綾波は昼食を食べていない。
本人の話では、元々食が細いのと、経済的な理由によるものらしい。
あまり多くは無いらしい蓄えと、一人暮らしという環境から、生活が楽ではない事は容易に想像がついた。
その事をかあさんに話したら、声を詰まらせながら
「年頃の女の子がそんな事じゃダメ。私がお弁当を作ってあげます。
どうせ一つ作るも二つ作るも同じだから」
と言って、綾波用に小振りの弁当を持たせてくれた。
ウサギの絵のついた、小判型の弁当箱。喜んでくれるかな?綾波。

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蒼‐ao‐

Vol.2
家族の食卓
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昼休み、いつものようにトウジとケンスケに声をかけた。
「トウジ、今日は綾波も一緒でいいかな?」
先日彼女に告白してOKをもらった事は、彼らには報告済みだ。
「おー、やるのうセンセ。ま、ワシらはかめへんで」
「・・・フ、裏切り者め・・・」
ケンスケはなんだか少し拗ねているようだけど、まあいいだろう。
「そうだ、洞木さん」
僕は委員長に向き直った。
「洞木さんも一緒に来ない?人数多い方が楽しいし」
これを機会に綾波と友達になってもらえるかも、と言う期待と、洞木さんが時々トウジに向ける視線に気付いていた事もあって、声をかけてみた。
「え、でも、いいの?」
ちょっと動揺してる。ちらちらトウジの方を見ているのが丸わかりだ。

「・・碇君」
綾波が僕を見上げている。
「私、お昼ご飯、無い」
僕はあの弁当箱を取り出しながら言った。
「ああ、大丈夫。綾波の話をしたら、かあさんが作ってくれたんだ。はい、これ」
目を丸くしてお弁当を見ている。
そして、丸くなったままの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちてきた。
「・・ありがとう、碇君」
そんな彼女をなだめて屋上に連れて行くのに、また洞木さんの協力を仰いでしまった。


綾波が、小さな口を動かして、卵焼きを食べている。
「おいしい・・・」
目を瞑ってじっくり味わうようにしてから、こくり、と飲み込む。
一つ一つの動作が、何もかも素敵に見える。
こういうのを“欲目”というんだろうな、と思っていたら、洞木さんと目が合った。
「綾波さんは、どうしてお昼を食べてなかったの?」
少し困ったような目をしている綾波に、いい?と断って僕が説明を始めた。
綾波の両親が小さい頃に死んでしまった事、見た目で差別を受けて苦労してきた事、その結果綾波が一人暮らしを選んだ事、だから経済的に楽ではない事、など など。
あまり食べたくなかったから、と言う綾波の言葉は、鳥のから揚げを残して空になりつつある弁当箱を前にしては、あまり説得力が無い。
綾波の生活が色々な意味で苦労が多い事を察したらしく、洞木さんの目が潤んでいた。
クラスの事で何かあったら、なんでも相談して、という委員長の言葉は重みがあった。
シンジの彼女はワシらの友達や、いじめるような奴がおったらワシが成敗したる、と息巻くトウジ。
隠れて何かするような奴らは僕の情報網で洗い出してやるよ、と怪しく笑うケンスケ。
よろしくね、よろしくな、よろしく、と伸ばされた3本の手に、少し戸惑いながらも自分の手を重ね、うっすらと涙を浮かべながら綾波は「よろしく」と言って 微笑んだ。
その笑顔を呆然と眺める3人に、僕は密かな優越感を感じていた。

帰り道、綾波と並んで歩いている。
家が近い事も有り、最近はこうして綾波と一緒に帰る機会が多い。
僕と綾波だから、そんなに話が弾むわけではないけれど、静かな充実感がある。
今日の昼休みの話をすると、綾波が嬉しそうな顔をしている。
付き合い始めてまだそんなに経って無いけど、どんどん綾波の表情が豊かになっているのが解る。
そんな綾波を見ている時間は、たまらなく楽しい。
洞木さんが綾波の笑顔に見とれてしまっていた事、トウジとケンスケが『綾波は単に考えてる事を表現するのが苦手なだけだったんだな』と言ってくれたこと、 綾波の髪や瞳の事など全然気にしていない3人に、綾波も少しだけ心を開いていた事を思い出すと、僕も自然と顔が緩んでくる。
僕と綾波の事で、洞木さんはトウジとお近づきになる切掛けができたみたいだし。
・・・あ、ゴメン、ケンスケ。

「そうだ、綾波、今週末の事だけど」
僕は綾波と約束していた、うちに綾波を招待する件について切り出した。
早く連れて来い、と急かすかあさんをなだめすかして、なんとか今週末にセッティングした。
土曜日のデートの後に、うちに来てもらうよう、彼女にお願いする。
「そういえば今日、から揚げをトウジにあげてたけど、鶏肉はだめ?」
「・・・肉、だめなの。ごめんなさい」
そう言って小さくなっている綾波。
人に嫌われる事、拒絶される事に敏感で、それゆえに一人でいることを選んでいた彼女。
今もせっかくもらったお弁当を残してしまい、迷惑をかけたのでは、と感じている。そんな彼女の心を守らなければ、と思って、
「気にしなくていいよ。僕なんか中学に入るまで偏食が酷くて、かあさんによく怒られてたし」
とフォローを入れた。
「・・・そうなの?」
「うん。背が伸び始めてから、お腹がすいてしょうがないんで、何でも食べるようになったけど。今は食べすぎだ、って怒られてる」
綾波が笑った。綾波は、やっぱり笑顔がいい。

土曜日、いつもより早めにデートを終わらせ、デパートで手に入れた今晩のおやつを手に家に戻る。
ゆっくり帰ると、ちょうどいい時間になっていた。

「ただいまー。綾波連れてきたよ」
「・・・お、おじゃま、します」
綾波は大分緊張しているみたいだ。まあ、そりゃそうだろう。
「いらっしゃーい」
と言う声と共にかあさんが玄関に駆け込んできた。
息子が言うのもなんだけど、年の割に若く見える、それなりに美人の母親だと思う。
僕の友達にも受けがいい。外面がいい、って言うのもあるんだけど・・・・
そのかあさんが、じー、と綾波を見ている。綾波は不安そうにもじもじしている。
綾波の外見については、携帯で撮った写真を事前に両親に見せているから、そんなに驚く事は無いでしょう・・・と考えていたら、ぽん、と肩をたたかれた。
「シンジ」
「え?」
「でかした」
「は?」
「あなたにしちゃ出来すぎだわ。こんなかわいい子を捕まえてくるなんて。
いやあ、写真も素適だったけど、実物の方が遥かに美人ねえ。
・・・よろしく、レイちゃん。私がシンジの母の、碇ユイです」
「よ、よろしく、おねがい、します」
綾波は緊張とかあさんの言葉で赤くなっている。
「そんなに固くならないで。さあさあ、こっちこっち」

リビングに入ると、父さんがソファで新聞を読んでいた。
がさり、と新聞を置くと、色付き眼鏡をかけた髭面の父親の顔が現れる。
正直言って、怖い。というか、怪しい。あまり夜道で出会いたく無い類の顔だと思う。
将来こういう顔になっていくんだろうか、と思うと、かなり凹む。
でも、綾波は特に気にすることも無く、こんにちわ、と挨拶している。
「シンジの父の、ゲンドウです。ボーっとした息子ですが、悪い奴では無いと思うので、よろしくお願いします」
初対面の挨拶は思いの他まともだったけど、直後に父さんの、ニヤリ、笑いが炸裂した。
怪しい。怪しすぎる。


僕の隣に綾波、向かいに父さんとかあさんが座る。
4人でお茶を飲みながら話をした。
綾波は相変わらず口数が少ないので、僕が適当にフォローを入れる。
学校の話。友達の話。かあさんの弁当の話。
弁当箱を選んだのは僕だけど、ウサギ柄を選んだ理由、綾波のウサギのぬいぐるみの話をしたら、かあさんが泣き出してしまった。
父さんがなだめているけど、その父さんも眼鏡の奥の目に涙が浮いている。
ウサギさんにも喜んでもらえるように、気合入れてお弁当作らなきゃね、と言うかあさんの言葉に、今度は綾波が涙ぐんでいた。

晩ご飯は、純和風だった。
栗ご飯に松茸の土瓶蒸し、焼き茄子と小芋の煮物、シメジの味噌汁、などなど。
料理自慢のかあさんの力作に、綾波も驚きを隠せない。
「レイちゃん、お魚は食べられる?」
「・・はい、火を通したものなら、大丈夫です」
「よかった。土瓶蒸しが鱧出汁なのと、ちょっと良さそうな秋刀魚を買ってきたのよ」
「秋刀魚・・・好きです」
「よかったー。ふふ、松茸も奮発して国産物買ってきたから、よーく味わってね」
じゅうじゅうと脂のはじける秋刀魚に、大根おろしとすだちが沿えてある。
いただきます、の挨拶で、4人の夕餉が始まった。
綾波は、箸の使い方が上手だ。
秋刀魚を食べるのも、きれいに骨とはらわたを残し、小さく身をほぐして丁寧に食べていく。
僕が同じ事をしても、お皿の上がぐちゃぐちゃになってしまうのに。
「すごくおいしい・・・これは、どうやって味付けをしているんですか?」
かあさんと綾波の間で時折、煮物のコツとかご飯を炊く時の注意みたいな事をやり取りしている。
綾波は真剣に話を聞いていて、ときどきかあさんに聞き返しては、ふんふんと頷いていた。
なんだか、娘に料理を教えるおかあさんみたいだ。
料理はどれもこれもおいしくて、僕も綾波も自分のお皿を空っぽにして大満足だった。


綾波が手伝って後片付けも早々に終わり、僕らが買ってきたチーズケーキでデザートタイムに入る。
父さんとかあさんが綾波の生活についていろいろ聞いている。
ちょっと恥ずかしそうに彼女が答える。
普段の晩ご飯は、スープとサラダに食パンの耳、ぐらいな事。
毎週木曜日に近所のパン屋に行くと、大袋にいっぱいパンの耳をもらえる事。
顔なじみの八百屋さんには、大根の葉っぱをただで分けてもらえる事。
特売のスケジュールにやたら詳しい事。
部屋にはテレビや電話が無いこと・・・・などなど。

僕はウサギを見に少しだけ綾波の部屋に入った事がある。
畳張りの6畳一間に、キッチンとユニットバスのシンプルなアパート。
薄いラグの上にコタツとクッションが一つ。3段引き出しのチェスト。
部屋の隅に、カラーボックス。その中に教科書とわずかばかりの本。
キッチンには小型の古めかしい冷蔵庫。3合炊の炊飯器と使い込んだ片手なべとフライパン、食器が少し。
それだけだった。
座布団も無くてごめんなさい、と言って自分のクッションを薦めてくれるのを断って、ラグの上に座った。
件のウサギのぬいぐるみは、チェストの上にいた。綾波お手製なのだろう、小さなクッションの上に、ちょん、と言う感じで座っている。
手垢とほこりにまみれて大分汚れているけど、あちこち繕われて大事にされている様子が見て取れた。
人間のあたたかさ、とは無縁なように見えるけど、人知れず一生懸命がんばっている綾波の姿そのままのような部屋で、僕はそっと綾波を抱きしめ、2度目のキ スをした。
少しでも、この部屋に暖かさを残せたら、と思った。

「ふうん、その額でやりくりするのは確かに大変ねえ」
とかあさんが呟いている。
「・・・でも今は、それを楽しむようにしています」
「あなた、しっかりしてるわねえ。シンジに見習って欲しいわ」
「楽しむほうが、長続きしますから・・・
それに・・碇君は、とてもあたたかい人です。今のままでいいと思います」
「・・やっぱり、シンジには大金星だわ・・シンジ、レイちゃんを大事にしなさいよ」
言われるまでもございません。
「よし、こうしましょう。週に一度はうちに晩ご飯を食べに来る事。
その日はうちに泊まっていくこと。どう?レイちゃん」
「え、で、でも・・・ご迷惑では・・?」
「・・子供はね、大人に甘えるのも仕事のうちよ?
あなたみたいに何から何まで一人でやらなくてもいいの。
ね、そうしましょ。わたし、娘も欲しかったのよ」
クスクス笑いながら綾波の頭をなでるかあさん。
綾波は小さな声で、はい、と返事をした。
じゃあ早速今日から、と言って、かあさんは客間に綾波の寝床の準備を始めた。
最初から泊めるつもりだったらしく、綾波のパジャマや部屋着まで用意してあった。


綾波と僕は今、僕の部屋で話をしている。
さっき僕がお風呂に入っている間に、両親と綾波の間で交わした会話の事を聞いた。
「おば様とおじ様に、私の外見をどう思われますか?って聞いてみたの」
「そしたら、碇君とそっくり同じ答えが返ってきたわ」
「それに、息子をよろしく、って。あなたはもう、うちの家族のようなものだから、って」
「やっぱり碇君のご両親は、素適な方たちだった」
「ありがとう、碇君・・・・碇君は、私にいっぱい優しさをくれたわ。
それに、友達や、暖かい食卓や、私を家族のように扱ってくれるご両親まで分けてくれた・・・こんなに心が温かくなれたのは、初めてなの」
綾波は、私と付き合ってくれてありがとう、と言って、僕の胸に顔をうずめてきた。
パジャマ姿の綾波の、まだ少し濡れた髪からほのかに漂うシャンプーの香りに、ちょっとドキドキする。
そんな綾波の頭をなでながら、こちらこそ、と囁いた。
綾波がいるから僕は優しくなれる。
綾波を守ろうと思う事で心の強さを持つ事が出来る。
今僕たちは結構いい関係にあるのかもしれないね、と言ったら、綾波はあの笑顔を見せてくれた。
不意にことん、と音がしたので扉の方を見ると、隙間から2組の目が覗いている。
「父さん!かあさん!なにしてんの!」
「いや、お前を信じないわけでは無いが」
「そうそう、間違いがあってからでは、レイちゃんに申し訳が立たないでしょう」
「だ、だからってこそこそ覗かなくてもいいでしょ!」
「いやいや」
「まあまあ」
なんだかぶつぶつ言いながら帰っていった。
忍び笑いをもらしながら、そろそろ私も寝る事にするわ、と言って綾波が立ち上がった。
扉の前で彼女の肩に手を添えて、お休みのキスをした。
ほんのり頬を染めた綾波は、きっと世界一かわいい女の子に違いない、と思った。

(Vol.3へ)



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