「はるのうららのすみだがわぁ~~」
ルナガーデン1の二階の南側にある会議スペースは教室に成っていた。今は音楽の時間だ。相も変わらず歌はいいねぇなどと言いつつカヲルが指揮棒を振り教卓の後ろで歌い、年少組の子供達が立って歌っている。リズム感ならあるわよと妙に気合いが入っているアスカが、街の楽器店で探して来たキーボードを弾いている。
はじめはお互い声が聞こえないのに皆で歌う事に意味があるのか?とシンジ達は思っていたのだが、やってみると何となく皆が歌っているのが判り一体感が生れるのが判った。その為毎日皆で必ず歌うことにしている。
「じゃあ、一休みしようか」
「はぁい」
やはりおしゃべりが出来るのは楽しい。その為来て一週間経ったがカヲルとレイの周りにはいつも誰かいる。二人とも見た目もいいので、おませな年少組の女の子はカヲルにべったりとくっついている。
アスカの方は年少組の男の子に人気がある。要は相撲をしたり木登りなどの相手をしてくれるからだ。
「じゃそろそろ頼むわ」
アスカが年少組の男の子と相撲をして上手投げで投げられた所で休みも終わりにする事にした。
「薪拾いだったね」
「そっ」
まだ夏ではあるが冬に備えての準備を始めている。皆で集めた薪を使って木炭を作る予定だ。ルナガーデン1の工作機械を使って蒸気機関を作り木炭自動車を作る予定もある。
「そろそろ薪拾いに行くよ。着替えて出口の前に集合して」
「はぁ~~い」
年少組の声が響いた。皆身振り手振りやホイッスルなどを使い声はせずとも騒がしく部屋を出て行った。
「それにしてもあんたもてるわね」
「そうかい。惣流君の方が人気者じゃないかい」
「よく言うわね。ともかくアンタとレイが来てくれて助かったわ。これで私達は話し言葉という文化を捨てなくてすむし」
二人で廊下を食堂の方へ向かって行く。
「それは光栄だね。ところで」
「だめ。あんたレイを口説いているんでしょうが」
「性行為と恋愛は違うのではないのかい?」
「ともかく、セックスしたいのならレイに頼んで。初志貫徹よ」
「まあ、そうするか」
そんなとぼけた会話をしつつ食堂に着いた。
「授業ご苦労様」
綺麗な声が迎えた。色白で骨太の女性が微笑んでいた。アスカは聞こえた訳ではないが挨拶がわりにウィンクを返す。
「根岸さんの調子はどうですか」
「まだまだ計画書の概要も書けてないわ」
手にノートを持ち振ってみせる。アスカは近づくと机に置いてある端末に手を伸ばした。
(いつ頃出来そう?)
(概要は三日ぐらいかな)
キーボードを叩くと不器用に肩を竦めてから、くすくす笑いをした。
(私の家は米作農家だったけど、私は家の手伝いしない不良娘だったから)
(でも助かった。農業経験者が現れて)
(役に立てて嬉しいわ)
根岸モトミはそう打込むと立ち上がり机の端のポットを持ってきて二人にお茶を入れた。四日前アスカが第三新東京市跡を再調査に行った時、ふらふらに成って歩いているところを見つけて連れて来た。新潟で米作をしている農家の次女で高一だそうだ。気が付くと自分の部屋で寝ていて周りには誰もいなかったそうだ。新潟県の各地を廻ってみたが誰もいなかったので一番人がいそうな第三新東京市に自転車で向かったそうだ。
ただ第三新東京市付近の山中でパンクしてしまい、着いた時には精根尽きはててしまったらしい。今は一番の年上という事もあり相談役兼母親役兼食料部門の担当者だ。将来の自活の為農作の計画を立てている。
(で薪拾い?)
(うん。カヲルとシンジが引率の番ね。シンジは?)
(さあ?そう言えば見ないわね。さっきまで実行計画書いてたけど)
(そっ、じゃレイに会ってくるわ)
そう打つとアスカはウィンクをした。
「ちょっとシンジ探してくる」
「そうかい、それでは玄関前ホールにいるよ」
「判った」
後ろ手に手を振るとアスカは部屋を出た。白くて長い廊下を歩くとレイの部屋の前に来た。ノックをする。
「入るわよ」
「どうぞ」
返事と共に戸を開けた。アスカの右の眉がつり上がった。レイはベッド脇の机の端末で何か作業をしていた。横にシンジがぼけっと座っている。
「やっぱり」
アスカはシンジを睨みつけた。
「薪拾いの時間よ」
「薪拾いの時間よ」
レイが通訳をした。
(うん)
アスカの形相にひびって少しひいたシンジは立ち上がった。こそこそと部屋を出て行った。両手を腰にあてて仁王立ちして見ていたアスカは溜め息をついた。
「ほんっとにシンジは。レイも注意してよ」
「何を?」
「最近アンタの所でさぼり過ぎ」
「嫉妬?」
レイはそう呟くと微笑んだ。アスカは反対の眉も吊り上がりレイを睨んでいたが時期に溜め息をつき顔から力が抜けた。
「そうかもしれないわ」
側に有った椅子を跨ぐように座った。
「その座り方葛城課長に似ている」
「悪かったわね。私にとって身近な大人は加持さんとミサトぐらいしかいないのよ。影響だって受けるわ」
椅子の背もたれに手を置いて顎を載せてぶーたれた。
「で、嫉妬?」
「もっと重要な事よ」
「どんな事?」
「レイが来てから、気負いとか緊張が少なくなったのはいいと思うけど、こうなんて言うかな」
顎を上げると頬を掻いた。
「依頼心ってやつかな。昔のだらし無くって何も決められないあほシンジに戻りつつあるのよ」
「私が甘やかしているの?」
「そういう訳ではないけど。まあ確かに私はアンタみたいに能動的にも受動的にも優しさはないわ。ただ今は、年少組には優しさをあげても私達は落ち着くまでは厳しく行かないと。違う?」
「そうね」
「ねえ、聞きにくいけど聞くわ。レイはシンジのお母さんが一部にある訳じゃない」
「そうね」
「シンジが自分の子供って感覚があるの?」
「あるけど碇ユイとしての子供では無いわ。アスカも含めてこの世界に戻って来た人達は私が産みだした子供だから」
「そう」
アスカはまた顎を背もたれに乗せた。
「ともかく、シンジに何か言ってよ。私が言っても聞かないし」
「そう。じゃ嫉妬が一番の理由と認めたらそうしてあげる」
「アンタ性格悪いわね」
「ええ、博士の仕込みだから」
「はいはい」
アスカは立ち上がると頭を掻いた。
「認めるわよ。自分の男が他の女になついたら嫌。特に昔のライバルにはね」
「そう。では言っておくわ」
レイは微笑んだ。アスカは口をへの地にひん曲げると後ろを向いた。
「じゃ頼んだわ」
後ろ手を振りつつアスカは部屋を出て行った。
「綾波ちょっといい?」
そう言っていつもシンジは部屋に入ってくる。その日の夜もそうだった。端末の前で今後の予定を打込んでいたレイは振り向いた。
「どうぞ」
レイの返答を聞いてシンジは入ってきた。部屋の端の椅子に座る。レイはシンジの動きを目で追った。じっと見ている。元々話す方ではないがいつも以上に何か話しそうに無い雰囲気がありシンジは少し顔が引けていた。
「どうしたの」
五分ほど黙っていたが沈黙に堪え切れずシンジが聞いた。
「どうしたの?」
「何故ここにいるの?」
「何故って」
「アスカのところにいるべきではないの?」
「その」
「アスカに全ての責任を押しつけるつもりなの?」
まったく表情を動かさずにレイは続けた。
「アスカはここにいる皆を背負って、また昔みたいに神経が逆立っている」
「そうだけど」
「碇くんはサブリーダー、それに何よりアスカのパートナーの筈よ」
「そうだけど、別にいいじゃない、ここに来ても」
「駄目。碇くんはだらしないから。頼る物があるとそれに頼りっぱなしに成って、そして周りを巻き込むから。アスカみたいに依頼心があっても最後に自分だけを壊す人と違うから。アスカは弱いのだから、今度は助けてあげないと駄目」
「判ってるよ。だからずっと戻ってきてからアスカのいう事を聞いて来た」
「なら行って」
「何だよ急に」
無表情だったレイの唇の右の端が少し上がった。背中がゾクッとする程綺麗だが、なにか無性に恐くてシンジは軽く震えが来た。
「カヲル君が好きなの。碇くん邪魔」
シンジは口を軽く開けて固まった。
「だからちょうどいい機会。碇くんこのままだとこれからずっと続けると思う。大人に成っても綾波綾波って、よして欲しい。私は碇くんの人形じゃない。碇くんを好きだし助けてあげたいと思う。だけど恋人じゃない母親じゃない、友人。少なくとも友人ではいたいから。だからアスカの元へ行って。愛してくれる人、本当に必要としてくれる人を助けてあげられない人とは友人でもいられない」
レイはそう言うと机にある携帯電話をとった。構内電話としてはまだ使える。
「カヲル君来てくれない。決心が付いたから」
そう言うと携帯を閉じて机に置いた。
「出て行ってくれない。いるべき所に行って」
「いるべきって」
シンジがそう言って固まっていると部屋の戸がノックされた。
「入るよ」
返事を待たずにカヲルが入って来た。
「カヲル君」
シンジが振り返る。レイはシンジを無視して立ち上がるとカヲルに近づいて行く。自分からカヲルの首に手を廻して不器用に唇を合わせた。さすがにカヲルは呆然としていたが、別に悪い事ではないらしくレイを抱きしめた。しばらくしてレイは顔を話すと横を向いた。
「出ていって。セックスをする所見たいの?」
シンジはその声に跳ね上がるように立ち上がって部屋を出て行った。
「いいのかい?」
「どっち?セックスをしていいということ?碇くんの事?」
「両方さ」
「博士が言っていた。私は妊娠出来ない身体だって。ならセックスを楽しんでもいいと思う。碇くんはアスカがいるから大丈夫」
「そうかい。ところで僕はこのまま君をベッドに運べばいいのだろうか?」
「私もよく判らないけど、まずシャワーを浴びたい」
「そうかい」
カヲルはレイを抱きしめていた手を放した。レイもだ。カヲルは急に屈むとレイを横抱きにした。
「二人きりの時はこの様に運ぶのが礼儀だと聞いた」
「それはベッドに運ぶ時だと思う」
「なるほど」
(何よ、怖い顔して)
シンジとアスカの寝室は一緒だ。アスカが来月の行動計画書を書いているとシンジが部屋に戻って来た。最近はシンジも随分唇が読めるように成って来た。アスカ限定だ。そうしないと仕事がはかどらない。アスカは回転椅子を廻して後ろを振り向いて言った。
(アスカだろ。綾波に変な事言ったの)
(何の事)
(近寄るなって。アスカの側にいろって)
(そうよ)
戸の前に立っていたシンジはアスカの前まで来た。
いい音がした。金髪が舞った。アスカの顔は横を向き、左頬に赤く手形が浮かび上がって来た。アスカは頬も押えず前を向いて立ち上がった。
(シンジにしては上出来よ。覇気があって)
だが無謀だ。次の瞬間アスカの右手の平の底がシンジの顎に叩き込まれてシンジは脳震盪を起こし気絶した。
気が付くとベッドに寝かされていた。但し両手はヘッドボードに縛りつけられていた。横を向くとアスカが椅子に座っていた。じっとシンジを見ていた。シンジもじっと見つめた。
(暴れない?)
(うん)
しばらくしてからシンジが言うと、アスカは両手の紐を解いた。シンジは身体を起こすとベッドの端に座った。
(お願い。一緒にいて。私それほど強くない。また壊れたくない)
しばらくまた見つめあっていたが、アスカはゆっくりと言った。
(嫌と言ったら?)
アスカは机の引き出しを開けると、小型の自動拳銃の銃身を持ってシンジに差し出した。
(撃って)
シンジはしばらく撃鉄の辺りを見ていた。銃を受け取り顔を上げた。
(アスカってずるいね)
(そうよ。私は天使じゃない。ずるくて汚い人間だから)
アスカは立ち上がるとジーンズパンツとショーツを脱いだ。下半身が露に成った。局部を見せつけるように立った。キツい体臭が鼻につく。
(セックスもするし、トイレにだって行く。シンジだってここ使ったでしょ)
そのまま椅子に座る。
(天使や女神が望みなら私じゃ駄目だけど)
アスカはそのまま回転椅子をくるりと廻して端末に向かった。やりかけの計画書をまた書き始めた。
しばらく座っていたシンジだがそのうち立ち上がった。アスカの真後ろに立ち手を伸ばして自動拳銃を机に置くと、左手でアスカの左胸を服の上からおもいきり掴んで握った。痛みにアスカが歯を食い縛るほど強く握った。
(アスカはずるいね)
呟くと左手を離した。痛みから解放されてアスカは机にもたれ込み荒い息をついた。シンジは椅子の横に座り込み後頭部をアスカの太股に預けると目を瞑った。しばらく二人はそうしていた。
とんとん
シンジの頬をアスカの人差し指がノックした。モールス信号だ。
とんとん
(抱いて)
そう叩いていた。しばらくしてシンジはアスカの指を手に取ると咥えて舐め始めた。アスカの頬に手を伸ばした。
とんとん
(アスカはずるいね)
アスカはその手に自分の手の平を重ねて頬ずりをした。
「レイ、がに股に成ってるわよ」
翌日の朝早起きしたアスカが朝露と共に外で体操をしているとレイがやって来た。
「アスカ、男の子の性器って勃起するとあんなに大きくなるの?」
レイは手で大きさを示した。アスカはしばらくその手を見ていた。
「シンジしか知らないし、シンジはこんな感じ。ヒカリにも聞いてみれば?」
「そうする」
「どうだった?」
「痛かった。二人ともやり方が全然判らなかったから、なかなか上手くいかなかった」
「私もよ。もっともシンジが猛獣に成って私泣き叫んだけど」
「そうなの」
レイはしばらくアスカの顔を見ていたが横で体操を始めた。
「ありがとう」
「何が?」
「シンジが私を叩いたわ」
「マゾ?」
「ヘタレ男好きと思われるよりはマゾの方がいいわ。ところで避妊した?」
「私は子供が産めない身体だから。博士がそう言っていた」
「それならいいけど」
しばらく黙って体操をしていると年少組もやって来て朝の体操の時間に成った。
(とにかく政府の貯蔵米が手に入ってよかったわ。種もみも手に入ったし)
二ヶ月後秋も深まりそろそろ肌寒く成って来た。夜食堂で根岸とアスカは端末を挟んでお茶を啜っていた。年少組は寝ているし、そうでない者も自室にいる。
(シンジもそれなりに役に立ってよかったわ。ケンスケとアサミちゃんの方が役に立っている様だけど)
(アスカちゃんはかかあ天下ね)
(何とでも言って)
(今度シンジ君貸して。この二ヶ月男無しだし)
(嫌、シンジは私の物)
(そこを何とか。じゃ三人でどう?)
(う~~ん)
そんな事をしばらく話していた。
(どちらにしても戻ってきてからよ)
(そうね)
今シンジとケンスケ、アサミ、セイコにハジメは第二新東京市の外れにある、政府の食料備蓄倉庫に行っている。国として四日分の食料に当たる米と缶詰などが保管されている。特殊な保管方法な為百年ぐらいはもつそうだ。十五人で食べるのなら数万年分に成る。海を渡れるようになったら交易にも使う予定だ。
今度はリーダーと食料担当として話していた所食堂にレイがやって来た。
「アスカ、今からいい?」
「何が?」
「すごく怠いの」
「そう。いいわよ」
「ありがとう。モトミさん、診察して貰うからアスカ借りるわ」
「いいわよ」
(じゃ)
アスカは手で挨拶をすると立ち上がる。食堂をさっさと出て行った。レイも続く。モトミはまた端末に向かって打ち始めた。
レイが下着姿で診察室のスキャナーに入ってから五分後、アスカの前の端末に検査結果が表示された。昔ネルフにありEVAパイロットを検査したスキャナーと同じ物で、セントラルコンピュータに連動して身体の隅々まで調べてくれる。
端末に出た結果を見て、アスカの綺麗な眉が吊り上がった。しばらく見ていたが端末を叩いてスキャナーの戸を開けた。
「出ていいわよ。服着て」
レイはその通りにした。アスカの前の椅子に座った。
「妊娠よ」
「そう」
「あんた妊娠出来なかったんじゃないの?」
「前の身体はそうだった」
「本当に人間に成ったっていう訳ね」
アスカは回転椅子を廻して振り返った。レイはいつもの様に無表情だった。
「堕ろしなさいよ。アンタの体力じゃ母体がもたないわ」
「その時はアスカ頼むわ」
「アンタとカヲルの子じゃ、やはり遺伝子異常の確率高いわよ」
「それも運命」
アスカは眉を吊り上げてレイを睨んでいたが、やがて溜め息をついた。
「何を言っても無駄ね、あんたは」
「ええ」
「その代わり医療責任者として、私に絶対服従」
「判ったわ」
「それにしても」
アスカは立ち上がりしゃがむとレイの下腹に手を置いた。
「ここに赤ちゃんがいるんだ」
「羨ましい?」
「私はヒカリじゃないわ。人類を滅ぼしたくないから子供を産むの」
「そっ」
レイは微笑んだ。
皆にとって初めての冬は寒かった。
ピッピッピッピッ
翌年の元旦、朝から皆で餅をついていた。もち米は政府貯蔵米の中には無かったが、皆で辺りの街を探して100kg程手に入れた。手作りの蒸し器と秋のうちに作ってあった木炭で蒸しあげた。杵と臼は近所の公民館にあったので借用している。トモミのホイッスルの合図で年少組がかわるがわるついている。
場所はルナガーデン1の正面入り口の前の広場だ。餅はシンジがひっくり返している。まわりではきな粉やあんを付けて早速頬張っている。
皆の予想通り、冬はやって来た。ここルナガーデン1も雪に覆われたが、周囲と屋根の雪は皆で手分けして退けた。
「はい、あんこ」
「ありがとう」
マコが餡ころ餅の皿を渡すとレイが静かに微笑んだ。パスツレラ症のせいでマコの右手は軽い麻痺が残ったが、日常生活はさほど不自由していない。後一年もすれば治るだろう。マコは椅子に座っているレイのお腹に触れて、耳を当てる。レイのお腹も随分目立って来た。マコとミツコは最近はレイの近くに来ると必ずお腹に触ったり耳を近づけたりする。
「あかちゃんもおもちすきかな」
「ええ、私も好きだからきっと好きよ」
「よかった」
マコはそう言うと臼の周りに戻って行く。自分でつくと言って杵を持ったが持ち上がらないのでミツコと一緒に二人で持ちつきはじめた。
「レイ」
「なに、アスカ」
「やつれたわね」
「そうね」
アスカはレイの後ろから頬に触れた。確かにレイの頬はやつれている。
「ねえ。本当に産むの」
「ええ」
「今なら間に合うわ。薬もあるし」
「そう?」
「AIにシミュレーションさせたけど、レイ、あんた出産は無理」
「なら、母子供に助かる方法を考えて」
レイは振り返る。
「三国一の天才美少女でしょ」
アスカは両手を腰にあてて溜め息をついた。
「言う事を聞くとは思ってないわ。ともかく体力付けて」
「そうする」
レイは餡ころ餅を摘まむと口にした。
「美味しい」
レイは微笑んだ。
春は出会いと別れの季節だ。セカンドインパクト前その象徴だった桜は、サードインパクト前は花を咲かせることが無かった。理由は不明だった。
「花見酒って気分じゃないしね」
某組織の女番長はそんな事を言い、その参謀役の親友に冷たい目で見られた事があった。
季節が戻った今、何故かまた桜の花が咲き始めた。
もしかしたら別れと出会いがあるので桜も咲くのかもしれない。
「桜の香り」
「そうね」
目の前には桜の樹が何本も植えられていて今が盛りと咲き乱れている。ここは海辺の研究所の近くの小学校の校庭だ。レイが座る車椅子をアスカが押して行く。後ろにはシンジとカヲルが付いていく。
皆どうにか冬を越す事が出来た。それに世界中で一万人以上の人達が生きている事が無線で判った。日本以外もドイツのネルフ本部のバイオスフェアなどが生きていて、そこを中心に科学文明は維持されそうだ。農業や漁業の経験者である子供達も多く残っていて、無線で連絡を取りあっている。
またアメリカにアスカと同じような天才児の少年が生き延びていて、しかも彼は医学を学んでいた為、ルナガーデン1の医療用コンピューターと共に、生き残った子供達の医師役に成った。
「アスカ、サングラスとって」
アスカはレイの顔からサングラスを取る。白く濁った瞳が現れた。
「綺麗ね」
「そうね」
日に日に大きくなるお腹と引き換えにレイはどんどん衰弱していった。今は肝臓や腎臓の動きも低下して、妊娠中毒で体中むくんでいる。目は白内障で視力はあまり残っていない。神経がやられたのか手足も不自由だ。最近はセイコがつきっきりで看護をしている。
「動いた」
アスカはレイのお腹に手をあてた。もうそろそろ臨月だ。
「この子も桜を見て喜んでいるのかもしれない」
「そうね」
レイ自身はわが子を見る事はない。体力がもたない。ルナガーデン1の医療用コンピューターとアメリカのマイケルの意見は一致している。産んでから死ぬか、その前に死ぬかだ。
アスカはレイのお腹から手を離すとまたレイにサングラスをかけさせた。
「僕が押すよ」
カヲルが言うので、代わった。
「君の記憶に桜はあるのかい?」
「ユイさんの記憶は少しある。卒業式や入学式などの記憶に出てくる」
「そうかい」
カヲルはレイの頭を撫でた。
「碇君」
「なんだい」
シンジが呼ばれて寄って来た。
「マコちゃんやアサミちゃん達の入学式をやったらいい」
「いい案だね」
「私もしたい。入学式は出た事が無い」
レイは口元だけで微笑んだ。
「じゃあやろう」
「なら早くやってね。いつ産まれるか判らないから」
三日後桜の木の下で入学式がとり行われた。翌日レイは娘を産んで、レイ自身は産まれて来た世界に戻っていった。
「お邪魔だったかな」
「別に」
「いいよ」
一週間後の夕食後シンジとアスカが自室でぼけっとしていると、カヲルが入って来た。机で端末をいじっていたアスカとベッドに寝転がって天井を見ていたシンジを何度か見てからシンジの横に座った。シンジは身体を起した。
「マイちゃんは」
アスカは振り向かず聞いた。
「洞木さんが見ているよ。アサミちゃんも。気がまぎれるらしい」
「ふぅ~~ん。あんたは?」
アスカは回転椅子を廻してカヲルを見た。
「何がだい?」
「レイが死んで悲しくないの?」
「さあ。多分悲しいんだと思うよ。何かあると涙が出るし、それがなかなか止まらない」
カヲルはベッドに寝そべった。
「んじゃマイちゃんの事はどう思う?あんたとレイの子供でしょ。それはともかくアンタ達の能力が遺伝してよかったわ。マイの泣き声が聞こえた時はなんて言うか、ほっとしたわ。これで言葉を失わなくってすむから」
「可愛いのではないかと思う。抱いていると自分が微笑んでいるのが判る」
「そっ。レイも安心してるわ。私はマイちゃんに言葉と歌と科学を教えるつもりよ」
「言葉と科学はいいが、歌は勘弁して欲しいね」
「何故よ」
「惣流君は音痴だ」
「なんですって」
アスカが眉を吊り上げた。頬が痙攣している。
(シンジ)
アスカはシンジの方を向いて、ゆっくりと大きな口をあけていった。
(この人もどき、私の事音痴って言っているわよ。何とか言いなさいよ)
「カヲル君真実は時として人を傷つけるよ」
「なるほど。それは失礼した」
カヲルはアスカに向かって微笑んだ。しばらくアスカはカヲルを睨んでいたがそのうち肩を竦めた。
「まっいいわ。今はマイちゃんについていてあげたら。レイが化けて出るわよ」
「それはいいかもしれないね。では戻るとするよ。お休み」
「お休み」
「お休み」
「いつうまれるの」
レイに似たのか、マイは賢い。ただ外見はあまり似ていない。身体に色素があるからだ。どうやらレイとカヲルの体色は、クローン時の過程に不具合があったようだ。一部内蔵の奇形など引き継がれた物もあるがそれなりに健康だ。
今は四つだ。去年辺りから顔付きがだんだんレイに似て来た。皆に猫っ可愛がりされながらすくすくと育っている。
最近のマイはアスカに付いて回っている。大きくなるお腹が不思議でしょうがないようだ。そろそろ臨月のお腹をよく突っついている。今日も、ルナガーデン1の中庭で編み物をしているアスカの横で飽きずに見ている。
「あと一週間ぐらいかな」
アスカは手を止めて微笑んだ。もともと編み物など興味は無かったアスカだが、やり始めると何でも凝る質で子供達の手袋をいくつか作った後赤ちゃんの産着に挑戦している。
「子守りすまなかったね」
モトミに手を引かれてカヲルが中庭にやって来た。カヲルはサングラスをしている。二年前に白内障を発病して今では殆ど目が見えない。最近はモトミが面倒を見ている。現在妊娠中のアスカとヒカリの出産後に、カヲルと子供を作る予定だそうだ。大人と言っては変だがハイティーンの女性が全員妊娠しているのはなにかと不便だとそうゆう事に成った。少し前にアサミが産んだケンスケの子のコウスケとともに騒がしく成るだろう。結局声が聞こえないのはアスカ達、サードインパクトを体験した者だけだ。理由は判らない。
「いいわよ」
アスカはマイの頭を撫でた。ここは母親に似たのか剛毛だ。
「おとうさん」
マイはカヲルの元に行く。足にしがみつく。カヲルはマイの頭を撫でた。抱き上げる。
「これからアスカ君と二人で話しがあるからね。10分ぐらいしたら迎えに来ておくれ」
「うん」
マイは勢い良く頷いた。カヲルが地面に下ろすとマイはモトミの側に行き手を繋いだ。モトミはカヲルの手を引き側の椅子まで連れて行く。カヲルの頬にキスをするとアスカにウィンクをして建物に戻っていった。
「アスカ君は順調かい?」
「まあね。母子ともにってやつよ」
「それは何よりだね」
「この子マイちゃんの甥っ子に成るのかな」
「そうだね。レイはユイさんの妹と言うのが一番近いようだしね」
「で、用は何?」
「マイの事さ。僕はそれほど長くはないんだろう」
「そうね。脳腫瘍が相当増殖してるし、今歩けるのが奇跡だわ」
「一応天使だったし奇跡はお手の物さ」
カヲルはそう言うと手を伸ばした。声から見当をつけたのかアスカの頬に触れた。
「マイを頼むよ」
「判ったわ」
「僕が聞くのは変だとは思うが」
カヲルは椅子に座り直した。
「天国はあると思うかい?」
「無いわ」
「レイに会えると思うかい?」
「会えないわ」
カヲルは微笑んだ。
「つっけんどんだね」
そう言われてアスカはカヲルの方に向いた。
「安心して死になさいよ。もし天国があるとしたらレイに会えるわ」
「そうだね」
カヲルは自分の頬を撫でた。
「僕とレイは何だったのだろうか?昔はよく判っていたような気がする。今は判らない」
「私達の友達、仲間、それじゃ不服?」
「充分さ。天使などよりずっといい」
そしてカヲルは微笑んだ。
おわり
■まっこう