第七章 再会

 カヲルは施設まで着くと自分達が住んでいる宿泊用の建物の部屋にレイを連れて来た。泣きながら怯えて床にうずくまろうとしたレイに、とにかくシャワーを浴びて噛みつかれた部分を綺麗にする様に言った。レイは他の事には気が廻らないらしく、泣きながら服を脱ぎ全裸になりユニットバスに入った。カヲルは失禁とワインと血で汚れたレイの服を見ていたが、まとめて袋に詰めると部屋を出て廊下の一番端のランドリールームに行き洗濯機に叩き込んだ。
 部屋に戻ると救急箱を棚から取りテーブルにつく。暫くはレイのシャワーの音を聞いてぼんやりしていたが、やがてキッチンに向かい冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを取り出しコップと共にテーブルに置く。やがてレイが大きなバスタオルで胸から下を隠してユニットバスから出てきた。

「着替えたら来てくれないかい。足を看ておいた方がいい」

 カヲルはあまり意味の無い微笑みを浮かべてレイに言った。さっぱりして逆に周りの事が見える様に成ったレイは、自分がタオル一枚で立っている事を思い出したようだ。慌てて部屋を出て行った。しばらくしてワンピース姿で戻って来たのは、レイなりに足の治療がしやすい服装にしたのだろう。

「椅子に座って」

 レイは頷くと椅子に座り足を投げ出すようにした。レイは左足はふくらはぎ、右足は太股に噛みつかれていた。カヲルは床に座り込みまずレイの左足のふくらはぎを手に取った。もう血は止っているが、猫の歯の跡が並んである。一ヶ所だけ皮膚を食い破って喰い込んだ跡がある。

「消毒するよ」

 カヲルは救急箱からピンセットと滅菌ずみの脱脂綿を取り出した。スプレー式の殺菌薬も取り出し傷口に吹き付けた。しみるのかレイの足が一瞬揺れた。ピンセットで脱脂綿を取ると殺菌薬を吹き付けて、牙のあとを押し込むように拭う。

「いた」

 レイが声をあげた。以前と違い痛みにも敏感に成っている様だ。カヲルは傷口を綺麗にすると絆創膏を張り付けた。

「めくってくれないかい」

 ワンピースの裾の事だ。右足の咬み跡は太股だ。

「あの」
「どうしたんだい?」

 カヲルは不思議そうにレイの顔を見あげた。

「恥ずかしいのだと思う」
「なるほど。自分で手当てをするかい?」
「太股の裏だからできない」

 レイはそう言うと裾をまくりあげた。カヲルは早速咬み跡を調べた。ふくらはぎより深く喰い込んだような跡がある。それに軽く裂けている。まず殺菌薬を吹き付けた。またレイの身体が揺れた。

「結構深くまで咬まれている。いたいと思うから我慢して」
「判った」

 レイの声は震えているが、カヲルは全く容赦せず脱脂綿で牙のあとの内側を拭う様に綺麗にしていく。

「痛い、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 レイは左ひざの上に両手を置いて身体を震えさせながらどうにか耐えている。

「いたぁぁ」

 カヲルが一番奥の方を脱脂綿拭った。

「ん?」

 レイの左腿にそってちょろちょろと一筋小便が滴れて行った。痛くて失禁したようだ。

「ふうぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

 レイが大声で泣き出したが、カヲルはまったく気にせず側にあったタオルを渡し股間に当てさせて治療を続けた。




「さっきの酷いと思う」

 治療が終ったレイはタオルで股間を押えたまま部屋を出て行った。隣の自室に入ったのだろう。派手に泣き声が聞こえて来た。カオルは椅子の失禁のあとなどを綺麗にした後、昼食の用意をはじめた。今日はパスタにするつもりだ。用意をしていると違うワンピースに着替えたレイが部屋に入ってきた。冷蔵庫から取り出したパスタソースの缶詰をテーブルに並べて選んでいたカヲルは、怒っているらしいレイの声に顔を上げた。

「何がだい?」

 とはいえレイの表情はいつもと変わらない。カヲルもいつもの笑顔だ。しばらくカヲルの顔を見ていたレイは、テーブルに寄って来た。

「多分君が失禁したのを無視して治療を続けた事を言っていると思うのだけど、あそこで止めてもいい事はないはずだよ」
「そう」

 レイはテーブルの椅子に座った。

「だけど」

 言ってから、訳も判らず溜め息をついた。

「恥ずかしいという感情なんだね。理解はしいるつもりだが僕には強弱や程度が判らない」
「私もよく判らない。だけど、酷いと思う」
「そうかい。悪かったね」
「心がこもっていない」
「心はどうすればこもるんだい?」
「よく判らない。多分私にとって気持ちがいい事をしてくれればいいのだと思う」
「なるほど。では食事のソースはどれがいい?」

 言われてしみじみと缶詰を見た。しばらくして一つの缶をつまみあげた。

「サーモンと小えびのクリームソース」
「これなんかどうだい?シンジ君が好きだって言っていた」

 レイは視線をちょっぴり動かした。

「駄目。肉嫌いだから」




 サーモンと小えびのクリームソースはそれなりに美味しかったのか、レイはその後先ほどの事については何も言わなかった。カヲルがいれてくれたコーヒーをぼんやりと啜っていた。

「味はどうだった?」
「美味しかった。ソースは。パスタは茹で過ぎ」
「なるほど」

 カヲルはノートになにか書きはじめた。今日の料理のメモだろう。

「ところでさっきの事だけど」

 カヲルはノートから視線をレイに移した。

「僕はどうすればよかったのだろう?」
「さあ」
「あの場合まず治療が先決だと思うし、君が失禁することは予想範囲外だったしね」

 面と向かって失禁と言われてレイは頬が真っ赤に成った。

「痛みで失禁することは自然現象で変な事ではないのじゃないかい?」
「それは、恥ずかしいと習ったからだと思う」
「習った?」
「昔の私は習った事と実際の感情が結びついていなかったから。あまり」 「説明に成っていないね。ともかく君を見て学ばせて貰うよ。ところでこれから外出する時はしっかりと武装して二人で出た方がいいね」
「そうする」

 今度は猫達を思い出したのか、レイの頬が軽く痙攣した。その様子を見ていたカヲルは立ち上がるとレイの横に来た。腰を折る。

「君をシンジ君達の所へ届けるまで、僕が守る事にしよう。多分それはいい事じゃないのかな」
「そう、ありがとう」




 結局レイはその日それ以降建物にこもった。夜屋上での観測もしなかった。カヲルが作った夕食を取った後すぐに寝る事にした。少し熱が出てきた事もある。二人で話した結果、一般人ならどうということはない傷口から入った雑菌が悪さをしているのではないかという結論に達した。今の二人には薬を使うのは危ないのでとにかく寝る事にした。
 レイが自分の部屋のベッドでうつらうつらし始めた所で悪魔の鳴き声が聞こえて来た。

 にゃぁ~~
 みゅぅ~~

 数匹の猫の鳴き声だった。レイはベッドの中で身を縮こませた。毛布を頭から被る。暫くそうしていると猫の声が聞こえなく成ったので頭を出した。窓の方を見た。瞬きをしてから毛布を剥ぎベッドを降りた。窓の前に行きカーテンをよけた。

「きゃぁ~~」

 絹を引き裂く悲鳴とはこの事だ。猫が二匹目を光らせて窓枠に前足をかけて室内をうかがっていた。もちろんガラス窓はあるので入れる訳ではない。
 レイはその場にぺたんと座り込んで目を瞑り悲鳴を上げ続けた。腰の辺りを中心に湯気が立ちはじめた。また失禁したらしい。元々水分の保持能力が低い為水をやたら飲む事もある。しかも身体のコントロールも今一歩だ。神経系筋肉供に制御が完全ではない。癖になったのかもしれない。
 そのまま悲鳴を上げ続けていると、すぐにカヲルがやってきて部屋の灯をつけた。そのせいか猫は夜の闇の中に消えて行った。

「どうした」
「ねこぉ」

 カヲルの声に振り向こうとしたが足が震えて横倒しに成った。カヲルが抱き起こした。

「ねこ、ねこ」

 レイは涙を派手に溢れさせて、カヲルに抱き付き泣き続けた。少し臭いなと思いつつもカヲルはレイを抱きしめた。




「カヲル君もこっちの部屋に寝て」

 着替える間目を瞑っていたカヲルがいいよと言われて眼を開いた後のレイの第一声がこれだ。
 しばらく泣いていたレイが少し落ち着きを取り戻したので、まずシャワーを浴びさせた。汚いという事も勿論あるが、シャワー好きのレイはシャワーを浴びると落ち着くという事もある。レイはベッドに座って呟き声で言った。

「僕は恐くないのかい?」
「恐くない。性行為が恐いだけ」
「でも僕が性行為を強要するかもしれないよ?」

 そう言われて黙って俯いていたレイだが、また鼻をすすりはじめた。涙がまた頬を通り顎から滴る。

「まだ猫よりはいい」
「そうかい。どのみち今君と性行為をするのは得策じゃない。君は感染症で発熱しているし、強要された性行為は友好関係を壊す事になりそうだ」

 カヲルは立ち上がると机の上に置いてあるタオルを手にレイの前に来た。しゃがんだ。

「こちらの部屋はベッドが一つしかない。僕の部屋に行こう」

 レイにタオルを渡すと手を取った。レイは鼻をすすりながら立ち上がった。そのまま手を引いて隣のカヲルの部屋に移った。レイがベッドに潜り込むと部屋の灯を消して自分ももう一つのベッドに潜り込んだ。

「ところでキスは性行為の内なのかい?してみたいのだが」
「じゃないけど、よして欲しい」
「なぜだい?」
「判らない」
「じゃあ、君を守る対価としてでどうだい」
「卑怯だと思う」
「なるほど」
「ただ、それなら諦める。熱が下がったらしていい」
「じゃ楽しみにしているよ。おやすみ」
「おやすみ」




 翌日レイはいい香りで目を覚ました。ご飯の炊け上がる香りとみそ汁の香りだ。キッチンの方から鼻歌が聞こえるのでそちらを見るとカヲルの後ろ姿が見えた。水色のエプロンを着けて卵焼きを作っている。しばらくぼんやり見ていたが、腰の辺りが気持ち悪いのに気がついた。恐る恐る上半身を起こして毛布を剥いだ。レイは暫く腰の辺りを見ていた。

「ううううぅあぁぁぁぁぁぁぁん」

 やがて涙がこぼれ落ち声をあげて泣きはじめた。

「どうしたんだい」

 泣き声にカヲルが振り向いた。

「駄目、来ちゃ駄目ぇうぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

 レイはお漏らしをした股間を手で押えて大口を開けて泣き続けた。




 結局あの後長い間泣いていたレイだが、やがて泣きやむと鼻を啜りながら立ち上がりシャワールームへ向かった。二人分の料理を作ったカヲルは食卓の用意をした。レイはまだシャワールームなので敷布や毛布を片づけてランドリールームの洗濯機に叩き込んだ。食卓で待っていると大きなバスタオルで胸と腰を隠したレイが出てきた。そのままテーブルまで来ると椅子に座った。

「着替えてきたらどうだい」
「もういい」

 また昔の無表情な時のレイに戻ったような抑揚のない声だった。自分の目前の目玉焼きを見ている。

「何故だい?君は自分の裸を隠していたのではないのかい?」
「判らない。ただもういい」
「それは自暴自棄という行動かい?」
「かもしれない」
「ともかく、服を着てきた方がいい。僕達にとって風邪でも致命的に成る可能性がある」
「そう、ね」

 レイは立ち上がった。そのまま部屋を出て行った。ワンピースに着替えてきた所で食事にした。

「君の失禁なんだけど」

 朝食が終りカヲルのいれてくれたお茶を啜っていた時の事だ。

「病気なのではないかい?」
「病気?」

 俯いていたレイは上を向いた。

「もしくはこの世界に来た時、完全には再現されなかった肉体の機能があったのかもしれない」
「そう」

 レイはまた俯いた。しばらくするとテーブルクロスに涙がぽたぽたと滴れ始めた。

「泣く事はないのではないかい?」
「辛いから、泣いているの。きっと」
「そうか」

 カヲルはそう言うとお茶を啜った。

「シンジ君達のところに行こう。もし君が病気ならすぐに何かしら手を打たなくてはいけない。この施設にある医療機器は高度過ぎて使えないが、シンジ君達が使っているらしいルナガーデン1には完全自動の診察用スキャナーと医療機器があるよ」
「でも」
「躊躇する理由は無いと思うよ。今は失禁だけだがもし病気だったら危ない」
「そう」
「では早速行くことにしよう。用意もあるから明日でいいかい?」
「ここの設備が再度使えるように、機械は出来るだけシャットダウンした方がいいと思う」
「なるほど、ではそれが出来次第だね」

 結局その日は施設を調査して廻った。真面目に調査してみると二人では手に負えない設備がほとんどで、鍵をかけるぐらいしかやる事がないのも判った。それに昼ごろに成るとレイが発熱をしてきたので中止に成った。

「化膿しているね。痛いかい?」
「痛い」

 絆創膏の下は膿んでいた。ベッドで下半身はショーツ一つだけで寝ているレイは、熱っぽいせいで恐怖心も羞恥心もわかないようだ。そのままカヲルの診察を受けている。どうやらレイの尿失禁は常態でも起きているらしくショーツが湿っている。やはり熱のせいで気がつかないようだ。

「ぐずぐすしてはいられないね。今すぐ行こう。急げば日が落ちる前に着く筈だ」
「わかった」
「君は寝ていた方がいい。準備は僕がするよ」

 カヲルは膿をふき取り消毒して、滅菌ガーゼを当てて絆創膏で固定した。立て膝だったレイの足を伸ばしてやりきちんと毛布をかけた。

「ありがとう」
「いいよ。その代わり治ったらセックスをさせてくれないかい?」
「うん、えっあっその」

 淡々と言われたので思わず返事をしたレイは慌ててしどろもどろに成った。

「まあいいさ、ところでまた少し失禁をしているようだ。自分で判るかい?」
「判らない。感覚が変」
「オムツをするかい?」
「少しなら生理用のナプキンでいいと思う。使った事がないけど」
「では手に入れて来よう」

 そこでカヲルは不思議そうな顔付きに成った。

「こんな話をして恥ずかしくないのかい?」
「慣れてきた。カヲル君と私はある意味分身同士だし、そう考えたらあまり恥ずかしくなく成った」
「そうかい。それじゃ準備が出来るまで寝ていてくれ」
「うん」

 レイは目を瞑った。すぐに少し乱れた寝息が聞こえて来た。




 次にレイの目を開いた時、少し離れた所にカヲルの顔があった。じっとレイの顔を見ていた。辺りがだいだい色に染まっているのは夕日が部屋に差し込んでいるのだろう。頭に冷たい物が乗っている。氷を何かに包んだ物らしい。

「何をしたの?」
「特に何も。ただ女性の顔は綺麗なものだと思って見ていた」
「そう」

 何か言ってやろうと思ったが元気がでない。熱が下がっていないらしい。そう思っているといきなり口に体温計をつっ込まれた。しばらくそのままでいると電子音がしたのでカヲルが引き抜いた。

「未だ下がっていないね。出発の準備は出来たが夕方に成ってしまった。僕の視力では運転は危ない」
「そう」
「思い切ってさっきシンジ君達にメールを打ってみた」
「そう」
「驚いていた。向うでは変な事が起きているらしい。言葉が通じないそうだ。ともかく惣流さんと洞木さんがすぐに向かったそうだよ。もうそろそろ着くのではないかな」
「着替えたい」

 レイは上半身を起こそうとしたが力が入らない。

「動けない」
「そうかい。僕が着替えさせればいいのかな。それとも惣流さんに頼むかい?女性同士の方がいいのではないのかい?」
「そうする」
「じゃ来るまで寝た方がいい」
「そうね。ところで私の唇は柔らかかった?」
「バレたかい?」
「目覚めてたから」
「悪かった」
「今回は許すわ。だけど今度からは駄目。不意打ちは卑怯な事」
「不意打ちでなければいいのかい?」
「考えとく」

 カヲルの顔に何か変わった表情の様な物が浮かんだのを見てレイはまた眠りに落ちた。

 今度はそれ程眠らなかったようだ。部屋は灯がついていた。夜に成ったようだ。熱は少し下がったようで意識が少しはっきりした。

「喉乾いた」
「起きたのかい」

 下の方から声がした。カヲルはベッドの横にもたれ掛かりぼんやりしていたらしい。立ち上がると冷蔵庫に行きオレンジジュースの紙パックとコップを持ってきた。レイが上半身を起こすと、コップにジュースを注ぎ渡してくれた。

「美味しい」

 口にしたジュースが胃に広がって行く。その感触に思わずレイは微笑んだ。

「どうしたの」

 カヲルがじっと顔を見ていた。

「女性の笑顔というものは美しい物なんだね」
「そう?みんなはまだなの?」
「みたいだ。少し元気に成ったようだね」

 今度は体温計を手渡されたので自分で咥えた。測ってみると確かに体温は下がっていた。しばらくカヲルの持つ体温計を見ていたレイだが、急に足を床に降ろした。立とうとしてよろける。

「どうしたんだい」

 カヲルが慌てて支えた。

「あの、トイレ」

 少し頬を染めてレイが言ったので、カヲルはレイに肩を貸す様にトイレまで連れて行った。レイがパジャマの下を降ろした所で便器に座らして外に出た。しばらくしてレイが細い声で呼ぶのでトイレに入るとぐったりと便器に座り込んでいた。

「目が回った。ショーツとパジャマを上げて運んで」
「わかった」

 カヲルは下着とパジャマをはかせてから抱き上げベッドまで運んだ。

「ありがとう」

 カヲルは毛布を掛けてやる。そのあとカヲルはレイの顔をじっと見ていた。

「どうしたの?」
「怖くないのかい?ショーツを上げるときに君の性器の周辺に触れたわけだし、今の君は僕が性行為を迫っても逃げられないよ」
「怖いけど、パニックには成らなくなってきた。この身体に少しずつ心が慣れてきたのだと思う。それに今私に無理矢理性行為をして私の病状が悪化してカヲル君に利益になることはないから」
「なるほど。だが、今の僕達は人間だよ。そんなにいつも理論的かな」
「そうね。でもそれもいい経験かもしれない」
「判ったよ」

 カヲルはベッドの脇にかけてあるタオルでレイの顔や頭を綺麗にした。

「もう少しで惣流君達も来ると思うよ、寝ていた方がいい」
「うん」
「キスしていいかい?」
「今は熱で感覚がないから後で」
「判ったよ」

 カヲルは端末がある作業机に行き何か調べはじめた。そのタイピングの音を聞いているうちにまた眠りに落ちた。




「ファーストの容態は?」
「綾波さんの容態は?」
「熱は下がって来たようだ」

 声が聞こえて来たのでレイは目を覚ました。声の方へ目を向けるとカヲルにアスカとヒカリがレイの容態を聞いていた。相変わらずアスカとヒカリの間では声が聞こえないようで同じ事を聞いている。

「来てくれたの」
「ファースト」
「綾波さん」

 レイの声にアスカとヒカリは同時に振り向いた。二人はベッドに近寄った。

「あんたと会えて嬉しいって始めて感じたわ。ファーストも声聞こえるのね」
「ええ」
「よかった。ファーストはここの施設にいた事があるのよね」
「うん」
「医療データーも残っている可能性があるでしょ。私はそれを探すわ。ヒカリ、ファーストの世話頼むわ。フィフス通訳」
「惣流君は綾波君の医療データーを探すそうだ。綾波君の世話を頼みたい」
「判ったわ」

 ヒカリはそう言い頷いた。

「じゃフィフス案内、ヒカリ頼むわ」

 アスカはそう言うと部屋を出て行った。肩を竦めてからカヲルも出て行った。

「綾波さん、何かして欲しい事はある?」
「着替えたい。また失禁してるみたい」
「判ったわ」

 ヒカリは毛布を剥ぐとレイのパジャマを脱がした。全身汗だらけのレイだが、股間は明らかに汗ではない濡れ方をしている。ヒカリは下着のありかを聞いて持ってくると、レイを裸にした。

「綾波さんって脱ぐと凄い」

 思わずヒカリは呟いた。確かに全体的にはほっそりしているくせに、胸は結構豊かだ。ヒカリはその豊かな胸の辺りからタオルで拭き始めた。顔を拭いて手足を拭いた後、腰の辺りを拭いた。

「私、漏らしてる?」
「ええ」

 ヒカリはレイの股間を綺麗にした。下着を着けさせるとそれでとりあえず側の背もたれがある椅子に座らせる。レイの汗や尿で汚れたシーツをベッドから剥がし棚にあった物と取り替えた。レイをベッドに寝かせた後テーブルに行くと紙袋を取ってきた。

「綾波さんって生理用品使った事有る?」

 ヒカリは紙袋から生理用ナプキンを取り出しながら聞いた。

「無い」
「じゃ教えてあげる」

 ヒカリはオムツ代わりのナプキンの着け方を教えた。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 ヒカリはまたベッドに寝たレイの顔の汗を拭く。しばらくそうしていた。

「ねえ綾波さん、綾波さんって使徒だったって本当?」
「本当よ」

 しばらく経ってからレイは呟いた。ヒカリはレイの顔をじっと見ていた。

「今この世界がこんなに成っているのは綾波さんのせいもあるの?」
「少しはあるかもしれない」
「そう。恨み言、言っていい?」
「いいわ」
「ノゾミに、お姉ちゃんにお父さんに会わせてよ。私が大きくなって結婚して穏やかに暮らすはずだった世界を返してよ」
「ごめんなさい」
「私こそごめんなさい」

 ヒカリはレイの汗を拭く。

「今世界の人口何人ぐらいだか知ってる?」
「判らない」
「アスカ達と無線で探したのよ。モールス信号のアマチュア無線使って。世界中で千人以上はいるみたい。無線とか無い所にはもっといるから、一万人ぐらいはいるんじゃないかって。上手く行き来する事ができればどうにか人類は滅びないかもしれないだって」
「そう」

 レイはじっとヒカリを見ていた。

「えっあっ、どうしたの」

 ヒカリが慌てたのはレイの右目から涙が一筋溢れたからだ。

「判らない。嬉しいのか悲しいのか判らないけど、涙が出た」
「そう。きっと嬉しいのよ」
「そうね」

 レイは微笑んだ。

「綾波さんって笑うと本当に美人ね」
「普段は醜いの?」
「違うわよ、全然違う。普段から美人よ」

 ヒカリが慌てて言うとレイの笑みが濃く成った。

「良かった」
「うん」

 ヒカリは照れ隠しなのかまたレイの身体をタオルで拭い始めた。




「さすがに重要書類で紙は無しか。あんたの指紋や虹彩パターンは鍵代わりにならないの?この施設は私の指紋も効果ないし」
「無理みたいだ。僕も綾波さんのも試したけどね」

 アスカとカヲルは医療室がある建物の一室でレイの医療データーを探していた。元々期待はしていないが、あればレイやカヲルの生存率があがる。二人はレイが昔治療を受けていた部屋をあさっていた。

「ところで、アンタ私がぶっ壊れてた時弐号機をいじったんだって?」
「そんな事もあったね」
「後でぶん殴るから」
「お手柔らかに」

 そんな事を話しながら三十分ほど探していたが、流石に無駄と判断して捜索はやめることにした。

「で、アンタ達はこの二週間何をしていた訳?」

 諦めて建物から出るとEVに乗って宿泊施設に向かった。

「この世界とこの身体に慣れる為のトレーニングという所だね」
「アンタ、ファーストを襲ったりしなかったでしょうね」
「この身体に成って、セックスに興味が出てからやらせて欲しいと頼んだよ」
「はぁ~~?」

 運転しているアスカの呆れ顔が判る様な声がした。

「駄目と言われた。ただキスはさせて貰えそうだよ」
「シンジよりアホがいるとは」
「シンジ君は元気かい?」
「子供達の世話で大変よ」
「なるほど。ところで君はシンジ君とセックスはしたのかい」

 急に言われてアスカはブレーキを踏んでしまった。横を向く。

「なっ何を言ってんのよ」
「君は補完空間での事を覚えていないのかい?」
「なによそれ?」
「シンジ君に向かって、シンジ君の全部が欲しい、そうじゃなければいらないと喧嘩腰で迫ったりしていた。ならこの世界でセックスぐらいしてそうだと思ったのさ。もっともその後、逆にシンジ君といるなんて死んでも嫌なんて言ってみたり」
「そうなの」

 アスカはカヲルの顔をじっとみつめた。しばらくして前を向きEVを発車させた。

「そんな事をした様な、してないような」
「していたよ。あまりに激しく言ったからシンジ君が切れて首を絞めていたようだが」
「へっ?そう言えば」
「その時シンジ君がアスカの声なんて二度と聞きたくないって言っていたよ。この世界で皆の声が聞こえないのはそのせいかもしれないね」
「それ、本当なの?」

 珍しくアスカが怯えたような声を出した。

「可能性の一つだよ。ただあの時点でシンジ君はまだサードインパクトの中心にいたから、言動がこの世界に影響してもおかしくはないね」
「もしそうなら私のせいでもある訳」
「一部」
「着いたわ」

 そう言いアスカはEVのライトを消した。辺りは星明かりで微かに光ってみえた。猫はいないようだ。

「そうすると自業自得ね。最近シンジの声が聞きたくって堪らない事があるわ。悔しいけど」
「それは大変だね」
「あんた感情こもってないわね」

 アスカはカヲルの顔を睨みつけたが、カヲルの表情は変わらない。

「まだそんなに持っていないからね」
「まあいいわ。今の事はシンジとファースト以外には内緒よ」
「責任回避というものかい?」
「それが無いとは言わないわ。ただ当分はリーダーである私は間違っていない、私の言う事を聞いていればとにかく大丈夫って思わせたいから。無謬性とか言うのよね。ともかくそれが今を乗り切るのに必要なのよ」
「判ったよ。ところで君は綾波さんの事をファーストと呼ぶんだね」
「習慣よ」
「なるほど」

 そして二人はEVを降りると、建物に入って行った。




 結局その夜は皆の元へは行かなかった。レイの熱が下がって来たこともある。レイ、アスカ、ヒカリで一緒に寝てカヲルは別の部屋に寝る事と成った。
 翌日レイの熱は随分下がったが、やはりシンジ達の所へ行く事にした。アスカとカヲルで施設の建物をまわり出来るだけ鍵をかけた。侵入者がいるとは思わないが、野生動物のすみかにでもされたらたまらない。二時間ほどでチェックが終ると、ヒカリが作った昼食をとって出発と成った。

「綾波さん」
「何?」

 ワンボックスの運転席にはアスカ、助手席にカヲル、後部座席にレイとヒカリが座り出発だ。甲府街道を中央高速に向かって進んで行く。

「綾波さんってずっとアスカの事セカンドって呼ぶの」
「判らない」
「もうEVAに乗らないのだし、アスカの方がいいと思うの。アスカは意地っ張りだから自分からは絶対名前を呼ばないし」
「考えとく」

 レイはそう言うと目を瞑った。




 車が揺れたので目を覚ますと、一般道を走っていた。赤い色の海に面した道を太陽に向かって走っている。

「どこ?」
「あと20分も走れば着くわ。今は海の方にはシンジとハジメがいるわ」

 アスカは振り向かずに運転を続けながら言った。レイはアスカの後頭部を見て、横を見た。ヒカリは眠りこけている。疲労は溜まっているのだろう。カヲルは前を向いたままだ。

「ハジメ?」
「生存者の一人よ。小六の男の子」
「海?」
「海辺の研究室の方ってこと」
「ファースト、単語で話すのはやめなさいよ」
「判ったわ、アスカ。碇君は優しい?」

 少し車がよろめいたのはアスカが動揺したのだろう。

「優しいって何よ」
「言葉どおり」
「アイツから優しさをとったら何が残るのよ」
「うじうじしたところ」
「あんた本当にファースト?」
「ファーストと言うより綾波レイ」
「あっそ。判りました綾波レイさん」

 アスカは肩をすくめると運転を続けた。

「ところで、レイ。あんた今人間よね」
「そうみたい」
「どう違うの?」
「判らない。使徒だった時、前の身体、もうよく判らない。前は判っていたと思うけど」
「そう。神様っているの?」
「もう判らない」
「そう」

 またアスカはしばらく運転を続けた。

「アンタ達やっぱり堕天使と言うのかな」
「かもしれないね」

 今度はカヲルが答えた。

「ただ、悪い事じゃないと思うよ」
「私もよ。これで本当にアスカ達の事が判る」
「なんかあんた本当に普通の人間って感じ」
「そう、悪い?」
「つまんない。あんた化け物の方がいいわ」
「アスカって私の事いろいろ考えてたのね」
「まあね。嫌な奴って」
「今は?」
「数少ない仲間」
「ありがとう」
「どういたしまして、さあそろそろよ」

 大きな交差点を左に曲がるとEVはひたすら道沿いに進んだ。そのうち海沿いの商店街に到着した。しばらく進むとまた左に曲がり海辺に向かう。すぐに研究所が見えて来た。アスカはクラクションを鳴らした。研究所の前にEVが止まるのと、シンジとハジメが出てくるのはほぼ同時だった。カヲルとレイは先に降り、アスカは振り返りヒカリを揺り起こし始めた。
 カヲルとレイはシンジの前に立った。シンジは二人の顔を交互に見て口を開きかけては閉じる事を繰り返していた。ハジメはそんなシンジとレイ達を交互に見あげていた。

「碇くん、家族が帰ってきたらなんて言うの?」

 レイは優しい微笑みを浮かべて小首を傾げた。シンジはレイの顔をじっと見て、カヲルの顔を見た。カヲルも優しい表情を浮かべて頷いた。

「綾波、カヲル君、お帰りなさい」
「ただいま」
「ただいま」

 レイ達の後ろで腰に手を当てて仁王立ちしていたアスカがやれやれといった感じで肩を竦めた。

つづく

■まっこう

■INDEX

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