「遅いわねー、二人とも」

そう言って、ミサトは向かいの壁にかけられた時計を見やった。
じきに六時半になるところだった。
彼女は既に部屋着に着替えて、席についていた。

明後日に控えたミサトの出張の送別会は、ここ、碇・綾波宅で開かれる予定になっていた。

「そろそろ帰ってくるころですよ」

ダイニングテーブルとキッチンの間を、忙しく行ったり来たりしていたシンジが相づちをうった。
レイはプレゼント用のワインを(アイデアはシンジが提案したのだが)買いに行っていて、
恐らくアスカも何かプレゼントを探しているのだろう、とシンジは考えていた。
そして、必然的に料理担当になったシンジは、三時間もの間、台所で奮闘していたのだった。
まだまだ拙い腕前ながら、なんとか納得のいく料理を作ることができ、
その成果を一通りテーブルに並べ置いて、シンジは一息ついた。
外したエプロンがかけられた傍らのラック。
後は全員が食卓についてから、スープを出すだけだ。

そこで、
頬杖をつきながら、拗ねたような表情をして、
レイとアスカの帰宅を待ちかねているミサトを見て、少年は顔をほころばせた。

「もー。
今日の主役はこうして三十分も前から待ってるのに」

「まあまあ、これで飲みながらもう少し待っててください」

シンプルな冷や奴と、鮭のマリネ。
それによく冷えたビールをつけてミサトの前に並べた。

「え?いいのシンちゃん?
いつもはみんなが揃うまで駄目って言うのに、、、、、、」

「そんな、、、、人を口うるさい母親みたいに言わないでください、、、、、
今日はミサトさんが主役だから、、、特別ですよ、特別」

苦笑しながらのシンジのお酌を、ミサトはだらしない笑顔で受けた。

「ううっ、次にこうしてお酌してもらうのはいつになるのかしら、、、、、
私がいない間に浮気したら駄目よ、シンちゃん」

いい加減にこの手のからかいにも慣れてきたシンジが、
演技過剰のミサトにやんわりと言った。

「まったく、なに言ってるんですか、もう。
大体、ただの出張で大袈裟ですよ。直ぐに戻ってこれるんでしょう?」

「そうねー、一応、一ヶ月から二年とは聞いてるけど」

「一ヶ月から二年って、随分曖昧ですけど」

「うーん。ようするに仕事終えるまで帰ってくるなって事なんじゃない?」

「そうですか、、、、、、、、、、、、、」

一転、急にしゅんとしてしまったシンジにミサトが言った。

「大丈夫よシンちゃん。
そんなに心配しなくても浮気しないから」

それをミサト一流の気づかいと知ってか知らずか、
もとの調子に戻ってシンジが言った。

「いい加減そのネタから離れて下さい。まったく、、、、、、。
とにかく、早く仕事を終わらせて帰ってきて下さいよ。
ミサトさん一人にすると、また元のだらしない生活に戻っちゃうだろうから」

「そうね、、、、。がんばるわ」

照れながら婉曲に励ますシンジらしい言葉に、ミサトは素直に答えた。

「あれ?でもすると、その間、惣流さんはどうするんですか?」

ミサトがおいしそうにお豆腐を食べるの見ながら、何やら考えていたシンジが言った。

「そうなのよ。そのことなのよ。
一応、マヤちゃんのところに引っ越す予定だったんだけどね、、、、アスカが嫌だって言うのよ。
どうもねー、アスカ、マヤちゃんのこと毛嫌いしてるみたいで。
だから、まあ、他に丁度良い知り合いもいないし、私も直ぐに戻ってくるつもりだし、
なにより本人が大丈夫って言ってるし、そのままここに残っててもいいかなーって、、、、
日本に来たばっかりで、又引っ越すのもあれだし、、、、、」

シンジは、そうなんですか、と相づちをうった。

「でね、でね、出来れば、たまに食事を作ってあげてくれないかしら。
何かあった時の事とかはマヤちゃんに頼んであるんだけど、
食事のこととなると、あのアスカが一人でちゃんと作るとも思えないし、
マヤちゃんが食事に呼んでも、素直に行くとも思えないし」

「え?でも、、、、、、
うーん、僕は一向に構わないんですけど、、、、、、、、
本人が何て言うか、、、、、、ただでさえ、嫌われてるみたいだし。
今でも、ウチに食べにくるのが、その、ほら、なんというか、、、嫌々みたいだし、、、、、」

ミサトに遠慮してか、言い辛そうに口にしたシンジの言葉を受けて、
ミサトはニヤリと口元を歪めながら言った。

「あー、それなら心配いらないわ。
いつも、なんだかんだ言いながら、ここに入り浸ってるのが良い証拠。
こないだも、『案外、日本っておいしいもの多いのね』、とか言ってたし、、、、、。
そうなると、これは、、、、私がいないウチに、、、、、、、、、、、ふっふっふ」

「また、そのネタですか」

顔を合わせる度に、やれ今日も冴えないだの、
今日は一段と冴えないだの、びっくりするくらい冴えないだのと、
アスカにやじられ続けているシンジはまるで真に受けずに、あっさりと受け流した。

「とにかく、彼女さえよければ、僕は別に構いませんよ。
ミサトさんにはいつもお世話になってるし、こんな時くらい遠慮しないで下さい」

「じゃあ、お願いしちゃおっかな。
お礼のお土産は期待してくれていいわよー」

陽気な口調でそう言って、どことなく安心したという表情をして、ミサトは笑った。

「ねえ、ミサトさん」

しばし無言で飲んでいたミサトにシンジが言った。
箸をくわえたままのミサトが振り向いて、首を傾げた。

「ミサトさんは惣流さんの事、随分前から知ってるんですか?」

「ど、どうしたの?シンちゃんが自分から女の子の話をふってくるなんて」

わざとらしく呆然とした表情をしながらミサトが言った。
そんなミサトのからかいにもめげずにシンジは続けた。

「いえ、、、、、、、、
ただ、『親の名を辱めるようなそんなザマで恥ずかしくないのか』とか、
その、、、、彼女は、いろいろと、僕のこと知ってるみたいだったから、、、、、、、
どうしてなのかと思って、、、、、、、、、」

「そっか、、、、、、、、、、、、、、、、
そうか、、、、、、うーん、、、、、、、、、、」

箸を置いて、何やら一瞬思いを巡らせてから、ミサトが話し始めた。

「アスカとはね、私があっちの大学に行ってた時に、初めて会ったのよ。
向こうでお世話になった女性の娘さんでね、
頼まれてちょっとばかし日本語教えたり、ベビーシッターしてたりしてたの。
まあ、ベビーシッターっていっても、アスカは当時六歳で、
すごく聡明な子供だったから、二人で遊んでただけだったんだけどね。
ちょっと勝ち気だけど、素直で、明るくて、よく笑う子だったわ。
それでね、私にすごくよく懐いてくれて、まあちょっとした姉妹みたいな関係だったの。
あのことが起きるまで、アスカはすごく無邪気な子だった」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、」

一口、ビールを飲んで、ミサトは続けた。
何故だか、ミサトの声のトーンが段々と真面目なものになっていくのが、
シンジにはどことなく恐ろしく思えた。

「アスカが八歳の時、彼女のお母さんが亡くなったの。
、、、、、、、、、、、、、、自殺、だった」

聞いてはいけないことを、聞いてしまっているような気がして、シンジは一瞬身震いした。
しかし、今更、止めて下さいとも言えずに、シンジは息をのんで続きを待った。

「惣流・キョウコ・ツェッペリン、あなたのお母さんと同じ、エヴァンゲリオンの開発者よ。
ゲヒルン(国連感染症研究所)の研究開発局医療薬学科、『angel』ワクチン開発担当責任者。
ネルフで同時進行していたプロジェクトの責任者だったユイさんと、同じポストだったの。
2008年にキョウコさんが発表した『evangelion02』型ワクチンは、
当時、既に世界中に広まってしまっていた『angel』(使徒型ウイルス)に対抗できる薬として
世界で初めて発表されたものだったわ。
だから人体投与実験有志者を募った時、それこそゴマンと応募する人がゲヒルンに殺到したの。
そして沢山の応募者から、百人の投与実験対象者が選ばれた」

「この先は言わなくても分かると思うけど、、、、、、、
結局、実験は失敗。有志者は全員亡くなったわ。
公開実験だったから、世界中からひどいバッシングにあったわの、キョウコさんは。
それまでは、救世主だの、英雄だの、と散々褒めそやしていたはずなのにね、、、、、、、、
結局、それから三ヶ月後、キョウコさんはゲヒルン施設内の病院の一室で自殺したの」

何も言えずに、シンジは凍り付いたように動けずにいた。

それから、アスカがあまり笑わなくなったこと。
やがて、科学者を目指して猛勉強するようになったこと。
ミサトの話を、呆然としながら、シンジはただ黙って聞いていた。

「、、、、、、お母さんの汚名を雪ぎたい。
今のアスカはそう願ってるんじゃないかなと思うの。
リツコの事を目の敵にするのも、彼女の母親が『evangelion01』の開発者の一人だったからね。
世界中で賞賛されているユイさんとナオコさんの子供達を越えることができれば、
相対的にキョウコさんも優秀な科学者だったと証明される。
恐らく、アスカはそう考えてるはずよ」

「、、、、、、、そうですか、それで、、、、、、、、」

その先は口にせずに、シンジは肩を落とした。
先日の歓迎会でのアスカとリツコのやりとりを思い出して、暗然とせずにはいられなかった。
綾波ユイの息子である自分にも、あの敵意が向けられる可能性だってあったのだから。

いや、もしかしたら、気付いていないだけで、既に向けられているのかもしれない、、、、、

「アスカはね、過去に縛られている、、、、、、、」

すっかりしょげかえってしまったシンジに、ミサトが言った。

「それから、シンジ君。
アナタは過去から目を背けてる。逃げてるわ、、、、、、、」

その一瞬、シンジの肩がびくりと跳ねた。

「ワタシはこんな大人だから、、、、、
あなた達にこうした方が良いとか、ああすべきだ、なんて言えないけど、
けど、、、、、アスカにとっても、レイにとっても、それからシンジ君にとっても、
お互いの存在はプラスになるんじゃないかって、どんな大人の何百の言葉よりも、
大切な事を教えてくれるんじゃないかって、ワタシはそう思うの。
まあ、勝手なお世話だとは分かってたんだけど、、、、、、、、」

「そ、そんな、、、、、、、、、、、、」

何かを言おうとしたシンジを手で制して、ミサトは先を続けようとした。

「それでね、、、、、、それで、ワタシは」

その時、玄関の扉が開く排気音が聞こえてきて、ミサトの言葉を遮った。
一瞬、玄関の方に目をやったシンジが、もう一度ミサトの方に振り返って、先を促そうとした。
シンジの視線を受けて、
それから、穏やかな笑みを浮かべただけで、もうミサトは何も言わなかった。

どこか寂しそうなその笑顔が、ひどく印象的で、いつまでも、シンジの心の中をふわふわと漂い続けた。






She`s so lovely

第十話








「、、、、、、、セカンドインパクトの頃、私は大須にいましてねぇ〜、、、、、、、、」

年老いた数学教師の昔話がとつとつと流れる中、
二年A組の生徒はそれぞれの作業に没頭していた。
もういいかげん聞き飽きていたのだ。

それでも、例外が一人だけいた。
シンジは手元に置いた資料と照らし合わせながら、教師の昔話を耳にしていた。

平成十三年夏、
南極で地質調査を行っていた日本の地質学研究班によって偶然掘り起こされた『angel』。
その後、研究班メンバーの一人に体液感染し、帰国後、三ヶ月の潜伏期間を経て同メンバーは発病。
検査の結果、『angel』はヒトT細胞向性ウイルスとして分類され、
感染すると急性神経性症候群として髄膜刺激症状及びに神経系障害を引き起こし、
発病後十二時間以内に死亡することが判明した。
発病までの潜伏期間は一ヶ月から三ヶ月。

同年十一月、WHOは『angel』を新感染症認定、
翌年一月、ドイツ・ミュンヘンに国連感染症研究所『ゲヒルン』設立、
同年二月、旧小田原市内にあった国立人工進化研究所をゲヒルン日本支部『ネルフ』に指定改名、
同年三月、異例のスピードで一類感染症認定を受け、『angel』ウイルスと正式に命名された。

平成十五年、東アジアを中心として、『angel』は急速に世界中に広まった。
これは、同年の記録的な猛暑により、
『angel』が有する逆転写酵素が活性化され、突然変異種が生みだされた事が原因とされている。

これが世に言うファーストインパクトとセカンドインパクトであった。

おおよその所は既にシンジの知るところだったが、
意識的に全貌を知ろうとすることで、関連書物の多さや、その内容から、
一連の事象の深刻さが今更ながらに伝わってくるのだった。

そもそもシンジが育ったイギリスは、『angel』の被害が最も少なかった国の一つだった。
その上、少年は意識的に目と耳を塞いで暮らしてきた。
漫然と学校に通い、それ以外の時間は部屋で音楽を聴くか、楽器を手にして過ごしてきた。
失われた家族を想起させる情報。
そんな知識はできるだけ耳に入れたくなかったし、知りたくもなかった。

でも、、、

とシンジは思った。
つと、視線を窓際の列に座る女生徒に向ける。

僕とは全然違う生き方を選んだ人もいるんだ

国連感染症研究所本部のあるミュンヘンで生まれ育ち、
今年の九月にはミュンヘン大学医学部に入学した天才少女。
今は、憮然と手元の書物に視線を落として、何事か考えている様子だった。
読みふけりながら、時たま、ほっぺたをつねるのは彼女の癖なのだろうか。

そう言えば、どうしてスキップしてまで入った大学を辞めてまで、
日本の中学になんて来たんだろう、、、、、

結局のところ、行き着く先は、自分は何も知らない、という事だった。
目を閉じて、耳を塞いで、体を丸めて、
そして、何も知らないまま育った。

父親の仕事の内容も、母親の業績の偉大さも、妹が何を思って両親と暮らしていたのかも。
そんな、心の奥底で求めていた問いかけを、シンジは口にすることが出来ずにいた。

明日の土曜は綾波ユイの命日。
その日、シンジはレイと一緒に、ユイの埋葬されている墓地を訪れる予定だった。
少年がそこを訪れてみる気になったのは、ミサトから献花を頼まれている以上、
断るわけにもいかなかったからなのだが、
もしかすると、これはいい機会になるかもしれないと、シンジは思った。

墓前で故人の事を尋ねるのは、不自然じゃないし、、、、、、、

、、、、、、、、、

確かに自分は覇気のない男だと、シンジは思った。
この先、どんな風に自分の未来を拓いていったらいいのか、そんな事は分からない。
それ以前に、どちらに進むべきなのか、
いや、それどころか、自分の立っている場所さえも、定かではないように思えた。

いろいろと知ることで、何かが変わったりするのだろうか、、、、、、、、

、、、、、僕は何かを変えたいのかな、、、、、変えるべきなのかな、、、、、、

と、そこまでシンジが考えを進めたところで、
後ろに座る女生徒から、綺麗に折り畳まれたルーズリーフを手渡された。

「碇君。惣流さんから」

小声で言う女生徒の声を聞きつつ、シンジは手紙を広げた。

『なにじろじろと見てるのよ。止めてよね、気持ち悪い。
罰として、今日はイエェーガー・シュニッツェルを作ること』

読み終えてから、アスカの方に視線をやると、
こちらには目を向けずに、ぶすーっと不機嫌な顔をしながら黒板を見つめていた。
どうやら、物思いに耽っている間中、アスカに視線を向けたままでいたことにシンジは思い当たった。

『一体、どんな料理だよ、コレ』

あーあ、と言って、シンジは机に突っ伏した。












「、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、」

無言で立ちつくす黒いコートと、赤いコート。

無数の墓標が並ぶ共同墓地。
その片隅にある綾波ユイの墓標は飾り気のない、とてもシンプルな物だった。
長方形の石には、ただ、故人の名前と生没年だけが刻まれている。
その墓標の前に立つシンジの頭の中では、様々な言葉の欠片が浮かんでは消えていった。
辺りに積もっていた落ち葉を掃いて、墓標を拭き清めて、
そして、途中で買ってきた花を捧げてしまうと、もう特にするべき事はなかった。

隣りに佇むレイは、何を気にする風でもなく、ただじっと墓石を見つめていて、
その様子がかえってシンジを落ち着かなくさせていた。

「母さん」も、「ユイさん」も、「綾波博士」も、どれもしっくりとこない。

シンジの心の中で、綾波ユイはいつも「あの人」だった。
今更、他に何と呼べばいいのか分からずに、少年はただ冬の風に千切れた想いを運ばせていた。

思い出も、言葉も与えずに、ただ命をくれた人。
こうして墓前に立っていても、涙も出ない。
悲しくないのではなくて、感じられないから。
綾波ユイという女性が生きていたということが。

一度だけ、その姿を見たことがある。
死亡記事が載った医学雑誌の小さな写真。
住人が寝静まった夜中のリビング。
明かりは懐中電灯だった。
白衣を着た若い女性。
ショートカットと生気に満ちた瞳が印象的だった。
横に向けられた視線は一体何を見つめていたのだろうか。

少年の閉じられた目が開いた唯一の日。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、
一度、話したかったんだ、、、、、、、、、、、」

少年は無意識に呟いていた。
言葉がこぼれ落ちた。

「、、、、、、、、、、、、、、そう、、、、、」

もう存在しない母と話して、一体何を聞きたかったというのか。
語り尽くせない想いがあるようでもあったし、特に話すべきことは何もなかったような気もする。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
よく、碇君の話をしてくれたわ、、、、、、、、」

「、、、、、、、え?、、、、、、、僕の話?」

小さく肯いて、レイは言葉を繋いだ。

「、、、、、、、、それで『碇君』って、、、、、その話にでてくる人を碇君って名付けたの、、、、、、、
、、、、、碇シンジ、、、、、、碇君の名前だから、、、、、、、、、」

「、、、そう、、、なんだ、、、、」

シンジには他に何と言うべきか分からなかった。
少し俯き加減で話すレイの表情は、シンジからはよく見えなかった。

また、風が吹いた。
まるで風が音を吹きさってしまったこのように、二人は再び無言になった。

「綾波は山登りが好きなの?」

連想の果てに、突拍子もなく聞こえる質問がシンジの口から出た。
それは、少年の胸の内に仕舞われていた質問の一つだった。

「、、、、、、、、ううん、別に好きじゃない」

「そっか、ほら、、、、、初めてあった時に、浅間山に登ろうとしてたって聞いたから、、、、、」

「、、、、、、、、、、
一度、一緒に登ったの、、、、、、滝を見に連れていってくれた、、、、、、、、、
、、、、、、そこで、初めて碇君の話を聞いたの、、、、、、、」

誰と、とは聞かなくても、恐らく目の前で眠る人の事だろうとは少年にも分かった。

「、、、、、そうか、それで、、、、、、、、」

少女にとって、それは大切な場所なのだろう、きっと、、、、、、。
衰弱した体で、何を思い、その場所に出かけていったのだろうか。

「僕も見てみたいな、その滝、、、、、、、、」

少年にとって、その言葉は冒険だった。
思い出のない引け目も、繋がりのないつらさも、
みんな意識的に押しやってしまって、未知の暗闇に足を踏み出した。
死者には歩み寄ることができないから。
目の前で、息をしている人としか、話はできないから。

レイは小さく肯いた。

それだけで、少年には十分だった。


三度、沈黙が訪れた。
生者はそれぞれ思いを馳せ、死者はただ記憶の中にだけいた。

三度目の沈黙を破ったのは、シンジでもレイでもなかった。

「レイ、時間だ」

シンジの振り向いた視線の先には、墓で眠る女性の夫がいた。
少年と同じ、黒いコートを着て、顔を墓石に向けて佇んでいた。
サングラスで覆われた二つの目が見つめる先は、今日も判然としなかった。

いつからそこにいたのか。

シンジはさして驚きもせずに、ただじっとその男を見つめた。
男の長身が作り出す大きな影に埋もれながら、少年は胸の裡にわき起こる黒い衝動を感じ取った。
それは、馴染み深い、破壊的な衝動。
眠れない夜の悪夢。
シンジが黒い波動を突き刺す度に、その幻影は大きくなり、更に深く少年を飲み込むのだった。

妙に冷え切っていく頭に目眩を覚えて、シンジは唇を強く噛みしめた。

やがて、不意に男はシンジ達に背を向けて、墓地の出口へと足を向けていった。

レイが定期的にネルフに呼ばれているのをシンジは知っていた。
それでも、シンジはレイに何も尋ねようとはしなかった。
今も、口元まで出かかる言葉を少年は飲み込み続けていた。
少女自ら口にしない以上、少年は無理矢理問いただすようなマネはしたくなかったから。
そうすることが正しい事なのかどうか、シンジにも分からなかったけれども、、、、、、。

ついと、少年はコートに違和感を感じて、左手もとに視線を移した。
レイがシンジのコートの端を、小さな白い手で握っていた。

直ぐにその手を離して、レイはゲンドウの後を追って歩き出した。
少年は慌てて、少女の背中に声をかけた。

「今日は、ニラタマにしようね」

レイは体ごと振り向いて、一度、小さく肯いた。

少女の姿が見えなくなるまで見送ってから、シンジは母の墓石に視線を戻した。


傷つけてしまいたかったんです、アナタ達を
とても深く
僕のことを忘れられないように

無くしてしまいたかったんです、アナタ達を
自分のことを消してしまいたかったから

答が欲しかったんです
僕はいらない子供なのか
何故、僕は生まれてこなくてはいけなかったのか

でも、もういいのかもしれないです
もう、いいんだと思うんです

今はただ、もう少し、自分の事を知りたいんです
僕は何で作られているのか
何を求めているのか
何故、求めているのか

だって、どうしようもないくらい確かに、僕は生きてるから
腹立たしい程圧倒的に、僕は生きてるから
だから、何をしたいのか、何をするべきか
それを知りたい


それからしばらくして、シンジは母の墓前を後にした。












「なんだいるんじゃん」

シンジが玄関を開けると、そこにはアスカが立っていた。
少しよれたグレーのトレーナーに、黒いズボン、それにいつもミサトが履いているサンダル。
おもいっきり普段着だった。

「いるんじゃんって、、、、、、どうしたの?
確か今日デートなんじゃなかったっけ、、、、、、、、、」

「それについては聞かないで」

シンジを置いて、とっとと家に上がりこみながら、きっぱりとアスカが言った。

「それよりお腹空いてるのよねー、、、、、
お、クッキー食べてたんだ。シンジー、牛乳頂戴」

リビングのソファーに座り込んで、脇に抱えていた雑誌を広げて、
目の前のテーブルに置かれていたチョコレートクッキーをくわえながら、アスカが注文した。

「あんまり食べ過ぎちゃ駄目だよ、もうすぐ晩ご飯だし、、、、、」

そう言って、シンジはアスカの分の牛乳をテーブルに置いた。
それから、テーブルの上に広げられていた譜面を束ねて持って、少年は自室に引き上げようとした。
晩ご飯の支度を始めるにはまだ早すぎたし、家に二人きりしかいない以上、
アスカが自分と同じ部屋に居たがるとも思えなかったので、少年なりに気を利かしたつもりだった。

「なにそれ?楽譜?」

「う、うん」

意外にも、アスカから声をかけられてシンジは狼狽した。
ミサトの話を聞いて以来、どことなく少年のアスカに対する態度はぎこちなかった。

「へー、アンタ何か楽器弾けるの?」

「え、うん、、、、、チェロを習ってたんだ」

「ふーん、そうなんだ」

さして興味もなさそうに返事するアスカ。
そこで、シンジは再び自室に行こうと一歩踏み出した。

「で、どうだったの?」

「え?」

「だからお墓参りだったんでしょう、今日?」

「え、ああ、うん、えーと、問題なかったよ、特に」

雑誌をぱらぱらめくりながら、シンジには目もくれずに、聞いてくるアスカ。
少女の様子に違和感を感じながらも、シンジはいま一度自室に足を向けようとした。

「で?レイはどうしたの?いないみたいだけど」

「う、うん。ちょっと出かけてるんだ、晩には戻ると思うけど」

「そう」

そこで、
シンジは少し考えてから、アスカの向かい側にある小さい椅子に移動して、そこに腰掛けた。
今度は、特に何も言われなかった。

ひょっとして、ミサトさんが居なくて寂しいのかな、などと考えたが、少年は黙っていることにした。







 

Please Mail to かぽて
( hajimesu@hotmail.com )

 

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