「くしゅん!」
「綾波風邪?大丈夫?」
「ええ・・・」
いつものようにそっけないレイの答え。だがその歯切れは少し悪い。
「でも、さっきから咳が凄く多いし、良くないよ。」
双方向回線はEVA同士では常に開かれていた。そのウィンドウに映るレイの顔を見てシンジが言う。
「気にしないで。」
「だけど・・・」
「本人がいいって言ってるんだし、気にすることないわよ。」
アスカの反応もいつも通り。
「そうかな。」
「そうよ。」
「3人ともグラフ乱れてるわよ。話はそのくらいにして。」
リツコの声に3人とも話を打ち切ることにした。
「はい。」
「分かりました。」
「はーい。」
シンジ・レイ・アスカの3人は、いつものように本部で実験に参加していた。
やっている事がさして集中を要さない事に加え、リツコら技術部にとっては、風邪程度で実験を延期するほどの時間的余裕は存在しなかった。
そしてやる以上、最善のデータを集めなくてはならない。勢い対応がそっけなくなるのは仕方なかった。もっとも、リツコが愛想がいいと言うのはめったにないことだが。
「でもホントに具合悪そうよ。体調最悪じゃない。」
リツコと共に、管制室で実験に立ち会っていたミサトが、データーを覗き込みながらそう結論づける。ミサトもパイロットの自己管理がなっていないことに決していい思いはしないが、それでも子供が風邪を引けば例え表面上でも心配してみせるくらいの心根はある。
「構わないわ。時間がないの。」
「そうね。ただこんな時に使徒には来て欲しくないわね。」
「同感だわ。スケジュールが詰まってるもの。」
行程表をめくりながら返答するリツコ。限られた時間との競争にのみ関心の全てを捧げていた彼女の言葉は、淡々とした物であった。
「そうじゃなくて、レイの体調が悪い時にって事よ。」
「風邪ならそのうち治るわ。それに比べて、これらの実験は急を要する物なの。あなたも分かっているでしょう?」
「そうだけどさ。」
「これでも負担の少ない実験を優先してるのよ。極端な所、起動さえすればいいくらいに。」
「分かったわよ。」
リツコも配慮していることに一応納得して、ミサトはモニターに視線を移す。その先には、黄色いLCLで顔色は詳しくは分からないが、時折咳などを繰り返すレイの姿があった。
「出来るだけ無理はさせない様にはするわ。安心なさい。」
本心か、それともミサトをなだめるためか。実験中のリツコにしては、珍しく思いやりのある言葉がその口から出てきた。
「頼むわよ。実験のせいで悪化させて、それで負けました、なんて事になったら首が飛ぶわ。」
「人類を道連れに。」
「おお怖。」
ミサトが顔を前に向けたまま、そう言って黙ったのを確認すると、リツコは再び目の前の実験に集中し始める。
「じゃ続き行くわよ。」
結局チルドレンは、更に1時間以上拘束を受けることになった。
「シンジ君とレイはもう上がっていいわ。」
行程表を確認して、一通りの作業が終わったのを確認すると、リツコは回線を繋ぎ二人に指示する。
「えーっ!私はまだなの?!」
モニター越しにアスカが不満顔で言っている。アスカの場合は、実験がめんどくさいと言うよりも、一人だけ仲間はずれにされる方に不満があったと言える。
「我慢なさい。零号機や初号機のような実験機と違って、実戦タイプの弐号機は少し特別なのよ。」
「・・・早くしてよ。」
(流石リツコ。扱い方分かってるじゃない。)
ミサトはモニターの死角でにんまりとほくそえんだ。
『特別』という言葉が効いたのか、不満気な口調ではあるが、それほどアスカは怒ってはいない様だ。
(アスカは上手くプライドをくすぐってやればいいから。可愛いもんね。)
「ミサトさん。」
笑いそうになる自分を抑えながら、ミサトはガラス越しに弐号機を見詰めた。そこに初号機に繋いだモニターからシンジの声が聞こえてくる。
「シンジ君、何かしら?」
「今日は豚汁にしようと思うんですが、ミサトさん要りますか?」
上がれると分かり、パイロットの仮面を脱ぎ捨て、既にシンジは主夫の表情となっていた。今現在、間違いなく葛城邸での生活環境は彼が守っている。
「少し遅くなるかもしれないけど、よろしくお願い。」
「分かりました。じゃあアスカ頑張ってね。碇シンジ上がります。」
「綾波レイ、上がります。」
その声と共にモニターの回線が切れた。同時に初号機と零号機のエントリープラグがEVAから解放され、それをロボットアームが取り出し運んで行く。
リツコはその運ばれて行くエントリープラグを見ながら視線を横に動かした。途中、たまたまリツコの視界に入ったミサトは苦虫を噛み潰したような表情になっている。
「どうしたの?」
「シンジ君、何もこんな所で言わなくてもいいのに。これじゃまるで私が家事を押し付けてるみたいじゃない。」
ミサトの表情は冗談ではなく、本当に憤懣やるかたないといったものだった。
「・・・事実を言われるのがそんなに悔しいのかしら?」
リツコは完全に呆れてしまった。今ではシンジとミサトが最初に決めた、少々(BYミサト)偏りのある当番ですら守られていないと聞く。その分、なし崩し的に分担の増えたシンジにミサトが文句を言うなどおこがましいと言う他ない。
ちなみにアスカの分担も、事、食事関係に関してはいつのまにかシンジが担う事になっていた・・・
「しょうがないじゃない。忙しいんだから。」
流石に自分でもそう気が付いたのか、ミサトは焦って誤魔化す。が、その台詞は余りに独創性と言う物が感じられない。
「家庭崩壊の大きな原因よ。その台詞。」
「・・・分かってるわよ。さて、我が家を守るためにも、ちゃちゃっと実験終わらせてちょうだい!」
リツコは親友のその態度を可笑しく思いながらも、敢えて口には出さず実験を続けることにした。
「アスカ準備いい?」
マイクに向かって呼びかける。
「いいわよ。」
アスカの声は変わらない。これはマヤが機転を利かせて一旦マイクを殺しておいたおかげである。そうでなければ二人ののほほんとした会話にアスカは切れていたかもしれない・・・
「じゃあ稼動実験続けるわよ。」
傍らに置いてあった実験要綱を手に取り、リツコも三度実験に没頭した。
シンジがシャワーを浴びて、着替え終わって更衣室から出てきたのは、実験から解放されてから約40分後のこと。
軽い、エアロックの解放される音と共に、扉が開く。
「綾波?」
シンジが廊下に出た瞬間、丁度同時に隣の女子更衣室からレイが出てきた。
レイはシンジの声に一度だけちらりと振り向いたが、すぐに向こうを向いて出口へと歩いて行く。だがその足取りは、いつもの無機質さを感じさせるほどの律動的なそれとは程遠く、どことなくふわふわしているようであった。少なくともシンジにはそう見えた。
「綾波、やっぱり医務室に行った方がいいんじゃないの?」
「その必要はないわ。」
心配になって聞いてみたシンジだったが、レイは振り返りもせず、にべもない答えを返してきただけ。
シンジにはそれ以上何も言えず、ただレイの後を歩いていくだけであった。
地上へのエレベーター前。
レイが”上”のボタンを押す。
階を指し示す光の数字が段々と下がってくる。
澄んだ、小さな金属音が鳴り、直後扉が開いた。
レイとシンジは中に入る。
シンジは”1F”のボタンを押した。
10秒ほどで再び扉が閉まって行く。
この間無言。
エレベーター内にある音は、表示板が回転する音と、二人の呼吸音だけ。
何回かレイの咳がそこに混じったが、それでもシンジは何も言えなかった。
シンジはそんな空気に息苦しさを覚えながら、ただエレベーターが上に向かうに任せていた。
その時、シンジの後ろで、何かがぶつかったような音が聞こえた。
何かと思い反射的に振り向いたシンジの視界に入ったのは、壁にもたれかかり、そのまま崩れ落ちるレイの姿。
「綾波!」
シンジは反射的に手を出したが、レイが床に座りこむのを止めるには間に合わない。座り込んだレイはそのまま床に倒れ込む。
慌ててシンジは、レイの背中に腕を回し抱き起こした。
「しっかりして!綾波!」
「う・・・コホッコホッ・・・はあはあ」
見ればレイに意識はあるようだが、顔は高熱のためか普段からは考えられないほど赤くなり、呼気も荒い。
(こんなになるまで我慢してたなんて・・・)
額に手を当てると、そこは通常からは考えられないほど熱く、大して知識のないシンジにもそれがかなりの重病だと言うことは分かる。
チン
そこまで認識した時、丁度エレベーターが1Fに着いた。扉が開き、昼に比べて涼しくなった夜風がエレベーター内に流れ込んで来た。
(家に連れ・・・それより医務室の方が)
一瞬どうしようかと考えたシンジだったが、一旦レイをそっと床に寝かせると、すぐさま立ち上がり、元のフロアのボタンを押す。
今度は自然に閉まるに任せず、叩くように”閉”のボタンを押した。
扉がゆっくりと閉まっていくのをシンジはもどかしく感じながらも、レイのすぐ横に座る。
「綾波。すぐ医務室に連れて行くから、それまで我慢して。」
返事はなかったが、レイの紅い瞳は真っ直ぐにシンジを見詰め、僅かに頷いたように見えた。。
それは誤解であったかもしれなかったが、この時のシンジは例え首を横に振られても聞き入れなかったであろう。
(早く、早く医務室へ・・・)
目的の階までわずか2分弱。シンジにとってEVAに乗っていない状況で、これほど切迫した2分は今まで存在しなかった。
「フェイズ3まで問題ありません。全て順調です。」
コンソールをチェックしながら、マヤがそう報告する。眼前の数値は目まぐるしく動いているが、それが彼女にはすべて意味のある数値として認識される。
「どうやら満足すべき結果が出そうね。」
「はい先輩。最近シンジ君の成長が著しいですけど、やっぱり正規の訓練を長年受けてきたアスカの方が、データも安定しててやりやすいですね。」
「そうね。シンジ君ほとんど才能だけで動かしてるような物よ。才能であれだけ動くというのは驚くべき事だけど、ムラっ気が大きくなってしまうのが問題ね。」
「ねぇ、まだぁ?」
弐号機の中のアスカはつまらなさそうだ。
確かに実験だから大暴れする訳でもないし、比較対象たるレイ・シンジがいない以上プライドを満足させることも出来ない。後は自己満足に浸るくらいしかないが、今回の実験はあくまで技術的な物であって、数値それ自体にパイロットにとり、自慢できる意味はない様であった。『特別』と言う割には、パイロットには単なる起動キー以外の役割は求められていなかった。
「次の準備出来てる?」
リツコが背後の技術者に問う。
技術者達の、それぞれ担当の各計器の確認をする声がそれに続き、最終的に全て肯定の返事が返って来た。
リツコは頷いて、次の段階をスタートさせる為、正面のスイッチに手を伸ばした。
「全くいつまでやるのかしら。」
アスカはぼやいた。いくらEVAの中が心地良いとは言っても、何をするでもなく、ただ座って集中するのは非常に忍耐力を要する。
弐号機のメインモニター上には、正面に管制室が見える。その強化ガラスの向こうでは、リツコが何やら技術部員と話していた。
そして話が終わったのか、正面を向きコンソールに手を伸ばした。
瞬間、弐号機のモニターがブラックアウトし、エントリープラグの中が闇に包まれる。それだけでなく、アスカが今まで感じていたエヴァとの一体感も消失した。
「何?!」
アスカには訳が分からないまま、小さい機会音と共に内部電源が作動し再び視界が戻ってきた。生身とエヴァとの感覚のギャップに身体が完全には付いていかず、アスカは迂闊にも、己の五感のコントロールを失いかけてしまった。
「くっ、内部電源が動いた?電源が落ちたの?」
(事故だか潜入工作だか実験の失敗だか知らないけど、面白くなってきたじゃない。)
意識を立て直したアスカの目の前には、必死にコンソールと格闘している技術部とそれを指揮するリツコ、何やら頭を掻いて考え込んでいるミサトの姿が映る。
「・・・・・・さて、残り90秒どう動くか・・・」
乾くはずのない唇を舐め、そう呟いたアスカの声は、どことなく嬉しそうだった。
(後三階、二階、一か・・・)
その時、がくんと言う音と共に、突然エレベーターが停止した。同時に照明が切れ、一瞬後非常灯に切り替わる。
「また電気が止まったの・・・」
非常灯のオレンジの光を浴びながら、シンジは以前市内全域で停電が起こったことを思い出した。
(あの時は使徒とは関係ないってミサトさんは言ってたけど、今回はどうなんだろう。もしかしてまた戦わなくっちゃいけないのかな。綾波がこんな時に・・・)
傍らに寝かせているレイの病状は酷く、のんびりと救出を待っていられる状況でもない。
いても立ってもいられなくなったシンジは、電気の消えたボタンを繰り返して押すが反応はない。
(呼び出しボタンも反応しない。じゃあ電話は・・・)
鞄の中から携帯電話を取りだして掛けてみるが、前回と同じくつながらない。
(映画だったら天井に道があるんだけど・・・)
脱出路がないか考えて、ふと気が付いて見上げた天井だったが、あいにくとそのような便利な物は付いていなかった。仮に付いていてもシンジの技量では使えはしなかったろうが。
(そうだ!電気が切れたのなら、扉が開くかも・・・)
考えは悪くなかったが、このエレベーターの扉には指を引っかける場所などないし、てこに出来るような物をシンジは持っていなかったので、どうにも出来なかった。
床や壁なども一応見回してみたが、脱出できそうな所は見つからない。
さしあたり自分には脱出の手段がないことを認識させられたシンジは、ぺたりとレイの隣の座りこみ、壁によしかかる。
「綾波、ゴメン。僕の力じゃここから出られそうもないや。」
「いいの・・・気に・・・しないで・・・」
シンジの言葉に、レイはシンジを見て、やっとと言う感じでそれだけを告げる。
「ゴメン。」
まさか「そうするよ」とも言えず、自分を責める気持ちから、シンジとしてはそう言う他なかった。
(何でこんな時に停電になるんだよ。大体自給自足が出来るとか言っといて、二度も停電起こしちゃなんの意味もないじゃないか。ミサトさんもリツコさんも父さんも何考えてるんだよ。)
自分の不甲斐なさを責める気持ちは、苛立ちの刻と共に他人を責める気持ちへと転化していた。
(何で僕達がこんな目に会わなくっちゃならないんだ。したくもない実験に付き合わされて、やっと解放されると思ったらこんな冷たい床に座らされて・・・冷たい?)
その事実に気が付いた時、シンジは不毛な思考回路を遮断した。いくら夏の国の地下施設とは言え、金属製のこの箱はひんやりとしている。シンジなら丁度いいかもしれないが、風邪を引いている人間に良い訳はない。
「綾波!寒いんじゃないの?」
慌ててレイの側に寄る。
「・・・大丈夫・・・はあ・・・・大した事は・・・ないコホッコホッコホッコホッ。」
「綾波!・・・何言ってるんだよ。唇が真っ青じゃないか。」
シンジはそう言うと、レイの背中に手を回し、上半身を立てさせる。
「着る物があればいいんだけど。」
今だ苦しそうにするレイの背中をさすりながら、辺りを見回すがそんな物があるはずもない。体育のある日であれば着替えを持っていたのだが、あいにく今日はその日ではなかった。
(でも、綾波をこのままにしておけないし・・・そうだ!・・・でも・・・)
自分の思い付きに逡巡するシンジ。だが、目の前で苦しそうに咳を繰り返すレイの姿が彼に決心させた。
「ちょっと待っててね。」
「?」
苦しそうな顔でシンジを注視するレイをよそに、シンジはレイを多少引っ張って、壁によしかけさせる。
そっと手を放し、横に倒れこまないのを確認すると、シンジは自分のシャツのボタンに手を掛け、脱いで、黒のメーカーのロゴ入りシャツ一枚になった。
「綾波手を貸して・・・」
更にそう言うと、レイの手を取って、そのシャツに腕を通させる。レイにはほとんど力が入らないため、作業はそんなに手間取らなかった。
シャツの背中を前にして、レイに着せ終える。
「少し動かすよ。」
次に肩を貸して、壁との間にスペースを作り、そこに自らの体を滑りこませ、足を放り出して座り込んた。
「寄りかかっていいよ。」
レイはシンジの両足の間に座る形になっており、丁度シンジが背もたれのような格好になっている。
「少しは寒くなくなると思うけど・・・」
自分を振り返って見つめるレイの瞳が、かつてないほど近くにあることにシンジはドキリとする。
(吸い込まれそうってこういう事なんだ・・・)
一瞬我を忘れてボーッとするシンジ。思わず現状と言う物を忘れかけてしまった。
だが、レイはだるそうに再び前を向いて、そのまま動かない。
(やっぱり拙かった・・・かな?)
レイの動きで意識を取り戻したシンジだったが、少しずつ後悔の念が沸き上がってきた。いくら服を着て、相手の事を気遣っての事と言っても、男女が体を合わせるのは普通ではない。
(調子に乗り過ぎたのかな、綾波は病気なのに・・・僕は最低だ・・・)
シンジは思う。が、そうではなかった。
「ボタン・・・コホッコホッ・・・止めて・・・」
「え?あ、うん、忘れてた。ゴメン。」
前から服を着せたので、壁に寄りかかっていたレイの後ろに回ったボタンには当然手が出ない。これをそのままにしておいたのでは、服の保温機能が落ちるのは目に見えていた。
意外な言葉、そして自分の迂闊さに慌てながら、シンジは急いで上から順ににボタンを留める。慌てたせいもあって普段の倍は時間がかかってしまったが。
「留めたよ。」
シンジがそう言うと、レイはシンジに寄りかかってきた。
「綾波・・・・・・その・・・どうかな?」
ひんやりとしたエレベーターの壁を背中に、想像以上に軽い、レイの暖かい重みを胸に感じながら、シンジは目の前の空色に向かって聞いてみた。
シンジの鼻孔には僅かに石鹸の匂いが感じられる。
「床よりも・・・ずっと暖かい・・・コホッ。」
「よかった。」
自分の行動は無駄にならなかったと分かったシンジは、安堵のため息を吐いて目を閉じた。
「碇君・・・」
「ん?」
「いえ・・・」
前を向いているレイの表情はシンジには見えなかった。
「で、今回の原因は何だと言うのかね。」
電気の使えない発令所では、今回もまた各所にロウソクが立てられ、部屋に明暗を与えていた。
その最上段には3人の人間がいた。碇ゲンドウ・冬月コウゾウ・赤木リツコ。おのおの力と頭脳と権力に任せてこの発令所までたどり着いた猛者達。
もちろんバケツは必需品。
「はい。今回の事故は様々な要因が複合して起きた物であると推測されます。」
「もう少し具体的に言えんのかね。」
「詳しいことは機械が使えないため不明ですが、人為的な干渉と、ハードウェアの故障、及びソフトウェアの不備とがそれぞれの系統を遮断し、それらが一致、一切の電源を働かせなくしたものと推測されます。」
「出来過ぎだな。それとセカンドチルドレンが君たちを殺そうとしたそうだが。」
「彼女の言い分では、唯一電源のある弐号機で、おそらく管制室に閉じ込められたであろうスタッフを救出しようとしたとのことです。エントリープラグから出てきた所を拘束、念のため独房に入れてありますが。」
「何を考えているのだ・・・」
「その件はいい。後どれくらいで復旧が可能だ。」
今まで黙っていたゲンドウがおもむろに口を開いた。
「はい。今回は後3時間で各部署が全て復旧いたします。外部の干渉は前回同様、ダミープログラムを走らせて対処しておきました。」
「早いな・・・経験は無駄ではなかったと言うことか。」
冬月は自嘲の響きを込めてそう言った。いくら慣れるというメリットがあるとはいえ、経験したくないこともある。
「よろしい。全力で復旧を急げ。以上だ。」
ゲンドウはそれだけ言うと、目でリツコの退席を促す。
それはいつもの態度であったので、リツコは落胆も失望もしなかった。彼女がしたのは、黙ってタラップを降りることだけだった。
バケツはそのままに。
(早く救助隊来ないかな・・・)
シンジはレイを抱きかかえ、ぼんやりと薄暗く非常灯の灯る天井を見ながら考えていた。
初めは単に背もたれとして胸を貸していただけだったが、放っておくと、左右どちらかに倒れてしまうので、両肩を手で抑えることにした。しかしその体勢では自分の腕が30分と持たなかった。
次に考え付いたのは、首に腕を回す格好だったが、やってみるとその圧迫感にレイが苦しそうにするので、またシンジですら、あまりに露骨に抱き着いている格好だというのが分かるので没になった。
かといって対処療法ではシンジの精神的疲労が馬鹿にならない。いつ救助されるかわからないのだ。精神的余力は残して置きたかった。
試行錯誤の結果落ち着いたのが、現在の腰に手を回して支える格好である。
レイの腹部に自分の腕の重さをかけられないのが少々辛いが、姿勢の固定という目的と自分の良心との折り合いを付けられるのは、このくらいしか思い浮かばなかった。
そして3時間近くその姿勢で救助を待っていたのである。
腕の中のレイは、意識があるとはいえ、いや、あることでなおさら終始苦しそうな呼吸と咳を続けていた。
そのレイの額ににじむ汗をハンカチで拭き取り、時々声を掛けて励ましてきたのである。
(病気にかこつけて、女の子を弄んでいるのかもしれない)
その思いは一時も離れる事はなかったが、だからと言って放っておくことなど出来ない。
エレベーター内は既に30度前後になっていた。加えて閉鎖空間ゆえに湿度も上する一方で不快さは増すばかりであった。
途中冷たくなくなった床にレイを寝かせようとしたことがあったが、「このまま・・・」と言う必死の声を聞いてしまっては、そうすることも出来なくなっていた。
だからシンジは救助を待っていた。只ひたすらに。
その時、薄明かりの室内が突如闇に閉ざされた。
「非常用バッテリーが・・・」
「切れた・・・のね。」
二人はしばらく何も言わなかった。今までとて何も出来なかったが、益々窮地に立たされたのは明白だった。
(ん?)
シンジはレイの腹部の前で組む自分の手に、暖かい物が被せられるのに気が付いた。
(綾波?)
それがレイの手だと言うのはすぐ理解できたが、普段のレイらしからぬ行動にシンジは戸惑った。
「碇君・・・ここにいる・・・」
(綾波も不安なのかな。病気の上こんな所に閉じ込められたんじゃやっぱりそうだよね。)
シンジはそう思う。
「大丈夫。僕はここにいるから・・・ずっと綾波の側に・・・」
そして安心させるように、自分の頭をレイの耳元に寄せ、そっと囁いた。暗いせいか、普段ではとても言えないような台詞が出て来る。
その言葉に反応したかの様に、レイのもう一方の腕がシンジの頭を更に前に引き寄せた。
そしてレイはシンジの頬に自分の頬を擦りあわせる。
「碇君の・・・頬・・・気持ちいい・・・」
いきなりの行動にシンジは驚いたが、レイの声に普段とは違う暖かい物を感じると、黙って為すがままに任せていた。
「だから悪気はなかったんだったば。」
「それにしては、私のいる所狙って殴ってたわ。零号機が暴走した時より質が悪いわよ。」
「あのガラス、エヴァで殴りでもしなきゃ壊れないでしょ。あんな所にいるミサトが悪いのよ。私は純粋に救助活動をしてたんだから。」
ミサトとアスカは本部内を帰路に就いていた。技術部は、セキュリティの見直しを最優先で行わなくてはならないため実験どころではなく、作戦部長のいる場所はなくなってしまった。アスカもゲンドウより「事故」のことは不問に処され、独房から出しに来た黒服に13通りの悪口を投げつけて悠々と更衣室に向かったのである。
そして、丁度帰る途中に出くわして今に至る。
「あーあ腹空いちゃた。」
「ほんとねー。シンちゃん私達の食事忘れてなければいいんだけど。」
「忘れてたらコロスわ。停電はジオフロント内のみに起こったって言うじゃない。人があんな暑い所で苦労してたって言うのに、のうのうとクーラーの効いた部屋で寝転んでるなんて、あーっ!考えただけでも腹が立つ。」
そんな二人がエレベーターの前に来た時、そこには技術部の職員が何やら作業をしていた。
「ねえ、もしかしてコレまだ使えないの?」
「あっ、葛城三佐。すみません、もうすぐ終わります。ここの回線を何者かが、ご丁寧にもいじってくれたんで、電気が通るだけでは駄目だったんです。」
「で、もうすぐってどれくらいなの?」
アスカが横から身を乗り出して聞いてきた。やっと解放されると思いきや、まさかこんな所で足止めなど食らうとは思わなかったので、その言葉には多少の棘が込められている。
「そうだな、長くても数分って所さな。おい、どうだ?」
「後これだけですよ。こいつをここに入れれば・・・」
柱の中に埋められた機械をいじっていた若い職員は、慣れた手つきで部品を埋め込んでいく。
「OKです。スイッチを入れますから念のため少し離れててください。」
(そんな物騒な装置使ってるの?)
ミサトは思わないではなかったが、一応相手はプロ、素直に言うことを聞いておくことにした。
「それじゃ、スイッチON」
その言葉と共に、聞きなれた”ピン”という音がした。
「ナイスタイミング」
ミサトとアスカは喜んで扉の前に立つ。それと同時に扉が開いた。
二人+一人は硬直した。
(どうしてシンちゃんとレイがここにいるの?)
ミサトは思った。4時間近く前に二人は帰ったのではないか。それがどうしてこんな所で発見されるのか。
(何でシンジとファーストが抱き合ってるの)』
アスカは思った。てっきり家で豚汁を作っていると思っていたシンジが、ここにいること自体おかしいのに、よりにもよってこんな密室の中で抱き合っているなんて。
(ミサトさんとアスカ?どうして電気が通った瞬間ここにいるんだろう。)
シンジは思った。前回は全市が一斉に復旧したのだから無理もないが、目の前に二人がいることをシンジは理解できなかった。
「・・・お邪魔だったかしら?」
半ば呆けて言ったミサトの台詞が二人を解凍した。
「シッシンジ!あ、あんた達何やってるのよ!」
高熱のせいで紅潮しているレイの顔を見て、それが抱き合い、頬を重ねていたせいだと勘違いし、アスカはエレベーター内に怒鳴り込む。
「ちっ違うよ!ミサトさん!綾波が大変なんです!」
明るくなった室内で、自分達がどういう状態にあるか、急に理解し焦るシンジ。それでもミサトに助けを求めると言う一点だけは何とか忘れなかった。
「レイがどうしたの?酷いの?」
「はい!熱と咳がひどくて・・・」
それでも作戦部長である。状況を見てミサトがすぐさま事態を理解した。
レイの元に駆け寄ったミサトがレイの額に手をやると、その熱さは尋常な物ではない。
「外の二人!医療班呼んで!早く!」
ミサトのせっぱ詰まった声に、二人は一瞬顔を見合わせたが、すぐさま道具はそのままに医務室へ駆け出していった。
五分後、医療班が駆けつけた。
レイは彼らの持ってきた移動ベッドに載せられて運ばれていった。
「ミサトさん・・・」
ミサトは自分の顔を見詰めるシンジが何を言いたいのか理解したが、首を縦に振ることは出来なかった。
「シンジ君、あなたの気持ちは分かるけど、今日はちゃんと帰りましょう。」
「でも・・・」
「あなたまで倒れさせる訳にはいかないわ。」
「パイロットが足りなくなるからですか?」
閉鎖した空間に長時間閉じ込められたシンジは疲れきっていた。ミサトの普段より優しい口調の言葉にも、つい皮肉で返してしまう。
「あなたがレイのこと心配している様に、シンジ君がそうなったら同じくらい心配する人がいるのよ。分かって。」
当然ミサトにとって気分の良い物ではないが、シンジの心境は理解できたので、あえて非礼を叱りはしない。
(ミサトさん・・・)
そして、そこまで言われてはシンジとしては言い返せない。後ろ髪引かれる思いであったが、素直に引き下がることにし頭を下げる。
「すみません。生意気な事言って。」
シンジが了承してくれたことに安堵したのか、ミサトは表情を和らげた。一度肩を軽く叩いて、頭を上げさせる。
「分かってくれればいいわ。シンジ君、今日は夕飯はいいからゆっくり休みなさい。」
「いいんですか?」
シンジはおずおずと尋ねる。さっきの皮肉の反省もあって、精神的に弱くなっている。
「ま、今回は貸しってとこかしら?」
「・・・じゃあ僕がミサトさんに貸している分から引いといてくださいね。」
だが、ミサトはふざけた口調でさらりと言う。それが意図的な物である事はシンジにも分かったようで、シンジも多少無理をして軽口で返した。
「う、細かいわね。そ・れ・よ・り・もー」
ミサトはそう言ってシンジの腕を自分の腕に絡める。
(まずい)
シンジは直感した。
(ミサトさんがこういう態度を取る時はろくなことがないんだ)
経験である。
「レイと4時間も密室に二人っきり。何かあったんじゃなーい?」
「そ、そ、そんなことある訳ないじゃないですか!綾波は病気なんですよ!」
そう言ったシンジだったが、同時に反対の腕に別の腕が絡むのを知覚した。
「そうよね。どうしてあそこで抱き合ってたのか。ゆっくり話を聞かせてもらいましょう。」
アスカの声色はあくまで穏やかだったが、それをそのまま信じるほどシンジは愚かではなかった。いや、例え愚かでも、気がつかなかった方が幸せだったかもしれない。
「えーと、それは・・・」
自分でも、かなり後ろめたい気持ちがあったのは事実であったので、上手い言い訳が出てこない。
この状況をいかに切り抜けようと考えるシンジだったが、二人の「さて、行きましょう、シンジ(君)」という声と共に、エレベーターの中に引きずりこまれた。
「僕の話を聞いて・・・くれないよね。」
その言葉を最後に、エレベーターの扉は閉ざされた。
FIN
(後日談)
「シンちゃん入るわよー」
「はい・・・」
ここはシンジの部屋。数日後シンジも風邪を引いていた。39度近い高熱を一時は出したが、今は薬が効いている事もあって比較的落ち着いている。ただ学校などには行ける状態ではなく、朝から夕方の今までずっとベッドに寝ていた。
「碇君。大丈夫?」
「綾波・・・」
「シンちゃん嬉しいでしょー。レイがわざわざお見舞いだって。」
レイはすたすたとシンジのベッドサイドに来た。
「適当に、椅子にでも座ってよ。」
シンジがそう言うと、レイは素直にシンジの学習机の椅子に腰掛ける。
「じゃあ何か飲み物でも持ってくるわね。シンジ君二人っきりだからって変な事しちゃ駄目よん。」
ミサトはそう言って、ウインクして襖を閉めた。
「する訳ないじゃないですか・・・」
シンジはとてもではないがマトモに相手する気力はない。
「酷いの?」
「いや、だいぶ良くなったよ。」
「そう。」
レイはそれきり黙ってしまう。シンジをじっと見たままで。
そして沈黙。
その静寂に耐えられなくなって、シンジも見舞われる立場をすっかり忘れ、強引に話を切り出した。
「そ、そういえば綾波はもう完全に治ったの?かなり悪かったみたいだけど・・・」
「ええ。医療班に治してもらったわ。」
「そうなんだ。良かった・・・」
シンジはとりあえずは安心する。ここ数日、心の片隅に引っかかっていた刺が消えた気がした。
「でも・・・」
「でも?」
「でも一番は碇君のおかげ。・・・ありがとう。」
小さく、だがハッキリとしたその感謝の言葉は、レイ本人の頬も僅かに桜色に染めた。
「え?いや、いいんだよ。」
レイの思いもかけない言葉と表情にシンジは恥ずかしくなって、思わず真っ赤になった。
「まだ、熱がある様ね・・・」
それを熱のせいだレイは思い込む。そっと手を伸ばすとシンジの頬を優しくなでた。
「あ、綾波・・・」
レイの行為に、落ち着くどころかますますシンジは赤くなっていく。
「?」
レイはその反応に怪訝な顔をすると、椅子から降りる。そして枕元に膝立ちをすると、目をつぶり、自分の顔をシンジに近づける。
(え?え?え?)
もはや完全にパニックに陥っているシンジ。逃げなかったのは、軽挙盲動しないのではなく、単に動けなかった事を明記せねばならない。
すりすり
レイは自分の頬をシンジに擦りつけた。
「これ、安心できた・・・」
レイは落ち着いた声で、シンジに語りかける。
(あ・・・そうなんだ・・・)
シンジはエレベーター内での事を思い出す。
不安を打ち消すようにシンジの頬を求めたレイ。レイが感じた安心感を、今レイなりに伝えようとした事にシンジが気が付くと、不思議な物でシンジの動揺が収まっていく。
そして、自然とシンジの手がその頭に伸びていき、感謝の意を込めて優しく撫でた。繰り返し、繰り返し。
が、ここに乱入者が現れた。
「シンジ君。相田君と鈴原君もお見舞い・・よ・・・」
「シンジー。見舞いに来たで・・え・・・」
「シンジ大丈夫か・・あ・」
その声に、シンジは病人とは思えぬすばやさでレイから離れた。
襖を開けた瞬間、3人の目に飛び込んできたのは、シンジの頭の所に覆い被さるレイの姿。そして、そのレイの頭を自らの頭に引き寄せる(様に見える)シンジの姿。
丁度レイがブラインドになり、二人がキスをしているように見えなくもない。そして3人は見事に勘違いをした。
「トウジ・・・帰ろうか・・・」
「そやな・・・邪魔してもうたわ。」
「シンジ君って・・・意外と手が早かったのね・・・」
三者三様の感想を呟くと、襖は再び閉められた。
「ミサトさん!トウジ!ケンスケ!誤解だよ!待ってよ〜!」
シンジの声が部屋に木霊した。
完