ディストピアの風景

金物屋忘八(69式)

 

 一

 

 ミラL210Vの後部座席の窓から見える日本海沿岸沿いのテトラポッドの間に、少なくない数の漂着物という名のゴミが山積みになっているのを見て、碇シンジは、まるで戦争後の荒廃の様だと心の中で溜め息をついた。走っている道路は日本国内の二桁番台の四車線道路の国道であるはずなのに、舗装されたアスファルトはひび割れ、あちこちめくれ上がり、がたごととミラのサスペンションが衝撃を吸収しきれずにシンジを下から突き上げる。もう長い事補修工事もなされていないのであろう、アスファルトのひびの間から雑草が生えている風景が延々と続いている。

 シンジは、助手席を倒して載せている棺桶を押さえこみつつ、ふと嫌な予感を感じて「意識」を広げた。

 

「何か「見つかり」ましたか?」

 

 このがたがたの道路上で平然とミラを疾走させている女性が、前を向いたまま、バックミラー越しに視線だけを向けてシンジと目を合わせる。

 

「嫌な予感がしたんです。もう少し待ってもらえますか?」

 

 シンジのその言葉に、女性は無言でシフトチェンジしエンジンブレーキをかけ、速度を落とした。

 バックミラーに映った女性は、歳の頃は二十台の半ばから三十台にかけてであろう。ショートカットで抑え目の色合いの赤毛とえんじ色の瞳、そして欧州の北の方の出身らしい白い肌ときつめの容貌をしている。シンジには判らないが、とても腕の良い仕立て屋に仕立てさせたのであろう、えんじ色の三つボタン半段返りの男物のシングルスーツに、きめの細かい白色のブロードクロス生地のワイシャツ、そしてワイン色の折柄のネクタイをきっちりと着こなしている。耳から下げられた古い古い玉石のピアスが、彼女が女性である事を示す唯一の装飾具であった。

 シンジは、彼女の光を失った瞳を見つめ返しながら、わずかに視線に「力」を込めて「視界」を広げた。彼の眼に映るミラの車内の風景と同時に、ミラの走る道路を中心とした風景が脳内で広がってゆく。ぼろぼろの道路、漂着物だらけの海岸、荒れ果てた山林、そして何丁かの自動小銃を持った半島人の匪賊達。彼は、その自動小銃の元の設計が旧ソ連のものであることを、かつていた「NERV」という組織で教わった事があった。

 

「カーブを曲がった五百メートル程先に、半島人の匪賊が十数人います。AKを持った男が三人、障害物のところにいます。森の中にもAKを持った男が二人「見え」ます」

「訓練は受けていそうですか? 拳銃等の他の武器は?」

「トリガーガードに指を当てて、引き金に指をかけていません。あと、残り全員が拳銃を持っています」

「了解です。車での突破は無理そうですね」

 

 女性はミラを止めると、インカムを装着してダッシュボードの下からアルミケースを引っ張り出した。中には、旧ソ連が開発したVSS「ヴィントレス」という消音狙撃自動小銃が入っている。

 彼女は、9x39mm亜音速弾が十八発入った弾倉を二本ベルトに差すと、ミラのドアを開けて外へと出た。それに合わせてシンジも無線機を手に車の外へと出る。車外へ出た二人を、日本海の潮の香りと波の音が包み込む。

 

「では、「ナビゲーション」をお願いします。シンジ君」

「はい。バゼットさんもご無事で」

 

 バゼットと呼ばれた女性は、わずかに微笑むと「行って来ます」と言い残して森の中に消えた。その素早さにシンジは、自分も含めて人間という存在が秘めている可能性について少しだけ考えを巡らせた。

 

 

 バゼットが半島人の匪賊を全員「無力化」させて戻ってきたのは、そろそろ水平線に夕日が沈みかけ始めた頃合であった。

 彼女は、森の中からまずAKを持った匪賊から狙撃して無力化し、混乱状態に陥った半島人達を次々と射殺していった。かつてRIRAのアルスター旅団で作戦将校として、英軍のSASや王立アルスター警務隊、統一派のアルスター義勇軍といった武装集団を相手に苛烈な戦闘を行ってきた彼女にとっては、まともな対狙撃兵訓練すら受けたことの無い半島人匪賊など単なる的でしかなかったのだ。

 

「お帰りなさい」

「ナビゲーション、お疲れ様でした」

 

 シンジの誘導で的確に匪賊の動きを制しつつ狙撃ポイントを確保し、狙撃を成功させていったバゼットが、にっこりと微笑んで挨拶を返す。彼女の微笑みに、複雑な笑みを浮かべたシンジは、くたびれた表情でミラに寄りかかった。日本海に沈む晩夏の夕日が赤く世界を染めてゆき、水面が陽光にきらきらときらめく。ぼんやりとその光景を眺めていたシンジは、赤く染まった海の色がまるで血の様だと思った。

 そんな風にぼんやりと風景を眺めているシンジの隣にバゼットが立ち、同じようにミラに身体をあずけて背広の内ポケットから煙草を取り出した。十四歳の日本人の少年であるシンジより頭一つ分背が高い彼女は、その男装とあいまってそうした仕草がとてもよく似合う。

 

「よろしいですか?」

「はい」

 

 バゼットは、残り少なくなった「ゲルベゾルデ」を厚紙製のケースから一本抜いてくわえ、ひょいと左手の指先で「発火」のルーンを刻んで火を点けた。そのまま深々と味わうように煙を吸い込むと、ゆっくりと溜め息をつくように煙を吐き出す。良質のトルコ葉の深い香りがシンジの鼻腔を刺激し、安煙草の持ついがらっぽさとは全く違うそれに彼も深い溜め息をついた。

 

「随分と香りの良い煙草ですね」

「ええ、英国魔術教会に在籍していた頃、「党中央委員会」の友人に教えてもらいました。もう製造中止だとかで中々手に入らないのですが、この夕日を観ながら吸うのも相応しいかと思いましたから」

 

 昔を思い出しつつ懐かしさにひたっているバゼットの横顔は、シンジの知る常日頃の冷徹な戦闘魔術師としての彼女とは全く違った雰囲気をもっていた。

 

「このまま、夕日を眺めていていいですか?」

 

 シンジは、今この雰囲気にもうしばらくひたっていたくて、そうバゼットにたずねた。

 

「はい。彼女が目覚めるまでこうしていましょう」

 

 バゼットは、ミラの中に置かれている棺桶に視線を向けると、その切れ長の眼をわずかに細めて微笑んだ。

 彼女も随分と柔らかい表情を見せるようになったな、と、そう思いながら、シンジは、バゼットや棺桶の中で眠っている彼女とこうして逃避行紛いの旅に出るに至った経緯を思い出していた。

 

 

 夜の首都東京の上空を、「NERV」とマーキングされた濃緑色のUH-60JAが低速巡航で飛翔している。眼下にはこうこうと輝く街の光と、全く灯の点らない地区とに分けられ、時々火災や爆発と思われる火点が発生している。ヘリは、上空から見ても判る騒乱状況の街の上空を、地上の指揮所と連絡を取りつつ哨戒していた。

 イヤー・プロテクターでヘリのタービン音から耳を護った状態で「視界」を広げつつ、碇シンジは、HMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)に映る3Dマップのテクスチャに、ポインティング・デバイスで「視界」に映る暴力衝動や破壊衝動をチェックしていく作業に没頭していた。単なる衝動の激発にはクリック一回で「オレンジ」、殺意の込められた衝動にはクリック二回で「レッド」、そして、明らかに人間ではない存在の気配が発する暴力衝動や破壊衝動に対してはクリック三回で「ブルー」。

 

「エリア251・043、ポイント・アルファ192にパターン「青」」

 

 シンジがチェックしたポイントは、ヘリに同乗しているナビゲーターの青葉警部補がエリアサーチを行い、より騒乱状況の危険性の高い地域へと捜索エリアを絞り込み、シンジに絞り込んだ地域のより詳細な「監視」を指示してくる。HMDを被っていると、どうしても平衡感覚が失われがちになり、機体の姿勢に合わせて3Dマップが傾けられているとはいえ、乗り物酔いにかかりそうになる。それに、生の暴力衝動や破壊衝動を追跡していく作業は、どうしても精神そのものに負担をかけずにはいられない行為でもあるのだ。ましてそれが「ブルー」つまり人外の化生の発する衝動であるならば。

 

「指揮所より初号機へ。送れ」

「こちら初号機。送れ」

 

 シンジがマッピングしたデータを、LINK16で同時にモニターしている「NERV」本部の司令室から無線が入る。と同時に、シンジの見ているHMDの画面に、司令室で指揮を担当している富竹二佐の顔が映る。

 

「ポイント・アルファ128にて、特機隊のヘリ二機と合流の上、目標「青」上空に移動、これの確保を支援せよ。送れ」

「初号機、青葉了解。終わり」

 

 同時にヘリがかなり急角度でバンクをかけて旋回し、最高巡航速度にまで一気に加速する。そのGに思わず酔いの気持ち悪さがぶり返し、シンジは、うめき声を洩らさないよう奥歯を噛み締めた。

 

「脳波波形に乱れがあります。神経パルス、マイナス値へ低下」

 

 シンジの肉体の状態をモニターしている伊吹マヤが、モニターに映るシンジの身体状況について焦りのこもった声をあげる。これまで何度も、こうした監視飛行中にシンジが監視対象の発する暴力衝動に精神を汚染され、心神喪失状態に陥った事があるのだ。

 シンジの持つ「能力」が極めて稀なものである以上、出来る限り扱いには注意しなくてはならない。しかし、同時に彼の「能力」は、もう何年も続いている騒乱状況の首都圏における治安回復のための切り札でもあるのだ。毎夜日本全土どこかしらで発生する騒乱状況の中、せめて首都圏だけでも治安維持の確保に、と、政府が設立を許可した特務機関「NERV」の切り札としての備品、それが碇シンジという少年であった。

 

「大丈夫です、もう少しやれます」

 

 シンジは吐き気をこらえつつ、地上を高速で移動する目標「青」に精神を集中しながら、その動きを正確に3Dマップにトレースし続けている。

 

「ヘリ二機接近。IFF照合、特機隊所属のMH-60JAと確認。これより誘導を開始」

 

 シンジの搭乗しているヘリのコパイが、レーダーに映った機影についてインカムを通じて同乗している全員に知らせる。

 HMDに新たに二機のヘリが映し出され、三機が編隊を組んで目標へと移動を開始した事を知らせてくる。シンジは、意識を目標「青」に集中させ、それを完全に「視界」の中へと収めた。

 それは、いかんとも名状し難い形状をもった人型の物体であった。ただ、明らかに元は人間であったとおぼしき雰囲気を持った存在でもある。シンジが所属する特務機関「NERV」は、こうした人間の範疇から外れた存在を捜索し、確保し、研究する事が本業の組織であった。もっとも、その使い勝手の良さから、治安機関に協力という名目で酷使されるのがシンジという少年の日々でもあったのだが。

 

「目標確認、画像データ入ります」

「こちら指揮所。データ照合。目標を「使徒」と認定、執行令状取得。実力による確保を許可する」

「こちら「特108」。状況を確認。目標の確保を開始する」

 

 「NERV」指揮所からの富竹二佐の指示とともに、特機隊のヘリ二機が戦闘機動に移る。一機が低空へと降下して「使徒」と認定された「それ」の前方にホバリングし、一機がその上空から射撃姿勢をとったのだ。

 ホバリングしたMH-60JAから強力な光度のサーチライトが「使徒」に浴びせかけられ、ハウリング音込みでマイクが勧告を放送する。

 

「首都警特機隊だ! 両手を頭に置いて床に伏せろ!」

 

 夜の街に特機隊のヘリからの命令が鳴り響き、かなり離れたところを歩いている人々まで一斉に立ち止まって恐怖とともに空を眺める。だが、特機隊のヘリはダークグレーのロービジュアル迷彩塗装がなされており、素人がいくら上空を眺めても見つけられるわけもない。偶然現場近くでサーチライトの光を見る事のできた人間以外は、その場で身動きが取れなくなって立ち止まってしまう。

 特機隊のヘリからの命令は、明らかに敵対的意思がこもっており、「使徒」はそのままビルの谷間から谷間へと生物とは思えない速度で移動し始める。だが、シンジの「視線」は「使徒」を逃す事はなく、ひたすらトレースし続ける。

 そして、ほんの三十秒も追跡が行われたか、上空で待機していたもう一機の特機隊のヘリから火線が伸び、「使徒」に集弾し始めた。特機隊のMH-60JAには、地上制圧用に夜間暗視機能付き照準器が装着されたMG3機銃が搭載されており、勧告に従わなかった「使徒」に対して「実力による制圧」が行われたのだ。

 確かに生物としては規格外ではあっても、特機隊の装備する7.62x51mmNATO標準弾を毎秒1200発も発射可能なMG3機銃で掃射されては、有機体である以上は耐えることはまずできはしない。そのまま弾帯一本分250発の機銃弾を浴びせられ、周囲の建物にも大量の弾痕を残しつつ「使徒」は肉塊へと強制的に変容させられた。

 それをサーチライトで照らし続けていたヘリから、ホイストで吊り下げられた外骨格型強化装甲服こと「プロテクトギア」を装備した特機隊員らが、MG3機銃やAW50狙撃銃を構えつつ「使徒」を半包囲するように降下してゆく。そして降下した特機隊員達は、「使徒」の肉塊が完全に活動停止しているのを確認した。

 

「こちら「特108」降下班。目標の完全制圧を確認。回収作業を要請する。送れ」

「こちら指揮所。要請を了解。回収班が到着するまで現場を確保せよ。以上」

 

 その一部始終を「見て」いたシンジは、精神にかかる負荷に耐え切れずに意識を手放した。

 

 

 そこは、東京都内とは思えないほど静かで緑豊かな場所であった。初夏の暖かな日の光が、水面に反射してきらきらときらめいている。

 碇シンジは、相当な広さの池の淵に立ち、その静かな水面を穏やかな表情で見つめていた。

 

「ここも東京なんですね」

「元々東京は、比較的緑豊かな敷地が多い街ではあったわ。もっとも、この砧公園の跡地に我々「NERV」が入ることが出来るようになったのは、不法在留外国人が事実上公園を占拠して租界じみたもの作っていたからだけれども」

 

 シンジの言葉に生真面目に返答した女性は、彼に視線を向けることもなく白衣のポケットに手を入れたまま池の対岸にそびえる建物に視線を向けていた。

 シンジは彼女に視線を向けたが、彼方を見つめている彼女の眼鏡越しの視線の冷たさと厳しさに、また池の水面に視線を戻した。つまるところ、各種の人権団体その他の圧力団体の横やりを押し返して不法在留外国人を排除することができたから「NERV」は都内に施設用の敷地を確保できた、ということなのであろう。東京に限らず、日本各地の都市部の公共用地が、不法在留外国人に占拠されるようになって久しい。彼らは、独自に武装し、自治を行い、そこを聖域として日本人に対する犯罪行為の根城として使っている。そして政府は、そんな彼らを「人権」という建前と票田となっている各種団体からの圧力に縛られ、排除する事もせずに、その場しのぎの対症療法でなんとかしようとしていた。

 こうして政府が断固として不法在留外国人を排除した例というのは、極めて珍しいことであったのだ。

 

「そろそろ碇司令が戻られる時間ね」

 

 女性は腕時計で時間を確認すると、シンジを視線でうながした。

 

「……判りました」

 

 白衣を翻した女性の後ろについて歩き出そうとしたシンジは、池の対岸に少女の姿を見た。

 色素の抜け落ちたような、真白い肌と月色の蒼い銀髪。そして表情の無い真紅の瞳。

 そして飛び立つ鳩の群れ。

 一瞬後には、その姿は元々いなかったかのように消え去り、初夏の陽気が戻ってくる。

 

「行くわよ」

 

 視線すらシンジに向けず言葉をかける女性に、シンジは、今見た少女のことは黙っていようとぼんやりと考えた。

 

 

 そこは本当に何もなく、そして薄暗い部屋であった。

 真っ黒い床には、イチジクの葉をモチーフとした巨大なマークが描かれ、部屋全体は間接照明で明かりがとられている。中央に部屋全体同様に真っ黒いエナメル塗装の机が置かれ、そこに一人の中年男が座っている。窓はカーテンで閉ざされ、初夏の陽光が差し込むこともない。

 

「来たか」

「父さん……」

 

 シンジが父と呼んだ中年男は、サングラス越しに息子を表情をまったくうかがわせない瞳で見つめると、呟くように語り始めた。

 

「我々は「敵」と戦っている。彼らは既存の科学的世界観の外側の存在であり、その点でお前と同じ存在だ」

「……僕は、人だよ、父さん……」

「ならば、我々とともに「敵」と戦え」

 

 シンジは、父親から視線を外し黙ってしまう。

 

「お前が、「特異な能力を持った人」か、「人ならざる「力」を持った特異な存在」になるか、選べ」

「わけわかんないよ! なんだよ「敵」って! 突然呼び出して、父さんは僕がいらないんじゃなかったの!?」

「必要だから呼んだ。判らないなら説明を受けろ」

 

 シンジの悲鳴のような声に、あくまで視線はそらされず呟くように言葉が続けられる。

 こぶしを握り締め、わなわなと震えているシンジを、父親は黙って見つめ続けている。

 

「よろしいでしょうか、碇指令」

 

 シンジをここまで連れてきた白衣の女性が、感情のこもらない声で間に割って入った。

 

「何だ」

「よろしければ、御子息には私から説明を」

 

 女性が碇指令と呼んだシンジの父親、碇ゲンドウは、視線を女性に向けると軽くうなずいた。彼女は、泣きそうな表情をして立ちすくんでいるシンジを見下ろすと、どこか冷たさを感じさせる視線と声で話を始めた。

 

 

 どこまでも続くように思える回廊を、少女は年齢の検討もつかない神父に連れられて歩いていた。そこはさんさんと降り注ぐ陽光を屋根がさえぎり、薄暗く、ひんやりとした空気さえ漂っていた。

 少女の斜め前を歩く神父の背中は広くたくましく、そして見上げないとならないほど高かった。

 

「それでは貴女は、どうしても「魔女」としての死を選ぶというのですね?」

「はい」

 

 穏やかな微笑みを浮かべつつ眼鏡越しに少女を見つめる神父の目は細められ、その真の表情をうかがうことはできない。少女は、神父の目を見つめ返すと、感情のこもらない、だがしっかりとした声で答えた。

 

「「我々」は、かつての宗教裁判の様な苦痛を与える事を目的とした拷問は行いません。しかし、あくまで貴女が「魔女」である事を選ぶのであれば、「我々」は貴女を「研究対象の素体」という「物」として扱う事になるのです。本当にそれでよいのですね?」

「はい」

「貴女の母親は貴女を捨てた。「我々」は「我々」を一人として捨てません。例えそれが何者であろうとも、神の御前においては同じ兄弟だからです。「我々」は貴女を兄弟の一人として迎え入れる意思があります。それでも貴女は、母親とともにあろうとするのですね?」

「はい」

 

 年のころは十台の前半であろう。だが少女は、その肉体年齢からはうかがい知れない昏い絶望に染まった光の無い瞳をしている。

 少女は、その深紅の瞳を神父からそらすと、呟くように答えた。

 

「わたしは、もう、戦いたくはありません」

 

 神父は、少女の黒いリボンで二つに分けられた柔らかな色合いの金髪を見下ろすと、言葉を続けた。

 

「死という結末が同じであるならば、より苦痛の少ない方を選択したい、という貴女の考えは理解できます。しかし、貴女がこのまま迎える死は、冷たく、孤独で、そして何の意味も意義も無いものでしかありません。ですが、「我々」とともに迎える死は、晴れ晴れとして、兄弟とともにあり、そして神の祝福と栄光に包まれてのものとなります。人は、支払ったものに相応しい代価を受け取る権利を持ち、「我々」は兄弟にそれを保障することが出来るからです。貴女はその権利を捨て、あくまで意味の無い死を迎えようとするのですね?」

「わたしは、ただ、母さんに、微笑んで欲しかった、それだけです」

 

 少女の声は震えていた。だが神父は、その震えが自分の言葉に少女の心が揺り動かされてのものではない事を理解していた。少女を苛んでいる絶望は、それほどまでに深いものである事を知っていたのだ。

 なにしろ神父は、少女の母親の死に直接関わった本人であるのだ。

 少女の母親は、「魔女」として禁忌に触れる実験に手を染め、それ故に魔術師達のコミュニティから排除され、最後にはヴァチカンの教皇庁から異端認定を受けたあげく、神父の率いる異端審問官らと壮絶な戦いの末に滅んだのだ。そして少女は、母親の命じるままに神父の部下達と戦い、神父自身によって瀕死の重症を負わされて捕らえられたのである。

 神父がそのまま少女を殺さなかったのは、少女が頑として異端審問官らを殺そうとせず、あくまで無力化しようと努力していたからに他ならない。少女は、母親が脱出するまでの時間を稼ぐ、ただそのためだけに異端審問官らと戦ったのだ。

 

「フェイト・テスタロッサ。私は、とてもとても残念です」

「お心遣いに感謝します。アンデルセン神父」

 

 心から残念そうな表情を見せた神父に、フェイトと呼ばれた少女は、寂しそうに微笑んで礼を述べた。

 この回廊の最後には、異端審問官達が待っている。彼らに引き渡されれば、フェイトは「魔女」として「研究対象の素体」という「物」となる。だがフェイトは、何のためらいもなく前に進んでゆく。まるでその先に彼女の求めている希望があるかのように。

 だが回廊の終末に待っていたのは、フェイトにとってもアンデルセン神父にとっても予想外の存在であった。

 

「何かありましたか? マクスウェル、ナルバレック?」

 

 回廊の終点には、黒のウェストコートに黒のネクタイの長髪の男と、カソック姿の女が待っていた。フェイトは、二人の発する気配に、自分を待ち受けている運命が予想を超えて悪い方向へと向かっていることを「魔女」としての勘で理解し、そして本当の意味での絶望をおぼえた。

 

「アンデルセン、「枢機卿」からの命令だ。この少女をラングレーに引き渡す決定が下された」

「何故です、マクスウェル!? この「魔女」は異端審問によって「魔女」と認定され、これより刑が執行されるのです! 我らは神の地上における代理人! その我らの裁定に地上の一権力が異を差し挟むなぞ、笑止千万!! 否、不遜にも程がある!!」

「貴公の言葉は正しい。だが、教皇聖下の裁可が下りた」

 

 ナルバレックと呼ばれた女性が、心底憎々しげに吐き捨てる。そしてマクスウェルと呼ばれた男が、憎悪のこもった視線とともにフェイトを見下ろし、言葉を引き継いだ。

 

「この「魔女」には、死よりもおぞましい生が待ち受けている。それをもって我らの裁定となす。せいぜいドブ泥の中をはいずり、絶望に満ちた生の末に死ぬといい」

 

 

「「NERV」ですか」

「そう。日本政府直属の非公開特殊法人であり、崩壊へと転げ落ちつつあるこの国の再生のための切り札。という事になっているわ」

 

 赤木リツコと名乗った彼女は、「極秘・禁帯出」と判子の押されたファイルをシンジに渡し、そう語った。

 

「……僕は、確かに普通の人間には無い「力」を持っていますけど、でも十四歳の子供に何ができるんです?」

「何も出来ないでしょうね」

 

 リツコの答えはあまりにもはっきりときっぱりとしていて、それがシンジを軽く落ち込ませる。

 

「政府、というより、今の民主党政権は、根本的な制度の変革には手をつけず、小手先の対策でなんとか破滅を先延ばしにしようとしているに過ぎないわ。あなたという「異能者」をこんな胡散臭い組織に所属させ、本来ならば違法同然の実験や実務に就けようとしているあたり、彼らの焦り具合がよく判るわね。ご愁傷様」

 

 最後の一言ともにシンジを見下ろしたリツコの視線は、何故か軽い愉悦がこもっていた。

 その事を感覚で理解したシンジは、リツコから視線をずらすと小さく溜息をついた。

 

「それで、僕は、具体的には何をすればいいんです?」

 

 シンジは、じっと手渡されたファイルを見つめながら、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。

 

「とりあえずはそのファイルを読んでおいて。それから、あなたの支援を受けて活動することになる部署の皆に紹介するわ。安心なさい。別にあなたを実験用ネズミの様には扱わないから」

 

 その代わり、使い勝手のよい「備品」として壊れるまで使い倒すのでしょう?

 

 シンジは、心の中だけでそう呟いた。

 シンジには、この赤木リツコという女性が何故ここまで自分に冷たい態度をとるのか、それが理解できなかった。だが同時に、理解したいとも思わなかった。自分がへそを曲げれば困るのは彼女らなのに、こういう態度をとるのは、彼女が自分が今どういう態度をとっているか理解していないからだろうし、つまり彼女が自分とは関係のないところで、自分に何か含むところがあるのであろうから。

 無自覚にそうした感情が表に出てきてしまうあたり、まだ自分には我慢のできる範疇である。そうでない、表情や態度と内心が完全に一致していない人間こそ、なまじ人の思考や感情や無意識を「読め」てしまう異能者にとっては、付き合うのに神経をすり減らす相手はいないのだ。別に他人の内心をのぞく趣味もないし、むしろ他者の内面なんて見たくも無いシンジにとっては、こういう判りやすい女性の方が、これから付き合っていく上ではまだしもマシな相手ではあった。

 

「多分、短くない間お世話になると思います。よろしくお願いします」

「こちらこそ、あなたという稀有な才能の持ち主の協力を受けられて、本当に助かるわ。よろしくね」

 

 シンジはそう言って頭を下げた。そんな彼の態度にリツコは、会ってから初めて他意の無い微笑みを浮かべて頭を下げた。

 そんな彼女を見てシンジは、ここで上手くやっていくには、結局は自分から折れて近づいていくしかないのだな、と、そう心の中で溜息をついた。

 

 

TO BE CONTINUED

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