からす

後編

written by トモヨ


 「サイコロね」

 「サイコロは普通六面体よ」


 ミサトとリツコのまず初めの感想はこれだ。発令所のスクリーンに映った使徒は正八面体をしていた。


 「神様って几帳面ね」

 「そうね」


 形の正確さを言っているのだろう。艶がある黒色の表面は、ほぼ正確な平面をしているらしく空の光景や地上の風景を映し込んでいる。実際、可視光レーザーレーダー観測像の拡大分析では、表面の平滑度は4波長以下だ。反射された電磁波のスペクトル解析からは構成物質は判らなかった。

 正八面体の一つの頂点と反対の頂点を結んだ軸の方向が、いつも地球重力の方向と一致している。誤差は7秒程度だ。その軸に対して緩やかに不規則に回転しながら空に浮かんでいる。ATフィールドで重力を遮断しているらしい。

 回転している周上の辺は他の辺と違い凹んでいる。その奥は理由が判らぬが観測が出来ない。


 新熱海沖の海上にいきなり現れた使徒は、浮かんでいるだけで何もしなかったが、2時間程前急に動き出した。当然のように第三新東京市に向かってだ。国連軍の海軍の戦艦の主砲による砲撃や艦載VTOLによる攻撃も、ATフィールドで遮りゆっくり進んでいく。神の使いにとっては敵にも成らないのか、反撃はしてこない。


 国連軍は爆発力強化型の中性子爆弾であるNN兵器を使う機を逸してしまった。十中八九通用しない兵器でやっと復興した新熱海の町を壊したくないという思いもある。使徒を倒すために国連軍はあるわけではない。軍隊は人の命を守るために存在する。そんな昔からのお題目が唯一あてはまる敵に対して、世界の殆どの組織は人類のために働いた。殆どだが。もっとも神の使いに対して心正しき者達は戦えぬのかもしれない。だからネルフがいる。


 使徒が神の使いなら、この使徒は神が作った黒水晶の大きなお守りみたいだ。ただこのお守りは皆に幸せを与えてはくれぬ。


 「神様だと思うの、作った奴」

 「どのみち私の敵、シンちゃん準備いい」

 「はい」


 発令所のスクリーンは分割されて初号機エントリープラグ内のシンジと零号機エントリープラグ内のレイの姿が映っている。シンジは緊張のため顔が強ばっている。久しぶりの実戦だ。もっとも初めての実戦の筈のレイは緊張していないが。


 「レイは」

 「はい」


 レイはいつものように無表情だ。


 「リツコ、零号機の稼働状態は」

 「まだ完全には修復し切れてない。七割ってとこ、戦闘は出来たら避けたいわ」

 「そっ、やっぱ初号機ね、シンちゃん、念のためカタパルトの途中でATフィールドを張りつつ出て。敵の攻撃手段が判らないから」

 「はい」

 「では、初号機発進」



 カタパルトで打ち出されるのは何度経験しても慣れないとシンジはよくケンスケに漏らす。羨ましそうに話を聞くケンスケに溜息をつく。LCLは電化すると細かい振動は吸収するようになるが、定常的な加速度を打ち消すことは出来ない。やろうとすればATフィールドによる重力制御がいるだろう。カタパルトのルートはジオフロントの球面の外側を沿っていくためずっとGが掛かりっぱなしだ。しかも本部の真上まで来ると地上に方向を変えるので、今までと逆方向に鋭いピークを持ったGがかかる。これが一番慣れない。そしてこの最後のGが掛かるところを過ぎると停止できずに地上まで出てしまう。


 今回はミサトの指示通り最後の逆Gより少し前で、三分の一ぐらいの強度のATフィールドを発生させた。強度の指示はマヤからエントリープラグ内のスクリーンへと送られてきた。これ以上の強度だと周りの施設を壊すおそれがあるからだ。逆Gの時に少しATフィールドに揺らぎが出たが仕方がない。ただ次の瞬間思い切り乱れた。


 カタパルトが折り返し不能点を通り過ぎたのとほぼ同じ時、エントリープラグ内にミサトの大声が聞こえた。


 「ATフィールドを全力で張ってぇぇ。攻撃が来る」


 カタパルトは丈夫なので、それ自体は壊れぬが、周りの施設は壊れる。そんな指示は普通しない。ミサトの声に従いシンジは思い切りATフィールドを張る。


 ATフィールド、不思議な力だ。シンジもはじめはよくわからなかった。何かが身体を覆う、その様な感じだった。慣れてくると皮膚のように感じるようになった。鎧のように感じるときもある。今は自分の周りの鎧が脹らんでいくように感じる。その鎧に触れて周りの設備が砕けていくのが判る。


 衝撃と共に地上の兵装ビルの中に初号機が到着したのが判った。


 そして……鎧を破って灼熱の固まりが胸に当たりシンジは意識を失った。



 目を覚ますと、自分の専用病室にいるのに気が付いた。天井は何度か見ている。初めての出動の後も、訓練で気絶したり検査で入院したり数度だ。まるで綾波の部屋だと思う。綺麗だが何もいないように感じる。


 「起きたの」

 「えっ」


 ベッドの横から声がした。シンジは視線を向ける。


 少し背筋が寒くなった。手に大鎌を持った死神がいた。


 ジオフロントは地上の日光を光ファイバーで取り入れて明るくしている。自然の光でも人工の光でもない。何者でも無い光が病室の窓から差し込み、辺りを淡く照らしている。


 そしてレイがベッドの脇に座っていた。昔なら学校の制服なのだろうが、今日は私服だ。ヒカリ達と一緒に買いに行ったワンピースを着ている。昨夜着ていたワンピースとは違うが深い紺色だ。どうやらその様な色が好きになったらしい。そして手に大きめの傘を持っている。今日の天気予報で夕方にわか雨があると聞いたので、シンジがレイに持たせた。黒い大きめの傘の白い柄がまるで死神の鎌に見えた。


 「あっ綾波」


 どう見てもレイだ。シンジは視線をレイの顔に移す。レイは膝の上のハンドバックからPDAを取り出す。


 「明日、午前0時より発動される、ヤシマ作戦のスケジュールを伝えます。碇・綾波の両パイロットは、本日午後四時三十分に葛城課長の元に集合すること。作戦の説明を受けた後、午後五時三十分ケージに移動すること。午後六時に初号機および零号機起動。午後六時五分に発進。午後六時三十分に二子山仮設基地到着。それ以降は作戦課長の指示があるまで待機。明朝午前零時に作戦行動開始になります」


 レイは淡々と読み上げていく。細々とした注意が続く。実戦経験はシンジが長いがEVAのパイロットとしてはレイが長い。シンジはぼんやりと聞く。


 「判った」

 「うん。大体」

 「碇君のPDAにも転送してある」

 「ありがとう、わざわざ教えに来てくれて」

 「課長が命じたの」

 「そう」


 それきりレイは黙った。あまり言う事もないのでシンジも黙る。改めてレイを見ると綺麗だなと思う。死にかけたせいか調子が狂っているようだ。いつもはそういう感想は持たない。溜息を付いた。レイは瞬きをする。どう感じたのだろうか。シンジは何となく上半身を起こした。身体の上に掛かっていた毛布がずれた。


 「服着た方がいいわ」

 「うわぁぁ」


 病室とレイの雰囲気のせいでなにかぼけっとしていたシンジは、やっと自分が全裸なのに気が付いた。結構勢い良く身を起こしたのでへその下まで毛布が捲れた。大事なところは慌てて隠したが、かえってその動きのせいでレイの興味を引いたらしい。レイの視線が下腹の辺りに動く。


 「後ろ向いていて」


 真っ赤になり叫ぶシンジに、レイは素直に従い立ち上がり反対を向く。シンジがその辺を捜すと、ベッドの横にワゴンがあり、シンジの私服が下に、上に軽い食事が置いてあった。慌ててパンツを取る。腰に毛布を巻きながらベッドの反対側に降りる。


 「私先行っているから」


 レイは気にせず戸に向かい病室を出た。出るとすぐ側のソファーでミサトが携帯端末で何か打っていた。最後の作戦の詰めだろうか。


 「課長伝令終わりました」

 「ごっくろうさん。それからミサトでいいわよ」

 「はい」


 ミサトは長い足を解くと立ち上がる。シンジは医療部の人間に任せて、作戦部の方に廊下を戻っていく。レイは付いていく。


 「ミサトさん」

 「何」

 「何故伝令の最後に裸だという事を指摘せよと指示したのですか」

 「あっそれ」


 立ち止まると振り返る。レイも止まる。ミサトは右人差し指を立てて、いたずら者の笑みを浮かべる。


 「ほら、シンちゃんってやたら緊張するから少し解いて上げようと思って。レイみたいな美少女に裸って言われれば頭が全部そっちの方に行くでしょ」

 「……効果は無いと思います。以前ミサトさんがいない時、碇君が入浴中に間違って私が浴室に入ってしまいました。お互いに全裸は見ていると思います」


 ミサトの笑いが固まった。淡々とその様な事を言われても困る。


 「えっ……あの」

 「今回と同じように大慌てで私に出るように言ったのでその通りにしました」

 「そっそう……えっと……あの……何かそのあと……した」

 「何がですか……」

 「ほらその……」


 ミサトが困って頭をか

く。

 「性交渉等はしていません。興味がありませんし、赤木博士に禁止されています。キス等もしていません。これも興味がありません」

 「そっそう」


 絶句しているミサトを暫くレイは見ていたが、そのうち廊下を歩きだした。慌ててミサトが付いていく。


 「こりゃ家政婦雇わないと」


 しみじみと呟いた。



 「綾波にまた見られた……」


 シンジは着替え終えたところで泣きそうな顔をしていた。確かに緊張は吹っ飛んだようだ。



 「てっわけ」

 「そっ」


 ミサトは作戦部の課長の中でも唯一個室を持っている。なんと言っても使徒を倒すのが目的のネルフだ。その使徒を倒す作戦部第一課の課長であるミサトは待遇が違う。もっともミサト自身は一人でいるより作戦部の部屋でのたくっている方が好きだ。大体いつも直属の部下である日向をからかって仕事を遅らせたりしている。

 今ミサトの個室にはミサトとリツコがいた。各部門からの報告が続々と入ってくる端末を眺めている。この二人とていつも陣頭指揮をしているわけではない。



 「それにしても……シンちゃん達って、このままじゃ私司令に殺されるわ」

 「そうね」


 ミサトは自分の課長席に足を乗せて、背を背もたれにもたれて腕を頭の後ろに組んでいる。シンジと違って度胸があるのはいいが、緊張感は無さ過ぎだ。部屋の大型ディスプレイ兼用のテーブルの前に座り、テーブルに端末を置いて指示を出しているリツコを見る。もともときつい感じの美貌だが仕事中はことさらそうなる。


 「ねえリツコ、司令って言えば、どうなの」

 「何が」


 ちらりとリツコが視線を送った。シンジなら椅子から転げ落ちそうな視線だが、ミサトは慣れたものだ。


 「何って言われてもね」

 「週一よ」

 「そう……リツコ愛されてないわよ」

 「知っているわ」

 「そう」


 それでこの話は打ち切りになった。部屋はリツコのタイピングの音だけになる。しばらくしてインターホンの呼び出し音が鳴る。画面を見るとレイとシンジが私服で戸の前に立っている。ミサトが手元で操作をすると、戸が開いた。二人が入ってくる。二人が来たところでテーブルに今夜の作戦行動の3Dホログラフが浮かんだ。仕事となれば真面目になるミサトは、二人の横に来る。ホログラフの二子山にめり込んでいる端末をリツコがどける。ミサトが説明を始めた。説明が一通り終わったところでレイが聞いた。


 「質問があります」

 「何レイ」


 レイは地面に伏せた射撃姿勢の初号機を指さす。


 「MAGIの直接制御で撃てば射手の危険がない」


 ごもっともだ。ミサトが口を開こうとしてリツコが止める。


 「純技術的な問題よ。あのポジトロンライフルに使う大電流を扱えるリモートスイッチが無いの。でEVAで引き金を機械的に引くのが一番確実。それに射撃時の固定の問題もあるわ」


 レイは納得したのか黙った。


 「あっあの、これだと僕綾波の背中撃ってしまいそうで。それに盾なら単に地面に固定しておけば」


 シンジはホログラフのポジトロンライフルの銃口と使徒を指で繋いでみる。確かに盾と零号機が射線にいる。


 「それはね」


 解説しているせいかどことなくリツコが嬉しそうだ。


 「この様な高エネルギー集約兵器は反動が無いと思っている人も多いけど、ここまで粒子線の密度と速度が高いと反動があるのよ。それに砲撃された対象が加熱して変形したり、大気が爆発的に膨張したりして不規則な強い力が加わるわ。ゆえEVAのように力があって能動的なフィードバックが素早いものが押さえる必要があるの」

 「……そうなの」


 今一歩リツコを信用していないのかシンジはレイの方を向く。レイは頷く。リツコ達は苦笑いだ。ただ疑いを持つこと自体は頼もしいとも思っているらしい。ミサトは満足げだ。


 「じゃ綾波を撃ちそうなのは」

 「それはね」


 リツコがディスプレイに触れると画面が変わる。ソフトウェアキーボードを叩くとデーターと解説用の図が出てきた。


 「使徒の荷電粒子砲は主にビームが陽子と重陽子で構成されているわ。ほかにももっと重いバリオンも含まれているけど」


 いきなり素粒子物理学の用語を使われて、シンジは目をなんども瞬く。


 「でこっちのポジトロンライフルは陽電子」

 「どう違うんですか」

 「要点だけを言うと、電荷当たりの質量が陽電子の方が圧倒的に軽いのよ。ゆえ地磁気で曲がりやすいの。使徒の荷電粒子砲はほぼ真っ直ぐ飛んでくるわ」


 またディスプレイを操作すると3Dディスプレイに変わる。使徒から一直線に初号機に向かい線が延びる。


 「だけど陽電子線はこれだけ離れていれば何とかこう零号機の上をすり抜けて、地磁気の影響で下にドロップするの」


 今度はEVA初号機から線が延びてリツコの言葉通り曲がり使徒に当たる。


 「どう」

 「……そうなんですか……ちょっと難しいけど何となくイメージは掴めたような」

 「実際の作業はインジケーターの指示通り撃ってくれればいいわ。こう言っては悪いけど、シンジ君は引き金の部品、レイは盾の部品よ」

 「……確かに少し酷い言い方です。ミサトさん」

 「ごめんね。ただ私達も作戦を作る部品だし、それを可能にする部品よ。死亡率はあなた達の方が高いけど。もっともEVAが負けたら、人類はお終いだけどね」

 「……そうですね」


 シンジが溜息を付いた。


 「そう深刻にならない……と言っても大変か。まあこの作戦終わったらまた皆でデパートでも行かない。今度は私も行くからコーディネートするわよん」


 ミサトがウィンクする。空元気やわざとらしい笑顔でもこういう時には救いだ。いつでもどこでもふざけられる。これもミサトの能力だろう。もっともそういう能力だけではない。ミサトはきちんと座り直した。


 「では二人とも頼むわよ。ケージに行ってちょうだい」

 「はい」

 「はい」


 真面目な顔で言われてシンジも少しきりっとした。レイと二人で立ち上がると部屋を出ていく。ミサトは、開き閉じた戸を暫く見ていた。


 「何よリツコ」


 リツコが冷ややかな視線を送っている。


 「敵の砲撃中は粒子線同士の干渉でこちらからは撃てないってこと、言わなかったわね」

 「その為に国連軍の師団に囮になって貰うのよ。何人死ぬやら。貴い犠牲ね」

 「でも使徒は相手にしてくれるかしら」

 「さあ」


 その時リツコの端末が小さなアラームを出す。端末を見つめる。


 「貴い犠牲ならもう出てるわ。さっき福井からの通電ルートの工事で工務隊に事故があって、3人死亡、5人重軽傷、連絡が入ったわ。今まで計11人死亡、23人重軽傷よ」

 「日本中の電力を集める配線工事を半日以下でやろうっていうんだから、事故はあるでしょうね」

 「そうね、わたしもミサトも天国には行けそうもないわ」

 「使徒がいる天国なんてまっぴら」



 二子山の仮設基地は使徒から見えぬ山の陰にある。零号機と初号機が並んで座っている。その側にキャンピングカーの様な大型のワンボックスが並んで二台止まっている。シンジとレイが現場で待機する時用の車だ。二人は今一旦私服に戻っている。シンジはシャツにズボン、レイは紺のワンピースだ。ワンボックスの上に出て座り込み時を待っている。辺りは工事の音で結構うるさい。

 黒い大きな傘をレイは抱えている。気に入ったようだ。もっともシンジには黒づくめのレイがいささか不気味に見える。正確には紺だが、月明かりの下では同じだ。この辺りは照明を絞ってある。

 レイは空を見上げていた。見上げた先に満月がある。まだ午前0時に時間があるため、高度が低い。シンジはレイの横顔を見る。綺麗だなと思う。これで笑えばいいのにと思う。笑ったところはほとんど見たことがない。


 「何」


 視線に気が付いたのかレイが横を向く。月の光を受けてレイの瞳が紅く輝いているように見える。リツコによると色素欠損だけでなく、光彩の構造自体も少し違うので、猫の目のように光を反射するそうだ。紅い瞳と紺のワンピースと肩に担ぐように持っている大きな黒い傘、この三点セットはやはり死神に見える。


 「えっと……さっきから月見ているから、好きなのかなと思って」

 「嫌い」


 そう言うとまたまた月を見上げる。綾波らしいなと思いシンジも月を見上げる。綺麗な月だ。しばらくそうしていた。


 「どうして……綾波って月似合いそうだし」

 「皆がそう言うから。私は月じゃない」


 言葉に詰まった。まるで禅問答だ。悪意も善意も感じられぬ相手と話すのは疲れるとシンジは思う。何となく話が続かず困っていると、ミサトの部下が呼びに来て、二人は着替えるために車に入っていった。



 それは作戦三分前だった。シンジとレイは既に所定の位置に初号機零号機を動かし待機している。初号機エントリープラグ内の分割された仮想スクリーンには、零号機の背中と第三新東京市の直上にいる使徒の姿が映し出されていた。いままで使徒をただ取り巻いていた国連軍空軍及び陸軍のVTOLや戦車、自走迫撃砲、自走臼砲などから一斉に攻撃が始まった。しかも倒そうというには妙に間が空いた感じでだ。


 「ミサトさんどうしたんですか、国連軍」

 「囮よ……こちらの用意を探知されない為の、ただ使徒に人間と同じ様な知性があったら逆効果かも知れないけど」

 「でも……そんな事したら、反撃されますよ」

 「そうしてくれればラッキーね。向こうに注意がいくのだから。彼等は私から事情を聞いた上で、全員志願しているわ。彼等になら軍人さんありがとうって素直に言えるわ」


 シンジは絶句してしまった。言葉の内容もあるが、スクリーン越しにシンジを見たミサトの底光りする様な視線にだ。少し黙った後だった。


 「酷すぎます」

 「シンちゃん……どのみち、このままだと人類は滅びるわ」

 「……」


 シンジの顔が痙攣する。


 「碇君」


 シンジやミサト、リツコ、その他の発令所で聞いていた皆の背中が総毛立った。その声はとても綺麗だった。


 「大丈夫……私が守るわ」


 こんどこそシンジは引いてしまった。綾波が微笑んでいる。その微笑みにどういう意味があるか判らなかったが、何か忌まわしげに感じられた。今はいつもの白いプラグスーツに包まれているレイが、また黒づくめで側にカラスが佇み大鎌を持っているように感じた。発令所の皆も似たようなことを考えたのかも知れない。少し静かになった。


 「あっえっ」


 神の使いと死神はどちらが強いのだろうと、変なことがシンジの頭に浮かぶ。シンジが何やら混乱しているのを感じたのだろう、ミサトが間を外さずいう。


 「今回の作戦が気に入らなかったら、勝って戻って私を蹴るなり殴るなりして鬱憤をはらしなさい」

 「はい」


 タイミングと口調が上手かったのかシンジは上手く乗せられた。というより思考停止させられたというのが正しいのかもしれない。


 「一分前、秒読み開始します。両パイロット用意」

 「はい」

 「はい」


 丁度秒読みに入った。


 「50、49、48、47、46……」


 マヤの秒読みが続く、そして30秒前から射撃準備が始まった。


 「最終安全装置、解除」


 そしてそれは最終段階に来て、シンジがポジトロンライフルの撃鉄を起した時だった。


 「目標に高エネルギー反応」


 シゲルが焦り切った叫びを上げる。使徒の周辺の窪みが輝き出した。


 「3」


 使徒の側まで近寄っていたVTOLが全て攻撃を止め待避した。


 「2」


 ポジトロンライフルの周囲が加熱して空気が歪む。


 「1」


 ミサトが歯を食いしばり過ぎて奥歯にひびが入る。死神もひびりそうな形相で口を開く。


 「発射ぁぁぁぁ」


 その瞬間初号機が引き金を落とすと、轟音と共に大電流がヒューズを焼き切った。その短時間で日本中の電力は陽電子を加速するのに使われ、陽電子束は使徒に向かって発射された。周囲が昼間のように明るくなる。使徒までの道のりを大気の電子と対消失を起しつつも進む。出る放射能はγ線だ。一次放射能は強いが残留二次放射能としては少ないだろう。但し本来の目的は達成出来なかった。使徒からの荷電粒子砲が同時に発射された。両者のビームは干渉し合い、重量と電荷の比が小さい陽電子ビームの方が派手に弾かれた。陽電子ビームは上空に消えた。そして荷電粒子砲は下に弾かれ途中の山を吹き飛ばした。

 初号機や側でミサトが指揮をしている総合指揮車も衝撃で揺れる。


 「第二射用意ぃぃ」


 ミサトが叫ばずとも現場のエンジニアは用意を始めている。シンジはミサトの声で正気に戻り準備を開始した。


 「使徒、第二射来ます」

 「国連軍、総攻撃ぃぃ」


 ミサトの叫びに国連軍は正に命がけの攻撃を再開した。使徒の周辺が迫撃砲、ミサイル、臼砲の爆発炎で明るく染まる。だが使徒は一向に気にした気配も無く、また攻撃自体も表面のATフィールドに遮られ全く効果が無い。

 そして使徒の第二射が発射された。側を飛行していたVTOLが巻き添えをくらい落ちる。今度の一撃は一瞬では無かった。荷電粒子砲は使徒のSS機関の出力に後押しされずっと発射され続けた。


 見る間に零号機が持っていた盾が溶けて行く。レイが無意識のうちに悲鳴を上げている。シンクロしている今、零号機は彼女の身体だ。古代中国に真っ赤に焼けた銅の柱を抱かせる処刑方法があったがまさにそれだ。それでもレイは盾を放さぬ。


 「第二射用意出来ました」

 「発射」

 「照準が合わない」


 シンジの叫びが発令所に響く。使徒の荷電粒子砲の干渉で照準が合わない。


 「あと盾は15秒」


 マコトの言葉が本当なら後15秒で人類の滅亡が決まる。


 「国連軍なんとかしてぇぇ」


 思わずミサトが叫んだ。荷電粒子砲が止まれば撃てる。勝てる。あと15秒以内なら。ネルフにも手はない。言われなくても国連軍は使える全ての兵器を出して攻撃している。

 ここでNNや核兵器の使用は第三新東京市の消滅を意味する。それは迎撃都市の消滅であり自滅だ。打つ手がない。あと5秒の時点でレイの悲鳴も殆ど聞こえなくなっている。余りの激痛に意識がとび始めている。それでも殆ど溶けた盾を持っている。一部零号機の機体も溶け始めた。


 どんなに激しい戦闘でも一瞬全ての音が止まる時がある。国連軍の兵器がほぼ同時に装弾や移動などで沈黙した。そんな時だった。



 彼は怒っていた。昼間あのでかぶつが来てから街から人が消えた。人の活動はゴミを出す。彼の大好物の生ゴミが出る。それが無くなったどころか、変な音を出して地面に穴は空けるわ、変な光は出すは、その上周辺にへんな固まりが飛び交うわと迷惑もはなはだしい。この街は俺の餌場だと何度も叫んだがそれでも邪魔者達は消えなかった。


 そして夜に成るとまた派手にうるさくなった。その上でかぶつは変な光を出し続けている。我慢の限界を越えた。彼は巣にしている公園の大きな立ち木から飛び上がると、VTOLの攻撃の間を縫って上空へと進む。その凄い勢いのせいで左足に巻かれた黒ずんだ包帯が解けて落ちた。縦に裂けている左足は二本に見え、計三本の足がある様に見えた。


 彼は上へ上へと進む。そしてでかぶつの斜め上空に来た時、国連軍の攻撃が偶然止んだ。彼は叫んだ。邪魔者は消えろと。その声は街中に響いた。


 「かぁぁぁぁぁぁ」


 三本足のカラスは軍神の使いとも、雷神の使いとも言われる。そしてカラスは死神の従者だ。その叫びはその伝承どおりの力を発揮した。もしかしたらでかぶつ=使徒から見て、丁度カラスが満月をバックに大きくみえたのかもしれない。エネルギー量で無限分の一、体積でも何十億分の一のカラスを使徒は敵と認識した。

 知ってか知らずか軍神の使いは全力で使徒に突っ込んで行った。突っつきにだ。



 「5秒で照準あいます」


 マコトの歓喜の叫びはシゲルの絶望の叫びに消された。


 「再度使徒に高エネルギー反応」


 だが今度はEVAに向かって荷電粒子砲が発射されなかった。上空に、月に向かって一直線に、神の使いの一撃が伸びた。ミサトはほんの一瞬思考が止まったが直に叫んだ。待望の時間が稼げた。


 「発射ぁぁ」


 そして人の作った雷が神の使いを襲い討ち滅ぼした。



 とりあえず使徒は倒せたが、レイは入院と成った。荷電粒子砲に焙られて極度の熱疲労、脱水を起した。はじめの一週間はまともに口も聞けなかったが二週間を過ぎた頃から回復し出し三週間ほどでほぼ常態に戻った。念の為まだ入院をしている。昔のレイなら考えられぬ事だが、大量の見舞客が来た。ヒカリが強要した訳ではなく、クラスの皆が自主的にだ。見舞いに来てもレイは特に話す事はないので黙っているが、それもレイらしいと皆納得して帰って行く。

 見舞いの品が沢山たまって、家事担当のシンジは結構喜んでいる。


 そして四週間後にレイは退院した。



 退院して二日後の夜だった。今日はミサトは徹夜仕事でいない。シンジは物音で目が覚めた。部屋を出ると、お皿に乗せた夕食の残りのおでんを手に持って、黒づくめのレイがいた。おでんと黒のワンピースのあまりの違和感にシンジが呆然としていると、レイは気にせずに玄関に向かう。


 「綾波今日はミサトさんいないから散歩は……」

 「そう」


 何を言っても聴かない事は判っている。思わずシンジは溜め息を付いた。


 「じゃ僕が付いて行く」


 急いで着替えに部屋に戻る。すぐに玄関に向かう。レイは待っていた。シンジの姿を認めるとさっさと靴を穿きマンションを出る。シンジはついて行く。ミサトに、どんな時でもガードはつけるわ、と以前に言われて少し嫌な気がした。いつも監視されているのは。ただこういう時は有り難い。どこかで見張っていてくれるのだろう。


 公園までの道のり、たまたま通りかかった通行人達をその姿と手のおでんで固まらせながら、レイは公園に到着した。勿論シンジもだ。レイがベンチの端から人間一人ぶんの幅を置いて座る。何となく言いたい事がシンジに判った。広い場所はカラスの席だ。シンジは狭いベンチの端に座る。


 暫く待った。


 だいぶ待った。


 月が随分動いて、また少しずつ高度を下げた頃だった。何となく俯いて座っているレイに思い切って声をかけてみた。


 「今日はきっと早く寝たんだよ」


 シンジの声にレイが振り向く。シンジは心臓がばくついた。始めて見たと言っていい表情をレイがしていた。どこか寂しげな表情だった。


 「こんな時……どんな表情をしたらいいの」


 シンジはその声で心臓の鼓動が元に戻った。そして暫く考えたが答えは出なかった。


 「ごめん。判らない」


 何を思ったかは判らない。レイは静かに悲しそうな微笑みを浮かべた。





 おわり






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