からす

前編

written by トモヨ


 月が寂しい夜という物がある。その日は眠れなかった。レイはふらふらとマンションを出た。真夜中だが気温は高い。だが風があるので、それ程暑くない。他に着る物がないのか第一中の制服姿だ。

 マンションの前の通りを少し行くと公園がある。公園に入っていく。公園と言ってもあるのはブランコだけだ。ただ木とベンチだけはたくさんある。レイはベンチの一つに座る。座っても特に何をするわけではない。じっと前の方を見ている。その容姿も相まってまるで大理石の彫像のようだ。その目の色、髪の色はむしろ彫像の方がふさわしいだろう。


 真夜中だが暗くない。中天には満月が浮かんでいる。レイは月が嫌いだ。冷たい輝きが嫌いだ。何故かは判らない。よく月みたいだと言われるからかもしれない。


 辺りには虫の音が騒がしいぐらい響いている。同級生は嫌う者もいる。うるさいと。人それぞれだ。レイは好きでも嫌いでもない。


 レイはふと顔を上げた。一瞬辺りが暗くなったように見えたからだ。確かに暗くなっていた。月がだ。月が欠けていた。勿論実際月が欠けた訳ではない。何かに隠された。ただそれは一瞬だった。今では丸い月に戻っている。そのかわり何かが飛んできた。大きな鳥らしい。どんどん近づいてくる。


 「黒い」


 確かに黒い。そしてかなり大きい。レイは立ち上がる。鳥は一直線にレイの方に突っ込んでくる。一直線とは言っても妙にふらついている。大きく見えたのは月がバックだったからかもしれない。それはからすだった。翼をのばした状態でレイのお腹の辺りに当たった。地面に落ちる。レイもカラスの勢いで尻餅をつく。ベンチに逆戻りだ。お腹を押さえる。くちばしがお腹に突き刺さったようだ。お腹に手をやるとぬるぬるする。手を月光にかざす。血だ。結構派手に出ているのだが痛くない。地面のカラスを見る。どうやら出血しているのはカラスの方らしい。血だらけだ。地面でのたうっている。しばらくレイはカラスを見ていた。立ち上がるとかがみ手を伸ばす。

 野生の鳥は人になつかないと聞いた事がある。なら大丈夫だとレイは思う。人ではない。その通りなのかもしれない。レイの繊手が触れるとカラスはおとなしくなった。


 「かぁ」


 小さな声で鳴いた。レイは胸元に抱くとマンションに戻って行った。途中で仕事帰りのサラリーマンに会った。特異な風貌のレイが血まみれのカラスを胸に抱いているのを見て、気持ち悪そうに道を避ける。レイは気にせず歩いて行く。マンションまで来るとエレベーターで四階まで上がる。自室の前に来ると戸を開けた。




 カラスは命に関わる怪我はしていなかった。翼の一部と足の怪我だ。ただし足の怪我は相当酷い。カラス仲間と喧嘩をしたのか、猫でも襲って返り討ちにあったのか左足が縦に裂けていた。一見すると足が三本に見える。

 レイは床にビニールシートを敷きタオルを乗せカラスを置く。部屋の隅にある冷蔵庫を開ける。ネルフから支給されている長持ちする弁当が棚の半分を占め、もう半分に医療品が入っている。消毒用のエタノールの瓶を取り出すとカラスの元に戻る。横に座る。瓶のふたを開けるとアルコールの匂いがする。レイはカラスを仰向けにした。首をむんずと掴む。カラスは特に暴れたりはしない。右手で瓶を掴むとアルコールを傷口に振りかけた。

 さすがに暴れる。だが離さない。そのうちカラスも静かになってきた。手を離すとカラスは静かに床でふるえていた。タンスに入れてある包帯と上に置いてあるハサミを持ってくる。カラスの足にあわせて包帯を切ると足に巻いてやる。少しずつ血がしみ出してくるがこれ以上は何もしない事にした。


 レイは床のタオルの上で震えるカラスを見つめる。何となく助けたはいいがこの後の事は考えていない。取りあえず餌をやってみることにする。雑食性なのでなんでも食べるだろう。また冷蔵庫を開く。食べ残った弁当が一つある。持ってきた。蓋を開く。頭の側に置く。蓋に水を入れ側に置く。カラスは震えているままだ。しばらく見ていたが後は何をしたらいいか判らない。寝ることにした。服を脱ぎ裸になると風呂に入りシャワーを浴びる。戻ってきてもカラスは震えているだけだった。


 放って置くことにした。


 ベッドに入ると薄い毛布を掛ける。


 「おやすみ」


 言ってみた。




 朝起きるとカラスはいなかった。開け放しの窓から出ていったのだろう。床には弁当が食い散らかしてある。ついでに糞もあった。臭い。体調が良くなったせいだと思った。普段あまり掃除をしないレイだが、流石に臭いのは問題なのでビニールシートごと捨てた。シンジが置いていったゴミ袋のポリ袋にそのまま入れる。幸い今日はゴミの日だ。ついでに捨てに行くことにする。

 シャワーを浴び学校の制服に着替える。冷蔵庫から牛乳の大瓶と朝呑む薬のパックをとる。牛乳で呑んだ。牛乳の成分とは拮抗しない薬らしい。鞄に今日の分の弁当を詰める。鞄とゴミ袋を手に持つと部屋を出た。エレベーターに向かう。この壊れかけのマンションにはほとんど人が住んでいない。エレベーターで一階まで降りると、ゴミ収集場に向かう。人がほとんど住んでいないせいかあまりゴミが捨てられていない。それ程臭くない。燃えないゴミの置き場に投げ入れる。風向きが変わったせいか微かに生ゴミの臭いがする。


 レイは学校に向かう。途中のコンビニで牛乳の1Lパックを買った。馴染みの店だ。初めてレイが買いに行った頃は、特異な風貌のレイを店員は不気味がったが、最近は声をかけてくる。もっともレイは殆ど答えないが。レイはコンビニのビニール袋をぶら下げて学校に向かう。しばらく歩くと通学路まで来るので第一中の生徒達が見える。レイは静かに歩いていく。何となく皆が避けてレイの周りに空間が出来る。

 殆どの者は単に避けるだけだが、人によっては露骨に嫌な顔をして友達とひそひそ話をする者もいる。変わった風貌の上人付き合いが悪いレイだが、それなりに綺麗と言えなくもない。男子の中には熱烈なファンもいる。そのせいか女子の中にはレイに対して悪意を持っている者も多い。


 「あっ綾波さんおはよう」

 「おはよう」


 明るく声をかけてきたのは、2−A組の委員長クラスのおっかさん洞木ヒカリだ。最近何を考えいるのか、まるで待ち伏せでもしているように通学途中に現れる。実際待ち伏せているのだろう。レイと並んで登校する。ヒカリが一方的に話しているがレイは特に答えない。ただ別に嫌でもないのでそのまま通学する。時々相槌を付く。はじめの頃に比べれば相槌の回数は増えたようだ。ヒカリもそれに満足なようだ。


 「洞木さんおはよう。綾波おはよう」

 「イインチョ元気かぁ。綾波はいつもどうりやなぁ」

 「洞木おはよう。綾波おはよう」


 三バカトリオが現れた。


 「あっおはよう」


 ヒカリは元気よく挨拶をする。レイはぼけっとしている。


 「ねっ綾波さん」

 「おはよう」


 言われたからなのかぼそりとレイが言う。表情は特に変化は無い。それでもヒカリは嬉しそうだ。ヒカリや三バカが側にいる為、露骨に嫌そうな視線を投げ付ける者はいなくなる。ヒカリは口うるさいが、やはりクラスの委員長だ。人望は厚い。クラスメートが寄って来る。中にはレイに話しかける者もいる。レイは時々感情の入らぬ答えをするだけだ。始めはそのせいか気どっているとか言われていたが、最近は単に感情の起伏が乏しい人なのだというように思われている。


 話す事は癖に成るのだろう。昔に比べるとレイはよく話すように成った。昔は単語を言うだけだったが、最近は二、三回会話のやりとりが有る。レイにつられた訳ではないが、シンジも話すようになって来ている。これはどちらかというとケンスケとトウジのおかげだが。


 「なあ碇、再来月にドイツからチルドレンが来るって本当」

 「……僕知らないよ。ケンスケなんで知っているの」

 「ちょっとね。父さんの情報をちょろまかしたの」


 自慢げに言うケンスケにシンジは溜め息を付いた。


 「ネルフ関係の情報をそんな事して手に入れると、いきなり捉まって永遠に出られなくなるよ」

 「その時はミサトさんに受け出して貰うよ」


 あまり気にしていないようだ。


 「それは無いわ。諜報部はすぐ処置をするもの」


 レイがぼそりと言った為、ケンスケとシンジは鳥肌が立ってしまった。


 「そっその時は綾波頼む」

 「何故」

 「クラスメートは助け合うべきだよ」

 「そういうもの」


 レイはシンジの方を向く。


 「えっと、そう言えばそうかな」

 「考えておく」




 学校に着くと校庭を皆で横断する。下駄箱に行く。レイが靴入れを開けると3通ラブレターが入っていた。暫く手にとって見ていた。


 興味なさそうに下駄箱の上に放り投げる。


 「えっと、それは少し酷い様な」


 シンジが呟く。


 「なぜ」

 「何故って言われても、ね、ケンスケ」

 「綾波に説明するのは」

 「難しそうやな」


 三バカではお手上げだ。横で溜め息をつきつつ見ていたヒカリが説明する。


 「一応お断りのお手紙書いたり、言いに行ったり、メールで送ったりした方がいいわ。きちんと言わないと何度も繰り返すわよ」

 「そう」


 レイは手を伸ばし下駄箱の上のラブレターを取ろうとするが、届かない。結局シンジがよじ登るようにして取った。


 「はい」


 レイは手渡された手紙をぼけっと見る。


 「言ってくればいいのね」


 レイは言われた通りした。まだ始業まで相当有るので三人のクラスに行く。皆も心配なので付いていく。たまたま三人は3−B組にまとまっていた。3−Bの生徒の前で、本人に邪魔だからもうくれないでと言い渡す。相変わらずの鉄面皮でだ。手紙を戻す。すたすたと戻っていく。慌ててシンジ達も付いて行く。レイは教室に戻り、自分の席に付くといつもの様に外を眺めていた。




 レイはチルドレンだ。本来護衛されるべき存在だ。なのに何故かほおって置かれる。住居は荒れ放題だし、護衛も付かない。


 三日後の放課後、さっさと一人で帰るレイを、二年と三年の女子五人が公園に拉致した。拉致というのはオーバーかもしれないが。いつも夜にレイが散歩しに来る公園にだ。


 「あなた……君のラブレター教室で突き返して恥かかせたわね」


 公園の外から見えぬ場所で、レイは両手を二人の二年生に押さえられ、三年生に前髪を掴まれ後頭部を立ち木に押し付けられた。結構勢い良く押し付けられたので、衝撃で頭が一瞬ぼやけ何の事だか判らなかった。


 「そう」


 反射的に声がでた。


 「何気どってるのよ」


 どう取ったのか三年生は激昂した。


 「生意気よ」

 「そうよ」

 「どうする」

 「こうする」


 三年生の一人が鞄から鋏を取り出す。


 「ボウズにしちゃおうよ」

 「賛成」


 三年生が鋏をジャキジャキ動かしてレイを脅す。


 「よした方がいい。ネルフの諜報部に捕まるわ」

 「そんな亊でびびると思う」


 頬を張られた。痛い。忠告のつもりが脅しと取ったらしい。

 鋏の音が響くとレイの前髮が3cm程短くなった。


 「ほら、みっともないわ」


 一人が鞄から手鏡を取り出しレイの顔の前に突きつけた。


 「そう」


 レイの声は何かいらだたせたようだ。


 「生意気よ」


 一人が鞄のかどをレイの腹に叩きつけた。さすがにこれはきいた。呻き声が漏れる。激痛で気が遠く成る。


 「ボウズにして裸にしてぼこぼこにしちゃおう」

 「そうね」


 少女達はどんどん常軌を逸して行く。レイには人の獣性を引き出す何かがある。少女は鋏の刃を開きレイのセーラー服のスカーフを切り落とす。胸元からヘソの方に向けてセーラー服を切っていく。前が完全に切れて、ブラと素肌が見える。鞄は相当激しく当たった様だ。すでに内出血で紫色に成っている。


 「ねえこの子胸結構大きいわね」

 「生意気よ」


 平手で思い切り胸を叩かれた。激痛で逆に意識がはっきりする。痛みで涙が出てくる。


 「ぎゃぁ〜〜」


 いきなり悲鳴が聞こえた。レイの物では無い。ハサミを持った少女の後ろで見ていた少女があげた。


 「痛ぁぁ」


 皆はそっちを向く。今までの興奮がふっ飛んだ。翼長1m近くあるカラスが少女のわき腹辺りに何度もくちばしから体当たりして突っついていた。突っつかれた少女は鞄をカラスに叩きつける。だが外れて地面に転がる。少女は悲鳴を上げつつ公園から駆け出していった。カラスは羽を広げて飛び上がる。羽音がまるで魔物の唸りの様に聞こえた。レイをいたぶっていた少女達は、恐怖で顔を引きつらせてその場から逃げていった。慌てたのか皆鞄などは放り投げてだ。


 レイはお腹を押さえて蹲っていたが顔を上げる。地面にカラスが立っていた。左足に包帯が巻いてある。あのカラスだ。助けてくれたようだ。


 レイは手を伸ばす。


 「痛い」


 大声を上げてしまった。伸ばした右手の甲を、カラスが突っついたからだ。皮膚が破れて血が出ている。どうやらカラスは助けてくれたわけではないらしい。単に自分の縄張りで騒いでいた奴らをやっつけたようだ。

 もっともレイは覚えていたのかそれ以上は突っついたりしてこない。


 「あっここだ、綾波」


 公園の入り口からシンジとケンスケ、トウジとヒカリが駆け込んできた。連れて行かれたと聞いて探していた為だ。

 シンジ達が駆け込んできたせいか、カラスは飛び立っていった。レイはカラスの姿を目で追った。




 こんな事があったせいか、レイはミサトが引き取る事に成った。


 「おはよう碇君」

 「えっあっおっおはよう綾波」


 その翌翌週の土曜日、何かの気配で目が覚めると、シンジの目の前にレイの顔があった。


 ミサトはレイを特別扱いはしない。特にレイは嫌がらなかったのでまたじゃんけんで当番などを決めた。今日はレイが朝の当番だ。


 「また右手が動かない……着替え手伝って」


 カラスに突っつかれた右手は意外に重傷だった。骨まで達していて腱が切れかかっていた。その上神経をおかしくしたらしい。腱自体は手術で繋がったが時々右肘より先が麻痺するようになった。全治一ヶ月ぐらいだそうだ。


 「きっ着替えって……うわ」


 レイは元々寝る時は素っ裸だったが、さすがにそれはと言うことでミサトが寝間着を着るように言った。それで寝る時は大きなTシャツを着て寝ている。もっともブラは付けていないのではっきりと胸の形が見える。その上薄手の白いTシャツなので胸の先端の色やショーツのピンクが微かに透けている。


 「みっミサトさんに頼んで」


 思わず顔を背ける。


 「徹夜で今日はいない」

 「じゃともかく部屋に戻って、僕が着替えてから行くから」

 「そう」


 レイは少しかがんでいた上半身を起こす。


 「うわ」


 慌ててシンジは股間を隠す。朝の生理現象が起きていた。


 「どうしたの」

 「どうもしない……あの……とにかく僕着替えるから部屋で待っていて」

 「判った」


 レイは振り返り部屋を出ていった。


 「見られた……」


 年齢相応に元気なその部分を恨めしげに見つつベッドを降りる。とにかく着替える。洗面所に行って顔を洗ってから、トイレに入る。おしっこをしてやっと落ち着いた。レイの部屋の前に行きノックをする。


 「綾波、寝間着脱いでないよね」

 「脱いでない」


 声がしたのでシンジは恐る恐る入って行く。レイの部屋は殺風景だ。ベッドとタンスと机と冷蔵庫がある。ベッド以外は持って来た。別に愛着がある訳ではないらしい。ベッドは錆びていたので新しい物に変えた。何か単調な部屋だ。生物の猥雑さがあまり無い。ベッドの脇にちょこんとレイが座っていた。横に着る物を置いてある。レイは立ち上がる。


 「脱がして」


 右手が動かないので、寝間着代わりのTシャツを脱がしてということなのだが、刺激的な言葉だ。レイと一緒に住むにあたってリツコに注意を受けた。レイは周囲に対しての興味はあまり無い。また基本的に羞恥心は殆どない。常識はあるのだが感情の発動に結びつかない事が多い。その為思ってもみない行動を取る時があるが、その時は冷静に対処する事。

 そう言われていても同年代の少女に脱がしてと言われれば赤くもなる。ともかく落ち着くように頭の中で10数える。


 「後ろ向いてくれる」


 素直にレイは従う。震える手でレイのTシャツの両脇を掴み持ち上げる。ピンクのショーツに包まれた小さいお尻が見えて来る。拷問に近い。それでもそのまま上に引きあげTシャツを脱がす。レイは身を屈めてブラを取る。


 「プラ持っていて、手通すから」

 「うん……わっ前向いて」


 レイが後ろを振り向いたので意外と大きな胸が見えてしまった。思わず昔触ってしまった手の感触を思い出す。レイが後ろを向いた。左手を後ろに突きだしてプラを渡す。真っ白なプラのストラップの上の辺りを持つ。少し手が震えている。


 「前に吊して」


 言われたとおりにやるとまるで後ろから抱き付いているようだ。レイは目の前のブラにまず左手を突っ込む。今度は右手首の辺りを左手で持ち入れる。


 「引っ張ってホックをかけて」


 シンジは言われたとおりにした。レイは屈むと青いTシャツを手に取る。私服が一着もないと聞き驚いたミサトが買い与えた物だ。


 「着せて」


 諦めて前に廻る。Tシャツを広げて持つと、レイが右手を左手で持って突っ込んだ。その後上からかぶせてやる。今度はジーンズパンツを履きだすが、もともと左手も力があまりないので、ぴっちりとしたそれはなかなか上がらない。


 「引き上げて」


 少し躊躇したが、このままでは下半身下着のままで室内をうろうろされそうなので、諦める。ズボンの前のボタン辺りを両手で持ち引き上げる。ボタンは填めてやる。チャックはレイが自分で上げた。白いソックスも履かせた。


 「じゃ今日は僕が代わりに当番やるから」


 慌てて部屋を飛び出した。一日分の忍耐力と精神力を使ってしまったような気がした。





 つづく






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