きっかけは、山岸さんが持ってきたCDだった。

始業式の後、うちでいつものメンバーが集まって、お茶を飲んでいた時の事、
「この曲かけてもいいですか?」
そう言って山岸さんが鞄から1枚のCDを取り出した。
「古いけど、最近またお気に入りなんです」
そのCDを見て、僕とトウジとケンスケは、ああ、とお互いに視線を合わせた。
「そういえば、そろそろだね」
ケンスケが呟いた。
「ああ、そうやな。また皆で行こか・・・」
トウジもいつに無く静かな口調で言う。
「今年は人数が増えそうだけどね」
僕は綾波、洞木さん、山岸さんの三人に顔を向けて言った。
「・・・何?」
綾波がちょっと不安げな顔で僕を見上げる。
そろそろ話そうと思っていた事でもあるし、別に隠す事でもないので、ゆっくりと僕は話し始めた。
「そのCDが好きだった、僕達3人の共通の友達の事だよ。僕の幼馴染だった女の子。
惣流・アスカ・ラングレーっていう、ドイツと日本のクォーターの女の子だったんだ」
「・・・だった?」
過去形で話した事に綾波が気付いたみたいだ。
「うん・・・3年前に死んじゃったんだけどね・・ガン、だった」
綾波が息を飲む、小さな音がした。

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蒼‐ao‐

Vol.5
春の歌
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アスカは僕が4歳の時、隣の家に引っ越してきた。
おかあさんのキョウコおばさんは、うちのかあさんと同い年で、子供の僕らも同い年だったのですぐに家族ぐるみの付き合いが始まった。
赤味の強いブルネットに紺碧の瞳を持ったその女の子は、とってもかわいかったけど、強気で、勝気で、活発なその子に、僕はいつも引っ張りまわされては泣か されていた。
アスカと僕は同じ保育所に通う事になったので、毎日キョウコおばさんか、うちのかあさんのどちらかが二人まとめて送り迎えしていた。
かなり引っ込み思案な子供だった僕は、保育所でもあまり目立たなかったけど、アスカはその性格と容貌で常に注目を浴びる存在だった。
それだけに、アスカのことを快く思わない子も多かったんだろう。男女を問わず、アスカはいろんな相手と喧嘩していた。
アスカは僕の事を「バカシンジ!」と呼ぶし、すぐに頭をはたかれて泣かされていたけど、友達の輪に入れない僕を引っ張って「あっそびっましょ!」と言って いつもみんなの遊びに引き入れてくれた。
アスカのおかげで、いろんな子と友達になれたようにおもう。


僕は本棚から一冊の薄いアルバムを出して最初のページを開き、皆に見せた。
「ほら、これがアスカだよ」
そこには、保育所の運動会で僕と一緒に玉入れをするアスカや、うちに来てケーキを頬張っているアスカの写真があった。
「わあ、ほんとにお人形さんみたいにかわいい人だったのね」
洞木さんがそう言った。
「正直言って、綾波の姿を見てなんとも思わなかったのも、赤い髪に青い瞳のアスカをいつも見てたから、っていうのがあるかもな」
ケンスケがそんな事を言った。


ある日、体の大きな子供数人がアスカのところにやってきた。
その中の一人の妹が、おもちゃを奪おうとアスカに突っかかっていって返り討ちにあったらしく、そのしかえしだった。
アスカも、さすがに自分より大きな相手に囲まれるとどうにもならず、すぐに地面に這いつくばる事になった。
「やーい、へんなめのいろ」
「かみのけあかい、あかおにだあ」
「へんなやつはやっちゃえ」
と蹴られたり踏んづけられたりしても、決してアスカは泣き言を言わなかった。
僕はそんなアスカを見て「あすかがしんじゃう!」と慌ててしまい、頭の中が真っ白になってその子達に飛びかかっていった。
無我夢中でぶつかっていって、二人をまとめて弾き飛ばした。その子達はおもちゃ箱に頭をぶつけて泣き出してしまった。
残りの子につかまってぽかぽか殴られたけど、泣きながら殴り返して、とうとうその子達を追い払った。多分、殴っても蹴飛ばしても向かってくる僕が、気持ち 悪かったんだろうと思う。
「あすかをいじめるなあああ」
そう叫んで、僕はわんわん泣いていたらしい。
その後、先生やかあさん達に怒られたけど、アスカが懸命に僕をかばってくれた。
「シンジはわるくないの!わたしをまもってくれたの!」
そう言って、アスカも大声で泣き出していた。

小学校に上がっても、僕はいつもアスカと一緒だった。
幼稚園での一件で、アスカが
「わたしは、しょうらいシンジのおよめさんになるの」
と宣言して以来、アスカは毎日のように僕の家に僕を迎えに来てくれた。
「つまのつとめですから」
と言って毎朝やってくるアスカが、ちょっと恥ずかしかった。
でも、事あるごとに「バカシンジ!」とひっぱたかれていた僕にとって、アスカは反抗してはいけない相手の筆頭だった。

小学3年生の春に、トウジが大阪から転校してきた。
大阪弁と体力勝負の熱血男は、なぜか最初にケンスケと仲良くなった。
父親のお古のカメラと戦闘機のプラモデルが宝物だったケンスケとは、あんまり共通点が無いのは今も変わらない。
ちょうどその頃だ。アスカがまた男の子とトラブルを起こした。
いや正確には、おとなしかった僕が他のクラスの子にいじめられて泣きそうになってる所に飛び込んできて、
「なにすんのよ、アンタ達!」
と言って、僕をかばおうとした・・・んだけど、結果として火に油を注いでいた。
「なんだこいつ」
「外人もどきのくせに」
「ドイツにかえれよ」
そんな言葉を吐くやつらに、アスカが切れそうになったとき、トウジがそいつらを張り倒していた。
「ワシはなあ、いじめやらそういうのんが大きらいなんや!
文句があるんやったら、一対一でやらんかい!」
そう言って仁王立ちになるトウジを、僕とアスカはぽかんと眺めていた。
この事件以来、僕らとトウジ、そしてケンスケは親友になった。
僕ら4人は何をするのもいっしょだった。
夏にプールに行ったり、冬は雪合戦をしたり、ウチでゲームに熱中したり(アスカはすぐ熱くなるので、意外と下手だった)、近所の家のインターホンを鳴らし て逃げたり・・・。
いたずらをする時は、頭のいいアスカがアイデアを出し、ケンスケが具体的に作戦を立てて、トウジが実行、僕は見張り役や道具を見つけてくるサポート役だっ た。
よくかあさん達に見つかっては怒られてたなあ。
そんな時もアスカは、
「シンジは悪くないの!アタシが誘ったの!」
と言って僕をかばった。

僕は相変わらず「バカシンジ」扱いだし、まわりの子にも居丈高な態度で接していたけど、アスカが実はとても優しくて思いやりがあって、そして僕の事を大事 に思ってくれているのを僕は知っていた。
それに、僕の隣に引っ越してくる直前に両親が離婚したらしく、キョウコおばさんが一人でアスカを育てていて、家では一人でいることの多かったアスカが、本 当はとても寂しがり屋で甘えん坊なのも、僕だけが知っていた。

僕とアスカの関係は、幼馴染であり、姉弟であり、親友だった。

小学校高学年になってくると、西洋の血が入っているせいか早熟なアスカは、"女の子"から"少女"に変わっていきつつあった。
そんなアスカを隣で見ている僕はまだまだ"男の子"だったけれど、どんどん雰囲気の変わっていくアスカに、どきどきしていた。
さすがにこの頃になると「シンジと結婚する」発言はあまり出なくなっていたし、僕の家に入り浸りになることも無かったけど、いつもどこへ行くのも僕と一緒 で、まわりから冷やかされたり、「夫婦」と呼ばれるのが日常茶飯事だった。
アスカはそんな風に言われると、フン、と鼻を鳴らして僕を小突いたけど、大体顔はにこやかだった。
赤いスカートを翻し、すらりと長い足で駆けながら
「ほら、バカシンジ!ボケボケッとしてないで、早く行くわよ!」
と僕を引っ張っていく姿を見て、トウジなんかは
「シンジはヨメはんには一生頭が上がらんやろな」
と言っていた。


腰に左手を当て、右手でこちらを指差して不適に笑うアスカの姿が写った写真を眺めながら、トウジが言った。
「ほんまにアスカはシンジ命やったからのう」
「女の子にはあの強気が人気で、取り巻きは一杯いたけどね。でも、いつもシンジを連れて歩いてたな。バカシンジ!とその後の平手打ちはお約束だったし」
「せやせや、シンジがボケでアスカがツッコミの夫婦漫才やったもんなあ」
「仲良き事は美しき哉、ってイヤ~ンな感じだったよな」
・・・あ、綾波さん?視線が痛いんですけど。
いや、今浮気してるとか言う話じゃないんで・・勘弁してもらえませんか?


ともあれ、そんなアスカの隣にいられることが、僕は恥ずかしくも嬉しかった。
そして、僕は、こんな日々がこれから先もずっと続くと思っていた。

小学5年生の夏休み前のある日、アスカが学校を休んだ。
アスカの家にお見舞いに行くと、熱があるらしく少しだるそうなアスカがベッドの中にいた。
「ありがと、シンジ」
キョウコおばさんは買い物に出たらしく、一人で寝ていたアスカが
「ちょっとさみしかったんだ・・・」
と言ってはにかむように僕に微笑んだ顔は、今でもはっきり思い出せる。
いつも元気で、風邪らしい風邪も引いたのを見たことが無いアスカが寝込んでいるのは、ちょっと不思議な光景だった。
結局この発熱は上がったり下がったりを繰り返しながら、1週間ほど続いた。
うちの一家と惣流家の二人で海に旅行に行こう、といっていた計画もお流れになった。
アスカはとても残念そうにしていた。
その後アスカは、夏休みの間にも何度か熱を出したり、食欲が無い、と言ったりして
「夏ばてかしらねえ」
とかあさん達は話をしていた。

ところが2学期に入ってもアスカの体調は元に戻らず、どうもおかしいと言ってキョウコおばさんがアスカを検査のために病院に連れて行った。
結果は、ガン、だった。
後で聞いた話だけど、この時点で既に複数箇所に転移していて、かなり病状の進んだ状態だったらしい。
慌てるおばさんをかあさんがなだめていたのを覚えている。
すぐにアスカは入院となり、うちも頻繁に手伝いをしに行った。


綾波がアルバムをめくっている。
病院のベッドの上で、上半身を起こして「にかっ」と笑いながらこちらにピースサインをしているアスカの写真のところで、綾波の手が止まった。
次のページをめくっても、もう写真は無い。
これが、最後の一枚だった。
「これ、俺が撮ったんだよな」
ケンスケが呟くように言った。
「アスカの写真撮ったのはこれが最後だったな」
「『なーに、病気なんかにこの惣流アスカ様が負けるもんですか!』って言って笑ってたんだよね」
「ああ、せやったな。んで、『今後一切の写真撮影は禁止!レディーがベッドにいる写真なんか撮るもんじゃないわよ!』とかぬかしよって」
そして、退院したら皆で記念撮影するからね、というアスカの約束は、ついに果たされなかった。


既にかなり進行していたガンに対して、2回の手術、抗がん剤投与、放射線治療や抗癌抗体など様々な治療が施されたらしい。
それでも進行の止まらないガンと薬の副作用で、燃えるような赤い色だった髪はつやを失い、次第にぽろぽろと抜け落ちていった。
綺麗な蒼だった瞳も濁りがちになり、日に日にやせ衰えていくアスカを前に、僕は何も出来ない自分が悔しくてしょうがなかった。
「ゴメン・・・アスカ」
「アンタが謝ってどうなるもんでもないでしょ。だから、バカシンジなのよ!」
わざと元気よく僕を馬鹿にするかのように声をかけるアスカに、僕は何も言えなかった。
多分この頃には、アスカも自分が助からない可能性が高い事に、気付いていたと思う。
なにしろ、病床で暇つぶしだと言って高校入試の数学の問題を解いていたぐらい頭のよかったアスカだから、自分に投与されている薬とか、治療の間隔とかで、 自分のガンが良くなってはいないことを正確に理解していただろう。
そのせいか、この頃からアスカは、僕が話をしている時以外は窓の外を眺めている事が多くなったように思う。
まるで、そこから見える景色を自分に刻み込もうとしているようだった。

そんなアスカに持っていったのが、山岸さんが持ってきたのと同じCDだった。
ケンスケのお勧めで、3人でお金を出し合って買ってきた。
穏やかだけど、元気が出そうな、そんな曲が詰まっていた。
アスカは気に入ってくれたようで、ヘッドホンで何度も聞いた、と言っていた。
「この人たちって、アルバム出す間隔が長いのよね。次はいつかな」
そう言うアスカの顔が、少し寂しげだったのを、僕は気付かない振りをしていた。

春休みがそろそろ終わろうかと言うある日、アスカが僕に言った。
「ねえ、そろそろ桜が咲いてない?桜、見たいんだけど」
アスカは髪の抜けた頭を隠すのに毛糸の帽子をかぶり、ベッドに横になっていた。
もう自分で体を起こすのも難しくなっていた。
僕はアスカを抱き起こして、窓の外を眺められるように、背中にクッションを置いてあげた。
「やっぱり咲いてた。毎年桜が咲くのを見てるけど、今年は特に綺麗みたい」
病床でも、花を見るのがアスカは好きだった。そんな所はとても女の子だった。
僕もなけなしの小遣いで、よく小さな花束を買って持っていった。
その度にアスカは嬉しそうに微笑んでくれて、それがお見舞いに通う僕の励ましになっていた。
桜の花を眺めながら、アスカが言った。
「シンジ・・アタシと遊べなくても、泣いたりするんじゃないわよ。
アンタいまだにへぼへぼなんだから・・・男なんだから簡単に泣いちゃダメなんだからね。
いつまでもめそめそしてないで、たまには私を守れるぐらいに強い男になってよ」
その時はアスカが何を言いたいのかよくわからなかった。
でも、強い男、と言う言葉に素直に反応して、
「うん、僕、がんばるよ」
と答えた。
それを聞いたアスカは、本当に綺麗に、ふわり、と笑ってくれた。

その1週間後、眠るように静かに、アスカは息を引き取った。
枕元には、あのCDが置かれていた。
窓の外では、盛りを過ぎた桜が散り始めていた。
アスカは、6年生になれなかった。


「あのね、本当に悲しい時って、涙も出ないんだ」
僕はその時の事を思い出しながら言った。
「多分、悲しすぎて、どうやって泣いたらいいのかも解らなくなっちゃうんだと思う」
綾波も洞木さんも山岸さんも、泣きはらして目が真っ赤になっている。
トウジもケンスケも俯いて涙をこらえている。
僕は・・・まだ、泣けない。アスカとの約束だから。


アスカがいなくなった頃の僕は、一言で言えば情緒不安定だった。
ずっと一緒だった相手が急にいなくなって、自分の半分がもぎとられたような気分だった。
急に大騒ぎしたかと思えば、ふさぎ込んで自分の部屋から外に出なくなるような事の繰り返しだった。
見かねたトウジが、その頃通っていた空手道場に僕を引きずっていったり、ケンスケも気を使ってアスカの事は極力僕の耳に入らないようにしてくれた。
二人だって、アスカがいなくなって辛かったはずなのに。
二人の気持ちがわかってきて、ようやく自分でもがんばろうと言う気が起こるようになってきた。
アスカの写真を整理したのもこの頃だった。
泣きそうになるのを懸命にこらえて、アスカとの約束を守った。

そのうち時間がたつにつれて、だんだんとアスカがいない事が日常になっていった。
アスカのことを考える時間が徐々に少なくなって行き、中学に入って環境が変わると、日々の事にまぎれて、アスカのことはなかなか頭に浮かばなくなってい た。
薄情、なのかもしれないけれど、それが僕の“日常”だった。
綾波と付き合い始めてからは、さらにアスカを考える時間は減って、僕のほとんどは綾波で埋め尽くされてしまった。
そして、アスカがどんな顔で笑ってたか、どんな口調で僕を怒鳴っていたか、次第にそんな事も思い出せなくなっていた。
今日、久しぶりにアルバムを開いて、ああそうだ、アスカはこんなに輝いてたんだ・・・と言う記憶が蘇って来た。

トウジやケンスケ、女の子たちと、アスカの供養に付いて簡単に打ち合わせをして、今週末にみんなで集まる事にした。
綾波をうちに残して、他のみんなは、
「じゃあ、今週末よろしくね」
「二人っきりやからって、綾波を襲うなや。アスカに怒られんで」
などと言って、帰っていった。

部屋の中には、僕と綾波だけが残った。
「綾波・・・・」
「・・襲うの?」
「そ、そんなことするわけないじゃないか!」
「そう・・・私は、構わないけど」
「あ、綾波・・」
綾波も、不器用だけど僕を気遣ってくれている。それが痛いほど良くわかった。
するすると綾波が僕に近寄って、ぴったりと体を寄せてきた。
「私ね、さっき、もし今アスカさんが生きてたら、私は碇君の隣にいられたかな?って考えてたの」
「アスカさんがいない事に、ちょっとホッとしてる自分に気付いたの」
「・・・嫌な女ね、私」
綾波は俯いたまま、そう言った。
アスカがもし今生きていたら・・・・
綾波がいなかったら、アスカと付き合っていたかもしれない。
僕の事を一番良くわかってくれている女の子だったから。
僕も、アスカのことを誰よりも一番良くわかってたつもりだ。
アスカも綾波もいたら・・・・

「わかんないよ、アスカがいたらなんて・・今の僕には、綾波しか考えられないし。
綾波は綾波だよ。アスカの代わりなんかじゃ絶対無い。
・・でも、きっと、アスカがいたら、アスカと綾波は友達になってたと思うな」
綾波の肩を抱いてそう言うと、綾波が顔を上げた。
「どうして?」
「トウジやケンスケや僕が、アスカの友達だったから。
綾波は僕らと友達になれたんだから、その親玉のアスカとは、絶対友達になれたよ」
綾波は僕の目を紅い双眸でじっと見つめながら、少し考えるような顔になった。
「アスカさんの最後の言葉、あれ、告白なのはわかっていた?」
「え?」
「・・・やっぱり碇君、わかってなかったのね・・・自分がもうあまり長くないって知ってたんだわ、アスカさん。
だから、精一杯の気持ちで告白したかったんだと思う」
「そうなんだ・・・今まで気付かなかったよ・・・・大体、小学生だったし、恋愛なんて全然考えられなかったし」
綾波に言われるまでそんな事考えた事も無かった。
ただ、僕を励ましてくれているだけだと・・・
「アスカさんは、碇君に隣にいて欲しかったの。
それをきっと、ああいう言葉でしか表せなかったのね・・・
私も自分の気持ちを言葉にするのが苦手だから、わかるわ。
だから、碇君の返事は、あれで正解」
「そう、なのかな?」
「ええ。アスカさん、嬉しかったと思うわ」
綾波にそういわれて、アスカの不器用な愛情が、今ごろになってじんわりと染みわたってきた。
アスカも、綾波と同じぐらい不器用な子だったんだな・・・
そう思った所で、なにかが胸に込み上げて来た。
「あ、あれ。おかしいな。涙が出てきた・・・もう泣かないって約束したのに」
綾波が、僕の頬を伝う涙を人差し指でなでた。
そしてそのまま、自分の胸に僕の頭を抱き寄せてくれた。
「私は、アスカさんじゃないから・・・私の前では泣いていいの。
泣ける時は、泣いてしまったほうが、いいと思うわ」
そういわれて、僕の目からは堰を切ったように涙が溢れてきた。
3年分の涙が一気に押し寄せるように。
いつのまにか僕は、大声を上げてあたたかな綾波の胸にすがり付いて泣いていた。

その晩、両親に今日の事を話した。
父さんもかあさんも、寂しそうな、それでいて優しい目つきで僕らを見つめていた。
「レイちゃんがいてくれて、きっとアスカちゃんも喜んでると思うわ。
シンジの事を任せられる相手が現れてくれた、って」
「レイ君、シンジを、よろしく頼む」
そんな二人の言葉に、はい、と真顔で頷く綾波は、なぜだかアスカの面影に少し似ているような気がした。


次の週末、みんなで集まって、あの桜の木の所へ行った。
アスカが最後に眺めていた桜。
アスカが死んで、キョウコおばさんはドイツへ帰っていった。
かあさんとはいまだに手紙やメールのやり取りは有るらしい。
やっぱり、アスカの思い出が染み付いたところに住んでいるのは辛かったみたいだ。
アスカのお墓は、だから、本当はドイツにある。
僕達はドイツまで行く事は出来ないから、アスカの最後の思い出になったこの木をアスカのお墓代わりにしていた。
トウジ、ケンスケ、僕の三人で、アスカの好きだったものを持ち寄って、アスカの命日の頃にここでアスカのことを思い出していた。
僕らなりの、供養のつもりだった。
今年は、それに3人が加わった。もちろん、僕の恋人も。

僕達3人は、桜の木の根元にそれぞれ持ってきたものを置いた。
トウジはアスカが好きだったスナックを。
ケンスケはアスカ自身が一番好きだったアスカの写真を。
僕はアスカが好きだった花、一本の赤いバラの花を。
「アイツは、赤、っちゅうイメージやったな」
「写真を見返すと、赤い服装が多かったね」
そうだ。赤い髪留め、赤いスカート、赤い靴下・・・
僕の記憶の中のアスカは、どこかに赤い色が入っている。
綾波の記憶には・・薄蒼色が入るんだろうか。

洞木さん、山岸さんも桜に向かって手を合わせている。
綾波は、僕の横に並んでじっとバラの花を見つめていた。

「来年の今日は、みんな高校生なんだね」
僕が言うと、洞木さんが
「そうね。まだ志望校とかはっきり決めてないけど・・・みんなばらばらかもしれないわね」
と、チラッとトウジの方を見ながら言った。
トウジは、工業高校を考えているらしい。
「でも、みんなが集まれるうちは、これ、続けたいです」
山岸さんがあのCDを手に言った。
「みんなの、絆になりますよ。アスカさんが」
こうやって、人と人の縁って出来て行くんだろうな、と僕は思った。
僕の中には、確かにアスカが住んでいる。
そしてそのアスカが今は、綾波の中にも、洞木さん、山岸さんの中にも住み着いた。
こうして、だれかがだれかに人の思いを伝えていく。
そうしてずっと一つの絆が続いていくんだろう。
僕も、誰かの絆になるのかな・・・そう思って綾波の方を見ると、彼女と目が合った。
なんだか、同じ事を考えていたみたいだ。

不意に、風が吹いた。
わあっ、と桜の花びらが散り、あたりを薄桃色の靄で包んだ。
アスカが最後に見ることが出来なかった、桜吹雪。
綾波と並んで始めて眺める、桜吹雪。

トウジは洞木さんと、ケンスケは山岸さんと連れ立って帰っていった。
ケンスケが最近機嫌がいいと思ったら・・・そういうことか。
僕は綾波と手をつなぎ、桜並木の下を歩いている。
はらはらと、花びらが舞っている。

アスカ、僕は今、綾波と一緒に歩いてる。
アスカと一緒に歩く道は3年前に途絶えてしまったけれど、アスカの想いを抱えたみんなの道はまだまだ先に続いてる。
これで、いいんだよね?アスカ。
見上げると、アスカが青空の上から笑顔で僕を見つめて、
『あたしの分まで、その子と二人、せいぜい頑張んなさいよ』
と言ってくれているように思えた。
そうだ、僕は綾波と歩くこの道を精一杯守っていこう。綾波を、僕が守っていこう。
綾波にそんな僕の想いを話すと、彼女はゆっくりと頭を振った。
「・・碇君は、私の心をたくさん守ってくれているわ。だから、今度は私の番。
私が碇君の心を守らなくてはいけないの。だって・・・・恋人なんだから」
頬を染めてそう言う綾波を見つめて、僕はようやく気がついた。
僕は何を勘違いしていたんだ。
僕は綾波の保護者じゃない。
綾波の上に立って"守ってやる"とか言う立場じゃないんだ。
綾波と並んで歩く、そう、恋人同士じゃないか。
綾波を支えて、綾波に支えられて、二人で一緒に歩いて行ける・・そんな相手なんじゃないか。

“いつまでもめそめそしてないで、たまには私を守れるぐらいに強い男になってよ”

そうか、アスカもそれが言いたかったんだね。
『やっと判ったの、バカシンジ!』
そんなアスカの声が聞こえた気がした。ほんとに僕は、バカシンジだ。

また、風が出てきた。
舞い散る花びらが濃くなっていく。
綾波と手をつないで佇みながら、いつまでも降り止まない薄桃色を、ずっと二人で眺めていた。



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