羨ましかったわけでも、
妬ましかったわけでもないよ。

ただ知りたかったんだ。
 
 
 
 
 
 


She`s so lovely

第六話



 
 
 
 
 
 

目が覚めてから数時間、シンジはあまりの恥ずかしさにどうしていいか分からずにいた。
診断結果、異常なし。
火傷はおろか、体のどこにも異常はなかった。
一応、念のために一日だけ入院して、明日には退院できるだろうとの事だった。
本来なら喜ぶべきであろう結果を医師から聞かされても、
シンジの心は羞恥心に満たされるだけであった。
 

シンジを助け出したトウジとケンスケは、手や腕に全治三日程度の火傷を負った。
軽いとはいえ、怪我は怪我。
自責の念、後悔、そして無様な自分がシンジには恥ずかしく思えた。

結局、飼育小屋には誰もいなかった。
動物の一匹さえ残っていなかった。
それらを逃がしたのは、いち早く火事に気付いた飼育当番の女生徒だったと聞かされた。
恐らく、レイの事だろう。
自分だけが冷静さを欠いて、前後不覚になって、
あろうことか気絶までしてしまった事が思い返されて、シンジは恥じ入った。

何より、
自分の心をここまで赤裸々にさらけ出してしまった事が、シンジには恥ずかしかった。
事の顛末を聞いた誰もが自分の胸の内を読みとるだろう事。
人から笑われることを恐れて育った少年は、
今後、自分に浴びせられるであろう失笑と嘲笑を想像して、
病室のベッドの上で一人身悶えするしかなかった。

きっと、自分の妹も、この話を聞けば嫌な思いをするだろう、そうシンジは思った。
 

こうして、静かな病室に一人で横になって考えてみると、
どうして自分がああなってしまったのか、それさえ不可解なものに思えてくる。

出来る限り冷静に自分の意識をコントロールする事。
それは、可能な限り目立たないように生きてきたシンジにとって、
常に心がけていたはずの、何よりも重要な鉄則だったはずであった。
それがどうして、こうまでも滑稽な行動を起こしてしまったのだろうか、そうシンジは自問し続けた。

自分の考えを悟られない事、出来る限り何も考えないようにする事。
それも、やはり、シンジが今までの経験から得た、日々の安息を得るための鉄則だった。
それがどうしたことだろう、自分の考えも、想いも、これで誰の目にも明らかになってしまった。
 

よく分からない、とシンジは思う。
自分の想いの強さも、大きさも、どう測っていいか分からない。
それどころか、自分が何を考えているのかすら定かではない。
 
 

本当にそうだろうか?

、、、、、、、本当は分かってるんだ、、、、、、
 
 

今となっては、
自分で自分を欺くことも叶わず、
シンジは自分の気持を素直に認めないわけにはいかなかった。
 

自分が今の生活を大切に思っていること。

同じ屋根の下に、彼女がいること。
いろいろと話しながら食事をすること。
あれこれと彼女の面倒をみること。
気兼ねなく話せる人達ができたこと。
ようやく、自分の周りの世界が色づき始めてきたこと。
何かと大変で、苦労ばかり多くて、疲れたりもするけど、けれども大切なものができたこと。

それら全ての中心に、彼女の存在があるように感じていること。
 
 

彼女をとても大切に思っていること。
 
 

どうしてだろう、シンジはなんだかとても恥ずかしかった。
そして、とても恐かった。
彼女に拒絶されるのが、とても恐かった。

それは、今までに感じたことがないような種類の恐怖だった。
大切なものを、根こそぎ失ってしまいそうな、そんな予感。
心を、ひどく傷つけられそうな、そんな予感。
 

秋の日差しが差し込む病室で、
一人、手を強く握りしめて、シンジは恐怖に耐えていた。

恥ずかしいなんて、そんな風に思いたくなかったから。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

「、、、、、、、そう、、、、、、いないなら別にいいの、、、、、、、
、、、、、いえ、またかけ直すからいいわ、、、、、、
、、、、それで、シンジ君の容態はなんだって?、、、、、そう、、、、
、、、、、、、、、どうもありがとう」

そう言って、リツコは受話器を置いた。
オフィスの時計を見やると、丁度二時を示していた。

出かかったため息を慌てて止めた。
最近、いやにため息ばかり吐いてる事に思い当たって、リツコは一抹の寂しさを覚えた。
というよりも、それはむしろ妬ましさだったのかもしれなかった。
 

ミサトの様子が少し変わった。
どこが、とは具体的に指摘できそうになかったが、
それでもリツコはミサトの雰囲気の変化を敏感に感じ取った。
そして、その変化は好ましいもののように思えた。
だが何故か、喜びよりも、寂しさと妬ましさばかりがリツコの胸に生まれていた。
 

気がつけば、リツコの周囲に友人と呼べる存在はミサト一人しかいなくなっていた。
自分に友人が少ない理由も、リツコにはよく分かっていた。
理由は幾つもあったけれども、なによりリツコはそれほど友人を必要としていなかった。
むしろ友情という観念に対して懐疑的でさえあった。

ただ、ミサトの中の何かが、リツコを惹きつけていた。

リツコとミサト、二人の間には、響き合う部分はあまり無かった。
むしろ反発しあう事の方が多く、リツコにとってミサトは世話のやける妹のような存在でしかなかった。
ずぼら、大酒のみ、家事はからっきしで、躁鬱の気さえある。
だけれども、ミサトにはひらめきがあった。
それは天才性と呼ぶには、あまりに精練されておらず、又、少々こぶりなモノではあった。
それでも、リツコの中のコンプレックスを呼び覚ますには十分なものだった。

あたかもそのひらめきが光を放つがごとく、ミサトはどこか周囲の人を惹きつけるところがあった。
しかし、ミサトはリツコ以外の人間には興味を示さず、いつもリツコに付いて回った。
ミサトの前に彼が現れるまで、それは変わらなかった。

そう、
今までも何度かミサトの変化をリツコは見てきた。
そのどれとも今回の変化は違って見えた。
そして、それを見ている自分の受け取り方も、今までとは違っていた。

確かに、ミサトの持つひらめきのようなモノを羨ましく思った事もあった。
それはリツコが唯一持っていない才能だったから。
何よりも欲していた才能だったから。
だが、しばらくして、リツコはその妬みを表面的には乗り越えた。
いつまでも無い物ねだりをしているほど、リツコは浅慮ではなかった。
いつまでも一面的な考えに捕らわれているほど頑固でもなかった。
自分の中で折り合いをつけるべく、リツコは煩悶し、新たな価値観を勝ち得た。
 

その後もミサトと縁が切れなかった理由は、未だに判然としなかった。
 

今でも、
初めてミサトに会った時の事を、はっきりと、リツコは憶えていた。

彼女だけが物欲しそうな目で自分を見なかった事を、リツコは憶えていた。
だから、そんなミサトに興味を持った。
それからというもの、ミサトに引き回されて、馬鹿らしい事に何度も付き合わされた。
お互いが悲惨な幼少期を送ってきた事を知ってからは、ますます馬鹿らしい遊びを二人は繰り返した。
お互いにとって、それは生まれて初めてのことだった。
 
 
 
 

今、この組織の中で、ワタシは重宝されている。
皆がワタシを見ている。
恋人さえ、ワタシを重宝している。

ワタシのみすぼらしい才能を誰もが重宝している。
どうしてか、分かっている。
どうするべきかも、分かっている。

それでも、どうにもできない。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

ひどく気まずい雰囲気をシンジは持て余していた。
ベッド脇に腰掛けるレイ。
病室に入ってきて以来、
一言も口をきかない彼女が怒っているのかどうかさえ、シンジには判然としなかった。

沈黙がとても重たく感じられた。
ましてや、先程までいた、ミサト、トウジ、ケンスケの三人がもたらした騒々しさの後では尚更だった。
 
 

ミサトは一度だけシンジの頬を張った。
それから涙ぐんで「良かった」と言った。

トウジとケンスケは笑って許してくれた。
トウジは「これで貸し借り無しやな」と言って、
ケンスケは「じゃあ、東陳軒の餃子定食な」と言った。

それから三人ががやがやと賑やかに話す間も、レイは静かに座っていた。
安堵感が病室に広がる中、
時折、レイがじっと自分を見つめているのを、シンジは感じ取った。
 
 

制服のまま病院の待合室に腰掛けていたであろう彼女は、一体何を思って時を過ごしていたのであろうか。
いくら考えたところで、シンジに分かるはずもなかった。
それでも、レイが学校を休んで、半日を病院で過ごしたと聞いて、なんだかシンジは居たたまれなかった。
 

「、、、、、学校休ませちゃってごめんね、、、、、、、」

どうにか必死で探し出した台詞を、シンジは口にした。

「、、、、、、、、、、、、、、、、別に構わないわ、、、、、」

そう言ったレイの口調からは、シンジは何も読みとれなかった。
文字通り、別に構わない、という事なのだろうか。

こうして、レイが自分の診察が終わるのを待っていてくれた事。
淡い期待の感情が沸き起こるのを、シンジは必死に押さえていた。
何かを期待する度に、いつも必ず裏切られてきたから。
シンジは希望に臆病な少年だった。

それでも、ふとした折りに、シンジはレイについて考えることがあった。
 

彼女はとても不愛想で口数が少ないけど、
、、、、けど、
ただ口下手なだけで、本当は繊細な、細やかな感情を持つ人なのかな、と。
 

それが、自分勝手な想像なのだという事は、シンジは百も承知だった。
でも何故か、彼女の瞳を見ていると、そんな気がしてしまうのだった。
白い瞳の奥で揺れる、鮮やかな赤。
とても温かい色だと、そうシンジは思った。

なんだか見ている自分が温かくなる色。
でも同時に、なんだか哀しくもなった。
 

顔をあげて、レイの方を見ると、彼女と目が合った。
やはり、その表情を確信をもって読みとる事は出来なかった。

出来なかったけれども、
なんだか、
怒っているような、
悩んでいるような、
とまどっているような、
そんな表情をしているように思えた。
 

「、、、、、、お見舞いに梨もらったんだけど、よかったら、一緒に食べない?」

またしても沈黙に耐えかねて、シンジが言った。
レイはしばらく返事をしなかったけれども、ままあることなので、シンジは黙っていた。

「、、、、、、、、、、、、うん、、、、、、、」

そう言って、レイは席を立つと、ベッド脇に置かれた袋から梨を取り出して、病室の流しで梨を洗った。
彼女の振る舞いは無駄がなくて、見ていてとても気持が良かった。

やがて、洗った梨をお皿に載せて戻って来たレイは、そっとシンジに差し出した。
それを受け取って、シンジは黙って梨を剥き始めた。

シンジが梨を剥く音が病室に響いた。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、どうして?、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、え?、、、、」

シンジは手を止めて、レイのいる方へ顔を向けた。

「、、、、、、、、、、、、どうして?、、、、、」

シンジから目をそらさずに、レイが言った。

どうしてって何が、とは聞けそうになかった。
シンジには質問の意味がよく分かっていた。

掌に残る爪痕がシンジに何か囁いた。
囁きのままに、シンジは答えた。

「、、、、、、、、、、、、、、、あまりはっきりとは憶えてないんだ、、、、
、、、、、その、、、、、綾波が、もしかしたら、中にいるかもしれないって、そう思って、、、
、、、、そうしたら、なんだか、よく分からなくなって、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、ううん、そうじゃなくて、、、、、、、、、、、、、、」

シンジは手に持った果物ナイフと、剥きかけの梨をお皿に置いた。

「、、、、、、そうじゃなくて、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、もう一度、会いたいって、そう思ったんだ、、、、、、、、、、
、、、、、、、、もう一度、会いたかったんだ、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、そう、、、、、」

一言だけ答えて、それからレイは俯いてしまった。
どうして良いか分からなくなったシンジは、手元の梨を再び剥き始めた。

しゃり、しゃり、と瑞々しい音が部屋に響いた。

ともすれば後悔しそうになる自分を、なんとかシンジは繋ぎ止めていた。
思うように指先が動かないのが、なんだかとてももどかしかった。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、あの、、、、、、」

俯いたままのレイがシンジに呼びかけた。

「、、、、、、、、、、、、、、、あ、ありがとう」
 

しばらくして、ようやく顔をあげたレイの頬は微かに赤かった。

二人して頬を染めているのがおかしくて、シンジは笑った。
そんなシンジの様子を見て、レイも静かに笑った。
とても落ち着いたレイの微笑みは夢のようにかわいかった。

シンジは楊枝をさした梨の一切れを、「はい」と言って、差し出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

Please Mail to かぽて
( hajimesu@hotmail.com )

 

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