2学期が始まっていくらか経ったある日、僕の教室に転校生がやってきた。

とってもかわいい女の子だけど、その子は少し変わっていた。
青い、と言えるほど蒼白な髪に紅い瞳、血管が浮き出そうなぐらいに白い肌。
そして、全てを拒絶するような無表情な顔。

友人のトウジなんかは「おにんぎょさんみたいやな」と言っている。
言われてみれば、その子の整った外見は、以前テレビで見たビスクドールみたいだ。
僕がそう言うと、トウジは「ちゃうちゃう、あの反応の無さが人形みたいや、っちゅうこっちゃ」と手をひらひらさせながら答えた。

確かにその子は、何を話し掛けられても「そう」「いいえ」「わからない」ぐらいの答えしか返ってこなくて、いつしか話し掛ける人間もほとんどいなくなって いた。
見た目の端正さと、他人を寄せ付けない孤立感は、確かにクラスの中に一体の人形が紛れ込んだような雰囲気を醸し出していた。

でも、僕の隣の席に座るその子が、ごく稀にだけどほんの僅かな瞬間見せる、微笑みに似た柔らかな表情に僕は気付いてしまった。
きっとその時からだろう。
僕がその子に恋してしまったのは。

その子の名前は、綾波レイ、と言った。

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蒼‐ao‐

Vol.1
孤独の肖像
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綾波は朝が早い。誰よりも先に教室に来ているんじゃないだろうか。
席について、授業が始まるまでずっと文庫本を読んでいる。
毎日観察してみたけど、読む本のジャンルに特にこだわりはないようだ。
昼ご飯は食べているのを見た事が無い。
授業はきちんと聞いているようで、この間の抜き打ちテストでは、クラスで3番目の点数だった。
授業中にしろ、休み時間にしろ、雑談をすることは皆無だ。
授業が終わると、掃除当番に当たっていない限りさっさと帰っていく。

まるで、周りに誰もいないかのような生活ぶりに見えた。


そんな綾波にだんだん興味を持ち始めた僕は、下校時に意を決して、一緒に帰ろう、と話し掛けてみた。
無表情なまま僕の方を向き、しばらく僕を見つめた後、こくりとうなずいた綾波は、そのまま何事も無かったかの様に僕を置いて歩き始めた。

歩きながら綾波から聞き出せたのは、住んでいる所が僕のうちの近くのアパートだと言う事、そこで一人住まいをしている事ぐらいだった。
中学生で一人暮らし?と疑問を持たなくも無かったけど、個人の事情に首を突っ込むのも気が引けたので、その点には触れなかった。
綾波が読んでいた本の話や、今日の授業の話を振ってみても、相変わらず答えは「そう」ぐらいのもので、そもそも会話の苦手な僕は、すぐに話に詰まった。

「話はそれだけ?」
そう言う綾波にどう答えていいか解らなかった僕は、ふとあのことを聞いてみた。
「あ、綾波さ、時たまチラッとだけど、微笑んでる事があるじゃない」
それを聞いて、確かに綾波は、ぴくり、と体を震わせた。
「どんな事考えてるのかな?って思ってさ」
「・・・・楽しかった事を」
少し緊張したような面持ちで、伏目がちに綾波はそう言った。
「楽しかった事?」
「・・・私はこちらだから」
そう言って、また無表情に戻った彼女は、角を曲がって姿を消した。
後には訳のわからない僕がぽつねんと残されていた。


次の日も、その次の日も、そのまた次の日も綾波を誘って帰ってみた。
相変わらず会話にならず、僕以外の人間ならとうに投げていただろう。
そんな僕に、綾波が問いかけてきた。
「なぜ私に構うの?」
そう言う綾波の瞳は、僕の心を見透かすようにまっすぐこちらを向いていた。
「気になるから、かな?」
「・・気になる?」
「うん・・・綾波が、他人を避けてるみたいなこと。でも時々微かに笑ってる事。
隣の席にいるから、どうしても気になる、のかな?」
僕の、本心を半分隠した答えに、綾波は少し考える様子を見せた。
「・・・あなたは、私が気持ち悪くないの?」
話の流れを外れた答えに、僕は一瞬頭がついていかなかった。
「・・・・クラスのみんなが、私の姿について言ってる事は知っているわ」
そう言って、また僕の目をその紅い瞳で覗き込んでくる。
その場限りの言い逃れなんかすぐに見抜いてしまう、そんな力を感じた。
アルビノ、と言うのだろう。先天的に色素が欠乏していて、普通の人より視力も体力もすこし弱いらしい・・・というぐらいの知識しか僕は持ち合わせていな い。
人とは違う容姿、と言うのは、差別の対象になりやすいんだと思う。
「そうだね。まったく気にならない、と言ったらウソになるかもね。
でも、気味が悪いとか、そう言う風には思わないけどな。
確かに、普通じゃないかもしれないけど、僕は・・綾波の髪も瞳もとても綺麗だと思う」
少し照れたけど、思ったままを言葉に出来た。僕にしては上出来だ。
「・・・・有難う」
そう言って綾波は、僕に向かって少し恥ずかしそうに微笑んでくれた。
僕は、天使というものがいるなら、こんな笑顔をするんじゃないだろうか、と思った。


綾波が、雑巾がけをしている。
絞り方が妙に胴に入っていて、まるでお母さんのようだ。
そんな綾波を眺めていると、トウジとケンスケに突付かれた。
「センセ、ここんとこ綾波にご執心やないけ」
「シンジ、悩みがあるなら相談に乗るぞ」
「せやけどなあ、なんぼセンセが頑張っても、綾波相手は分が悪すぎるかも知らんなあ」
「そうだな。ああいうのを、暖簾に腕押し、とか言うんだろうな」
「せやせや、何話し掛けても、ああ、やら、そう、やらだけやからなあ」
うんうんとお互いにうなずく二人に僕はつぶやいた。
「でも・・・綾波って、すごくきれいに笑うんだよ」
そんな僕を、ぽかんと見ている二人。
「笑うんか?綾波が?」


この時点で僕は、完全に綾波レイの虜になっていたのだと思う。


クラスの中で、綾波と僅かながらでも会話が成り立つのは、多分僕だけだっただろう。
努力の甲斐有って、少しずつではあったけれど、彼女も僕を見てくれるようになった。
トウジとケンスケ、それに学級委員長の洞木さんはそんな僕に全面協力する、と言ってくれた。
クラスメートの中には、綾波の言うように彼女の容姿や無愛想さに陰口を叩くものも少なからずいた様だけど、彼らがそれを押さえ込んでくれていた。
洞木さんには、
「綾波さんとはお友達になりたいと思ってるんだけど・・・碇君が突破口を開いて」
と言って発破をかけられた。
友人の協力に感謝しつつ、ある日、なけなしの勇気を振り絞って、彼女を週末のデートに誘ってみた。
少し戸惑うような様子を見せながらも、綾波は思いのほか簡単にOKしてくれた。


待ち合わせ時間ぴったりに、白いブラウスに薄緑の膝丈のスカート、と言うシンプルな服装で彼女は現れた。
「あまり服を持ってないから・・・」
と俯いて言う彼女に、
「良く似合ってる、と思うよ」
と答えると、ぱっ、と顔を上げて、照れたように微笑んだ。
「・・男の人と一緒に遊びに行くの、初めて」
「うーん、僕も女の子と二人で出かけるのは初めてだ」
「嘘」
咎めるような視線を僕に送ってくる。
確かに中学生になってから、トウジ達と一緒に複数で女の子と遊びに行った事はある。
でもそれも、頭数合わせのようなもので、話下手な僕は大体みんなに取り残されている方だった。
そんな話をすると、彼女は何かほっとしたように見えた。
僕の前では、少しだけ表情を見せてくれる綾波。


デートなんて初めての僕は、気の利いたデートコースなんか考えられなかった。
最近新しく出来たファッションビルに入り、ぐるりと見て回って少し考えた後、一軒の店で目にとまった薄桃色のカーディガンを彼女にプレゼントした。
「ありがとう・・・」
そう言ってその服を胸に抱きしめる彼女を、本当にかわいい、と思った。
これで間違いなく今月は赤字だけど、そんな事はどうでも良かった。
近くの小さな喫茶店で昼食を取り、行きつけのCDショップを冷やかしてから、少し川べりを散歩した。
河畔に立つ桜の葉が、秋の日差しに揺れている。
その木陰に佇む綾波は、一枚の絵のように僕の目に映った。
川を臨む公園のベンチに腰を下ろし、自動販売機で買った紅茶を手に、ぽつりぽつりと彼女が話をしてくれた。

「両親は私が5歳のときに事故で死んでしまったの」
その後、彼女の容姿が元で親戚の間を転々として、その間たびたび施設に入れられた事。
預けられた家の中には、明確な暴力を受けたところもあったらしい。
小学校も何度も転校を繰り返し、友達と呼べる存在は一人もいなかったこと。
これ以上無い位平凡な家庭で育ってきた僕にとって、綾波の話はかなり衝撃的だった。
彼女が他人との接触を避ける理由もそれでわかった。
相手に触れなければ、傷つけられる事も、傷つける事も無い。
そうして一人で生きる方法をたった10年ほどで身につけてしまった綾波。
前の中学校でもいじめに合い、僕が通う学校に転校してきた。
今は、施設の責任者に後見人になってもらい、一人暮らしをしている。
奨学金と、両親が残してくれたささやかな蓄えで慎ましく生活しているらしい。
また誰かと一緒に暮らすのが怖いから、と言う綾波の顔は、最初に見たときと同じような無表情だった。

「だから、碇君に声をかけられたときも、どうしていいか判らなかったの」
「自分が受け入れてもらえるとは思っていなかったから」
「でも、髪や目をきれい、と言って貰えたのは嬉しかった。
珍しそうに見る人はいても、誉めてくれる人はいなかったから」
「碇君の話を聞いていると、暖かい気持ちになれた」
「でも・・私と一緒にいると碇君に迷惑がかかるわ」
そう言って、立ち上がろうとする綾波を僕は抱きしめずにはいられなかった。
華奢な体から、ぬくもりが伝わってくる。
「いかりくん・・・」
「綾波・・・好きだ」
震える声で、それだけしか言えなかった。
映画やテレビで告白シーンを見て、いつかあんな風にカッコよく女の子を口説いて見たい、なんて思っていたけど、実際にその場に直面するとそんな余裕なんか ありゃしない。
「でも・・・」
「君の事を色々言う奴がいるのは知ってる。でもそんなのほっとけばいい。
僕と、付き合って欲しい」
今度は少しマシな台詞をしゃべれた。
「私も、碇君の事は、好き、だと思う。でも・・・いいの?」
「綾波じゃなきゃやだ」
やっぱり僕はダメな奴かもしれない。
小学生じゃないんだから、やだ、はないだろう。
綾波は少し僕から体を離し、頬を紅く染めた顔で、僕を見つめて言った。
「有難う、碇君。こんな私でよかったら・・・よろしく」
天にも昇る気持ち、と言うのをこのとき初めて理解できた。


夕焼けに照らされる中、綾波と手をつないで帰り道を歩いた。
「そういえば、綾波。この間『何で笑ってたの』って聞いた時、『楽しかった事を考えて』って言ってたけど、楽しかった事ってどんな事?」
少し遠い目をしながら綾波が話してくれた。
昔施設にいた時に、お誕生プレゼントでもらった小さなウサギのぬいぐるみの事を。
満月の夜にこっそり部屋を抜け出して、お気に入りのベンチにウサギを置いてみた事。
「月の光が好きだったの。お日様みたいに強すぎなくて。
私は、肌が弱くてお日様の下にはあまり長くいられないから・・・」
「・・その時のウサギさんは、まるでそのまま空に上って行きそうなぐらい、天使の様にきれいに見えたわ」
施設の遠足でもそのウサギを連れて行って、一緒にお昼ご飯を食べた事。
施設の小さな子達と一緒に、ウサギを交えておままごとをした思い出。
親戚の家に預けられて、つらかったときはウサギとお話をした事。
「今でもときどき気分が落ち込んだ時には、ウサギさんと出かけた事を、楽しかった事を、思い出すの。
そうすれば、大丈夫、またきっと楽しいことがあるから、と思えるわ」
つまり、彼女が微笑んでいるように見えた時は、その前に何かつらい事があった時だったんだ。
そして、そんな小さなウサギのぬいぐるみが、彼女が生きてきた年月のささやかな証であるという事が、僕にとってはどうしようもなく切なくて、また彼女を抱 きしめてしまった。
「・・何故そんな悲しそうな顔をしているの?」
「だって、綾波が・・・」
「あなたの事ではないわ」
「だから悲しいんじゃないか」
綾波は僕の背中におずおずと不器用に手を回し、僕の肩に頭を預けて来た。
「碇君は・・・優しい」
そう言う彼女の声の方が、よっぽど優しかった。
切なくて愛しく思えて、そっと手を綾波の頬に添えた。
顔を上げる綾波にそのまま唇を重ねた。
僕らしくも無く、大胆だったと思う。
離れたときには、お互いに耳まで真っ赤になっていた。
初めてのキスは、ちょっぴり、紅茶の味がした。


「今度、そのウサギを見に行ってもいいかな?」
「ええ。どうぞ。でも・・・」
「でも?」
「これからは、碇君にもらったこの服が」
そう言って綾波はまたあのカーディガンが入った袋を抱きしめた。
「新しい元気の元になってくれるわ」
「・・・そこまで喜んでもらえると、僕もうれしいや。
そうだ、今度うちにもおいでよ。すぐ近くだし」
「・・え・・・?でも、私・・・」
「なんてこと無いうちだけど、父さんもかあさんも人がいいのが取り柄だから。
全然気を使わなくていいし、間違っても見た目で何か言う人たちじゃないから。
父さんの見た目はちょっとおっかないけど・・・」
僕は父親の髭面を思い出して、苦笑いした。
「かあさんの料理は自慢できると思うよ。よかったら、晩御飯とか食べにおいでよ」
「あ・・有難う。碇君のご両親なら、きっと素適な方ね」

じゃあ、と言って分かれるときの綾波は、本当にきれいな笑顔だった。


その晩、両親に切り出した。
「あの、今度・・・その、友達を連れてきたいんだけど」
言い淀む僕に両親は顔を見合わせて言った。
「・・・・女の子、だな」
「・・・彼女ね」
少し照れながら答えた。
「う、うん。まあ」
「よくやったな、シンジ」
「あなたも男の子だったのねえ」
その後も追及の手を緩めない両親を振り切ったのは、時計が12時を回ろうとする頃だった。

(Vol.2へ)



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