

切れた。関節が痛む。注文もしないのに、筋肉痛がトッピングされる。

一人暮らしは、こんな時、ちょっとつらい。頭がぼうっとして、まぶたがとても、重い。だが、このけだるい感じは、少しだけ気持ちいい。長く続かないことは知っているから。

ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル  ピルルルルル

今度も出れない。何回目のコールか数えるまでもなく、シンジはまどろみに入っていった。

 

静かに時が過ぎる。

 

チャッ  バタム  ヴィーン

コンッ  ...  ぺたぺた  きょろ  ぺたぺた  ...

愛らしい侵入者がひとり。紅い瞳がリビングを見回すが、想い人の姿はない。

ぺたぺた  こんこん  キイッ  じいいっ

てとてと  じいいっ  ふにゅ  も一度  ふにゅ

くふっ

じいいっ  ...  じいいっ  ...

すりすり  ...  すりすり  ...  ぴと  ...  はて

(熱い?)

髪をかきあげると、シンジの直毛の髪が、額にはりついて巻き毛のようになっている。

ぺたぺた  キイッ  ぺたぺた  ...  ぺたぺた

冷蔵庫から氷を取り出すとボウルに移す。タオルをきゅぃ、としぼって。

ぺたぺた  ...  ぺたぺた  キイッ  ぺたぺた

そおおっ  ぴと

ガバアぁ  ...  とはいかず

どろーん

「あやなみぃ?」

こくこく

「いま来たの?」

こくこく

「カゼひいたぁ」

きしきし

<わたしも 声がでないの>

「熱、何度だろ」

きしきし

<何度かわかれば 治るの?>

どろーん

シンジは思い出した。体温計などというコじゃれたものはないことを。そういえば、カゼ薬も買いおきなどなかったような気がする。

「まいったなぁ」

じいいいっ  ...  じいいいっ   ...

(風邪...ウイルスによって引き起こされる主として呼吸器系の炎症−−)

レイは医学知識を頭の中で検索した。

(−−たいていの場合は数日で快復に向かう。だが免疫をもたない時には併発症によって死に至ることも稀ではない)

びくん

モロビトが話していた−−(シンちゃんてば免疫がないんだから)(免疫がないのも良し悪しよね、バカシンジ)(お子様なヤツだから、免疫ってもんがないんだよな)

がくがく  がくがく

「ぼく寝てるから、帰ってもいいよ」

ふるふる

ぐわし  うるうる

きしきし

<ずっといさせて!>

しゅらばっ

レイは携帯を取り出すと、ネルフ本部にメッセージを打ち込んだ。全機能の40%足らずしか回復していないが、それでも世界中のたいていの医療施設よりはずっと優れている。

だが、いたいけなる少女の不安は止まないのだ。

きしきし

<ほしいもの ある?>

「あやなみぃ」

ぽっ   ...  ぢゃなくて

「飲むもの、いいかな」

こくり  ...  てとてと  ...

レイは台所に立った。想像はどんどこ悪い方へと膨れ上がっていく。冷蔵庫を開けたまま、硬く、黙ってたたずむばかり。

リラリラ  リラリラ  リラリラ  リラリラ  リラリラ  リラリラ

ど どど どど どど どど ど どど

シンジの部屋に猛然と駆け込むと、ダッシュ一番レイは携帯をとった。

「はい」

ふだんのレイからは想像もつかぬハスキーボイスが可憐な唇からこぼれる。シンジをちらりと見て、少しだけ頬が朱に染まる。

...きょと...

こくんこくん

...きょと...

ピッ!

はふーっ  も一度  はふーっ

ひしっ  ぎゅうううっ  ...  ぎゅうううっ  ...

「あやなみ?...」

ほろん、と安堵したレイの微笑みを見たとたん、シンジは全身の力がすい、と抜けてまぶたが落ちる。レイはそっと体を離すと、布団をかけ直し、しぼったタオルで額の汗をふいてやった。

(でも、ずっといるから...)

 

また、時が少し流れた。

 

ぴんぽーん  と、月並みな音

そおっ  てとてと  チャッ  バタム

戸口にはアスカが立っていた。そばに立つ長身・長髪の男が護衛に目配せする。

「薬とお見舞い、持ってきてやったわよ。まったく、査察が帰ったとたんにこれなんだから」

「あ"りがとう」

「あんたもひどい声ねえ。ちょっと、ロンゲも上がんなさいよ」

青葉シゲルという名でいまだかつて呼ばれたことのない長髪の男は、小さく苦笑してドアをロックした。

しゃくしゃく  ごくん  ふう  3回くり返し  ほこほこ

けっきょく、果物の皮をむいたのは青葉君であった。手先の器用なギタリストである。今はリビングでぱらぱらと調査委員会への書類をチェックしている。国連からの特別査察団は引き上げたばかりだった。ネルフと<外部>の間にはまだあやうい緊張が続いていたが、それは別のエピソードで語られることであろう(< 作者注・本気にしないでね)。

そんなことはお構いなしに、レイとアスカはシンジの部屋で看病(?)に奮闘していた。ぐっしょり濡れた下着を(いや、汗で...)脱がせんとバトルのショウ・ダウンとなりかけた処に青葉君が仲裁に入ったのはご愛嬌。

「どれどれ。こっち向いて、シンジ」

言うなりアスカはぐいと顔を近づけ、おでこをこつん、と合わせる。その流れがまるでキスを迫るように見えて、レイは虚を突かれたようになった。

「あ"っ...」

思わず声をあげるが、アスカは気にもとめない。

「ん、熱はあるけど、そんなにひどくはないわね。口開けて...あ、こりゃ正真正銘のカゼね」

じとおっ  ...  じとおっ  ...

「なっ、何よその目は?あんたがパニックるだけで何もできないから来てやったんでしょ。文句があんなら、ほれ、何か言いなさいよ」

うぐっ  ...  ぐしっ  ...

交差する紅い瞳と青い瞳。でも、今日ばかりは、ちょっとレイに分が悪い。パニックったのは、いちおう、事実であるし。

うつむき  ついに  顔を覆って  えっくえっく

「あ、あすかぁ...」

えっくえっく

さすがのシンジでも、特製のハスキーボイスを聞かれるのをレイが恥ずかしがっていることは分かる。だからといって、ツッコむこともないよな、と思うのだが。アスカは腕を組んだまま、ちょっと意地悪そうな笑いを浮かべている。シンジはあわてて半身を起こし−−

「ねえ、そんなこと全然ないよ。綾波がいてくれると(ぜーぜー)、すごく嬉しいんだ。今日だって、こんなの一人だったら大変だよ。(はうっ)あやなみぃ...」

えっくえっく

アスカは相変わらず、薄笑いでレイとシンジを交互に見ている。この状況を楽しんでいるようだ。

「だからさあ、何もできないなんて、ないよ...アスカ、酷いよ(ぜーぜー)...ね、綾波、泣かないでよ...言ってくれたよね、あの時。(ごくり)僕だって...同じなんだ。僕がいま、ここにいるのは、綾波がいるからなんだ(あ、言っちゃった)...だから、いつだって...」

「レイ、そのくらいにしたら?」

こくっ  にこぱっ

「な、うそ泣きぃ?」

またも  どろーん

(いつの間に、こんな連携プレー覚えたんだろ?)

シンジを指さしてけらけら笑うアスカと、微笑みをこぼすレイを見て、

(女の子って、わかんないや)

でも、この構図はイヤじゃない。ヘンでもない。どれほどかけがえのないものか、今はわかるから。薬が効き始めたのか、今は眠気がさっきより気持ちいい。少し大人びた...と周囲に言われたことも最近あったが、今日ばかりは子供に戻ってレイに極上の微笑みを向ける。

(...綾波...)

(...碇くん...)

やれやれ、といった表情でアスカは二人を見やった。

(何て顔して見つめ合ってんだろ)

希薄な絆で<人のかたち>をし続けるモノたちと較べ、こいつらの<心のかたち>は何と深い想いに象られていることか−−としばし天才少女は哲学する。

「それじゃ、あたしは帰るわ。汗かいたらまた着替えさせて。シンジを襲ったりするんじゃないわよっ!」

(...今日はダメなのね...)

と思うにはもう少しだけ時が必要だった。今は(どうして?わたしはあなたじゃないのに?)とけげんそうな顔を向けるばかり。てゆーか、この高熱では、18禁の世界には突入できない。いや、一つ間違うと、シンちゃんはパパになれないカラダになる可能性すら...

 

さればとて、再び静寂が戻った。

 

もう暗い。だが天井の電灯はついていない。部屋の隅に電気スタンドの灯りが見える。うっすらと開いたシンジの目に、椅子に座りもの静かに本のページを繰っているレイがおぼろに映った。昼の慌てぶりはもうない。

レイがそっと立ち上がり、シンジの枕元に寄る。淡く青い逆光に、レイの華奢な肩と印象的な髪型がシルエットになって浮かんだ。

また目を閉じたシンジの頬を、ふさぁとレイの髪の毛が撫でて−−

こつん

少女の吐息がかかる。

 

ほんの僅かの永遠。

 

シンジは、また少し熱が上がってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

--Dezember 21, 2000


<あとがき>

「ふにゃっ」としたお話が書けたら、と思って始めたらこうなってしまいました。ぽりぽり。エヴァSS/FFは擬態語の宝庫につき、先人への深い敬意をここに。

ではどうか、よいお年・世紀・千年期を。


■By Hoffnung

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