第二章 他人

 失敗したとはアスカの弁だ。翌日朝起きると早速二人は辺りの調査に出かけた。自分達が倒れていた砂浜に行くと、シャツと吊りズボン姿でヒカリが倒れていた。シンジがアスカを背負って近寄ると、ヒカリはすぐに目を覚ました。しばらくはぼけっとしていたが、目の前にシンジに支えられ座り込んでいるアスカを見て身を起こした。周囲をきょろきょろと見ていたがそのうちアスカに語りかけた。アスカは唇が読めるのでいいのだが、ヒカリは判らない。そのうち言葉が使えないと言う事実が分かったらしく表情が変わった。叫び声を上げたようだ。二人でどうにかあやしてからPDAを通して会話を始めた。10分ほどしてやっとヒカリが落ち着いたのでそれから建物に戻った。

 ヒカリによると、気が付くと目の前にアスカとシンジの顔があったらしい。それ以前の記憶は、ネルフの方で戦闘があったため、自宅のシェルター代わりの地下室で三姉妹で震えているところまでだ。

「姉さん、ノゾミ」

 思い出したらしい。真っ青な顔で仮眠室のベッドから立ち上がった。

「会いに行く」

 いくら唇が読めるとは言っても早口で言われては判らない。アスカもシンジもぽかんとして見ている。そこで気づいたらしくヒカリは端末のキーボードを叩いた。

(家まで行きたいの、姉さん達がいるかもしれない)

(判ったわ)

 昨日のセックスのせいか、単に時間が経ったせいかアスカは随分手が動くようになってきた。アスカはすぐに自分のPDAに打ち込んだ。

(ここでじっとしていても仕方がないわ。シンジの運転で第三新東京市に行くのよ)

(でも、今日洞木さんが急に現れただろ。だからまた少し待ってみない?準備もいるし)

 その後三人で話になった。正確にはシンジとアスカでだ。なんだかんだと言っても二人はEVAパイロットだけあり緊急時の対処法などの訓練を受けている。とにかく家族に会いたいとだけ繰り返すヒカリを説得して、今日一日で準備をして明日出発をすることになった。アスカが説得したせいで落ち着いて来たヒカリはアスカと話し込んだ。現状全てシンジに頼り切りで、昨日セックスした事まで告げた時は真っ赤に成って聞いていた。これからは当分ヒカリがアスカの面倒を見る事に成った。

 ヒカリが現れた事はシンジとアスカに余裕を与えた。あらためて自分達に余裕がなかった事が思い知らされた。例えば今まで今日がいつなのだろうなどという事も頭に浮かばなかった。ヒカリに聞かれて慌てて調べた所、皆が覚えている最終の日にちから六日経っているのが判った。

 アスカ達が待ったのは正解だったかもしれない。その日の夕暮れにまた砂浜に行ってみるとトウジが仰向けに倒れていた。病院で患者が着ている寝間着の様な服を着ている。左足の切断面はカバーのような物で覆われている。目を瞑っているが胸が上下しているので生きているらしい。アスカの車椅子を押すヒカリが立ちすくんでしまったので、シンジが近づいていった。近づいてみると確かに呼吸をしていた。屈んで手をとり脈をはかる。ごくごく正常だ。

 シンジはポケットのPDAを取ると今までの事をかいつまんで打込み、トウジの肩を抱き起こして揺らした。しばらく揺らしているとトウジは目を覚ました。

(碇)

 口は動いたが当然声は聞こえない。シンジはPDAを見せ読ませる。じっと読んでいたトウジだが口を半開きにしてシンジの顔をみあげたので、シンジは頷く。そこにヒカリが走り込んできた。シンジを押しのけるようにしてトウジを抱きしめると大声で泣き始める。暫く唖然としいたトウジだがヒカリの頭を優しく撫でた。

 シンジが持って来た予備の車椅子にトウジを座らすととりあえず建物に戻る。トウジ自身は杖が有れば歩けるのでシンジが探して来た。仮眠室に皆で戻るともう一度詳しく判っている事だけをトウジに説明した。トウジは第三新東京市の衛星都市に祖父と共に引っ越していた。妹は未だにネルフの付属病院に入院している。トウジが自宅近くの病院でリハビリ中にネルフで戦闘の一報が入り、病院の地下のシェルターに待避した所で記憶が無くなっていたそうだ。

(何があったんや?碇)

(多分サードインパクト)

 シンジは知っている限りのことを説明する。アスカもだ。しばらく話したがトウジの疎開先の家はそれほど離れていない事が判ったので行ってみる事にした。

 シンジとアスカで街に出て四人がゆっくり乗れる車を探して来ることに成った。バッテリィー内蔵の車椅子に座ったアスカは先頭に立ってどんどん進んで行く。昨日までと違い上半身は相当動くので支障は無い。シンジとしても元気なアスカの後ろを付いて行く方が気が楽だ。商店街まで来ると道に乗り捨てられているEVを物色する。四台目が鍵が開いていて、イグニッションに鍵が入っていた。バッテリィーもほぼ満タンな為2000kmは走れる。ワンボックスタイプな為車椅子も乗るし好都合だ。早速アスカを助手席に乗せ、車椅子を後部のスペースに乗せるとシンジが運転をして建物まで戻った。

 アスカは二人の寝床に成っている仮眠室に向かう。シンジは付いていく。仮眠室に入ると、トウジとヒカリはベッドに腰をかけていた。やることもなく、話すことも大変なので困っているようだ。

(車は手配したわ。後一つ準備したい物が有るから手伝って)

 アスカがPDAに打ち込み見せると二人は軽くため息をつきながら立ち上がった。状況に緊張していたらしい。トウジは建物にあった松葉杖を使っている。アスカを先頭に一行は工作室に向かう。皆に充電式のドリルや大きなドライバーを持たせると、自分は適当な針金とドライバーセットを手に取った。今度は更衣室に向かう。

(開かなかったらこじ開けて)

 携帯に打ち込み見せると、車椅子を本来の職員達のロッカーに近づける。針金を二本鍵穴につっ込むと暫くいじっていた。

 声が聞こえれば皆の感嘆の声が聞こえただろう。10秒程で鍵は開いた。アスカは戸を開け中を一瞥した後振り返り、皆の表情を見て自慢げに頬を動かした。

(メガネに習った。使えそうな物を探して)

 そう携帯に打ち込み見せるとアスカは次のロッカーに移る。ヒカリ達はロッカーの中をあさりはじめた。そしてアスカは三つ目で引き当てた。そのロッカーからは二十二口径のオートマチックのピストルが出てきた。三丁もだ。セミオートのライフルも二丁ある。ライフルと言ってもそれ程全長が長い訳でなく五十センチメートル程だ。両方とも弾丸は22ロングライフル弾を使う物なので共用出来るだろう。弾丸も紙箱に入って十箱ある。2015年に成っても日本では拳銃の一般所有は禁止だがネルフは例外だ。アスカは拳銃と弾の入った紙箱を膝の上に乗せて側のテーブルに向かう。シンジ達はアスカを目で追っていたが他のロッカーもあさる事にした。

 アスカはテーブルにそれらを置くとまず一丁を手に取る。弾倉を外すと遊底を引く。薬室は空の様だ。次にドライバーを使って手早く分解する。その手際のよさにシンジはぼけっと見ていたが、アスカの鋭い視線が向いたので慌ててロッカーあさりを再開した。アスカは分解して部品の摩耗などを見た。ほぼ新品だ。また手早く組み立てる。もう二丁も同じ様に分解して組み立てた。ライフルもとって貰い分解整備をした。弾倉に弾を詰めているとシンジ達の方はロッカーあさりが終わったらしくテーブルに戦利品を置いていく。アーミーナイフが三つ、ライターが二つ、小銭がいっぱい、その他いろいろある。

(アスカ凄い)

 ヒカリがPDAに打ち込み見せるとアスカは手を休めた。

(ドイツにいた頃は毎日撃っていたわ。シンジも訓練したから出来るわよ)

 そう打込むと一丁の拳銃のグリップに弾倉をはめ込んだ。撃鉄安全とレバー式の安全装置をかけると銃身を持ってシンジの方に突き出す。シンジは暫くその拳銃を見ていたがやがて頷き拳銃を受け取った。同じ様にライフルに弾倉をはめ込む。やはり安全装置をかけるとそれ程長さが無いそれを自分の膝の上に置く。もう一丁の拳銃にも弾倉を入れた。銃身を持ちトウジに突き出す。トウジも手に取った。

(何があるか判らないわ。嫌かもしれないけどヒカリもナイフを持っていて。拳銃は慣れないと危ないから。鈴原も銃の打ち方習ったわよね)

 ヒカリは頷くといろいろなツールが着いたアーミーナイフをズボンのポケットに入れる。ナイフシャープナーもだ。

(じゃ行くわよ)

 砂浜に出て拳銃とライフルの照準合わせをした後シンジの運転で出発した。助手席にはアスカ、後部座席にはトウジとヒカリ、後ろのスペースにはアスカの車椅子などが置いてある。浜辺に面したネルフの研究施設から、地元の商店街の方にゆっくりと走らせる。念の為窓は閉めて辺りを伺いながら進んでいく。コンビニの前で一旦止めるとヒカリとシンジが降りた。電気は来ている様でシンジ達が行くと正面の自動ドアは勝手に開いた。紙袋を探すと飲み物と食べ物、タオル、トイレットペーパーなどを詰めていく。懐中電灯や十徳ナイフ、ドライバーセットなども入れた。電池もだ。

 二人が戻るとまた出発した。商店街を出ると太い街道に出た。時々車が止って通り抜けが大変な時があるが、容赦なくバンパーで押して進む。街を抜けると車が止っていなく成ったのでスピードを上げる。始めのうちは信号に従っていたが、そのうち無視するようになった。

 アスカは何となくラジオのスイッチを入れた。ミサトと車で外出すると、ミサトは車の音がいいとラジオはつけない。アスカは意地になってスイッチを入れるので習慣に成っていたからだ。

 シンジは慌ててブレーキを踏んでしまった。おかげで皆前のめりに成ったがシートベルトのせいで怪我は無い。ラジオからは音楽が流れていた。しかもボーカルも聞こえる。人の声が聞こえる。シンジは横を向いた。アスカも向いていた。後ろを二人して見ると後ろの二人とも同じ様な事をやっていた。

 しばらく聞いていると不思議な事に気が付いた。確かにボーカルは聞こえ人の声だと判るが意味が判らない。何か声がしているとしか判らない。

(意味判る?)

 ヒカリがPDAに打ち込んだ。皆首を横に振った。しばらく呆然と皆顔を見合わせていたがアスカがPDAを取り上げた。

(録音だからかな。ともかく今考えても仕方がない。まずは行こう)

 皆頷くとシンジはまたEVを走らせはじめた。しばらく山の中の道を進むと隣町に出たので助手席のアスカと後部座席のトウジは席を代わり、トウジがナビゲートをする事にした。トウジが指を差す方向にシンジはEVを進めていく。やはりこの街も人だけがいない。しばらくすると建売住宅が並ぶ一帯に出た。シンジは速度を落とすと細いわき道に入っていく。5分ほど曲がったり進んだりしているうちに一軒の建売住宅の前に止った。ここはネルフがトウジの療養の為に買い与えた家だ。祖父と一緒に住んでいるらしい。妹のナツミは未だにネルフの病院に入院している。

 前もって打ち合わせていた通りシンジとトウジが調べる事にした。二人が恐る恐る家の中に入って行った後じりじりとしながら待っていたアスカとヒカリだが、二十分ほどで戻って来た二人の表情を見て溜め息をついた。結局収穫はトウジ用のネルフ特製偽足だけだったようだ。その後このまま第三新東京市まで行くか話し合ったが一旦戻る事に成った。

(ヒカリがもうちょっと早く現れてたらシンジなんかに)

(その割には愛しい人なんて感じに見えるわよ)

 施設に戻ると、途中で調達して来た食料で夕食と成った。今日一日肉体労働だったシンジはアスカの世話から解放されると言うので夕食後さっさと寝てしまった。実はアスカに一緒に寝ようと誘ったのだが見事に無視されたのでふて寝していると言った方がいい。はじめてしたセックスに一度で病みつきになったようだ。トウジはトウジで一人でゆっくり考えたいと別の仮眠室に閉じこもっている。アスカとヒカリは食堂に端末を持ってきてチャットの様におしゃべりを楽しんでいる。

(愛しいというより同志ね、戦友、もうこの世に同じ体験をする男の子は現れないし。二人ともEVAで歪んだしね)

(同志愛かな?)

(そうね、それにセックスはまだ痛いだけだけど、そのうち凄く気持ちよく成りそうな気はする。前ヒカリの家に泊ったじゃない。私が壊れる前)

(うん)

(予定切り上げて帰ったら加持さんとミサト抱き合ってたのよね。その時のミサトってみっともなかった。涎垂らして体中が痙攣して。でも何かゾクッとするぐらい綺麗だった気もする。ああなってみたい気はする)

(ふ~~ん)

(まぁ今のシンジなら嫌いって訳じゃないし、それに主導権は握っていたいし)

 話す事はいくらでもある。アスカが精神崩壊を起こしてからはヒカリと会っていない。それからどれだけの時間が流れたか、時間の流れに意味があるのかは知らないが二人は話し続けた。

(ねえ、この後どうなるのかな)

(まずここで二、三日準備をして第三新東京市に行くわ。準備と言うより待機。ヒカリ達みたいにまた現れる人がいるかもしれないから)

(そう。二人とも無事かな)

(ノゾミちゃんとコダマさん?)

(うん)

 ヒカリはキーボードを叩く手を止めた。止めて自分の手をじっと見ている。しばらくしてアスカはそっとヒカリの手に自分の手を重ねた。改行キーが押されて画面が流れていく。ヒカリが心配そうな顔をゆっくりアスカの方に向けるとアスカはウィンクをした。アスカはウィンクに慣れている。ただいつもやってみせてくれる頭に来るぐらい綺麗で可愛いウィンクと違い、力強く思いきり目蓋を閉じた音が出そうなウィンクだった。アスカはキーボードから二人の手を退けた。左手は手を重ねたまま右手でキーボードを叩いた。

(大丈夫、きっと会えるわ。天才アスカ様の保証つき)

(うん)

 目の前の問答無用で派手で才能がある友の言葉は気分を落ち着かせてくれた。そしてどう探そうかという話になった。

(ところで)

 話は知らぬ間にズレていきアスカの初体験の話に戻っていた。根掘り葉掘り聞いていたヒカリだが急に真面目な顔に成った。

(アスカ避妊したの?)

 アスカの顔は見物だった。どこか照れた顔でキーボードを叩いていたのだが右頬が痙攣して視線があらぬ方に行った。

(してないの?)

(しようとはした)

(していないのね)

(うん)

 なぜか睨み付ける様な視線のヒカリに対し、恐い実姉に睨みつけられた末の子の様にアスカは顔を引いた。

(だってその、シンジがまさかあんなに成っちゃうなんて。獣よ獣。ちゃんと避妊具を付けてとジェスチャーしようとしたら血走った目のシンジが私の両手首持って押さえつけて、容赦なく入れちゃうんだもん。その後は痛くて痛くて私わめきっぱなしだったし、私痛くって泣いているのに容赦なく何回も続けるんだもの。シーツがシンジの精子と私の血でぐちゃぐちゃ。それに胸やお尻を噛むのよ。まるで噛み千切って食べたい様だったわ。痛いし恐いから止めてって叫んだんだけど聞こえないし。おかげで歯形が体中についたし、出血した所も……)

 アスカの言い訳とも愚痴とも付かない物がその後続いた。何画面もスクロールした後ヒカリが止めた。

(後悔してる?)

(してない)

 間髪入れずアスカは打込むとヒカリに微笑んでみせた。

(お互いの全てがお互いの物に成った気がする。セックスして良かったと思う。愛している訳じゃないと思うけど、お互い他にいない存在に成っていたのかもね。ずっと前から)

(気が付いたのね)

(まあね)

(で、安全日だったの?)

 アスカの手が止った。ゆっくり首を横に振った。

(と言うより判らない。私が壊れていた期間どうなっていたか判らないから)

 しばらくアスカを見詰めていたヒカリだが、やがて溜め息を付くとキーボードに手を伸ばした。

(そう、まあ一回で妊娠するとは限らないから)

(まあね。それに今は妊娠出来ないし)

(うん。アスカが身動きとれないと困るわ。アスカはリーダーに成らざるをえないわ。ともかく避妊だけはしっかりしてね)

(そうね)

 アスカは右手をキーボードから離すと下腹の辺りに置いた。ヒカリはそのアスカの手を見てはまた溜め息をついた。

(アスカは今でも将来子供産みたくないの?)

(判んない。ママみたいに成るのが嫌だったけど、ママは私を殺そうとしたけど、やっぱり守ってもくれた)

 最後の闘いで弐号機にいた母に会った事は既にヒカリに告げていた。

 しばらく画面を睨んでいたアスカはやがて自分の両頬を派手に平手で叩いた。

(まっその時はその時で考えるわ)

 アスカは首を左右に振った後伸びをした。車椅子を動かして部屋を出ようとする。

(じゃ今日はちゃんと避妊するのよ)

(うん。ヒカリもね)

 手を伸ばしてキーボードを叩いたアスカの反撃にヒカリは頭じゅう真っ赤にした。

(私は)

(じゃ鈴原で今日は試してみようっと)

 ヒカリが椅子を蹴り飛ばすように立ち上がると、アスカはウィンクをして笑いかけてから食堂を出ていった。

 真っ赤に成って立っていたヒカリは座り込み、やがて溜め息を付くと薬局で探して来た避妊具などが入っている紙袋に手を伸ばした。

 翌日に成るとアスカは立てる様に成った。今までのうっぷん晴らしか、街から探して来たピックアップ4WDを砂浜に持ち込んでふっ飛ばして遊びはじめた。小さい頃からカートなどで運転には慣れているので危なげは無い。ネルフドイツ支部内のポルシェのワンメークレースなどでは何度も優勝したそうだ。もっともアスカに怪我をさせないように周りのドライバーが引いた為もあるが、それでもそれなりに運転は上手い。

 アスカが遊んでいる間シンジ達は街中を探索した。まず商店街で日常品を探索した後、周囲の民家を調べることにした。予想通りと言うかまったく誰もいない。中には食事の準備がしてありそこで人が消えた家もあった。食物が腐った悪臭に三人は早々と退散した。

 三人が入っていくと嬉しそうに犬が迎えてくれる家もある。人に会えずに寂しかったのだろう。鎖に繋がれたままだと餓死しそうなので鎖から放してやる。野犬に成って将来襲うかもしれないがその時はその時だ。犬によってはそのまますぐに走り去っていく者やシンジ達の周りを遠巻きにして付いてくる者もいる。相手にしている余裕が無いので追い払うと寂しそうに去って行った。

 一時間ほどするとアスカがピックアップ4WDで商店街までやってきたので、皆が探して来た日常品などを積み込んだ。一番の収穫はアマチュア無線のFMハンディトランシーバーだ。音は聞こえないにしても、電波強度計の振れでモールス信号を送ればいい。シンジとアスカはEVAの訓練で習っている為それで連絡が取れる。ケンスケに習ったせいでトウジもモールス信号は判るらしい。四人分の携帯電話もあり一応は繋がるのだが今の状態ではいつ基地局がおかしく成るか判らない為用心に越したことはない。

 一行は建物に戻ると作戦を煉る事にした。まず第三新東京市に行って、入れるのならジオフロントに入る。駄目ならヒカリの家やシンジ達のマンションなどをあたり、後は街自体の探索をする事にした。はじめは四人で行くつもりだったが本拠地の確保も重要なので、アスカとヒカリが残り、シンジとトウジが出かける事に成った。どのみちまずは下見なので技術系に強いアスカは行かなくてもいいだろうという事もある。作戦の細部を煮詰めるのに二時間ほどかかったので皆遅めの食事にした。昼寝を取った後また商店街に向かい、今度は第三新東京市への遠征に必要な物を集める事にした。結構時間がかかり、集め終わる頃には砂浜の向こうの水平線に赤い太陽が沈みはじめていた。赤い海に赤い太陽が沈み、青い空がより青くなり暗くなっていく。そしてオーロラのような淡い緑の光が辺りにちらばめられている星空に変わっていく。四人は自分達の状況も忘れて見入っていたが、急に下がった気温に皆一様に身を震わせると車に乗り建物に戻った。

(静かね)

 夕食が終った後皆は雑談をはじめた。といってもキーボードを叩いてしているので速度はゆっくりだ。アスカがテーブルの端に顎を乗せ怠そうにキーボードを叩いた。皆頷いた。

(なんかさ、加地さんとまでは言わないけど、ミサトでいいから大人がいて欲しい)

(うん。そうだね)

(それでいいんだよとか、駄目よって言ってくれる人が欲しいな)

 珍しくヒカリもアスカの真似をしてだらけた格好で顎をテーブルに乗せてキーボードを叩いた。正確に言うとトウジの手の上に頬を乗せている。昨晩思い切って告白したらしい。

(トウジがいてくれるのは嬉しいけど、やっぱり私達子供なのよね)

(かもね)

 アスカはキーボードを叩くとそのまま手を隣のシンジの手の上に乗せた。しばらくそうしていたアスカだが、やがて身を起こした。

(あらためて提案するけど、私達のリーダーは私がやろうと思う。知識と経験とあと決断を下す能力で私が一番だと思うけど、どう?)

 アスカはそう打ち込んだ後皆を見回した。特に皆不満は無い様で三人とも頷いた。

(私がいない時はシンジ。はっきり言って決断力は無いけどEVAの戦闘や訓練でいろいろ知識や経験は積んでいるから。どう?)

 それも特に不満は無い様だ。皆は頷いた。

(じゃ明日は早いしもう寝ましょ)

 アスカはそう打ち込むと立ち上がった。当然の様にシンジも立ち上がると二人でシャワー室に向かった。

(鈴原、これからどうなるのかな)

(さあ、その、イインチョはワシが守るから心配せんでも)

 そこまでトウジが打ち込んだ所でヒカリはトウジの胸に身を寄せた。トウジはぎこちなくヒカリを抱きしめた。

 待てば海路の日和あり、とは少し違うのだが翌日は晴れていい天気だった。朝早くシンジとトウジが出発した後アスカとヒカリはなんとなくぼんやりしてしまった。この二日間緊張のしっぱなしで気疲れしていたし、特にヒカリは異常事態に慣れていない為、トウジとシンジが出発した後ぐったりとしてしまった。そんな訳で食堂でお菓子を摘まみながらだらけている。アスカはぼんやりとお菓子を摘まんでいるのだが、片手で端末のキーボードを叩いて情報を集めている。たった二日で情報網のいろいろなところで支障が出て来たらしく調べにくいらしい。

 そして二人が室内に閉じこもっているのにはもう一つ理由がある。

 臭いのだ。

 辺りに変な匂いが漂っている。しばらく調べたところその匂いは海から漂ってきていた。それに海の赤い色も何か変わってみえた。アスカが試しに海水を採取して実験室の顕微鏡で調べたところ、赤い色の油滴に混じってプランクトンが大量発生していた。多分そのプランクトンが出す排泄物の匂いではないかとアスカに言われてヒカリは納得した。建物の実験室にはアスカにも使える自動精密分析器も有るので今解析をやらせている。

 ぼんやりとしているのも一時間もすると飽きてしまう。時々シンジ達から連絡が入るが、途中の街も様子は変わらないようだ。二人は伊豆半島のほぼ先端にあるこの施設から海沿いに北上して第三新東京市に向かっている。あと一時間もすれば新熱海に付き、そこからゆっくり第三新東京市に向かう。

 ともかく飽きてきたので臭いのを我慢して外に出る事にした。アスカは弾薬とライフルを持ち、ヒカリは自動拳銃を持って砂浜に出た。缶ジュースの空き缶を標的にヒカリに撃ち方を練習させる。どのみち当たらないので自分を撃ってしまったりしないようにだ。それでも五十発も撃つと落ち着いて狙えば5mの距離から空き缶に当たるように成った。一旦食堂まで戻ると拳銃の分解掃除の方法も教えた。

 あらためて外に出て商店街を二人でぶらぶら歩いていると、アスカが急に立ち止まりきょろきょろしはじめた。やがて目を瞑りじっと聞き耳をたてる様に耳の側に手のひらを当てた。それで何が起きたのか判ったヒカリも同じ様に耳に手を当てて目を瞑った。微かだがクラクションの音が聞こえてくる。少しずつ大きくなっていくその音はモールス信号に成っていて(だれか聞いている人はいませんか。ゆっくり走っています)と言っていた。しばらくして目を開いたアスカは、携帯にそう打ち込むとまだ目を瞑っているヒカリの肩を叩いて見せた。

(行ってみよう。ただ用心は必要だわ)

(うん)

 シンジ達にも連絡を入れると、シンジ達からも気を付けてと返ってきた。シンジ達は特に変わった事はないようだ。アスカは一旦建物に戻ると普段の足用に昨日用意しておいた電気モータースクーターに乗る。泥よけの前に付けたライフル入れに装弾したライフルを入れる。弾倉には十五発ほど入るそのライフルでアスカなら五十メートル先からでもブレインショットが出来る。二十二口径でも頭にあたれば人間は死ぬ。

 ヒカリもライトの上に付けた物入れに自動拳銃を入れた。アスカに教えて貰った通りに、薬室に装填して撃鉄安全をかけレバー式の安全装置をかけた状態で入れてあるので、安全装置を外して撃鉄を起こせばそれで撃てるように成る。

(いい、何かあったらヒカリはここに逃げ帰って閉じこもりシンジ達を呼ぶのよ。私達は、人類は足掻かないといけないの。私達は人類最後の女かもしれないから)

 携帯に流れていく文字を読んでいたヒカリは一瞬ためらいの表情を顔に浮かべたがすぐに口を一文字に引き締めて頷いた。アスカも頷き返すとネルフの制服をもう一度整えた。ネルフの制服には軽い防弾機能があるのでこういう時は心強い。ただ建物にあった女性用の制服は少し大きい。身長がある程度あるアスカはいいが、ヒカリは緩めだ。

 二人が支度をしている間にもクラクションの音は大きく成っていく。

 二人はヘルメットを被るとアスカが先頭で出発した。

 熱海の街にも腐臭が漂っていた。海の匂いと街の匂いだ。元々かまぼこなどの食料品の工場があるのでそれが腐った匂いも混ざっているのだろう。

 シンジはゆっくりと4WDを運転していく。普段なら単なるファッションにしかならないアニマルガードも、邪魔な車を押しのけるのに役に立った。車のラジオからは録音された番組が流れている。相変わらず意味は判らない歌が耳をくすぐっている。たった一日だが放送を続けているラジオ局は少なくなってきている。色々な施設の機能不全がどんどん進んでいるらしい。

 シンジはカーナビの指示通りゆっくりと車を進めている。大きな交差点まで来るといちいち止り、トウジが辺りの写真を撮る。アスカの指示だ。何故そんな事をするのと聞いたところ、何が起きたか知りたいからだと言われた。何度目かは判らないがシンジが交差点で車を止めると、助手席で窓に寄り掛かるように外を見ていたトウジはデジカメを持って外に出た。腰のベルトにはヒカリ手作りの拳銃のホルスターがぶら下がっている。商店街に皮工作の店があったので、薄手の皮を使いヒカリが手縫いをした物だ。拳銃は既に薬室に装填してあり撃鉄安全をかけてある。ダブルアクションの自動拳銃なので引き金は重いが、安全装置のレバーを倒して引き金を引き絞るだけで弾は出る。

 トウジは左足の腿を掻きつつ交差点の真ん中まで出てきた。偽足を付けて出歩くように成ってからそんな癖が付いた。充電式の偽足は神経電位によりコントロールされて自分の足同様に動く。バッテリィーは通常の歩行なら二日間歩きっぱなしも可能だ。一種のサイボーグとも言え、実際左足の人工皮膚や合金製の骨格は人体の数倍の強度を誇る為コンクリートブロックぐらいなら粉砕出来る。もっともそれ以上はトウジの他の部分の骨格がもたないのでリミッターが働く様だ。

 トウジはデジカメで辺りを撮りはじめた。ズームが相当効くデジカメなので、交差点のはるか向こうまでも拡大して撮る。いくぶん投げやりに義務的に撮っていたトウジだが、急に動きが止った。じっとファインダーをのぞき込んでいたが、デジカメを慌ててOFFにするとシンジの方に駆け戻って来た。何か様子が変なトウジにシンジはホルスターから拳銃を取り出し右手に持ち、ダッシュボードの小銭入れに入れてある携帯を左手に取った。

(どうしたの?)

 助手席の戸を開いたトウジにシンジが携帯を突きつけると、トウジは受け取り慌ただしく打ち込みはじめた。

(子供が倒れてる。案内する)

 トウジはそう打ち込みシンジに見せると助手席に乗り込んだ。トウジの指差す方向に向かって車を動かしていくと、シンジにもその子供が見えはじめた。やっと今年小学校に上がったぐらいの痩せた感じの男の子がコンビニのガラスの壁に背を預けて足を投げ出し眠り込んでいる。辺りには菓子パンや空き缶が転がり風で揺れている。近くまで行って二人が車を飛び降りていってもまだ眠っている。

 二人がしゃがんで顔を覗き込むと、泣き疲れて眠り込んだ涙の跡が顔に残っているのが見えた。シンジとトウジは顔を見合わせると携帯にひらがなで(みんなこえがきこえなくなっているから、きこえなくてもびっくりしないで)と打ち込んだ。

 こういう時はシンジの穏やかな顔が役に立つという事で、シンジが起こす事にした。携帯を手に子供の肩に手を置いて軽く揺すった。暫くは頭がかくかくと揺れていたが、急に身体をびくりと震わせて目を覚ました。

 アスカなら唇を読めるがシンジには無理だ。子供が話し出したらシンジとしてはお手上げだったろうが、幸いな事に子供はシンジの首根っこにしがみついて大声で泣き始めた。十分程泣き続けた後やっと収まってきたので携帯を見せた。しばらく口をぱくぱくやっていたが本当に言葉が通じないと言うことが判りまた泣き出してしまった。もっとも今度はすぐに落ち着きシンジの手の携帯を受け取って打ち込みはじめた。

 後で判ったのだが小学一年生でひらがなは判るとの事だった。名前は緒方ユウイチだそうだ。携帯で話したところ、気が付いたら家の近くの海岸に寝ていたらしい。町には誰もいないし、学校にも家に帰っても誰もいないので町中を探したがやはり誰もいなくてそのうち疲れて寝込んだらしい。

 シンジ達はともかく車に乗せるとユウイチの家に再度向かった。

つづく

■まっこう

■INDEX

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