ディストピアの風景

金物屋忘八(69式)

 

 四

 

 シンジが区立第三中学校に転校してから一週間ほどが過ぎた。  あれからクラスを支配している獣達がシンジにちょっかいを出す回数は減り、恐怖に怯える生徒らのびくびくとした雰囲気をやり過ごすのにも慣れた。そして、ある程度落ち着いて教室を見回せるようになったシンジは、このクラスが単純に獣達と担任の葛城ミサトとの対立だけの場ではない事も見えてくるようになった。つまるところ長野にいた頃もそうであったが、獣達に取り入る生徒もいれば、なんとか距離をとってやり過ごそうとする生徒もいるし、連中がちょっかいを出さないのをよい事に、我関せずで過ごしている生徒もいる。

「なあ碇、名前だけでもいいからさ、うちの部に入ってくれよ」
 初日に鈴原トウジに助けられた事で、シンジが自分達の側の人間だと見極めたのだろう。トウジの友人である相田ケンスケが、しきりとシンジを自分の部活に誘ってくる。彼も我関せず組の一人である。

「僕は、写真とかそういうの、全く判らないし」
「だからさ、校則で部活動に参加するのは決められているんだよ。な、帰宅部と掛け持ちでかまわないから、頼むよ」

 シンジとしては、入るならチェロを弾けるオケ部に入りたいな、という希望があったのであるが、残念ながらNERVの活動がある以上、学校で部活動に参加するわけにはいかないのである。なにしろ転校前日に草薙一尉より、あのほとんど瞬きもしない瞳で眼鏡のレンズ越しに見つめられつつ「基本的に君の任務は、NERVに検体として協力するか、首都警に治安活動で協力すること。その障害とならない限り学校生活を楽しむのは構わない」とお達しがあったのだ。
 見た目こそ自分とさして変わらない年齢に見える彼女ではあるが、その迫力は富竹二佐とは別の意味でかなりくるものがある。
 シンジは、草薙水素がクラス委員だったら良かったのに、と、なんど思ったか数え切れないほどであった。彼女ならばこのクラスをあの瞳と口調であっさりと支配できるであろう。獣達だって、彼女に暴力を振るおうとしても、ひとにらみですごすごと逃げ出しそうである。

「ごめん」
「いや、そこをなんとか」
「ええ加減にしとき、ケンスケ」

 そして、適当なところで鈴原がストップを入れて終わりとなる。  シンジは視線だけでトウジに礼を伝えると、「じゃあ」と一言挨拶をして下校することにした。今日も高負荷環境下での「能力」の使用試験が待っているのだ。
 後ろでトウジとケンスケがなにやらやり取りしているのを尻目に、シンジは急いでNERVに戻ることにした。



 シンジが区立第三中へとNERV本部から通っている途中に、ほとんどの店がシャッターで閉じられた商店街がある。そこはもうほとんど住人もいないのか、ぽつぽつと空き地が目立ち、人の生活している気配もまばらな通りであった。

 その通りでシンジは、自分が何物かが張った「結界」の中に取り込まれ、その敵対的意思を向けられている現状に、父ゲンドウが「敵と戦っている」と口にした事がどういう意味であるのかようやく納得がいっていた。NERVに来た初日にヘリの中から感じた、人とは全く違う「異物」の暴力衝動。それの文字通り生の気配が暴風のごとく彼に叩きつけられているのだ。

 一度、遠方からでもこの気配を感じておいてよかった、と、危機の真っ只中にいる今この瞬間そんなのんきなことを考えてしまう自分に、シンジは我が事ながらほとほと呆れてしまう。


「……ええと、僕に何の用でしょう?」

 我ながら馬鹿なことを口にしているなあ、などとと思いつつ、シンジは、目の前にうごめいている黒い影に向かって「意識」を絞った。同時に、黒い影が路面を伸び、彼の足場を覆おうとする。

「うわっ!」

 シンジは、瞬時に全身に「力」を込めて飛びのき、影から少しでも距離をとろうとした。だが影は、そのままの速度でシンジを追ってくる。

 飛びのいて尻餅をついたシンジは、その華奢な身体からは想像もつかないほどの速さで跳ね起きると、まっすぐに上空に飛び上がった。そのまま滞空しつつ、絞った「意識」を「異物」の意識に同調させようとする。とりあえず今は、こちら側に敵対的意志が無い事を伝えたい。

 だが、意識を同調させようにも、そのためのとっかかりが掴めない。

 それどころか逆に、「異物」の「意識」が自分の意識を取り込もうとしてくる。

 シンジは伸ばした自身の「意識」をブロックして「異物」の「意識」を遮断すると、次にどうしたらいいのか、一瞬思考した。その一瞬、シンジの直下に伸びていた「異物」の影から二本の「触手」がシンジへと伸び、彼の脚に巻きつく。

「うわわっ!!」

 シンジは、反射的に「触手」を「切断」すると、横飛びに「異物」と距離をとり、廃屋となって久しい商店の屋根に降り立った。

 どうやら「異物」の影や「触手」もここまでは伸びないらしい。一息ついたシンジは、覚悟を決めるしかないんだな、と、自分に言い聞かせる。そして、自分を取り巻いている「結界」に向けて「意識」をこらし、まずはここから離脱するための「穴」を開けようとこころみた。

 幸い「異物」の「結界」の強度はシンジの意識圧に比較して弱く、あっさりと脱出する事ができる。

 次にシンジは、「異物」を自身の「意識」で「拘束」し、捕らえようとした。

 だが「異物」は、まさしく影の様に手ごたえが無く、シンジの「意識」はむなしく宙をまさぐるばかりである。


 互いに決定打を欠いたまま、対峙し続けていたその瞬間、互いの均衡を破るかのように銃声が響き渡った。

 シンジが「意識」だけは「異物」からそらさず視線だけ銃声のした方向に向けると、そこには両手で不釣合いなほど大型の拳銃を構えた綾波レイが立っていた。そしてその銃口は、シンジが対峙している「異物」にではなく、全く別の方向に向けられていた。

 直後、車の発進音が聞こえ、まるで最初からいなかったのごとくに「異物」は消えてしまっていた。

 レイはといえば、拳銃を右手で構えたまま、いつの間にか左手で携帯電話を操作し誰かと話をしている。

 シンジは、緊張が解けたせいか、腰から力が抜け、そのまま廃屋の屋根に座り込んでしまった。

 会話を終えたレイが、拳銃の撃鉄を戻し、安全装置をかけて鞄の中にしまうのを見て、シンジは屋根から道路へと降り立った。


「助けてくれてありがとう」

「そう」


 レイは、その紅い瞳をシンジに向け、彼が無傷である事を確認すると、そのまま背を向けてすたすたと歩いてゆく。

 シンジは、あわてて小走りにレイの隣に並ぶと、一緒に歩きはじめた。


「僕がここにいるって、知っていたんだ」
「いいえ」
「ええと、見張っていたんじゃないの?」
「草薙一尉からの指示」

 へ?

 一瞬ボケた声がもれるが、レイは全く気にせず歩いてゆく。シンジは、そういえば彼女は自分からは必要最低限しか話をしないんだっけ、と思い起こし、レイとの会話の仕方を一生懸命思い出そうとした。

「……草薙さんが、僕を監視していて、綾波にここに行く様に指示を出した?」
「そう」
「それで、僕があの「影」の相手をしている間、綾波は影の本体を探して、見つけ出した?」
「ええ」
「で、本体を捕まえようとして、逃げられたんだ」
「……ええ」

 受け答えする綾波レイの口調に、わずかに悔しさの色が混じる。

 その事に気がついたシンジは、なんとはなくほっとするもの感じた。レイにも感情があって、ただその表現の仕方が判りづらいだけ、という安心感。

 それからシンジは、草薙一尉がどうやって自分を監視していたんだろう、と、そのことを疑問に思った。自分に向けられる視線は、大体のところ感じる事ができる。しかもそれが無意識的なものではなく、はっきりとした意図をもって向けられる視線ならば、絶対に判るし、逆にその視線からたどっていって相手の居場所までたどり着くことができるのだ。

 それにしてもあまりのタイミングの良さに、シンジは、草薙水素が想像以上に有能なんだな、と、そう感心してしまっていた。

「君の登下校は、上空からUAVで監視している」
「ゆーえーぶい、ですか?」

 草薙一尉の執務室で、シンジは、革張りの大きなチェアに収まっている彼女からあっさりとそう言われて、ぽかんと口をあけた。

「そう。大きなラジコンの飛行機だと思ってくれればいい」
「はあ」
「君は自分で自分の価値を理解していないようだけれども、護衛要員を常に近くに配置して君の神経に負担をかけるべきではない、というのが警備部の見解だ。我々にとって君は、それだけのコストを払って護衛する必要があるVIPという事になる」
「そ、そうなんですか」

 薄暗い部屋に木製の本棚や執務机、そして部屋の片隅に鎮座している巨大なオブジェの様なオルゴール。窓を背景に座り、逆光に眼鏡の下の瞳が見えない草薙水素は、まるでアンティークドールを思わせる雰囲気があった。

 

シンジは、淡々とそう述べる彼女に、ふと沸いた疑問を問うてみたくなった。

「じゃあ、学校にも監視カメラとか警察の人とかいるんですか?」
「それには答えられない。それに、それを知っても君が置かれている現状に変化はない」
「はあ」

 我ながらボケた受け答えをしているなあ、と、シンジはそう思った。だが草薙水素の言う通り、自分を取り巻く環境について知っても、何かが変わるわけでもない。というより、「異能者」であるシンジがそれを知ろうとすれば、隠しようが無いのも事実である。となれば、NERVという組織の歯車のひとつでしかない彼女としては、こういう答え方しかしようがないのであろう。

「ええと、僕が教室で不良に絡まれている事は?」
「報告は受けている。現在状況を改善するべくこちらも動いている。他に質問は?」
「あの、最後に一つだけ」

 わずかにスイトの顔が動き、眼鏡越しに瞬きしない瞳がシンジを見つめる。

「僕は、どこまで自由に動いていいんですか?」

 二人の間に沈黙が降り、時間が凍りつく。

「……検査の時間だ。下がっていい」
「……はい」

 草薙一尉のそっけない受け答えに、しかし嘘はひとつも含まれていない。

 シンジはそこに彼女の精一杯の誠実さを感じ、この場は引き下がることにした。

 シンジが退出してすぐ、草薙スイトは眼鏡を外し、視線を外へと向けた。そして白地に「凛」の赤い一文字が印刷されている箱から煙草を一本抜くと、火を点けずにくわえる。

 たった今のやり取りを思い出し、スイトは自己嫌悪で気分が悪くなった。あれだけそっけないやり取りであったのに、シンジは、怒ることも不満を口にすることも無かった。それどころか、彼の表情には自分に対する理解の様なものさえ浮かんでいたのだ。あれが自分ならば、絶対に癇癪の一つも起こしたであろう。それを思うと、結局自分が年齢とは関係なしに子供である事を思い知らされる。

 ささくれだった気分を落ち着けるために、くわえている煙草に火を点け、まずは一服し溜息のように煙を吐き出す。

 窓の外は、青空が広がり、雲が高い。

 ゆっくりと流れてゆく雲を見つつ煙草を吸い終わると、スイトは内線電話を取った。

「草薙です。日向二尉は? そう、では戻ったらこちらに来るように伝えて」

 受話器を戻し、スイトはもう一本煙草を抜こうとして、その手を止めた。

 

日向二尉が草薙一尉の執務室に現れたのは、さほど遅くはなかった。自分の目前で両腕を背後に回した休めの姿勢で立っている彼に、スイトはようやく気分が落ち着くのを感じた。やはり自分には、自衛隊の水が合っていると実感する。

「シンジに「使徒」が接触した際の周辺状況について報告は受けている。その状況についての君の評価を」
「現状は「使徒」の威力偵察の段階であると判断します。シンジ君の報告にあった「影」ですが、それは綾波さんの報告にあった通り「使徒」が投影したものであるのは確実です。さらにあの直後に逃走したバンの尾行に入った車両から、途中で姿が掻き消えた、と、報告が上がってきています」

 この陸自から出向してきた男は、経歴書に記されている通りに有能であった。あのわずかな時間に発生した状況から、より多くの情報を得ているスイトと同じ結論に至っている。

「報告直後に首都警に検問の配置を要請したが、報告にあったバンは検問にひっかかっていない」
「我々の尾行車から逃れたのと同様の方法で、検問所を通り抜けたと判断してよいと考えます」
「君の判断と、私の判断は同一だ。これからは予備のUAVを1機つける。今回は燃料切れで追跡しきれなかったが、次回からは人間の知覚ではなく、UAVのセンサーで追跡する事に主力をおく。何か意見は?」
「「使徒」がUAVのセンサーを欺瞞できない、とする判断の根拠はなんでしょうか?」

 日向二尉の質問は、スイトの予想通り的の中心を射抜いていた。

「シンジがUAVの監視に気がついたのが、レイに自分が監視されている事を示唆されてからだ。高空を高速で飛行する物体を知覚するのは、地上からでは極めて困難であるという我々の経験則と、さらに機械という意識を持たない知覚装置に対して受動的に認識し得ないという判断」
 

そこで一息ついてスイトは、顔の前で両手の指を組み合わせた。

「さらに、敵がUAVに対して実力で無力化を試みるならば、それ自体が敵の能力と意図について情報をもたらしてくれる」
「了解いたしました。あと人員の配置についてお願いが」
「二人の間接警護の人数を増やしたい?」
「はい」

 スイトは、警備部の人員のローテーションを計算し、そして瞬時に結論を下した。

「富竹部長に調査部から人数を回して貰えないか話をしてみる。後藤部長まで話がいくなら、多分人数を回して貰えると思う」
「ありがとうございます」

 こつん、と踵を鳴らし、腰をかがめる敬礼をする日向二尉の姿に、スイトは、自分が彼を部下にできた幸運を誰とも知れぬ何かに感謝した。

「シンジ君と綾波さんの間接警護の増員か」
「うちは構わないよ、富竹さん。そういやあ、うちの青葉とそっちの日向君とは大学で同期だったよねえ。青葉で一チーム編成するから、自由に使ってくれていいよ、草薙さん」
「ありがとうございます、後藤部長。いかがでしょうか? 富竹部長」

 スイトは、難しそうな表情をしている富竹と、相変わらず飄々としている後藤に向かって頭を下げた。ただ内心では、富竹の表情から話はすんなり進まないのではないか、という懸念が内心もたげてくる。

「正直言うと、UAVの増員は構わないよ。でも警護を強化して、相手が慎重になられると困るなあ」
「でもさ、やはり子供達の安全は確保するべきだと思うよ。今回は向こう側から手を出してきたわけで。こっちが警護を強化するしないに関わらず、手を出してくる時には手を出してくるんじゃないかな」

 ここが自衛官と警察官の意識の差か。

 スイトは、富竹が「使徒」という敵をいかにして捕獲するか、まずそれを目標とし、それを達成するためにシンジとレイを囮に使うつもりでいるのを理解した。それに対して後藤は、あくまで警察官としてNERVにとって最重要の研究対象である二人の子供の安全の確保を第一にしている。確かに前回シンジの活躍によって「使徒」のサンプルの入手に成功しており、その解析が途中である現状、あわてる必要はない、という点では、後藤とスイトの考えは一致していた。

 だが、可能ならば生きた「使徒」を確保したい、という富竹の意図は確かに理解できる。むしろ富竹は、上官の碇ゲンドウからその旨命令を受けているとも考えられた。スイトは、自分の上官が理由もなく子供らを危険にさらす事は、絶対にしない人間であると知っていた。だからこそ彼女の要請を一蹴せずに、後藤との話し合いの場を作ったのであろう。

「富竹部長の仰るとおり、警護強化によって「使徒」の行動が慎重になる可能性は考えられます。しかし自分は、その可能性は極めて低いものと見積もります」
「続けて」

 興味を引かれたのか、富竹は彼女を促す。スイトは、富竹が決心するための材料を用意するのが、この場に現場責任者として呼ばれた理由であると判断し、言葉を続けた。

「警護の人数を増やしたとしても、結局は「使徒」の活動を抑止し得ないからです。先程の二人と「使徒」の接触において、間接警護に当たっていた隊員は全く無力でした。さらに逃走する「使徒」を途中で完全に見失い、かつ迅速にしかれた検問も難なく突破しています」

 ここで一息つくと、スイトは結論を口にした。

「よって敵は、こちらが警護の強化を行わない事によって、別の方法で積極的に状況に対処しようとしている、という判断を下させる事になります。そして警護の強化によって敵は、二人に「使徒」を接触させてから離脱するまでの組織運用の負荷の増大によって、よりこちらに多くの情報を提供せざるを得なくなります。現時点で敵の側に主導権がある以上、今は敵の選択肢を狭める事で主導権の奪回を目指すべきであると考えます」
「うん、その通りだね」

 富竹は納得したようにうなずくと、後藤に向き直った。

「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらって、正式に警備部から調査部に人員の出向をお願いさせてもらうよ。頼みます、後藤さん」
「はい、了解。それじゃチームの編成は、青葉に今日中にリストをおたくにまわさせるから」

 無能で無い上官の下で働くのは、こんなにも楽なものなのか。

 スイトは、自分が組織人としては非常に恵まれた環境にいる事をあらためて実感し、そしてその事を本気で神に向かって感謝した。

 碇ゲンドウは、自分の目前に浮かぶホログラフィの石版から繰り返される質問に、ただ機械的に答え続けていた。その姿を脇に立って見続けている冬月コウゾウは、これが会議と称した愚痴のやり取りでしかない、と、そう内心思いつつ無表情を保ち続けていた。

「それで今回の「使徒」の接触にどの様に対処するのかね、碇」
「計画はスケジュール通り進めねばならぬ。それが契約の最優先事項だ」
「我らに残された時間はあと僅かだ」

 石版の表面に浮かぶ七つの眼の紋章が瞬きし、次々と問いがかぶせられる。

 それに対しゲンドウは、サングラスの下の目に一切の表情も浮かべず、淡々と受け答えするだけである。

「今回の「使徒」の接触は、あくまで予定の範囲内であり、スケジュール上問題はありません。状況はあくまで我々の計画通りに進んでおり、憂慮すべき状況には無いと判断できます」

 あくまで具体的な対応については明言を避け、しかし問題は無いの一点張りに終始するゲンドウに、冬月は、不毛だな、と、内心で溜息をついた。

「碇、委員会は君の手腕に期待している。しかし、これ以上の計画の遅延は認められない。以上だ」
「了解いたしました。全てはゼーレの計画通りに」

 居並ぶ石版らの中央に位置する石版がそう結論づけ、会議は終了した。

 暗闇となった部屋のカーテンが自動的にあけられ、室内に陽光が差す。冬月は、やれやれという様子で首を振ると、ゲンドウに向けて視線を降ろした。

「委員会も相当焦っているようだな」
「いつもの事だ。問題はない」

 全く感情のこもっていない返事に、冬月は軽く息を吐くと、ゲンドウに向かって問いかけた。

「それで、今回の件はどうするつもりだ? アメリカに協力に出したセカンドチルドレンは、向こう側との協力関係を完全に破綻させたぞ?」
「セカンドチルドレンの件は解決済みだ。奴らは単純に利権の臭いをかぎつけただけにすぎん。計画そのものには全く関与していない」

 そして机の上に肘をつき、両手を顔前で組み合わせると、ゲンドウは、蔑む様に口の端を歪めて笑う。

「今回の「使徒」の接触も、「敵」が焦ってきている証拠というだけのことだ。時間はむしろ奴らの味方であるのにな」
「この世界が確実に破滅へと進みつつあるのも事実だぞ? 碇」
「だからだ、冬月。そもそもこの文明を否定し、一から全てをやり直そうというのが委員会の意図だ。だがそこにこそ委員会の矛盾が存在する。計画に関与している全員がそれを理解しつつも、しかし計画を推進するしかない、という現状こそ、俺達の動く余地が生まれる」
「まったく、綱渡りだな」

 いつもより少し早めに起きたシンジは、NERV本部の正面ゲートのところでレイを待っていた。

 立哨中の特機隊員がたわいもない雑談を話しかけてくるのを適当に相手しつつ、時間に正確な彼女がそろそろ通るかな、と、意識はそちらに向ける。そして、彼女の姿が見えたところで、隊員に挨拶をしてレイの隣に並んだ。

「おはよう、綾波」
「何?」

 足も止めず、視線も向けず、レイは両手に鞄をさげて歩き続けている。

「昨日はありがとう、って」
「任務だから」

 相変わらずそっけない返事が返ってくるばかりである。

 だがシンジは、彼女は基本的にそういう受け答えしかしない、という事を判っていたので、そのまま言葉を続けた。

「昨日の「使徒」の本体って、どうだった?」
「何故?」

 この場合の何故は、どういう意味の何故なんだろう。

 シンジは、それを何故この場で聞くのか、という意味にとらえた。確かに登校途中で質問するには相応しくない内容ではある。

「昨日、聞いておけなかったから。次、いつまた出会うか判らないし」
「そう」

 昨日は、シンジは技術部による検査で疲れて早めにベッドに入る羽目になったし、レイは首都警の要請で夜間哨戒に当たっていたのであった。おかげでレイから「使徒」について話を聞く機会は、今朝までなかったわけである。今日、学校から帰ったら、草薙一尉から詳細を教えられる事になっていたが、シンジとしては知る事ができる情報は、できるだけ早く知っておきたかったのだ。

 そんなシンジの考えを理解してかしなくてか、レイはそっけなく言葉を続けた。

「三十歳代の男性。痩せ型。本体は人間としての意識と肉体を維持している」
「バンに乗っていた他の人は?」
「三人。うち二人がAK系の自動小銃で武装。訓練を受けていて、錬度は高い」
「そういうの、判るんだ」
「ええ」

 シンジは、レイが何がしかの訓練を受けている事を知って、あらためて驚いた。確かに昨日は大型拳銃を難なく扱っていたが、そこまでの訓練を受けているとは思ってもみなかったのだ。

「綾波を訓練させたのは、父さん?」
「そう。碇司令の命令」

 シンジは、まじまじとレイの顔を見つめた。そして、内心むらっと怒りの感情が湧き上がる。

「そっか、父さんの命令なんだ」

 その口調に何か剣呑なものを感じたらしいレイが、初めてシンジに顔を向けた。

「あなたは、碇司令の命令が納得できないの?」
「当たり前だろ! あんな父親!!」

 過去、泣きじゃくる自分を置いて、背中を見せたまま去っていった父親の姿が思い出され、シンジの声がこわばる。

「自分の父親が信じられないの?」
「信じられないよ!!」

 自分の怒りがなんなのか、よく理解できないまま、シンジは叫んだ。

 その瞬間、レイはシンジには予想もできなかった行動にでた。

 怒りの表情を顔に浮かべ、そしてシンジの頬を張り飛ばしたのだ。

「さよなら」

 レイは、今度こそシンジの事を完璧に無視して、その場を足早に立ち去った。

 シンジは、叩かれた頬を押さえたまま、呆然とレイを見送るしかできないでいた。

 

 

TO BE CONTINUED

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