「ほなら行くでー。」
心底嬉しそうなトウジは、皆が揃うなり行ってしまった。一応皆の準備が終わるまで待っていたのは、トウジなりの配慮だと思う。
「ちょっと!鈴原待ちなさいよ!集合場所とか決めないと・・・」
委員長は慌ててそれを追いかけていく。
「ヒカリ!一人じゃ捕まんないわ。あたしが追い込むわ。シンジ!ぼさっとしてないでさっさと行くわよ!」
相変わらず強気のアスカも行ってしまった。その声がどことなく嬉しそうだったのは、狩りに向かうハンターの気持ちからだと僕は知っていた。
「碇君、私達も負けてられないわよ。」
サングラスを掛けた綾波の表情は読めなかったけれど、声はやはり嬉しそうだった。
「そうだよ。あいつらほっといたら下まで行っちゃうかもな。」
少々あきれ気味のケンスケは、冷静な声で批評する。自分の技術を見せるいい機会だと、バスの中で騒いでいたのと同一人物とは思えない。
僕としては、途中でトウジが捕まって、委員長に怒られている確率の方が高いと思ったが、それこそ会話の時間ではないのでそれは言わなかった。
「・・・そうだね。じゃあ、行こう!」
僕も多少興奮していたみたいで、普段からは考えられない態度で、綾波とケンスケを誘う。
一歩踏み出せば、多少傾斜のある銀世界が広がる。
今日、僕たちはスキーに来ていた。
3年生の、中学校最後の春休み。
僕たちの進路は既に決まっていた。
僕は公立のそこそこの学校へ。
アスカは私立の女子校へ。
トウジはスポーツ推薦で私立の学校へ。
委員長はトップレベルの公立へ。
ケンスケは校区改正のため、別の校区の公立の学校へ行く事に決まっていた。
唯一同じ所に行く事になっていたのは、綾波だった。彼女も僕と似た様な成績だったから不思議ではなかったけど。
と言う訳で、もうすぐバラバラになってしまう僕たちは、ちょくちょくみんなで遊びに出かけていた。
その日もまだ肌寒い時期だというのに、遊園地へ行ってきた。
その帰り、家の方向がまるきり違う委員長やトウジと別れた後、夕日を背に受けて、帰宅するサラリーマンと一緒に僕たち4人は帰路へついていた。
「あー今日は面白かったよね。」
両手を上に伸ばして、満足しきった表情で話す綾波。
「そうだね。ちょっと寒かったけど。」
「何情けない事言ってんのよ。大体シンジって軟弱すぎるのよ。フリーフォール位でおびえちゃって。結局ジェットコースターだってたいした物は乗らなかったでしょ?」
「う、うるさいな!そんな言うならトウジ達と乗ってくればよかったじゃないか。」
「嫌よ。私馬に蹴られるの嫌だもの。」
アスカは「分かってないわね」とでも言いたげな口調で僕に言った。
「馬にって・・・、考え過ぎだよ。ケンスケだってトウジ達と居たじゃないか。」
「惣流は俺とは違うよ。あの二人が完全に二人っきりでいられる訳ないだろ?俺は適度に存在感を薄れさせられるけど、はっきり言って惣流じゃ目立ちすぎるんだよ。もっとも、理由はそれだけじゃないとは思うけどね。」
「なんだよ。」
奥歯にものの挟まったような言い方をするケンスケにちょっとぶっきらぼうに聞く僕。
だが、僕のその問に答えたのはケンスケではなく綾波だった。
「何と言っても、愛しの碇君とは離れたくないもんねー。」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ。」
「何言ってるんだよ!」
綾波の言葉を僕とアスカは同時に否定する。
「そんな訳ないでしょ。じゃああんたはどうなるのよ。あんただってほとんど離れなかったじゃない。」
「乗り物も面白いんだけどさ、二人見てると飽きなくって。」
「ぐぐぐ・・・相田!あんたが変な事言うから!」
毎度のようにアスカが綾波に言いくるめられる。あれだけ口の達者なアスカが、どうして綾波に対してだけは分が悪いんだろうか。
「まあまあ。いいじゃない。面白かったんだしさ。またみんなでどっか行きたいわね。」
アスカはまだ何か言いたそうだったけど、僕はこの話しはさっさと終わらせたかったので、積極的に話しを進める事にする。
「そうだね。どこか面白い所あるかな?ケンスケ知ってる?」
「一個所心当たりがあるんだ。聞いてみなくちゃ分からないけど。」
「いいから言ってみなさいよ。」
そもそも遊びに行く事が好きなアスカは、もう興味を示している。
「ちょっと時期がずれてるけど、今度スキーに行かないか?泊りがけで。」
「「「スキー?」」」
僕たち三人の声が見事にはもる。
「ああ。父さんの知り合いなんだけど、長野の方でペンションやってる人が居てね。前から来い来いとは言われてたんだけど、さすがに受験前にスキーに行く気にはなれなかったからね。ま、予約で埋まってないか聞いてみなくちゃ駄目だけど。」
「面白そうじゃない。今度、いや、今夜でも聞いておきなさい。」
「惣流は賛成と・・・。シンジと綾波は?」
「行く行く!スキーかあ、一年ぶりよね。」
確かに僕もスキーを最後にやったのは一年前になる。と言うか一年前の体育の授業のスキー学習で、生まれて初めてスキーをやったと言うのが本当の所なんだけど。
結局余り上手くなれなくて、楽しかったけど、取りたてて好きになった訳でもないと言うのが実感だった。
だからスキー自体にそれほど魅力は感じなかったけど、「泊りがけで」というのが心を揺らした。キャンプなり修学旅行なり、僕たちの泊りがけのイベントでは何かしら起こる、という経験があったので、思い出作りと言う意味で賛成したくなった。
「いいよ。」
「なによ、気のない返事ねぇ。あ、上手く滑れないからでしょ?」
「碇君気にしない気にしない。私も下手なんだし、『二人』で滑ってましょ」
その言葉に反応したのはアスカだった。いつものように過剰とも思える態度で。
「シンジっ!今回はこの私がみっちり鍛えてあげるから感謝なさい!帰るまでにはパラレル程度までは出来るようにしてあげるわ。」
「なんだよ、それ。アスカのやり方はいつもいつも・・・」
僕の脳裏に昔「泳げるようにしてあげるわ」といって、川に突き落とされた記憶が蘇る。それ以来僕は余計水が怖くなった。
「二人とも賛成って事だな。じゃあ俺は今晩聞いておくよ。もしOKがでたら、惣流悪いんだけど委員長に連絡してくれないか。トウジは俺の方からしておくから。」
口論に入ろうとした僕とアスカを救ったのは、ケンスケの言葉だった。
「わかったわ。」
あからさまにしぶしぶと言う口調でアスカが答える。
「ま、どちらにせよみんなには今晩連絡するよ。じゃ、俺はこの辺で。」
ケンスケが僕たちの帰り道とは別の道を指差しながら、話を切る。
「うん、じゃあまた今度。」
結局その日の9時前にOKの連絡が来た。僕を信頼してくれたのか、何も考えていないのか、父さん達の了解はあっさり取れた。
その数日後、僕たちは深夜バスを使ってスキー場ヘ向かった。
朝イチで到着した僕たちは、荷物はロッカーに預けて、スキーをレンタルしてゴンドラに向かう。券はスキーを持参してきたケンスケが先に買っておいてくれた。
「あれ?」
滑り出した僕の目の前には既にアスカ達の姿はなかった。
どこに行ったんだろうと思って、辺りを見回すと(角度がそんなになくて、雪面が荒れていなかったから僕でも余裕があった)、200メートルくらい前に猛烈な勢いで追いかけっこをしているアスカとトウジの姿を発見した。見ればその50メートルくらい後ろは委員長が追走しているが、その差は見る見る開いて行く。
「あ、鈴原君が!」
綾波が叫んだ瞬間、トウジがバランスを崩して転ぶ。勢いよく上がる白煙。
そこへアスカが突っ込んでいき、衝突する寸前急停止。転んだトウジに追い討ちを掛けるように大量の雪をかける。
真っ白になりながらも、よろよろと立ち上がるトウジ。何やらアスカに食い掛かっているが、アスカも負けていないみたいだ。
僕たちがゆっくり滑っている間、委員長が到着。口論に加わっている。続いてケンスケが合流した。
情けない事に僕と綾波がビリだった。
「あんた達何ちんたらやってんのよ。」
ようやく到着した僕に掛けられた第一声がこれだ。誰の台詞かは言うまでもない。
「そんな言い方ないだろ。これでも急いだ方なんだ。どうせ僕はアスカみたいには滑れないよ。」
余りな言い方に僕は不機嫌になるが、トウジが助け船を出してくれた。
「まあ、そう言わんと。ワシらが早すぎるんじゃ。シンジ達が取りたてて遅いわけやあらへん。」
トウジの言葉にアスカも言い過ぎたと考えたのか、少し赤くなりながら言葉を続ける。
「そうね。この馬鹿は滑降系の滑りだもの。見てくれはともかく、スピードだけは速いしね。ま、私にはかなわないけどね。」
「馬鹿とは何じゃ、馬鹿とは。大体おどれはわしに追いつかんかったくせしてよう言うわ。」
「中三にもなって集団行動もとれない人間は馬鹿以外の何者でもないわ。それに私はあんたに追いついたわ。」
「ぐ、あれはワシがこけたからや!そうやなかったら・・・」
「敗者の言訳は見苦しいわね。」
やってられないわねとでも言いたげなアスカの態度にトウジが切れかける。
「何やと!」
本格的な争いになりそうな雰囲気を止めたのは委員長だった。
「トウジもアスカもこんな所で止めて!」
「す、すまん。言い過ぎた様や。」
「・・・私も悪かったわ。」
アスカもトウジもはっとして、ばつが悪そうに謝罪する。こんなとこに来てまで喧嘩しなくてもいいのに。
「いいっていいって。これから楽しめればいいのよ。」
少々暗くなってしまった雰囲気だったが、綾波はそれを振り切るように明るく振る舞う。
「でもホントにアスカって早いのねー。本当に5回目?」
綾波にとっては信じられないらしい。アスカの運動神経の良さをよく知っている僕でも、驚かずにはいられない。
「まあね。こんなのこつさえ掴めば簡単よ。よく考えたらあんた達2回目だもんね。一年ぶりなのに転ばずに来れるだけたいしたもんよ。」
「そうだよ。アスカは運動神経が異常なんだから、少しは僕達素人の事も考えてよ。」
そう、アスカは運動神経が異常にいい。本人曰く「こつを掴む」のが恐ろしく早いのだ。流石に女の子だけあって筋力的は男子に劣るけど、反射神経とか、敏捷性とか、正確性とかそれらについては敵う者が居なかった・・・
「ま、いいわ。今はその泣き言を許してあげる。でも私の特訓でその必要を無くしてあげるわ。」
そう言ってニヤリと笑うアスカの笑みが僕には怖かった。特訓と称するとんでもない事が行われるに違いない。僕は確信していた。
「でも・・・どうしよう。これだけみんなのレベルが違うと、合わせるのが大変よ。」
委員長が心配そうに発言する。
「確かにそうやな。シンジ達がワシらについてこれるわけないし、ワシらが合わせるのも大変やな。それに、シンジなんぞ罪悪感で楽しめんやろ。」
「うん・・・」
トウジの意見は的を得ていた。僕のために上手い人間の足を引っ張るような状態になったら、気になって楽しむどころじゃない。
「それじゃあ、2つの班に分けない?」
ケンスケが提案する。
「今日はさ、上手い班と練習班に分けるんだ。で、明日そこそこ滑れるようになったらみんなで動くってのは?」
「悪くないの。練習班はシンジと綾波と・・・」
「私よ!」
アスカがトウジの言葉を遮る。
「ホントは私も好きに滑りたいけど、シンジを教えるって約束しちゃったしね。教官代わりに居てあげるわ!」
「あーら別に構わないのよ。無理しなくっても。それともそんなに碇君と一緒がいいのかな?」
綾波がいつものように、面白いおもちゃを見つけたようにアスカをからかう。どうしてこんなに絡むんだか。
「ばっ、馬鹿言うんじゃないわよ。どうしてこのアタシがシンジなんかと!素人二人じゃ危ないから、あくまで教官としてよ。」
1年以上繰り返されてきた光景に慣れたのか、委員長でさえニヤニヤしている。僕は困っているのに・・・
「それじゃ俺達は適当に滑ってるよ。委員長もトウジもそれでいいだろ?」
「文句ない。」
「いいわ。」
「というわけだ。そうだな・・・1時に下の食堂で集合しようぜ。」
「1時?随分先なんだね。」
僕は正直そこまで体力が持つか不安だったので、もう少し早くできないかというニュアンスを含めつつ聞いてみる。
「あんた馬鹿?お昼なんて込んでるに決まってるじゃない。本当はもっと遅くてもいいのよ。」
「そうなの?」
「そう言う事。シンジが2時までもつとは思えないしね。」
コクコクと頷く僕。休みに行って、座れませんでしたじゃ休憩になりはしない。
「じゃ1時に。トウジ行こうぜ。」
ケンスケはそう言い残すと滑り出してしまった。
「あ、こら、待たんかい!」
慌てたようにそれを追いかけるトウジ。
「二人とも待ちなさい。じゃあまた後でねー」
それに置いていかれまいと滑り出す委員長だったけど、一度僕たちの方に振り向いて挨拶をしていってくれた。
後に残された僕たち。
「さーて、特訓を始めるわよ!」
数瞬の後、アスカの口から出た言葉は僕にとっては不吉の象徴の様に聞こえた。
「あの馬鹿何やってるのかしら」
「あ、鈴原君来たみたい。」
集合時間ぎりぎりになって鈴原君が直滑降で、すごい勢いで降りてくる。
辺りは既に人が少なくなっているから、危ないわけでもない。
そのままの勢いで私達の前まで来ると急ブレーキ。アスカと碇君の足元が雪で埋まる。
「4時59分35秒!おーし間に合ったで!」
止まるやいなや手袋の下の腕時計を覗きこんで快哉を叫ぶ鈴原君。
「あんたいったいどういうつもりよ!」
予想通りアスカが食って掛かる。
「いや、すまんのう。集合時間に遅れたらあかんと思うてスピード落とせんかったわ。」
「そんなのぎりぎりまで滑ったあんたの都合でしょ!」
「集合時間は5時や。わいはそれに間に合った。誉められようとは思うとらんが、そこまで言われる事かいな。」
どうも鈴原君はマトモに相手をする気がないみたい。あのアスカがそれに気がつかないはずもない、余計に逆上する。
「時間の事じゃなくて、あたしに雪を掛けた事について言ってんのよ!」
「ああ、単なるアクシデントや。すまんのう。」
「アスカ。もうその辺で。」
「・・・わかったわよ。」
碇君がアスカを止めに入る。普段なら碇君じゃ止まらないんだけど、今朝の事が頭にあるみたい、しぶしぶそれを受け入れる。
「まあまあ、鈴原君の言った通り5時には全員集合できたんだから、いいじゃない。」
「そうそう。遅くなるとやばいからさっさとスキー返して、ペンションの方行こうぜ。」
私の言葉に相田君が賛成してくれる。そうそう、ペンションじゃお夕飯がまってるんだから。ああ、お夕飯・・・
「レイ嬉しそうに何考えてるの?」
返却場所に向かう私達。
途中ヒカリが私の顔を見て声を掛けてきた。どうも嬉しさが顔に出てたみたい。
「え?いや、お夕飯が待ち遠しいなあって思って。何が出るのかしら。」
「見なさいシンジ。女の子のレイですらこんな元気があるのよ。なのにあんたったら簡単にへばっちゃって、情けないと思わないの。」
見れば碇君は明らかに疲労困ぱいしている。そういえばお昼も机に突っ伏したままで、何も食べられなかったし。
結局あの後食べたのは、私がおやつ代わりに持ってきたカ○リーメイトぐらいじゃないのかしら。
「綾波ってすごいんだね。」
「たはは、いやいやそれほどでもありますよ。」
誉められれば私もちょっと嬉しい。
「何感心してんのよ。もっともレイの場合は疲労と食欲に関係はないかもね。」
「ありがとう」
「皮肉ってるのよ!」
もう、せっかくボケてあげたんだから、そんな本気で怒っちゃダメなの。
「でも碇君だって、アスカが言うほど体力ないわけじゃないわよ。いったいどんな練習してたの?」
「どんなって大した事ないわよ。午前中はお昼に言った通り、みっちり基礎を叩き込んで、午後からは実地訓練。」
「実地訓練?」
「ヒカリ聞いてよ。アスカったらいきなり最上級コースに連れて行くのよ。」
「最上級に?いきなり?」
「そうなのよ。初めは緩かったから気がつかなかったんだけど、途中に黒くて2つの菱形が書いてある看板を見つけた時には驚いたわよ。でもその時にはもう引き返せなくて、しかたなく降りてきたの。」
ブーツを持っている左腕を顔に持ってきて、我ながらわざとらしく泣きまねをする。
「あーっ、止めなさいレイ。わざとらしい。だからあの後反省してレベル落としたじゃない。」
「それでもブラックダイヤモンド(上級者用)なんだよな。」
碇君がぼそっと呟く。確かに少しは楽になったけど、やっぱりきつい事には変わらなかったのは私も同じ。
「うるさいわね。多少の試練がなくて、どうして上達するのよ。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすって言うじゃない。これも深い愛情ゆえと思うことね。」
さも当然のように言い返すアスカに、ヒカリも少々あきれたみたい。目を閉じて、何度か首を左右に振る。
「で、結局上手くなったの?」
「もちろん。このアタシが教えたのよ。当然じゃない。」
「どれくらいになった?」
「なんとか二人とも、シュテムもどきは出来るようになったわ。今朝のヒカリくらいにはなったわよ。」
確かに進歩したとは思う。ヒカリくらいになったかはともかく、それらしくなったのはアスカのおかげかもしれない。・・・そう思いたい。・・・・・・多分。
「すごく進歩したじゃない。今朝は二人ともハの字だったのに。」
「でしょ?大体いつまでもプルークってのは恥ずかしいわよ。二人ともアタシに感謝しなさい。」
「「はいはい。」」
いまいち気の乗らない返事だったけど、私達の答えは一応アスカを納得させたみたい。
「おーい。」
そう言って駆け寄ってきたのは一足先に返しに行った鈴原君と、それに付き合っていた相田君だった。
「ほれ、スキー貸してみい。」
鈴原君はそう言うなり、ヒカリのスキーとブーツをひったくるように取る。
「何?」
「トウジも返し終わったしな。重いだろ。俺達手が空いてるし返しといてやるよ。」
「へえ、意外と気が利くじゃない。そうね、レイあんた持ってもらったら?アタシは板だけだから大した事ないし、シンジはこれでも男だしね。」
「綾波、そうした方がいいんじゃない。」
アスカと碇君がそう言ってくれる。もっとも、アスカの隠れた意図は簡単に読めたから、その提案に飛び付きはしなかった。
そんな簡単には私は排除できないわよ、アスカ・・・
「ありがと。でも相田君まだ自分のスキー片づけてないんでしょ?そっち先にやった方がいいんじゃないかな。」
ふふ、我ながら完璧な理由付け。
「わかった。その方がいいな。」
相田君は一瞬残念そうな顔になったけど、一度アスカと碇君の顔を見ると、くるりと背を向けていってしまった。
アスカとは対照的に、その口が笑っていたのを見たのは私だけかもしれない。
結局私達がスキーを返し終わって、荷物を出して、ロッカールームから出るのと、一式片づけ終わった相田君がロッカールームに入ろうとしたのは同時だった。
余りのタイミングの良さに感心しながら私達はスキー場を後にした。
「蒼のコース面白かったな。」
「あれがかあ?中級者用やしなあ。緩すぎたせんかったか?。」
「何言ってるのよ。スキーは飛ばすだけが楽しみ方じゃないでしょ。鈴原って上手いのにそれが分かってないのよね。」
「なになに。それって私でも大丈夫な所?」
「あんたは私が教えたのよ。中級者用までならどこ行っても大丈夫よ。」
みんな楽しそうに今日の戦果について話している。
僕はといえば、それに参加するだけの余力を残していなかった。
只でさえ限界以上の所に連れて行かれて、疲れ切っているのに、僕はアスカのブーツまで持たされていた。
普段なら大した事はない重さなのだが、今は100グラムが1キロにも感じられる。
「全くなんで僕が・・・」
そうこぼさずにいられない。
「何よ、か弱い女の子に重い荷物を持たせるって言うの?」
僕は小声で言ったつもりだったが、しっかりアスカに聞かれていたようだった。
『誰がか弱いんだよ』
いつも僕を張り倒している腕を見ながらそう思った。酷い目に会う事は目に見えているので口には出せない事だが。
「大体なんでブーツなんて持ってくるんだよ。借りられるって分かってたのに。」
「板は悪いなりの滑りが出来るんだけどね。ブーツだけはそうも行かないのよ。、足の形なんて個人差が大きいもの。メーカーや種類によって合う合わないもあるのよ。ま、シンジクラスじゃ関係ないけど、私くらいになると重要な問題なのよ。」
「トウジもレンタルしたじゃないか。」
「こいつは関係ないのよ。繊細さなんて無縁のタイプだし、多少のズレは力でねじ伏せるでしょうから。」
「じゃかしいわ。」
トウジは反発はしてみせるが、その発言を否定はしない。
『僕にはよく分からないけど、上手くなると道具が重要になるのはホントなのかな』
そう思う。
「道具って言えば相田君のスキー変な形だったわね。」
委員長の発言に僕も同感だ。バスの中から自慢していたからどんなのかと思ってたんだけど。
「そうよね。何かかかとが上がってたし、曲がり方も変だったし。」
綾波も同感のようだ。
「あんた達それ以上こいつの変なプライドを満足させてやる事ないわ。」
アスカが顔をしかめて断言する。ケンスケはといえば、今にも大声で笑い出しそうな表情で、にこにこしている。
「どういう事や?」
「・・・あんま言いたくないけどね。あんた達冬季オリンピック見た事ある?テレビでもあんまり放映しないけど、スキーを履いてする射撃競技があるのよ。この馬鹿のはそのスキー。ま、ちゃんと滑ってたみたいだから滑走面は少し違うみたいだけど。」
「くっくっくっ、その通り。かかとが外れるのは射撃姿勢を取るため。このスキーで急なターンをするには、あの、片膝を立てるような滑り方が正しいのさ。惣流の言う通り滑走面は平らにしてある。スキーに来て滑らないスキーじゃ意味がないからね。これで目立つ事間違いなしさ!」
とうとうと自慢するケンスケ。僕は我が親友ながらちょっと引いてしまった。
「・・・・・・・」
「何考えとんのや。」
「すごい・・・のかしら。」
「あんた明日は離れて滑ってね。」
それぞれ言ってる事は違うが思いは僕と同じであったらしい。
「どうしてみんなこの素晴らしさと努力を分かってくれないんだ・・・」
ケンスケはみんなの言葉に、少し傷ついたように見えるが、多分大丈夫だろう。いつもの事だし。
「すみませーん!」
10分くらい歩いた後、僕たちは目指すペンションにたどり着いた。外見はそこらにあるのとたいして変わりなく、二階建てで、白い壁に赤い三角屋根。特徴のないのが特徴としか言いようがなかった。
僕たちはケンスケを先頭に、扉を開けて中に入る。
中は意外にも整理されていて、いかにも小奇麗な宿泊施設という感じだった。僕はもう少し生活感溢れる光景を想像していたので、意外と言えば意外だった。
「はいはーい!」
ケンスケの声に出てきたのは、いかにも人のよさそうな少し太ったおばさん。これもまたエプロン姿などではなく、白い上着に、黄緑色のロングスカートと言う、そこそこにきちんとした身なりで出てきた。
「始めまして、先日連絡いたしました相田ケンスケという者ですが。」
「ええ、存じておりますよ、相田さんの息子さんだそうで。いらっしゃい、お上がんなさいな。」
おばさんはそう僕たちを促す。僕たちは一瞬顔を見合わせるが、ケンスケが一礼して上がるのを見ると、靴を脱いでその後に続いた。
「部屋は男の子部屋と女の小部屋の二つでいいのよね。」
「はい。」
「じゃあ201と202を使ってね。二階に上がった所すぐだから。それとトイレは各階に一つずつ。お風呂と乾燥室は地下にあるわ。あ、悪いんだけど、女湯の改装がまだ終わってないの。だからお風呂は交代制だから注意してね。」
「「えっ!」」
アスカと委員長は驚いてた。僕も声こそ出さなかったが驚いた。
「分かりました。わざわざありがとうございます。」
ケンスケは何を考えていたのか、その驚きを無視するかのように話を進める。
「じゃ、ごゆっくり。あ、そうそうまだ自己紹介してなかったわね。私はハルナ、寺田ハルナ。何かあったら内線でかまわないから呼んでね。」
「ありがとうございます。えっと彼が鈴原トウジ、彼が碇シンジ、彼女たちは右から綾波レイ、洞木ヒカリ、惣流アスカ。短い間ですがよろしくお願いします。」
僕らの紹介を終えたケンスケに頷いて、ハルナさんは奥の、多分自室に消えていく。
「相田君どういう事よ。」
小声で委員長がケンスケに聞いている。
「俺も知らなかったんだよ。父さんの知り合いだから安いのかと思ったら、何のことはない、改装中に無理言って泊めてもらってたとはね。」
「仕方ないわ。別に混浴って訳じゃないし。それくらいは我慢しましょ。」
アスカがため息を吐いて、そう結論づける。アスカもお風呂が好きだって言ってたから、制限されるのは辛いだろうな。
「そうそう、それにハルナさん?なかなか感じいい人じゃない?」
綾波が委員長に話し掛ける。
「そうね。優しそうだし、礼儀正しそうだし。」
「相田の紹介にしちゃなかなかいい所じゃない。」
女性陣の受けはいい様だ。その賛辞はケンスケもまんざらではない様に見える。
「ま、ええ人ちゅうのは分かったわ。はよ部屋行ってみんか?」
「そうだね。じゃあ先行っててよ。」
「どないしたんじゃ?なんぞする事でもあるんか?」
「これがあるから。」
僕は足元に置かれたブーツを指差して苦笑する。
「なんや、惣流のやないか。あれだけ偉そうな事言ったんや、自分でやるのが筋ちゅうもんやろ。」
トウジはそう言うとちらりとアスカの方を見る。僕からは背後のアスカは見えないけど、不機嫌になっているだろう事は長年の付き合いで分かる。
「そうなんだけど、やっぱり運ぶの承知しちゃったのは僕だし。せめて乾燥室までは僕の責任だよ。」
そう言ってかばんに手を掛ける瞬間、後ろから伸びてきた手にかばんをさらわれた。
驚いて振り向くと、予想通りというべきか、アスカがかばんを持って立っていた。ああいう言い方をされてなお、僕に運ばせる事が出来るアスカではないのだ。
「シンジ、運ぶのはもういいわ。シンジは部屋に行っててもいいわよ。」
「でも、いいの?約束したのはホントだし。」
「いいのよ。それにシンジ手入れの仕方知らないでしょう?」
そう言われると頷くしかない。
「わかった。じゃあまた後で。」
そう言うとケンスケから鍵を受け取ったトウジや委員長、綾波と一緒に二階に向かった。
階段はやはり木で出来ていて、手すりなどは細い丸太をそのまま使ったような感じで結構いい雰囲気のモノだった。残念なのは階段そのものには絨毯が引かれていて、そのワイルドさを打ち消している事だが、季節、あるいは滑り止めという効果を考えると仕方ないかもしれない。
僕たちの部屋は確かに階段のすぐ側にあった。階段を上りきった所のすぐ右側が201号室。その正面が202号室だった。
「僕たちはどっち?」
トウジに聞いてみる。
「男なら一番に決まっとる。」
よく分からない答えと共に、トウジは201号室のスロットにカードを通す。
小さな電子音と共にロックが外れた。
「じゃあまた後でね。」
背後では委員長達も202に入ろうとしている。
「うん、またあとで。」
僕は返事を返しておいて、荷物を持って、トウジの後に続いて部屋に入った。
部屋の中は意外と広くて12畳はありそうだった。もっとも壁の左右に二段ベットが配置されていたからその分のスペースは利用できなかったけど。正面の窓際にはコインテレビと小さい冷蔵庫が配置されている。多分中には馬鹿高い飲み物が入っているんだろう。その端には折りたたまれたテーブルや、ハンガーが立っている。
「シンジはどこがええ?」
「え?」
「寝る場所や。」
ああ、その事かと納得する。だけど僕は取りたてて好みがあるわけでもない。
「どこでもいいよ。」
「相変わらず主体性のないやっちゃのう。ま、ええわ。わしは左上はもらうで」
言うや否や荷物を投げ込む。
さしあたり僕も休みたかったので、右下のベットに腰掛けた。
「これから何しようか。」
する事のない僕たちはいかにも仕方なくといった感じで会話を始める。
「そうやなあ。メシは6時半ゆうとったしなあ。そや、風呂行かんか?」
「そうだね、いいかもしれない。だけどハルナさん時間制がどうとか言ってなかったっけ。」
「そんな事も言っとったなあ。どこぞに書いとったらええんやが・・・」
トウジはそう言いながらうろうろと部屋の中を捜し始めた。僕も疲れた体ではあったが、それだからこそ風呂という案は魅力的であったわけで、捜索に協力する事にした。
しばらくの捜索の後、それを発見したのは僕だった。
テレビの台座には引き出しが付いていたのだが、その中にペンションの避難経路や聖書、パンフレットと共に「御入浴時間」と書いてある一枚に紙を発見したのだ。
「トウジ、これみたいだよ。」
「でかしたシンジ。で、どうなっとる?」
僕の後ろからトウジは覗き込むような姿勢になる。
「今何分?」
僕は今時計を外していたので、トウジに聞く。
「あ?・・・5時23分や。」
「じゃあだめだ。男は6時からみたいだ。」
「ほか。」
がっかりとするトウジと僕。これで本当にする事がなくなってしまった。
「しゃあない。とりあえずこのけったいな服脱いで楽になろうや。」
「そうだね。」
僕とトウジはスキーウェアを脱ぎ始めた。
僕たちの背後の扉が開いたのが丁度その時だった。
ドキリした僕たちだったが、幸いにもそれは女子ではなくケンスケあった。
「これはお二人さん。お邪魔だったかな?」
ウェアを脱ぎ掛けのまま固まっている僕たちを見てケンスケが冗談を言う。
「何気持ち悪い事言うとるんや。」
「ははは、冗談だよ。」
「で、終わったんかい。」
中断された着替えを再開しながらトウジが聞く。
「ああ、それに惣流もとっくにね。シンジ、後で惣流にフォロー入れといた方がいいぞ。」
「やっぱり怒ってた?」
「ああ、表には出さなかったけどね。」
こうなる事は分かっていたんだ。僕にさせるはずの事を自分でやらなければなくなって、機嫌が悪くならないはずはない。
「そうするよ。」
その一言を言うだけでどっと疲れたような気がした。
数分後、すっかり着替え終わった僕たちはそれぞれベットに寝転んでいた。結局ケンスケは僕の上になる事になった。こっそり僕に言うには「トウジの下は怖くて寝れない」ということだったが、いったい昔に何があったんだろう。
そんな時、扉をノックする音が聞こえる。
「はい。」
上半身を起こして返事をする。下に寝ているのは僕だけなので、こういう事は必然的に僕の役目になっている。
「開けてくれるかしら。」
どうやら綾波らしい。辺りを見て、さしあたりヤバそうな状態ではないのを確認すると、ベットから出て扉に歩み寄り、ロックを外す。
「やっほー。」
綾波の第一声がこれである。僕はへなへなと力が抜けそうになった。
綾波も当然のようにスキーウェアは脱いでおり、今は白の膝丈のスカートにNBAのロゴ入りの黄色のスウェットといういでたちだった。
「何かな?」
「私達これからお風呂に行くの。一緒に行く?」
「ばっ、な、何言ってるんだよ!」
綾波の言葉に僕は真っ赤になりながら、しどろもどろになって答える。そんな事出来る訳ないじゃないか。
「ははは、冗談に決まってるじゃない。碇君達が時間を間違えたフリして、覗きに来ない様に釘を刺しに来たの。」
ぽんぽんと僕の頭を叩きながら、笑顔でとんでもない事を言う。
「そんな事するわけないだろ!」
「あら、覗きに来ないの?」
打って変わってきょとんとした、意外そうな表情になる。そんな意外そうな顔をしなくてもいいだろうに。やっぱりケンスケを友人に持つとそう見られるのか・・・
「あたりまえじゃないか。」
「なんだつまんない。碇君にならいいのに。」
「え・・・」
「こらこら、本気にしない本気にしない。」
再び笑顔に戻って笑い出す綾波。
「何くだらない事やってんのよ。時間無いんだからさっさと行くわよ。」
アスカのいらついた声と共に、綾波が引っ張っていかれる。
アスカと一瞬視線が合ったが、すぐさまアスカはそっぽを向いてしまった。
『これはおかず1品じゃすまないな』
僕はどうやってアスカの機嫌を取ろうかと考えていた。
「シンジー、なんだって?」
僕の意識を引き戻したのはケンスケの言葉。
気が付くと僕はまだ扉を開けっ放しにして、入り口で考え込んでいたらしい。
慌てて扉を閉めて、中に舞い戻る。
「何なんや、いったい。」
当たり前と言えば当たり前なのだが、トウジも僕の行動を見て不信がる。
「何でもないよ、ただ、これから風呂に行くからだって。」
「なにぃ、風呂やて!ケンスケ!」
がばっという音が聞こえそうな勢いで起き上がるトウジだったが、それとは対照的にケンスケは全く動こうとはしなかった。
「どないしたんや?いつもなら真っ先に動いとるおまえが?」
僕にとってもこの反応は意外だった。修学旅行で女風呂に天井から進入しようとした熱意の持ち主と同一人物とは思えない。
「俺は今回は動かないよ。」
ケンスケは僕達に言い聞かせるように、はっきりとした口調でそう言った。
「どうしたんや。まさか修学旅行の失敗に懲りたちゅうわけやないやろな。」
「それも理由の一つだけどね、今回は後二つ理由がある。」
寝転んで足を組み、天井を見たままケンスケは微動だにしない
「何やその理由ちゅうのは。」
「一つは今後のためかな。短期的に見れば、俺はあいつらとは別の高校に行くわけだし、これほどの機会はもうないかもな。だけど長期的に見れば、新たな可能性を摘む事になる。特に惣流の学校は、あのお嬢様学校だからな。完璧に敵に回す事はしたくない。」
「なるほど、で、もう一つはなんや?」
「これが最大の理由なんだが、もしここで俺がなんか起こしたらおやじに迷惑がかかる。」
「あ・・・」
「全く無関係な宿ならいいんだけどな、おやじに紹介してもらった所だし、何かあったら俺一人の問題じゃなくなる。」
「そうやな。ケンスケの言う通りや。今回はワシも大人しくするわ。」
「すまないな。」
僕は正直驚いていた。何も考えずに、欲望の赴くまま写真にとっているケンスケかと思ったら、一応は考えて行動しているらしいことがわかったから。
結局その後30分、僕たちは取り止めの無い話しを続けるしかやる事が無かった。
ケンスケの話しだと他に客は居ないそうだが、大きい建物ではないので、建物内を探検というわけには行かない。かといっていくら3月とは言え、この時間の外は寒い。とてもではないがその辺を散策という気にはなれなかった。
だから6時3分、内線で入浴許可が告げられた時は、僕たちは喜び勇んで風呂に向かった。
ここの風呂は想像以上によかった。広さは文句はないのだが、何と言っても総桧の風呂がこんなにいい物とは思わなかった。
「風呂は命の洗濯・・・か。」
「なんやそれ。」
湯船に浸かりながら一人ごちる僕に、トウジが体を洗いながら聞いてくる。
「ミサト先生が言ってたんだよ。昔ちょっと悩んだ事があってね、相談した時気分転換の方法だって教えてくれたんだ。」
「ほか。」
「でも、疲れた時の風呂ってこんなに気持ちいい物だったんだ。家の狭い浴槽とは大違いだ。」
のびのびと体を伸ばせる浴槽は疲れを吸い取ってくれるような気がする。
「同感や、ちゅう意味ではここの管理人、寺田はんやったか、意地の悪い性格しとるのう。」
「どういうこと?」
「男は6時からの入浴やろ。飯は6時半からや。そんな長風呂できるわけやあらへん。」
トウジは桶に溜まったお湯で石鹸を流す。
「そうだね。やっぱり男は長風呂なんかするなとかいう信念があるのかな。」
「それや、間違いあらへん。」
期せずして同時に笑い声が上がる。
「だそうだよ。ケンスケも早くしないと時間が無くなるよ。・・・ケンスケ?」
先ほどから一言も発しないケンスケだったが、よく見ると動いてもいない。
「ケンスケ!」
僕は慌てて湯船から飛び出し、ケンスケの肩に手をやる。
「・・・・・・くれ。」
「え?」
気絶したり死んだりしたわけではないと知って多少は安心したが、何か呟いているのが気になった。
「・・・ないでくれ。」
「何?」
「邪魔しないでくれ。」
「何を言ってるんだよ。」
邪魔?僕が何の邪魔をしたっていうんだ?
「おい、ケンスケどないしたんや?」
「分からない。邪魔するなとか何とか。」
「何言うとるんや。ケンスケこっちを向かんかい!」
トウジはケンスケの両肩を掴むと強引に振り向かせる。
「トウジも邪魔しないでくれ!」
「訳の分からん事言うとらんと、しっかりせい。」
「人がせっかく感涙に浸っているというのに・・・」
「いい風呂なのは分かるけどさ、何もそこまで感動する事はないと思うけど。」
僕は少々脱力感に見舞われた。人が心配してみれば風呂に感動していたなんて。だがケンスケはさも口惜しそうにかぶりを振って主張する。
「違う!おまえ達には分からないのか?ここがどこかって事が!」
その言葉に僕とトウジは顔を見合わせる。
「どこ言われても、風呂としか言いようがないわ。」
「そう、風呂だ!しかもただの風呂じゃない!」
「そりゃ桧風呂だけど・・・」
「違う!あーっ、じれったい。いいかよく聞け。ここは風呂だ。だが男専用風呂ではない!」
「ということは・・・」
トウジもケンスケが何を言いたいのか分かってきたらしい、ごくりと喉が鳴っているのが見えた。
「そうだ!ここはつい30分前まで女風呂だったんだ!この空間にあいつらがいたんだ!裸で!」
「!気が付かんかった・・・うかつやった。」
その事実に呆然とするトウジの姿を見てケンスケの目が更に危なくなる。
「そうだ。そして・・・」
隣りにおいてあった椅子を手に取り、遠い目をしながら抱きしめて続ける
「この椅子に座ったかもしれない・・・」
いきなり椅子に頬擦りをし始めるケンスケ。
「やめんかい!この変態!」
一緒にトリップしかけた事実を棚に上げてケンスケを桶で殴るトウジ。
『アレと一緒になるのかと思ったら引いちゃったのかな。』
僕は結構失礼な事を考えていた。
「シンジ、こいつをここに置いとくのは危険や。未練があるかもしれへんけど、今は我慢して風呂から出なあかん。」
「うん。僕もそう思う」
トウジの言う通り未練があるのは確かだけど、風呂はまた入ればいい。今はケンスケをどうにかするのか最優先だと思った。
その後、抵抗するケンスケを何とか着替えさせて部屋に連れ帰ったのは、6時28分。夕食直前だった。
「いっただっきまーす!」
食堂に私達の声が響いたのは予定よりちょっと遅い6時40分。
私とヒカリ、男の子3人、しばらくしてアスカの順で食堂に集合した私達はハルナさんと見知らぬおじさん(旦那さんのマサトさんだって事は途中で知ったの)が急がしく準備している所に出くわした。ヒカリの発案でそのお手伝いをする事になって、ついさっき準備が終わった所。
食堂はペンション自体が小さい事もあってそんなに大きくはないけど、それでも20以上の椅子はありそうだった。テーブルの大きさはまちまちだけど、今私達が座っているのは一番大きいので、8人がけ。かなり凝ったテーブルクロスやら、感じのいい花ビンに入れられたよくわかんない奇麗な花。いい雰囲気だった。
私達の席順は厨房に近い順から左に相田君、ヒカリ、鈴原君。右に私、碇君、アスカの順だった。
そして目の前には本日のメインイベント「晩御飯」が並んでいる。
正直言うと長野と聞いた時点で、蕎麦だの山菜だのを想像したんだけど、それは偏見でしかなかった。(別に蕎麦や山菜が嫌いなわけじゃないのよ)
サーモンマリネにコーンスープ。自家製のパンに海草中心のサラダ。そして大きなエビフライとメインディッシュにヒレステーキ。デザートにはこれも自家製のアイスクリームとアップルティー。めったに口に入らないご馳走にさっきから唾液が止まらない。口をうかつに開けたらよだれの滝になるかも。しかもエビフライとステーキ以外はお代わりOKだと言う。おもわず「テイクアウトできますか」って聞きたくなってしまう。これだけのご馳走が食べれるんならあの値段は安いものね。ああ神様ありがとう。相田君もありがとう・・・
初めはみんな黙って食べる事に集中していた。いくらお昼が遅かったって言っても、それだけのエネルギーを消費した後だから無理もない。特に碇君なんかはお昼はほとんど食べてないんだし、何かお風呂で疲れが少し抜けたみたいだから、余計食欲が沸くのかも。
「アスカ!」
ヒカリが急に声を上げた。
アスカはきょとんとした表情で、もごもごとエビフライを食べている。
「・・・何、ヒカリ?」
数秒開いて、ようやく飲み込み終わったのかアスカは返事した。
「人の物取るなんて行儀の悪い。」
「ああ、いいのよ。いつものことだし。」
手をヒカリに向かってぱたぱたさせているアスカには、微塵の悪意も感じられない。心からそう思っているようだ。
見ればアスカのお皿にはエビのしっぽが3つのっている。2つが割り当てのはずなのに。
「碇君。」
ヒカリはその矛先を碇君に向けた。怒っていると言うよりあきれた声色で。
「・・・いいんだよ。」
「本人の了解もあることだしね」
そうアスカは言うと、残っているもう一つのエビフライもフォークに刺して口に運ぶ。
私もよくない事は知っている。碇君は確かエビフライは好物のはずだ。
「アスカ、食べ物の恨みは恐ろしいわよ。一つくらい残してあげたら?」
「とレイは言ってるけど、シンジは怨むかしら?」
「・・・今回は諦めるよ。」
「ヨロシイ。」
そう言うとぱくりと口にほうり込んでしまった。
明らかに碇君の目は恨みがましかったけれど、文句は口からでなかった。ま、多少の責任は碇君にもあるから、仕方ないのかもしれないけど・・・
「まったく、男が飼い慣らされてどないすねん。」
鈴原君もエビフライをかじりながら冷静に批評する。
だけど私の目は、鈴原君は実は3本目であることを知っていた。思わずおかしくなって笑ってしまう。
「何がそんなにおかしいんだよ。」
碇君が不機嫌な声で言う。
「あ、ゴメンゴメン。碇君じゃないのよ。ヒカリがね・・・」
「私がどうしたの?」
いまだに気が付いていないと言う事実が更に私をおかしくさせる。
「お皿・・・見てご覧なさい。」
ようやくヒカリも気が付いたようだ。自分がまだ手を付けていないはずのエビフライが一本減っている事に。
一瞬ぽかんとしたヒカリだったけど、すぐその元凶に思い当たると右を向く。
「鈴原。あたしの取ったでしょう?」
「何の事や?証拠でもあるんかい?」
涼しい顔で鈴原君は切り返す。そう、鈴原君はしっぽまで食べ尽くすので証拠のしっぽが残らないのだ。
「く・・・」
ヒカリもそれ以上の追求が出来なくなって、でも振り上げたこぶしの持って行き場所がなくて困っている。
私もそろそろ手助けするかなと思ったけど、意外な所から援軍が来た。
「委員長。俺は確かにトウジが3本食べる所を見たよ。委員長の皿から取る所もね。」
「なにっ」
「えっ」
二人とも驚いたようだ。鈴原君はまさか相田君が裏切るとは思ってなかっただろうし、ヒカリも相田君が味方してくれるとは思ってなかったろう。
とにかく証人が現れた事で、ヒカリの怒りは方向性を見つけたようだ。
「すーずーはーらー。」
「い、委員長堪忍や。軽い冗談やないか。そないに食い意地はっとると嫁の貰い手なくなるで。」
多分鈴原君の弁解は最悪のパターンだったと私は思う。
量的にも質的にも変化したヒカリの怒りは、アスカのような爆発を見せる事は少ない。特にこのような外では。だから何も言わずにナイフとフォークを手に取ると、鈴原君の残っているステーキのうち5分の4を切り取って相田君のお皿に乗せる。
「さ、どうぞ。相田君ホンのお礼よ。」
そしてにこりと笑う。
余りの事に固まっていた相田君だったけど、にやりと笑うと何事もなかったかのようにそのお肉を食べ始めた。
「ケンスケ!おどれ!」
それを見て鈴原君も我に帰ったみたいで、立ち上がって相田君を睨み付ける。
「神聖なる瞑想を邪魔した天罰だ。」
相田君が言った言葉に、鈴原君も何か言い返そうとしていたけど、私達の存在に気が付くとばつが悪そうに座って、食事を再開した。
何かうやむやのうちに幕が閉じた気がするけど。相田君に瞑想の趣味があるなんて初めて知ったわ。
カチャンと最後のティーカップが置かれたのは8時になろうかと言う時。
最後まで紅茶を飲んでいたのはアスカだったけど、私達もそれと大差あるわけじゃなかった。
デザートのアイスクリームとアップルティーがおいしかったせいで、学校帰りに喫茶店に寄り道したみたいに盛り上がっちゃって、ついつい時間が経っていたの。
やっぱりお代わり自由と言うのは嬉しいんだけどだめね。これでまた明日動く事を義務づけられてしまったわ。
とにかく、このティーカップを置くと言う行為が、最後の一人が食事を終えたという意味を持つというのは全員の共通認識であった様で、その瞬間それぞれにご馳走さまの挨拶をする。
みんな家庭でのしつけがいいのか、誰が言わずとも、自分達で食器を片づけて、厨房に運んでいく。もっとも、碇君だけは気が付かずにそのまま行こうとしてたけど、アスカに引き戻されていた。これも一つの躾なのかな?
とにかく食器を下げ終わって、みんな部屋に戻る。
さっそくみんなで遊んでもよかったんだけど、おなかいっぱいの今はちょっと勘弁。でも部屋でごろごろしていてもしょうがないから、二人をお風呂に誘ってみる。8時からはまた女風呂になるのよね。
「ねえ、またお風呂行かない?」
「レイって本当にお風呂好きなのね。私はいいわよ。」
「私はパス。」
「どうしたのアスカ?」
「アスカもお風呂好きのはずよね」
私もヒカリもアスカの返事に驚かずにはいられない。いつもならむしろ誘ってくるアスカなのに。
「大した事じゃないわよ。ちょっと食べ過ぎちゃって、大好きなお風呂にも行きたくない気分なの。」
あ、なるほど。
「無理して碇君のまで食べるからよ。」
「無理なんかしてないわ、欲しかったから食べただけ。強いて言えば日ごろ私に掛けている迷惑料って所かしら。」
こういう言い方をされるとからかいたくなってしまう私。
「ホントに迷惑なのかな?シンジってば私がいないと何にも出来ないのね。ああっ母性本能をくすぐられるわっ、とか思ってるんじゃなーい?」
「何ふざけた事言ってんのよ!」
言葉と同時に枕まで飛んできたので、私はさっそくお風呂に退散する事にした。
「やっぱりいいお湯だったわよね。」
私達がお風呂から出てきたのはそれから大体40分後くらいだった。
今の家で唯一気に食わないのが、ユニットバスって言う事。そりゃ一人暮らしには十分かもしれないけど、ゆっくり湯船につかるって言う事が出来ないのよね。だからこういうチャンスは十分に味わいたいの。
「ほんとね。家にも桧風呂欲しくなっちゃう。」
「同感、同感」
そんな話をしながら2階に上がってくると、丁度相田君が部屋に入る所にであった。
「相田君。そっちは何やってるの?」
「瞑想さ。」
3人が座禅を組んで瞑想している光景を想像してみる。ちょっと怖い。
「瞑想って、みんなでやってるの?」
ヒカリも同感であったらしく、相田君に問いただしている。
「いや僕一人だよ」
何だ。
「じゃあ他の二人は?」
「知らないのか?二人ともナイターに行ったよ。」
「「ナイター?」」
私達は同時に声を上げる。碇君そんなに体力回復したなんてさすが男の子ね。
「ああ、このスキー場は10時まで滑れるからね。それにしても知らなかったとはね。シンジを連れてったのは惣流だよ。トウジはその5分か10分後に出てったな。」
「アスカが!」
「ああ、30分ちょい前に部屋に来て、無理矢理シンジ引っ張っていったよ。」
私達がお風呂に行っている間に行動を起こすとは・・・抜け目ないわね。
「そうなんだ・・・」
ヒカリは何だかさみしそう。そりゃそうよね、3人で行ったんならともかく、一人で行ったくせにヒカリに声掛けようとしないなんて。お風呂にいってたからしょうがなかったかもしれないけどさ。
「じゃあまた後で。」
「ああ。」
場が暗くなりそうだったんで、私達は相田君と別れて自室に帰った。
私の短い髪は乾かすのにそんなに時間がかからない。セットも元々のくせっ毛を利用した物だから、たいして苦労はない。
なのに私よりヒカリの方が早く終わるのはどういう事かしら。・・・分かってるわよ。ヒカリの方が手際がいいの。多分私の3倍は効率的に動いてる気がする。やっぱりこういう性格じゃなきゃ、委員長やってられないのかしらね。
そのヒカリはベットに寝転んで歌番組を見ている。ヒカリってああいうアイドル系が好みなのかしら。
ブラウン管には男性5人グループが映っていて、激しく踊りながら歌っている。私の好みではないけど、人気のあるグループだし理解できる。
洗面台から戻ってきた私はドライヤーとか一式をかばんに詰めると、ヒカリの足元の所に腰掛ける。
「ヒカリの好みを当ててあげましょうか?佐々木君でしょ。」
私の予想はリーダーの佐々木君。一番格好よくて、トークも面白い。ドラマでもそこそこの演技が出来るみたい。
「はずれー。」
「ええっ。じゃあ誰よ。」
「そういう時は自分から言う物よ。」
ヒカリったら正論家なんだから。
「強いて言うなら光谷君かな。」
光谷君は外見は単なる「平均的ないい男」なんだけどボケるのが上手いのでトークにはなくてはならないキャラクター。天然っていう噂もあるけどどうなのかしら?
「レイらしいわね。実は私は西野君なのよ。」
「本当なの?意外だわ・・・」
西野君は悪くはないんだけど、あの程度の男ならその辺にごろごろしている。正直な所歌手業やってるのが不思議なくらい歌は下手だし、話べた。その代わりドラマに出ればピカイチで、いい人系の役をやらせたら本職でも敵わないんじゃないかしら。
「意外とは失礼ね。いったいどういう目で私を見てるのよ。」
「いやいや、ヒカリって夢見る少女みたいな所があるから、こういう癖のあるキャラクターは意外なのよ。」
「別に癖があるから好きって訳じゃないの、好きな芸能人がたまたま癖があるのよ。」
その物言いにピンと来た私はいい機会と思って聞いてみる事にする。
「ふーん。じゃあ鈴原君のどこが良かったの?」
「いきなり何を言い出すのよ!」
「いや、癖があるで思い出したんだけどね。」
「今は芸能人の話でしょ!」
「そうなの?私は好みのタイプの話をしてたんだけど。」
にやにやとしながらヒカリを見る。
ヒカリが俯いてしまうと私は立ち上がって、そっとテレビのスイッチを切った。
「前から聞きたかったんだけどね、鈴原君のどこが良かったの?最後なんだしいいじゃない。」
「・・・誰にも言わない?」
「もちろん。」
私は自慢ではないが口数は多くても、言ってはならない事の区別くらいはつけてるつもり。少なくとも他人の秘密をべらべらと喋った事はない。
「・・・レイが転向してくるずっと前、一年生の頃、クラスが同じだったんだけどね、ものすごく仲悪かったのよ。あの年頃って結構男の子と反発するでしょ?だからクラスの男子と女子が真っ二つに分かれてたの。」
「なるほどそれで?」
私はヒカリと平行に寝そべる。
「今でも私は仕切り屋だけど、昔の私は自分が、百歩譲っても自分達が絶対正しいって思ってたのよ。それが委員長やってるクラスなんてまとまるわけなくて、男子のリーダー格の鈴原としょっちゅう言い合いしてたわ。深刻な意味でね。」
「昔っから委員長なんだ。」
「そう。でねそんなある時、一人の銀行員が横領で逮捕されたの。」
なんでいきなり銀行員の話に・・・
「名前は洞木コウヘイ。額が大きかったから新聞の一面に出たわ。」
「それって・・・」
確かヒカリのお父さんの名前も同じじゃなかったかしら・・・
「おかしいでしょ。市内に同姓同名の、しかも同じ銀行員がいたのよ。私達には冗談みたいな偶然だけど、知らない人が見たらどう思う?予想通り登校する最中から変な目で見られるし、教室に入ったらさっそく言われたわ。」
「それって酷いじゃないの。ヒカリは何も悪くないのに・・・」
「そう、友達はそう言ってくれたわ。でもそうでない人、特に仲の悪い男子から見れば、犯罪者の娘が必死に親の罪を否定している様に見えたでしょうね。」
私は何も言えなくなった。確かに仲のよくない人間にはそう見えるだろう。
「鈴原が登校してきたのはそんな時よ。鈴原事件知らなかったみたい。最初は何も言わなかったわ。でも誰かが話すのは目に見えていたから覚悟していたの。」
ヒカリはそこでいったん話を切った。少しその目は遠い所を見ていたみたい。
「そしたらね、友達と話してた鈴原が、いきなりその男子の胸座掴んで立ち上がったの。もちろんみんな何事かと思って注目したわ。鈴原は気がついてなかったみたいだけど。それでなんて言ったと思う?『なんで委員長信じたらんのや。もしホントかて、委員長に何の関係があるんや』って言ってくれたのよ。みんな唖然ととしてたわ。あんなに仲の悪かった鈴原がってね・・・。私もびっくりしたけど、それ以上に嬉しかったわ。それにその時私気がついたのよ、鈴原今まで筋の通った事しか言わなかったって。もちろん鈴原なりの筋だけど、議論の中の対立でしかなかったの。なのに私は私達の意見に従わない男子を全否定して、それこそ敵に回してたわ。」
そこまで言うと、ヒカリは枕に顔を埋めてぼそっといった。
「それに・・・絶対に私の事『ブス』とか『そばかす女』とか言わなかったもの・・・」
「なるほどね。それでヒカリちゃんは鈴原君の、その男らしさに惚れたってわけ。」
ヒカリは顔を埋めたままコクリと頷いた。
「ヒカリちゃんかわいいっ。」
私はうつ伏せになっているヒカリの背中から抱き着いてそのままくすぐり始める。
「ちょっと、レイ!やめてってば!」
私達はしばらくじゃれあっていたけど、そのうち私に馬乗りになったヒカリが、碇君のおじさんみたいに口を歪めて私に聞いてきた。
「私も最後だし聞いておきたい事があるのよ。」
「な、何かしら。」
ヒカリの迫力に私らしくもなく、吃ってしまった。
「なんで、碇君とアスカからかうの?」
そうきたか。
「なんでかなー、あはは・は・・は・・・」
ヒカリの目が真剣になっていくんで笑える状況でもなくなってきた。
「言わなきゃ駄目?」
思いっきり可愛く言ってみる。
「駄目。」
可愛くない答えが返ってきた。
「わかんない。」
「レイ。」
何とか場を和ませようと笑って言ってみたけど駄目だったみたい。仕方なく私も覚悟を決める。
「わかんないって言うのはホントなのよ。反応が面白いって言うのもホントねんだけど、それだけじゃない気がする。」
「・・・じゃあ質問を変えるわ。碇君の事どう思ってるの?」
私が真面目に相手してると分かってくれたんだと思う。ヒカリの表情がちょっと和らいだ。
「・・・憎からず思ってるっていうのは確かなのよ。私の外見これでしょ。今までいろんなとこ転校したけど、どこでも不気味がられたわ。ここに来て初めて安心できた。私を見る目が・・・なんて言ったらいいのかしら・・・そう、外国人を見るくらいの目かしら、少なくとも人としてみてもらえた。クラスのみんなもほとんど気にしないでくれたわ。だけど、この外見を誉めてくれたのは、お世辞じゃなくて、奇麗だって行ってくれたのは碇君だけ。嬉しかった。この気持ちは分かってくれるわよね。」
ヒカリは黙ってコクリと頷く。ヒカリも言葉の大切さを分かっているから。
「じゃあそれが、もちろんそれだけじゃないけど、恋愛感情になったかって言うと、正直自信ないのよね。ないとも言い切れないしあるとも言い切れない。中途半端って言えばその通りなのよ。私だってアスカの気持ちに気が付いてるわよ。それでもからかうのは、素直じゃないアスカの手助けをしたいのか、はっきりしない碇君にいらついているのか、二人の仲に嫉妬しているのか。分からないって言うのはそういうこと。」
ヒカリは私の上から無言で降りると私の横に倒れこんできた。
「じゃあ最後の質問。もし碇君から付き合ってくれっていわれたらどうする?」
ヒカリも案外しつこいわね。・・・ま、アスカの親友としては気になるか。
「それはありえないわ。あの碇君が?その勇気があったらエビフライを取られたりしないわよ。ヒカリが西野君に告白されたらどうするって質問よ、それ。」
「わたしはOKするわよ。」
ヒカリはにこっとわらって即答する。
「おや?鈴原君は?」
「それはそれ、これはこれ。」
「鈴原くーん!聞いてくださーい!」
部屋に私達の笑い声が響き渡った。
『本当にそういう事になったら、私はどうするのかしら?』
笑いながらも、私は自分の気持ちが整理できなかった。
「ただいまー」
僕たちが宿に帰ってきたのは、9時45分。風呂の時間上アスカが早く切り上げてくれたから助かった。
昼間のアスカ曰く特訓を思い出して、ナイターは遠慮したかったんだけど、行ってみると、意外と下の方の平らな所を中心に周ったので、予想したよりは遥かに楽だった。多分難易度の高いコースは閉鎖されていたからだろうな・・・
昼間の二の舞は嫌だったので、ブーツを地下の乾燥室まで運んだんだけど、「手入れの仕方を教えとくわ」といって付いてきた。来るんなら自分で運べばいいのに・・・
結局僕が自室に着いたのは10時ちょうど。一緒に帰ってきたトウジは、とっくにいつもの黒ジャージに着替えている。
「遅かったじゃないか。」
「アスカに付き合ってたからね」
本当はアスカに付き合わされたんだけど、それは敢えて言わない。
「それにしてもトウジは早かったじゃないか。もっと滑ってるっと思ったのに。」
「ケンスケ放っとくのも悪いしな。丁度下でシンジ達と会うた時が、切りのええとこやったんや。」
「1時間以上放っておいて言える台詞か、それが。」
「じゃからすまんかった、ちゅうとるやろ。大体どうせまた風呂でも行っとたんじゃろ。」
「当然じゃないか。今回はしっかりとお湯を堪能してきたよ。本当はもっと入っていたかったんだけど、流石に40分以上はきつかった。のぼせたら迷惑がかかるからね。」
『堪能』と言う言葉がちょっと引っかかったけど、あえて聞かない事にした。何か怖い答えが返ってきそうだから。
「そう、よかったじゃない。で、これからどうしようか。」
「何を?」
「まさかナイター行くと思ってなかったから、夜みんなで遊ぶ時間がほとんどないよ。」
「ああ、そのことか。多分大丈夫だよ。」
「どうして?」
やけにケンスケが自信たっぷりに言うので僕は聞いてみる。
「寺田さんにお願いして、朝食9時にしてもらったから。」
「な、何と言う事を・・・」
トウジは見るからにがっくり来ている。無理もない。次の食事までの時間が延びてしまったんだから。
「というわけで、楽しく菓子を食べるためにも、トウジにはぜひ女性陣を説得してもらいたい。」
「何でワシなんや。」
「トウジは一人、思う存分スキー。楽しかったろうなぁ。だけど残された者は?俺はいいとしても、委員長と綾波。寂しかったろうなぁ。」
「そ、そやかてあいつら風呂入っとたやんけ!」
「書き置きの一つもした?」
「ぐ・・・」
トウジは完全に後手に回っている。ここまで一方的だとどうにか助けてあげたい気がするけど、僕も同罪であるので何も言えなかった。
「シンジはどうなんや!こいつかて同じやろ!」
「今はトウジの話をしてるんだけどな。」
あくまでケンスケはトウジにやらせたいらしい。いったい僕のいなかった15分間何があったんだろうか。
「わかったよ。トウジ、一緒に行こう。ケンスケもその辺で許してあげてよ。」
この不毛な争いを鎮めるため、僕はそう言うしかなかった。
「委員長おるかー」
202号室をノックした後、トウジがそう呼びかける。
電子音と共に鍵が外れ、扉が開いて委員長が出てくる。
委員長は僕までいた事に少し驚いていたみたい。
「どうしたの?」
「いや・・・さっきのこと謝ろ思うてな。何も言わずに一人で行ってもうてスマン。」
トウジはそう言うと深く頭を下げる。トウジが委員長に頭を下げるなんて余程反省しているらしい。
「ゴメン。アスカから連絡が行ってると思ってたんだ。」
僕も頭を下げる。
「いいのよ、そんなにされたらこっちが困るわ。」
委員長は慌ててそう言う。
「しかし・・・」
「いいのよ。こっちはこっちで楽しかったし。」
トウジは納得していない様だったが、相手がそう言う以上何も言えない。
「スマンのう」
「ありがとう」
「だからいいんだって。それより用件はそれだけ?」
委員長は話を変えてきた。そう、本題はこっちなのだ。
「いや、でさ、これからこっちの部屋で集まって何かしない?」
何かと言ってもゲーム類はトランプくらいしかないのだが。
「でも・・・もう時間も遅いし・・・」
「ケンスケがな、寺田はんに頼んで、朝飯9時にしてもろうたんや。ちいとばかし遅くまで起きてても、構へんやろ?」
「・・・そうね、一応アスカにも聞いてみなきゃならないけど。」
「アスカなら大丈夫だよ。」
自信を持って断言できる。むしろアスカは積極推進派に回るはずだ。僕などはアスカがいいと言うまで寝れないかもしれない。
「そうよね。これから?」
「ワシらもひとっ風呂浴びたいしの。11時でええか?」
「わたしはいいわ。レイ!」
委員長は奥に向かってレイを呼ぶ。
「なーにー。」
「11時から201で遊ぶわよ。来る?」
「当たり前じゃない!こんな時に遊ばなくてどうするの。徹夜でもなんでも付き合うわよ!」
奥から聞こえる綾波の元気な声。僕はもしかしたら、綾波がここに来ないと言うのは怒っているからかと思っていたので安心した。
「明日も一緒に滑ろうね!」
埋め合わせのつもりで、僕は奥に向かって言う。
気が付くと委員長やトウジは驚いた顔で僕を見ていた。
最初は何を驚いているのか分からなかったが、そのうち自分の言った事が分かってきた。
「ち、違うんだ。そんな意味じゃないんだ!」
「碇君、じゃ、また後で・・・」
委員長は驚いた顔のままぱたんと扉を閉めてしまった。
「シンジがそこまで積極的とは思わんかったわ。」
「だから違うんだって!深い意味はなかったんだ。ただ今夜の埋め合わせのつもりで・・・」
「ここに惣流がおらんかった事、神に感謝すべきなんやろな。」
「なにを・・・」
「私がどうかしたかしら?」
「「!!」」
そう言いながらアスカは階段を上がって来た。お風呂上がりで僅かに桜色に染まった肌と、まだ少し湿ったその髪に思わず見とれかけるけど、その不自然な笑顔が僕にそれを許さなかった。
「何でもないんや。」
「そうそう。あ、アスカ11時から僕たちの部屋で遊ばない?」
どう贔屓目に見ても誤魔化しきれたとは思えないけど、アスカはそれ以上この件に付いては追求しなかった。
「遊ぶって言ってもトランプか何かでしょ。」
「駄目かな・・・。」
「OKよ。あんた達もさっさとお風呂入ってきなさい。」
そう言われて時計を見るともう10時半だった。風呂は10時から半まで女性。半から11時までが男性、それで終了だった。
「そうさせてもらうわ。」
トウジはそう言うと、僕を引っ張る様にして部屋へ連れ込んだ。
ぱたんと閉められる扉。トウジは何も言わずに僕を奥へ引っ張る。
「お、おまえら本当にそういう関係だったのか・・・」
トウジが僕の手を引っ張る姿を見て、逃げ腰になっているケンスケ。ケンスケに言われたくない・・・
「何馬鹿なこといっとんのや。ホンマに危なかったんや。」
僕の手を振り解きながら、投げたように言う。
「何が?そんなに怒ってたのか?」
「ちゃうわ。シンジが綾波口説いとるとこ惣流に聞かれてもうた。」
「何!」
「だからあれは違うって言ってるだろ!。」
「まずいな・・・」
「そや。」
僕の主張は全く無視されたらしい。何やらアイコンタクトで会話している。そっちの方が余程怪しいよ・・・
「11時にあいつら来る言うとる。」
「そうか、何とかうやむやにしないとな。」
「何か考えといてくれ、ワシらは風呂入ってくるわ。」
「わかった。そっちも考えといてくれ。」
当事者の意見が全く無視されたまま会話は終了し、僕たちはこの日最後の風呂に行くことになった。
なんだか自分が自分でない感じ。身体が溶けていく感じ。
自分の動きがやけに他人事に思える。
意識が変。朦朧としている自分を冷静な目で見ている自分がいる。
体は熱くなっているのは分かる。心臓の動きも早い。
・・・どうでもいいや。楽しいし。
客観的に言えば、僕は酔っ払っていた。
11時にみんなが来て、持って来たお菓子を開けて、ちょっと変な空気でトランプが始まった。
しばらくすると、場は和んできて(ケンスケ曰く「俺とトウジの努力の成果」)、トランプは盛り上がってきた。
初めに言い出したのはケンスケだったか、綾波だったか。
とにかくどっちかが、罰ゲームつけようと言い出した。
僕は余り乗り気ではなかった。罰ゲーム自体が嫌なんじゃなくて、アスカの出す罰ゲームが怖かったから。昔から何を言い出すか分からない所は変わっていない。
委員長も何となく乗り気ではなかったらしい。でも結局多数決で押し切られてしまった。
「トップが最下位になんでも命令できるってのは?」
アスカが珍しくアバウトな提案をしたけど、流石に王様ゲームをこんな所でやろうと言う人間はいなかったので、却下された。
「寝間着でこの宿一周ってのはどうや?」
トウジのはそれなりに穏便な案だったけど、足でもくじいたらおおごとだと言うので否決された。
「明日の朝食を賭けるのは?」
という委員長の案は、あまりに露骨だと言う反対が多かった。
「乙女の柔肌何だと思ってるの(よ)」
僕のデコピン案はアスカと委員長の共同戦線の前に敗退した。
「「じゃあこの特製ジュースを・・・」」
同時にそう言ったのはケンスケと綾波だった。
二人とも驚いたらしく顔を見合わせていたけど、そのうち父さんみたいな笑い方をすると、またはもって「飲むってのは?」と言ってきた。
ケンスケはラベルの付いていないペットボトルに、綾波のは一リットル入りの水筒に何か入れてきたらしい。
僕たちはみんな嫌な顔をしていたけど、その表情に気が付いたケンスケは紙コップに入れてトウジに、綾波は持参の小振りのお猪口に中身を注いで、アスカに差し出した。
「これって・・・」
「おまえ・・・」
ためらいがちにに口を付けた二人だったけど、飲んだ感想は心底意外そうだった。
「これにしましょ。」
「わしもOKや」
信じられないという顔をしていた二人だったけど、やはり二人もニヤリと笑ってそう言う。・・・父さんってそんなに人気者なんだろうか?
「なんだったの?」
僕も感じた疑問は委員長が代弁してくれたけどその答えは一言。
「合成ジュースよ(や)。」
これで終わってしまった。
よく分からないうちに決まってしまった、罰ゲーム付きのトランプが始まった。
初めは委員長が負け続けて、次に僕が負けまくってその「合成ジュース」を何度も飲まされてしまった。
後から考えると、4人は組んでいたんじゃないかと思うけど、とにかく僕と委員長は出来上がってしまった。
一回一回の量は大した事はないんだけど、それが重なれば、慣れない僕達はあっさり酔ってしまう。
それからの記憶ははっきりしないんだけど、どうやらそれからは「公平に」ゲームが進んだようだ。
と言うわけで今に至る。
「革命っ」
「何の革命返しっ!」
「ああっ!」
僕の虎の子のカードが返される。まさかこのカードが返されるなんて予想してなかったので残りの手配はカスばかり。僕に残された道は最下位をいかに逃れるかと言う一点に絞られた。
しかしその努力も、現実の前には何の意味も成さず、結局僕はまた最下位になってしまった。
「さあ碇君、もう一杯行ってみましょう。」
学校での堅物さはどこへやら、委員長がお猪口を僕の前に差し出す。
よく見れば委員長の目も据わっていたんだけど、その時の僕にはただ「迫力のある視線」としかとれなかった。
僕は仕方なくお猪口を受け取る。
それと同時にケンスケがペットボトルを手に取ったんだけど、既に中身は空だった。
「あれ?もう終わっちゃたのか・・・」
「じゃあもういいよね・・・」
「こっちにまだあるわよ。」
一瞬でも期待した僕が馬鹿だった。綾波の水筒の方はまだあったようだ。
「さあさあ碇君。お猪口出して。」
本当に嬉しそうに綾波が言う。綾波の白い肌も既にほんのり赤くなっているけど、普段と余り変わらなく思える。今の所は。
「はいはい・・・あれ?」
差し出したした僕のお猪口に、それまで通りになみなみと謎の液体が注がれる。カクテルだというのは聞いたんだけど。
しかし流石に綾波の水筒も空になったようだ。綾波は軽く水筒を振っているけど、少しも液体の音はしない。
「もう終わりなの?意外となくなるの早かったわね。まあいいわ、シンジ最後にぐいっと行っちゃいなさい。」
アスカは平然とした顔つきで言う。飲む回数は少なくはなかったはずだが、顔色はぜんぜん変わっていない。
僕はほんのちょっとお猪口の水面を見つめていたけど、覚悟を決めると本当に一気に飲み込んだ。世界が回る・・・
みんな拍手喝采してくれたけど、僕にとってはどうでもいいことだった。
「あー面白かった。」
「ほんまやな。」
「盛り上がっただろ?」
「そうね。勝っても負けても楽しくなれるわね。」
「さあもう一勝負・・・」
イっちゃってる委員長は別として、みんな満足そうだ。僕もトランプでここまで盛り上がれるとは思っていなかった。
「シンジ大丈夫?」
「なんとかね・・・」
珍しくアスカが優しい声を掛けてくれた。アスカやトウジはまだ行けそうだったけど、僕や委員長は流石にこれ以上はヤバイ。限界の直前が一番面白いと聞いたことはあったけど、まさか自分がこの歳で体験するとは思わなかった。
「しかし惣流はトランプでも強いのう。」
「あったりまえでしょ。才色兼備のこのアタシに弱点はないのよ。」
やおら立ち上がって、胸を張って自慢するアスカ。
「青葉先生の語り引きは?」
「うっ」
「リツコセンセの風邪薬。」
「ううっ」
「ミサト先生のカレー・・・」
「やめてぇ!」
アスカはぺたりと座りこむと、頭を抱えてしまった。どうやら去年の林間学校の悪夢が未だに忘れられないみたいだ。かく言う僕もアレのことは思い出したくもない。だけど僕達の中で、もっとも被害に遭ったのはアスカだったのだ。
「アスカ、もうあの事は忘れましょう。あれは悪い夢だったのよ。」
「そうそう。楽しかった事だって、いっぱいあったじゃない。」
「そや。余計なモン思いださしてもうてスマンのう。」
「それに昔のことをいつまでも引きずってるなんてアスカらしくないよ。」
共通の被害者として、僕達はアスカの気持ちが十分すぎるほど分かるので、口々に慰めようとする。
「・・・私らしく・・・ない?」
俯いたまま弱々しい声でアスカは聞いてきた。普段はこんな態度は見せないのだか、やっぱり少し酔っているみたいだ。
「そうだよ。普段はさ、明るくって、自信に溢れてて、前向きでいるじゃないか。アスカは何も悪くないんだから、いつまでも拘らない方がいいよ。」
僕の言葉にアスカは突然顔を上げ、貴意と僕をきっと睨むと声を上げて話し始めた。
「シンジに何が分かるのよ!シンジが私の気持ち知ってるって言うの?!私がどんな気持ちでいるか・・・」
そう言うとおもむろに右手を高く振り上げる。僕はいつもこの動きは見えているんだけど、肝心のかわす事が出来ない。だから来るべき衝撃に備えて目を閉じ身を堅くしたけれど、いつまで経ってもその衝撃は来なかった。
そっと目を開けた僕の目の前では、アスカが腕を振り上げたまま固まっていた。
「アスカ?」
「何で私がこんな・・・」
「アスカ・・・その、ゴメン。」
いぶかしんだ僕の問い掛けに答えたのは、俯いたまま弱々しく呟くアスカの声。僕は自分の鈍さなんかがアスカに迷惑をかけている事くらいは自覚しているので、ただ謝る事しか出来なかった。
「う・・・うわーん!」
僕の言葉がきっかけとなった訳でもなかろうが、アスカがいきなり泣きながら、僕の首に手を回して抱き着いてきた。
「ちょっと!アスカ?!」
勢いで僕は後ろに倒れてしまった。耳元で聞こえる何年かぶりの泣き声も、胸に感じる軟らかな感触も、僕をパニックに陥らせるに十分な効果があったが、何よりもその状況そのものが僕を困惑させた。
「アスカ・・・大胆・・・」
委員長は止めもせずに、呑気な感想を述べる。ちらりとケンスケの方を見れば、少し固まっていたみたいだけど、すぐにニヤニヤし始めた。トウジも同じだ。
「笑ってないで助けてよ!」
アスカを引き離そうとしたが、力いっぱい抱き着いているので、この不自然な体勢ではどうしようもなかった。
「さーて、どうしよっかなぁ♪何か私達お邪魔みたいだしぃ。」
「何言ってるのさ、こんな時に!」
綾波・・・頼むからそんな事は言わないで欲しい。
「おや?じゃあ別の時ならよかったのかな?」
「頼むよ!後で埋め合わせはするからさ。」
「何でも言うこと聞いてくれる?」
「わかった。何だってするから・・・」
「そんな事はさせないわ!」
僕の声をアスカが遮った。僕に抱き着きながらながら、顔だけを上げて綾波を睨み付けている。
「ア、アスカ。もういいだろ?だから・・・その・・・離れてくれないかな。」
僕もいきなりアスカが泣き止んで、こんな事を言い出すとは思ってなかったので驚いたけど、これでやっとこの状況から解放されるという安堵感の方が強かった。
「イヤ。」
アスカは綾波を睨み付けながら、そっけない答えを僕に返す。
「アスカ今日は大胆じゃない?ナイターでなんかあったのかなぁ?」
「・・・レイ、駄目よ・・・」
何かかみ合わない受け答えだ。綾波もぽかんとしている。アスカ平気な顔してやっぱり酔ってたんだ。
だけど綾波には分かったみたい。やれやれと言った顔つきになった。
「大丈夫よ。私引っ越すもの。」
え?
「・・・高校の近くってオチ?今の所は遠すぎるもんね。」
「そうだったら良かったんだけど・・・本当に第三新東京市から引っ越すのよ。」
何だよそれ・・・
「どういうことなんだよ!綾波!一緒に受験したじゃないか!制服だって買ったんだろ?」
「どうしていきなり!?」
「そうや。なんで今になって!」
「何も言ってなかったじゃないか!」
今まで興味津々に成り行きを見守っていた皆も、それぞれ突然の発表に驚いている。
「ゴメンね。一昨日連絡があって・・・親戚が私を引き取るって・・・」
綾波らしくない歯切れの悪い物言い。それだけ彼女も言いにくいということなんだろう。
「何で今やねん・・・」
「そうだよ。こんな時期じゃなくてもいいだろうに。」
「そんなの勝手だよ!せっかく一緒の高校にいけると思ったのに・・・」
「私もここを離れたくないんだけどさ。一応親戚一同の御厄介になっている身としては断れないのよね。」
努めて明るく振る舞おうとしているのが、鈍い僕にも見て取れる。その姿を見て僕はもう何も言えなくなってしまった。
「と言う訳だから、心配しなくてもいいわよアスカ。煮るなり焼くなり好きにしちゃって。」
その言葉に僕ははっとなって、先ほどから一言も口を開かないアスカの方を見た。その視線は幾分下を向き、焦点は合っていない様だった。ありていに言えば困惑していると言うのがぴったりだった。瞬間、僕の首に回された腕は力なく滑り落ちた。
「それで、引越しはいつなの?」
心配そうに委員長が聞いている。さすがにアルコールが一気に抜けたみたいだ。
「準備が出来次第。多分4日後。」
「そんな早く・・・」
「それこそ転入手続きとかいろいろあるみたいだし、あんまゆっくりと出来ないのよ。」
「それじゃあさ、引越しの前日、送別会やろうぜ。」
ケンスケが提案してきた。
「そやな。盛大なやつ開いたろやないか!ええやろ!」
「もちろん!」
「そうだね。・・・アスカもいいよね?」
僕のその問いかけに、アスカは力なくこくりと頷くだけだった。
「おっしゃ!ほなら今日はとことん騒ごやないか。」
「そうだね。徹夜でも付き合うよ。」
当時とケンスケは勢いよくそう言う。だがアスカはゆらりと立ち上がったと思うと、扉の方に歩いて行く。
「ちょっと待たんかい!どこ行こうちゅうんじゃ!」
「アタシ、パス。」
「な、アスカどうしたんだよ。もしかしてそんなに気持ち悪いの?」
さっきの態度から酔っ払っているのは明白だったので、今になって吐き気とがが襲ってきたのかと思って聞いてみた。
「・・・・・・大丈夫よ。ちょっと飲みすぎたみたい・・・騒ぐのは送別会の時にさせてもらうわ・・・じゃ、お休み。」
そう言い残したアスカは、後は振り返りもせずに部屋を出ていってしまった。
「かぁーっ、なんなんやあの女は。平気な顔しとったくせにいきなり酔っ払いおって。友達がいのないやっちゃのう。」
「鈴原!そんなこと言うもんじゃないわ。アスカにも色々あるのよ。」
「何なんや、その色々ちゅうのは?」
「色々さ。」
僕にもよく理由は分からないけど、普段のアスカでなかった様に思える。酔っ払っているのは確かに最大の理由なんだけど、何かそれ以外にもあるように見えた。確かに綾波とアスカは大親友と言う訳ではなさそうだけど、あんな風にそっけない態度をとるアスカではない。
「じゃあさ、この辺でお開きにしない?やっぱ多少は寝とかないと、明日危ないし。送別会開いてくれるんでしょ、その時に続きをしましょ。」
顔を見合わせていた僕達に綾波が助け船を出してくれた。
「そうだな。この辺が潮時かな。」
「分かった。確かに寝とかんと明日楽しめんしな。」
「じゃ、これを片づけちゃいましょう。」
僕達は散乱したお菓子やらトランプやらを片づけ始めた。その最中は誰もが無言でもくもくと作業に没頭していた。皆が何を考えていたのか僕には分からなかったけど、僕はこの後片付けが綾波との思い出の清算のような感じがして、奇麗になっていく部屋とは対照的に、心は沈んでいった。
そんな仕事はものの10分もしないうちに終わりを告げた。これ以上この作業をしなくていいと思えば救われるけど、次は綾波と別れなくちゃならないと思えばやはり心が晴れることはない。
とはいえ、いつまでもこの部屋に黙っている訳には行かない。綾波と委員長は僕達にお休みの挨拶をすると202号室に帰っていた。
並んで2人を見送った僕達だったけど、誰もこれ以上何もする気になれなくて、自然とそのまま寝ることになった。
「ふぅっ」
僕は手にしたコップをテーブルの上に置く。そしてソファーの背もたれによしかかって天井を見る。
『寝れないなんて、久しぶりだな。』
今日に限って僕は眠れなかった。昼間の特訓で疲れ切ってすぐ眠れるかと思ったら、アルコールが入りすぎたせいで、加えて引越ししてしまう綾波のことを考えると、とても寝付ける物ではなかった。
だから今僕は、一晩中暖房の入っている談話室で、酔い覚ましのための一杯の水と共に天井を見上げている。
『そう言えば、綾波はいったいどこに行くんだろう?』
気が付かなかったとは迂闊だったが、あの時はとにかくショックでそれどころじゃなかった。普段ならアスカが言ってくれたんだろうけど、あの時一番普通でなかったのはアスカだったから、それは無理だった。
『明日朝食の時にでも聞いてみよう。』
僕はそう決めた。そしてもう一口水を飲もうとコップに手を伸ばした瞬間、後ろから冷たい風が流れ込んできた。
「碇君?」
振り向いた僕の視界には、桜色と水色のチェックのパジャマ姿の綾波の姿が映っていた。
「綾波・・・あっ、座ったら?」
思わず見詰め合った僕達だったけど、綾波の手にも僕と同じようにコップが握られているのに気が付くと、急に自分だけ座っているのが恥ずかしくなった。
「えっ?ああ、そうするね。隣いいかな?」
「もちろんだよ。」
僕が少し脇によって、スペースを作る。そこへ扉を閉めた綾波が、ゆっくりと腰を下ろしコップを机に置いた。
「「こんな時間にどうしたの?」」
並んで座っている僕達の第一声がそれだった。見事に重なってしまって、思わず二人とも笑ってしまった。
「多分綾波と同じ。酔い覚まし。」
「え?分かるの?」
「だってそのコップ、僕のと同じように水が入ってる。お茶がない訳でもないのに、しかもこんな時間に談話室に来るなんてそれくらいしか考えられないよ。」
「へぇ、碇君にしては鋭いじゃない。でももう一つ可能性があるわよ。」
何だろうと思う。綾波にいわれたように、今回は自分としては割と論理的な思考をしたつもりなんだけど。
本気で考える僕を綾波は面白そうに見つめている。
「ブッブー、時間切れです。」
「わかんないよ、正解は?」
「可能性その二。私が水を持って談話室に向かう碇君を見て、追っかけてきた。」
「え・・・」
「と、いうのが考えられる可能性なんだけど、今回は全くの偶然。」
何なんだよ、綾波は。確かに可能性と言えばそうなんだろうけど、一瞬期待させるような発言をするなんて。
「ん?もしかして怒った?『僕の純情を弄んだな』って。」
綾波は僕の顔を覗きこみながら、いたずらっぽく聞いてくる。この顔をされたら僕なんかに本気で怒れる訳ないんだけど、そのまま許すのは悔しいので、ソッポを向いてみる。
「碇君ってば。そんなに怒らないでよ。」
綾波が僕の肩を掴んで、軽く揺らしている。でもその声にいまだ笑いの成分を感じ取った僕は、その呼び声を敢えて無視することにした。
「・・・そう、碇君はもう私を見てくれないのね・・・」
「そんな事ないよ!」
綾波が肩を揺らすのを止め、その声が今までにないくらい沈んだ物になると、僕にはそれ以上意地悪は出来なかった。罪悪感を振り払うかのように勢いよく綾波の方に振り向き、多少大きすぎる声で言う。
「・・・碇君・・・」
振り向いた僕の目は、至近にある綾波の、赤いその奇麗な瞳に吸い込まれそうになった。見ればその目は僅かに潤んでいる。この展開はもしかして・・・
「綾波・・・」
躊躇する自分に勝利した僕は、ゆっくりと顔を近づけていく。綾波も頭を近づけてくる。
・
・
ガン
そんな音が聞こえそうなほど、僕と綾波は頭を思いっきりぶつけてしまった。いや、むしろ僕がヘッドバットを食らった感じだ。
「いたたた、やっぱこれはこっちの犠牲も大きいわね。」
綾波が自分の額をさすりながら呟く。
「もしかして今のも・・・」
「まあね。でも碇君って相変わらずよね。いい?涙と笑顔は女の武器よ。」
そう言ってニコッと笑う綾波。僕はもはや怒る気力もない。
「わかったよ。」
そう一言だけ言うと、コップに手を伸ばして煽る様にして残りの水を飲む。しかしあまりに勢いがよすぎたのか水が気管支に入ってしまってむせてしまう。情けない・・・
「ほらほら何やってるの。」
笑いをかみ殺したような声で綾波は優しく僕の背中をさすってくれる。
「げほっげほっ、はあはあ、綾波・・・もう大丈夫、ありがとう。」
「どういたしまして。」
僕は一度だけ綾波の方に視線を投げかけると、後は正面の窓の外を黙って見ていた。隣の綾波も、正面を向いているのでその顔は見えないが、一口水を飲んだ音が聞こえたきり黙ってしまった。
「ねえ、綾波。」
別に沈黙に耐えられなくなった訳ではないが、僕はさっきの疑問を聞こうと声を掛ける。
「何?」
「綾波ってどこに行くの?」
「京都。北区の・・・細かい住所は忘れちゃった。」
「遠いね。」
「そうね。でも、リニアで2時間かからないじゃない。そんなでもないわよ。」
「そうだね・・・」
と言ったものの、その距離はほいほい行ける距離ではない。いや、めったに行けない距離であると言える。分かっているだけに辛い。
「・・・あのさ、その親戚ってどんな人なの?」
「知らない。」
まるで他人事のように言ってのけた事に、僕は驚いて綾波の方を見た。綾波はコップの中で水を回しながら、その動きを見つめている
「知らないって・・・どうして・・・」
「一度も会った事ないもん。いい人だって言うのは想像できるわ。写真も送ってくれたけど、優しそうな人だったわ。私がそう思っているだけなんだけどね。」
いつもからは考えられない寂しそうな声。そう、去年の冬、風邪を引いた綾波の家に、お見舞いに行って帰る時こんな声でさよならを言ってた気がする。
「そうなんだ・・・いい人だといいね。」
いかにも善人ぶった台詞。言いたいのはこんな事じゃないのに。
「そうね。お姫さまみたいに扱ってくれる人であることを祈ってて。」
綾波は砕けた表情で、僕の方を向いて言った。
「はは、食べ過ぎお姫さま誕生って所かな?」
何を言ってるんだろう、僕は。
「ひっどーい!碇君はそういう目で私を見てたのねっ。ショックだわ・・・美味しい物は大好きだけど、年がら年中物を食べてるみたいに言われるなんて。」
「あ、いや、そうじゃないんだ。今日も綾波の食べてる姿が凄く幸せそうに見えたから・・・」
何ほのぼの会話してるんだ?
「だって今日の夕食ホント美味しかったんだもん。ほらほら、修学旅行の時なんてひどかったじゃない?あの時なんてさあ・・・」
「そうそう、あきらかに手抜きだったよね。覚えてる?3日目の。」
思い出話に浸っていて楽しいのか?
「あっ!あのすき焼きもどきね。どこをどうやったらあんなに不味くなるのか聞いてみたいわ。いくら修学旅行はグルメツアーでないとは言ってもアレはひどいわよねー。」
・・・チガウ。僕の話したいのはそんな事じゃない。僕は・・・
「それに比べたら、ここの夕飯はまさに天国。ううん、比べるなんて寺田さんに失礼よ!碇君はそう思わない?・・・って碇君?」
綾波は急に黙って俯いてしまった僕を、いぶかしんだのだろうと思う。でももう駄目なんだ・・・
「チガウ・・・」
「違う?あんまり気に入らなかったの?だったら私に言ってくれたら食べたのに。」
違うんだ!
「綾波っ!」
僕はその声を振り払うように言い切ると、まさしく跳ね上がるように起き上がって、綾波に抱き着いた。
「ちょちょっと碇君!?」
「違うんだ!違うんだよ!僕は綾波と思い出話なんかしたくない!僕は綾波と思い出を作りたいんだ!好きだったんだよ、ずっと前から!でも、告白する勇気がなくて、先延ばしにして・・・嫌だよ・・・どこにも行って欲しくないんだ・・・」
最後は涙声になっているのが自分でも分かった。
「うそ・・・」
多分綾波は驚いてるんだろう。でも、嘘じゃない!
「ずっと前から・・・気がついたら好きになってた。嘘じゃない・・・」
「碇君・・・」
言いたい事を言ったら僕も落ち着いてきた。そして今、自分が綾波に抱き着いていることに気がついて、慌てて離れた。
「ゴ、ゴメン!抱き着いたりなんかして!・・・迷惑だったかな。僕なんかに告白されて・・・」
僕が離れた後も一向に顔を上げようとしない綾波を見て、僕は強烈な後悔に襲われた。余計な事をしなければ、いい関係で別れられたのに!
何十秒か沈黙が支配した後、やっと綾波が僕の方を見て口を開いてくれた。
「アスカはどうなの・・・?」
聞かれると思っていた。何回も繰り返して考えた。だから今ははっきりと言える。
「アスカも僕の大事な人だと思う。だけどアスカは大切な『お姉さん』なんだ。それ以上の気持ちは持てない。」
何とか僕の本心を伝えようと、綾波の目を真剣に見詰めた。思えば、これほど人の目を見詰めたのは始めてかもしれない。
僕の答えの後更に沈黙が流れる。僕にはそれは、緊張と期待と苦痛に溢れていた。
「信じて・・・いいの?」
綾波の言葉に僕は力強く頷く。僕と綾波は二呼吸ばかり見詰め合っていたけれど、沈黙の後、綾波がその瞳に涙を浮かべたかと思うと、いきなり僕に抱き着いてきた。
一日に二度も女の子に抱き着かれた経験なんてない僕は、やっぱり驚いてしまったけれど、今回は不思議とそれが心地よかった。
「私怖かったの!碇君の事好きなっちゃいけないんじゃないかって!こんな気持ち初めてだし、アスカの気持ち知ってたし、それでも碇君の側にいたくて、だから二人をからかうのが面白いんだって自分誤魔化して、ううん他人も誤魔化してきて・・・ずっと・・・」
僕の胸に顔を埋めたまま、一気にまくしたてた綾波はそこまで言って嗚咽を漏らし始めた。
数十秒そのままでたたけど、僕はその声にいたたまれなくなって、そっと綾波の頬に手を添えて、僕の方に顔を向けさせた。
綾波の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。その目尻に、僕は涙を拭き取るように、優しくキスを繰り返す。
「綾波・・・もう泣き止んでよ。綾波には笑っていて欲しいんだ・・・」
微笑みながらそう言う僕の行動に、綾波はかなり驚いていたみたいだけど(僕自身も後で思い返して驚いた)、綾波もうっすらと笑い返してくれた。
「碇君・・・酔っているのね。」
「うん・・・綾波に酔ってる。」
よくもまあ我ながらこんな臭い台詞を言えたもんだと感心する。多分昔、アスカに無理矢理見せられた映画の台詞だろうな。
「・・・やっぱり酔っているのね。でも・・・このまま醒めないで欲しい・・・」
綾波は再び僕の胸に頭を預けた。
「酔いはいつか醒めるよ。だけど、素面でもこの気持ちは変わらない。」
僕は綾波をそっと抱きしめながら言いきった。
「・・・・・・よろしく。たった四日の私の恋人。」
「そんな事言わないでよ。僕は遠距離でも大丈夫だよ。」
「うん。」
それきり僕達には言葉は無かった。いや、必要なかった。
僕達の旅行は無事終了した。
二日目は「比較的」何事もなく、アスカの特訓おかげでレベルアップした僕も集団で行動できた。流石に帰りのバスはみんな泥のように眠っていたけれど。
そして休む間もなく、送別会の準備。僕と綾波は、何とか暇を見つけては会っていたけど、荷造りがほとんど終わった今となっては、そう大した事が出来る訳ではなかった。
そして出発の日、僕達に見送られた綾波は、笑って第三新東京市を後にした。
二ヶ月後。
「ほら、急ぎなさいよ!」
「うう、僕はこんなに急がなくてもいいのに。」
「ごちゃごちゃ言ってないで走る走る!」
僕とアスカとは別の高校に進学したけれど、学校が近かったので一緒に登校する習慣は変わっていなかった。
そうやって走っている内に、僕の通う高校の校門が見えてくる。
「はあ、アスカ、それじゃ僕行くから。」
「それじゃあね。」
僕は校門に飛び込むと、減速して歩き出す。アスカはそのまま走り去ってしまったようだ。
「毎朝、何でこんなに急がなきゃならないんだろう?」
僕は呼吸を整えながら疑問に思っていた。
「シンジ君、朝から疲れ切っている様だね。」
カヲル君が机に突っ伏している僕に声を掛けてきた。
「何だ、カヲル君か・・・」
僕は顔を上げて、いつものように微笑みを絶やさない整った顔を見上げた。
「何だとはつれないね。せっかく親友の心配をしてあげたというのに。」
「その必要はないさ。」
後ろからムサシが参加してきた。
「どうせまた女がらみだろう?」
「やな言い方だね。」
「例のアスカだっけ?聖サキエル女学院でも5指に入る美人生徒。それが彼女なら苦労のし甲斐もあるもんだろうが。」
「だからそんなんじゃないってば。」
僕はたびたび繰り返される問答に辟易していた。
「それが信じられないんだよ。単なる幼なじみにしては度が過ぎてないか?」
「そのくらいにしてあげたらどうだい?幼なじみの尺度は、人により違ってもいいはずだよ。」
ああ、カヲル君ありがとう。
「そして恋愛の形も人によって異なっていいはずだ。」
前言撤回。
僕の首に腕を回してきたカヲル君から慌てて離れると、ムサシの後ろに隠れる。
「ふふ、冗談だよ。シンジ君はまだこの手の冗談が理解できないらしいね。」
いや、そんな事をにこやかに言われても・・・
「あのなあカヲル。そんな事してるからおまえはホモだって噂が流れるんだぞ。」
呆れたようにムサシが忠告する。でも聞き入れられるとは思えない。
「毎朝平均10通のラブレターをもらっている僕に対する嫉妬さ。」
やっぱり。
「しかし、おまえが女と付き合っていると言う話は聞いたことがないが?」
「男と付き合っていると言う証拠もない。」
「う、それは確かにそうなんだが。」
「わかったよ。でもそういうのは出来れば止めてくれないかな。」
僕は心の底からそう言った・・・はずだ。断じて喜びを覚えたことはない・・・はずだと思う。
「わかったよ。善処してみよう。おや?先生が来たみたいだね。」
政治家のようなあいまいな発言を残して、カヲル君もムサシも席に戻っていった。僕も席に就いて前を向く。
「起立!礼!着席!」
学級委員長の掛け声と共に僕達は動いた。
「あーまず最初に、今日は転校生を紹介する。入りたまえ。」
時田先生がそう言うと、扉が開いて転校生が入ってきた。
「綾波・・・」
僕は驚愕していた。二ヶ月前別れて以来、会いたくて、だけど声しか聞けなかった存在がそこに居る。少なくても夏休みまでは会えないと思っていたのに。
綾波は僕をちらりと一瞥すると、笑顔のまま前に向き直って一礼した。
「綾波レイです。京都から引っ越してきました。皆さんよろしくお願いします。」
変わらない元気な明るい声で、そう挨拶するとクラスから、特に男子からどよめきが起こる。
『綾波とまたいっしょに居られるんだ。でもどうしてなんだろう?親戚がわざわざ京都に引き取ったって聞いたのに。・・・後で聞いてみればいいや。ホントに良かった・・・神様仏さまありがとうございます!』
教室では転校生に対するお約束の、質問の嵐が吹き荒れていた。しかし僕はそんな事はどこ吹く風、しばらく感激に浸っていた。会うのも大変だと思っていた綾波が戻ってきて、しかも同じクラスだなんて・・・
「それで、綾波さんの好みのタイプを教えてください!」
僕が意識を取り戻したのはちょうどムサシのこの質問の時だった。
『なんて事を聞くんだ!』
一瞬ムサシに殺意めいた物を感じたが、綾波が僕にちらりと視線を投げかけると、つかつかと僕の方に歩み寄ってくる。
「こんなのかな?」
「ええーっ!!」
僕の頭を抱きかかえた綾波の一言で、教室は大混乱となった。
完
(おまけ)
深夜の碇家のリビング。ソファーにユイとゲンドウが並んで座っている。
「シンジったら余程レイゃんが戻ってきたのが嬉しかったのね。あんなにはしゃぐなんて久しぶりだわ。高校合格より喜んでたんじゃないかしら。」
「レイ君が引っ越した時の情けなさと言ったら見物だったな。」
「そう言い方する物じゃありません。」
「ふん。さっさとハッキリさせんからややこしくなるのだ。あの大馬鹿物が。」
「・・・じゃあ子会社の人事に介入して、レイちゃんの保護者を第三新東京市勤務にさせるのは親馬鹿じゃないのかしら?」
「・・・知らんな。」
「いいわ、そういう事にしておきましょう。でもアスカちゃん何か可哀相ね。」
「レイ君は1年でシンジの心を獲得した。奪還には3年もあれば、アスカ君には十分だろう。あくまで本人にその気があれば、だが。」
「呆れた。そんな事考えていたの?・・・あなた、楽しんでいるでしょう。」
「そんな事はない。」
「どうだか。いい事?あんまりあの子達にちょっかいかけるんじゃありませんよ。」
そう言い残すとユイは寝室へと行ってしまった。
「シンジ、幸福の次に来る物は何かな?(ニヤリ)」
その呟きを聞いたのは、ゲンドウの手にした一杯のウイスキーだけだった。
完