月がとっても青いから、とぉーまわりしてかーえろ
 
 
という歌があるが、もはや時刻も夜の十一時になろうとしている。確かに搭乗実験等で徹夜上等、ネルフ一番学校二番、、どちらかといえば「早起きは三文の得」というよりは「世界は夜につくられる」的日々を送っている綾波レイではあるが、さすがにこれは遠回りしすぎたなあ、というあたまがないわけではなかった。朝までやりとおすとなれば、それはきまぐれなとおまわりではなく、英語で、イングリッシュで、ナイトウォーキングとかいうべきであろう。彼女の生活には、付き合いというものがないから自分のために時間を使える、やることさえやれば、どのように自分の時間を過ごそうが誰からも文句もいわれない束縛もされない。この時刻になって外をうろついて、「そろそろ家に帰れよ」と誰からも言われない自由を満喫。コンビニの袋をさげ歩きながら月の光を浴び夜の風を吸う。
 
 
さあ、もう一度。夜気が奏でるいにしえの名曲を
 
 
月がとっても青いから、とぉーまわりしてかーえろ
 
 
一応、綾波レイとて帰る気はあるのである。いくらなんでもコンビニの袋の中身は水とチョコレートと食玩であり、このまま夜の彼方まで旅するには用意が足らなすぎる。
どのくらい遠回りするのかは不明だけれど、いつかは家にたどり着く。はず。
 
 
ただ・・・・・
 
 
 
「ここはどこ」
 
 
ときて、「わたしはだれ」とくると、いかにもあやしい人であるが、そこでまた「あなたはどうしてロミオなの」とか続けると、ああ演劇の稽古なのだな、と思ってくれてその姿を見かけた人に通報されずにすむ。だが、綾波レイの独り言は最初でとぎれる。コンボなし。
 
 
いきなり山中に入り込んでにっちもさっちもいかなくなったわけではない、それは野村の月見草。いちおう、第三新東京市の市街の「どこか」にはちがいないのだが。
 
 
道に迷うくらいなら夜歩きするんじゃない、ということを言う人は、実際に夜に歩いてみればいい。己の生活パターンを離れた領域で夜歩きすればどのくらい迷えるものかすぐにわかる。それくらい街の顔は変わる。夜は千の顔をもつ、と手塚治虫のタクシー運転手漫画「ミッドナイト」のイントロにもある。そういうものなのだ。ゆえに、綾波レイがここで道に迷った、いやさちょっと方角を見失ったりしたり帰り道を一時健忘してしまったとしても、それは間抜けめ、と非難されるべきではない。萌えろ、とまではいわないが、そこらへんがかわいい、と思いながら、迷いびと特有の行動、わかってないのにとりあえず歩いてみる、といういわゆるひとつの彷徨する綾波レイである。
 
 
こうなってみると、夜の街の表情というものは、いちいちこちらをからかっているように見えてくる。信号機はそろそろ点滅であるはずなのにずうっと赤で行方をふさぎ、はがし忘れた選挙ポスターは選挙権のない奴には道など教えるものかけけけと見下し、掲示されている市街地図には鳥のような馬のような落書きがよりによって現在位置のマークに居座りアホーと鳴き、通行人の味方であるはずの誘導ロボットでさえも「あっちかな〜?こっちかな〜?どっちかな〜?」とこちらを惑わしてくるふうにも見える。
 
 
通行人に「ここどこですか」と聞けばいいのだが、いかんせん時刻が時刻、あまり人がいない。ここまでの道行きで警官とチンピラとスパイとオペレータ・・・いやさ加持さんと日向さんと青葉さんに絡まれた身としては積極的に、市民の味方であるところのおまわりさんが頼もしく控えているはずのポリボックスを探してどうこうしようという気になれないのであった。それに、ふつうの人間はこの時間の移動には車を使うものだ。たいてい親切な人間というのは、ふつうの人間のことなのだから・・・
 
 
綾波レイが人の失せた月の光の照らす街をゆく・・・・・
 
 
画家がその場にいれば、おそらくインスピレーション炸裂しまくりのムーンライト伝説ななんども巡り会いたい光景であったが、当人はあまり顔に出さないものの困っていた。ここらで休憩してコンビニで購入した水を飲みチョコを食うべきか・・・・・食玩を開いて中身を見て気分転換してみるべきか・・・そんな知恵もわいてこない。
 
 
さきほどの蛾の燐分がみせた、今宵限りにしてほしい赤木夜魔。
それに対する恐れ、夜歩きもこれくらいにしとかないとさらにおそろしいものをみるかもしれない、という予感、それらもある。あれが生霊とかいうものであればのんきに家にもどって寝ていたらそのままとりころされる・・・・・かもしれぬ。所在を不確定にしておくのはその点で有効か。どうも、月の光は自分の中からいろいろなものを引き出してくれる・・・・・好奇心は猫をも殺すと云うが。
 
 
早々に家に逃げ戻っても抱き留めてもう安心だとやさしく語ってくれる肉親がいるわけでもない。碇シンジと惣流アスカ・・・・・あの二人が、夜をともに歩いていた二人の姿が浮かぶ。一人で、ふらふらしているからこういう目にあうのだろうか・・・・
 
 
自分は、夢というものはみない。
だとしたら・・・・・あれは
 
 
かさり
 
 
彷徨う足が、なにか踏んづけた。軽い、ほんの軽い違和感。軽すぎて、気づかずそのまま通り過ぎるはずだった。他に考え事をしていたし。涙はこぼしてないがどっちかといえば上をむいていたし。それを気づかせたのは、派手なスライディング音だった。
 
 
ずざざざざざざざざざざざーーーーーー
 
 
自分に向かってきたそれに反応が遅れた。遅れた反応はただそこに立ち止まる、というもし相手が敵意をもって攻撃してきたのであれば撃退する態勢もとれずただ真正面に棒立ち、という最悪のもの。もし戦闘の師匠でもいればあまりの素人っぷりに百叩きくらいはしていたかもしれない。だが、よけようともかわそうともしないその白くて細い足に、スライディングしてきた何者かは予想が外れたらしく、直前で進路を変更、足を避けた。その勢いでぶつかれば綾波レイの細い足など折れていたかもしれない。
 
 
「・・・・・・・」
 
 
襲撃してきた・・・のか、ただ単に驚かそうとしたのか、綾波レイは首をめぐらし、そのスライディング犯を見た。
 
 
「・・・・・・・」
 
 
自分の反応の遅れが決して考え事をしていたせいだけではない、と思った。人間、予想と違った事態が起こると脳みその判断が遅くなるし、何より。それは・・・・・
 
 
低かった。背が。スライディングと思ったが、それは腹ばいになって滑ってきたのだと知れる。それは、人間ではなかった。人間と99.89%ほとんど変わらない遺伝子をもつ使徒でも、なかった。かといってちゃんと足もあるから音もするし幽霊ではなかった。
猿でもなかった、馬でもなかった、マンモスでもなかった、恐竜でもなかった、宇宙生物でもなかった、ロボットでもなかった、少々しつこかった。鳥だった。ペンギンだった。
 
 
葛城ミサトのところで飼われているペンギンだ。確か、ペンペンといったか・・・・
 
 
こんなところにいるはずがない。まあ、断言できるほど知っているわけでもないが。
そぐわない感じでは、ある。飼い主を出迎えたりするために家にいるのでは?
そのために引き取られたとかなんとか、風の噂に聞いた気もするが・・・どうでもいいので聞き流していたからまじめにおぼえていない。
・・・・・・どうなのだろう?碇君たちが散歩にでも連れ出してはぐれたのか?
・・・・・そうなると、無視するわけにもいかないが・・・・・いかないのだが・・・
 
 
向こうの、ペンギンの目は、じっとこちらの足下に注がれている。じい・・・・と、なんとなく恨みがましいような・・・・それにつられてこちらも足下を見ると、靴がお札を踏んでいる。しかも、壱万円札だった。二期連続でお札肖像入りを果たした偉大な人のご尊顔が踏みつけらえてゆがみ、なんかにやけているようでもあった。なにかいいものでも見えるのであろうか。それはいいとして。拾う綾波レイ。一〇〇〇〇円を拾得した!
 
 
「$%&#!!」
ペンギンの絶望した顔などはじめてみた。手というか退化した翼というか、それらをくちばしにあてて、声にならぬ悲鳴をあげた。
 
 
「・・・・これがほしいの?」
綾波レイは壱万円札をぴらりと。
別に意地悪をしたわけではない、この札がそのように鳴ったのだ。
そのために、スライディングなどかましてきたのか・・・・・ペンギンが金銭を欲しがるというのは聞いたことがないが、ペンペンはたしかに、頷いた。ちょっとあっけにとられる素直さだ。よほどほしかったのだろう。あと数秒早いか、こっちが避けていたらこれは彼か、彼女かどっちでもいいが、とにかく目の前で情けなくうなだれるペンペンのものだったわけだ。
 
 
「・・・・あげるわ」
 
 
拾った者を交番にも届けないとはこの行動は倫理規定に反するかも知れないが、綾波レイはあっさりと壱万円札をペンペンにくれてやった。努めて法律をけなしたいわけでもお金の有り難みがわかっとらんわけでもない。もし、このペンペンが水を求めて倒れていればコンビニ袋内のミネラルウォーターを与えただろうし、糖分というか食料に飢えているようであればチョコレートを与えただろう、そんな感覚。先ほどのスライディングの気迫といい、えらくせっぱ詰まった様子ではあったし。ペンペンの飼い主は葛城ミサトであるし、ペンペンに渡した、ということは葛城ミサト(一応、えらい人。責任を負う人)に届けた、ということでもある。伝書鳩に現金書留を託すようなものだ・・・とかこざかしい理論武装を綾波レイはしたわけではなかったが、恥じる気もまったくない。いい感じにあたりには人影はなし。見ているのはお月様だけであり、それはもしかしたら、迷える少女にナビゲーターを雇う代金を与えたという月の慈悲かもしれない。どちらにせよ、このペンペンがお札をどうしようと関知するつもりはなかった。ペンギン相手に恩にきせてどうこう、というわけもない。ついでにいうなら、特務機関ネルフはマンガのような超法規組織である。さらにここで、札を手に歓喜に震えながらこちらを見上げるペンギン相手に
 
 
「ここは・・・どのあたりになるの」
 
 
などと尋ねたらまさしくメルヘンなのだが・・・・・・・・って聞いていた。
 
 

 
 
しばらく道行きを同じくする。月の光のもと、連れ歩く少女とペンギン。非常にメルヘン。
略して非ジヘン、もしくはメル常。詩情をかきたてられる光景であり、横記のとおり。
 
 
そして。
 
 
「・・・古本屋・・・」
 
 
しかし、いくらメルヘンといえどペンペンが人間の言葉をいきなりしゃべりだして、しかもそれが自分の声にそっくりだったり、とか、そういうことはない。なんとなく自分の希望を理解した感じのペンペンについていくだけだ。もしや家に帰るのならば、それでいい。そうなればまた土地勘も働き出すだろう。・・・・何より、ペンギンとはいえ道連れがいるのは心強い。のんきにかまえていたら、その通りになった。だいたい見知ったところに出てきた。なんのことはない、2エリアぶん歩いただけだった。
 
 
その途中、ちょっとしたイベントがあった。公園の茂みに誘われて、ドキドキのしようもなく涼しい顔でついていくと、その中にはどこぞで拾ったらしい金庫があり、器用にそれを開くと、中にあったのは、ビールの空き缶を何個か改造してつくったらしい貯金箱。それを取り出す。残ってはいないから全財産だろう。そこからボロボロといかにも道で拾ったらしい汚げなコインがこぼれた・・・・まさか葛城家ではペンギンに小遣いを与えるような酔狂をしているとも思えないから、地道な回収作業によってため込んだ汗と涙が染みこんだお金だった。どれくらいの額があるのか、見当はつかないし、つける気もない。
そして、また歩き出す。袋にいれてもいい、と言葉をかけたが、ペンペンはお金は自分で管理するらしい、肌身離さなかった。
 
 
気のせいかトガッていた夜街の表情も多少穏やかになってきた感じがする。夜間営業の店が多いせいか照明が街路に届いているせいだろうか。ふいにペンペンが足を止めたところが古本屋の店先だった。
若者向けのマンガばっかりある広いやつではなく、こぢんまりとしたいかにも古本、という雰囲気。渋い色のひさしを見れば古銭や切手、貸本なども営んでいるようだ。夜が早くて朝も早い年寄りが経営してそうな感じだが、この時間にやっているというのは・・・もちろん立ち読みができるような店ではない。入り口は狭くずいぶんと奥深い造り・・・同行者、同行ペンギンにつきあって立ち止まってはみたものの、本を買う気はないし・・まさかペンギンが本買って本読むわけでもあるまい。ここにあるのはあんまり絵のないやつっぽいし。どうしたのか、と綾波レイが問おうとする前に
 
 
「くゎ」
 
 
ここで別れましょう、わたくしはここでご用があるのです、というようにペンペンが鳴く。
あなたはここで帰られた方がいいでしょう、と。なんか意味が詰まっている。
 
 
もちろん否やはない。あのお金でなにをしようと、氷を大量に買い込んで砂場にでもぶちこんで一夜限りの南極王国としゃれこむも、寿司屋にでもはいって高めのものを注文しようと、恵まれない人たちへの募金をしようと、こっちの知ったことではない。
もちろん、ペンギンの分際で高価な古本を買おうとしても、だ。
 
 
ここでペンペンとは別れよう。癒された、とはいわないが、気はまぎれた。
そして古本屋から離れ歩を進め・・・・・・進めようとして、途中、ふと、気づいたことがあった。
どうしても、聞いておかねばならぬこと。この道行きが、この邂逅が、夢の続きなどではなく、確かに現実であった証拠に。些細なことかもしれないが、そのままにしてはおけなかった。振り向いてふたたび、古本屋へ向こう・・・その時、ペンペンの悲鳴が夜気を裂く!!古本屋の中だ。コンビニの袋はしっかり握ったまま、駆け出す綾波レイ。
 
 
えらく奥深い、俗に言ううなぎの寝床式の古本屋の一番奥に、ペンペンはいた。
 
 
店の主人らしい鼻眼鏡の魔女っぽい老婆と、仁王像のように体格のいいスーツ姿にハゲ頭に鉢巻き、しかも店の低い天井に頭がつかえている!、という異様ななりの男がいて、さめざめと泣くペンギンを困惑し厄介そうに見ていた。「目をつけてたのは知ってたけど、もう売れたんだからあきらめておくれよ・・・」ペンギンに商品を売るのをよしとするあたり、まさしくこの店主も魔女であるが、相手の嘆きようにとおりいっぺん以上の気持ちをもって慰めている。
 
が。
 
「ふん!どうせペンギンなどにこの書物の貴重さなどは分かりはせぬ!・・・金銭を掻き集めてきた根性は認めてもいい・・・この書を見つけた眼力、温泉に対する愛情は認めてやってもいいが・・・・しょせんはペンギン!!この”阿汰呉御琉埋蔵温泉地理誌”は、温泉大奉行の位をもつ、この別府ドウゴが手に入れた方が良かったのだ。これは温泉の神もそう仰っておられる。それゆえ、ペンギンがあわや手にいれる寸前で我が輩が発見できたのだ。温泉界にとっての危機であったがそれも去った!がははははは!硫黄の匂いに鍛えられた我が鼻、猟犬も凌駕する獲物を突き止める臭覚の勝利!がははははは」
 
よくもまあ、ペンギン相手にこれほどまでに勝ち誇れるものだ、というくらいに単純に勝ち誇る大男。よほど嬉しいのかもしれないが、大人げないというか人間の尊厳はいずこというか・・・・交渉というか話し合いに応じる系の人間ではなさそうだ・・・
 
 
さすがの綾波レイも少々鼻白む。面倒なところに来たな、という自覚はあるが、それでも。
大男の手にする古本は、表紙も裏表紙も、普通の紙や皮ではなく、大きい葉っぱなのだ。
そんなもので綴じてあるのだから、中身もおそらくそうなのだろう。
 
あたごおるまいぞうおんせんちりし、とか言っていたが、どこらへんにそれほどまでに購買意欲をそそられねばならぬのか、ちと理解しがたいタイトルではあるが、欲しい者は欲しいのだろう。現にいい年こいたオヤジがペンギン相手に大口あけて先買いを勝ち誇り、夜闇にまぎれてちこちこお金を拾い集めてきたらしいペンギンはうちのめされている。
そういえば、ペンペンはふつうのペンギンではなく、温泉ペンギンとかいう少し毛色の違ったペンギンであったかな・・・・そのようなことを今さらながら思い出す。
 
 
「あんたは・・・・お客さんかい?すまないね、見ての通りちょっと取り込んでてね」
店主老婆と目が合い、声をかけられる。
 
「いえ、わたしは・・・」
ペンギンの悲鳴に驚いただけの関係ないひとです、と言うところであったが、
 
 
「さあて!!貴重な書物は手にいれたし、今夜は素晴らしい夜だ!このまま夜風呂としゃれこむか!朝一番で東北だ!明日の夜はもっと素晴らしい、力ではたどり着けない温泉にどっぷりとつかりまくるとするか!!がはははは。まあ、気を落とすなペンギンよ。温泉好きの栄誉である、一番肌、初夜風呂はいただいたが、開発がすすんでゲストを迎える状態になりさえすればご主人様に連れてきてもらうなりしてお前も入れるようになるだろう!かわいそうだから犬猫はだめとしてもペンギンは入浴オーケーなことにしておいてやろう!それではな、女将」
「誰が女将だよ」
でかい声で今後の行動予定まで聞かせてくれる大男と店主老婆のつっこみに、黙り込む綾波レイである。もとより弁がたつほうではないが・・・
 
 
「あの・・・・・」
大男、別府ドウゴに声をかける。
 
「・・・なにかね?」
上機嫌ではあるが、いきなりのこの時間の女子学生の声かけに、あまりいい顔をしない。まともな社会人の反応だ。子供は早くお家に帰れ、と顔にかいてあった。けれど、人にはそれぞれの事情というものがあり、少女の気配は夜に浮いたものではなかった。
 
「落とし物でもしていたかな?それともサインかな・・・・っと、それは冗談だが」
次の言葉を出しかねるところを、間をもたそうというあたり、望みが湧いてきて
 
「その本・・・・すこしだけ・・・・この子に見せてあげて・・・くれませんか」
頼んでみた。
 
「この子・・・・というと、君がこのペンギンの飼い主なのかね」
半分納得したような半分きょとんとしたような顔をする別府ドウゴと店主老婆。
「・・・・お使いのようにはみえなかったけど、となると、買う気があったのは・・」
 
 
「ちがいます」双方の問いに対して、一言で答える。ペンペンも別れたはずの同行者が舞い戻って、このように自分に肩入れしてくれていることを目を丸くしている。
そして、自分とペンペンの関係については言及せず、赤い瞳でじっと相手を見る。
 
 
「ふうむ・・・・・・・」普通の子供ならば相手にもしないところだが、別府ドウゴは目の前の不思議な少女の姿に、幻の書物を手にいれた幸運との縁を感じたのか、じいっと見返す。なにやら奉行が白州で思案をしているようでもある。天井までとどく大きな体格は確かに貫禄で、いくらエヴァに乗って使徒と戦う身であれど、気後れがないわけではない。
 
 
綾波レイの赤い瞳は無心にして、無欲。
自分がなんでペンペンのためにそこまで口をださねばならぬのか、本人にもよくわかっていなかったし、ついでにいうと、温泉の本など欲しくないのだから無欲なのは当たり前。ここでこの少女の頼みを無下に断ってしまうと、幻の温泉も遠ざかってしまう気がしてきた。幻の温泉はそれくらい幻なのだ。だが、この葉っぱの本というやつも・・・・
 
 
「お嬢ちゃん、こっちも意地悪をいうつもりはないんだけどね。この葉本、ってえのは普通の紙本と違ってね、いったんそのページ開くとインクが乾いて記述が消えるのさ。なんかスパイ映画みたいだけどね。・・・だから、その頼みもちょいと難しいよ」
売り物のことは当然承知している老婆店主が、おそらく三者にとってのとりなしの言葉を差し入れる。この場合、その内容が消える前に写真に撮ればいいじゃん、という無粋は紛れる余地もない。
 
赤い瞳が一瞬、揺らぎ、鳥の丸い目がかなしげに潤んだ。
 
そして、・・・・・・大男は結論を出した。
 
 
「全部はとても無理だが・・・・・一ページだけ見せてやろう。ただし・・条件がある!」
 
 
気落ちはしない。だろうな、と思う。世の中それほどあまくない。
「それは・・・・・」「くいいっ!?」「・・・・そろそろ店閉めたいんだけどね」
 
 
で、条件とは
 
 
「我が輩と相撲をとって、勝てば、好きなページを見せてやろう!どうだ!!」
 
 
そう叫んだ大男に「貴様は変態か」という鋭い三つの視線が刺さる。
 
 
ペンギン相手に、
少女相手に、
言うに事欠いて
 
 
相撲とれ
 
 
などと。今時、純正のモノホンの河童であっても面と向かってこれほど直接エクストリームなことはいうまい。
 
 
「!?い、いや、違うぞ!何か誤解しとりゃせんか!?というか我が輩の言葉が足りなかったような気もするので捕捉説明させてくれいっっ!!店主!通報らしい電話から手をはなすのだっ!」
 
 
しばらく、揉めた。捕捉説明とやらをする空気になるまですこしかかった。
 
 
「・・・・あー、相撲といってももちろん、本当に取っ組み合ってやるやつではない。・・・我が輩の地元ならともかく、まあ、なんというか勝負は見えているし、だいたい犯罪だろうそれは。相撲は相撲でも、いわゆる”とんとん相撲”というやつだ。ちょうど、ほれ、この子はそれ用の人形をもっている。最近の子供の流行だが、我が輩も少し興味があってな・・・ほれ、このとおり」
スーツのポケットから大男が取り出したのは、なんと似合わぬ、食玩。しかも、コンビニできまぐれのように購入した、『EVANGERLION SERIES』・・・・ネルフのロゴ入り。おそらくここでしか買えまい。EとLにRが入っているのが微妙なところだが、一般人はそんなこと分かりはすまい。要するにおまけのフィギュアがめあてなのだから。
 
 
綾波レイは知らなかったが、最近はこれでとんとん相撲をやるのが密かに流行っているらしい。ついでに言うなら、流行っているのは子供の間ではなく、ベーゴマや鉄ゴマで遊びそこねた世代の大人達であった。ネルフも資金の足しにしようとしたのだろうか、まさかヒットしてしまうとは碇ゲンドウも予想できなかったに違いない。もし問えば「フ、シナリオ通りだ」とかおそらく答えるであろうけれども。
 
 
別府ドウゴ、この大男、ほんとの相撲も強いが、この小細工なとんとん相撲も好きで強い。
地元では敵はいなかった。もちろん、相手をしてくれるのがいなかった、という意味ではない。そして、この手のゲームのよくあるルールとして、勝敗は人形力士のその身であがなわれるわけで。
 
 
「どうも、レアものの匂いがするのだ。貴重な書物と貴重なフィギュア、両方、手に入れるとは欲の深いことだが、これもまあ温泉の神のお導きなのだろう。そして、一番とってそっちが勝てば、要求通りページを見せる。もし、我が輩が勝てば・・・・・」
 
 
「あげます」
即答である。どうせ収集しているわけでもコレクションを始めようとしたわけでもない、レアだろうとウエルダンだろうと関係ない。確かにそのくらいの条件の方が後腐れがなさそうで気分はいい。温泉だからと卓球で挑まれるよりはいいだろう。とんとん相撲であろうとエヴァを用いた戦闘であり、それならこっちは本職なのだ。誰にも命令されたわけでもなくペンペンに義理もないが燃えてきた。
 
 
「おいおい・・・あんたらね・・・」「くるっくう〜・・・・」
妙な成り行きに店主老婆とペンペンが「まだ箱を開けてもないのに」と人間語とペンギン語でそれぞれつっこむ。(それなら、もう一押し、勝ったら本をもらえばいいのに)とさらに内心でも。だけれど、それは秘するが花、というやつだ。月は欲深を嫌う。
 
 
綾波レイがコンビニ袋から食玩の箱を取り出し、開けてみると・・・・・はたして
 
 
山吹色の零号機・・・・・『EVANGERLION SERIES』であるから、EVANGERLION 零号機だ。改装前の愛機である。なるほどさい先がいいし、これはレアなのか・・・と思うとなんとなく笑みがこぼれた。
 
 
「おお!その色、まさしく!我が輩の嗅覚に間違いはなかった!それもいただくぞ!ほんとに今夜はよき夜だ!では女将、土俵の用意を頼む!」
「やれやれ・・・・塩とスルメも埋めるのかい」呆れつつも、他に客もいるでもなしくるでもなし、と相手をしてやることに決めた店主老婆は店の倉庫にいったん引っ込んで、大きな分厚い図鑑のような本をもってきた。「それでは分厚すぎる。叩いても力士に動きが伝わらないぞ」と大男の文句に「黙っておいでよ。古本屋をなめるんじゃない。・・・・ほらさっと」老婆店主は言い返しざまに重たい本を開く。途端。
 
 
「・・・・・!」「うおおっっ!?」「うぎょっ!?」
綾波レイ、別府ドウゴ、ペンペン、三者三様驚いて目を見張る。
 
 
そこに、小さな国技館が、相撲会場が現れたからだ。ごていねいに枡席などもある。
いわゆる飛び出す絵本、の超高級品、とでもいえばいいのか。
「ただで見せるのも惜しいんだけど、まあ今夜は特別だよ。さあ、結びの一番さっさとやんな。そろそろ店じまいをしたいんだ」
 
 
「そ、そうだな。それではいいか・・・・・我が輩のは、これだっっ!!」
そういって大男が取り出しのは、真紅の弐号機、EVANGERLION弐号機である。
くどいようだが、Rがある。そういうわけで、自然、湧いてくる連想も違うのである。
いわば、別人。別人造人間であり、別パイロットなのである。同一視はいけない。
 
 
そして、土俵にそれぞれのエヴァ力士をのせて・・・・・勝負がはじまる。
 
 
相手は制式のエヴァ弐号機であり、それを駆るのは、とんとん相撲に慣れ指も太く強力な百戦錬磨の大男。それに比べて、練習色の山吹の零号機はプロトタイプであり、とんとん相撲などやったこともない力もずいぶんと劣る細い指・・・・・・
 
 
ハンデはいいのか、と老婆店主が口添えしてくれたが、受けるわけにはいかない。
ずいぶんと、不利な勝負ではある。が、負けるはずはない。ATフィールドの加護もないが・・・根性も勝負にかける執念も向こうの方が上そうだが、それでも。
 
 
 
「はっけよい、のこった!!」
 
 

 
 
「それじゃ・・・・・」
「うきゅー・・・・・」
 
古本屋の前で再び別れる。あの大男、別府ドウゴの車はもう見送った。がらがらがら・・・・・・「そろそろあんたたちも家に帰るんだよ。そりゃ夜更かしして本読むのは最高だけどねえ」・・・・老婆店主の注意ともなんともつかぬ声とともに、シャッターも下ろされる。「月明かりも明るいようにみえて、ほんとは地球からの光の方が何倍も明るいのさ」魔女であるから、一晩くらいうちで泊まっていきな、なんてことはいわないのだろう。
 
 
ほてった頬に、夜風が気持ちよかった・・・・・・
 
 
ペンペンの手には例の葉本があり、コンビニ袋にはいったんは開けられた食玩の箱がある。
どのようにとんとん相撲の勝負がついたのか、それをいうのも野暮というもの。
 
 
ではあるが、こうも月が照っていると、語らぬとおしおきされそうなので明かしておくと。
 
 
当初、強力なラッシュ怒濤のつっぱりをかけてくる弐号機にさんざん圧倒押しまくられた零号機であるが、見ていられなくなったペンペンが加勢、その退化した翼は地を震わすハンマーとなって零号機にパワーを与えて、一進一退の大勝負となった。
 
 
ボクシングやサッカーと違って時間制限のない相撲である。なかなかなかなか勝負がつかないことに、老婆店主が水入りさせた。「いいかげん、店閉めさせておくれよ」・・・実際このままいけば、1人と一羽がかりでも、体力的に大男の方が勝っていた。
 
どうなっていたか・・・・・
 
「あの本、近々、もう一冊入荷する予定があるんだ。状態はそっちの方がいいんだけど、どうするね」
「ならば、そちらも買おう・・・・・・いや、そちらをくれ。そうだな、予約をいれてくれ。手付けも払おう」
 
店主の妥協案に、こちらはへばって息があがっていたので口をはさむ余裕はない。
 
「じゃ、こっちの方は」
「敢闘賞だ。こっちのペンギン殿に売ってやればいい・・・・・この別府ドウゴ相手にがっぷり四つで耐えきるとはなかなかの根性だ。温泉を愛するだけのことはある、熱い心だった。いい勝負だった」
 
それはこっちのセリフ、と言い返したいところだが、息切れて声が出なかった。
 
「おっと、もうこんな時間か。それでは女将、そういうことで頼む。連絡先はここだ・・・」と名刺を渡し去りがけに、「君の食玩を愛する心もたいしたものだ。あの気迫は並々のものじゃなかったぞ。対面して背筋に冷や汗が流れていた。このまま精進してくれ、がはははは」と何か誤解したことを言って元気よく店を出て行った。
 
 
それらの話がどれくらい本当でどれくらい嘘であるのか。葉っぱに書かれたような珍しい本をそう簡単に入荷できるものかどうか。ペンギンにも少女にもなんとなく見当はつく。
 
 
顔を見合わせ、ペンペンはお金を払い、本を手に入れ、走り出す車を見送った。
 
望みはかなえたが、勝ったともいえない。「その本を・・・どうするの」具体的な返答は期待していない、ただ問うみてみただけ。珍しい温泉に入りたい、というのは温泉ペンギンの習性なのかもしれないし。欲望に説明もなかろうか。ともあれ、あれだけの欲求があるというのは、恥ずかしいともいえるし、うらやましい、ともいえた。
 
 
そして、別れた。さすがにペンペンは帰宅するだろう。それとも月明かりでようやく手に入れた本をさっそく開いて読むのか・・・・・・まあ、そのあたりはご自由に。
 
ふう・・・・体内に残った熱を排するように息を吹く。
 
不思議な、というよりは奇妙な、体験だった。しばし、歩きながら・・・・
 
 
「あ」
立ち止まる。肝心なことを聞いておくのを忘れた。そも、それを確認するために足を止めたのではなかったか・・・・・うかつ。けれど、今更駆け追って問いただす・・というのも・・・・その気はだんだん先細り、しばらくして消える。まあ、いいか、と。
 
 
 
ペンペンが鳥目であったかどうかなどと。これだけ月が明るいのだ。
 
おそらく、見えるのだろう。でなければ・・・・あの一幕は。ふるる、震えが一走り。
 
 
綾波レイは歩をすすめる。
 
 
その先は、未だ夜。
 
 
つづく
 
 
inserted by FC2 system