アルバイト

written by まっこう

「巫女って弓矢を持って妖怪退治したり、セーラー服に変身したりする奴?」

 アスカがそう聞くと流石にヒカリも呆れ顔になった。

「アスカ、何か変な知識が入ってるわよ」

 第壱中には食堂も売店もあるが、生徒は各自の弁当を持ちよってグループで食べる事が多い。アスカはヒカリと食べる。大体シンジとケンスケもつき合わされる。今日の二人は屋上で食べているらしい。
 最近アスカ達に加わった者がいる。レイだ。以前はネルフ支給の長持ちする弁当を教室の隅で一人で食べていた。リツコの指導で朝自分で作る様に成ってから、なぜか皆と食べる様に成った。時々ヒカリのおかずなどを摘まんでいるのは料理に興味が出て来たのかもしれない。
 レイが料理をする事に一番影響されたのはアスカだ。もともと極端に負けず嫌いなアスカは、ファーストが出来るなら私も出来ると弁当を作り始めた。お陰でシンジは最近ゆっくりと朝の二度寝を楽しんでいる。

「昔ミサトがくれた少女漫画で妖怪退治する巫女が出て来たわよ。ファーストと同じレイって名前の。それに加持さんが持っていたゲームはハーフで金髪の巫女が弓矢を持って暴れてたし」

 アスカはひじきの煮物を口にしながらヒカリに答えた。もともと肉食獣と言ってもいい食生活のアスカだったが、ヒカリや同級生の女子達の肌の綺麗さが羨ましいらしく食生活の改善をしているそうだ。

「ミサトさんと加持さんって」

 二人の隠れた一面にヒカリは箸を止めた。

「美少女戦士セーラームーンなら博士も全巻持ってる」
「はい?」

 レイが椎茸の煮物を口にして呟くとヒカリはまた驚いて視線を向けた。

「最近私も読んでいる。カードキャプターさくらやひみつのアッコちゃんもある。博士は少女マンガ好きだから」
「リツコにもポリペンピラパンとか言って変身ポーズしていた子供時代あったのね」
「アスカ、それはリツコさんに失礼だわ。ともかく今度の日曜日、町外れの初矢神社で巫女さんのアルバイトがあるの。アスカやらない?それともクリスチャンはやっちゃ駄目?」
「いいわよ。私クリスチャン止めたから。ママが死んだ時から」

 アスカの言葉にヒカリは黙ってしまった。

「気にしないでいいわよ。ところでそのバイト何人?」
「三人」
「じゃ、ファーストもね」

 俯き気味に箸を進めていたレイは顔を上げた。

「博士に聞いてみる」




 普段はネルフの研究室に篭って仕事をするリツコだが、その日の夜は珍しく自宅の書斎で書類を片づけていた。人前ではくっきりとした化粧をするリツコだが、自宅で素っぴんに戻ると結構お多福でのんびりとした顔付きに成る。しかもコンタクトから今時珍しい黒縁の眼鏡をする為印象ががらりと変わる。ピンクのブラウスにジーンズパンツ、羽織っているのはちゃんちゃんこだ。お婆ちゃん子だったリツコに、去年祖母が送って来た。

 二時間も決算書類などを片づけいい加減飽きてきたリツコだが、それでも惰性で書類を見続けていた。

「入っても、いい?」

 レイの声が戸の外から聞こえた。リツコは眉を顰めた。声の調子がいつもと違う。多分リツコが世界で一番レイの事を知っているだろう。

「どうぞ」

 戸が開くとお盆にコーヒーカップを乗せたレイが入って来た。辺りにコーヒーの香りが広がる。リツコが回転椅子を廻して後ろを向くと、レイはお盆を差し出した。

「ありがとう」

 リツコの表情が和らいだ。

「いい香りだわ」

 リツコはカップの取っ手を上品に摘まむと静かに啜る。

「少なくともレイはミサトよりは料理の才能があるわね。誉め言葉には成らないけど」
「そう」

 レイは横にあった椅子に座った。きちんと足を揃えてお盆を膝の上に置く。リツコは足を組んだ。

「で、何?」
「日曜日にアルバイトを誘われました」
「そう言えば第壱中ってアルバイト禁止じゃなかったわね」

 リツコは視線をレイに見据えたままコーヒーを啜る。

「はい」
「で、誰が?誰と?どんな?」
「洞木さんが、弐号機パイロットと」
「ねえ、レイ。アスカでいいんじゃないの?確かにアスカもファーストって呼んでいるけど」

 言われてレイは少し口篭った。

「洞木さんがアスカと初矢神社で巫女のバイト。夏祭りだから」
「巫女」

 眼鏡の向うでリツコの左目が軽くつり上がった。

「巫女ね」
「はい」
「あなたが巫女ね。昔の武士の侍がみたいね」

 リツコの呟きにレイの表情が少し動いた。

「昔の流行った歌よ。まっそれにしても」

 リツコはカップを持つ手を膝の上に置いた。

「あなたは何に仕えるのかしら。どんな神様?」

 リツコの言葉にレイはずっと黙ったままなので、そのうちリツコは肩を竦めた。

「で、バイトしたい訳?」
「はい」
「そう」

 リツコは手を後ろに廻してカップを机に置いた。

「あまり皆と仲良くしない方がいいわよ。別れが辛くなるわ。所詮レイ、あなたは化け物よ。私は知っているからいいけど」
「そう」
「まあいいわ。確か日曜日はシンクロテストもないし、好きにしなさい。但しきちんと外出用の用意をしていきなさい。紫外線避けの内服薬きちんと飲んでる?」
「はい」
「目薬もね」
「はい」
「一応初矢神社を調べておくから」

 リツコは椅子を廻して端末に手を伸ばした。早速調べ始める。

「私も巫女のバイトをやった事有るのよ。うちは近所の神社の氏子代表でね、女の子が生れると必ず巫女をやったものよ」
「博士が」
「そっ」

 しばらくその話をリツコはした。レイはじっと聞いている。しばらくして話が途切れた。

「コーヒー美味しかったわ」
「はい」

 レイは立ち上がると戸に向かう。

「ねえレイ」

 リツコは手を止めず振り返らず聞いた。戸に手をかけていたレイは動きが止まる。

「あなたは誰に仕えているの?」
「今は司令」

 そしてリツコの背中で戸が開き閉まる音がした。








「コダマちゃん、変なことしてきたらぶん殴っていいわよ。なんなら銃貸そうか?」
「おいおい、葛城」

 オンボロワゴンの運転席で加持は苦笑する。

「こいつは身よりの無い生娘を弄んだ極悪人なんだから」

 ミサト自身の経験らしい。
 皆のバイトの当日の朝、あいにくとミサトもリツコも仕事が入った。そこで加持が送って行くことになったのだが、先ほどからミサトにいろいろ言われている。

「確かに魅力的な子ばかりだが、俺は浮気はしないぜ。俺はミサト一筋さ」
「どうだか?」

 微笑ましいともいえる二人の言い合いが続いているのは、ミサトたちのマンションの入り口前の道路だ。加持のオンボロワゴンには助手席にコダマ、後部座席にレイ、アスカ、ヒカリが並んでいる。

「あの、ミサトさん、そろそろ時間ですよ」

 シンジが声をかけた為、言い争いも終った。

「じゃ葛城、皆を送ったら迎えに来るよ」
「心配ご無用。自分の足は自分で確保します。じゃ皆バイト頑張ってね」

 ミサトがそう言いワゴンの屋根を叩くと、アスカ達の返事と共にワゴンは出発した。

「ミサトさんって楽しい人ですね」
「そうだろコダマちゃん。あれで家事が出来れば言う事なしだよ」
「それは贅沢というものでは?」
「そりゃそうだ」

 助手席のコダマと加持はミサトについて話し始めた。

「ねえ、綾波さんはバイト始めてでしょ」
「うん」

 ヒカリはアスカ越しにレイに話しかけた。

「私も」
「アスカも?」
「私もパイロットやってたから。ファーストはその上身体弱いしね」
「アスカ、私はファーストじゃない。レイ、綾波レイ」
「ん?」

 アスカは意外そうな顔をして振り向き頷いた。

「珍しいわね。ファー、レイが私の名を呼ぶなんて」
「博士が一般常識を身につけた方がいいと言うから」
「じゃ、まあ私もレイと呼ぶわ」
「最近お料理するのもそうなの?」
「そう。健康にいいから」

 料理好きのヒカリは早速レイと弁当の話を始めた。

「それにしてもアスカ、完全にレイちゃんに料理追い抜かれそうだな」
「そんな事ないわよ加持さん。私にはママ直伝のシチューがあるわ」
「あれは美味しかったな。今度葛城達にも作ってあげたらどうだい?」
「何でシンジなんかに」
「いや、なに、女の子らしい趣味もいいんじゃないかい?葛城も言っていたぜ」
「それ、私がパイロットとしては使えなくなってきているから?」

 レイと話していたヒカリはびくりと身体を震わせてしまった。アスカの声がそれほど何か冷たいこもった声に聞こえたからだ。

「ははは、そんな事はないさ。葛城の場合自分が家事をサボりたいだけさ。それにアスカが料理するなら、俺もわびしいインスタント食品暮らしをやめて、葛城家に住んでもいいな」
「ほんと加持さん?」

 何か妙に明るすぎる声でアスカが言い、ヒカリを押しのけるように身体をセンターコンソールの上に乗り出すようにした。

「ほらほら、危ないぞ。本当だよ。ただこれでも職業柄舌は肥えているぞ」
「大丈夫よ。アスカ様の料理が不味いわけないじゃない」

 アスカの声がいつもの調子に戻ったのでヒカリはほっとした。アスカも乗り出すのをやめる。

「あの、加持さんの仕事って何なのですか?」
「スパイだよ」
「スパイですか?言ってしまっていいんですか?」
「スパイって言っても、きちんと名簿に乗っているし、秘密諜報部員と言う訳じゃないしね。まっ007だってダブルオー要員じゃない諜報部員の方が多いだろ。雑役だよ雑役」
「そんな事ないわよヒカリ、加持さんは凄いんだから」

 デタラメか、それを信じたいのかアスカの口から007並の活躍をする加持の話が滑り出た。神社につくまでそれは続いた。




「はじめまして」

 神主は意外なぐらい若かった。実際まだ二十代後半だそうだ。

「はじめまして。皆を連れてきました」
「ご苦労様です。加持さんですね」
「はい。美剣さんですか」
「はい。今日はどうもありがとうございます」

 美剣は背筋がきっちり伸びた姿勢からお辞儀をした。一方何となくだらしない感じの加持も一応保護者という事で、きちんと会釈をした。

「なにぶん二人とも、少し常識に欠けるところがあってご迷惑をかけるかとは思いますがよろしくお願いします」
「いえいえ、洞木さんからしっかりとしているとうかがってますし、心配されることはありませんから」

 しばらくやりとりをした後加持はオンボロワゴンで帰って行った。美剣は四人でおしゃべりをしているアスカ達の前に来た。

「皆さんお願いしますよ。今日から夏祭りですからね」
「はぁ〜〜い」

 アスカ達は元気よく答えた。レイも口の中だが答えたようだ。ここは鳥居を入ってすぐの参道の入り口だ。それ程大きくもない神社で参道もそれ程ある訳ではないが、すでに屋台の準備が始まっている。

「ではあちらの社務所の裏に部屋がありますから着替えてください。コダマ君すまないけど案内してあげてくれないかな」
「はい」

 妙に親しげな様子で神主が言い、コダマは三人を連れて参道を進んでいく。神主は露天商達にアスカ達の事を紹介しているらしい。

「ねえコダマさん、今の神主さんが彼氏なの?」
「彼氏って言うか、まあ幼馴染よ。私のうちって以前このそばにあったのよね。私がちっちゃい頃にお嫁さんに成ってあげるなんて言っていたら、なんか既成事実みたいになっちゃって」
「許嫁ね」
「まあ、そんなところ」

 しばらくそんな話をしながら社務所に向かった。




「ファ」

 またファーストと言おうとしてアスカは慌てて口を噤んだ。

「レイって美人なのね」

 結局レイとコダマが社務所でお札などを売り、アスカとヒカリが参道を掃いたりする事にした。日光に弱いレイは室内に置いておこうという訳だ。
 ヒカリに着付けて貰ったレイは鏡の前にぽつねんと立っていた。白の上衣に緋の袴、白い足袋、帯には鈴が差してある。

「まっアスカ様には敵わないけどね」

 アスカはコダマに着付けて貰った。レイと同じ衣装を着ている。先程から鏡の前でくるくる廻っている。

「それにしてもリツコさんって何でも用意しているのね」

 ヒカリが言っているのは、レイのウィッグの事だ。レイの青みがかった白髪と同じ色のウィッグをつけている為、肩ぐらい髪があるように見える。もっともうなじの後ろで固く結んでいる。ウィッグでないだけでヒカリもコダマもアスカもきちんと髪は一つに結んでいる。

「博士は昔、巫女のバイトをしていたから、」
「うそ〜〜」
「赤木家は旧東京の名家で、氏子代表で、博士は氏神様でアルバイトしていた。この前話してくれた」
「ふ〜〜ん」

 アスカだけでなくヒカリ達も興味があったらしく根掘り葉掘りレイから聞き出し、珍しくレイもよく話した。

「あらいけない」

 そんな事をしていると古めかしい柱時計が鳴りだしたのでコダマが皆を本堂の方へ案内した。そこで神主より説明を受け、朝拝後まずは本堂の掃除と成った。




「ねえヒカリ」

 本堂の掃除が終ったので二手に分かれる事にした。ヒカリとアスカが参道の掃除や参拝客などの整理を日差しが強い三時ぐらいまでやる事にした。レイとコダマはお札やおみくじの販売をする。コダマは後でお祓いなどを手伝ったりもする。早速アスカとヒカリは参道を竹ぼうきで掃いている。

「この神社に巫女って四人も必要なものなの?」
「なんで?」
「だってちっちゃいじゃない」
「そっそうかな」

 妙にヒカリが慌てるのでアスカがじっと見るとヒカリは視線を泳がせてそっぽを向いた。

「どしたの?」
「なにが?」
「なにがって、ヒカリらしくないから」

 アスカは竹ぼうきの柄の先に両手を乗せてその上に顎を乗せてじっとヒカリを見た。

「あの、だから、その、ごめんアスカ」

 ヒカリは急に頭を下げた。

「どうしたのよ」
「ミサトさんに頼まれて」
「ミサトに何をよ?」
「最近アスカが元気が無いから気晴らしにバイトとかを誘ってあげてって。でお姉ちゃんとお兄ちゃんに相談して定員二人のところを四人にして貰ったの」
「そっ」

 アスカはしばらくヒカリのつむじを眺めていたが溜め息をつき、近くの石のベンチの様な物に腰を降ろした。

「怒ってないわ、ヒカリ。ありがとう。気を使ってくれて」
「ほんと?」

 ヒカリは頭を上げた。

「ほんと。座ったら」

 アスカが隣をぽんぽんと叩いた。

「うん」

 ヒカリも横に座った。アスカは箒の柄に顎を乗せ、ヒカリは箒の柄を横に向けて膝の上に乗せた。

「私、最近負け続きなんだ」

 ほんの少し太陽が動いた頃、アスカが呟く様に言った。

「使徒と闘ってもろくに勝てて無いし、シンクロ率なんかもシンジに抜かれてるし。私、役たたずなのかな。やだな」
「そんな事ないわよ。アスカはその目標が高すぎるから」
「私ずっと他の事犠牲にして、ずっとパイロットやってきたのに、ちょっと齧っただけのシンジにあっさり抜かれちゃって。やだな」
「でも、アスカって美人だし頭もいいし」
「関係無いもの。そんな事。私、世界を救うエリートパイロットじゃないとやだもん」
「弱虫」
「えっ」

 怒気を含んだ声にアスカは横を向いた。少しひいてしまった。ヒカリが恐い目で見ていた。

「それでも、クラスで一番頭が良くって、美人で、元気じゃない」
「ヒカリ」
「私、委員長だけど何も出来ない。鈴原はナツミちゃんは未だにベッドに寝たきりよ。鈴原だって健康しか取り柄がないって言ってたのがもう歩けないのよ」
「そんなの関係無い。私には関係無い」

 アスカはそう言うと俯いた。自分のつま先辺りを見て動かなかった。ヒカリはその横顔を睨んでいたが、徐々に表情が元に戻って行った。やはりアスカの様に俯いた。

「ごめんアスカ。私って本当に押しつけがましい。いつも本当は相手の事考えて無い」

 ヒカリは膝の上の竹ぼうきの柄をぎゅっと握った。

「そんな事ない。ヒカリは優しいわ。ごめん、そうね、私美人で健康だよね」
「うん。私が保証する」
「まっそうね、このアスカ様が何でも完璧にやってしまったら、皆に悪いわ。少しシンジに譲ってあげないとね」
「うん」
「ヒカリ、ありがとう」
「えっと」
「委員長だもんね」
「うん」

 ヒカリが横を向くとアスカも横を向いていた。ほぼ同時に微笑んだ。それが何かとてもおかしくて二人とも声をあげて笑った。

「そうだヒカリ、リツコが言っていたんだけど」

 笑いが収まった所でアスカはヒカリににじり寄った。

「ナツミちゃんの手術めどが立ったって。簡単に言うとサイボーグ手術」
「サイボーグ?」
「ナツミちゃんの背骨の粉砕された部分に人工の背骨を入れるのよ。エヴァの技術の応用らしいわ。訓練が必要だけど、手術後に下半身が動く様に成るって。リツコは性格は危ないけど、腕前は世界一の技術者だからまず間違い無いわ」
「ほんと?」

 ヒカリはアスカに噛みつく様に顔を寄せて聞いた。

「うん。元々ジャージがエヴァに乗る条件だったしね」
「そう。鈴原喜ぶわ」

 そこでアスカに顔を寄せていたのが恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして座り直した。

「ねえアスカ、私って凄い酷い子なの」
「なんで?」
「私、鈴原がああ成った時、どう思ったと思う?」
「私やミサトを呪ったとか」
「少しあるわ」
「そう」
「でも、一番はね、これで鈴原は私の物って。私が介護してあげないと駄目なんだって」

 アスカは少し頬が痙攣した。ヒカリの声に微かに喜びがあるように聞こえたせいだ。アスカが横を向くとヒカリは俯いていた。何も感情が出ていない横顔だったが、唇の端が少しつり上がっている様に見えた。

「私、喜んでた。ほんの少しだけど。私ほんとに酷い子だと思う」
「そんな事ないわ。ヒカリは優しいわ。私が保証する」
「そう」
「さっお掃除再開しましょ」

 アスカが勢い良く立ち上がったので、ヒカリも釣られて立ち上がった。




「レイちゃんって、バイト始めてなのね」
「はい」

 本堂の横手でお札を売ると言っても、日が高いうちはほとんど誰も来ないのでレイとコダマは暇だった。コダマが何かと話しかけるのだが、レイはいつもの調子なので話が続かない。

「バイト料出たら何買うの?」
「バイト料」

 レイは横を向いた。

「私は毎年これで水着を買うのよ。この時期に成ると随分安くなるし」
「特に考えてない」
「そうかぁ。レイちゃんは普段からエヴァの搭乗手当とかで相当貰っているしね。あんまり変わんないよね」
「何を買う物なの?」
「はい?」

 レイがコダマをじっと見て言ったが、そう言われても困ってしまう。

「使い道考えていなかったから」

 返答に困っていたコダマに気付いたのかレイがつけ足した。リツコから電話で会話が若干変だが相手をしてやって欲しいと聞いていたコダマは気を取り直して話しかけた。

「そうねぇ、欲しい物無いの?」
「欲しい物?」

 そう言った後レイはまたじっとコダマを見た。但し今度は何か考えているらしく、目の焦点がずれて寄り眼に成っている。

「包丁」
「包丁?」
「切れ味悪くて博士が指を切ったから」
「そう。包丁もいい物だと凄い値段するけど、手ごろな物でじゅうぶんよ。それより一緒に砥石を買った方がいいわ」
「そう、ありがとう」

 レイはそう言うと前を向いた。またどこを見ているか判らない視線で、じっと座っているのでコダマは話すのを諦め前をむいた。しばらくすると横から何か聞こえて来たので音の方に振り向くと、レイが軽くいびきをかいて舟をこいでいた。あいかわらず無表情だが、顔から力が抜けて口が半開きに成っているせいでどことなく可愛らしい。しばらくレイの寝顔を見ていたコダマだが起こさずに前をむいた。風が涼しかった。




「起こさないでいいわよ」

 十分ほど経った頃だろうか、社務所の裏手の方から回り込んでリツコが現れた。仕事を抜け出して来たのかいつものボディコンに白衣姿だ。

「レイとアスカはどう?」
「ちゃんとやっています。アスカちゃんはヒカリと参道の掃除です。レイちゃんは今は一休み」

 ぐるぐる眼鏡のコダマはリツコに笑顔を向けた。小さい頃母を亡くしたコダマは医師志望で成績も良い。医師免許を持っているうえ、機械工学、電子工学、その他理系ならなんでもござれのリツコは憧れの人の一人だ。

「そう、レイは直射日光に弱いからあまり当てないようにお願いね」
「はい。外は日が落ちてから交代しますから」
「はぎゅ」

 そこでレイが変な声をあげてやっと目を覚ました。焦点のあっていない目の前に金色の塊が見えた。しばらくしてピントがあった。

「博士」
「ほら、涎」

 リツコはポケットからハンカチを取り出すとレイの顔を荒っぽく拭く。レイは変な声を上げたがされるままに成っている。

「女の子は他人に寝顔を見られては駄目よ」

 ハンカチをポケットに戻すと、リツコはレイの頭を軽くこずいた。

「リツコさんまるでレイちゃんのお母さんみたいですね」
「あら、知らなかったの?レイは私の私生児よ」

 リツコはコダマから見えない方の唇の端を微かに吊り上げた。

「そうなんですか?そう言えば何となく似ている様な」
「冗談よ」

 リツコはコダマの方を向いた。唇は戻っている。

「まっ母親代わりって言うのはあながち間違っていないわ。レイ、調子はどう?」
「問題ありません、博士」
「そっ。折角だからお守りでも買おうかしら」

 リツコはレイ達の前に並べてあるお守りを一つ摘まむと顔の高さまで持って来た。厄除御守と書いてある小さなお守りだ。レイに渡した。

「これと、あとおみくじも」
「はい」

 リツコの手を見ていたコダマが慌てて六角柱の木の容器をリツコに渡した。

「私がおみくじやお守り買うのはおかしいかしら?」

 リツコは少しいたずら者の笑いを浮かべてコダマを見つめた。おかげでコダマは真っ赤になる。

「技術者はね」

 容器をよく振りながらリツコは言った。

「技術や科学の限界を一番知っているのよ」

 容器をひっくり返すと木の棒が出てきた。

「への五番ね。だから最後は神頼み、ねっ、レイ」
「はい」

 レイは言われてへの五番の棚から一枚のおみくじを取り出した。リツコは木の容器と入れ換えに貰った。

「あら、嬉しいわ。大吉。願いはかなうだって」

 しばらくおみくじを見ていたリツコだが、それをポケットにしまうと代りに財布を出して小銭をレイに渡す。

「はい六百円」
「お守りです」

 コダマは袋に入れたお守りを渡した。

「仕事抜け出して来たからもう帰るわ、レイ無理するんじゃないわよ。コダマちゃんお願いね」
「はい」
「じゃ」

 リツコは軽く手を上げると足早に参道の方へ歩きだした。やっとリツコが来たのに気付いたのか参道の向うからアスカとヒカリが寄ってきた。




「今日はご苦労様でした」

 夜の七時に成ったのでレイ達のバイトは終わりだ。すでに近所の女子大生が代りに巫女をやっている。

「じゃあ、これバイト代です」

 美剣はバイト代をバイト代と書いた封筒に入れまずレイに渡した。レイは両手で受け取る。

「ありがとう」

 手の中の封筒をぼけっと見ていたレイだが、やがてそう言って頭を下げた。

「じゃアスカちゃん」
「ありがとう」
「はい、ヒカリちゃん」
「ありがとう」

 まだぼけっと封筒を見ているレイと違いアスカは早速封筒を開いて中を見ている。

「レイあんたいくら入ってる」
「ん?」

 アスカが言ったのでレイは振り返ったが寄り眼に成っている。何か考えていたらしい。

「みんな同じですよ」

 その様子を見て美剣は微笑んだ。アスカは恥ずかしく成ったらしく顔が赤く成っている。

「コダマさんはいいの?」
「後で利子つけて貰うから」

 当然といった口調で美剣の横で仁王立ちしているコダマに、美剣が恥ずかしそうに頭を掻いた。

「じゃそろそろミサトさんが迎えに来るから、今日はありがとうございました」

 ヒカリがそう言ってお辞儀をするとレイとアスカも頭を下げた。

「いえいえ今日は本当に助かりましたよ。気を付けて帰ってくださいね。三人で大丈夫ですか?」

 コダマはもう少し残って手伝うらしい。

「大丈夫、ミサトも来るし、アスカ様は歴戦の勇者だから」

 アスカはクリーム色のワンピースから伸びる右手で力瘤を作ってみせるが、さすがにそんなに太くは無い。そこで何となく皆の間に笑いが生まれた。レイも頬が少し膨らんだ。笑っている様だ。

「そうですか、でも気を付けてくださいね」
「うん、じゃ帰ります」

 アスカはそう言うと勢い良く頭を下げた。レイとヒカリもそれに従った。
 挨拶が終ると三人は参道を鳥居の方に歩きだした。まだ初日なのでそれ程人出は無いが、それでも浴衣姿のカップルなどが腕を組んで歩いている。子供を肩車したお父さんや、手を引いたお母さんなどの家族連れも多い。その中をレイ達が歩いて行く。

 レイとアスカは容貌のせいか人目を引く。特にレイが歩いて行くと何となく周囲の人が勝手に避けてしまう。確かに日が落ちてから見ると少し怪しい容貌ではある。もちろんレイは全く気にせず歩いて行く。

「アスカちゃん達終わりかい」
「うん、終わり」

 綿飴の屋台の親父が声をかけて来た。掃除をしていたアスカと仲良くなったらしい。

「そっか、じゃ一つずつ持って来な。世界の平和は頼むぜ」
「まっかせといて」

 威勢の良いアスカに、ごつい顔をほころばせつつ右手に二つ左手に綿飴の割り箸を持って親父は手を突きだした。

「さんきゅ〜〜」

 なんの遠慮もためらいもなくアスカが一つ手に取った。

「ヒカリちゃんも、お守りご苦労さん。アスカちゃんじゃ大変だったろう」
「あっひどぉ〜〜い」
「ありがとう」

 ヒカリはそう言って軽くお辞儀をすると一つ受け取る。アスカは横で頬を膨らませている。バイトをして気分も晴れたのか、調子も戻っているらしい。

「ほらレイちゃんも」
「はい」

 レイも手を伸ばして綿飴を取った。

「ありがとう」

 レイは手に取った綿飴をしみじみと見た。少し齧ってみる。甘い。

「ほ〜〜笑うとこりゃ可愛いね」
「ん?」

 知らずに微笑んでいたらしい。

「え〜〜じゃ私は」
「アスカちゃんは可愛いが、それ以上に美形で豪華だな」
「美形、豪華、確かにアスカ様に相応しい言葉だわ」

 簡単に気分が良くなったアスカは、腕を組んで頷いている。

「じゃおじさんありがとう、ミサトさんがそろそろ来るので」
「おう、じゃがんばんな」
「「はぁ〜〜い」」
「はい」

 三人はそう言うと軽く会釈をしてその場を離れた。




「車止めて」
「ん?どうしたの」

 鳥居を出た所で待っていたミサトの車で帰る途中、レイが唐突に言った。ヒカリの家に寄った為、大通りから曲がって小さな商店街に面した通りを通って行く途中だ。

「買い物したい」
「いいわよ」

 ミサトは車を寄せて止め降りると後部座席のレイとアスカも降りた。

「レイ何買うの?」
「包丁」
「包丁?」

 アスカがまじまじとレイを見た。

「切れ味落ちて、博士指切ったから」
「それで金物屋の前に止った訳ね」

 確かにすぐ側に金物屋があった。夜更かしが多い第三新東京市に合わせているらしく、まだその商店街の店舗は閉まっていないところが多い。レイは金物屋に向かい歩いていく。

「いらっしゃい」

 見事に頭が禿げ上がった初老の店主が愛想良く迎えてくれた。レイの容姿を見て一瞬動きが止ったがそこは商売人、すぐに笑いを取り戻した。

「包丁と砥石ください。菜っきり包丁と出刃」
「包丁はこちらですね」

 レイを店の奥に案内して行く。三人は店主に付いて行く。

「予算はどれぐらいですか?」
「これだけ」

 レイは封筒からバイト代のお札を出した。

「それだと、ステンレスの安い奴になりますね。となると砥石よりタッチアップ用の物がいいですね」
「そう」
「レイ」

 呼びかけられたのでレイが振り向くとアスカが封筒を突きつけていた。

「貸してあげる」

 レイはぼけっとアスカの顔を見て、封筒を見た。

「金が無いから安物を買うのはアスカ様の流儀に反するわ。エヴァパイロットにはあるまじき事よ。私まで安く見られるわ」
「いいの?」
「いいわ。レイに貸しを作るのって気分いいし」
「ありがとう。いつか返す」
「いつでもいいわ」

 アスカはレイの手に封筒を押し付けるとそっぽを向いて辺りの金物を物色し始めた。照れ臭いらしい。

「じゃあこれで」
「それならいいのがありますよ。少し待ってくださいね」

 二人の様子を見ていた店主は店の奥に行った。しばらくして手に小箱を持って戻って来た。

「きちんと鋼を打って作った包丁で、少し値段はしますが手入れをすれば持ちますよ」

 小箱を開けると鈍く光る鋼の菜っきり包丁と出刃包丁が出てきた。レイは菜っきりを手に取って見てみる。ただ包丁はよく判らないのでぼけっと見ている。

「ちょっと貸してごらんなさい」

 ミサトが言うので渡した。ミサトは刃を確かめたりしている。

「料理下手クイーンのミサトに包丁が判るの?」
「アスカ失礼ね。ふぅ〜〜んこりゃ確かにいいわ。掘り出し物ね」

 ミサトは小箱に戻した。

「砥石は、中砿と仕上げ砿をオマケでつけますよ」
「いいの?」
「バイト代じゃそんなに取れませんからね」
「じゃください」
「はい、少々お待ちを」

 店主は包丁の入った小箱と砥石を包んで紙袋に入れた。

「はい、毎度あり」
「ありがとう」

 レイは頭を下げた。

 三人で店を出るとまたミサトの車に乗った。

「アスカ、ありがとう」
「気にしないでいいわ。リーダーがメンバーの世話をするのは当然よ」

 アスカはやたら機嫌がいい。

「そうだレイ、それリツコに渡す時は、少しでいいからお金を取りなさいよ」
「何故?作戦課長」
「ミサトでいいわよ。そのままプレゼントすると刃物は人の縁を切ってしまうから、十円でも貰って形だけでも買った事にするの。昔からの言い伝えと言うか、まあ気分の問題よ。リツコって実はそういう事気にするしね」
「判りました。博士に十円貰います」
「ねえレイ」

 アスカがレイの前に顔を突き出して来た。

「あんたまだリツコの事博士って呼んでるの?」
「そう」
「リツコって呼んだら?」
「考えてみる」




「リツコさんこれ」

 ダイニングキッチンでリツコを待っていたレイは、帰宅したリツコにそう言うと紙袋を突き出した。リツコはまじまじとレイを見て、玄関のたたきで動きが止ってしまった。

「どうしたの?」
「その、急にリツコさんって呼ぶから」
「いや?」
「いやじゃないけど、少し驚いただけよ」

 リツコはそう言うとハイヒールを脱いで廊下に上がった。ダイニングキッチンに向かう。レイも付いて行く。

「で、何かしら」

 テーブルにハンドバックを置き、冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを出す。レイが渡したコップに入れると半分ほど飲み、コップを置き椅子に座った。

「今日のバイト代で買ったから」

 レイは紙袋から包丁の小箱と砥石を取り出して、リツコの前に置いた。

「ん?包丁ね。あら、随分いい鋼だわ。高かったでしょう」
「アスカがバイト代貸してくれたから。エヴァの搭乗手当では払いたくなかった」
「そっ」

 リツコは包丁を手に取りしみじみと見る。砥石も見た。

「ありがとう。これで指を切らなくてすむわね」

 リツコはレイに微笑みかけた。レイは手を突き出した。

「十円」
「何?」
「ミサトさんが刃物を他人に送る場合は、売った事にした方が縁起がいいと言ったから」
「そっ、縁が切れない様にって訳ね」

 リツコは肩をすくめると包丁を置きハンドバックから財布を取り出した。十円玉を取るとレイの手の平に乗せようとしたが、寸前で手が止まる。

「レイ、あなた私の事どう思ってるの?」
「リツコさんは今はお母さんの代わり。もともといないけど」
「そっ」

 リツコは溜め息をつくと十円玉をレイの手の平に置いた。

「そうね。私も縁を切りたくないわ」

 リツコはハンドバックを手に取り立ち上がった。

「じゃ早速包丁使ってみようかしら。着替えてくるわね」

 リツコはそう言うとダイニングキッチンを出て自分の寝室に向かった。








「そろそろ実験場のB3に行って」
「はい博士」

 ネルフではまだ博士と呼ぶ様だ。リツコのネルフの私室でレクチャーを受けていたレイは立ち上がった。翌日の夕方学校から帰ったレイは真っ直ぐにリツコの私室に向かった。今日はシンジとアスカは護身術の講習の為、模擬体でのシンクロテストをするレイとは別行動だ。

「後で私も行くわ」
「はい」

 リツコはタバコを取ろうと白衣のポケットに手をつっ込んだ。そのまま回転椅子をくるりと廻して端末に向かった。言う事を言えばあとは気にしない。レイも気にせず出口に向かう。暫くポケットをごそごそやっていたリツコの眉が少し動く。ポケットから手を出すと、なにか紙切れを掴んでいた。リツコはそれを一瞥すると丸めて捨てようとしたが、手が止まりまた回転椅子をくるりと回す。

「レイちょっと来なさい」

 自動ドアに手を伸ばしていたレイは振り向いた。リツコの方に寄って来る。

「はい」
「これあげるわ」

 リツコはその紙切れをレイに突き出した。

「おみくじ」

 レイは紙切れを手に取ると呟いた。

「そっ大吉よ。あとこれも」

 リツコは白衣の胸ポケットに手をつっ込むと今度はお守りを取り出した。

「鞄にでも付けといたら。神頼みはやっぱり私に似合わないしね」

 リツコはレイの手にそれを押し付けるとまた椅子を回し端末の方に向いた。

「さっ早く行く」

 リツコはキーボードを叩き始めた。

「鈍い奴は嫌いよ」
「はい」

 レイは出入り口に向かった。

「ありがとう」

 戸が開いた音がして、そして閉じた音がした。




 おわり



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