「なにコレ?」

「なにって缶コーヒーだけど」

どうもコイツが相手だと調子が狂う。

ダウンコートと、マフラーと、手袋を荒々しい所作で身に付けてから、
アスカは差し出された缶飲料を苦々しい表情で受け取った。
さっそく缶コーヒーでささやかな暖をとりながら、
横目でベンチの隣りに、やや不自然なほど距離をおいて、腰掛ける碇シンジを見やった。

少年はボーっと前を見つめながら、缶コーヒーに口をつけていた。
微かに上下する肩と波打つ細い胸。
それらは少年がここまで駆けてきた事を物語っていた。
そんな少年の様子を見て取って、何故だかムッとしながら、アスカはシンジに話しかけた。

「アンタさあ、学校で自分が何て呼ばれてるか知ってる?」

「え?、、、、、、、え?、、、、、シンジかな?それとも碇?」

アスカが大きく溜息をつくと、その吐息は夜の公園にくっきりと白く浮かび上がった。

「そうじゃなくて、、、愛称っていうか、通称よ、通称」

「え?いや、、、、、、、特に思い当たらないけど」

「三馬鹿トリオって呼ばれてんのよ、アンタ達三人組は」

「、、、、あ、そういえばB組の委員長がそう呼んでたような気がするけど、、、、、」

「、、、、、、気がするけど、ってアンタねえ。
仮にも綾波ユイの息子でしょ。馬鹿って言われて悔しくないワケ?」

アスカが怒気をこめて話す度に、白い息が公園の東屋の中に生み出されては消えていった。
寒さに赤く染められたアスカの白い頬がますます赤くなるのに、シンジは気付かないようだった。

小首を傾げる少年の様子は、『うーん、どうだろう』、と言っているようにアスカには思えた。

シンジを前にすると異様に苛ついてしまう理由も、妙に突っかかりたくなる理由も、
それに、どこまでも無視したくなる理由も、アスカには分かっていた。

そもそも、少女にとって、この碇シンジという少年は明確に『敵』として認識されていた。
アスカが倒すべき三人の内の一人。

綾波ユイの子供である綾波シンジと綾波レイ、
赤木ナオコの子供である赤木リツコ。
この三人を完膚なきまでに叩きのめすその日まで、自分の未来が開かれる事はないのだと、
アスカはずっとそう考えて生きてきた。
踏みつけて、越えていくべき相手。

それがどうだろう、
この碇シンジという少年は。
まず、実際には名字が違っていた。
眼鏡もかけていなかったし、辛辣な嫌みも言わないし、胡散臭い風貌をしてもいなかった。
更にクラスメイトになって分かった事には、少年の成績はごくごく平均的で平凡なものだった。
抜きんでた英語と、一般水準からやや没落した国語が、まあ彩りと言えなくもなかったが。
結局、綾波シンジという人物は、自分が作り上げた幻影に過ぎない。

アスカにもそんなことは分かっていた。
、、、、、、、、、、、分かっていたけれども、
何故だか肩すかしをくらった気分になってしまう自分の心に、アスカは振り回されていた。

「アンタさ、もうちょっとヤ〜なやつになれないの?
アタシを無視したり、ひどい嫌み言ったり、料理に胡椒入れまくったりとかさ?」

「、、、、、え?なんの話?」

「だーかーらー、
瓶底眼鏡かけて、何故かどこ行くにも辞書を小脇に抱えてて、
それで事ある毎にアタシに『次の試験で勝負だ!惣流君』、
とか言ってくるようなヤツになれないのかって聞いてるのよ」

「な、なんだよそれ。むちゃくちゃ言わないでよ」

驚きと幾らかの呆れを顔に浮かべた少年の視線をさらりと受け流して、
アスカは夜の第三新東京市の街並を見やった。

「ほんっと、とことん覇気のないヤツねー」

言葉のカウンター・カウンターパンチを用意しつつ身構えるアスカには何の反応も示さずに、
シンジはなんだか一頻り唸った後、ふうっと息を吐いてベンチから腰を上げた。

そんなシンジの様子を、首も表情も動かさずに、器用にアスカがうかがっていると、
やがて、シンジはゆっくりと公園を出ていった。

「あれぐらいで怒っちゃって、情けないヤツ」

いつもは苦笑しつつ受け流すのにと、アスカはシンジの行動に違和感を感じたが、
意識の表層に不愉快な何かが浮かび上がりかけるのを感じ取って、思わず缶を握る手に力をこめた。

それから、呼吸ふたつ程の間をおいて、
アスカは自分の額を人差し指でつつきながら、
シンジの登場によって鎮まりかけていた感情のかまどに、再び薪をくべ始めた。




まったく

アイツの妹にしたところでてんで期待はずれだった
優等生なんて言ったところで、所詮は中学レベル
兄と同じで相手にもならない

ハナから勝ってる相手を蹴りつける趣味はないのよ

打ち返してこないヤツを相手にする趣味もね

残念だけど

でもまあいいわ

まあいいわよ

許してあげるわよ


あの女は変わってないみたいだから


本当

嬉しくなっちゃうわ

ありがとう

ほら

あまりの嬉しさに

手が震えてるわよ

ありがとう

相変わらず刺々しい人間でいてくれて

ありがとう

世界的な科学者でいてくれて

ありがとう

赤い口紅をつけていてくれて

ありがとう
ありがとう
ありがとう、、、、、、、、、、







She`s so lovely

第九話






ハハ

途中で打ち切られてしまった歓迎会。
すっかり白けきってしまった空気が漂うリビング。
シンジが居なくなってしまうと、早々に、レイも上階の部屋に引き上げてしまった。

「ちょっっっとばかし大人げないんじゃない」

からかうような笑顔を貼りつけたミサトがたしなめるような口調でリツコに言った。
あまり手のつけられていない料理が並ぶテーブル。
目の前に置かれたカニサラダに視線を落としていたリツコはいたって平然としていた。

「あんまり虐めないでやってくれよ、結構繊細だからね、アスカは」

ビールが注がれたコップを片手に、加持がミサトに続けて言った。

「あら?私だって結構繊細なのよ。
それにあの子に虐められてるのは、むしろ私の方なのじゃないのかしら」

さらりと受け流すリツコ。
どことなく慣れた感じがするやりとり。
一言ずつの言葉で、それだけで、なんだか時間が何年もの時を逆行していくかのような感覚。
三人きりで話すのは久しぶりだった。

「確かにアスカが一方的に突っかかってきただけだけど、、、、
それにしても、リツコだってどうしてアスカがアナタを目の敵にするかくらい分かってるンでしょ?」

ミサトの問いにリツコは無言で答えた。

「だったら、もうちょっと、こうやんわりとさ、、、、、、、」

「じゃあなに?
私が黙ってやんわりとした態度で接していれば、それでうまくいくとでも思ってるのアナタは?」

まともにミサトの目を見据えながらリツコが言った。

「そりゃー思わないけど、、、、、、、、」

口ごもりつつ、ミサトは答えた。

「まあ、確かにアスカの性格を考えたら、あそこで軽く受け流されたら余計に腹をたてるだろうな」

「んーーー?なになに?
さっきから聞いてれば、なんだか随分お詳しそうなことじゃなくって?アスカのこと。
いくらかわいいっていっても十四の子をねー。
へー、、、、、、、ほー、、、、、、、、」

「なんだい、葛城。妬いてくれてるのかい?」

「馬鹿言わないでよ」

どうにか表情筋を制御することに成功したミサトが言った。

「アスカには向こうで日本の事をいろいろと聞かれてね。
なんといっても惣流博士の娘さんだからな、本部の方でも粗略には扱えなかったってわけさ。
ましてや、幹部からも将来を嘱望されている天才少女。
今から恩を売っておくつもりなんだろうさ、ゼーレとしちゃあ。
それで広報で唯一の日本人の俺にお鉢が回ってきた、というわけさ」

「、、、、、、、、、、ふーん。
で?まったく将来を嘱望されてないアンタはどうして左遷されてきたのかしら?」

「おいおい、栄転だよ栄転。
これから華々しいキャリアが始まるんだよ」

「はん。まったくよく言うわよ。
あーあ、何でよりによって日本支部に、、、、、」

加持の方にちらりと一度だけ視線を向けただけで、ミサトは不愉快そうに呟いた。
コップは脇にどけて、缶のままビールを飲み始めたミサトを見て、
『あらあら』、と嘆息したリツコが加持の方を向いて言った。

「それで、本当のところはどうなの、加持君。
よりによってこの時期に出向なんて、何か裏があるとしか思えないけど?」

「さあ、どうだろうね。
まあ、今度のインドネシア調査は大規模なものになるわけだし、
広報部に一人でも人材を増やしておきたいところなんじゃないかな、ネルフとしては。
そのへんの事情は俺なんかよりも、リっちゃん、君の方が詳しいんじゃないのかい?」

リツコは少しだけ肩を上げてみせただけで、何も言わなかった。

「、、、、、、、へーー、、、アンタが人材ねー」

極めて疑わしそうな目線を加持に向けて、ミサトが言った。

「なんにしてもドイツでももう噂は流れてるみたいだけどな。
新型ウイルスなんじゃないか、とか、まあ、いろいろね、、、、」

「、、、、、、、そう。
機密保持は畑違いといっても、ひどいものねウチの情報管制も。
、、、、、とにかく、加持君には期待してるわよ、
今回の出張に関して言えば、広報は責任重大だもの」

鋭く加持の様子を観察しつつ、リツコは落ち着いた声で言った。

「え?ってことは何?
まさかアンタもインドネシアについてくるんじゃないでしょうね?」

答えを聞く前から落胆を顔に滲ませたミサトの問いに、加持はにこやかに返事した。

「まあそういうことになるかな」

握りつぶされた空のビール缶が悲鳴をあげた。













「なにコレ?」

「なにって肉まんと、あんまんと、えっとあとは、、、ピザまん?と、、
それとあとウーロン茶だけど」

どうもコイツが相手だと調子が狂う。

アスカは差し出された肉まんと缶飲料を苦々しい表情で受け取った。
さっそくウーロン茶でささやかな暖をとりながら、
横目で隣りに、またもや不自然なほど距離をおいて、腰掛ける碇シンジを見やった。

少年はボーっと前を見つめながら、あんまんに口をつけていた。
そんな少年の様子を見て取って、何故だかムッとしながら、アスカはシンジに話しかけた。

「何?どういうつもり?」

「、、、、え?ほら、お腹空いちゃって。
結局殆ど何も食べれなかったし」

「なにそれ、イヤミ?
別に追っかけてきてくれなんて頼んだつもりはないけど」

惚れ惚れするくらいの手慣れた動作で眉をしかめてからシンジに鋭い一瞥をやって、
視線を手元に移したアスカは肉まんをしげしげと眺めた。

「そーじゃなくて、どーいうつもりで戻ってきたかって聞いてんのよ。
せっかく可憐な美少女が一人で物思いに耽ってて絵になってたのに。
、、、、、、で、なにこれ?おいしいの?この紙はどうすんの?」

「これはホラ、こーしてみて、こーして」

最初の問いには答えずに、シンジは少しだけ得意げに手元を示してみせた。

「ちょっと。
いちいちこんなんで得意にならないでよ、、、、、、まったく」

肉まんを頬張りながらアスカが窘めた。

わざわざコートを持って追いかけてきてくれた事。
妙な気の使い方をして、どうやら、これでも、恐らく、自分を慰めようとしていること。
少年の無用の気づかいに、アスカは無性に腹が立った。

なによりも、
少しだけ、ほんの少し、微かに、朧気に、ちょっとだけ、嬉しく思う自分に腹が立った。

腹が立ったから、少年の足に蹴りを入れてやった。
けれども、少年があまりにも離れて座っていたものだから、たいしたダメージは喰らわせられなかった。

精一杯不機嫌な顔つきをしながら、アスカはウーロン茶のプルタブを引いた。

それからしばし、二人は静かに肉まんを食べた。

「どう?おいしい?」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、まあ悪くないわね」













変わっていくのは自然なことよ

誰もが変わっていくわ

、、、、レイ

あなたも変わっていくの、、、、、、



変わるのは自然なこと。
私が変わるのは自然なこと?
うつろう心、ゆれる心、とらえられない心。
心が動いているのがわかるの。
これが変わるということ?

吐く息がとても白い。
肌が冷えて、体が小さくなるかのよう。
でも、冷えない何かが体の中にあるの。
苦しくて、くすぐったい。

このまま、
白い息に包まれてしまいたい、と思う。
包まれて何も見えなくなりたい。

眼下の街並みがひどく眩しい。

なぜだろう?
どうしてだろう?
問いかけばかりで埋もれてしまいそう。
埋もれてしまいそうなの。

碇君。
私、埋もれてしまいそうなの。












ぎゅっと、目を閉じた。
それでも、胸の疼痛は治まらなくて、ミサトは苦痛に眉根を寄せて耐えた。

いつまでたっても、どれほど年を重ねても、どこか強くなりきれない自分の心。
鈍くなりきれない自分の心。
いとも簡単に揺り動かされてしまう自分の心が忌々しくもあった。
忘れたつもりはなかったけれども、変わらずにいたつもりもなかった。

容易には本心を窺わせない彼が、一体何を想っているのか、ミサトには分からなかった。
かつてはそうではなかった。
あの頃は彼のことを解っているつもりになっていた。
それも、今思えば、随分と不確かな、若い女の傲慢さだったのかとも思えてくる。
、、、、、、、、、、、、。

書き換えられない想い。
見せつけられたくなかった。
気づかされたくなかった。

今は、まだ無理だから、、、、
だから少し待って、、、、

少し休ませて、、、、

、、、、、、




自分一人になってしまったリビングはひどく静かで、
食べ残された料理と、空になった缶と瓶が寂しさをかきたてるかのようにテーブルに残っていた。

ちくたくと、いやにはっきりと聞こえる時計の音。

もはやワインを飲むのにも飽きて、ミサトはグラスを軽く前に押しのけた。

同居人の少女はまだ帰ってきていなかった。
自分が迎えに行くべきかとも考えたが、シンジが電話してこないことを思えば、
かえって余計なさしでぐちになるかもしれないと、もうしばらく待つことにした。
なにより、今は、少しの間だけでも一人になりたかった。

仮面を外して、休みたかった。

自分の無責任さもあまり気にはならなかった。
あまりにも重い、無視するには重すぎる憂慮の種が目前にぶら下がっていたから。

急遽、インドネシアの調査計画は大規模なものに改編された。
ドイツ本部や各地の支部から、幾人もの精鋭がネルフに送り込まれてきている。
これだけ大規模なプロジェクトチームが組まれるのは、
2008年度に編成された、惣流博士の『evangelion02』チーム以来のことだ。

つまり、本部はこれで全てを終わらせるつもりなのだ。
今度こそ、本当に。

今回のプロジェクトが成功すれば、遂に、パンドラの箱を永遠に閉ざす事ができるかもしれない。
十四年前に父が開けてしまったパンドラの箱を。

それは、心が沸き立つ響きを持っているはずの言葉。
真夜中の魔王を、夕暮れの悼みを、寂寥の後悔を、全て葬りさる事が出来るであろうプロジェクト。
十三年に及ぶ、「エヴァンゲリオン計画」に終止符を打つことが出来るのかもしれないのだった。

パンドラの箱に潜んでいた悪夢。
死屍を累々を積み上げて増殖した悪魔のウイルスを、
その無情の爪痕が残した陰惨な影響も、全て、今度こそ完璧に覆滅できるかもしれない。

それは、、、、、

それは、とても素晴らしい事のはず、、、、、、、、、

それでも、何故か、背中に広がる寒気がミサトを苦しめた。
不思議な脱力感。
燃え尽きてしまうには、まだ自分は何もしていないのだと、ミサトは自分を鼓舞し続けた。
そんな努力も、まるで水中のロウソクに火を灯すかのような、
ひどく無意味な、虚しい行為であるような気がした。









だって

記憶は塗り替えられないのよ

思い出は作り替えられないの

誰も生き返ってはこない

罪は、、、、、、、

消えることがないの、、、、、、、、、、









 

Please Mail to かぽて
( hajimesu@hotmail.com )

 

BACK INEDX NEXT

  

inserted by FC2 system