タマちゃん・使徒になる

 

 

 夕暮れは、とくべつだ。

 降り注ぐ、終わらぬ夏の夕陽は、空き地に投げ出された土管の落書きさえも怪獣に変えてしまう。

「タマちゃ〜ん!」

 けっして澄んだとはいえない、町中を流れる川にも、子供たちの顔が反射している。一頭のアザラシが、のんきに川面から顔を出す。

 タマちゃんは、今では日本中の人気者である。

 最初に目撃されたのは、いつかわからない。だが、それ以来マスコミのアイドルとなり、今はここ地元の第三新東京市民だけでなく、日本のあちこちからタマちゃんを一目見に人々がやってくる。

「タマちゃん、小さいね」

 母親に手を引かれた小さな女の子がいう。どんな姿を想像して来たのだろうか。少なくとも、タマちゃんはゾウアザラシでもなければ、セイウチでもない。

「呼んでごらんなさい、手をふってくれるわよ」

 母親がうながす。

「タマちゃ〜ん!」

 女の子は声をかぎりに叫んだ。すると、そのアザラシはくるりと水中で一回転して、ヒレ−−つまりは前足をひるがえした。

「うわ〜っ!」

 歓喜の声を女の子はあげる。こたえてくれたのだ。幼い心にしるされた喜びは、ずっと消えないだろう。

 

★ ★ ★

 

「可愛いわね」

 葛城家である。惣流・アスカ・ラングレーがお菓子を頬ばりながらいう。

「でも、ちょっと可哀相だな。あの川じゃ」

 碇シンジがもっともな感想をのべる。

「あの子、帰るところないもの」

 いきなり本質を綾波レイがついた。 そのひざの上には、新種の温泉ペンギンが座っている。この子とは、たしかに境遇が違う。

 だから、今はタマちゃんにとって一時のラッキータイム。みんなが見てくれる。エサだって、たまに投げてくれる。

 

★ ★ ★

 

 ネルフは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 米国の第二支部が、まるごと消滅したのだ。S2機関の実験中に、四号機とともに、支部がもろとも消えた。赤木リツコはディラックの海にのみこまれたのではないかという。真相はわからない。

 結局、開発をほぼ終えたエヴァ参号機は、日本が引き取ることになった。それにともなって、フォースチルドレンの選定も進められる。

 

★ ★ ★

 

 タマちゃんは夜どうしているのか。

 まさかテレビを見て寝そべっているわけではない。いや、立った姿は想像できないので、寝そべってはいるかもしれないが、それ以外は想像の外にある。

 今日のタマちゃんは、川の土手で涼をとっていた。水草が茂り、夜ということもあって、人目にはつかない。

「たまや〜、かぎや〜」

 これは、自分のことではなさそうだ。アザラシの視力のほどは定かではないが(しかし魚眼ではないだろう)、夜空を突いて打ち上げられる色とりどりの花火は、タマちゃんにとって不思議中の不思議だった。

 きっと、タマちゃんもいっしょに空に舞いたいにちがいない。

 

★ ★ ★

 

「初期コンタクト問題なし」

「絶対境界線、突破します」

 その時、非常事態を告げるブザーが鳴った。

「パイロットの心理グラフに異常発生。シンクロ率、20... 15... 12... 10... 起動限界を切りました」

 禍々しい光を帯びていた参号機の両眼は、ふたたび暗くうつろになると、スタ ッフがいかに設定を変更してみても、起動することはなかった。

 

★ ★ ★

 

 酔っぱらいが一人。夜道をふらふら歩いている。

「かわちのぉ、タマちゃんのうたぁ〜」

 おっさんと一緒にしてくれるな、とみんなのアイドルからいわれそうだが、酔漢は上機嫌だった。

「ほうちょうい〜っぽん、さらしにまいて〜」

 こんどは何なんだ。

「まってて、タマちゃん」

 第三新東京市に法善寺横町はないのだが。

 そんな酔っぱらいのおっさんが、いきなり柔らかな壁のようなものに当たって、ぼよよんとはねかえされた。尻もちをついて、おっさんは前を見る。

 暗い。

 目をこらす。闇の中、黒っぽい壁。目線を動かす。右を見ても、左を見ても、どぶ臭いプニプニの壁。そこで、上を見る−−

「うわ。タマちゃん!」

 そこには、巨大化し、体長40メーターはあろうかというタマちゃんがいた。

 と、ここで本来ならば、巨大化タマちゃんの咆吼が入るのであるが、残念ながらアザラシの鳴き声を描く擬態語を知らない。

「ある〜ひ、まちのなか、タマちゃんに、であった!ぎゃおう」

 酔漢は、なおも脳天気に歌い踊りながら、いちおう逃げ去る努力をしたが、腰がぬけてその場にへたりこんでしまった。しかしあっぱれ、彼は懐中からケータイを取り出すと、写真をとりまくり、あちこちに転送し始めた。

 巨大化タマちゃんは、そんな酔漢のおっさんには目もくれず、「ぱお〜っ」と(とりあえず、これでいこう)さけぶと、あたりの古びた建物をもっそりと破壊しはじめた。

 

★ ★ ★

 

「うわあ、タマちゃん怪獣あらわる!」

「名前なんていうの?」

「タマちゃんだから、タマゴン!」

「シュミわる〜」

 そういうあいだにも、タマちゃんは町の破壊に余念がない。

「光線は吐かないの?」

「どんな光線かな」

「ヘドロ光線!」

「シュミわる〜」

 このようすは、さすがに報道管制のため、全国放送されることはなかったが、昨夜の酔漢のとった写真は、日本中の話題となっていた。

 

★ ★ ★

 

「入れてくださいってば」

 ネルフ保安部との間に、こぜりあいが生じている。幹線道路を封鎖され、取材のできないワイドショークルーが、あせっているのだ。今しもお昼過ぎの、ワイドショータイムである。

「ぱお〜っ!ぱおぱおっ!」

「おお、タマちゃんがほえています。視聴者のみなさん、あれがタマちゃんのメッセージです。それでは、ここでおしらせを...」

 保安部の者も、困り果てていた。道の封鎖はしてあるが、タマちゃんの上半身は、ビルの谷間からかいま見えるのだ。そして、航空管制もしてはみたが、報道関係者の飛ばす無人偵察機までは、すぐには止めようがなかった。

「ちっ」

 いらいらしながら空を見上げた保安部員だったが、タマちゃんに接近した無人偵察機が一瞬で砕け散ったのを見て、顔色が変わった。

 ほのかに見えた、オレンジ色の半透明な壁−−ATフィールド。保安部員は、簡易目標探知機の反応をあわてて確認した。

「使徒ですっ!」

 


Neon Genesis Evangelion

Extra episode: No angel, nocry

 


 

「シンジ君?今すぐレイとアスカと一緒に本部に戻って」

 タマちゃんさわぎで学校が休みになったため、葛城家で夕食の準備をしていたチルドレンであった。そんなかれらに、伊吹マヤからの緊急連絡が入った。

「大変なことが起こったの!」

 

★ ★ ★

 

 エヴァに搭乗し、武装して繰り出したシンジたちであったが、前線に出るや、脱力感にうたれた。

「目標って...目標ってこれなのか?」

 目の前には、巨大化したとはいえ、愛くるしいアザラシがいねむりをしている。

「だってこれは...タマちゃんじゃないか...!」

 レイやアスカも、無言だ。そこに、総司令・碇ゲンドウからの指令がとぶ。

「シンジ、これはもうタマちゃんではない、使徒だ」

 そんなこといっても...シンジは動き出すことができない。

 陽が、傾いている。

 

★ ★ ★

 

 レイはパレットガンをタマちゃんに向け、照準を合わせた。

「泣いているわ...」

 使徒が攻撃するときの「間合い」のようなものを、レイは感知する能力を身につけていた。 今は、その気配はない。

 

★ ★ ★

 

 何やら戦闘意欲はわかないが、アスカはお約束通り、華麗に舞い上がると、鋭利なキックを放った。

 タマちゃんのまわりに、目視可能なATフィールドがキラリと発生する。しかし、アスカの強烈な蹴りはそれを突き破って、タマちゃんの脇腹にヒットした。

「ぱおぱお〜ん」

 タマちゃんがのたうちまわる。動きも鈍く、反撃の気配はない。

「何してんのよ、バカシンジ、ファーストも。とどめよっ!」

 アスカはプログナイフを抜き、タマちゃんに迫る。シンジもパレットガンを構えてその後を追った。

「やめろ〜っ!」

「タマちゃんを殺さないでぇ!」

「ネルフには、血も涙もないのかよ!」

 子供たちばかりではない。市民たちが、口々にネルフを、そしてエヴァを責めた。これまでのように、使徒の襲来が確認されてから、市民をシェルターに向かわせる、というだんどりが今回はなかったのが失敗だった。

「カ・エ・レ!カ・エ・レ!カ・エ・レ!」

 いまや群衆の大合唱である。中には、届かぬとはいえ、エヴァに物を投げる者まで出るしまつだ。

 

★ ★ ★

 

(あの子、帰るところないもの)

 レイのことばをシンジは思い返していた。それは、真実だ。使徒は、葬られるためにのみあらわれる。さもなくば、人類の滅亡。

(帰るところ...)

 注意がそれたところで、いきなりシンジの頭を殴りつける鈍い衝撃があった。半立ちになったタマちゃんが、そのヒレで初号機を張り倒したのだった。

「くっ...」

 仕方ない、とばかりにシンジはパレットガンを構え直し、アスカの弐号機と一緒にタマちゃんへの距離をつめる。しかし−−

「綾波?」

 シンジとアスカの前には、レイの操縦する零号機が立ちはだかっていた。

「何すんのよ、ファースト!」

「レイ!命令違反よ!目標を攻撃しなさい」

 ミサトが叫ぶ。しかし、零号機は腰を低く落とし、シンジとアスカを迎えうつ態勢をとった。

「いいぞぅ、青いの!」

「やっちゃえ!」

「ぼくのタマちゃんを守ってぇ!」

 二対一のエヴァどうしのにらみ合いは、なおも続いた。

「回路をダミーシステムに切り換えろ」

 発令所では、ゲンドウが業を煮やして無謀ともいえる指令をだす。

 

★ ★ ★

 

 それはアスカが絶妙のフェイントでレイの防御を崩し、一気に目標にプログナイフを突き立てようとしたときだった。

「ぱお〜っ。ぐるぐるぐる...ぱふ、ぱふ」

 タマちゃんの声が、変わった。

 警戒したアスカの出足がわずかに鈍った。レイはタマちゃんとの間に身を投げ 出す。

「くうっ...」

 アスカの繰り出したプログナイフは、レイの乗る零号機の腕をざっくりと切り裂いていた。タマちゃんを刺激しないよう、ATフィールドをおさえていたのが裏目に出た。

 さすがにアスカは戦闘訓練をうけただけのことはある。レイの状態が致命傷ではないことを見ると、二の矢をつぐべく、ふりかぶった。

 アザラシの心臓がどこにあるか、実はアスカも知らない。そもそもコアの所在も、わかってはいない。だが、およその解剖学的知識から、心肺系の部位を憶測し、アスカは必殺の一撃をタマちゃんに加えた。

 しかし、その攻撃は空を切った。

 タマちゃんは、崩壊を始めていた。

 

★ ★ ★

 

「寄生タイプの使徒...やはり生身の動物には限界があった」

 リツコは、いっそう虚無的な表情になって画面に見入った。

 

★ ★ ★

 

「だめなのね、もう...」

 レイは崩れゆくタマちゃんをただ見るしかできなかった。ATフィールドが失われれば、その巨体は維持できず、自重で潰される。

「何よ、これ...」

 アスカももう手出しはできない。茫然と、自壊する使徒を見つめた。

 その中から、線虫のようなモノが這いずり出る。

「これかっ!」

 シンジはそのモノを追った。それは初号機の腕に絡みつき、新たな寄生のための宿主をもとめようとするが、憎しみに燃えた初号機の放つ強大なATフィールドによって封じられた。シンジがその「場」を力いっぱい圧縮すると、中に封じられた使徒は抵抗もできずに内破し、ぼろぼろに分解していった。

 

★ ★ ★

 

「目標の反応、消滅...」

 日向マコトが告げた。その表情は苦い。

 

★ ★ ★

 

 レイは瀕死のタマちゃんにそっと手をさしのべた。

「おいで...」

 しかしタマちゃんは、もう動けない。レイは残ったタマちゃんの構成物質を手ですくいあげ、さきほどシンジがしたのと同じ方法で、しかしずっと内圧の低いATフィールドの球体を発生させた。

 中には、タマちゃんのたましいが入っている。

 レイはその球体をふわりとほうり上げた。たそがれの中、夕陽と同じオレンジ色の輝きをもった球体は、ゆっくりと天に昇っていった。それは異類の少女のせいいっぱいの精霊流し。

 夕暮れは、とくべつだ。

 降り注ぐ、終わらぬ夏の夕陽は、空き地に投げ出された土管の落書きさえも怪獣に変えてしまう。

「タマちゃ〜ん!」

 けっして澄んだとはいえない、町中を流れる川にも、子供たちの顔が反射している。 もう暗くなった空に、いつもと違う一番星が顔を出す。

 タマちゃんは、今でも日本中の人気者である。

 

 

--December 7, 2002


■By Hoffnung

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