銭湯

written by まっこう

「博士、入ります」
「どうぞ」

 リツコが技術第一課の実験室の隣にある私室でああだこうだと考えていると、インターホンからレイの声が聞こえて来た。リツコが返事をして振り返ると、いつもの制服姿でレイが入って来た。鞄を持っているところ見ると学校から直に来た様だ。今日はシンクロテストは無いので私用だろう。

「昨日シャワーが壊れました」
「そ、公務部に申請してあげるわ。座って少し待ってなさい」
「はい」

 レイが空いている椅子に座ったところで、リツコは端末に向き直りキーボードを叩き始めた。

「あら、工務部の予約埋まってるわ、二週間はかかるわね」

 リツコは回転椅子を回し振り返る。

「シャワーはあなたの数少ない趣味だし、困ったわね」

 リツコは組んだ足に肘を乗せ頬杖をついて、レイを見詰め考えはじめた。鞄を膝の上に乗せ椅子に座るレイは瞬きもせずにリツコを見ている

「ねえレイ、この際私の家に当分泊ったら?私もあまり家に帰らないから勿体ないしね。家は誰かが住んでいないとどんどん荒れるから」
「命令ならそうします」
「命令という訳じゃないけど」

 そこでリツコは頬杖を止め、組んだ足の膝に両手を置いた。

「共に司令の道具どおし仲良くしましょうと言うところかしら。それにアナタのいるマンションはさすがに荒れ過ぎでしょ。健康が維持出来ないと任務にも差支えるわよ」
「わかりました」
「レイはどうせ私物がそれほど無いんだから、そのまま一緒に来なさい。あとで取りに行けばいいわ」
「はい」
「ちょっと待ってて」

 リツコは足を解くと立ち上がり部屋の隅のロッカーの前に行き、脱いだ白衣を中のえもん掛けにかけた。ロッカーの戸の裏の鏡で簡単に化粧を直すとハンドバックを手に取る。

「じゃ行こうか」
「はい」

 レイは立ち上がった。




「あなた私服はほとんど持ってなかったわね」
「はい」

 夜の七時はまだ宵の口、地上に出て駅前まで来ると通りには人が溢れていた。

「ここで買って行きましょう。寝間着も」
「はい」

 駅の百貨店の前でリツコが言うと、レイはその八階建の建物を見あげてから答えた。リツコが店に入って行くと静かに付いて行く。エスカレーターで六階の子供服売り場に行った。ジーンズパンツと飾り気の無いシャツを数着に、ワンピースを数着、パジャマを三着とあと下着を買った。ついでに浴衣も買う。紺色の地に朝顔の模様が入ったものだ。買い物が終ると八階の展望レストランで食事をとり帰宅した。

「この部屋を使いなさい」

 駅から少し歩くとすぐに静かな住宅街に成った。リツコの家はそのうちの一軒で小さな庭付きの二階建てだ。ネルフが借りてリツコが使っている。家に入るとひんやりした空気が出迎えた。空調はつけっぱなしらしい。リツコがたたきからあがるとレイも付いて行く。リツコは客間に案内した。客間と言っても普段は使われていないのか何もない和室だ。

「シャワーは」
「こっちよ」

 レイが紙袋から下着だけを取り出したのでリツコは浴室に案内する。脱衣所でさっさかとレイが脱ぎだした。リツコも寝室に戻り下着をとってくると脱ぎだした。

「レイ、最近体調はどう」
「問題は有りません」
「そっ」

 一応本人の主観的な物も聞いておきたいのだろう。二人とも全裸に成ると浴室に入る。リツコの趣味なのか浴室は相当広い。湯船もだ。二人入っても問題はない。

 リツコは湯船のお湯でレイの体を流してやる。ついでに身体の各部をさわり調べている。EVAと同じで自分の作品だ。正確には双方とも違う者が作ってリツコは最終微調整をしている。お互いの立場をよく判っているのかレイもされるがままに成っている。OKだ。ペットに対する物や自分の道具に対する物かもしれないが、リツコもレイに愛情は感じているのかもしれない。二人で湯船に浸かる。リツコは湯船の縁に座ると、自分の膝の上にレイを乗せる。

 ふとレイの視線が湯船のそばのプラスチックのワゴンに固定された。暫く見ていた。手を伸ばす。石けんの容器に吸盤でそれはくっついていた。
 それは簡単に言うと魚雷の真ん中辺りに吸盤をつけたような格好をしていた。

「博士これは何」
「それは……水中モーターよ」
「水中モーター?」

 リツコの声が普段と違う事だけはレイにも判った。

「そっ」

 リツコは何となくレイを抱きしめる。放すと話しはじめた。小さい時から余り女の子が欲しがる物は欲しがらなかった。オモチャ屋に行くとお人形のコーナーよりプラモデルのコーナーに張り付いていた。機械が好きだった。ある日妙な物が目に付いた。それは魚雷の様な形をして後ろにスクリューがあるが、真ん中辺りに吸盤が付いている。それが入っている紙のケースには、戦艦などのプラモデルの底にそれを付けてお風呂で動かしているイラストが書いてあった。

「すいちゅうもーたー」

 四才児のリツコはその商品名を読むと瞳をきらきらさせ、手を引いているナオコを見あげた。しょうがない子と言った感じで微笑んだナオコはその箱を手に取りレジに向かった。

「二十年ぐらい前に製造中止に成ったのだけど、去年復刻版が出たのよ。懐かしくってね。あの水中モーターを買ってくれた頃が一番幸せだったのかも」

 リツコは右手をレイの喉に持って行く。掴むと力を込めた。レイの体が軽く震えた。

「アンタとかかわったおかげで仲直りの機会を無くしちゃったわ。母さんと」
「苦しい」
「そっ」

 レイがひしゃげた声で訴えるがリツコはすぐには離さない。十秒ほどしてから手を離した。レイは身体の力を抜きリツコにもたれ掛かるように荒い呼吸をした。

「すまなかったわ。レイじゃないものね。あのレイは」

 リツコはレイの固い髪を撫でた。暫くそうしていた。

「苦痛には慣れているから。博士これどうやって動かすのですか?」
「その電池を入れるところを廻せばいいけど、電池入っていないから動かないわよ。そうだ」

 何かリツコの声が嬉しそうだったのでレイは振り向いた。案の定優しい微笑みを浮かべていた。

「やっぱり広いところでやるのがいいでしょ。明日銭湯に行きましょ」
「はい」




「え〜〜お風呂壊れてるのぉ〜〜」

 翌日は日差しがきつかった。タダでさえいつでも燃えて暑苦しいアスカは、顔を汗だらけにして帰ってきた。三国一の美少女もこれでは台無しだ。

「そっ。私も今日は仕事がないし、とっくりでもお盆で浮かべてと思ったのよねぇ〜〜」

 最近脂肪が少し気になりだしてきたお臍の辺りをさすりつつホットパンツに下着姿のミサトが迎えた。シンジは溜め息をついた。同居しはじめた頃は綺麗なお姉様の淫らな姿に熱膨張もしたが流石に見慣れた。最近はそれに美少女の湯上がり姿まで加わっている。

「それで修理は頼みましたか?」

 玄関のたたきで仁王立ちに成っているアスカは無視して靴を脱ぎだしたシンジは、さっさと上がると鞄を居間の隅に置き風呂場に直行する。見たところは変わりが無いが少し悪臭がする。

「排水口でも詰まったの?」
「そうよ。うちの工務部に頼んだけど忙しいから当分来てくれないわ」

 シンジがそう言うと玄関の方から声がした。

「普通の水道屋さんじゃだめなんですか?」
「保安上の規則で駄目なのよ」
「なにそれ〜〜」

 すぐさまアスカの声が聞こえてきた。シンジがため息をつきつつ風呂場から出ると、怒りんぼのアスカが眉を吊り上げてやってきた。

「なんとかしなさいよ」
「僕には出来ないよ」
「あんた男でしょ、情けないわね」

 アスカは美少女だ。普通美少女の顔が二十センチメートルにあれば嬉しいところだが、怒りんぼの顔ではさすがに嬉しくは無い。

「まあまあ、そうだ銭湯にいかない?」
「戦闘?なんで戦うのよ」

 後ろからミサトに言われてアスカは怪訝そうに振り返り、ミサトのにたにた笑いでまた自分が何か勘違いした事に気付いた。顔が真っ赤に成った。

「なっ何よちょっとしたジョークよ」
「へぇ〜〜じゃ何の事?」
「何ってあれ、アレの事よ」
「アレって?」
「アレよアレ」

 不利を悟ったのかアスカはまたシンジの方を向いた。

「大体シンジがいけないのよ」

 もっともこのいちゃもんは効果が無かったようだ。シンジが珍しくアスカをじっと見ている。アスカは押し付けるように接近していた顔を慌てて引っ込めた。

「わっ判ったわよ。降参、せんとうって何よ」
「風呂屋さんの事。大きい共同浴場」
「そゆ事〜〜」

 やたら嬉しそうに言うミサトにアスカは振り返ると睨みつけた。

「じゃ温泉の事じゃん」
「ちょっち違うのよね〜〜まっともかく行きましょ。結構いいものよ」
「そっ、まぁミサトがそう言うなら行ってあげてもいいわ。シンジ行くわよ」
「はいはい」

 溜め息をつくとシンジは部屋に戻って行った。




「あれ、リツコどうしたの?レイも」

 ミサトがシンジとアスカを引き連れて銭湯までやって来ると、浴衣姿のリツコとレイが石鹸とタオルと下着を入れた桃色の巾着袋を手にやってきた。対称的に、ミサトとアスカはホットパンツにTシャツ、シンジは半ズボンにTシャツ姿で、手のプラスチックのたらいに石鹸とタオルと下着を入れている。

「レイの部屋のシャワーが壊れたから昨日からうちに泊っているのよ。言わなかったかしら?」
「そう言えばそんな事言っていたわね」

 ミサトはそう呟くと浴衣姿のリツコとレイを足元から頭まで舐め回すようにじっくりと見た。

「何よ」
「しみじみリツコって美人よね。浴衣とか着せるとちょっと敵わないわ」
「誉めても何も出ないわよ。大体誉めるならレイを誉めたら」

 リツコは後ろを静かに付いてきたレイを前に押し出した。

「そりゃレイの方が美人の上に若さまで付くから当然だけど、それはシンちゃんの仕事でしょ」

 そう言いつつミサトはシンジを前に押し出した。

「それにしてもシンちゃんは美人に恵まれてるわねぇ。同い年が二人、お姉様が二人」
「確かに綾波とアスカは美人ですよね。リツコさんも」

 実際美人だなと思いつつレイとリツコを見た。見慣れていないから余計そう見えるのかなとも思う。

「あらぁ〜〜不公平。シンちゃんはこのミサトお姉様が美人ではないとでも?」

 ミサトは顔をシンジの顔に押しつけるように近づけた。もっともこの仕草をミサトはよくするのでシンジも驚かない。

「学校から帰って居間に行くと、ビールの空き缶片手に暑がって下着姿で床で寝ている人を美人だと?」

 最近はシンジも強く成った。シンジが言い返すとミサトは顔をこわばらせて引いた。

「あは、あはははは」
「漫才やっていないで早く入るわよ」

 我慢していたアスカがしびれを切らしたらしい。口をひん曲げてシンジのベルトの端を持って引っ張って行く。

「それもそうね」

 リツコは呟くとレイの手を握った。無意識にやって自分でも驚いたがレイが嫌がった訳ではないので、そのまま入り口に向かう。珍しい物を見たとでも言いたげに見ているミサトは無視した。レイは素直に付いて行く。ミサトも付いて行く。

「ふ〜〜ん。入り口は男女で別れてるのね」

 古めかしいガラスの引き戸を開けて中に入ると、やはり古めかしい木の札をさして鍵にする下駄箱がある玄関に成っていた。左手が男湯、右手が女湯だ。

「ここは穴場なのよ。冷泉を温めてお風呂に使っているから、普通なら温泉なんて書くところだけどご主人の方針で書いてないのよ。暖まるし普通の銭湯の料金で入れるしね」

 どんな時でも説明してしまうリツコのうんちくを聞いてか聞かずかは知らぬが、アスカは靴を脱ぐと下駄箱に向かった。何でも一番が好きなアスカはあの一番に靴を入れると鍵を引き抜いた。物珍しいらしく木の札をひっくりがえしてはしみじみと見ている。アスカに解放されたシンジも同じ様に靴を入れた。一方レイも銭湯は初めてらしい。レイにしては珍しく、靴を収めた後興味深げに木の鍵を見ている。

「じゃ入るわよ。シンジ覗くんじゃないわよ」
「誰がアスカのなんか」
「ふ〜〜ん。優等生のなら覗くの?」
「最近アスカはミサトさんに似て来たね」
「うっ」

 言い返されてアスカが詰まった所でシンジはさっさと男湯に入って行った。

「まっ後は中でゆっくり行きましょ」

 見なくてもにたにた笑いを浮かべているのが判るミサトの声がした。




「あっコダマさん」

 入ってすぐの番台にはぐるぐる眼鏡の高校生ぐらいの少女が座っていた。

「アスカちゃん、ミサトさん達も一緒に来たのね。じゃさっきの子はシンジ君?」

 手にしている文庫本から目を離したコダマは、アスカに微笑みかけた。

「そっ。コダマさんは何してるの?」
「バイトよ。ここのご主人は親戚なの。番台なら本読めるしね」

 両親が他界している洞木家は、高校二年生のコダマ、中学二年生のヒカリ、小学五年生のノゾミの三姉妹と祖母の四人暮らしだ。ヒカリは来日して間もないアスカの初めての同姓の友達なのでよく遊びに行く。コダマとも顔なじみだ。

「番台って何?」
「あっそうか、アスカちゃんは日本の銭湯初めてね」
「うん」
「番台ってここよ。ここで入浴料を貰うの」
「ふぅ〜〜ん」

 アスカは番台の縁に手をかけて中を覗き込む。

「あらアスカちゃん、シンジ君の着替え覗きたいの?」
「そんな事しないわよ。へぇ〜〜番台の中ってこうなっているんだ」

 興味深そうにアスカはきょろきょろした後床に降りた。

「まっ後でじっくり見よぅっと。はいお金」

 お金と言ってもアスカが差し出したのはネルフのIDカードだ。第三新東京市ではほとんどの店でクレジットカードとして通用する。

「じゃ、アスカ全員分頼むわよ」
「何よそれぇ〜〜」
「夕食代は出してあげるから」

 鼻歌交じりにミサトが入って行く。リツコとレイも続いた。コダマは吹き出しそうに成りながら四人分の料金をアスカのカードから引き落とすとアスカに戻した。アスカはぶすっとした顔に成ってレイの後ろを付いて行く。アスカはともかくレイも銭湯は始めてだったらしく珍しく興味深げに辺りを見回している。編み籠が置いてある棚と姿見と体重計、それに各種の飲み物が入った冷蔵庫などがある脱衣所だ。

「ここで脱ぐの?ロッカーは?」
「無いわよ、この籠に脱いだ物を入れておくのよ」

 ミサトは棚の籠を指差すとさっさと脱ぎはじめた。

「げっ、またしても何と言う危機感の無さ。日本人ってこれだから」
「アスカだって四分の一は日本人でしょ」
「私は生まれ育ちはドイツ。国籍はアメリカよ」
「でも顔は和風なのよね〜〜。学校では偽外人とか言われてるんだって?」
「何よ、アル中乳だけ女に言われたくないわ」

 けたたましく漫才をしながら脱いでいるミサトとアスカに比べて、リツコとレイは極々静かに脱衣している。もっとも終始無表情なレイとは対照的に、リツコは呆れ顔をしてミサト達を見つつ脱いでいる。

「それにしても銭湯ってお婆さんが多いのね」

 アスカが言う通りやたら老婆が多かった。騒がしいアスカに皆一様に優しい視線を送っている。

「今日はお年寄りが無料の日だからでしょ。確か水曜日はそうだった筈よ」

 こちらはさっさと脱ぎ終わり前を緑のタオルで隠しているリツコが言った。アスカは振り返るとしみじみとリツコを見た。

「リツコ脱ぐと凄いのね」
「ミサトみたいにだらだらと胸だけ大きい訳じゃないから。普段の摂生が違うのよ」

 確かにウエストは細そうだし、胸もミサトにそれほど劣る訳ではない。ただどちらかと言うと胸が大きく柳腰のミサトに比べ、安産型の腰をしている。

「はいはいどうせ、ビール腹ですよ。それよりアスカも早く脱ぎなさいよ」

 丁度脱ぎ終わったミサトも前を赤いタオルで隠して立っていた。長い髪は輪ゴムで上手くまとめて上げてある。レイもさっさかと脱いでぼけっと立っている。全く隠そうとしないのでリツコが前を隠すように言うと持って来た青いタオルで前を隠した。

「判ったわよ。それにしてもみんなよくこんなに堂々と脱げるわよね」
「それが銭湯よ。あらそれともアスカは恐いのかしら?」

 ミサトとアスカの付き合いは長い。アスカのコントロールは心得ている。恐いかと言われてアスカは猛然と脱ぎはじめた。アスカが脱いでいる間リツコ達は体重計に乗った。

「はぁ〜〜太り気味」
「困ったじゃない、加持君はミサトの細いウェストが好きだったでしょ」
「加持なんて関係無いわよ」
「じゃ加持さんは私が貰うから」

 ショーツを脱ぎながら間髪入れずアスカが言った。

「どうぞどうぞ。熨斗をつけて上げるわ」
「のさないでよ。ミサトは乱暴なんだから」

 アスカの答えを聞いてミサトとリツコは吹き出した後笑いだした。アスカはまた何か間違ったのかと真っ赤に成り、一方レイはぽつねんと立っていた。




「確かにあったまるなぁ〜〜」

 一方シンジの方は既に湯船に浸かっていた。大きい湯船はシンジの外にはお年寄りが二人入っているだけだ。シンジは頭に畳んだタオルを乗せ湯船の縁に身を預けて目を瞑った。

「あれ、シンジ君じゃないか」

 いい気持ちでお湯に身を任せていたシンジに話しかける者がいた。目を開くとやはり頭にタオルを乗せた不精髭の男が近寄って来た。

「あっ加持さん」
「すると向こうには葛城とアスカもいるのかい?」
「はい。リツコさんと綾波もいます。入り口でちょうど会ったんです」
「そりゃ奇遇だね」

 そう言うと加持は頭のタオルで顔を拭った。

「そう言えば葛城達と出会った頃はよく温泉に行ったな。シンジ君もアスカやレイちゃんと行くといいよ。理解が深まるもんさ。出来たら混浴だな。アスカはそれなりにすごいぞ」
「はあ。アスカは凄そうかな」
「だが、プロポーションはレイちゃんの方がいいかも知れんな」
「加持さんっていつもそんな事ばかり考えているんですか?」
「男がそういう事を考えなく成ったら終わりさ」

 加持はそう言うとウィンクをしてみせた。シンジは溜め息をついた。しばらく四方山話をしていると、少し離れたところでのんびりと湯に浸かっていたお年寄りが近寄って来た。もう相当な歳で年齢は想像がつかない。

「坊やはあのエブとかいうロボットの運転手かの」
「はい?」
「エブに乗っているのかの」
「あっはい。エヴァですね」
「そうかいそうかい」

 そのお年寄りは皺だらけの顔を綻ばした。秘密のはずなのだがシンジ達の顔やプロフィールは知れ渡っているらしい。

「ワシも坊やより少し行った頃の歳に学徒出陣にいってね」

 そこからが長かった。そのお年寄りは自分が太平洋戦争に行って南方から命からがら帰って来てからの事を話しはじめた。他人の話を聞くのがそれ程苦手でないシンジは、その年寄りの言葉に耳を傾けつつゆっくりと湯に浸かった。年寄りも相槌が欲しい訳でもないらしくただ話し続ける。結構な時間が経ちそろそろ湯から上がろうかと思い始めた頃にお年寄りの話はやっと終った。

「それでな最後にこれだけは肝に命じておくんじゃぞ」
「なんですか?」
「人間死んだらおしまいじゃ。生き延びるんじゃよ。人間長生きするのが一番ええんじゃ」

 そのお年寄りはじっとシンジを見ていた。よく判らなかったがその瞳の底に迫力があった。

「はい」




 一方アスカ達の方は騒がしく入浴中だった。まず洗い場でアスカがスッ転び尻餅をついた。見事に大股開きだ。慌てて隠したがくすくす笑いが辺りに起こり、アスカは恥ずかしそうに体中を真っ赤にした。色白な為よく目立つ。洗い場の端の方に行くと恥ずかしそうに身体をちぢこませて洗いはじめた。一方レイは辺りを見回してはきょろきょろしていたが、アスカの横に行って身体を流した。手ぬぐいを頭に乗せると蛇口の上に置いた洗面器から小さいプラスチックのアヒルと水中モーターを取り湯船に向かう。湯船に入ると端の方に行き、アヒルに水中モーターを付け浮かべた。アヒルはレイの前で大きな円を描いて回りはじめた。
 レイがその様子をじっと見ているとアスカ達が湯船に入って来た。

「何それ?」
「水中モーター」

 アスカが続いて質問をしようとしたが、必要は無かった。ネルフが誇る説明おばさんが聞かれてもいないのに話し始めたからだ。いつもは面倒がってリツコの説明など聞かぬアスカだが興味をそそられたらしく静かに聞いている。ほのぼのとした光景にミサトがくつろいでいると一人の老婆が寄ってきて話しかけてきた。

「綺麗な髪のお嬢さんだね、旦那さんが外人さんなのかい?」
「はい?」

 はじめミサトは何の事だか判らなかった。

「娘さんは旦那さんとあなたのいいとこ取りだわね」

 それでミサトはやっと気がついた。

「私まだ結婚してませんよ」
「あら、ちゃんと籍は入れておいた方がいいわよ」
「そう言う訳じゃなくて、アスカは私の子じゃないですよ」

 ミサトは慌てて手を顔の前で振った。

「ママひどい。いくら私が不倫相手との子だからって」

 どうやらアスカは聞いていたらしい。顔を覆って泣き真似をはじめた。

「あなたいくら若い時のあやまちだといっても、こんな可愛い子に酷すぎますよ」
「そうよミサト、14年前のあの時お互い頑張ろうって、大きいお腹をさすりつつ約束したじゃない」

 水中モーター付きアヒルをじっと見ていたレイを抱き寄せてリツコが言った。

「リツコ混ぜっ返さないでよ」
「言い訳はいけません。お腹を痛めて産んだ子でしょ」

 老婆はお説教をはじめてしまった。




「あら、じゃあなた達があのロボットを運転しているの」
「はい」

 ミサトがお説教される様子を少し楽しんでからリツコが事実を説明した。それでも老婆はミサトとアスカが似ているわとしつこかったが納得したようだ。ただあまり老婆が似ていると言ったのでアスカが気にしはじめてしまった。

「わたしそんなにミサトに似ているかな」
「ええ、確かに顔つきは違うけど、髪の毛の艶と長さや、肌の綺麗さは似ているし、プロポーションも将来は似てきますよ」
「そうかなぁ〜〜」

 アスカはミサトをしみじみと見た。

「良かったじゃない、こんなに綺麗なお姉さまに将来成れるのよ」
「でもミサトって胸デブなだけだし」
「あら、こんな形のいい胸をつかまえてそれはないわよ」
「ほんとね、母乳の出がよさそうね。あなたいい人はいないの?」
「えっと、あの仕事の関係でちょっと結婚はまだ」
「あらあら、仕事もいいけど、いつまでも若くないんだから、いい縁があったらきちんとしなければいけませんよ」
「はあ」

 老婆の関心がまたミサトに移ったのでアスカはレイの方を見た。正確にはレイの目の前で小さな半径でくるくると廻っている水中モーター付きのアヒルを見ていた。入れた電池が古いのかスクリューの動きも遅くアヒルものんびりと動いている。

「パワーアップよね」

 アスカは腕を組んでアヒルを睨んでいる。

「やっぱり水中モーターをパラレルで付けるべきよ」
「いかにも力づくが好きなアスカの発想ね」
「じゃリツコだったらどうするわけ?」
「まずは普通の単三アルカリを、ニッケル水素電池辺りにする。単三リチウム電池もいいわ」
「いっその事モーターを乗せ変えたら?」
「まずはオリジナルの範囲内でパワーアップを図るべきよ」

 アスカとリツコが改造話に熱中している間も水中モーター付きアヒルはゆっくりと水面を廻って、レイは眼で追いかけていた。




「確かに風呂上がりのビールは最高だわ。だけど銭湯では牛乳よ。それもフルーツ牛乳」

 皆十分暖まったのでそろって出るとミサトがそんなことを言いだした。少しみっともないぐらい派手にタオルで水気を取ると、手早くバスタオルを胸に引っかけるように巻き付けた。大股で姿見の側の冷蔵庫まで行くと中からフルーツ牛乳をとりだした。ガラス瓶がオレンジに染まっているところを見るとみかんの様だ。冷蔵庫の横に紐でぶら下がっている蓋取りの針を刺してこじるとポンと結構いい音がした。ガラス瓶の口の辺りをビニールで覆っているせいだろう。ミサトは左手を腰に当ててぐびぐびと呑んだ

「ぷはぁ〜〜やっぱりフルーツ牛乳よね」
「ミサトは相変わらず餓鬼ね。大人はコーヒーよ」

 そんな事を言いながら今度はコーヒー牛乳をリツコが飲み干した。

「なんか美味しそうね」
「そりゃそうよ、紙パックとは、こう瓶をもった感触時点で違うから」

 アスカだけでなくレイも旨そうに思ったようだ。こちらは普通の牛乳を取り出すと、ミサトのポーズを真似して飲み始めた。

「美味しい」

 銭湯で汗が出た後の牛乳は甘露といえるだろう。思わずレイの顔を笑顔が覆った。

「じゃ私も」

 負けてたまるかとアスカがブドウ味のフルーツ牛乳を飲み始めたが、あまりに胸を張りすぎたためタオルが外れてしまった。見事に素っ裸だ。それでもさすが天下の意地っ張り、惣流・アスカ・ラングレーだけあり、恥ずかしくて体中真っ赤にしながらもポーズは崩さず飲み干した。




 皆が着替え終わるとミサトが番台越しに声をかけて来たのでシンジと加持はゆっくりと外に出た。

「ストーカー」
「おいおい、それは無いだろう」

 ミサトの加持への第一声はこれだ。汚らわしいという感じで横目で睨んでいる。加持は肩をすくめた。

「加持さんは私を迎えに来てくれたのよねぇぇ」

 アスカが加持の腕にぶら下がり、腕に頬ずりをする。

「はははは、そうだ皆飯はまだか?飯も旨い居酒屋があってね、その上そこでしか飲めない地酒が旨い」
「ふん、地酒で釣れると思ったら大間違いよ」

 ミサトが加持に顔を突きつけるように睨み付けた。

「まあ丁度お腹も空いてきたし、シンジ君も家に帰って夕食の用意も面倒だろうし、ここは加持君の顔を立てて上げたら、ミサト」

 風呂上がりで気分もゆったりしているリツコがとりなしたため加持の奢りで夕食となった。スパイは旨い飲み屋を知っているのか女ったらしは持ち駒が多いと言うべきか、確かに酒も旨くて飯も旨かった。

「大体においてねぇ〜〜」

 珍しく目が据わるまで呑んだミサトは、テーブルの横に座った加持の襟元をひっつかんで先ほどから愚痴を言い続けている。加持の方は慣れているのか苦笑いを浮かべてはあしらっている。

「大体シンジは内罰的すぎるのよ」

 もう一人絡んでいる者がいた。アスカが顔を真っ赤にしてシンジにもたれかかりながら愚痴を言っている。ビールなんて食前酒よと加持のビールのジョッキを一気に飲み干したのはいいが、目がぐるぐる回りちゃんと座っていられないようだ。完全に酔っている為かいつもはつり目で怒りんぼの顔が、垂れ目のお多福顔になっている。

「もう少し自分って言う物がないの?あんたは」

 急に言葉が途切れた。怒り姫は眠り姫となった様でシンジにもたれ掛かって静かな寝息を立て始めた。

「あらみんなおねむね」

 リツコの言うとおり、アスカは寝込んでしまったし、レイも風呂疲れが出たのか目がとろんとし始めていた。




「お母さん、綿飴欲しい」

 下駄の鼻緒が切れた為母親におぶさって貰っていた幼女は、綿飴を作る装置の前で目をきらきらさせながら母の髪の毛を引っ張った。浴衣姿の母親は二十代の後半だ。おぶさっている幼女は四歳ぐらいだろう。二人だけで来たらしく父親らしい姿は側になかった。

「しょうがないわね」

 栗毛の母親は顔に微笑みを浮かべると屋台に近づいて行く。綿飴を一つ頼むとその場で店の若者が作ってくれた。ざらめを回転する機械の真ん中に入れると綿飴が噴き出てくる。それを割り箸に器用に巻き付けて行く。見ていた幼女は歓声を上げた。出来上がった所で母親は振り返って背中の子を屋台の方に向けた。手を伸ばした幼女の手に綿飴の割り箸が納まると、幼女はまた歓声を上げた。母親は代金を払うとまた人ごみの中を歩いて行く。幼女は顔中を綿飴だらけにして食べて行く。

「おいしい」
「そう、よかったわね」




「あれ?」
「起きちゃった?」

 レイが気が付くと目の前に金色の塊があった。何か身体が揺れている。どうやらおぶられている様だ。暫くぼけっと見ていると目のピントがあってきた。リツコだ。しばらくして居酒屋の前でシンジ達と別れたのを思い出した。

「博士私夢を見ました」
「どんな?」

 レイは今見た夢をリツコの耳元で話した。レイをおんぶしながら歩いていたリツコの表情が少し変わってきた。微笑みとも嘲りとも悲しみとも判らぬ表情だ。

「それは私の記憶の断片が夢と成って現れたのよ」
「博士の、夢?」
「そっ」

 そう言うとリツコは黙った。そのまま歩いて行く。第三新東京市の夜の人口は少ない。誰にも会わずに歩いて行く。女の二人づれだが危険な事はない。第三新東京市は犯罪が極端に少ない。ここの治安はネルフが司っている。犯罪者は司法判断など待たずに処分出来る。それは大体に置いてとてもキツく犯罪者もあまり寄りつかない。
 そんな訳で安全な夜道を星明かりのもとそのまま歩いていた。

「あなたの記憶は全て作り物だというのは知っているわね」
「はい」
「前のレイが滅びた時は記憶のバックアップが上手くいってなかったから、技術部が職員の色々な記憶を組み合わせて作り上げたわ。それを入れたの。覚えてる?そんな訳無いわね。つぎはぎだらけの記憶は三年間でおしゃかに成ったわ。その時記憶は一旦綺麗に消された」
「そう」
「その後検討の結果、誰かの記憶をベースに作り直す事に成ったの。で、私の記憶をベースにしたわ」
「そう。博士、私もう歩けます」
「そっ」

 リツコは屈むとレイを降ろした。振り向くとリツコはしゃがみ、ぼけっと立っているレイの浴衣の乱れを直してやる。

「女の子なんだから気をつけるのよ」

 レイはきょとんとした瞳でリツコの頭を見ていた。その視線に気付いたのかレイの顔にちらりと視線を向けた。

「不思議かしら?」
「はい」
「そう」

 素直なレイの答えに苦笑をするとリツコは立ち上がった。

「考えてみると」

 リツコは振り返ると歩きだす。レイも巾着袋を手に付いてくる。二人のサンダルの音が辺りに響く。レイはリツコと並んで歩いていたが、自動点灯の玄関灯が点いたのに驚いた野良猫が垣根から急に飛びだしてきた為、それを避けてリツコに寄り掛かるように成り反射的に手を握った。びくりと震えたリツコだがすぐに握り返して歩いて行く。暫くそうやっていた。

「レイって私の子供なのかもね」
「なぜ?」
「身体は司令達の作品だけど、記憶は私のを引き継いでいるわ」
「博士と司令の子供?」
「かもね」

 リツコの唇の端が微かに歪んだ。

「博士は人です。私は人ではないです」
「そうだったわね」

 またしばらく歩いて行く。リツコは何とはなしに顔を上げた。星が綺麗だ。

「あら、流れ星」

 リツコが立ち止まりそう呟いたのでレイは顔を上げた。視界の左端で輝きが見えて消えた。手を繋いだ二人は暫くぼけっと空を見あげていた。

「レイ」
「はい」
「アナタが化け物でも、私は人として愛して、人として憎んであげるわ。恋敵が化け物じゃ切なすぎるわ」

 リツコはレイの手を引いてまた歩きだした。

「はい」

 しばらくしてレイが言った。

「博士」
「なに?」
「お母さんってどんな感じの物ですか?銭湯のお婆さんが言っていた」
「そうね」

 今度はリツコの顔に微笑みが浮かんだ。

「女の子にとっては最初のライバルかな。そして暖かくって優しい物」
「じゃ、やっぱり博士は私のお母さんかもしれない」

 しばらく黙っていたリツコだが、そのうちくすくす笑いを始めた。

「博士、どうしました?」
「こんな大きい子供がいるなんて、私おませだったのね」

 リツコの声の調子に顔を見あげると、リツコの方もレイを見ていた。とても優しい笑顔が二人にあった。

「じゃ少しは母親らしい事をしようかしら。明日から行儀作法を叩き込んであげるわ」

 リツコは笑みを浮かべたまま前を見て歩いて行く。

「そのうち家族ごっこも楽しめなくなるわ。それまでは私は」

 リツコは唇を少し曲げて考えるとレイの方を向いた。

「やっぱりお母さんじゃなくってお姉さんでどうかしら?これでも花の乙女のつもりよ」
「はい、お姉さん」

 レイがそう答えるとどちらからともなく笑い声が溢れた。

「お風呂っていい物ね。優しくなれるわ」
「はい」

 そして二人はゆっくりと手を繋いだまま歩いて行った。




 おわり



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