アスリンは放し飼いだ。少なくとも家の中ではそうだ。ただ外出する時は赤い首輪と赤いリボンを付ける。別にいつもリボンを掴んでいるわけではないのに、何故か逃げない。アスカを気に入ったのか親と思っているのか遊び相手と思っているかは知らないが、ともかくアスカにいつもじゃれついている。
友人宅からの帰り道でもそうだ。リボンの先を握っているアスカの周りをくるくる回り続けつつじゃれて、アスカをリボンでグルグル巻きにしてしまった。しょうがないので抱き上げると顔を舐める。側を通り過ぎる人達は少女がぺろぺろとタヌキに顔を舐められているのを見てつい微笑みを浮かべる。
三人と一匹は途中の児童公園で足を止めた。中に入る。木が生い茂った辺りのベンチに座る。レイはショルダーバックを降ろすと溜息をついた。いい紫外線遮断クリームが出来たとはいえ、炎天下は苦手だ。
「シンジ、アイスでも買ってきなさいよ」
「うん」
シンジは公園の出口の側にある売店に向かって行った。
シンジは買ってきたアイスをレイとアスカに配る。もっともアスカはシンジが配る前に、好きなチョコアイスのカップをひったくった。余ったバニラアイスのカップをレイに渡した。シンジはレイの横に座った。
シンジが横を見ると、レイは膝の上の手の中にあるカップを見つめている。
「嫌いなの?」
「嫌いではない」
感情の籠もっていない声が帰って来る。いつもの事なので気にせずシンジはカップの蓋を開けた。
横でアスカが騒がしいのは、アスリンがカップの中に鼻先を突っ込んでアイスを舐めては冷たさに驚いてアスカの胸元で騒ぐためだ。おかげでお気に入りのブラウスがチョコアイスだらけになる。アスリンをアスカが叱っているのだがさすがにタヌキには話がなかなか通じない。
レイも手の中のアイスからアスカに視線を向けていた。正確にはアスリンにだ。アスリンはアイスを舐めて痺れてしまった舌を何とかしようと思ってか、アスカの顔を舐めてアイスだらけにしている。そんなアスリンをじっと見ている。
「綾波もアスリンの事好きなんだね」
「そう、かもしれない」
レイは視線をアイスに戻すと蓋を開けて食べ始めた。シンジも自分のアイスを食べ始める。相変わらずアスカ達は騒がしい。今度は手足をアイスだらけにしたアスリンがアスカの頭の上に乗ったため、アスカの髪の毛もアイスだらけに成る。
「もう、アスリン」
アスカはアスリンの首輪を掴み、自分の顔の前にアスリンの顔を持ってくる。アスリンが嬉しそうに鼻先を舐めたため、顔もアイスだらけになる。
「駄目でしょ、ちょっと持ってて」
アスリンをシンジに預けると水飲み場に行き頭から水を掛け髪を洗う。長い髪に沿って水が流れ、日の光が髪の毛に巻き付く。アスリンを抱きながらシンジはその光景を見ている。アスカは髪を洗い終えると水道を止めた。髪の毛から手櫛を通すようにして水を切る。
「シンジ、アスリン」
アスカはアスリンを受け取ると、アスリンも丸洗いする。水に濡れるのがいやなのかアスリンはもがくが容赦はしない。
「レイ、タオル貸して」
レイは時々新陳代謝の状態が急変して大汗をかいたりする事がある。その為いつでもタオルを持っている。レイはアイスのカップをベンチに置くとバックからタオルを取り出した。アスカに手渡す。
「ありがとう」
まずアスリンをよく拭く。よく水気を拭き取るとアスリンをまたシンジに預けた。アスカは自分の髪もよく拭いた。
「何よ」
「なんでもない」
シンジがじっと見ていたので睨み付けた。しばらくしてどこか勝ち誇った笑いを浮かべた。
「そりゃアスカ様の美貌に見とれるのは判るけど、女の子の顔をじろじろ見ないでよ」
「そうだね」
シンジはアスリンに自分のアイスを掬って食べさせ始めた。アスリンが変わっているのか、タヌキ一般がそうなのか、ヘラの上のアイスを美味しそうに舐めている。先程の騒ぎは舌に付いたと言うより鼻先にでも付いたのかもしれない。今度は大人しくアイスを舐めている。
一方アスカは妙に機嫌が良さげに髪を整えている。
「それにしても私みたいな美貌を持っていると罪よね。シンジみたいなセンスがない奴でも見とれちゃうんだから」
拭き終えたところでアスカはレイにタオルを渡した。アイスのカップをベンチに置いたレイは、タオルを受け取る。自分も汗が出てきたので顔をタオルで拭った。
「アイス食べたのに汗だらけって変わってるわね」
「アイスは糖分の塊だから。血糖が上昇して汗が出た」
「なるほど。レイはすぐなんでも影響が出るんだったわね」
アスカはシンジの前に行くとアスリンを受け取った。また舐めようとするので顔は近づけない。
「それにしてもさっきからやたら私の顔ばっか見てるじゃん。どうしたのよ」
「アスカが綾波の事、ファーストって呼ばなくなったなと思って」
ベンチに戻るアスカとアスリンを視線で追いながらシンジは呟いた。
「ネルフ以外でそう呼ぶ必要ないなって思ったのよ。最近のレイってごく普通の奴って感じだし。髪と目の色で言ったら私だって地方人だし」
「異邦人?」
「そうよ、そう言ったでしょ」
表情は素直と言うべきか、アスカは自分の言い間違いに気がつき真っ赤になっている。些細な事で言い争っているアスカとシンジを見ていたレイは急に目がとろりとしてきた。
少し日差しは強いが、風が涼しく昼寝をするには丁度いい。たまたま昨日は夜更かしをしたためアイスが腹に入った途端眠気が襲ってきた。レイは船を漕ぎだした。そのうちそんなレイをシンジが気がついた。口に左人差し指をあてて右手でレイを指さす。アスカはレイの方を振り向いた。初めのうちは上下動も少なかったが、そのうち派手に頭が動き出した。
「レイってこうやって見ると可愛いわね」
そうアスカが言った途端レイの頭が後ろに倒れてそのまま仰向けにベンチの後ろに倒れそうになった。シンジが慌てて背中の方に手を伸ばしたが自分も巻き込まれて後ろに倒れてしまった。幸いベンチの後ろは何もなく土が盛り上がっていただけなので、二人して泥だらけになっただけですんだ。
「あっ」
「あじゃないわよ、あじゃ」
アスカがベンチから立ち上がりレイの顔を覗き込んだ為、倒れ込んでから目を覚ましたレイの視界はアスカの顔のアップで覆われた。近くの物を見たせいか寄り目になっているアスカの顔を見た第一声がこれだ。
「起きなさいよ。シンジ手が痛そうよ」
そう言われて背中に手が回っているのに気がついた。レイはベンチに掛かったままになっている足を横に動かして降ろしてから立ち上がる。同じ様にシンジも足を退けて立ち上がろうとしたので手を貸す。少し躊躇したが手を掴んだので引き起こした。
「二人とも土だらけね」
二人の後ろに回ったアスカは、アスリンを抱いているため、片手で二人に付いている泥を落とした。
「取れないわね。帰って着替えるしかないわ」
「そうだね」
「そう」
三人と一匹は公園の出口に向かった。
○
「起立」
ヒカリの号令で皆立ち上がった。
「気を付け、礼」
「さようなら」
「さようなら」
翌日の放課後担任の若い女教師が部屋を出ていくと、教室は騒がしくなった。
アスカの周りに人垣が出来た。アスリンの事を聞きつけた女子生徒が集まって来たからだ。
「アスリンって碇君がアスカの事が好きで付けたんじゃないんだ」
「だから何でそうなるのよ。レイが付けたの」
「レイって?」
「レイはレイよ」
アスカが顎をしゃくった先には、放課後になってもまだ外をぼんやりと見ているレイの姿があった。
「あっ綾波さんの事ね。ファーストって呼んでたんじゃないの」
「ネルフにいる時だけにしたのよ、レイこっちに来なさいよ」
レイは呼ばれてやっとアスカ達の方を向いた。暫くじっと見ていたが立ち上がると寄ってきた。
「何?」
「何って言われても困るけど……アスリンってレイが付けたのよね」
「そうよ」
「そうなんだ」
ヒカリの努力のせいもあり最近はよくクラスメートに話しかけられるレイだが、この事は余計皆に親近感を与えたらしい。皆が理由などを聞いてきた。相変わらず表情は変わらぬが、ぼそぼそとレイは答えた。しばらくその話で一同は盛り上がった。
「そう言えば今度父母面談があるじゃない。綾波さんは誰が来るの」
そう言われてレイは押し黙った。聞いた生徒もまずい事を聞いたのかもしれないと困り顔になった。
「博士」
「……博士?」
ついそのクラスメートはまた聞いてしまった。
「レイの親代わりの人よ。一応私達の身元は秘密って事になっているから聞かないでくれる」
「うん」
アスカがとりあえず話を収めた。
「あの、今日はネルフで訓練があるから掃除当番お願い」
シンジは立ち上がる。
「俺がやっとくよ」
暇そうにしていたケンスケが気を利かせてそう言い机を後ろに下げ始めた。そして掃除が始まりお開きになった。
○
「ところでさ」
シンクロテストも終わり一同は葛城亭に戻っていた。ミチコが夕食の用意をしている間にシンジの部屋で宿題を一緒にしている。
「アンタの両親ってどうしてるの?」
携帯端末が一般化しても紙と鉛筆などはなくならない。アスカはそのせいでよく偽外人と言われる団子鼻の上にシャーペンを乗せてレイの方を向いた。シャーペンが落ちてタブレット状の端末の上で跳ねてから、横のノートの上に転がる。
「いない」
「そっ」
それだけで興味が無くなったのかアスカはまたノートに宿題を書き始める。
「シンジは司令に来て貰うの?」
顔は向けずにアスカが聞いた。手は動いて宿題をしている。返事は戻ってこない。視線をちらりと送るがシンジは端末を見つめている。
「言ってないから」
「そう」
宿題をするのを飽きたのかアスカは後ろに転がりあお向けに成る。腕を頭の下に組む。鼻と唇でシャーペンを挟む。
「勿体ないわね」
「何が?」
シンジがアスカの方を向いた。白くて華奢なのど元に目が行く。暫く見ていた。また宿題に取り掛かった。
「親が生きてるのシンジだけなんだから。たまには親子の会話でもすればいいのにって思ったのよ」
どうやらレイの両親は死んだと解釈したらしい。
「ほっといてよ」
「そっ」
アスカはシャーペンを挟んだままレイの方を向く。レイはあいかわらず無表情に黙々と宿題をこなしている。
「レイの両親ってどうなったのよ」
「だからいない」
「アスカ」
シンジが眉を顰めてアスカの顔を見る。アスカはシンジの顔をにらみ返した。
「いいじゃん。レイは嫌がってないんだから」
アスカはそう言うとレイを見た。レイも手を休めてアスカを見ていた。
「嫌と言えば聞かない?」
「まあね」
「嫌」
レイはまた端末に視線を向けて宿題を始めた。アスカは寝たまま器用に肩を竦めた。身を起こすと宿題を再開する。
「宿題は終わった?」
ミサトがアスリンを抱いて頭を撫でつつ部屋に入って来た。
「あれ〜〜なんか雰囲気暗いわね。喧嘩でもしたか。お姉さんに話しなさい」
「もったいないって話してたの。シンジだけ親がいるのに面談に出て貰わないのが」
アスカはミサトに手を伸ばした。ミサトがアスリンを抱く手を緩めるとアスリンは自分から跳ねてアスカの手の中に入る。アスカは寝転がるとアスリンに高い高いをしたり撫でたりする。
「シンちゃんはどうするつもり?」
ミサトはシンジの横にだらしなくあぐらをかく。カットジーンズに履き替えているせいかショーツが横から見える。上もブラがはっきり透けるTシャツだが、さすがにシンジも慣れてしまっているのか全く気にしていない。
「どうって……どうせ来ないし」
口調はまるでレイのように抑揚がない。
「そっ、まあ駄目なら私が代わりに行くけど一応言ってみたら?まだ時間はあるし」
「……」
シンジは答えなかった。ミサトは肩を竦める。
「ところでシンちゃんは将来何したいの?」
「何って……判らない」
「そっちの方が問題かな」
ミサトは腕を組んだ。
「中学生なんだから少しは考えた方がいいわよ。アスカは将来何をやるの」
「使徒を全滅させたら大学に復学して博士号を取るわ」
「キョウコさんの研究を引き継ぐんだっけ」
「そうよ」
アスカはミサトの方を向いた。
「メカトロニクスの研究よ」
アスカはそういうとアスリンを抱いたまま身を起こした。
「ミルクあげてくる」
立ち上がると部屋を出ていった。ミサトはレイの方を向く。
「レイはリツコが行くのかしら」
「はい」
「ちなみにあなたの将来の夢は何?」
レイの手が止まった。暫く端末を見ていた。
「夢?」
ミサトの方を向く。
「そうよ」
「……判らない」
レイは端末の方を向くとまた黙って宿題を始めた。
○
「博士……夢って何でしょう」
「はっ?」
翌日シンクロテスト後レイはリツコに身体検査を受けていた。リツコは無免許だがレイに対しては医療行為を行う時がある。身体検査もそうだ。リツコがレイの脈を診ている時いきなりレイが聞いてきた。
「夢って……判らないの?」
「意味は判ります。将来やりたい事。でも私に夢は意味があるの?」
リツコは時計を見るのを止めてレイの顔をまじまじと見た。
「無いでしょうね」
「そう」
それきりレイは黙った。
「残念?」
リツコは嫌な微笑みを顔に浮かべた。妙に頬がひきつっている。
「何故?」
「何故と言われても困るけど」
「そう」
「司令の道具同士の嫉妬と言うのが近いかもね。自分より愛されている物は憎いものよ」
「そう」
リツコは暫く黙ってレイの顔を見ていた。暫くして溜息をついた。こういう話をすると溜息をついてしまう。
「もし、あなたが人の形をずっと保てるとしたら、何をしてみたい?」
気まぐれにリツコは聞いた。
「……判らない。何故聞くの?」
「私としてはあなたが人のままでいてくれた方が……いいと言えば言えるわ。そうして……みない?」
リツコは思わず身を引いた。レイが薄ら笑いを浮かべたからだ。
「そう」
何となく薄気味悪くなりリツコはその後何も聞かなかった。
○
その日の夜、トイレのせいで目が覚めたレイはその後ベッドに戻っても寝付けなかった。暫く目を瞑っていたが諦めた。時計は丁度次の日に成ったところだ。起きあがると机に行きライトを点けた。椅子に座ると端末の電源を入れる。暫く画面を眺めていたがやがてMAGIにアクセスした。諜報部のデーターベースから2−A組の生徒のデーターを呼び出した。
「コック、弁護士……」
クラスのみんなの将来成りたい職業もデーターにあった。アスカの物もあった。言っていたように学者らしい。結婚と出産はしたくないそうだ。
シンジの物もあった。決まっていないらしい。
レイは暫くそれを見ていたがやがてデーターベースからログアウトした。
「夢」
呟くと端末に「夢」と打ち込んだ。しばらくそうしていた。しばらく経った後端末の電源を落とすとまたベッドに戻った。
○
翌日の放課後シンジ達は公園にいた。レイがいるので日陰の芝生で三人で並んで座っている。学校の帰りなので当然アスリンはいない。
「何躊躇しているのよ」
「うん」
シンジは携帯電話を握りしめてぼけっと見ていた。暫くすると短縮ダイアルの一つを押した。耳に当てる。呼び出し音が一回鳴ったところで女性の声がした。秘書の声らしい。シンジは名を告げて取り次いで貰う。暫く待った。
「なんだ」
いつもの様に威圧的な父親の声が聞こえてきた。もっとも自分の息子に猫なで声を出すのも不気味ではある。とは言えシンジはそれだけで竦んでしまった。携帯を持って固まっている。
「あ……あの父さん」
「どうした。早く言え」
「あの……実は今日学校で進路相談の面接があることを父兄に報告しとけって、言われたんだけど」
「そういう事はすべて葛城君に一任してある。下らんことで電話をす」
いきなり電話が切れた。シンジは唖然としてそのままの姿勢でいた。
「どうしたのよ」
アスカがシンジの顔を覗き込んだ。レイも興味が有るのかシンジの横顔を見ている。
「父さんに代わってから用件を話したんだ。そうしたら怒鳴られていきなり切れた」
「ふぅ〜〜ん。アンタのとこも凄いわね」
覗き込むのを止めたアスカは仰向けに寝転がった。
「そうじゃないんだ。いきなり機械の故障みたいになって変な感じで切れた」
「変な感じ?」
シンジの方に向いてアスカが眉をひそめる。
「アレ?圏外になっている」
「何よ、アンタの携帯がおかしいんじゃないの。よこしなさいよ」
アスカは手を伸ばした。シンジはアスカに携帯を渡す。一方レイは自分の鞄から自分の携帯を取り出した。
「わたしのも圏外に成っている。アスカのは?」
言われてアスカは自分の携帯をポケットから取り出す。
「私のも……変ね」
アスカは一瞬考えたが、すぐに身を起こし立ち上がる。出口に向かい大股で歩いていく。慌ててシンジも立ち上がり追いかける。レイもだ。公園の出口のすぐ側に最近では珍しくなってしまった電話ボックスがある。アスカは中に入った。受話器を取ろうとして一瞬手が止まる。またすぐに受話器を取り耳をあて、ICカード代わりに自分のIDカードを差し入れる。
「入らないわ」
「どうしたの」
シンジが追いついて来て覗き込んだ。
「表示見なさいよ。この電話機電源が入っていないわ」
確かに液晶の表示部には何も表示されていなかった。
「これだけではないわ」
ボックスの外でレイが斜め上を指した。信号機がどれも点灯していない。アスカとシンジもそちらの方を見上げた。
「じゃあこの辺一体が停電したから電話がつながんないんだ」
「変よ」
アスカはボックスを出た。
「この辺はジオフロントから直接給電の地帯よ。それはないわよ」
「そうなの」
シンジはレイの方を向いた。レイは頷く。アスカが少しむっとした顔になったのはレイに確認したからだろう。
「近くの緊急出入り口は学校よね。戻ろう」
「うん」
三人は急ぎ足で学校に向かった。住宅街に成っているこの近辺はどうやら停電しているらしい。昨日アイスを買った売店のオヤジは困り顔で店の冷蔵庫を見ている。停電して困っている家の主婦たちが道に出て来て話している。シンジ達をチルドレンと知って、何か今日ネルフでやる日かと聞く者もいた。学校に着くとやはり停電で困っていた。事情を探ろうと校庭に出ていた教師たちにまた事情を聞かれたが判らないと答えた。
校庭の隅に小さいがしっかりとした造りの建物がある。やはり教師が訪れてそこに駐在しているネルフの二人の係員と話している。シンジ達が行くと教師たちと話すのを止めシンジ達を中に入れた。その係員もジオフロント内部から連絡が途絶えて困っている様だった。一同は地下室に向かう。バッテリィーライトの明かりの中にジオフロントへの入り口が浮かび上がった。銀行の金庫の扉のように頑丈で重い扉の前には船の舵のような取っ手と四つのダイヤル錠があった。係員が鍵を開けた。戸自体はボンベに溜まっている高圧空気で開く為、重そうな外見と違い簡単に開いた。係員の内一人を残して一行は本部に向かうことにした。
○
10分程進んだ時係員のポケットからブザー音が成った。係員はポケットから無線を取り出す。暫く話していた。
「上から連絡です。使徒が新熱海方面から侵攻中だそうです」
係員がレイに向かい言う。アスカはトランシーバーをひったくると上の係員と話し始めた。暫くして係員に返した。
「やばいわね。近道無いの?」
係員は正常なルートしか知らないらしい。知らされていないと言った方がいい。
「私知ってる」
「どこよ」
アスカが食いつくようにレイに顔を近づけた。
「あそこ」
レイは斜め上を指さす。蓄光性塗料のおかげでとりあえず歩くぐらいは明るい通路の上の方に換気用のダクトの入り口があった。
「あれ?」
「そう」
暫くダクトの入り口を睨んでいたアスカだが、すぐに係員の肩を借り上に乗った。入り口に填っていた金網は簡単に外れた。レイが知っているというので先頭にして進むことにした。大人である係員は入れる大きさでないので通常ルートから進み連絡をすることにした。
「シンジぃぃ、アンタ見たら殺すわよ」
「誰がアスカのなんか」
「何ですって」
漫才をやるのは余裕があると言うべきなのだろう。レイ、アスカ、シンジの順で係員に渡された化学発光棒の灯りの中ダクトを進んでいく。交差しているところに来るとレイは立ち止まり少し考えてまた進む。
「どうしたのよ」
いくつか曲がり角を通り過ぎたところでレイが止まった。動かない。
「迷った」
「何ですってぇぇ」
感情が表に出ない声で言われると腹が立つのだろう。アスカががなり立てる。ごもっともだ。
「アスカ落ち着こうよ」
「落ち着いていられるかって言うのよ。使徒が来ているのよ、使徒が」
今度はアスカは後ろを向いてシンジにがなり立て始めた。
「静かに、何かいるわ」
レイの声に含まれる物にアスカは黙った。当たり散らす少女からEVAパイロットに戻りレイの方を向く。静かに目を凝らした。確かに前方に何かいる。光点が二つあるのは何かの動物の目らしい。
「ネズミ?」
「よっよしてよ」
シンジの言葉に今度はアスカの声がEVAパイロットから怯えた少女に変わった。使徒よりネズミが苦手らしい。
「あの目の間隔だと30cmぐらいは」
「なっ何いってんのよ……わっわっ近づいてくる、バカシンジさがれ」
「そんな事いってもすぐには」
「わっきゃやっ」
爪がダクトに当たる音を響かせてその動物が近づいてくる。すっかり怯えたアスカは丸まってしまった。
「あっ」
レイが気が抜けた声を出すと共にレイの横を通り抜け動物はアスカの頭に飛びついた。
「きゃー」
アスカが暴れる。おかげでシンジは2発も蹴りを頭にくらった。狭い場所だった為足が余り動かないので弱い蹴りだったのは幸いだ。アスカは凄い勢いで足の方に向かい下がった。訳が分からなくなっているらしくシンジにしがみつく。シンジの胸元にむしゃぶりついたせいでアスカの頭にしがみついている小動物がシンジの目の前に来た。
「何とかしてぇぇ」
「あっ」
シンジもレイと同じ様な気が抜けた声を出した。
「アスカ、アスリンだよ」
「へっ?」
しがみついていたアスカの動きが止まる。
「ネズミじゃないよアスリンだよ」
「へっ?」
アスカは左手を恐々と頭に持っていく。頭にしがみついている小動物に触れる。触れてすぐに離したがまた触れる。
「あっ」
右手も伸ばし両手で捕まえ頭から剥がす。そっちを見た目の前にきょとんとしたアスリンの顔があった。
「あっアンタ何してんのここで」
「遊んでる」
「レイに聞いてないわよ」
「前も勝手に本部内に入ってきた。きっと遊びに」
「えっと……そうね」
アスカは暫くアスリンの顔を眺めていた。
「ねえ、アスリンに案内させよう。いつも遊んでいるルートに行かせるのよ」
「いいかも」
「反対はしない」
他にいい案があるわけでもない。
アスカはそこでシンジに身を寄せているのに気が付き慌てて離れた。と言ってもダクト内なのですぐ側だ。アスカはポケットからリボンを取り出した。その時また何かに気が付いたようだ。動きが固まる。シンジの方を見た。
「どうしたの」
「何でもないわよ」
何故かぎくしゃくしながらアスリンの首輪にリボンを付ける。アスリンの顔を自分の顔の前に持ってきた。
「じゃアスリン頼むわよ」
「くぅん」
アスリンが一声鳴いたので降ろした。アスカの言ったことが判ったのか、リボンを付けられると引っ張っていくのが癖になっているのかアスリンは爪の音を響かせながら進んでいく。
「シンジ先頭行って」
「僕?」
「そうよ」
「じゃ」
特に逆らう理由はない。アスカにリボンを、レイに化学発光棒を受け取り先頭で這っていく。レイが続き、アスカが続く。
「アスリンどっかにおしっこしたようだね。何か臭いね」
何気なくシンジが言うとしんがりのアスカの顔が真っ赤になった。
「違う。この臭いはタヌキの尿じゃ……」
「レイもくだらないこと言ってないで早く進みなさいよ」
アスカはレイの尻を押した。
暫く這っている内にダクトの下から声がしてきた。内容からいってA級職員のものだ。使徒の迎撃について話している。
「聞こえる」
レイがダクトを叩くと下から声がかえってきた。どうやら偶然にも開発第三課の部屋の横のダクトにたどり着いたらしい。職員達はすぐにダクトを分解して三人と一匹を出してくれた。
アスカはアスリンを抱いて発令所に向かった。レイとシンジも付いていった。
職員達の文字通り体を張った活躍のおかげでEVAは起動し、蜘蛛に似た使徒は迎撃、殲滅された。
○
三人は学校の屋上にいた。夜になったがまだジオフロントの発電所が回復していないため第三新東京市はほぼ闇に包まれている。ネルフ本部にいてもマンションにいても空調は利いていないし、いい事がないのでここにいる。
三人とも学校の制服に戻っている。何故かアスカはネルフの職員用のジャージを着ている。理由を聞いたら殴られそうになったのでシンジはそれ以降聞いていない。三人とも仰向けで寝転がっている。頭の側には学校の購買から調達してきた今日売れ残ったジュースの空き瓶が転がっていた。リボンを首輪に付けているアスリンは菓子パンの余りを囓ってはアスカにじゃれついている。
「なんか暇ね」
「そうだね」
「そう?」
またアスリンが顔を舐め始めたので、アスカは抱きしめて腹の上に乗せた。頭を撫でる。
「アスリンって何考えているのかな」
シンジはアスカのお腹の上で丸まっているアスリンを見た。
「これからどう遊ぼうかとか、どんな餌が食べられるとかじゃない」
「ねえ、アスリンを山に返さなくていいの」
アスカの手が止まった。
「返した方がいいかな……」
アスリンをまたなで始める。
「返すなら早い方がいい。私みたいにここでしか生きていけなくなる」
「何いってんのよ、レイは。別にどこでも生きられるでしょ」
アスカはアスリンを抱いたまま上半身を起こした。レイもシンジも起こした。
「明日リツコに相談してみるわ」
アスカはミサトの真似か胡坐をして足の間にアスリンを入れた。
「アスリンがどうしたいか判れば簡単なんだけどなぁ」
アスカが指を伸ばすとアスリンがぺろぺろ舐める。
「何したいのかなぁ」
今度はアスカの臭いを嗅ぎ始めたアスリンの頭を撫でる。
「そういえば、シンジとレイって将来何をしたいのよ?」
「僕は、なんだろ。考えたことないし」
「……将来があれば考える」
「レイ、アンタはシビアね。でも使徒は私達で全て倒しちゃうんだから、有るに決まってるじゃん」
「……そうね」
アスカを見るレイの顔に微笑みが浮かびまたいつものように黙り込んだ。アスカは肩を竦めるとアスリンの毛づくろいを始めた。
終わり