これは、序章。

 語らずにはいられない話の。

 夢みたいな、夢でもないような二日間の。



世界は燃えている
                               Written By NONO



 軽快な音をたてて進んでいく、無駄のない動き。いつしかすっかり定着してしまった役割分担。こんなふうになるとは思わなかった。分担されていない役割。
 中華鍋に投入した野菜を混ぜながら、魚の焼き具合を見る。まだもう少しかかりそうだ。分厚いから、弱火でじっくり焼かなくてならない。野菜に火が通り、味つけをする。

「ミサトさん、そろそろできますよ」
 奥の部屋に呼びかけながら、手は止めなかった。火を消し、出しておいた大皿に盛りつける。注意したつもりだが、少し多かったかもしれない。数日前までもう一人いたから、分量の按配がわかりづらくなっていた。

 ミサトがのそのそと入ってきて、冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。シンジはそれに併せて冷やっこと焼き茄子を出す。ミサトの苦笑混じりの「ありがとう」にも、それほど感動はなかった。毎回繰り返されている光景だし、なにより「相変わらず気がきくわね」という苦笑いはあまり気持ちのいいものではない。
 すべての支度が整い、食事をはじめる。いつもは隣にいた赤毛の少女がいないのは、やはり淋しかった。口うるさいし、すぐ怒るけれど。

(ぼくがあの光を受けてたら……やっぱりアスカと同じようになっているんだろうな)

 先日現れた十五番目の使徒は超長距離射撃で迎撃する弐号機の射程距離外から不思議な光を放ち、パイロットの精神を探り、犯した。どういうカラクリかはわからないが、それよりもあの悲痛な叫びがシンジの耳からどうしても離れずにいる。

「あたしの心を覗かないで!」

 思わず鳥肌が立って、箸が止まった。ため息を小さく漏らして、食事をつづける。

 会話はほとんどなかった。自分がここにやってきた時以来の静けさかもしれないが、あの時は向かい側で黙々と酒を飲むミサトがずいぶんと盛り上げようとしてくれた。しかし、今はお互いそんな余裕はない。
 学校に行かなくなったために訓練が増え、シンジは疲労を双肩に抱えているし、ミサトはずっと考え事をしていた。食事が終わるとすぐに自室に引っ込み、端末をいじっている。

 二人とも食事を終え、ごちそうさま、と言うと、ミサトがすぐに立ち上がって皿を下げると、洗面所に向かった。シンジは黙って皿を片づけはじめる。食卓には野菜炒めやらなにやらが余っていて、やはり作りすすぎたんだ、と思った。


「アスカ、どこ行ったんだろう…?」










 パイロットの視点で繰り広げられる目まぐるしいシューティング・ゲームに興じるアスカの後ろ姿を見つめるヒカリは、ただぼんやりとその光景を眺めていた。
 三日前、ここに転がり込んできたアスカの疲弊し、憔悴しきった顔色も、今は戻っている。アスカが泊まりに来ることは前にもあったし、泊まりにくること自体はそれほど不自然ではなかった。妹と姉には、戦闘で家を無くしたからしばらく泊めてあげたいとウソをつき、そのショックで精神的不安定だともつけ加えておいた。そうすれば学校にも行かずにゲームばかりやっている姿も問題ない。
 見え見えの嘘だとは充分自覚しているけど。

 機関銃の音がテレビから発せられている。やったことのないゲームと言っていたのに、もう最終ステージまで辿り着いてしまっている。

(こういう戦闘に慣れてるからかしら)

 ぞっとしない考えだった。親しい少女が――もちろんエヴァンゲリオンのパイロットだとは知っていたにせよ――戦い慣れしているというのは、常識では考えづらい。

 とうとう最終ボスだ。プレーヤーが操る戦闘機の数十倍もある爆撃機。下にある故郷の町を守りながら戦うという設定だ。アスカは素早く機体を操り、少しずつダメージを与えていく。
 相手はパワーゲージが半分まで減ったところで外部装甲を切り離し、格段にスピードを上げてきた。その上新兵器を使ってくる。
 画面一杯に広がる高熱の光。避ける方法はなく、必ずパワーゲージを大幅に減らされる。使ってくるのは一度きりなので、そのときまでに喰らっても撃墜されないだけのパワーゲージを確保しなくてはならない。
 アスカの機体はギリギリで生き残ったが、彼女はあっさり電源を落とした。

「ヒカリ」
「な、なに?」
「寝よっか」
「…うん」


 ヒカリはベッドにもぐり、アスカが髪留めを外し、電気を消すと、彼女は崩れるようにベッドに寝転び、大きなため息をついた。


「さっき、惜しかったね」
「……そうね」
 いくらかの沈黙の後、ようやく返ってくる言葉はそっけなく、それでいてかすかに震えていた。ため息が漏れたりすることがないかわりに、態度そのものがそれに近かった。横を向いて背中を丸める姿は卑屈とも言えるほど小さく、隣に自分がいるのに、ひどく孤独だった。たとえようもないほど、孤独だった。

「ごめんね」
 アスカが吐きだす呼吸に織り交ぜて発した言葉は、やはり震えていた。子犬のように、小猫のように。
「あたし、ジャマかな」
「そんなことないわよ」
 ヒカリにはそれ以外にかける言葉が見つからなかった。
 おかしなたとえだが、腹痛の時みたいだとヒカリは思った。腹痛じゃなくてもいい。突発的にやってきた、外見にはわからない痛み。本人が内側でそれを処理するので精一杯だろうから、かける言葉が見当たらない。それとまったく同じ。度の差はあるが。

「…あたし、勝てなかったんだ、エヴァで」
 でもこうして生きているじゃない。負けるときもあるわ。言いたいことはいくらでもある。でも、聞いてあげるのが一番だと判断して、やはりヒカリはなにも言わない。

「それだけが、たった一つだけ、それだけができればよかったのに。それ以外にはあたしがいる理由なんてないから、それだけできればよかったの。でも、負けちゃって…もう、あたしなんて誰も必要としてないの」

「そんなことないわよ。誰も必要じゃないなんて…」

「そんなもんよ、ネルフは。当たり前の話。使徒を倒せないパイロットなんて…用済みよ。そういう世界……大っ嫌いな世界。職員も、司令も、ミサトも、シンジもファーストも、みんな嫌い」

「…」

「でも、でも、一番嫌いなのは、あたし。あたしはあたしが嫌い」

「アスカは、よくやったと思うから、私は何も言わないわ」
 ちがう、何も言えないだけじゃないの?自分のきれい事にウンザリしながら、それでもヒカリは続けた。偽善で何が悪い、と自分に言い聞かせて。

「あたしはアスカの友達よ。ずっと。だから…つらかったら、はけ口でもいいから、なんでも言って。少しでもすっきりするなら」
 言葉がうまくまとまっていないのは自覚していた。もっとはっきり言えたらどれだけお互い楽になれるんだろう。もっともっと、楽になれるのに。

「碇君は、何か言ってた?」
 なにについてかは言わず、言ってみた。
「あんなやつ!」
 アスカが急に憎しみを丸出しにして身体を強ばらせたのがわかった。背中がまた小さく見える。
「何か言ったの?」
「逆よ。あいつは、なにも言わないのよ。ただ黙って、笑って…あたしを助けてくれない。つらくてつらくて仕方がないのに。あたしが泣いてても抱きしめてもくれない!」
 声はいよいよ涙声になっていた。必死に押し殺そうとしている泣きべそが部屋に木霊して、いやでもお互いの耳に入り込んでくる。

「それに、ファーストがね」

「え?」

 ようやく落ち着いたかと思うと、今度は逆に苦笑混じりの声に変わって、思わずヒカリは声を上げた。どうしてそこで綾波レイの話になるのかさっぱりわからなかった。

「ファーストがいるから」

「どういう意味?」

「あの女には、シンジしかいないから」

「え?」

「知ってる人なんて、片手で数えられるくらいだろうけど……そうなの」

「で、でも、そうだとしても、あっさり下がることないわよ。人のことなんて。アスカらしくないわ」

「無理よ。とても…あいつの、あんな顔見たら。泥棒猫になっちゃう」
 だから、無理なの。
 それきりアスカは口を閉じ、喋ることはなかった。












 そこにはただ、何もない空間だけがあった。真の闇と言い切れる、光源など一切存在しない。そもそもその空間が実体なのかどうかも疑えてしまうほどに。

 無しか存在しない、と碇ゲンドウは思った。この言い方がそもそも矛盾しているのだが、その矛盾が似合うほどその空間には欺瞞が満ちているように感じた。おそらく、ここで語る口を持つ人間の誰もが本性など現すつもりが毛頭ないからだろう。勿論、自分も含めて。
 その空間のある地点に、自分の姿だけが浮かび上がった。この空間は嘘だが、自分もまた実体を伴っていない。ネルフ本部のある場所に本当は存在しているから、実は空間が嘘ということの方が嘘と言えるが、少なくともこの場には自分以外の全ては嘘だ。間もなく現れる「ゼーレ」も自分と同じくそれぞれの国のある場所にいる。
 だから自分の視界に広がる空間はちゃんとした部屋でありながら、実在しない。

「何故こうして我々ゼーレがお前と話をする場を設けたか分かるか?碇ゲンドウ」
 右方向からモノリス――墓標――が出現し、人類補完委員会ではない男の声がした。ゲンドウは男を無視し、全員が出揃うのを待った。向こうの演出につきあう気はない。己のペースを保たなければなにをどう誘導されるかわからないからだ。駆け引きには自信があるが、数十年も世界の権力を握り続けている老人を侮ってはいない。

「現在は月に刺さったロンギヌスの槍。回収は我々の手では不可能だ」

 モノリスに「8」が刻まれた男が現れ、その後も次々と自分を取り囲むようにモノリスが出現した。

「何故、使用した?」

「返答次第では君の解任にも繋がるぞ」
 ようやくナンバー「1」の男、キール=ローレンツが現れ、ゲンドウに問いかけた。肉声ではないし、その場にいないため威圧感は感じない。直接会ったらこう平静でいられるかわからない、とゲンドウはごちて、言った。

「使徒殲滅を優先させました。やむをえず」

「やむをえない、か…言い訳にはもっと説得力を持たせたまえ!」
 早速ナンバー「7」の男が噛みついてきた。ゼーレの中では若いこの男は確かに有能だが、ひどく短気なのが欠点だ。ゲンドウは彼らに悟られない程度にかすかに笑みを浮かべ、再び沈黙する。余計なことは言わないほうが得策だ。

「弐号機パイロットの変換などいくらでもきくのだ。あれを囮にし、機会を窺ってもよかった。いや、そもそも超高高度の敵を撃つ手段を未だに得ていないこと自体に問題がある!」

「我々としても街の補修やエヴァの修理に手間も金もかかっています。そうそううまいことにはいきませんよ。考えるだけなら、誰でも出来ますが」

「なんだとっ!」

「落ち着け、ミリガン」
 隣の「6」の男が諌め、ようやく場が沈静化された。同時に「7」の男は己が取り乱しゲンドウを御しにくい状況を作ってしまったことを悟り、息を飲んだ。彼はただでさえゼーレの中ではそれほど強い立場にいる人間ではないのだ。

 ゲンドウのが肘をついている卓の引き出しの中にいくつもある電話が鳴った。真っ正面に浮かび上がっている「1」のモノリスから目を逸らさず引き出しを開け、赤い受話器を取った。
「冬月、審議中だぞ」
「16番目のやつが来たぞ」
「そうか、わかった」
 およそ5秒で受話器を元に戻し、
「現在使徒が接近中です。続きはまた後ほど」

「その時、君の席が残っていればな」
 誰かの捨て台詞を最後に、ゲンドウは映像を切った。大して広くもない元通りの部屋に戻り、立ち上がる。あと二体の使徒さえ倒せば願いがかなう。

「…」

 右手の疼きを感じたが、気にならなかった。


「もうすぐだ…立ち止まる暇など、あるわけがない」











 そいつは、もうずっと長い間眠っていた。誰にも見つからない、すごしやすい空間で何年も眠ってはわずかに意識が浮き上がり、そしてまたすぐまどろんだ。どうしてそんなに眠いのか、自分でもわからない。活動する気力はまったく湧かないし、食欲を満たす気にもならない。それどころか、食欲そのものがなくなっていた。まるで生命活動そのものを失っているような感覚。ある種の死なのだろうか、とそいつは考えたが、しかしその思考すらつづかず、眠ってはそんなことを少し考えて、そしてまた眠った。
 そんな日々をもう一体どれだけすごしただろう。睡眠と言っても、一度眠れば水温が大きくかわっているときもあったから、ずいぶん長い間眠っていることになる。それを何度もくりかえした。眠る前と後の水温が同じだと、それは季節が一周したからなのか、それとも大して時間がたっていないのかわからなくなった。

 最近、眠気が失せてきた。

 彼らはどうしただろう、と考える余力が出てきた。
そうだ、どうしただろう?同じ目的を持ちながら、互いにまったく隔絶した同胞は。
 身動きをとる気になってくると、そればかりが気になった。確かめる術など存在しないのだが。この世界の何処にいるのか、まったくわからないのだ。しかし、それでも努力してみてみようと、知覚を研ぎ澄ませる。自分の身体は精神感応能力に優れているから、かなりの距離を探せるはずだ。二重螺旋の輪を久しぶりにゆっくりと動かし、探索を開始する。

 それからさらに、どれほどの時間がたっただろう。一向に同胞の気配は一向に見つからなかった。しかし、


――あ


 急に、ひとつの気配を見つけた。この海溝を出ればそう遠くない場所にある月の中に、我らの母の匂いがする。
 しかし、本来とは別の月にその存在を感じる。そういう疑問はかすかにあったが、それほど気にならなかった。今はもう、母のもとへ行きたかった。一人でいるのは淋しい。


 行こう、行こう。

 母よ、私は今からあなたのもとへ。


 深い海溝を抜け出し、それなりの速さで海を出た。
 何度か昼と夜を眺めているうちに見えてきた島に、母の匂いを感じる。

 ここだ、ここだ。

 しかし、島に入ると、そいつよりうんと小さい生き物が騒ぎ、挙句鉄の塊でできた乗り物や、空を飛ぶ鉄の塊から攻撃をしてきた。あからさまな敵意を感じる。一体どうしたことか。なんなんだ、こいつらは?
 知恵の実を齧った種族ならば、邪魔をしてくれるな。そいつは攻撃を無視し、ようやく「月」へたどりついた。なぜこっちにいるのかいまひとつ釈然としないものを感じたが、かまわず進んだ。
 しかし、自然にできたものではない、細くて高い塊からも攻撃され、さすがに腹が立ってきた。感覚域を拡大させると、母のいる月と地面の間にもこの高い塊と同じような素材の板がいくつも挟まり、月へ行くのは一苦労になっていた。
 なぜだ、なぜ邪魔をする?こちらの月へ我らを行かせるのは嫌だというのか。
 しかし、行かなくてはならないのだ。母のもとへ。

 さてどうするか、と一瞬考えたそいつは、拡大させた感覚域の端にある物体を見つけた。すぐに意識をそちらへ向けると、自分たちによく似た存在が、先が細長くなったものを構え、こちらを見据えていた。

 なんだ、お前は?

 不思議な感覚だった。仲間ではない。しかし、とてもとても似ていた。同じと言ってもさしつかえないほどに。

 なぜだ、なぜお前からは、彼女のにおいがするのだ?そして、なぜ彼女のにおいをさせながら、「なにもない」のだ?
 ふつふつと興味が湧いた。不思議な存在の正体を見てみたい。

 そいつは、一つ眼の存在に猛スピードで近づいていった。








 その時から約十二時間前。







 ぱたん。
 綾波レイは本が歪まないように、静かに日記をとじた。赤いひもをはさみわすれ、もう一度日記を開き、日記が書かれている最後のページにひもをはさむと、やはりしずかにとじて、小さなチェストの上に戻した。
 ひと月まえに移動させたチェストも、すっかり今の場所に馴染んでいた。前に会った場所の対角線上、ベッドの足下ではなく、頭の方に移動させた。洗濯物を片づけるときに少しだけ不便を感じたが、それより電気を消してから寝るまで、目線を右に向けるだけで日記を見ることができることの方が大きかった。

 碇シンジが第14使徒との戦いに勝ち、同時に搭乗機のエヴァンゲリオン初号機との極端なシンクロにより物理的融合を果たしてから約五十日。彼が戻ってきてから半月がたつ。幸い、初号機が使い物にならなかったときに使徒が来ることはなかったが、四日前現れた第15使徒の攻撃――というよりもパイロットと精神の接触を試みたこと――により、パイロットは自我を喪失。初号機は凍結命令が下されたままだ。ネルフの戦力は綾波レイの操るエヴァ零号機のみ。そのうえ零号機とレイは近接戦闘による殲滅より、どちらかといえばそれを援護することを得意とする。深刻な戦力不足。
 そしてとうとうフィフス・チルドレン召喚の命令がくだされたことを昨晩、レイはゲンドウから聞かされた。その役割はもちろんエヴァ弐号機のパイロットとしてであり、これでセカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーの降格は決定された。未だにその座にいるのは、単にフィフスが到着していないからにすぎない。

「…」
 そろそろ日付がかわる。電気を消して、夏がけを抱きしめながら、レイはぼんやりと考える。碇くんは、そのことをどう思うだろう。
 暗い部屋の中で白い表紙の日記は彼との思い出を確かにさせてくれる。しかし、彼と弐号機パイロットの間にも、同じような思い出があるのだろうか。そして彼は、いまの自分と同じように、そのことを思っているのだろうか。
 日記に綴られているのはあくまでも自分の思いであって、彼のものではない。彼が同じように自分のことを思ってくれているかは実はわからない。




「なにを思うの?」




 ふとした疑問が浮かんだ。さっきから考えている「思い」とは一体、なんのことだろう?一体碇くんのことをどう思って、そして自分はどう思われたいと考えているのだろう。

「なにを願うの?」
 わからない。ただ、今まで生きてきて、ぽっかりとあいた心をわが物顔で彼は占領していた。気がつけばそこにいて、それを心地よいと感じる自分がいた。それは確かにそうなのだけど、でも、それだけだ。心地よい。あくまで受け身でそう感じているだけで、彼をどう思っているのか、言葉にして表すことができなかった。
「わたし…」
 なんだろう。ひどく不安になる。ずっと、彼を思うだけで安心だったのに、急にそれだけでは足りなくなってしまった。

 わたし、どうしたいの?












 どう思ってるの?













 ひゅん!
 エントリープラグ内で緊張を保ち、使徒の様子をうかがってどんな状況にも対応できるようにしていたレイだが、その速さとぐにゃぐにゃとミミズのように空中を動く使徒の動きに目で追うのが精一杯で、攻撃はできなかった。ライフルをかかえてその場を移動する。使徒の先端にぎりぎりのところで触れないでかわすことに成功した。
「!?」

 しかし使徒はレイの予想をはるかに超えた方法で追撃した。横に回り込んだ零号機に対し、紐状の使徒の身体は零号機の目の前にある部分が急に折れ、その折れ目が先端となり、最初に端だった部分は折れ曲がると身体の一部分となった。

 腹部に衝撃を感じる。使徒の先端は零号機の強固なATフィールドを易々と突き破り、身体にずぶずぶと入り込んでいった。

「く、う…あぁ!」
 零号機に侵食すると同時に、パイロットのレイに身体にも使徒が入り込んできた。直接エントリープラグにはいられたわけではないが、フィードバックがそのまま影響していた。
 痛みはそれほど感じないことに恐怖を感じたが、零号機にライフルをかまえさせ、左手で使徒をつかみ、至近距離からライフルを撃ちこんだ。しかしライフルは弾かれ、使徒をつかんだ左手とライフル伝いに右腕にも侵食がはじまり、零号機は自由を失い手を離した。

「あうぅ…うっ」
 襲いかかる快感を必死でこらえようと、レイは喉の奥からこぼれる声をかみ殺し、必死で耐えた。なにものかと一つになる、その一体感が生む快感はいかんともしがたく、ずるずると全身に入り込んでくる使徒に抗うことはできなかった。

「くっ…!」
 首筋まで這い上がってきた使徒を半ば受け入れ、身を任せるレイ。スピーカーから発令所の喧騒が聞こえてきたが、静かにしてほしかった。いまはもう、この感覚に身体を委ねたかった。








 そして、意識を失った。








「あなた、誰?」

 レイは訊いた。空も大地も海も真っ赤に染められた世界の中、半身が海に沈んだヒトを見下ろして。そこがどこなのかという疑問は思い浮かばず、対峙する相手をただ見つめた。


「…」
 返答はない。俯いて顔はわからないけれど、ひどく近しい感じがした。




「あなた、誰?」




「わたしは、あなた」
 その返答は意外ではなかった。そうかもしれないとすら思う。



「いいえ、わたしはわたし。あなたじゃないわ」
 否定されたそのヒトは、ゆっくり顔を上げる。確かに、姿形は綾波レイそのもののように思えた。



「…あなた、一人でいるのが嫌なのね」
 周囲の空気がそう言っていた。絶対的な孤独と、それを拒否する意志。



「わたしたちはたくさんいるのに、一人がいやなのね」



「…心が痛いの」
 それでもその何者かは、笑顔だった。自分には真似できないような、明るい笑顔だった。



 めき、めきめき、と腹部からミミズ腫れのような使徒の侵食を感じた。



「この気持ち、あなたにも分けてあげる。ホラ、痛いでしょ?心が痛いでしょ?」
 そしてそれを分かち合うことは、とても気持ちのいいことでしょう?



「痛い……いえ、淋しい。そう、淋しいのね」




「淋しい?よくわからないわ」
 何者かが首をかしげる。




「この気持ち…一人でいるのがいやな気持ち……それを淋しい、と言うの」





「それは、あなたの心でしょ?」





「!」





「一人じゃないのに一人の、あなた自身の心でしょ?」
 何者かは、いやらしく笑った。













「!」
 意識を取り戻したレイは、プラグスーツの時計と現状から、数秒しか意識を失っていないことを知り、同時に自分の瞳からこぼれる涙に気がつき、愕然とした。

「これが、涙?泣いてるのは………………わたし?」
 止まらない侵食すら忘れるほど、その涙に見入った。わたし、泣いてるの?

「レイ、初号機が救出に向かうわ!」
 スピーカーから発令所にいる上司の声がする。顔を上げると、そう遠くない場所の道路が点滅し、そこから初号機が出てきた。最終安全装置を外し、パレットライフルを握りしめる。

「あ…!」
 レイが気づいたときは遅かった。レイの心の動きによって初号機を察知した使徒は、鋭く初号機を捉え、一直線に向かっていった。



「碇くん!!!」



 叫んだレイだが、もう遅い。初号機はなんとか一撃目を避けたが、レイのときと同じ要領で一撃を喰らった。幸い侵食は腕からだが、じきに零号機と同じ目にあうことは明白だ。



 使徒はいま、自分の心によって動いた。現れた初号機に安堵し、強く助けを求めたから初号機までやられている。



「これが、わたしの心………碇くんと、一緒に、なりたい」



 そう。



 ずっと、一緒でいたい。



 それが、彼を思う自分の心。



 それこそが、彼に思ってほしい自分の心。



 でも――



「ダメ」



 初号機に意識が向いたせいで零号機には若干の余裕ができた。レイは零号機のATフィールドを一気に内側に向けた。コアとそこを集中的に犯す使徒を抑え込むことで初号機から使徒を引きはがした。
 あとは、最後に後ろのボードに自爆コードを書き込むだけだ。一気に侵食されているせいで外部音声すら不鮮明だが、発令所とは通じた。

「レイ、あんた死ぬ気…!?」

「こうするしか、助けられないから」
「バカ言わないでよ、前に言ったでしょ!?自分を粗末にするなって!」
 ミサトの制止を無視し、レイはレバーを引いた。
「これで、かまいません。わたしには、わたしより優先して守るものがあるから」
「あんた…!」
 ミサトはなにかを察したようだった。


 最後に赤いボタンを押す。これで自爆は成立した。零号機のコアが潰れ、使徒と一体化する感触を感じる。快感はすでになかった。不安な心はもうない。


 これでいい、とレイは思う。




 彼のおかげで、わたしはこうしてわたしのままでいられた。最後まで。




 これで終わりだけど、これでいい。













 最後に、彼に「ありがとう」と言えなかったことは、すこし、心残りだけど。













「綾波!」





 ざらざらと不鮮明な音声が耳に届き、最後に彼の声を聞けてよかったと、レイは涙と共に笑顔をこぼし、目を閉じた。




















 光と熱に包まれた街に立つ初号機の中。








 少年の視界と心のすべてが。















 世界が、燃えていた。




















あとがき

はい、どうもです。ののです。

ひと月ちょっと前に「FEVER」なる短編を書き、これはその続編「Couple Days」の間の話ということになります。
当初はまったく考えてなかった話なんですが、連作第三弾を書くにあたり、やはりここは書いておくべきであろうということで書きました。
でもなあ、ミサトさんとレイのやりとりとか、こんな伏線張る予定はなかったんだけど。

「甘いSSをいくつか書く」ということではじめた「日記シリーズ」ですが、今回ぜんっぜん甘くなく、重かったりつらかったりとちっとも筆が進まなかったです。ほんとなら今頃「Couple Days」書いてるはずなのになー。

自爆レイ、というのはやはり一番の見せ所であり、三人目の話をきっちり書くには二人目の彼女がこのときシンジをどんなふうに思っていたのかは必要不可欠で、わりと長めの短編を(矛盾してるな)書くにはこの話はどうしてもはずせませんでした。
次回は甘いはずです。
とはいえ前のふたつほどは甘くないですが。

「綾波は綾波だよ!」
とか、そういうベタなセリフは言わせないつもりなんで、そこらへんひとつよろしく(笑)


できれば八月中に書き上げたいと思っています。
シンジとレイ、お互いの幸せは保証します。

では、また。

なお、タイトルはTRICERATOPSの新曲(未音源化)より。


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