もうじき、3月が終わる。
来月になれば、中学3年生だ。
中3と言えば、高校受験。
なんだか実感が無いけど来年の今ごろは、中学生から高校生に変わる時期なんだろうな。
新しい誰か、新しい何かと出会う時期。これまでの何かとさよならする時期。
そんなすごい境目に、綾波の誕生日はある。
3月30日。春休みの真っ只中、今年は土曜日になるらしい。

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蒼‐ao‐

Vol.4
心象の風景
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春休みと言うのは、課題や宿題もほとんど無く、一番のんびりしたお休みだと思う。
とりあえずまだ、受験だの何だのと言うややこしい話も切羽詰っていないので、のんびりしたお休みをのんびり過ごすべく、僕は綾波の部屋に遊びに来ている。
綾波といろいろ相談した結果、綾波の誕生パーティーは誕生日翌日の31日にやる事にして、誕生日当日は二人のデートに当てる事にした。
プレゼント、何が欲しい?と聞いた僕に、「モノはどっちでもいいから、一日一緒にいて」とはにかみながら綾波が答えたから。
「施設や、親戚のおうちでお祝をもらったことは何度かあるけど、誰かと一緒に誕生日を過ごしたことって無いから」
・・・そう言われて、張り切らない男がどこにいる?ボーっとしてる僕でも、一生懸命デートコースを考えるぐらいの事はできる。
とにかく誕生日には、綾波が喜んでくれるような一日をプレゼントするんだ。
でも、洞木さんに借りたガイドブックをめくりながらいろいろ考えるんだけど、なかなかいいアイデアが浮かばない。
一緒にお茶をすすりながら「どこでもいいわ(碇君が一緒なら)」と綾波は言ってくれるけれど、ここは彼氏としてがんばりどころだ、と自分に言い聞かせて頭 をひねる。
顔を上げると、コタツの向こう側で"綾波"とネームの入った体操服を彼女が繕っている。この間干してる時にひっかけて穴があいた、って言っていた。
体があまり丈夫じゃないせいか、体育は半分以上見学なんだよな、綾波・・・・・とそのネームをぼんやり眺めながら考えていて、この間うちでかあさんと交わ した会話を思い出した。

『あなたたち、付き合い始めて大分経つのに、まだ名字で呼び合ってるの?』
『うーん、綾波、って名前がカッコイイなあと思ってるんだけど。
綾なす波、って綺麗じゃない』
『・・・・碇君、と言う呼び方が、私には特別なんです・・いかりくん、という文字を思い浮かべるだけで、元気が出ます』
『・・はいはい、ごちそーさま。聞いた私がバカだったわ』

そうだ、と僕はひらめいた。
「綾波、30日は"綾波"を見に行かない?」
「・・・・?」
僕の正面で"わからない"と言う顔をして、綾波が小首をかしげている。
「ほら、こないだ言ってたでしょ。綾なす波、っていうのがいいねって。
そんな波が見れる海を眺めに行こうよ。綾波、を見に。
僕の勝手なイメージだと、綾波、って言う波は春、なんだよね。ちょうどいいと思う」
「・・・私の風景なのね・・・見たいわ」
きっと波の姿を思い浮かべているんだろう、赤い瞳が輝いている。
「よし、決定!じゃ、どこの海を見に行こうか・・・」
と言って、僕らはもう一度ガイドブックをめくり始めた。


誕生日の朝、僕が綾波の部屋に迎えに行くと、白いブラウスにベージュのパンツとキャンバス地のスニーカー、その上にあのカーディガンを羽織った姿で彼女が 出てきた。
つばの広い帽子をかぶり、手にしたトートバッグの中には、サングラスに日焼け止めも入っているらしい。準備はばっちりのようだ。
「よかった、そのカーディガン、着てくれてるんだ」
淡いピンクのリップを塗った綾波の唇が動く。
「普段は大事にしまってあるんだけど・・今日は特別」
お誕生日だから、と言って綾波は僕の左腕に自分の右腕を絡めた。

並んで歩いていると、不意に綾波の携帯が鳴った。メールらしい。
携帯を開いて「おば様からだわ」と綾波が言った。
「帰りにねぎとしょうがをお願い、って」
僕は頭を抱えた。
「かあさん・・・何考えてるんだよ、デートの最中に」
でも綾波はニコニコして、
「別に問題ないわ。今日は碇君ちにお泊りの日だし」
と言っている。
最近かあさんが綾波に頼む用事が増えて、食料品の買い出しや、留守番なんかも綾波にお願いするようになった。綾波が泊まりの日は、僕らのお弁当も綾波が 作っていたりする。
かあさんが綾波にあげた携帯は、案の定かあさんが一番活用している。
用事が増えた理由の半分は、綾波に渡している小遣いを増額する口実で、もう半分はかあさんが綾波の顔を見たい、ということらしい。
父さんもかなり綾波を気に入ったらしく、彼女がうちに来る日は帰ってくるのが早い。
綾波も、碇君ちに行く理由が増えた、と言って喜んでくれてるのはいいんだけど、なんだかどんどん所帯じみた恋人同士になっていきそうで怖い。
今度は僕の携帯が鳴った。
どれどれ・・やっぱりかあさんからだ。
"少しぐらい遅くなってもいいけど、晩ご飯までには帰ってきてね。
今日はレイちゃんがうちにお泊りの日なんだから、他でお泊りなんかしちゃダメよ?
それはまた別の日にしなさい"
って・・・かあさん、冗談にしても、僕はあなたの頭の中身を疑います。
綾波にそれを見せたら、顔が赤くなってる。
「別の日ならいいのね・・・」
・・・綾波、かあさんに精神汚染されてない?


最寄りの駅から普通電車に乗って4駅目で乗り換え。快速電車で海を目指す。
幸いよく晴れて、今日一日気持ちのいい日になりそうだ。
車窓を流れる風景がどこかやわらかく見える。季節はもう、春、だ。
冬の日差しはどこか儚くて、どちらかというと静かさを感じるのに、春の日差しと言うのは穏やかなぬくもりや生命を感じるような気がする。
同じ太陽の光なのにどうしてこんなに感じ方が違うんだろう?と綾波に話してみると、
「きっと、季節が春だからじゃないかしら」と言う答えが返ってきた。
「例えば一人で見る風景より、碇君と見る風景の方が私には暖かく感じられるわ」
「それと一緒で、春の訪れを感じながら眺めるから、春の光になるんじゃないのかな」
「私はこんな肌だから、お日様の光が変わっていくのは直に感じるの。
確かに毎日少しずつ日差しって変わっているわ」
「でも、急にどこかから春のお日様になるわけじゃない。
見る側がどういう目で感じるか、って言うのが大事なんじゃないかと思う」
なるほど、気は心、って事かあ、と妙に納得してしまった。

バスに乗り換えて、海に向かう道をごとごとと揺られていく。
だんだんと潮の香りが漂ってきたところで、突き当りのT字路をバスが右に曲がった。
左手に見えていた堤防が切れると、目の前に海が広がる。
かもめが波間に気持ちよさそうに浮かんでいる。
海岸沿いの道を、終点の海浜公園に向けてバスは走り続けた。
その公園にある崖の上から眺める海がとてもきれいだ、というガイドブックの案内を見て、僕は行き先をその公園に決めた。

「私、海に来るのはこれで2回目」
窓際に座る綾波が、少し眩しそうに海を眺めながら言った。
「昔、預けられてた家の人に海水浴に連れてきてもらった事があるんだけど、日焼けでそのあと大変な事になって、二度と行く事は無かったわ」
「そうだったんだ・・・ごめん、海、まずかったかな?」
心配する僕のほうを向いて首を振り、柔らかく微笑むと彼女は言った。
「ううん。本当は海を見たかったの。でも、私のせいで迷惑をかけるのが嫌だったから、施設でも海に行く遠足には参加しないようにしたわ・・・」
やっぱり色々大変なんだね、と僕が言うと、そうよ、だから碇君、大事にしてね、と綾波はいたずらっぽい目で僕を見つめた。


公園に着くと、僕達は遊歩道をゆっくりと歩いた。
あたりの木々が芽吹いてきていて、それを眺める目が自然と優しくなる
しばらく歩くと、正面にまた海が見えてきた。
そよ風の下、水面はゆるやかにうねっている。
ガイドブックに載っていた、名勝だという断崖の所まで出ると、はるか水平線まで海が見渡せる。
綾波は手すりにつかまって、こわごわと下の海面を覗き込んでいる。崖に打ち寄せる波は、結構激しく見えた。
僕は少し遠くの方を眺めた。
春の光が細波をきらきらと輝かせ、綾織のような模様を水面に浮かび立たせている。
「ほら、綾波だよ」
彼女が顔を上げて、僕の眺めるほうへ目を向けた。
「きれい・・・これが私の風景なの?」
虹彩に色素が殆ど無いせいで目に入る光の調節が難しい綾波は、直射日光の下では薄い色のサングラスをかけている。
そのレンズに、波の照り返しが映っている。
「名前って、ただの記号だと思ってた。何かと何かを区別するだけのための。
でも、それだけじゃないのね・・"碇"も、私の"綾波"も・・・」
そう呟いて彼女は、とても穏やかな表情を浮かべたまま、ずっと海を見つめていた。


僕らは、海の見えるベンチに座って、母さんが持たせてくれたお弁当を広げた。
肉の苦手な綾波のために、卵や野菜のサンドイッチだ。
魔法瓶から紅茶を注いで、二人でサンドイッチをほおばる。
「おいしい・・・今度はおば様に教えてもらって、私が作るわ」
そう言いつつもう3つ目に手を出している。
付き合い始めてから判ったんだけど、綾波は意外と食いしん坊だ。
食べる量は、僕の2/3ぐらい行くんじゃないだろうか?
食が細いなんて、どの口が言ったんだ?
それだけ食べて、この細い体型を保っているのが不思議でしょうがない。

一通り食べ終わると、僕は紅茶をすすりながら、さっきの綾波の言葉で思い出した事をしゃべり始めた。
「あのさ、僕が"綾波"って呼ぶのは、綾波、って言う名前が好きだから、って前に言ったけど、もう一つ理由があるんだ」
「・・・?」
きょとんとした顔で僕を見ている綾波。
「綾波、っていう名字は、綾波と綾波のご両親との絆じゃない。
付き合い始めた頃に綾波の身の上の事を聞いて、ご両親には会えないから、そんな絆も大事にしたいなあ、って思ったんだ。
綾波のご両親がいなかったら、僕は綾波に会えてなかったんだよな・・って思ってさ」
「・・・私、お父さんやお母さんの事は、ほとんど覚えてないの。写真も少ししか残ってないし・・・」
綾波は少し複雑な表情をしている。
「・・でも、そう、私に、綾波レイ、って言う名前を残してくれたのね」
「私の名前・・・私とお父さん、お母さんとの絆。今は、碇君との絆にもなったわ」
「名前って・・やっぱり不思議な力があるのかもしれないわね」
そう言って微笑むと、綾波は僕の肩に自分の頭を持たせかけてきた。
そんな綾波の肩を抱いて、きょろきょろと辺りを見回し人がいないのを確認して、そっと彼女にキスした。


綾波の腰に手を回し、二人で寄り添って帰り道を歩いた。
さっきは気付かなかったけれど公園の入り口の脇に、大きな桜の木が立っていた。
もうつぼみが膨らんできていて、綾波のカーディガンと同じ薄桃色が枝の先に覗いている。
それを見て僕は、ああそうか、もうそんな季節なんだなあ、と思った。
春。桜の咲く季節。
そうか、そんな時期なんだ。桜の花を見ると思い出す事・・・

「今日は楽しかった。ありがとう、碇君」
そう言って帰りの車中、僕に身を寄せる綾波の手を、僕はずっと握りしめていた。

(Vol.5へ)



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