「食欲」というものはよく分からない
ただほんの少しだけ喜びがあった
だから「食事」に同行していた

でも
そんな喜びも無くなった
無くなった、ような気がする
何故かは分からない

だからわたしは断って帰ることにした
「食欲」なんてなかった
最初から

 

「・・・あら、今帰り?」
「・・・はい・・・」

 

 ふと傍らから声を掛けられた。視線を上げる。肩までの流れる
ような黒髪。柔らかく和んだ表情の中にも、確かに感じさせる意
志の強さ。朱色の士官服。このひと、知ってる。そしてこのひと
もわたしの事を知ってる。

 

 知ってる、ような気がする
 何故・・・?

 


「あ、車ね。ちょっちぶつけちゃったのよー。ひと轢かなかった
のは幸いだったんだけどねー。」
「・・・・・・」

 

 きっと視線を注いでしまったから、勘違いしたのだろう。特に
何かを尋ねようと思った訳ではなかったから。寧ろ話し掛けられ
て初めて気付いたぐらいだった。そう言えばリニアの中で出会う
事自体珍しいことだったから。

 

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

 どれくらい経っただろう。ふと目を向けると、形の良い脚を組
んで手元の文庫本に目を落とす姿。何となくそのまま見つめてし
まう。体型の美しさもあるのだろうが、そうしている彼女の姿が
とても均整のとれたものに感じられる。

 歳を重ねることが許されるのならば
 わたしもこのひとのようになれるのだろうか

 何気なく目を留めた文庫本のタイトル。「夢十夜」。著者の名
前は知っている。今度機会があったら手に取ってみよう。そう思
いながらも形にならない疑問。何故わたしはそんなことを思うの
だろう。


“夕食、良かったら一緒しない?今日はシンちゃんたちオフだっ
たからきっとちゃんと作ってるわよ。ね、来てみてよ。”
 そんな彼女の言葉に何故か頷いていた。自分の心がよく分から
ない。わたし、食欲はなかったのに。だから「食事」を断ったの
に。彼女の後に続いてエレベータの箱から出る。

 

「・・・はぁ。この季節、風は冷たいけど夕暮れの空はすごくい
い色してるわね。」
「・・・・・・」
「・・・“綺麗”って言うのよ。覚えておきなさい。」
「・・・はい・・・」

 

 返事はしたが、本当はよく分からなかった。ただ、彼女が感じ
ているものは少しだけ分かるような気がした。何故そんな風に思
うのだろう。また疑問。ふと風に乗って漂ってくる料理の香り。
よく知っている、少しばかり懐かしい匂い。

 

「あー。レイ、今日はカレーよ。ラッキーだわ、シンちゃんのカ
レー美味しいんだから。」
「・・・・・・」

 

 返事の代わりにお腹が、くー、と鳴る。何よりも戸惑い。何故
だろう?食欲?ふと目を上げると、目の前に優しげな笑みを浮か
べた彼女の顔。無意識に目を伏せてしまう。美味しいわよね、カ
レー。歌うようにそう言いながら、ドアに手を掛ける。


 

「お帰りなさい。あ、綾波も一緒だったんだ。」
 少年の柔らかな笑顔。水色のエプロン姿。端正な顔立ちの彼に
良く似合う。その後ろから同居の少女が、ひょい、と顔を覗かせ
る。ニコッ、と明るい笑顔。あー丁度良かったわ、ちょっと量作
り過ぎたもんねー。ピンクのエプロン。揃いのデザイン。何故か
少しだけ気になる。

 

「今日は時間があったから、ルウから作ったんですよ。ちょっと
自信作です。」
「匂いで分かったわ。すっごく楽しみ。それに今日はアスカも手
伝ったのねー、偉いじゃない。」
「何よ、あたしだってサラダぐらい作れるわよー。」

 

 サラダのボウルを持って、ちょっと照れ臭そうにぱたぱたと走
る。部屋の中には先程よりも濃くなったカレーの匂いが満ちてい
る。それ程凝った訳ではない、とてもベーシックな家庭カレーの
匂い。それが不思議に身体全体に染みてゆく。また小さくおなか
が鳴る。わたし、おなかすいたの・・・?

「じゃ、レイもお皿並べとか手伝ってあげてね。あたし、すぐに
着替えてきちゃうからね。」
「・・・はい・・・」

 素直に滑り出た自分の言葉。それでも不思議に戸惑いはなかっ
た。まるでその場の空気に溶け込んだかのように。最初からこの
場の一員であったかのように。
 鞄を隅に置いて、キッチンの中に入っていく。丁度少年が盛り
付けたばかりの皿を受け取る。暖かいごはん、半分くらいを覆っ
たソース。カレーの匂い。そしてちょっと照れ笑い。

「ゴメン、テーブルに持っていくだけでいいから。」
「・・・うん・・・」

 手にした皿は割に熱い。でも外の冷たい風に凍り付き始めてい
た身体には、その熱さが心地好い。テーブルに皿を置く刹那、ま
たカレーの独特の匂いが流れ込んでくる。


 

 わたし
 きっと
 おなか、すいてる

 

 カレー
 美味しそう・・・だな・・・

 

 

 

 

 

 
















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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です

Written by Kame for 綾波ML.

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