レイが、死んだ…。













それは、ある晴れた冬の夜だった。
















新世紀エヴァンゲリオン++

エピローグ


2078/02/12(土)
その夜の空は晴れ渡り、月が無いせいか星々いつにも増して煌き、地上の人工の光に負けじと輝いていた。

NERV医療部ICU(集中治療室)のベッドに横たわったレイの周りに、シンジと数人の家族が集まっている。
既に大掛かりな医療機器類は片付けられ、バイタルサイン(生命信号)モニタだけが彼女につながれ、小さな電子音を立てていた。

美しいプラチナブルーであった髪からは青みが抜け今では真っ白になっており、皮膚は瑞々しさと張りを失って久しいが、その顔に刻まれたシワの一つ一つまでが愛しく、シンジは愛する妻の髪と頬を節くれ立った自らの手で慈しむように愛撫する。

レイは気持ち良さそうに目を細め彼の指の感触を味わっていたが、やがて微かに眉間にしわを寄せると震えるように唇を開く。

「ありがとう。
 私…あなたと生きて来れて、本当に…幸せだった…」

それに続く最後の言葉は声にはならず、ただ微かに唇が動くのみであったが、シンジには確かに聞こえていた。

(ごめんなさい。
 私、先…行くから…)

彼は妻のその細い身体をそっと抱きしめ、優しく口付けする。

「うん。…また、すぐ会えるよ」

シンジの言葉を聞くと、彼女は微笑を浮かべ、やがて、細く息を吐いた。

最後の吐息を…。

真っ白な彼女の体の中でただ一対、昔のままの色を保っていたその瞳から色が抜けていく。
深いルビー色をしていたその虹彩が、ゆっくりと白く、色を失っていく。

最後までシンジを見つめつづけようと目を見開き、微笑を浮かべたまま…。

周りの家族から上がる泣き声をどこか遠くに聞きながらも、不思議と悲しみは無い。
思えばこの瞳こそがレイのコアだったのかもしれないな…などと場違いなことを考えながら、彼は優しい手つきで彼女のまぶたを下ろしてやり、穏やかな表情で妻に別れを告げた。


「おやすみ、レイ…」


自宅で倒れてここに搬入されてから3日後の2078年2月12日22時58分、死亡確認。
死因は急性多臓器不全。無理な延命処置は二人とも望まなかった。
この時代、若すぎるとも言える77歳(戸籍上)の死であったが、碇レイ…最期までヒトとして人生を全うした彼女の死は、本当に穏やかだった。


















数週間後、緑豊かな庭先にシンジは一人立っていた。
そこに1羽の小鳥が舞い降り、しばし羽を休める。

「ほら、レイ、あそこに珍しい鳥が来たよ」

と、振り返って気付く。彼女は、もう、いないのだと…。

突然襲う強烈な喪失感。

いつでも彼女はそこに居たのに、今は、もういない…。

シンジは、レイを失って初めて、泣いた。

背を丸め、声を殺して、泣いた。

死による別離は、これが初めてではない。
ミサトや加持、リツコとの死別もあった。
それでもこれほどの喪失感は感じたことが無かった。
どこか、諦めのようなものが有ったのだ。

だが、やはり、彼にとってレイは特別な存在だったのだ。
心の一部を引きちぎられたような痛みすら胸に感じながら、シンジは泣いた。


















(そういえば、そんなこともあったな…)

シンジは感慨深く思った。

レイを失って数年経った今ではもう、あの頃のような喪失感は感じなくなっていた。

けっして彼女を忘れたわけではない。

今ではなぜか、振り向けばそこに居るような気配を感じるのだ。
生前、いつでも彼女がそうしていたように、彼の傍に静かに佇む彼女の気配を…。

そして、それはここ数日ますます強く感じるようになっていた。

(そろそろ…なのかな?)

そんなことを、今はケンスケと一緒にオーストラリアのコンドミニアムで老後を送っているアスカに話したら、
『何馬鹿な事言ってるの!
 二人揃ってアタシより早く逝こうっての?!
 冗談じゃないわよ!
 そんなこと考えてる暇があったらミキちゃんの面倒見てあげなさい!』
と相変わらずの調子で怒鳴られてしまった。

シンジとレイは4人の子供を設けた。シンジは今は最初の孫夫婦(シンヤとアオイ)と彼らの5歳になる娘(シンジにとっては初曾孫)のミキと一緒に住んでいた。
孫夫婦は共働きなので、幼稚園への送り迎えや両親が帰ってくるまでの世話はシンジが担当していたのだ。
ミキは可愛い。どことなくレイの面影を残す彼女と一緒に過ごす時間は彼にとって至福の時でもあった。

(レイ、見てるかい?僕たちの曾孫だよ。
 君に似て将来美人になるだろうな…)

などと心の中で亡き妻に呼びかけてみたりするシンジであった。


















肉体から開放された瞬間、綾波レイの魂は、時間と空間を等しく超越し、世界に普く存在した。

全ての瞬間に、全ての場所に、普く存在する者。
それは、神と言ってよいかもしれない。

だが、その超越した存在は、その関心を一人のちっぽけな人間にのみ注いでいた。

それが、碇シンジという名の人間だった。

ユイがシンジを身ごもった夜。

ユイとゲンドウが名前を相談していたベッドサイド。

シンジが産声を上げた朝。

ユイがシンジを連れて湖畔を散歩する昼時。

幼いシンジが遊ぶ夕方の公園。

そして、ユイの実験の日。
泣き叫ぶシンジの頭を、触れ得ぬその手で撫でるようにしていた。

シンジがあまり語らなかった「先生の所」での生活も初めて目にした。

シンジが初めて箱根湯元の駅前に立った瞬間にも彼女はそこに存在した。
彼がこちらに気付いたように見えたのは、気のせいだろうか?










そして、同時にシンジがその一生に幕を下ろした瞬間にも、彼女はその場にいた。










その夜、シンジは自室のベッドの中でふと目を覚ました。

暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる見慣れた天井を見上げると、なぜか、さまざまな思い出が去来する。

幼い頃の辛かった記憶。

エヴァでの戦いの日々。

平和になった世界でレイと過ごした学校生活。

お互い激しく求め合った若き日々。

トウジとヒカリの出来ちゃった結婚に驚いた事。

大学時代のレイとの大喧嘩。

卒業を間近に控えたプロポーズの夜。

フォトジャーナリストとして世界を股にかけて活躍するアスカと、高校教師の道を選んだケンスケの事。

リツコの下での研究生時代の苦労。
そのとき改めて知ったゲンドウの人類補完計画の概要。

レイ懐妊の喜びと、それを知った次の日にはもう子供の名前を考えていたこと。

今では世界中に普及しつつあるシンクロサポート付きLCL内出産のテストケースとなったこと。

初めての子育ての苦労。

異端視扱いされたレイの論文と、新学会の設立。

家族での旅行。

子供たちの成長の喜びと、親離れの寂しさ。

すべてが順風満帆というわけではなく紆余曲折を経てではあったが、それでも彼らは幸せな人生を歩んでこれた。
それはどんな時でも傍にレイが居てくれたからだと、シンジは信じていた。

そして、いつしか感じられなくなってしまった、カヲルの存在の事…。


(……永い…夢を…見ていた気がする…)


シンジはしばらく懐かしむように記憶を辿っていたが、ベッドサイドに気配を感じそちらへ目を向ける。


そこには、レイが立っていた。


初めて会った時と変わらないその姿を、壱中の制服に包んで…。

ひどく、懐かしい。

『碇くん…』

「ああ…迎えに来てくれたんだね」

『充分…生きた?』

「うん…ぼくは、もう、充分だよ」

『そう…良かったわね…』

そのとき、突然思い出す。
初めて第3新東京市へ来たとき、陽炎のように佇むレイの姿を確かに見ていたことを。

(ああ、そうか…。
 ぼくは…あの時…既にきみと出逢っていたのだったね。
 どうして今まで忘れていたんだろう…)

《私は…今、逢って来たの…あの時の…あなたに…》


その時、ドアの影からシンジのベッドをうかがう小さな子供が声をあげた。

「ひいじいちゃん、その人、誰?誰とお話してるの?」

曾孫のミキだった。

曽祖父のベッドの脇に見知らぬ少女が立っている。

寝ている曽祖父の身体からも見知らぬ少年が浮き上がる。
見知らぬ?いや、その少年は曽祖父の若い頃の写真にそっくりだった。
そしてその写真の隣に写っていた少女が、今、目の前にいる。

少年は少女が差し出した手を取り、少女に微笑みかける。
少女も少年に微笑みを返す。

ミキは二人の近くに走りより、訊ねる。
「お兄ちゃんは、ひいじいちゃんなの?
 お姉ちゃんは、ひいばあちゃんなの?」

その問いかけにふたりは振り向き、少女が微笑みながらミキの頬に優しく触れる。

『あなた達は、私達の希望』

あなた達は…人類に、福音をもたらす者…。

この子供たちが持つ私の血は、ゆっくりと、でも、確実に、世界に広がり、その力を伝えて行く…。

希望なのよ…。

人は、いつか解り合えるかもしれないと言う、希望なの…。

いい事ばかりではない、辛い事もあるかもしれない。

でも、希望はいつでもあるわ。

ヒトには、まだまだ可能性が有る。

変わって行けるはずなの。

だから、しっかり、歩いて。あなたの足で。

そして、言葉をつむいで。あなたの心で…。

少年はミキの頭を優しく撫でる。

「ひいじいちゃん、行っちゃうの?」

『もう、時間だ…。
 みんな、仲良くやるんだよ』



そして少年少女はふたり手を取りあい、月の光の中へ溶けていく。



『お帰りなさい、碇くん』

『ただいま、綾波』

ふたりは、今、真に、ひとつとなった。

『やぁ、シンジ君、やっと来たね』

『カヲル君。ここにいたんだ…』


そして、彼らの魂は、新しく生まれて行く魂たちの中に、淡く遍く溶け込んでいく。


広がり行く、血と魂。


それは、人類に与えられた微かな希望。




人は、もっと優しくなれる。




人は、もっと強くなれる。




人は、もっと他人を愛せる。




人は、もっと自分を愛せる。




人は、もっと解り合える。










そして…

ヒトは、より善き存在へと、再び、進化の歩みを始める…。












The END of EVANGELION++

あとがき
「エヴァ+」公開から丸5年+α。私の補完もようやく終わりました。
物足りないと言う方もいるかもしれませんが、これが、今の私の精一杯(^_^;)。

この最終話の形は98年の1月に「エヴァ++」を連載開始する時点で既に考えてありました。
その後、[Garden of Text] のkameさんの「Holiday」のエピローグを読んで、絵的に凄く似ている事に「やられた!」とショックを受けたりしましたが、「それはそれこれはこれ」と割り切って、ほぼ当初の構想そのままの形での公開となりました。

エピローグにいたるまでのシンジたちが結婚してからのエピソードの構想もあって第1部の中であちこちに伏線を貼ってきていたんですが、力不足で結局形にする事は出来ませんでした。

当初、シンジの回想としてエピローグの中に盛り込もうかとも思ったのですが、とても中途半端なものになってしまうので諦め、その欠片だけチラリと顔をのぞかせるに留めました。あとは皆さんご想像を働かせてみてください。

これにて「エヴァ+」「エヴァ++」と続けてきた私の補完小説は打ち止めとなりますが、長い間お付き合い戴き応援してくださった読者の方々への感謝の気持ちで一杯です。
どうもありがとうございました。

あ、もちろんこのページはこれからも続けますし、投稿はいつでも大歓迎ですので、今後ともよろしくお願いします。


ぜひ、あなたの感想をこちらまで>[ kusu3s@gmail.com ]

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