、、、、、、、、、、、眠れない。
 

枕元の時計に目をやると、午前一時を少し回ったところだった。
かれこれ二時間あまりの間、シンジは自室のベッドの上を転々としながら、寝付く努力を続けていた。
ここ最近というもの、珍しく比較的寝付きが良かったものだから、
久しぶりの眠れぬ夜に却って心が急いてしまう自分の心。
そんな自分の心を、シンジは冷めた気持で見つめていた。

それでも、シンジはさして取り乱していたわけではなかった。
少年は慣れていた。
眠れぬ夜を過ごすことに慣れていた。
 

何か本でも読もうかと、シンジはベッドの上に身を起こした。
そして、書棚に目をやったところで、シンジは違和感を憶えた。
青々と照らし出された室内。
いつもよりも明るい夜の部屋。
本棚に並ぶ背表紙の一文字までもがはっきりと読みとれた。
そんな青い光景の中で、シンジは心拍のリズムが変化するのを感じ取った。
 

緩やかな変調。
 

寝床から抜け出して、シンジはカーテンを開け放った。
窓の向こうには、満々と光を湛えた月が浮かんでいた。
シンジは月明かりに照らされながら、床に腰をおろした。
 

光を浴びた。
月明かりの沐浴。

光芒が乱れ飛ぶ心中。
包み込むように舞い降りた青き光が、雑多な思考をゆっくりと掻き消していった。
そして、少年に傷口を教えてくれた。

それは棘だった。
心に刺さった棘が少年の眠りを妨げていた主だった。

シンジはその傷口にそっと触れてみた。
痛みに体が敏感に反応した。
こめかみが脈打つ音を、シンジは聞いた。

もう一度、月を見上げてみた。
何かが掴めそうな、何かが分かりそうな、そんな予感。
シンジはゆっくりと瞼を閉じた。
閉じた瞼の向こうに、円いシルエットが浮かんでいた。
 

深呼吸を二つ。
 

再び、シンジは傷口に手を伸ばした。
指先で刺さった棘を慎重に摘んでみた。

何故だかわき起こる仄かな甘い快感。
それを遙かに覆い隠す、痛みへの本能的な恐怖。
鋭い痛み、こぼれ出る血、鈍い痛み、そして軽い喪失感。
それら全てに身構えて、体がこわばってしまう前に、シンジは一息に棘を引き抜いた。
 
 

月明かりは静かに少年を照らし続けた。

月色に染まった部屋で、一人、少年は体を震わせていた。
荒い呼吸が部屋に響いていた。
 

赤い血は、すなわち罪悪感となり、やがて自分への嫌悪感となって、体をつたっていった。
しとどに濡れる掌には抜いたばかりの棘が握りこまれていた。
これを捨てるわけにはいかないんだと、少年はそう思った。
 
 

しばらくして、少年はゆっくりと立ち上がった。
足下が少しふらついていた。
喉が乾いていた。
激しい喉の乾きが、少しだけ、シンジに心の痛みを忘れさせて、その体に力を取り戻させた。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

リビングは静かだった。
そしてやはり、仄かに青い色を含んだ光に煌々と照らされていた。
まるで泳ぐように、シンジは光の海を掻き分けながら静かに歩いた。

やがて辿り着いたキッチンで、冷蔵庫を開けると、眩しい光がシンジの顔を照らし出した。
目を細めながら、シンジはミネラルウォーターを取り出した。
食器棚から取り出したコップに水を注ぐ。
とくとく、という音が夜の静寂を破って、辺りに響いた。
 
 
 

水を湛えたコップをダイニングテーブルに置いて、シンジはゆっくりと椅子に腰掛けた。
目の前に置かれたコップ。
月の光を受けて、青い水が複雑な波の模様をテーブルに描いていた。
光の源へと、シンジは顔を巡らせてみた。

ベランダへと続く窓。
その窓を覆うカーテンがゆらゆらと揺れていた。
寝る前に戸締まりを確認したはずだったのにと、シンジは訝しんだ。

月の光が明るく照らすカーテンスクリーンには人影が浮かんでいた。

人影が映っていた事で、逆にシンジは落ち着いた。
鍵を開いた人物がベランダに留まっている以上、可能性の一つは棄却された。
それでも一応確認しなければと、シンジは席を立った。

はためくカーテンをくぐって、シンジはベランダに降り立った。
そこには、やはり、先客がいた。
 
 

彼女の横顔を見て、シンジは息をのんだ。

まだ新しいコットンの寝巻を着たレイが、一人静かに月を見上げていた。
深夜の青いシャワー。
それを浴びる彼女もやはり青色に染まっていた。
きらきらと、彼女の長いまつげが月光をはじいて、砕けた光の粒子が辺りに飛び散っていた。

なんだかとても眩しくて、目が眩みそうだった。
それでも何故だか、まばたきさえ忘れて、シンジはレイの横顔を見つめ続けた。

なんだか見ているだけで、胸が締め付けられる、そんな少女の表情。
その表情が伝える感情を何と呼んだらいいのか、シンジには分からなかった。
 

ただただ、切なくなる。
どうしてだろう、、、、、、、、、、
 

やがて、
レイがゆっくりと振り返った。
レイは何も言わずに、静かにシンジを見つめていた。
少女の髪。
月に染められて、彼女にとても似合っていた。
 

「大丈夫?ちゃんと薬飲んだ?」

胸につかえていた懸念を、シンジは口にした。
深夜といえども、月明かりといえども、紫外線は降り注いでいるから。

レイはゆっくりと一回肯いた。

それ以上、シンジは何と言っていいか分からなかった。
突然闖入したことが今更ながらに後悔された。

「ちょっと喉が乾いて、それで、、、、、、、」

聞かれてもいない言い訳を、シンジは口にした。
妙に慌ててしまったシンジは続けて言った。

「、、、、、、、よかったら温かいものでも淹れようか?」

いつもの静かな間の後で、レイはゆっくりと一回肯いた。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

枕元に置かれたマグカップからは、温められた牛乳の薫りがあふれ出ていた。

シンジはもはや眠ることを諦めていた。
ベッドの上で、壁にもたれながら、ヘッドフォンで音楽を聴いていた。
聞き慣れた楽曲と、甘い乳の薫り。
精神を安定させてくれるはずの小道具に囲まれながらも、少年の胸の内は騒然としていた。
 

苦しかった。
古傷がじんじんと痛んで、シンジは苦しかった。
痛みに眩みながら、シンジは自分の意識がぶれるのを感じた。
 

嫌なんだ、、、、、、
 

捨てられたこと。奪われたこと。悲しみにくれた日々。無為に過ごした日々。
置き捨ててきたはずの感情は、未だに胸の内にあった。
 

何かを、
誰かを、
恨んでなんて、、、、、そんなの嫌なんだ、、、、、
 

まるで何も変わっていないように、シンジには思えた。
一人でぶるぶる震えていた頃と、何も、、、、、。
 

もう、、、、、いいから、、、、、
だから、、、、、、痛まないで、、、、、、、
 

月夜の窓辺で、、、
とても寂しそうな、切なそうな、悲しそうな、
シンジには何と言っていいか分からないような、そんな表情をレイは浮かべていた。
 

笑顔を、、、、、
 

何故かは分からないけど、明るい気持を、彼女には抱いていて欲しかった。
そう思う自分の気持をシンジは守っていた。
痛みから守っていた。
痛くて、人に当たり散らしたくなる自分から守っていた。
密かな恨みから守っていた。
錯綜する苦しみの中で、本当の気持ちが分からなくなりそうになる不安から守っていた。
本当の気持ちなんてあるんだろうか、という疑問から守っていた。
 
 

いけないだろうか、、、、、
こんな僕が、笑っていて欲しいって、そう思ったらいけないのかな、、、、、、
それは、いけないこと?
 
 

分からなかった。
分からない不安とシンジは戦っていた。
 
 
 
 
 
 


She`s so lovely

第七話



 
 
 
 
 
 

「それで、信じたのかね?
あの老人達がさしたる追求もせずに、こちらの報告を鵜呑みにするとは考えがたいが」

「無論、信じておらんさ。
今後、何らかの手段を講じてくるだろうが、、、、、、、、、もう間に合わんよ」

焼けただれた研究施設跡地に、二人の男の声が響いていた。
暗闇の中に、ただ一つ、二人の足下に置かれたバッテリーランプだけが光を放っていた。
黒こげになった、かつては機材だったであろう何かを見つめながら、男は続けて言った。

「しかし、今回の件はどうする?」

「あと数ヶ月で片づく、、、、、、、、、。
今更、数ヶ月くらいなんでもあるまい、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、何も起こらんといいがな、、、、、、、、、」

年老いた男の呟き。
黒ずくめの男は何も言わずに、ただ、サングラスのブリッジを左手の中指で正した。

「それで、、、、、彼女の口はどうする?
、、、、、、、、まだ、話しておらんのだろう、その調子では、、、、、、」

黒ずくめの男は、やはり、何も答えずに、静かに暗闇の廃墟を睥睨し続けた。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

いろいろと憶えたことがある。

洗濯物の畳み方。
衣服の形状によって、いくつかの畳み方がある。

「皺のない服の方が、着てて気持いいでしょ」

そう言って、詳しく教えてくれた碇君。
 

一緒にデパートに行って、服の買い方も教えてもらった。

まだ着心地に慣れない。
けれども、なんだか心地いい、、、、と思う、、、
何も身に付けずに眠っていた時には感じなかった気持。
温かい寝巻。
、、、、、、温かい。

無地で、簡素。
よく似合うと、そう言ってもらった色。
頬が熱くなった。
どうして?
 

あの人も、よく似合う、と言ってくれたことがあった。
髪を切ってもらった時、
私と一緒で短い髪の方がよく似合う、
そう言ってくれた。

懐かしい、あの人の碇君の話。
 

「その、、、、、、一緒に出かけるのって恥ずかしくない?」

買い物の帰り道で、碇君はそう尋ねてきた。
碇君の友達の話によると、
兄妹で買い物に行くのは気恥ずかしいもの、なのだそう。

「、、、、、、うん、、、、恥ずかしくない、、、、、、」

と答えると、碇君は

「そう?、、、、、良かった、、、、、」

と言った。
次の休みには帽子を買いに行く約束をした。
 
 

それから、掃除の仕方も憶えた。
部屋を清潔に保つのは大事なことなのだそうだ。

「綾波はもっと健康に気をつけなくちゃ駄目だよ」

そう言って、碇君はいろいろと心配してくれる。
、、、、、、、、、きっと、これが心配してくれる、ということなのだと思う。
さっきも、薬のことで心配してくれたんだと思う。
、、、、帽子のことも、、、、、そうなのだと思う、、、、、、、、。
 

最近では、休日に、二人で家中を掃除したりもする。
その後には、きまって、碇君がお菓子を作ってくれる。
一昨日は、
林檎とサツマイモを電子レンジにかけたものに、
シナモンをふって、アイスクリームと一緒に盛りつけたお菓子。

温かくて、ほんのりとした甘みの林檎と、冷たいアイスクリーム。

「楽しみがあると、大変なこともがんばれるかな、と思って。
簡単な物しか作れなくて悪いけど、、、、、、」

碇君はバニラアイスが好きと言っていた。

「私は、、、少し溶けたところが好き」

そう言ったら、碇君は手を口に当てて笑っていた。
 

楽しみ。
大変なこと。

それと、
アイスクリーム。
 
 
 

一口、ホットミルクを飲んでみる。
、、、、、、、、温かい。
 

、、、、、そう、、、、、あの人の碇君の話。
、、、、、、、、碇君。
 

、、、、来週の、約束、、、、、
 
 
 

月がとても明るい。
 
 

こんな夜は、あの人の碇君の話を思い出す。
どうして?
 
 
 
 

、、、、、、、少し、瞼が重い、、、、、
 
 
 
 

マグカップをそばづくえに置く。
良い薫りがする湯気。
きちんとベッドメークされた布団の中。
温かい寝巻。
牛乳の薫り。

、、、、何か温かいものに包まれているような、、、、、そんな不思議な気持、、、、、
 
 

、、、、、不思議、、、、、、
 

、、、、、どうしてだろう、、、、、、
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

Please Mail to かぽて
( hajimesu@hotmail.com )

 

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