第四章 星空

 昨日までが忙しく無かったと言えばそれは違うが、翌日からは皆いっそう忙しかった。アスカとケンスケはルナガーデン1に向かい、シンジとヒカリは海岸線に沿って生存者を探す事にした。残ったトウジとアサミとユウイチは研究所で留守番だ。留守番と言ってもやる事はある。とにかく生存者を見付けなければいけない。三人は食堂に端末を持ち込んで掲示板に書き込む事にした。

 最初にお手柄を上げたのはユウイチだった。トウジとアサミと違い掲示板に書き込む事はうまくできないが、読む事はできる。とにかくネット上で昨日より後に書き込まれた何かを見付ける為にうろついた。アスカ達が出発した後一時間ほど皆で作業を続けていると、ユウイチがトウジの肩を叩いた。トウジがユウイチの方を見ると目をきらきらさせて興奮したユウイチがディスプレイを指で指していた。トウジがユウイチのディスプレイの前に来るとアサミも同じ様にやってきた。

(だれかいませんか?きのうからおとうさんもおかあさんもいないです。ぼくもよくわかりません)

 大手の検索サイトの掲示板のいろいろなスレッドにその文章は書いてあった。普段なら多重投稿と怒られるところだが致し方ない。投稿された日時を見ると昨夜だ。文章は全てひらがなでどことなくぎこちない所を見ると小学校の低学年ぐらいだ。

(ぼくはキモトコウジ、となりのいえのみっちゃんやむこうのいえのまこちゃんもいっしょにいます。まこちゃんとみっちゃんはようちえんだからここにかけません。それにこえがきこえません。いえのまわりにねこがいっぱいいてこわいです。ぼくのけいたいのでんわばんごうは)

 そのあとにメールアドレスや住所も続いた。トウジはユウイチにサムズアップしてみせた。

(ゆういちはわしのたんまつでいままでのことをつづけるんや)

 トウジが見せるとユウイチは頷きトウジと席を交換した。

(イインチョとシンジに住所を教えて助けに行かせるんや。犬や猫に襲われてる。惣流達にもや)

 アサミも頷き自分の端末でヒカリの携帯にメールを入れた。トウジも子供達の携帯にメールを入れた。三分ほどでメールが帰ってきた。混乱した文章だが三人とも無事らしい。猫達が家を取り巻いているので戸締まりをして立て篭っている。ただマコという少女が猫に手を引っかかれてそのせいかその傷口が腫れ上がり熱を出したようだ。氷を入れたビニール袋を患部と額に乗せ冷やしているらしい。

 そこでシンジ達からも返事が帰ってきた。住所を見ると丁度通りかかっている町で10分ほどで着くそうだ。救出と連絡はシンジ達に任せてトウジ達は他にも生存者がいないか探しはじめた。

(どうする?)

 助手席のケンスケにそう打込まれた携帯を見せられたアスカだが、携帯はちらりと見ただけですぐに視線を前に戻した。目の前には強化ガラスが目立つ二階建の建物がある。広さはサッカー場が二つほどだ、地下の部分もあるので体積は相当ある。見たところ完全自動制御のルナガーデン1は支障なく動いている様だ。

 暫く睨んでいたアスカだがケンスケから携帯を受け取った。

(私やシンジの網膜パターンや指紋はネルフの低級施設では万能キーに成るわ。とりあえず中に入ってメインのコンピューターにケンスケの指紋や網膜パターンも登録するのよ。私は熱を出した子の治療をしに帰るから、ケンスケ一人で調査してくれない?前も来た事有るんでしょ)

 ケンスケは右手でOKマークをしてみせると助手席から降りた。アスカも運転席から降りる。

 その建物は太陽光を取り入れる為か強化プラスチックとガラスで出来ている部分が多いが、出入り口は軽合金で出来ている。戸の横には指紋と網膜の読取装置があり、それがカードキーと併用に成っている。アスカが指紋読取装置に右手の親指を押し付けるとディスプレイに通行可能と出て鍵が外れた。

 入ると涼しくて綺麗な空気が二人を待っていた。中は現在アスカ達が本拠地にしている建物と何となくにている。植物プラントなどは二階部分と地下にある。発電も太陽電池と付近にある小さな川の流れによる水力発電に頼っている為発電機の音もしない。一応地下には燃料電池と小型のアイソトープ電池、バイオマス発電機もあるので万全だ。

 ケンスケの案内で中央制御室に行き、またアスカの指紋パターンで制御コンピューターにログインした。そしてケンスケの指紋も登録した。

(じゃ後はケンスケだけで頼むわ。用事が終ったらアサミちゃん連れてくるから)

(食い物も頼む。一日じゃ調査終りそうもないし)

(アサミちゃんに持たせるわ。避妊具もいる?)

 アスカは視線を端末からケンスケに移して、思いきりニヤ付いた。

(頼むよ。アサミちゃんに下着とかの替えも持ってくるように言って)

 もっともケンスケが特に表情も変えずにキーボードに打込んだ為、アスカは真面目な顔になった。

(小学生はやばくない?大体あの子セックスの意味判ってる?)

(父親が事故死した後、アサミちゃん私立に通わせるため母親は社長の愛人してたって。週一で社長は来ていたらしい。お陰で俺より詳しいよ)

 ケンスケはアスカの方に向き真面目な顔で見た。その後視線を端末に戻すとまた打込んだ。

(惣流はこの異変って元に戻ると思う?)

 アスカはしばらく画面を見ていたが首を横に振った。視線だけを動かしてそれを見たケンスケは打込みを続けた。

(だったら女の子は確保しておくよ。俺は惣流みたいにもてないから)

 端末にそう打込んだケンスケは目が吊り上がってきたアスカを無視して続けた。

(大体俺友達少なかったから今の状態は苦にならない。シンジや惣流もそういう意味では俺とそう変わりはないだろ。友達いたのって洞木とトウジだけだろ。だから俺はこれで彼女がいればそれほど悪くないんだ)

 そしてキーボードから手を放すとアスカの方を向いた。アスカはケンスケを睨んでいた。

(アサミちゃんがちゃんと理解した上でならいいわ。ただアンタが変な策略したり強姦したら殺すわよ)

 しばらくしてアスカはキーボードに手を伸ばし打込んだ。

(それはないよ。あんな可愛い子に酷い事はできないよ)

(人の写真密売した奴がよく言うわね)

(それはそれ、これはこれ。大体儲けの六割持って行ったのはどこの誰だよ)

 ケンスケはそう打込むと端末に向かいこの施設の情報を引き出しはじめた。しばらくケンスケの横顔を見ていたアスカだが一つ溜め息をつくと立ち上がった。キーボードが乗った机を軽く指先で叩いてあいさつがわりにして部屋を出ていった。

 子供達が立て篭っている家の周りには猫が三十匹ほど集まっていた。その光景をみて何かスイッチが入ったのか、シンジの顔付きが変わった。使徒と戦う度に蓄積した恐怖や狂気が表に出たのか、目がつり上がった。EVのアクセルを踏み込むと特に密集している辺りに突進する。ほとんどの猫はそれで逃げていったが、何匹かは逃げ遅れて跳ね飛ばされ、一匹は踏みつぶされ肉塊と成った。もっともお陰で辺りに猫は一匹もいなく成った。

 シンジは家の玄関の前にEVを止めると振り返りヒカリの方へ向いた。思わずびくりと身体を震わしたヒカリはドアに張りつくと慌てて携帯に打ち込み始めた。

(落ち着いて、子供達引きつけ起こすわ)

 それをシンジに突きつけた。シンジは携帯をじっと見ていたがやがて凶相が顔から去って行った。頷く。ヒカリの手から携帯を取った。

(ごめん。洞木さんが行った方がいいかな)

(もう落ちついているから大丈夫でしょ。周りに猫が残っていないか見てきて)

 シンジは頷くと携帯をヒカリに渡して腰のホルスターから自動拳銃を抜いた。既に薬室には装弾してある。安全装置を外して引き金を絞ればダブルアクションの拳銃は発射出来る。アスカほどではないがEVAの訓練で拳銃の扱いは慣れている。シンジは戸を開けて外に出た。辺りは猫の血と内蔵が散らばり異臭を放っている。嫌そうに顔を歪めたシンジは拳銃の安全装置を外した。玄関まで慎重に歩いていく。途中で自分が跳ね飛ばした猫の死体をふんずけてしまい慌てて跳び後ずさった。それでも気を取り直し玄関の方に向かっていく。

「EVAのパイロットなのね」

 そう呟いたヒカリは携帯で家の中の子供達にメールを打った。次に指示があるまでは絶対に外に出ないでと伝えてある。そしてクラクションを三回鳴らした。次にノックをしたら中から鍵を開けるように伝えている。

 一方暫く辺りをうかがっていたシンジは門を開けて玄関の前にまで来た。また辺りを見回す。特に危険は無さそうなのでヒカリに向かい大丈夫だよと手を振った。そして戸をノックした。待ち構えていたように鍵が開く音がして戸が開かれた。中から怖々と顔を出した男の子はシンジの顔を見ると見る間に瞳を涙でいっぱいにして飛び出してシンジにむしゃぶりついた。大声を上げて泣いている様だ。続いて女の子も飛びだしてきてシンジに泣きついた。

 シンジが二人の頭を撫でているとヒカリがやってきた。シンジに泣きついている男の子を引っ剥がすと、屈んで携帯を見せた。

(ねつをだしたこはどこにいるの?)

 一応お兄さんであるという自覚があるらしく、男の子は涙を手で拭うとヒカリの手を引っ張って家の中に連れていく。シンジは女の子を抱き上げると付いていく。何かあってもすぐ動けるように土足のままだ。戸の鍵は用心の為しめた。奥の和室に布団が敷いてあり少女が寝かされていた。熱が出ているせいか汗だらけの少女の額にはコンビニの袋に氷を入れて乗せてある。かろうじて意識はあるのか、少女は目を開き、ぼんやりとシンジ達を見たがすぐに目を瞑った。ただ患部が痛いせいか時々身体をびくりと震わせている。

 シンジとヒカリは少女の両脇に座り込んだ。

(どこをねこにひっかかれたの?)

 ヒカリが携帯にそう打ち込み見せるとコウジは寝ている少女の右手の二の腕を指さした。確かに引っかき傷の様な物があり化膿している。何かとても生臭い膿が出ている。ともかく研究所に運ぶ事にした。ヒカリがトウジやアスカ達にメールを入れて、シンジが少女を運ぶ用意をしている間に、コウジ達には旅の支度をさせることにした。

 すでに言ってあったためコウジ達はすでに準備が終っているらしい。大きなリュックに着替えなどを詰めてある。こんな時の為に研究所の住所と皆の携帯番号などを書いた紙をコウジに渡し、家の中の目立つところに張ってくるようにと携帯に打込み見せた。コウジとミツコという少女は頷くと家中に張って廻った。

(洞木さんが車椅子押してくれない?大丈夫だとは思うけど外に何かいると困るから)

 そう打った携帯をヒカリに見せると、ヒカリは口を真一文字に結んで頷いた。シンジは携帯をポケットにしまうと玄関に向かう。防犯レンズから外を覗くと何もいなさそうなので戸を少し開けた。滑り出るとすぐに戸をしめた。猫達はいないようだ。それでも用心しつつEVまで行くと、後部座席の横に畳んである車椅子を降ろして広げた。玄関まで押していく。ノックをすると鍵が開いてマコを背負ってヒカリが出てきた。ヒカリは車椅子にマコを乗せるとEVに運んでいく。コウジとミツコはシンジに付いて怖々と出てくる。一旦みなEVに乗ってから、コウジの案内でシンジがミツコとマコの家の玄関にみなの行き先を書いた紙を張り戻っていった。

 研究所に戻った一行は、丁度戻って来たアスカも含めて役割を再度振り分けた。アスカは医療室の設備を使ってとにかくマコを治療する。子供達の面倒はトウジが見る。シンジはヒカリと一緒にアサミをルナガーデン1に送り届け戻った後、再度付近の生存者の探索をする事にした。すでに新潟に生存者がいるのをトウジが見付けている。こんどは中一の女子と小六の男子らしい。

 早速行動を開始した一行は順調に仕事をこなしていった。シンジとヒカリはルナガーデン1に泊まり込む為の荷物と共にアサミを送り届けた。道すがらヒカリがアサミに軽々しくケンスケとセックスをしない様にこんこんと諭した為、そこまでは考えていなかったアサミにかえって意識させてしまったらしい。ルナガーデン1でケンスケに再会したアサミは真っ赤に成っていた。アサミを送った後シンジとヒカリは新潟に向かった。ケンスケはケンスケで制御用のEWSからルナガーデン1の機能を少しずつ把握していっている。

 トウジはユウイチ、ミツコ、コウジと共に生存者の探索だ。新潟以外にも鳥取、それにバンクーバー、カイロなどにも生存者が見つかった。特に鳥取には高一の男子を含む3人がいる事が判った。鳥取の三人は自力でこの研究所まで来る事にしたそうだ。但しバンクーバーとカイロはその後すぐに回線異常でその掲示板に繋がらなく成ってしまった。

 だが、他の者達の成果と違いアスカによるマコの治療は遅々として進んでいなかった。もともと研究所の医療室は本格的な施設がある訳ではない。とりあえずマコの症状らしい病気をネットで検索したのだが、それが正しいか判らない。抗生物質を使えば一撃で治るらしいが、はっきりとは判らないので処置が出来ない。とにかく熱を冷ます為氷枕や軽い解熱剤を与えていた。もっとも朗報がケンスケよりもたらされた。ルナガーデン1には医療室がありそこにはチューター式の医療用コンピューターがあった。そこでマコの症状をアスカと連絡を取りつつケンスケが打込んだところ、マコの病気は人畜感染症の一種のパスツレラ症でアスカの調べた通りの病気だという事が判り、治療方法も示してくれた。ルナガーデン1は専門家以外にも使えるように全体的に自動化と知能化が進んでいるらしく、その様な独立したデーターバンクも地下にしっかりと備えられているらしい。

 アスカがベッドの前の椅子に座り一つのカプセルを睨んでいると、とりあえず一段落ついたトウジが治療室にやってきた。患者のマコは時々軽い痙攣を起こしてはいるが寝ている様だ。トウジがアスカの持つカプセルを覗き込むと、アスカは気付いてトウジを見あげた。トウジがカプセルを指差すと、アスカは側の机の方に回転椅子を動かし端末に手を伸ばした。

(抗生物質のカプセル。飲ませれば治る筈よ)

(ならはよせんか)

 キーボードにのばしたトウジの手を見てアスカは一つ溜め息を付くと、また打込んだ。

(抗生物質はショックを起こす人がいるわ。そうなったら私じゃ手を出せない)

(なら、このままか?)

(発熱で死亡か、障害を起こすわ。少なくとも右手は使い物にならなく成る)

 アスカはそう打ちこみ回転椅子をくるりと半回転してトウジを見あげた。トウジが睨んでいた。また端末に向き直る。

(もし抗生物質のショックが出たら私が殺したことになるわ。少しは躊躇うわよ)

(惣流はEVAで何人巻き込んで殺した?)

 そうトウジが打込んだ瞬間、アスカは腰のホルスターから拳銃を引き抜きトウジの鳩尾辺りに突きつけていた。抜く手は見えたが反応出来ないほど早い。

(今度それを言ったら殺してやるわ)

(必要があれば何度でも言う。とにかくリーダーは決断が仕事だろが。代理でシンジに殺させるか?)

(五月蝿いわ)

 アスカは拳銃をホルスターに戻すと立ち上がりマコの枕元でしゃがんだ。頬の汗をタオルで優しく拭くとマコが目を覚ます。目の前にカプセルを差し出すと口を開けろとジェスチャーをした。マコは判ったらしく口をゆっくり開けた。アスカはカプセルを落とし込むと枕元のコップの水で飲み込ませた。もう一度寝かすとまた顔の汗を拭いてやる。横で見ていたトウジだが、マコの顔を拭いてやるアスカの表情の優しさと美しさに思わず唾を飲み込んでしまった。もっともまたマコが目を瞑ったので立ち上がったアスカの顔は普段の怒りんぼに戻っていた。

(着替えさすから出ていって)

 端末にそうアスカが打込んだのでトウジは肩を竦めて外に出た。

 ケンスケが画面を指さすと横で見ていたアサミが覗き込んだ。アサミはケンスケの指示でルナガーデン1の内部を見に行っては報告に帰ることを繰り返していた。先ほどから一休みして、端末を叩いているケンスケの横に座っていた。ケンスケが指さした画面にはマコの熱が下がっていき平熱に向かっているとのメールが映っている。アサミはキーボードに手を伸ばした。

(お兄ちゃんのお手柄だね)

 アサミはそう打ち込むとケンスケに微笑んだ。

(それもあるけど決断した惣流が一番偉いよ。それより携帯が使えなくなったのが痛いな)

 女の子に誉められ慣れていないケンスケは照れくさいのかそう打ち込むと立ち上がった。軽く伸びをする。伸びをしたところでケンスケの腹が鳴った。慌てて腹を押さえたケンスケを見てアサミは微笑み、ゼスチャーで夕食を作ると言って医療室を出ていった。

 ケンスケ達は先程から医療用コンピューターから中央制御用コンピューターにログインして調査をしていた。何度目にかアサミが戻ってきたところに丁度アスカからメールが入った。マコの容体の事と携帯の事だ。日暮れ頃に急にいくつかの会社の携帯電話が不通に成り、残り一社も時々繋がらなくなるように成って来たとの事だ。確かにケンスケが携帯を覗いてみると圏外に成っている。アサミはあまり気になっていないようだが、結構問題だ。またインターネットも繋がりにくく成っている。ルナガーデン1と研究所はネルフの直通回線で繋がっている。ただ外に出ている時はアマチュア無線のトランシーバーなどで通信するしかなくなってしまった。

「モールス皆に教えないと」

 そう呟くとまた端末の前に座った。その時吊っている左手をテーブルにぶつけて呻いてしまう。暫く痛がっていたがそうしていてもしょうがないので涙目で端末を操作し、今後の行動計画を作りはじめた。

 昨日の夜皆は研究所の広いミーティングルームのテーブルをどかしシートを敷いてごろ寝をした。皆疲れていたのとアルコールが入った為いびきをかいてすぐ寝込んでしまった。ぴったりとくっつき寝入ってしまったアサミを横にケンスケは一人眠れないでいた。ビールは舐める程度しか飲まなかったこととアサミを意識してしまったせいだ。アサミはもし普通に世界が続いたら絶対彼女には成って貰えないぐらいいい子だ。ニキビがあるが丸顔は整っているし頭も性格もいい。小柄だが小六とは思えないぐらい発育もいい。そのせいかはっきりと女の子の匂いがする。このままずっと好意を持っていてもらいたいと思う。アスカに言われなくても襲ったりはしない。一か八か、衝動に駆られてなどというのはアスカがやる事だ。じっくりいいお兄さんを演じようと思う。それにそれをずっと続ければ本当にいいお兄さんになって、恋人になれるかもしれないとも思う。我ながらひねくれた性格も治るかもしれないと思う。そんな事を考えながら昨夜は眠り込んだ。

 それにはとにかく生き延びなければいけない。アスカは才能はあっても計画性はそれほど無い。シンジは今一歩主体性が無い。トウジは頼りがいは有るが計画性は皆無だし、日常生活ではしっかり者のヒカリもこの異常事態ではそれほど役に立ちそうに無い。となれば軍師役は自分に廻ってくると思う。その為にはいろいろなケースを想定して実行計画を立案する必要がある。ケンスケが熱中していると肩を叩かれた。振り向くとアサミが微笑んでいた。側にあるテーブルには生野菜や卵など食べられなく成りそうな材料を使った料理が並んでいた。気が付かなかったがいい匂いが辺りに漂っている。

 美味そうだとジェスチャーでアサミに言ってから早速二人は夕食を始めた。まだ左手が動かないケンスケは食べさせて貰うという役得を素直に享受した。

(アサミちゃん料理上手だね)

(お母さんとっても料理上手だったんだよ。アサミ教えて貰ったの)

 食事が終り二人で食堂で洗い物をした後医務室に戻って食後のお茶と成った。

 お母さんは仕事の本の編集でいつも忙しいが、家事もしっかりとやったこと。母は愛人とは言っても、出版社の社長はそれほど歳も離れていなく独身でアサミとも仲がいいので、来年辺り母は再婚する事。社長とは言っても小さな出版社なのでそれ程お金は無い事。学校に入った頃は周りがお金持ちの子ばかりで苛められた事。でも勉強も体育も頑張っていつも十番以内を続けているうちにみんなと仲良く慣れたこと。お金持ちの友達の家にいったらとても大きくて驚いたこと。大きくなったら偉くなってお母さん達と大きな家に住むこと。しっかりした、だが幼い素直な夢が端末の画面の上を踊っていく。

「夢よね。これ」

 急にアサミの手が止ったので、ケンスケがアサミの顔を見ると目つきが何かおかしかった。何か話している様だがケンスケは読唇術は出来ないので判らない。

「アサミはたっちゃんみたいなお金持ちの家の男の子を彼氏にして、お金持ちの人と結婚するんだもん。こんな奴じゃないもん」

 アサミはまるで言葉の下痢にでも成ったように頭の中の想いを垂れ流しにした。止まらない。ケンスケは目の前の少女の急変に凍りついた様に成ってしまった。

「これ悪夢だから、きっとこの建物を出れば夢が覚めるのよ」

 いきなりアサミは大きな口を開けて叫んだ。叫んでいる様にみえた後部屋をとび出ていった。

「やば」

 アサミが緊張に耐えられなく成り、切れてしまったのがケンスケでも判ったので、慌てて追いかけはじめた。だがさすがに体育でも学校で十番以内だけありなかなか追い付かない。アサミは一目散に正面の出口に向かって突進していく。悪い事にアサミの指紋も登録してある為ロックも外れてしまう。

 それでもアサミは戸の前で指紋錠をなかなか開ける事ができず、軽合金の戸を叩いたり蹴飛ばしたりして暴れていた。ケンスケがアサミにもう少しで手が届くという所で戸が開いた。もしここで逃してしまうとアサミは外に出てしまう。いくら常夏の国でも山の中では夜、凍死の危険性がある。それに少女一人ではタヌキでさえ食肉目の猛獣だ。あの凶暴化した猫達などに襲われれば食い殺されてしまう。ケンスケは全力で飛びついて思い切り押した。戸が開いて外に駆け出そうとしていたアサミは、前につんのめり顔から砂利道に突っ込んでしまった。一方ケンスケの方は開いた戸から体半分外に出たところで顔面から砂利道に突っ込んでしまう。おかげでメガネが吹っ飛びつるがゆがんでしまった。それほど度は強くないとはいえ後々困ることになりそうだが今はそれどころではない。

 ケンスケはすぐに起き上がるとまだうつ伏せで呻いているアサミにアマレスの様に後ろから飛びついた。知らぬものが見たらケンスケがアサミを強姦しようとしているように見えるだろう。アサミのウエストに右手を回し渾身の力を込めて半回転してアサミを持ち上げた。仰向けのケンスケの上に仰向けのアサミがウエストを抱えられて乗っかった。アサミは全力で両手両足をばたばたさせて暴れた。ここで離せばこの子は死ぬし、また独りぼっちになるとケンスケは左手の痛みも顔面の痛みも無視して全力で抑えた。足を開いてアサミの細い下半身に絡ませて押さえつける。アサミは絶叫を上げて暴れるがケンスケは離さない。五分ほど暴れていたアサミだが急にぐったりと体から力が抜けた。ただまだ泣いているらしく、体の細かい震えは続いている。どうやらやっと正気づいたようだ。殴るか犯せば静かになると二流エロ小説の様な事をする必要があるのかと思い始めていたケンスケはほっとして右手から少し力を抜いた。アサミも演技だったわけではなく本当に落ち着いてきたようだ。体を半回転してケンスケの首根っこにむしゃぶりついて泣き始めた。左手は痛くて仕方がないがなんか気持ちがいいなとケンスケは思いアサミの髪を撫で始めた。

 しばらくそうしていた二人だが、アサミの抱きつく力が弱まったのでケンスケも頭を撫でるのをやめた。アサミはポケットから携帯を取り出して打ち込むとケンスケに見せた。

(ごめんなさい)

 美少女は得だ。特に泣き顔の美少女は得だ。それなりに可愛いアサミに泣き顔で言われたら慣れていないケンスケでは一撃だ。それでも抱きしめたりせずに頭を優しく撫でたのはよく頑張ったといえるだろう。ケンスケはアサミを上から下ろすと横に寝かせた。素直に従うアサミに、左手の激痛にもかかわらず僕は幸せだなぁと半世紀も前のヒット映画の台詞の様な事を考えて星空を見ていたケンスケだが、急に上半身を起こし携帯に打込みアサミに見せた。

(メガネをとって、早く)

 何か緊急事態が起きたらしく慌てているケンスケの様子に、アサミも慌てて這っていきメガネを取ってきた。つるの部分の歪みを直すとケンスケに渡した。ケンスケはメガネをかけると空を見あげた。そのままじっと空を見ている。あまりにもじっと見ているので心配に成ったアサミが肩に手を置くと凄い勢いでアサミの方に視線を向けた。恐いぐらい真剣な顔に成っている。少し竦んでしまったアサミに打込んだ携帯を見せた。

(星が変わってる)

 空をアサミと見上げていたケンスケは、何となく星空が変なことに気が付いた。今の時期で今の時間なら丁度天頂近くに来る筈の星が無かった。普段ならメガネをしていないからと思うところだが、何か心の奥底に囁く者がいた。アサミにメガネを取ってこさせて空を眺めたがやはりその星が無かった。しばらくそのまま考えているとアサミが肩を叩いたので携帯に理由を書いて見せた。ともかく医療室に戻ることにした。アサミが手を繋いできたので握り返すと少し元気が出た。

 洗面所で顔を洗い医療室に戻ると、まず顔の擦り傷にお互い軟膏を塗り合った。それが終るとケンスケは端末でプラネタリュウムのフリーソフトを探し出し、携帯端末にインストゥールした。そこで思い付き医療室を出て階段に向かう。アサミはよく判らないがLEDライトを持ってついてくる。ケンスケは階段で屋上まで上がると、屋上の端に備えつけてある大型双眼鏡のハードカバーを横に退けて折り畳んだ。レンズキャップを外しアサミに預け覗き込み空に向けると星のきらめきが目に入って来る。一旦双眼鏡から目を離すとLEDライトを受け取り双眼鏡を調べた。昔父に聞いた通りスイッチが付いていたのでスイッチを入れると極々淡い明るさで双眼鏡の上面のディスプレイに情報が映し出される。タッチパネルも兼ねているそのディスプレイに触れてセッテングをするとまた双眼鏡を覗いた。今度は視野に星だけではなくクロスラインと方位角高度時刻などの情報が映し出された。熱中して何かしていたケンスケだが肩を叩かれて振り向いた。

(何しているの?)

 星明かりの中で困惑の表情をしたアサミが立っていた。携帯に打ち込みケンスケに見せた。すっかりアサミを忘れていた事に軽い罪悪感を覚えつつ携帯に打ち込む。

(星の方位角と高度を調べているんだ。それと一時間後にどう動くかも観測する。そうすれば地球の自転軸がどう変化したか判るから。あそこにとても明るい星があるだろ)

 ケンスケはほぼ天頂近くのひときわ明るい星を指さした。アサミもどの星か判ったらしく頷いた。

(あれは琴座のベガ。セカンドインパクト前は日本でも見れた星なんだけど、それ以降は見れなくなったんだ。だけど見えている。またきっとセカンドインパクトの様に地軸が動いたんだ。どの様に動いたか観測しないとね)

 そこまで打込んでアサミに見せたはいいのだが、急に左手に激痛が走りうずくまってしまった。まだくっついていない左手であんなアクションをやれば当然だ。その様子を見て暫くはおたついていたアサミだが、自分もうずくまると携帯に打込みケンスケに見せた。

(アサミがやるからお兄ちゃんは休んでいて。観測の仕方教えて)

 ケンスケはそれを見ると頷いた。

 結局ケンスケが観測の仕方を教えてから二人は医療室に戻った。何もないと思うが一応屋上は野外なので二人で行くことにした。ケンスケはとにかく休養を取るため医療室のベッドで休み三十分ごとにアサミが起こして二人で屋上に行く。観測はそこでアサミがやることとした。

 ケンスケがベッドに潜り込むとてもちぶたさになったアサミは日記を書くことにした。日記に使っている端末は家に置いてきたので、医療室の端末で書くことにした。

「今日はお兄ちゃんの手伝いでルナガーデン1の調査をした。二人で一日では調査しきれないので明日も明後日もやると思う。今日は五人も他に生きていることが判った。他の国にも少しいるらしい。ヒカリお姉ちゃんは世界のネットワークが無い砂漠地帯や密林などにはいっぱい生きている可能性があると言っていた。アスカお姉ちゃんはともかく人類をここからまた復活させるのだと言っている。アサミはそんな凄いことは判らない」

 そこまで打ち込んで手が止まった。

「お母さんに会いたい」

 呟きが漏れたがもちろん誰も聞こえなかった。

(冬が来る)

(冬って寒い冬?)

(そう)

 三十分ごとに四回ほどいくつかの恒星の高度や方位角を観測した後ケンスケはプラネタリュウムソフトでその様な星の動きをするようにパラメーターを調整した。セカンドインパクト以降のプラネタリュウムソフトは惑星の自転軸や公転軸を調整する機能が普通に付いているためそれを使う。一時間ほど試行錯誤を繰り返した後ケンスケは端末にそう打ち込んで見せた。

(どうして?)

(ちょっと難しくなるけど)

 そう打ち込んでからケンスケはネットから子供向けの天文学入門のページを探して開き説明をはじめた。

(この図のように地球が傾いているから季節があるんだ。それは判る?)

 アサミは頷いた。

(でも日本はこの様に赤道に近かったからあまり季節が無くて一年中夏だったんだ)

 またアサミは頷いた。

(でもまたセカンドインパクトの前みたいにこの位置に来たようなんだ。それはさっきの観測で判った。だから季節がまたある。多分僕たちにとっては厳しい季節の冬になる)

(でもルナガーデン1なら大丈夫でしょ)

(それならいいけどね。とにかく惣流達に知らせないとね)

 ケンスケはそう打ち込んだ後、アスカ達へのメールを書き始めた。アサミは立ち上がると食堂に向かった。

 アスカ達に連絡をいれてやっと一息付いたケンスケに丁度アサミがお茶を持ってきた。ケンスケが下手なウィンクで謝意を表した後二人で吹きだしそうになった。アサミはケンスケの隣に座ると手を伸ばしキーボードに打ち込んだ。

(ますますお母さんに会えない気がしてきた)

(かもしれないね)

(ひどいな)

 アサミはそう打ち込むと口をへの字に曲げた。しばらくそうしていてからまたキーボードに手を伸ばす。

(お兄ちゃんあまり今困ってない気がする)

 そう打ち込まれたのでケンスケはアサミをじっと見た。視線に気がつきアサミも見返した。

(そうかもしれない。前の世界にそんなに未練が無いから。そりゃ親父に会えないのは少しは辛いけど。前の世界だと俺は単なるカメラマニア、ミリタリーマニア、天体マニアで、シンジや惣流みたいにEVAに乗れる訳じゃない、トウジみたいに洞木みたいな彼女がいる訳じゃない、要するにつまらなかったの)

 アサミはコメントに困るのか画面とケンスケの間で視線を行ったり来たりさせている。

(それにさ、実を言うと女の子とこんなに話したのはアサミちゃんが始めてだし、結構嬉しくて。アサミちゃんは可愛いし)

 ますますコメントに困ったのか視線の動きが激しくなった。少し顔が赤く成っている。そこでケンスケがアサミの方を向いたのでアサミは下がってしまった。ケンスケの視線の中に何か恐い物が見えたように思ったからだ。ただそれもすぐに消えていつものあきらめが入ったひねくれ顔に戻るとケンスケは端末に向かった。

(提案があるんだけど、アサミちゃんがお母さんに会えるまでは俺とパートナーでいない?パートナーと言うか二人一組で行動する必要がある時は一緒に行動しない?俺はこの世界では結構有能だと思うから。どう?)

 ケンスケがそこで打込みをやめ振り向くと、アサミはぽかんと口を開けてケンスケの顔を見ていた。しばらくして口を閉じると手をキーボードに伸ばした。

(それはアサミに彼女に成ってくださいと言う意味ですか?)

(そうなったら嬉しいけど、そこまでは望まない)

(変な事しなければ、それでもいいです。今は手を繋ぐまで)

 書いていて相当恥ずかしいのかアサミは真っ赤に成った。だがすぐに元に戻った。

(もう一度教えて。お母さんに会えると思う?)

(会えないと思う)

 すぐさま打込んだケンスケを睨みつけたアサミだが、少しずつ視線が下がって泣き顔に成っていく。

(一年経ってお母さんに会えなかったら、本当の彼女になってもいいです。アサミ独りぼっちは恐いから。とっても恐いから)

(判った)

(確かにそうね。判る?)

 屋上に出て空を見あげたアスカは携帯に打込んでシンジとトウジに見せた。シンジは頷いたがトウジは首を横に振った。シンジとアスカはEVAで戦闘時に何が起きるか判らないのでサバイバル訓練も受けている。そのカリキュラムの中に星を見て大体の現在地を当てるという物もありある程度空の星は知っている。アスカがまた空を見あげると二人も空を見あげた。オーロラの様な異常発光は相当収まって来たので、星がよく見える。天頂近くには日本では見えない筈の白鳥座が見えた。双眼鏡を使えばアンドロメダ星雲なども見えるだろう。三人が空を見あげていると背後の戸が開きヒカリがやってきた。下にいる子供達の世話は、新潟からシンジ達が連れて来たセイコとハジメに任せている。中一と小六なのでそれなりに頼りに成る。

(どう?)

 ヒカリは携帯をアスカに見せた。

(ケンスケの言ったとおりセカンドインパクト前に戻っている。正確に言うと自転軸の公転面に対する傾きは以前より大きい四十一度程度。日本は今の自転軸から行くと経度は三十八度辺り)

 そう打ち込んだ携帯を見せると、アスカは腕を組んだ。

(じゃどうなるの)

 突きつけられたヒカリの携帯を怖い顔をして見ていたアスカは、自分の携帯に打ち込むとヒカリに見せた。

(ヒカリ達にとって経験のない冬が訪れるわ。しかも多分セカンドインパクト以前より厳しい冬がね。ケンスケのお手柄ね。これで余裕を持って準備できるわ。ケンスケは普段は役に立たないけどこういうときは役にたつわね)

 自分にも当てはまるようなことを見せた後、アスカはまた空を見上げた。

 翌日の朝に成るとマコはほぼ平熱まで下がり意識もはっきりして来た。マコの世話をハジメに任せてアスカ達はこれからの対策会議をする事にした。ハジメは小六の男の子でサッカーをやっている真っ黒に日焼けした健康優良児だ。怪我で弱っているマコを見て子供ながらも保護欲を刺激されたらしい。ユウイチ達とマコの世話をしている。もっとも幼稚園児でも女の子はおませなのか、マコを着替えさせたりなどはミツコがやると主張している。ともかく初対面の年少組達の仲はいまのところいい。

 昼前に医療室でユウイチ達がマコの世話や、生存者の探索をネットでやっている間、食堂で対策会議をする事に成った。ヒカリが議長でシンジ、アスカ、トウジ、セイコが端末を囲んでテーブルに着いた。セイコはハジメと共に新潟からやってきた。二人は従兄弟どおしで隣り合った家に住んでいたが、気が付くと二人で海の近くの公園の砂場に座り込んでいたらしい。その砂場は小さい頃二人でよく遊んだところだそうだ。セイコはほっそりとしたやたら髪の量が多い長髪黒髪の少女だ。最近では珍しい大きな黒縁メガネをかけている。外見通り読書家らしい。

 ケンスケがルナガーデン1の医療室の端末からアクセスした所で会議が始まった。

(まず相田君に昨日調べた事を発表して貰います)

 端末にはカメラも付いているらしく、ケンスケとアサミの顔が映っている。昨日の顔面の擦り傷はかさぶたに成ってかえって目立っている。二人の顔を見た時皆は軽い騒ぎに成った。ケンスケがとうとう襲ったのではと思ったらしい。もしそうなら撃ち殺してもいいとケンスケが言いアサミも襲われていないと否定し昨日起きた事を説明したのでそれで落ち着いた。ただ二人の約束は話してはいない。

 ヒカリが打込んだのをうけてケンスケがチャットを打込みはじめた。昨日あの後もう五回ほど天体観測をし、朝に成ってから太陽の観測もしてデーターをまとめたのでその結果を打込んでいる。

(結局結論としては三つ。一つ目、地球の公転軌道についてはデーター不足だけど、太陽の大きさと自転軸からいって多分変わっていない。二つ目、星の運行から見て自転軸はセカンドインパクト前とほぼ同じに成ったので多分季節がある。三つめ、自転軸の傾きと場所から言って季節変化はセカンドインパクト前より厳しく成る可能性が高い。この三つ)

 ケンスケが打込んだ事実は昨日アスカが説明したとは言え、やはり皆を戸惑わせた。特にヒカリとセイコは不安げに表情が歪んでいる。少しぼっとしているヒカリをアスカが肘で突っつくと、ヒカリはキーボードに手を伸ばした。

(次に惣流さんにその他の現状の報告をして貰います)

(いくつかあるけど重要そうな事から順に行くわ。一つ目、人類の数が激減した事、私達が把握している数は日本に十五人とカイロとバンクーバーに数名。基本的には滅亡したと言っていいわ。二つ目、この人類の減少は多分サードインパクトが起きたせいと考えられるが、実質上何が起きたかは全く判らない。三つ目、社会のハードウェアはほぼ無傷で残っている、但し第三新東京市とジオフロントは消滅しているのでネルフ所有のテクノロジーは少数を除いて使えない。四つ目、ハードウェアは無傷だけどメンテナンスする人員がいないからどんどん崩壊しているわ。私達が保全出来る物を除いて使えなく成るわ)

 実際ネットは昨日から繋がりにくく成っているし、携帯もほぼ繋がらなくなった。他にもトウジがネルフより支給されていたクレジットカードが使えなくなったので、外出先でEVに充電するのが大変に成った。セルフ給電のスタンドが使えなくなったので、本来なら店員が操作をしてくれる店でやるしかなく成った。いろいろな課金認証システムを支えているコンピューターがいかれて来たようで、他にもIDカードやキャッシュカードで動くシステムが使えなくなってきている。

(五つ目、自転軸がまた変化した為日本に四季が戻ってくるわ。一番の問題は冬の過ごし方ね。私以外は冬を体験した事が無いのが辛いわ。六つ目、自然自体は海を除いて変化がほとんど見られない)

 ここでアスカの手が止った。何かこれ以上打込みたくないかの様に震えている。やがてアスカは隣のシンジの方を向いた。シンジは軽く頷く。

(海水の解析結果から見ると、私は専門じゃないから詳しくはいえないけど、動物の細胞がばらばらになって溶けたみたい。脂肪やアミノ酸などがコロイド状に成ってる。私達全員が海の近くで目覚めている所から見ても、あの赤い海は人類の成れの果てだと思うわ)

 そこまで打込むとアスカは周りを見た。皆言葉の意味が頭にすぐには入って来ないらしい。ぼけっとしている。

(私達がどうして戻ったのか判らないけど、今の海は腐ってきているわ。だからこれ以上海から人が戻ってくるとは思えない。だから私達が生き延びなければ人類は滅びるわ)

 なんとなくそれで意味が実感出来たらしく、ヒカリはアスカを泣きそうな瞳で見つめた。何か打ち込もうとしたときアサミが打ってきた。

(もうお母さんに会えないの?)

(多分会えないわ。そう覚悟して生きた方がいいわ)

 アサミの顔が歪むと画面から消えた。ケンスケが慌てて追いかけてやはり消えた。アスカ達は心配して画面を見ていたがすぐに二人は戻って来た。ただ我慢はしているがアサミの目尻からは涙が溢れている。もっともこちらも大して差は無い。ヒカリは顔を押えてトウジに寄り掛かっているし、セイコは俯いて震えている。テーブルの上で震えている右手にアスカが左手を乗せると自分の左手を重ねて握り締めた。

(続けるわ。七つ目、一部の動物特に猫が狂暴化しているわ。八つ目、ルナガーデン1が完全稼働して、これからの私達の生活拠点に成りそうね。そんなところ)

 アスカは打込む手を休めて辺りを見回した。ヒカリはトウジの胸でまだ泣いているし、トウジは落胆の色が隠せない。シンジやケンスケの表情にあまり変りが無いのは、もともとこの世界が嫌いでないからかもしれない。逆にセイコはテーブルに突っ伏して泣いている。アサミは涙はボロボロ流しているが口を一文字に結んで耐えている。

(リーダーとして皆に提案するわ。生き延びようよ。私達が生きている限り、思い出を捨てずに生き続ける限り、誰かがいた記憶は残るわ。私はやっとこう言える。私を殺そうとした事も含めてママが好き。だからママの思い出を語りたい。ママの様にママになりたい。子供に話して上げたい。だから生き延びる。また人類がいっぱい増えて幸せに成れるようにね)

 そう打ち込むとまた手を止めた。一番初めに反応したのはアサミだった。口を一文字に結んだまま頷いた。昨日ケンスケとの話で覚悟がある程度できていたし先ほども暴れて発散しているのだろう。アスカはキーボードから左手を離しセイコの頭を撫でた。

(サブリーダーとして提案)

 今度はシンジがキーボードに手を伸ばした。

(現実的な話でもそうするしかないと思う。冬が来るし。ただ年少組には教えないで誤魔化すしかないと思う。ハジメ君には後で誰かが教えないとね。議長20分間休憩を提案します)

 シンジがそう打込んだが、ヒカリはトウジの胸で泣いたままだ。シンジがトウジ達の方を見るとトウジは頷き、ヒカリを胸から離して画面を見せる。ヒカリは手で顔の涙をふき取るとキーボードに手を伸ばした。

(30分にしましょう。休憩にします)

 ヒカリは立ち上がるとトウジの手を引いた。トウジは手を引かれるままヒカリと一緒に部屋を出て行った。アスカはセイコの頭を撫でていたが、しばらくして肩を叩いた。セイコは少しして顔を上げた。アスカが指差す画面をセイコが見たところで、アスカはまた打込んだ。

(ハジメ君に教えないとね。一緒に行ってあげる)

 しばらくしてからセイコは頷いた。

(僕は年少組見てくる)

 シンジはそう打込むと部屋を出て行き、しばらくしてアスカとセイコも立ち上がって部屋を出ていった。画面の前から皆消えたせいか、ケンスケ達も画面から消えた。

 トウジとヒカリは建物の外に出ると日陰に行き外壁にもたれ掛かり並んで座り込んだ。ヒカリはトウジの肩に頭を乗せてぼけっと空を眺めていた。何となく空が涼しげに見えるのは、そのうち冬が来ると聞いたからかななどとぼけっと考えてみあげていた。しばらくするとトウジが携帯をヒカリの目の前にかざした。

(惣流と碇はリーダーとサブリーダーに成った。ケンスケは知恵袋。イインチョは何に成る?)

 ヒカリは携帯の文字を読むと頭を立ててトウジの方を向いた。いつもの様な照れ臭そうなトウジの顔があり少し安心した。携帯を受け取ると考えた。

(判らない)

(クラスのおっかさんって言われてたやろ、皆のお母さんがいい)

 トウジは携帯を受け取るとそう打込みまた渡した。その携帯を顔の前でじっと見ていたヒカリはまた打込んだ。

(トウジがお父さんに成ってくれるなら)

 そう打込まれて戻さた携帯をしばらく見ていたトウジはそれを折り畳むとポケットに入れた。

 そしてぎこちなく、けど優しくヒカリを抱き寄せて頭と頭をくっつけた。休憩が終るまでそうしていた。

つづく

■まっこう

■INDEX

inserted by FC2 system