トリプルレイ2nd

第2回「居酒屋作戦」

間部瀬博士

1.
 リーンゴーンと第三新東京大学の鐘が鳴った。木曜日午後6時。陽はまだ残っている。キャンパスの中央にある校舎から、ようやく授業を終えた学生達が三々五々外へ歩き出して来る。その中に碇シンジと、綾波レイがいた。二人は仲良く手をつないで、校門へ向けて歩いている。
そのずっと後で、二人を観察している者がいる。LAS同盟秘密工作員洞木ヒカリだ。ヒカリはバッグから携帯を取り出すと、ある番号に繋いだ。
「もしもし、葛城さん?ヒカリです。さっき、目標は校舎を出ました。二人一緒です。小耳に挟んだ情報では、やっぱり今日どこかに行くみたいです。参謀の読み通りです。あっ、今綾波さんが別れました。横の学生会館に向かうみたいです。碇君は待ってるようです。えっ、実況中継しなくていい?はい。では、これで」
 今日ここにいる『綾波レイ』はレイナだった。レイナは会館に入ると真っ直ぐに女子トイレに入った。個室は一つを除いて全て開いている。レイナはその部屋のドアを拳で四つ叩いた。同じく四つのノックが返り、ドアが開いた。中には、外にいるのと全く同じ『綾波レイ』がいる。レイナは素早く中に入り、ドアを閉めた。
「ごくろうさまレイナ」レイカがそっと両手を上げた。レイナは、ん、と呟いて両手をレイカのそれに合わせた。
 レイナの記憶が、レイカの記憶が、それぞれ相手に流れ込んで行く。数十秒後、二人は腕を放す。記憶交換は完了したようだ。
「じゃ、頑張ってね。レイカ」レイナはレイカの肩に手を置いて、そう言った。レイカは口元にちょっと笑みを浮かべてレイナの肩を叩いた。そして、ドアを少し開けて外の様子を伺い、誰もいないことを確認すると、外へすべり出た。中に残ったレイナは寂しげにため息をつくと、着替えの入ったバッグを開いた。あーあ、いいな、レイカは。

 三人のレイ達は、前の日曜日、シンジとどうやって結ばれるか、取り決めを結んだ。それは一言で言うとルーレット方式。つまり、ローテーションを組んで回る綾波ルーレットにシンジ玉がどう落ちるか、それで決めようと言う訳だ。シンジは昨日、レイカに今日のデートを申し込んだ。それで、今日のデートの権利はレイカに落ちたのだ。後はロストヴァージンするまでこれを繰り返し、めでたく事が成れば、通常のデートローテーションを組む、という仕組みだ。ちなみに不正を避けるため、自分からデートに誘ってはならず、万一違反した場合は半年間外出禁止という、重いペナルティが課せられる約束になっている。

 着替えと変装が終わったレイナは、校門に向かって歩いている。ずっと先を、シンジとレイカが手をつないでお喋りしながら歩いて行くのが見える。羨ましいなぁ、レイカ。本当なら、この前私がしてたのに、惜しかったなぁ。でも、あの時は碇君といろいろしたから、ちょっとは救いがあるわね。
 シンジ達は既に校門を出て、繁華街に近づきつつある。途中、ふとレイナはシンジ達の後方、自分の前方で、ある車から一人の妙齢の女性が降りるのに気づいた。その距離はレイナに近く、その女の横顔をレイナははっきりと見た。
 あの人、ミサトさんにそっくり!
 その女性はサングラスで顔を隠しているが、ウェーブのかかった黒髪、顔形から、見慣れた葛城ミサトに違いなかった。レイナはあわてて歩調を緩めた。ミサトは、車を降りるとただちにシンジ達の後を歩き始める。レイナはミサトのその行動を訝った。ミサトさん、碇君達の跡を尾けてるみたい。ここは、様子を見なくちゃ。
 シンジ達が曲がり角を曲がった。するとミサトも同じように角を曲がる。歩調もゆっくり目のシンジ達に合わせ、距離が近づかないようにしている。レイナは明らかにミサトがシンジ達を尾行していると確信した。

 一方碇シンジはうきうきわくわくどきどきしながら、レイカを連れ歩いている。
 さぁ、やるぞぉ。この間はあんなことになったけど、今日こそばっちり決めるんだ。大安吉日だしな。(恐るべしミサトの勘)ちゃんと『今度産む』も用意してある。(その手のホテルにはそれが常備してあることを、この時点のシンジは知らない)楽しみだなぁ。夜、いつの間にか僕らはホテル街を歩いているんだ。『綾波。ちょっとそこで休んでいこうか』すると、綾波は赤くなって俯きながら『うん』って小声で返すんだ。カワイイッタラアリャシナイ。おっと、笑っちゃだめだ。冷静に、冷静に。男はシブくいかなくっちゃな。
 いよいよ今日なのね。ロスト・ヴァージンするのよ。痛いのよね、きっと。でもいいわ。それが女の幸せってものなのよ。あぁ、楽しみだわ。私達、いつの間にかホテル街を歩いてるの。『綾波。ちょっとそこで休んでいこうか』って碇君は言うの。そしたら私は頬を赤くして俯きながら『うん』って小声で答えるのよ。アア、ドウシマショウ。だめ、ここは笑うとこじゃないわ。
 同じ想いを抱きながら、二人は歩く。やがて、一軒の居酒屋の前で二人は立ち止まった。「青葉屋」と書かれた大きな看板が懸かっている。
「綾波。ここにしようか」
「そうね。碇君」
 店の中に消えて行く恋人達を、後方からミサトが見守っている。ふっ、シンジ君。あなたの行動は読めているわよ。アルコールの助けを借りないで、初体験なんてできるもんですか。ミサトはにやりと笑うと、青葉屋へ向かった。
 そのさらに後方でミサトを尾けていたレイナは迷った。どうしよう。お金そんなに持ってないわよ。でも、このままでは、ミサトさんの真意は掴めないわ。ええい。ここはとことん調査するべきよ。私も行くわ!

2.
 シンジとレイナは、「とりあえず」頼んだビールのジョッキを前に置いて、枝豆をつまみながら差し向かいで四方山話をしている。そこへ現れたミサトが、大声で呼びかけた。
「あらぁー、シンジ君。それにレイちゃんじゃないのぉ。ひっさしぶりねぇー」
「「ミサトさん!」」
「元気だったぁー。あら、あんた達、ビールなんか飲んじゃってぇ。そっかぁ。もう大人だもんねぇ。ね、ここ座っていい?それともお邪魔かなぁー?」
 以前のレイカなら速攻で「邪魔よ」と言ったところだろうが、人間関係に揉まれて来た今のレイカは、あいまいに笑うだけだった。
「そ、そんな事ないですよぉ。どうぞ座って下さい」そう言ってシンジは四人掛けのテーブルの席を移り、レイカの隣に腰掛ける。シンジの性格として、ミサトにそう言われたら断れない。レイカはそのシンジを不安そうに横目で見た。なんかいやな予感がする…。ミサトは、シンジ達の向かい側に座った。
「いやぁ。良かったわぁ、あんた達に会えて。一人で飲むよりは、大勢で飲んだ方が楽しいもんねぇ。今日はあたしが奢るからさ、じゃんじゃん飲んでね。あ、お兄さん、あたしジョッキお願い。えびちゅでね。それと、食べ物はどうしようかな。あんた達なに頼んだのぉ」
 ミサトは食べ物をてきぱきと注文した。間もなくえびちゅがなみなみと注がれたジョッキがやって来た。
「さ、それじゃ乾杯しましょ。かんぱーい」
 シンジとレイもジョッキを持ち、互いに打ちあわせて唱和した。「「かんぱーい」」
「かぁーっ。やっぱえびちゅにかぎるわぁー」
 心底旨そうにビールを呷ったミサト。そのジョッキのビールはもう半分も残っていない。シンジはそのペースの速さに今さらながら驚いた。
 シンジとレイカがミサトの飲みっぷりに見惚れているとき、ミサトはジョッキを握っていない方の手を、そっと膝に置いたバッグに忍び込ませた。その手が再びテーブルの上に出た時、指の間に小さな丸薬を挟みこんでいた。

 ミサトのその挙動を、密かに観察していた者がいる。丁度カウンター席に座ったばかりのレイナである。レイナは黒のおかっぱ頭の鬘に黒縁眼鏡で変装している。目はカラーコンタクトによって黒くしてある。余程の至近距離から観察しない限り、レイと思う者はまずいないだろう。
 なんだか今のミサトさんの動作、あやしいわね。何かする気よ。レイカにテレパシーで教えた方が…。いいえ、ここは様子を見た方がいいわ。もしかしたら、レイカが途中でつぶれるかも知れない。そうなれば私にチャンスが巡ってくるかも…。

「でも、こうやってシンちゃん達と飲めるなんて嬉しいなぁ。生きてて良かったぁーって感じしない?」
「ええ、ミサトさんとこうしてお酒が飲めるなんて、ほんとに嬉しいです」
 シンジは実際嬉しそうにビールを飲んでいる。レイカの方は、左程酒好きではないのか、ちびちびとやっている。そこへ、大量の料理が運ばれて来た。テーブルがたちまち料理で埋まって行く。
「ちょっち動かすわよう」
 ミサトが皿を置く場所を空けるために、レイのジョッキに上から手を掛けた。瞬間、ミサトの指の間から丸薬がビールの中に落ちた。誰一人それに気づく者はいない。じっと監視を続けていたレイナを除いては。

「ぷはーっ。えびちゅおかわりっ」
 シンジが一杯目を飲み干して、大声で店員に告げた。
「どう、シンジ君。えびちゅ、旨いでしょ」
「ええ、旨いですねぇ。ミサトさんが毎日これ飲んでた気持ちがすこーし分ったような気がします」
「そうか。君もこれで同志だっ」
「ビール。おいしいもの…」
 レイカがぼつっと呟いた。まだジョッキには半分以上残っているが、顔は赤く、目がトロンとしかけている。
「そう、レイちゃんもビール好きなんだぁ」
「好き…」
 そう答えたレイカはジョッキを掴むと一気に呷った。。
 店員がシンジのジョッキを盆に乗せて運んで来た。ミサトは素早くそのジョッキを上から掴んでシンジの前に置いた。
「さぁ、シンちゃん。どんどん飲んでね。今夜はあたしの奢りなんだからぁ」
「いやぁー。すいませんねぇ。ミサトさん」
 にこにこ笑いながら、シンジはジョッキに口を付ける。その様子を見ていたレイナは、その前にミサトの手が、膝のバッグに再び入り込んでいたのに気づいていた。

 レイナはウーロン茶を飲み、いかゲソ揚げをつまみながらシンジ達を観察している。その三人のうちレイカは下を向いて、体を前後に揺らしている。どうも潰れかかっているらしい。
「碇君。私、眠い……」
「あれぇー、綾波。もうおねむなのかぁーい。だらしないんじゃないのぉー」
 シンジの方は二杯目にして、完全に出来上がっていた。
「ごめんなさい。こういう時、どんな顔したらいいのか分らにゃいにょ…」
 と、言ったきりレイカはシンジに体を預けて動かない。口を少し開けて、目は固く閉じている。眠りこんでしまったようだ。
「あら、レイちゃん、お酒弱いのねん」
「しょーがないなぁ、綾波はぁ。ほら、起きなよ」シンジはそう言いながらレイカの肩を叩いたが、レイカは全く起きる素振りを見せない。
「ま、いいじゃない。寝かせておいてあげたらぁ」
「そうっすね。でも、ほんと、嬉しいなぁ。ミサトさんや綾波とこうして酒が飲めるなんてねぇ。幸せだなぁ。うん」
「ははは、美女を二人もはべらしてるもんねぇ」
「えへへへへぇー。僕って何故かもてちゃうんですよねぇー。この間までは、アスカともいいセンいってたんですよぉー。知ってましたぁ?」
「聞いたわ。あたしてっきりあなたは、アスカとゴールインするんだと思ってたわよ。でも喧嘩しちゃったとか…」
「喧嘩ぁ?ありゃ、喧嘩じゃないっすよ。リンチっすよ。ほんとにもう。大変だったんですよう。もう、顔腫れ上がってひどかったんですから」
「そうなの。可愛そうなシンちゃん。でもアスカもきっと反省してるわよ」
「そーですかぁ?アスカはなんとも思ってないんじゃないかなぁ。言っときますけどねぇ。僕はなーんにも悪いことはしてないんですよぉ。それをアスカが一方的に思い込んじゃって、殴りまくるんですから。大体アスカときたら、中学のころから、何かにつけて僕を叩いてましたがね、僕も一応男だから我慢してましたよう。でも、今度という今度は堪忍袋の緒が切れましたっ。ええ、もう絶対許しゃしないんだから」
 そう言ってシンジはジョッキをぐいっと呷った。
「うーん。あたしとしては、みんなに仲良くしてほしいわけよ。ほら、あたし達共に死線を乗り越えて来た仲間じゃないのよ」
「そう言われてもねぇ。ぼかぁ、もう綾波一筋に決めましたっ。もうアスカのことは忘れたいんですよ、ほんと」
「レイちゃんもいい子よねぇ」
「それにしても綾波、良く寝てるなぁ」シンジはレイカの鼻に手を伸ばした。
「豚っ!なんちゃってぇー。げらげらげら」
「よしなさいよ。そういうことは」
「えっへっへぇー。ミサトさん。マジック持ってないですかぁー」
「何に使うのよ」
「いえね。ちょっと綾波の顔に落書きでもと…」
「馬鹿ね。悪ふざけするんじゃないわよ」
「じょーだんですよ。冗談。可愛い綾波にそんな事する訳ないじゃないですかぁー。だはははは」
 その時、シンジは、急に何かを思い出したように、目を見開いた。
「そだっ!そだそだそだ!僕、ミサトさんに約束してもらった事があるんだっ」
「あら、そんな事あったっけ?」
「あらじゃないですよう。ほら、僕が最後の出撃をするときにぃ、ミサトさん、僕にキスしてくれましたよねぇ。『大人のキス』を」
「シ、シンちゃん、いきなり何言い出すのよ」
ミサトは、シンジの意外な言葉に動揺してしまった。
「その時、言いましたよねぇ。『帰ってから続きをしましょう』って」
「シンちゃん。横にレイちゃんがいるのよ」
「綾波なら、よぉく寝てますよぅ。おーい綾波ぃ。起きろぉー。火事だぞぉーー
「シ、シンちゃん。大声出さないで」
「でへへへへ。しぃましぇん。んでね、全てが終わってからね、僕は期待してたんれすよぉー。『続きはいつしてくれるのかなっ』てね。ところが、ぜーんぜんそんな素振り一切なし。こりゃ、どういうことなんれすかぁー」
「あ、あの時は加持は死んだとばかり思ってたからぁ、つい、その場の勢いと言うか、雰囲気と言うか…」
 そう、加持リョウジは殺しても死ぬような男ではなかった。しっかり某所に潜伏していたのである。
「それしょ。あの後、加持、加持って、僕らの事は、ちっとも構ってくれなくなったんらからぁ。ぼかぁ、寂しかったんれすよぉ。『ミサトさん、続きのことは忘れちゃったのか』ってね。結局、僕の心を弄んだんら…。僕は大人に利用されたんら…。おーいおいおい」
シンちゃん、泣き上戸なのか。「ま、シ、シンちゃん。あなたには、アスカがいたし、今はレイちゃんがいるんだし、それでいいじゃないの、ね」
「うぐっ、へぐぅっ」
「ごめんね、シンちゃん。結果的にあなたをだましたことになっちゃったけど、あの時はみんな必死だったの。だから、分って。ね、ごめんね」
「…ぐすっ、それすねぇ。なんにしても平和になって良かったすよねぇー。こうして、綾波を隣に座らせてねぇ、ミサトさんと一緒に飲む…続きもしたかったなぁ…」
「シンちゃん、酔ってるわよ」
「酔ってる?ぼかぁ酔ってませんよぉっ!ええ、ええ、酔ってませんとも!」
 シンジの目がアブない。ミサトは早めにこの場を切り上げたくなって来た。
「ねぇ、レイちゃんもう寝ちゃったし、もう帰ったほうが…」
「帰る?まだ宵の口じゃないれすかぁー。ねぇ、今夜はとことん飲みましょっ。ねっ。お兄さん!ビールおかわりっ!」
「シンちゃん。もう止めとこ」
「らーいじょーぶれすって。碇ヒンジは、もう大人なんっすから。…このぐらいのビールで、…酔っ払うなんてことは……、げぷっ。………」
 やばい。ミサトはあわてた。
「シ、シンちゃん。気持ち悪いんなら、トイレに行って来たら?」
「…………そうしまふ」
 シンジはそろそろと立ち上がると、千鳥足でトイレに向かう。ミサトも立ち上がってシンジを支えた。
 レイナは二皿目の冷奴に箸をつけながら、その様子を観察していた。おほほ、これで今夜のロスト・ヴァージンはなしね。でも、ミサトさん、間違いなく一服盛ったわ。何故ミサトさんがそんな事を…。これは、調べなくちゃならないわ!

3.
 シンジはLCLの中を漂っていた。どこからとも知れぬ光源に照らされてはいるが、上下左右、周囲には何も存在していない。シンジは、こんな情況にも拘わらず、不思議と静穏な気持ちで回りを見渡した。
 ここはどこだろう?なんにもないなぁ。でも意外に落ち着く。何だか以前にもこんなことがあったような…。まてよ、これって…。これって、初号機に取り込まれたあの時みたいじゃないか!あわわ、大変だぁ!
 その時、突然一糸まとわぬレイが現れた。
『碇君。私と心も体も一つにならない?それはとてもとても気持ちのいいことなのよ』
 わぁい、綾波だ。なろうなろう。一つになろうよ。今なろう。すぐなろう。
 しかし、レイの姿は忽然と消え、替わってアスカが現れた。
『バカシンジ。アタシと心も体も一つにならない?それはとてもとても気持ちのいいことなのよ』
 おっ、アスカか。アスカも捨てがたいなぁ。出るとこ出てるしなぁ。
『シンちゃん。あたしと心も体も一つにならない?それはとてもとても気持ちのいいことなのよ』
 ミサトさん。やっぱりいい体してるよなぁ。年増の魅力っていうのかな。
『シンジ君。僕と心も体も一つにならないかい?それはとてもとても気持ちのいいことだよ』
 カヲル君じゃないか!今なんかどきっとしたな。い、いや、だめだだめだ。いくらカヲル君でもそれはだめ。
『おう、シンジ。わいと心も体も一つにならへんか?そらもう、ごっつう気持ちのええこっちゃでぇ』
 ト、トウジ、悪いけどそっちの趣味はないんだ。それに委員長に悪いじゃないかぁ。
『シンジ君。私と心も体も一つにならんかね。それはとてもとても気持ちのいいことじゃよ』
 冬月司令!そ、それだけはご勘弁を…。ああ、驚いた。次に出てくるのは誰かな?おや、この重々しい、不気味な雰囲気は何だ?ま、まさか、もしかして…。
シンジ……』
「うわぁああああああああああああああ!!」
 シンジは叫びながら、目を覚ました。目の前には見慣れない天井が拡がっている。
「知らない天井だ…」
 意識が少しはっきりしてきた。同時に猛烈な頭痛がシンジを襲った。典型的な二日酔いの症状だ。
 頭痛い。それに気持ち悪い。僕はどうしちゃったんだ。えぇと、昨日は、綾波と、それからミサトさんと居酒屋で飲んで…、綾波が寝ちゃって…、途中から覚えてない。僕は記憶を無くすほど酔っちゃったのか。それにしてもここはどこだ?
「碇君!大丈夫?」
 レイカが、部屋の襖を開けて、入って来た。空色のエプロンを着けている。
「綾波じゃないか!君も一緒だったのか」
「どうしたの?叫び声上げてたけど」
「いや、ちょっと怖い夢を見てね。はは…、あの、情けない話だけど、途中から記憶がないんだ。ここ、どこなの?」
 レイカは、布団に横たわったシンジの枕元に座った。
「ここは、ミサトさんの家よ。碇君も良く知ってるじゃない」
 ミサトさんの家…。シンジはきょろきょろと辺りを見回した。そう言えば見覚えがある。確かに数年前まで暮らしたコンフォート17マンションに違いない。思わずシンジは体を起こした。途端にひどい頭痛が襲う。シンジは頭を押さえて顔を顰めた。
 その時、レイカの後に大柄な男性が現れ、シンジに声をかけた。
「よっ、シンジ君。大丈夫かい」
「加持さん!」
 加持リョウジ。現ネルフ監察部長。彼が何故今ここにいるのだろうか。
「その顔はなんにも覚えてないって顔だな。夕べは大変だったんだぜ。突然葛城に呼び出されてね、二人でご両人をおんぶして、ここまで運んだって訳さ。近くだったからな。でも結構重かったよ」
「あら、シンちゃん、お目覚めぇー?なんだかつらそうな顔してるわねぇ」
 ミサトもやって来た。シンジは無理して起き上がり、布団の上に正座した。「あの、ほんとにご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と言って、シンジは深々と頭を下げた。
「なぁに、若い内は良くあることだよ。気にすることはないさ」
「そうよ、シンちゃん。こうやって大人になって行くんだから、気にしない、気にしない」
 気にするなと言われても、そう簡単にはいかない。なおもシンジはしきりに謝るのであった。
「いいから、いいから。それより、まだ8時だからさ、もっと寝てていいわよ」
「そうだな。二日酔いには寝るに限る。ゆっくり寝るんだな」
 頭痛に悩むシンジは、悪いと思いつつも、お言葉に甘えて再び寝ることにした。


4.
「どうかな。酩酊促進剤の威力は?」
「ばっちりよ。酒に慣れてない二人だから、尚更良く効いたんでしょうけど」
 加持とミサトはリビングのテーブルに着いてひそひそ話をしている。キッチンでは、レイカがフライパンで炒め物をしているので、聞こえないようにしているのだ。最初はミサトが朝食を作ると言い出したのだが、レイカは恐れをなして、どうにか朝食の用意をさせてもらっているのだ。(後でシンジは、レイカのその判断を褒め称えた)
 この二人の関係はずっと昔から変わっていない。加持としては、ミサトの生活能力のなさを考えると、結婚に踏み切る気になれず、ミサトの方もそれを自覚しているので、こうして気楽な半同棲関係を続けているのだ。
「あれを技術部からくすねるのは苦労したぜ。おおっぴらにはできないからな」
「感謝してるわよん。後でたっぷり埋め合わせしてあげるからん」
 そう言ってミサトは加持の鼻をつついた。リビングには、野菜炒めの香ばしい匂いが漂ってきている。

 10時半頃になって、ようやくシンジは起き出て来た。リビングには、何時の物かわからないビニール袋に入ったごみや、カップめんのパック、ビールの空き缶などなどが散乱している。シンジはそれらの隙間を探しながら歩かねばならなかった。
「よう、シンジ君。どうだい、調子は?」と、加持が声をかけた。
「はい、もうすっきりしました。本当にすいませんでした」
「碇君。元気になった?」
キッチンを出てきたレイカが、ミサトから借りたエプロンをはずしながら、話し掛けてきた。
「ああ、もういいよ。綾波はどうなの?」
「私はもう大分前からいいの」
「あら、シンちゃん。すっきりした顔ね」
ミサトが、隣の部屋から出て来て、声を掛けた。シンジは恐縮しながら礼を言った。
「で、そのう、ミサトさん。僕、昨日のこと殆ど覚えてないんです。なんか変なことしなかったですか?」
「そう。シンちゃん、覚えてないんだ…」
ミサトは、困ったような、諦めたような、微妙な表情をした。
「覚えてないんなら、仕方ないわね。ま、気にしないことよ」
 シンジは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「その言い方…。やっぱり、僕、何かしたんですね。ああ、どうしよう」
「酒は、その人の本性を剥き出しにするそうだけど、シンちゃんがあんな人だったとは思わなかったわ」
 ミサトはこみあげる笑いを懸命にこらえて、無表情に言った。加持の方はそっぽを向いている。シンジの顔はもう真っ青だ。
「…お、教えて下さい。僕、一体なにをしたんですか」
「…シンジ君の今後のために教えてあげるわ。あなた、あたしが止めるのも聞かずに全裸になったのよ」
「全裸…」シンジはそれきり絶句してしまった。
「そして、剥き出しになった一物を、隣に寝ているレイちゃんの顔に…」
「ええっ、碇君、そんなことしたのぉ!」
レイカは口を押さえて、汚らしいものを見るようにシンジを見た。「不潔だわ」
「い、いや、綾波、違うんだ。これはあくまでも酒のせいで…」慌てまくるシンジ。「ご、ごめん!もう一生酒は飲まないから!」
 シンジは必死にあやまるが、レイカはいやいやしながら、じりじりと後ずさりして遠ざかろうとする。
 ミサトと加持は吹出すのを押さえるのに懸命だった。シンちゃんて、ほんとからかいがいがあるわね。でも、そろそろ許してやるか。
くっくっくっと含み笑いが漏れた。続いて大爆笑。加持も腹を抱えて笑っている。
「ひーひー。ごめんね、シンちゃん。真っ赤な嘘よ」
「うそお!」
「あはははは。ちょっちからかってみただけよ。ひーひー。ま、少しあたしにからんで来たけどね。まずは普通の酔っ払いだったわ。あはははは」
「ひどいですよ。ミサトさん!」
シンジは真っ赤になりながら、困ったような顔をした。

ミサトの爆笑がようやく収まった。時計を見て、加持が立ち上がった。
「さってと、俺はそろそろ行かなきゃならないな。そうだ、シンジ君。明日、俺の所で葛城と焼肉をやるんだが、来ないか。松坂牛のいいのが手に入ったんだが」
 松坂牛。シンジは思わず唾を飲みこんだ。そんな高級な肉は食べたことがない。
「他にも牛タン、カルビ、サガリ、ホルモン、何でもあるぞ。タレも韓国から取り寄せた本場物だ。是非来いよ」
 シンジは間髪入れずに答えた。「行きます。ええ、行きますとも」
「レイはどうする?」
「私、行かない…」レイカは寂しげに答えた。
「レイちゃんはねぇ、肉嫌いなのよねぇ。残念だけど」ミサトが勿体無さそうに言った。
「そうか。そういやそうだったな。ま、この次はレイの好きなものご馳走してやるよ」
 そう言って加持は、レイカの肩を叩いた。レイカは少し微笑んで見せた。シンジの方は、明日の贅沢な饗宴への期待ですっかり頬が緩んでいる。
 ミサトはとんとん拍子に進む段取りに内心にんまりした。さてと、準備はできたわ。後はアスカ次第って訳ね。明日が楽しみ、楽しみ!


(続く)

(第3回へ続く)



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