written by まっこう

 その夜なんとなく銭湯に行くことに成った。二人が広い湯船でゆっくり暖まり、フルーツ牛乳などを飲んで外に出ると、街は乳白色に染まっていた。

「凄い夜霧ね」

 手を伸ばすと指先が見えないとまではいかないが、50m程先は白い世界に包まれて見えない。

「これはこれで風流と言う物かしら」

 そんな事を言いながら歩き始めたリツコの横をレイは歩いている。手を繋いで歩いている。時々来る銭湯の帰りには何故かレイはリツコの手を握る。リツコも嫌がる訳ではなくそのまま握っている。二人はゆっくり歩いて行く。

「霧が出ると光が綺麗ね」
「はい」

 第三新東京市は夜になっても明るい街だ。街路灯はもちろん、兵装ビルからはサーチライトの様に集光された光の束がいろいろな方向に漏れている。それらの光が全て霧で乱反射されて輝く棒に見えた。信号機は青赤黄色のイルミネーション、時たま通る自動車は眼を輝かせた怪物だ。

「どんどん濃くなるわ。手を放したら迷いそうね」

 レイは答えずに歩いて行く。暫く二人はそのまま進んだ。

「レイは霧が似合うわね。このまま別の世界に消えてしまいそう」
「私は、まだこの世界にいる」
「そうね。モーニングコーヒーを作ってくれる人がいるのはわりかし便利だから、当分いていいわよ」
「はい」

 レイは少し強く手を握った。

「でも不思議な物ね。一年前にはレイとこうして手を繋いで歩くなんて想像もしなかったわ」

 そう言うとリツコは小さく声を出して笑った。

「以前ミサトに家族ごっこが好きねって嫌味を言ってやった事があったわ。まさか私が家族ごっこをするとはね」
「ごっこ?」
「ん?」

 なんとなくレイの声が寂しそうに聞こえたので横を見たが、相変わらずいつもの能面の様な顔だった。

「そうよ、ごっこよ」

 急にリツコの表情が険しい物に成った。

「私にとってあなたは道具よ。道具はきちんと整備した方がいいから手元に置いているの。それに」

 リツコは右手をレイの首に伸ばした。少し力を込める。さすがにレイは少し苦しそうな表情に成る。

「手元に置けば、逆らったらすぐにこう出来るでしょ」

 本当に苦しく成ったのか、レイはリツコの手首を掴みもぎ放そうとするが、そこは大人と子供の力の差か外せない。五秒後リツコは右手を放した。レイは喉を覆ってうずくまる。リツコは恐い視線で暫く見下ろしていたがやがて表情がくずれた。

「悪かったわレイ。大丈夫?」

 リツコも座り込んでレイを覗き込んだ。

「苦痛には慣れている。でも喉が痛い」
「そう」

 リツコは立ち上がると辺りを見回す。霧の向こうにコンビニの看板が滲んで見えた。

「あっちにコンビニがあるわ。のど飴でも買いましょ」
「はい」

 リツコが手を伸ばしレイはその手にすがって立ち上がった。そして手を繋いだまま店に向かった。




 のど飴を舐めながら手を繋ぎ帰った二人は、家に着いた頃には霧でびしょ濡れだった。少し冷えたので二人でもう一度風呂に入る事にした。

「さっきは悪かったわ」

 湯船で膝の上にレイを座らせたリツコは、レイの喉を撫でながら言う。しばらくしてレイの胸に手を触れた。

「レイも女らしい身体つきに成ってきたわね。始めてあった時はちっちゃかったのに」
「あれは私じゃない」
「そうだったわね」

 リツコはレイを優しく抱きしめた。

「最近、こうやっていると安らぐのよね」

 レイは抱きしめられたので背中をリツコに預ける様にした。豊かなリツコの胸の感触が背中に生まれた。

「私も、楽な気がする」
「そう。私ももしかしたら普通に優しい旦那様と結婚して、子供を産んで、子供の成長に一喜一憂するそんな生活がしたかったのかもしれないわ」

 リツコは右手で固いレイの髪を撫でた。

「遅いけどね」
「遅くはない」
「遅いわ」

 リツコは右手を無毛のレイの下腹に置いた。

「ここで考えるようになれば判るわ」

 リツコが掴んだ為レイの口から溜め息の様な物が漏れた。

「掴まないで、気持ちが悪い」
「そうね」

 リツコは右手をまたレイの胸辺りに置いた。

「家族ごっこもいいものなのかもね。当分続ける事にしましょうか」
「はい」
「ただ、お母さんよりお姉さんがいいわね。三十路に成ると少しでも若そうな方がいいものなのよ」
「じゃお姉さん」

 いつもの静かな声でレイが言ったので、なにかその事がとてもおかしくてリツコは笑い始めた。つられてレイも少し微笑んだ。

「リツコ姉さんか。悪くないわね」
「姉さんは結婚しようとしたことはないの?」

 リツコは眼を瞑り浴室の壁に頭をもたれかけた。

「昔、大学時代に好きな人がいてね。冴えない人だったけど優しくて。その人食堂をやっていたから、私とミサトでバイトをしたのよ。看板娘。私達目当ての客も多かったわ」

 ぽつりぽつりと昔話がリツコの口からこぼれ落ち、レイは眼を瞑ってそれを聞いた。ゆっくりと浴槽で時間が流れて、思い出話もゆっくり進んで行った。








 翌朝いつもの様に朝シャワーを浴びてから着替えたレイはダイニングキッチンに向かった。やかんに水を入れてIHにかける。その間に猫印のカップとコーヒードリップの用意をする。お湯が湧いたのでコーヒーを入れる。コーヒーの粉にお湯がかかると粉の間の空気が潰れる音と共に辺りによい香りが漂い始めた。
 コーヒーが落ち切った所でドリップを他のコップの上に移した。猫印のカップからコーヒーを少し啜る。口、鼻そして喉にコーヒーの旨味が広がる。レイはハンカチを取り出し唇の跡を拭うと、カップを持ってリツコの部屋に向かった。

「リツコさん、おはよう。入ります」

 リツコの返事を待たずに部屋に入ると、いつもとは違う光景がレイを迎えた。いつもはコーヒーを持って行くと、着替え終わり端末を操作しつつタバコを一服しているリツコがいる。今日はまだベッドの中にいた。

「どうやら風邪をひいたみたい。コーヒーはそこに置いておいて。後は自分でやるから学校に行きなさい」

 熱もあるらしく真っ赤な顔のリツコが指示したので、レイはカップを机に置き部屋を出て行った。自分の部屋に戻るとしばらくぼけっとしていたがやがて携帯に手を伸ばした。




 目の前に鬼がいた。笑っている。地獄の釜が開いたぞ、迎えに来たぞと笑っている。とうとう来たかと思っていると、そのうちそれは天井の染みに成った。リツコは寝床の中で横を向いた。壁の時計は三時を示している。

「確か」

 確か自分で処方箋を書いてネルフの医療部の薬局に薬を注文した筈だがはっきりしない。ついでにマヤに連絡した筈だ。少し室温を上げ寝た筈だ。

「ん?」

 妙に頭がすっきりすると思ったら枕が氷枕に変わっていた。タオルでくるんだ氷枕がビニールシートの上に乗っていた。

「レイかしら?」

 他にいるはずもないのでレイだろう。

「余計な事を」

 声に出して言ってから起きようとする。身体に力が入らないので止めた。

「寝るか」

 すぐに寝入った。




「六時」

 気が付くと随分頭が軽くなっていた。上半身を起こしぼんやりと室内を見る。夕日が窓から差し込み部屋がだいだい色に染まっている。

「綺麗ね。しばらく見ていなかったわ」

 リツコは窓を眺めた。夕日に染まった兵装ビルも見える。しばらくそうしていた。

「あら」

 腹が鳴った。リツコは溜め息のような笑いを漏らした。しばらくして額に手を持って行った。熱は下がっている。

「過労気味で暴れだしたか」

 細菌やウイルスの事らしい。寝ている間に汗をかいたらしく、身体がベトベトする。ベットを降りるとタンスから替えの下着とパジャマを出した。熱は下がってもふらふらするらしくベッドの隅に座り込んだ。

「入っていいですか」

 ドアの向うから声がした。

「いいわよ」

 レイが入ってきた。水差しなどという上品な物は無いのか、ヤカンとコップを手にしている。

「麦茶持って来ました」
「ありがとう。いいタイミングね」

 疲れているせいか嫌味も出ず、素直に感謝の言葉が出た。コップを受け取ると、ヤカンから麦茶を注いでくれた。

「おいしいわ」

 一息に飲み干すと、レイに微笑んでみせた。その時また派手にお腹が鳴った。

「お腹すいてますか」
「そうね。熱も下がって食欲があるわ」
「作ります」
「じゃ頼むわ。そのあいだにシャワーを浴びてくるから」

 コップを返すと下着を持って部屋を出た。脱衣所で汗だらけのパジャマと下着を脱ぎ捨てる。

「あ〜〜あ」

 姿見に映った自分の裸を見て思わず漏らした。

「私も歳ね。疲れている時、鏡を見るもんじゃないわ」

 そして浴室の引き戸を引き中に入った。



 リツコが軽く暖まって出てくると、辺りにはいい香が漂っていた。寝室に戻りパジャマを出して着た後大きめのガウンを引っかけてダイニングキッチンに向かった。

「もう出来てます」
「そっ」

 リツコがテーブルに着くと、レイは鍋敷き代わりに新聞紙を敷きIHにかかっていた鍋を置いた。そしてパックを三つ鍋の横に置くと、茶碗と箸を二膳ずつ出した。そこで少し考えると、いつもとは違いリツコの横に座った。

「洞木さんに聞いて作りました」

 鍋の蓋を取るとまた美味しそうな香りが辺りに広がる。

「あらよくできているじゃない」
「よそります」

 レイはリツコの茶碗におじやをよそりリツコに渡す。

「あとこれ」
「あら、香味屋の牛肉そぼろじゃない」
「はい、こちらは鯛そぼろ。それから出汁巻き作りました」

 パックを開くとふりかけと出汁巻きが鮮やかに食欲をそそった。

「美味しそうね、じゃまず味見」

 おじやをスプーンで掬うと口に入れた。

「出汁が効いてこれだけでも美味しいわ」

 次は鯛そぼろだをかけてから口に入れた。

「相変わらず上品な味ね。香味屋は高いけど値段が納得できるわ」

 次に牛肉そぼろをかけてから口に入れた。

「いいわね。ここの牛肉そぼろは結構味が濃くってこういう時食べた気になるわね」

 最後は出汁巻きを箸で千切って摘まんだ。

「これも出汁がよく効いている。この味つけならあなたいつでも嫁に行けるわよ」

 リツコはにこにことしながら言い、すぐにぽかんと口を半開きにして唖然とした。そしてしばらくして横のレイを見た。

「まさか私があなたにこんな事言うとはね」

 レイは特に表情に変化が無くリツコを見ている。リツコは茶碗を置くと横を見た。

「めんだうだからレイは当分このままでいなさい。折角慣れてきたのに対応を変えるのは面倒だわ。家族ごっこの妹役、いいわね」
「はい」

 レイははっきりと笑顔を見せた。その笑顔を見ているのが照れ臭くリツコはおじやを掻き込み始めた。

「まっ助かったわ。今度はレイがピンチの時助けてあげるわよ。あなたも他人に頼る事を学んだ方がいいわ。私の意地っ張りまで見習わなくていいわよ」
「はい」
「ところで、聞いておくけど、私の妹役でいいの?」
「今はそれが望みだと思います」
「そっ」








「随分カラフルな弁当じゃない」
「そうね」

 ネルフ本部は意外な事に福利厚生施設がしっかりしている。食堂も広くゆったりとしているし、カフェもいくつもある。今リツコがいるカフェは壁一面がガラスで、遥か彼方にカートレインの路線も見える。広いカフェの窓際の隅で、リツコは怠そうに弁当をつついていた。

「さすがに病み上がりだと元気が無いわね」

 ミサトは昼間からカクテルグラスを手に向かいの椅子に座った。

「レイも料理が上手くなったわね」
「アスカと違って先生がいいわ」
「言ってくれるわね」

 ミサトは弁当のタコさんウィンナーに手を伸ばしたが、リツコに手を叩かれて引っ込め肩を竦めた。

「ミサトもシンジ君やアスカの作った弁当食べればいいでしょ」
「そうなんだけどね」
「アスカの調子はどう?」
「まあまあだったわ」
「だった?」

 ミサトを見ずに弁当を食べていたリツコはミサトを見て眉をつり上げた。

「コダマちゃんがヒカリちゃんと時々来てくれて、料理教室やってくれるでしょ。結構気がまぎれるみたい。それにときどき銭湯に行ってお年寄りと話すのが凄く効いてる。ただ、加持の事がバレたみたい。流石に塞ぎ込んでいてね。やっと一昨日部屋から出て来たのよ」
「そっ」

 リツコはまた弁当に視線を戻した。

「でミサト自身はどう?」
「どうって?」
「加持君の事」
「浮気に悩まされる事が無くってせいせいしたわ」
「意地っ張り」
「全てが終ったらもう一度泣き喚く事にしたわ」
「その時はつきあうわよ」
「ありがと」

 ミサトはカクテルを啜った。

「あら」

 いきなり辺りにサイレンが鳴り響き、ミサトとリツコの携帯からメロディーが流れ出した。二人とも「ワルキューレの騎行」だ。MAGIの直通回線からかかった時はこのメロディーが流れる。そしてこの直通回線は使徒らしきものが発見された時に使われる。

「アスカ使えると思う?」
「起動指数ぎりぎりよ」

 リツコは弁当箱を白地に黒猫の刺繍が入った大きなハンカチに包むとバックに入れた。

「初号機凍結が痛いわね」
「ええ」

 そして二人は出口に小走りで向かった。




「零号機と弐号機共に発進、零号機は迎撃位置、弐号機は兵装ビル内で待機させています。一応サードチルドレンを初号機にエントリーさせています」

 発令所に走り込んできた二人にマコトが報告をした。リツコはマヤの元でディスプレイのデーターを睨み、ミサトは分割されたスクリーンを睨んだ。使徒は光の輪にみえた。それが空に浮かんでいた。距離をとって手にパレットガンを持った零号機が待機している。

「レイそのまま迎撃位置で待機」
「はい」

 表情も無くレイが答えた。

「アスカ、行ける?」
「自信無い」

 眼を伏せたアスカが、怯えたような声で答えた。

「スナイパーライフルを出すから距離を取って戦いなさい」
「了解」
「シャッター開けて。弐号機リフトオフ」

 弐号機が隠れていた兵装ビルのシャッターが開いた。すぐ側の兵装ビルが開き、狙撃用のスナイパーライフルが現れた。

「動かない」

 俯いたままのアスカが呟いた。

「動かないよ、ミサト」
「駄目よミサト、アスカのシンクロ率一桁台よ」

 リツコの声にミサトはすぐ反応した。

「弐号機戻して」

 ミサトの指示と共に兵装ビルのシャッターが閉じ、弐号機を乗せたリフトはジオフロントに降りて行った。

「動かないよ」

 アスカの空ろな声が発令所に響いた。

「アスカを降ろしたらここに連れて来て」
「了解」

 マコトの耳元でミサトは呟き、マコトは頷いた。

「目標は大涌谷上空にて滞空。定位置回転を続けています」
「目標のATフィールドは健在、但しパターンは青とオレンジの間を周期的に変化しています」
「どういう事?」
「MAGIもデーター不足で回答不能よ、ミサトどうするの?」
「今は待機」

 周囲の待避も終り、電力供給も停止している為、スクリーン上で動く物は使徒だけと成った。零号機とレイも彫像の様に動かない。発令所もオペレーター達の報告の声は聞こえるが、ミサト達上級職員は動きが止っている。

「なぜ私を連れて来たの。役たたずなのに」

 発令所のミサト達トップクルーのステージに入る戸が開き、作戦部の職員に連れられてプラグスーツ姿のアスカが入ってきた。ミサトのそばまで連れて来られたアスカは小さな声で呟いた。後ろを見ずにミサトは手を伸ばす。アスカの肩に手が乗った。アスカの事ならアスカ自身が知らない黒子の位置まで知っている。当然アスカの身長も良く知っている。こんな時どのくらい俯くかも知っている。プラグスーツの肩のフックを掴むとそのまま前へ引っ張り、視線はスクリーンのまま抱きしめた。アスカは空ろな眼のままミサトの胸に顔を埋めた。

「エヴァの乗り方をもう一度叩き込んであげる」
「ミサトはエヴァの乗り方なんて教えられない」
「ピンチや不運、失敗の乗り越え方なら教えられるわ。私は不幸自慢なら負けないし、乗り越えた数でも負けないわ」
「ミサトは私じゃない。私の気持ちなんか判らない」
「そりゃそうよ、皆が同じなんて気持ち悪いだけだわ。ただ加持に約束したのよ。あの男、恋人への最後のメッセージに留守番電話に何入れたと思う。葛城はいい女で大人だから心配はいらない。アスカは美少女だが子供だ。葛城みたいに強くていい女にしてくれ、よ。最後の言葉ぐらい愛しているぐらい言って欲しいわ。アスカ、加持の事好き?」
「好き」

 ミサトははじめてスクリーンから視線を外すと、アスカの首もとを掴み上を向かせた。

「私も好き」

 歯を食い縛りつつ涙を堪える顔がアスカの前にあった。

「だからアスカあなたを強くていい女にするわ。強くてどんな時でも意地をはれる女にね。加持が好きならそうなりなさい、ただ今は休みなさい。人は上手くいかない時もあるわ。同じ男を愛した私を信じなさい」
「うん」

 少しの間ミサトを見ていたアスカは細い声で言った。

「ここにいてもいい?」
「いいわ、後ろに下がって見ていなさい」

 職員の一人がすぐに椅子を用意した。ミサトは職員にアスカを預けるとまたスクリーンを睨んだ。アスカはドアの側の椅子に静かに座った。

「あなた役者で嘘つきね」
「リツコほどじゃないわ」
「あらそう」
「ちょっと前に四人で、加持とアスカとシンちゃんで家族ごっこをしたくなったのよ。加持のバカもしたいって。そのくせ勝手に、あのバカ。これ以上人数を減らすつもりはないわ」
「そう」

 二人ともスクリーンとディスプレイから視線を外さず囁き合った。

「データーでは変化は無いの」
「無いわよ、とは言え使徒の目的からいってあのままであるわけないわ」
「そうね。レイ、しばらく様子を見るわよ」

 別にミサトの言葉がきっかけになった訳ではないのだろうが、彫像の様に動かなかったレイが瞬きをした。シンクロ率のグラフにパルスが出る。

「いえ、来るわ」

 いきなり使徒は回転を止めた。環状だったその形が途中で切れ、片方の先端が零号機に向かいヘビの頭の様に突進してきた。

「レイ、応戦して」

 ミサトの指示よりも先にレイは零号機の前面にATフィールドを張り、パレットライフルを構え地面近くを疾走する使徒に向けた。だが使徒の動きはあまりにも早かった。使徒の先端は零号機のATフィールドをかいくぐるように突破して、零号機の下腹辺りに接触し機内へと潜り込んで行った。

「目標、零号機と物理的接触」

 スクリーンのレイの表情が苦痛で歪んだ。零号機はうねる使徒を左手で掴み右手でパレットライフルから弾丸を叩き込む。だが効果はないらしい。

「作戦課長効果が無い」

 激痛が身体をむしばんでいるのか、どこか歪んだレイの声がする。

「零号機使徒に侵蝕されています。既に5%以上が生体融合されています」
「ミサトどうするの」

 リツコの声にミサトは大口で叫んだ。

「レイ引き抜くのよ」
「力入らない。身体が、股間が痛い。博士助けて」

 本当に激痛が身体を襲っているらしい。レイの身体が痙攣している。リツコは振り向くと上を見上げた。

「司令、技術課長として、初号機の凍結解除を進言します」
「いいだろう。作戦課長」
「はい。シンちゃん、出すわよ。パレットガンで応戦して」
「了解」

 シンジの初号機はリフトで地上の兵装ビルに向かって打ち出された。

「レイ、一分間しのぎなさい」
「了解」

 了解とかろうじて言ったが、レイの表情は歪みっぱなしだ。パレットライフルでは効果が無いので、先端に取りつけてあるプログナイフで切りつけるがやはり効果が無い。そのうち生体融合の影響が出てきたらしく、レイのプラグスーツの表面にいくつもの葉脈のような筋が浮き出た。それは下半身に密集し、うねっていた。

「現在生体融合8%」
「初号機到着、シャッターオープン」
「初号機出ます」

 シャッターが開いて、パレットガン片手に初号機が兵装ビルからとび出た瞬間、使徒に新たな動きが生まれた。単に蠢いているだけだった使徒のもう一方の端が今度は初号機に向かい突進した。初号機はかろうじてパレットガンの銃身で先端をはらったがパレットガンは粉砕された。

「うわ」

 再度先端が初号機の顔面に向かい突進したが何とか初号機が掴み止めた。だが初号機も接触面から生体融合が始まり、シンジの手にも葉脈のような筋が浮かび始めた。

「ミサトさん、どうしたらいいんですか」

 シンジが叫ぶが咄嗟にはミサトも迎撃案が浮かばない。

「だめ」

 苦痛に顔が歪んだままのレイがもらした。

「やらせない」
「えっ」

 ミサトとリツコが同時に漏らした。初号機の顔面に迫っていた使徒の一端がいきなり引っ込みどんどん短くなって行く。

「あっ」

 遅れてマヤが漏らす。

「零号機のATフィールド反転、一気に侵食されます」

 その報告通り、使徒は零号機にどんどん潜り込み、やがて完全に一体化した。

「使徒を押え込むつもり?無理よ、止めなさい」

 叫んでいる訳ではないが明らかにいつもと違う口調でリツコがマイクを掴み言った。

「レイ、機体は捨てて逃げて」
「だめ、私がいなくなったらATフィールドが消えてしまう。だから、だめ」

 そして溜め息のような苦痛の呻きを出した。

「ModeD起動、零号機30秒後に自爆します」

 シゲルが叫んだ。

「レイ、死ぬ気なの。脱出しなさい」

 マコトに手で指示を出しながらミサトが叫ぶ。

「レイ、あなた私に逆らうの」

 怒りの声ともなんともつかぬ感情を秘めた静かな響きの声が発令所で聞こえた。

「あなたは私の道具よ。家族ごっこの人形、妹役のオモチャよ。おもちゃが逆らうんじゃないの。戻りなさい」

 声の冷たさに思わず振り向いたマヤが慌てて前を向いた。マヤでさえ見た事がないほどリツコの表情が歪んでいた。

「言う事を聞きなさい」
「新しいオモチャ手に入れてください」

 全身を覆う苦痛の中、レイは微笑んだ。そしてレイの姿がスクリーンから消えた。

「回線零号機より切断、全ての操作受け付けません。コアが潰れます、臨界突破」




 通信回線を切ったレイはシートにもたれ目を瞑った。プラグ内はカウントダウンの音が続く。目を開いた。横を向く。スクリーンの横の壁面にラミネートパックされた大吉のお札が張り付けてあった。そのまま持ち込もうとしたレイにマヤが加工をしてくれた。
 しばらくレイは見ていた。

「あれ?」

 何かが頬を伝わり膝に滴れた。

「なぜ?」

 膝を見た。またお札を見た。

「大吉。願いがかなう」

 読んでから目を瞑った。そして眼を瞑ったまま微笑んだ。

「姉さんの風邪が治ります様に」

 レイは眼を開くと手を伸ばしお札を剥がし胸に抱いた。そして辺りを閃光が覆った。




「目標、消失」

 暫くスクリーンはホワイトアウトしていた。センサーが回復すると同時に光景が映し出された。
 初号機がぽつんと突っ立っていた。爆風などはATフィールドで防ぎきったようだ。但し側には何もなかった。第三新東京市の大半の地上設備は消えていた。そして微かに水の音がし始めた。芦の湖の湖畔の一部が切れて、爆発で出来た窪地に少しずつ水が流れ込み始めた。

「綾波」

 スクリーンのシンジが呟きそして空ろな表情で爆心地を見つめ続けた。

「現時刻をもって作戦を終了します。第一種警戒態勢へ移行」

 ミサトは復唱しないマコトの肩をぽんと叩く。

「了解、状況イエローへ速やかに移行」
「零号機は?」
「エントリープラグの射出は、確認されていません」
「生存者の救出、急いで」
「EVAのコアの爆縮後の反転のエネルギーは、M20型NN兵器に匹敵するわ。エネルギーで言ったら……」

 リツコがくどくどと空ろな声で解説を始めた。様子が何かおかしい。

「エントリープラグは確かにパイロットを保護するわ。ただしそれは……」
「リツコ」
「EVAのコアの爆発は普通の物と違い、まず空間のねじれが周囲に撒き散らされるわ。これは重力波と同じく何者にも遮断されないから……」
「リツコ」

 ミサトはリツコの肩を掴んで振り向かせた。

「説明させてよ。仕事なんだから」
「ええ。後でゆっくり聞いてあげる。回収部隊の指揮をとってくれないかしら。あなたがやってあげたら」
「そう、判ったわ」

 リツコは俯き、出口へ向かう。出口の側の椅子に座るアスカを見た。白衣のポケットからハンカチを出してアスカの顔を荒っぽく拭いた。

「美少女は泣かないものよ」

 拭き終わるとハンカチを手にしたままドアに向かう。

「リツコも」
「私は少女じゃないわ」

 リツコは顎まで滴れてきた物を手で拭って外に出て行った。




「赤木博士」

 偶然か必然かそれを見つけたのはリツコが直接指揮をしているグループだった。リツコが説明した通りぐちゃぐちゃにそれは捻じれて溶けていた。部下達は入り口をこじ開けそこで動きが止った。リツコに向かい振り向く。防護服のヘルメットの下の顔は皆かける言葉を持っていなかった。
 リツコはひん曲がった入り口に身を乗り出すようにして防護服の上半身をつっ込む。ヘルメットの上に着いたライトが辺りを照らした。

 エントリープラグの中は外よりはまともだったが、やはり相当な高熱にさらされたらしい。有機物は全て焦げ、LCLも焦げ付き蒸発して残っていなかった。金属部分も一部溶けているので当然だろう。

 シートの残骸の上に消し炭の様な塊があった。それは人間の形にも見えた。リツコはゆっくり手を伸ばした。あと少しで手が触れそうに成った時、消し炭は崩れた。そして白い物が見えたが、レイの体質なのか、コアの爆発が特殊なのか、それも消し炭と同じように細かく砕けて行った。

「えっ」

 崩れて行った消し炭の胸の辺りにまだ残っていた物が有った。ほとんど炭化しているがそれはビニールの様な物だ。そして紙の切れ端が一緒に一部炭化せずに残っていた。

「願いはかなう」

 黒く変色していたがその切れ端にはそう書いてあった。
 リツコはその場に凍りついた様に固まった。しばらくすると身体をエントリープラグの入り口から引き抜いた。

「この事は極秘とします。プラグは回収。関係部品は処分して」
「了解」

 部下達は手早く作業を開始した。リツコは薙ぎ倒された大木の側まで行くと座り込んで寄り掛かった。

「願いはかなう」

 上を向いた。空は青かった。

「あなたの願いは何?」




「これで報告を終ります」

 司令室はいつでも薄暗い。リツコは回収結果の報告を終えた。

「次のレイを用意しろ」

 珍しく、すぐに返答せずにリツコは突っ立っていた。

「何か支障でもあるのか?」
「記憶のバックアップが相当前に成りますが」
「かまわん」
「赤木君どうしたのだね」
「いえ。若干時間がかかります。三日ほど。では早速作業にかかります」

 リツコは会釈をした。




「どうしたのリツコ」

 翌日一旦自宅に帰ったミサトの携帯に変な番号からかかってきた。MAGIを通した秘密回線らしい。

「そのまま聞いて。今MAGIの監視を解いたわ。全てを教えてあげる。加持君が教えてあげたかった事も。シンジ君とアスカも連れて来ていいわよ。あの子達にも知る権利はあるわ」
「判ったわ」




「あれ」

 MAGIを使い看視の眼を誤魔化しつつ進んだ四人は、セントラルドグマを下へ下へと潜って行った。とあるゲートの前でリツコが立ち往生してしまった。

「多分加持のせいね」

 ミサトが自分のIDカードをリーダーに通すとゲートは開いた。リツコ、ミサト、アスカ、シンジの順にゲートを通って行く。

「加持君、本当に死んだのかしら」

 ミサトは特に何の変化も無かったが、アスカはびくりと身体を震わせた。俯き気味に立ち止まった。足音が止ったのでミサトとリツコは振り返った。

「アスカ帰る?まだ辛そうだし」

 シンジが聞いてもやはり立ち止まっていたアスカだが、しばらくして首を横に振った。

「そう」

 首を横に振ったが進もうとしないアスカを見て、シンジは右手首を掴んだ。また身体を震わせたアスカだが引っ張られて行く事には逆らわなかった。

「バカにしなさいよ。みじめでしょ。私今自分じゃ何も決められない」

 引っ張られながらアスカは呟いた。

「僕も決めてない。ミサトさんに言われたから」
「そう。もうどうでもいいわ。判断なんかしたくない。何してもいいから決めて」
「とにかく行こう」

 二人のやりとりを聞いていたリツコとミサトだが、付いてくるようなのでそのままにしておく事にしたようだ。
 似たような通路をずっと進んでいた為、どのくらい経ったか時間感覚が判らなくなってきた頃、大きなゲートの前に着いた。

「ここよ。覚悟はいい?」
「いいわ」
「はい」
「そう」

 三人の声が聞こえた所でリツコがIDカードを滑らした。ゲートが開くとリツコを先頭に四人は入って行った。

「水槽?」

 ミサトの懐中電灯の光では、その部屋が水槽に囲まれるようになっている事しか見えなかった。辺りには微かに泡の音が響いている。

「本当にいいわね。明かりつけるわよ」
「いいわよ」

 ミサトが答えると、リツコは白衣のポケットに入っていたコントローラーのスイッチを押した。周囲は水槽の中の照明がついたため明るくなった。

「綾波」
「ファースト」

 シンジとアスカがまず呟いた。辺りの光景を見てその後は思考停止に陥ったようだ。

「リツコ」
「これが、ダミープラグの元、そして綾波レイの原料よ」

 水槽に満たされたLCLの中にはレイがぷかぷかと浮かんでいた。正確に言えばレイ達だ。ざっと数えても20体はある。口や肛門、性器などにチューブが差し込まれて伸びているのは、栄養や排出のためだろう。身体の各部には電極が付き電線が伸びている。殆ど動いていないが時々ぴくぴくと痙攣のような物を起こしている。

「ダミーシステムって、要はレイの脳髄?」
「そうとも言えるわ。ただここにあるのは単なる原料。クローンとして生産された単なる肉体」

 淡々と言える口調でリツコが説明をはじめた。

「人は神様を拾ったので喜んで手に入れようとした。だから罰が当たった。それが15年前」

 リツコは水槽に近づき右手の平を当てた。

「せっかく拾った神様も消えてしまったわ。でも今度は神様を自分達で復活させようとしたの。それがアダム。そしてアダムから神様に似せて人間を作った。それがエヴァ」
「人間なんですか?」

 リツコは振り向きミサト達を見た。三人とも唖然と水槽の中を見ていた。

「そう。人間なのよ。本来魂のないエヴァには人の魂が宿らせてあるもの。正確には宿ってしまったかしら。シンジ君感じなかったかしら?ユイさん。アスカはどう?」
「かあさん」
「ママ」

 二人の呟きを聞いてリツコはまた水槽の方を向いた。

「ただそれはコントロール出来ない。だからシンジ君達が乗るの」

 水槽の壁をゆっくり撫でる。

「でもできたらチルドレンがいなくてもコントロールできた方がいい。そのために作られた魂。意識。それがレイ。本来はダミーシステムのため、司令達の目的のために作られた意識よ。人工知能と言ってもいいわ」

 また振り返る。

「レイは八つの時に発狂したわ。寄せ集めの知識の不整合性のせいでね。それ以降はレイの意識や経験のベースは私なのよ」
「リツコの?」
「ええ。私ベースに修正を加えたの。レイが司令に好意を持っているのは、身体がユイさんのサルベージで生まれたからじゃなくて、私の記憶の影響が大きいわ」

 リツコは水槽にもたれ掛かり座り込んだ。

「前にレイと話したことがあるの。体と心を作り出した私はレイのお母さんなんだって。だから」

 リツコはポケットからコントローラーを出した。

「無理心中」

 コントローラーのスイッチを押した。水槽のレイ達が一斉に痙攣をはじめて内側から崩れはじめた。

「あんた、何やってるか、分かってんの」

 ミサトはショルダーホルスターからデトニクスを引き抜くとリツコに向けた。

「だから無理心中。この子達の行き先をおもんばかってね」

 リツコの手からコントローラーが滑り落ち床で音を立てた。

「この子達今のままなら無垢なまま苦しまず旅立てるわ。司令の、糞親父の妄想なんかで人形になって生きることもないわ」
「だからって」
「司令だけじゃないわ。副司令もよ。糞親父達よ」

 ミサトの声は聞こえているのかいないのかリツコは話し続けた。

「いい歳してレイレイレイレイ。狂ってるわ。それもレイが好きなんじゃないわ。レイの向こうにいる自分の理想の女、美化したユイさん、もっとはっきりいえば美化した自分のアニマを愛しているのよ。人類全てを巻き込んだオナニーよ。屑親父ども。バカ」

 俯いて言葉を吐き散らしていたリツコは上を向いた。ミサトと目があった。

「殺して。これ無理心中なんだから」
「それこそバカよ、あなたは」




おわり



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