「なーんかいやな天気よね〜」

通学途中、アスカは空を見上げながら一人ごちた。

家を出てきた時にはそれほどでもなかったのだが、今の空には厚く灰色のベールがかかっている。

曇りの日は気分的にも憂鬱な物だが、さしあたってアスカが心配していたのはその先のことだった。

「やっぱり傘持ってくれば良かったかしら?レイ、アンタ持ってきた?」

「持ってきてないわ。雨降るって?」

レイも知らなかったと言わんばかりの声でアスカに聞き返す。

「今日降水確率30%だって言ってたよ。二人ともテレビ見なかったの?」

脇を歩いていたシンジが、少々呆れたように言う。

「もちろん見たわよ。でも30%でしょ?降らない確率の方が大きいに決まってるじゃない。」

「そりゃあそうだけど・・・30%で降るって事じゃないか。」

「あんたも相っ変わらず心配性ね。物事はいい方へいい方へ見なくっちゃ、人生やっていけないわよ。」

「だったら文句言うなよ・・・」

「何か?!」

そっぽを向いて小声でアスカの行動に不平を漏らすシンジだったが、しっかりとアスカに聞き止められ怒鳴られる。

「持っていないことで喧嘩しても仕方ないわ。降らないことを祈りましょう。」

「あ、うん。」

「そうね。今更戻る時間もないし、どうしようもないか。」

アスカがシンジに話しかけ、シンジが余計なことを言う。それにアスカが突っかかりレイの一言で口論が止む。

いい天気とは言えないが、今日もいつもと同じ朝だった。



「どうしたの?」

シンジの隣を歩いていたレイが突然立ち止まった。

何事かと思ってシンジも立ち止まり、後ろを振り返る。

「あれ・・・」

レイの視線の先にはゴミ捨て場があった。看板の下に無造作にゴミ袋が積まれている平凡な場所で、はっきり言って見て面白い物でもない。

たが一つだけ、普通でない物が置いてあった。

「何よ。鏡台じゃない。」

同じく足を止めて振り返ったアスカがつまらなさそうに言う。

そこにあったのは古びた鏡台。

確かにゴミ袋の山の中に、鏡台が混じっているのは非常に目立つ。

が、レイはアスカの声が聞こえなかったかのように、ただ鏡台の方を眺めていた。

「いちいち気にとめる物でもないでしょうに・・・あ、そっか!」

「そうだよ。今日は燃えるゴミの日なのにあんなの出すなんて。」

「そうじゃなくて、レイの部屋にまだ新しいの買ってなかったわよね。」

「あっ!」

ミサトが出て行ってその空いた部屋に入ったレイだったが、当然調度品諸々はミサトが持っていったわけで、代わって新たにレイが運び込んだ物は皆無に等しかった。

その後いろいろ買い足していったが、レイが服や化粧に興味を示さなかったため、シンジもアスカもすっかりその手のことは忘れていた。

「綾波も化粧したいのかな?」

「化粧かどうかはともかく、全身鏡くらい欲しいんじゃないの?ね、レイ?」

アスカはレイの顔を覗き込んだ。

「え?ええ・・・。」

レイはまるで初めてその存在に気がついたかのようにアスカの方へ視線をやる。

(やっぱり綾波も綺麗にしてたいのかな?)

「あのさ、今度の休み買いに行こうよ。綾波にも大きな鏡の一つくらいは必要だろうし・・・」

レイの不自然な態度に、シンジは今までその事に気がつかなかったことを責められているような気がして、取って付けたようにレイを誘う。

「そうね・・・御免なさい。ボーッとしちゃって・・・」

「いいよ。今まで気がつかなかった僕達も悪いんだし。」

頬を少し赤く染め、微笑みながらシンジを見つめるレイ。シンジもそんなレイの姿にドキリとして、言葉を続けることも出来ずただレイの目を見つめるだけであった。

「・・・なによ僕『達』って言うのは。」

当然ながらそんな状況は、一人取り残されたアスカには面白くない。

腕を組み、トントンと足で地面を叩きながら、いらつく気持ちを隠そうともせずに二人の雰囲気の中に割って入った。

「え?だって・・・」

「アンタレイの彼氏でしょ?それ位のこと気がつかないなんてまだまだお子さまよね〜。」

気がつかなかったことは確かに迂闊だが、レイの同居人たるアスカが、自分の事を棚に上げての言い方に、シンジも流石にカチンとくる。

「何だよその言い方。今まで気がつかなかったのはアスカも同じだろ!」

「ええそうよ。でもアタシはレイの家族のつもりだけどアンタは彼氏。立場が違うわ。年頃の女の子の気持ちに気がつかないなんて、そのうちレイに捨てられるわね。」

「よく言うよ。綾波はアスカと違って、化粧なんてしなくても可愛いから気がつかなかったんだよ!」

まさに売り言葉に買い言葉。場の勢いで、シンジの口からは思ってもないことまで飛び出してくる。

「なななな何ですってぇ〜!言うに事欠いてアンタは・・・アンタは・・・」

アスカとしても少し言い過ぎたかと思ってはいたのだが、このシンジの一言でキれた。アスカの両こぶしに力が入り、肩は震え、誰がどう見ても怒りを爆発させる一歩手前という状況であった。

(しまった!)

シンジもここまで言うつもりはなかった。レイとのいい雰囲気を邪魔されたことに腹立ちはあったが、こんな通学途中にそうなる方が悪いのである。そもそもアスカのことを「化粧しなければ可愛くない」などとは全く思っていない。

「アスカ、ゴメ・・・」

バチーン!

シンジの頬にきつい一発。

「ふん!」

そのままアスカは向きを変え、足早に学校へと向かっていってしまった。

「アス・・・カ・・・。」

レイもアスカを引き留めようとしたが、とてもそのような雰囲気ではないのを悟ると、のばしかけた手を下げため息を一つつく。

「碇君・・・今のは言い過ぎ。それに、誰が悪い訳じゃない・・・。」

「うん・・・そうだね。もう少しアスカが落ち着いたら謝るよ。」

遠ざかっていくアスカの背中を見ながら、シンジは己の未熟さを激しく後悔していた。

それと・・・

「ん?」

レイは俯いて、言いにくそうに小声になってシンジに話しかける。

素顔でも可愛いって・・・嬉しかった・・・

「!あ、いや、その・・・・・・うん。・・・でもあの言葉は、あそこだけは言い過ぎたとは思ってないから。」

シンジもレイを見ていることが出来なくなって、明後日の方を見ながら頬を掻く。

ありがとう。

(ありがとう。感謝の言葉・・・この言葉は好き・・・)

『シンジに言うのが特に』というのはそれこそ言うまでもないことだった。

 


 

その後、シンジは学校につくなりアスカに謝った。

アスカは謝罪は受け入れはしたものの、気持ちの整理がつかないのか結局その日はシンジと口を利くことはなかった。

それに関連して、喧嘩の原因を知ったケンスケが、シンジに対して数々の嫌がらせを決行したり、こちらも何か日頃から言いたいことがあったのか、シンジについたトウジとアスカの側についたヒカリまでが常にない大喧嘩をやらかしたりしたがこれは別の話。

 


 

放課後ー

「参ったな・・・」

シンジはとぼとぼと一人寂しく帰路へとついていた。

絶交されたわけではないが、アスカはまだシンジと口も聞いてくれないので一緒に帰るなど論外。さっさと先に帰ってしまった。

レイもまた、アスカがそんな状態でシンジと二人で帰るのは、まるで邪魔者扱いしているみたいで良くないとアスカと一緒に帰ってしまった。

今のケンスケはシンジにとっては危険人物。

トウジはいつの間にか仲直りしたヒカリと二人、繁華街の方へ流れていってしまった。

(どうやったら許してくれるかな・・・)

自分の不注意が巻き起こした一連の予想外の出来事にシンジは困惑していた。

『言葉は残酷だね。』

『ヒトの心の壁をいとも簡単に突き破り、切り裂き、その心を傷つけることができる。』

昔聞いたカヲルの言葉が甦る。

(やっぱりアスカも傷ついたのかな・・・)

シンジの目に映る灰色の道はその問いに何も答えない。

むろんシンジは自分が悪いと分かっていたから謝ることに抵抗はない。謝って済むならいくらでも謝ろうと思う。

(だけど・・・そんな許しを乞うみたいな事・・・きっとアスカは嫌いだろうな。)

それも分かっていた。

「はぁ・・・」

ため息一つついて角を曲がる。

「あれ?綾波?」

顔を上げたシンジの十数メートル先に、見間違うはずのない空色がたたずんでいた。

レイは通りに背を向けて壁の方を向いている。かといって誰と話しているわけでもなく、ただじっと一点を見つめているだけ。

いくら人通りが多くはないとはいえ、通りを歩く周囲の人間はレイに不信な目をちらりと向け、同時に関わり合いになるのは御免だと言わんばかりに足早にその側を通り過ぎていく。

そしてレイの方もそんな周囲の状況には全く気がついていないようであった。

(何やってるんだろう?)

いぶかしんだシンジはとにかく近寄ってみることにする。

(・・・ああ、今朝の鏡台か。)

近寄ってみて分かったのは、レイが見ているのは今朝見たあの鏡台であった。

燃えるゴミの日に鏡台の様な大きな物が回収されるはずもなく、ゴミ捨て場からも捨てられたかのようにポツンとその場に残っている。

レイもまた、それに合わせたかの様に周囲からの情報を遮断しているようで、シンジが真後ろに立って尚その存在に気がつかなかった。

「綾波?」

「・・・・・・」

「ねえ、綾波ってば。」

「・・・あ、碇君・・・」

声をかけても気がつかず、シンジが肩に手をやってようやくレイはシンジに気がつく。

最初に首だけ後ろに回し、相手がシンジだと気がつくと微笑んで体ごとシンジに向き合った。

(どうしたんだろう?)

レイは人と比べて喜怒哀楽のはっきりしている方ではない、むしろわかりにくいと言っても良いが、それにしても今のレイの表情が何を言っているのかシンジには理解できなかった。

「アスカと先に帰ったんじゃなかったの?」

「アスカから伝言。」

「え?」

「誠意ある夕食を期待するって言ってたわ。」

「あ、そういうことか。」

(良かった・・・何とか許してもらえそうだ。)

さしあたってシンジの心配事が一つ消滅した。

やりくりの問題もあるが、向こうがそれで良いというなら、シンジは多少の予算オーバーはしても出来るだけ良い夕食を作るつもりであった。

「で、綾波はここで何してるの?」

レイの顔から視線をはずし、シンジはレイの後ろにある鏡を見る。

それはどこにでもあるような古びた三面鏡。横板には染みが付き、引き出しは欠けている。思い切り開かれている鏡自体下の方は割れていたが、それは捨てられる前のことかそれともその後のことだろうか、今朝のシンジの記憶からは定かではなかった。

そして今、そこにはシンジの不思議そうな顔とレイの後ろ姿が映っている。

「碇君を待ってたの。」

「それは嬉しいんだけど・・・ここで?」

確かに彼を待つのにゴミ捨て場というのはムードある場所とは言えない。

それに今までのレイの態度にも不自然な物がある。

そんな思いがシンジの顔に出ていたのだろう、レイは自分も鏡の方に向き直り、鏡面を見つめながら口を開いた。

「つい気になって・・・」

「こういうのが、綾波の好みなのか・・・な?」

その奥歯に物の挟まったような言い方に、再びレイに鏡を買わなかったことを責められているような気分になるシンジ。

まさかこんなボロボロのが気に入るはずもないから、レイはデザインの方が気に入ったんだとだとシンジは理解した。

「そうじゃないの・・・」

「え?」

「鏡って不思議ね・・・」

驚いてシンジはレイの方を見る。が、そんなシンジに気がついていないかのように相変わらず鏡に視線をやりながら、レイは少し寂しそうな笑顔になって鏡面に手をやった。

「ここに写るのは単なる像。本当の私じゃ、本当の碇君じゃない。でも私達はこれを私達自身として見るわ・・・どうしてかしら・・・」

「・・・・・・どういう事?」

シンジにはレイの言っている事が理解できない。一瞬考え込んでからレイに真意を聞くことに決めた。

が、レイは直接それには答えず、開かれている左右の鏡に手をやり少しだけ手前に傾ける。

「どの私が好き?」

「え?・・・」

鏡の中に写るレイの顔、顔、顔。

今まで平行だった左右の鏡を傾けたことで、鏡の中には正面だけではなくあらゆる角度からのレイの頭が写る。

鏡の中の無数のレイ。それは嫌でもシンジにリツコに見せられた事実を思い出させた。

(嫌な光景だな・・・)

水槽に浮かび、虚ろな笑いを浮かべる多くのレイ。あの時シンジは聞こえるはずのない嘲笑の声を聞いた気がした。

何かにすがることしかできなかった自分。決して手に入らない物しか見ていなかった自分。

リツコがそれらを破壊した最後の瞬間まで嗤われていた気がした。

レイは更に左右の鏡を手前に動かし『コ』の字型にする。

「無数の私。だけど決して会うことのない私。・・・そして現実の私達・・・」

(そう・・・私達は幻じゃないから・・・)

自分達は鏡の中の虚像ではない。その事をレイは忘れることは出来なかった。たとえ他の身体がなくなっても自分『達』という思いは消え去らない。

顔を左右に動かし、左右の平行になった鏡の中に写る無数の自分を、レイは諦めにも似たな瞳で見つめる。

「そんな言い方しないでよ。その、綾波にもう代わりはいないんだから。」

「そうね・・・だけど『いた』と言う事実は変わらない。そして、やろうと思えばまた・・・」

(どこかで見たような・・・)

そんなレイの態度をシンジはどこかで見たような気がした。

(でも昔の綾波は全部に無関心だったし・・・・・・そっか、綾波じゃなくて僕だ。)

シンジはようやく胸のつかえが取れたような気分になる。が、晴れやかな気分になどならず、むしろ気管に何か詰まっているような感覚は増すばかりであった。

(過去に縛られて、先が見えなくて、今が信じられなかった僕だ・・・)

シンジはレイの肩に手をやって自分の方に振り向かせる。レイも別段抵抗はせずにシンジと向き合い、その美しい瞳の先をシンジの瞳孔の奥に合わせる。

「・・・あのさ、不安があるなら言ってよ。何が出来るか分からないけど、聞くくらいは出来ると思うし・・・」

自分と似ているからといって、効果的なアドバイスが出来るほどシンジは人生経験を積んでいない。自然その言葉もありきたりなものとなってしまった。

「不満なんてないわ。生活に苦労はないし学校も問題ない。友達も好きな人もできたし・・・」

レイは微笑みながらそう言って、肩に置かれたシンジの手に自らの手を優しく重ねる。

(やっぱり何かあるんだ。)

流石にシンジはつられて笑いなどはしなかった。真剣な表情でレイの目を見つめ返す。

「綾波無理してる。」

「無理なんてしてないわ。」

「笑い方が辛そうだよ。それくらい、僕の好きな人のことくらい分かるつもりだよ。」

レイはハッとした表情になってシンジから顔を逸らした。その態度にますますシンジは自分みたいだという思いを強くする。

「あのさ、」

レイがそれきり黙ってしまったので、会話を続けようと必死に単語を頭の中で並び替えていたシンジだったが、ここで一旦言葉を切り、レイの肩から手を離し左右の鏡を斜めになるように押し広げた。

「確かに事実は事実かも知れない。だけど僕もアスカもミサトさんもリツコさんも、誰ももうその事を気にしてる人なんていないよ。」

分かってる・・・でも・・・

(そう。みんなそう言ってくれる。でも私はまだ割り切れない・・・)

レイは俯き、小声になってシンジに答えた。

「だけど気にするなって言っても、すぐには出来ないって事も分かってる。」

(僕もそうだった。ミサトさんや加持さん、トウジ達が何を言っても自分を許すことが出来なかったから・・・)

「だから今は僕達がそう思ってるって事を信じて欲しい。過去なんて関係なく、みんな綾波が好きだって事も事実だよ。」

(私は・・・本当に「私」を?)

レイは恐る恐る顔を上げる。

流石に似合わないこと言っているという思いがあるのか、そこにあるのは照れたようなシンジの顔。

「鏡を見て。」

そんな表情を誤魔化すのではなく、レイを誘う意味でシンジは鏡の方へと視線を移し、レイもそれに合わせて前を向く。

今鏡に映っているのは多くのシンジとレイ。流石に後ろ姿はないが、少しずつ角度を変えた二人がまるで万華鏡のように並んでいる。

「さっきどの綾波が好きかって聞いたよね。」

「ええ。」

「少し違うと思うんだ。それぞれが別の綾波なんじゃなくて、どの綾波も本当の綾波。綾波の可能性なんじゃないのかな?・・・人はいろんな可能性が見たくて鏡を見るのかもしれない。」

そこでシンジは言葉を切った。

(?)

レイは次の言葉がでてこないことをいぶかしんでシンジの顔をー鏡の中のではなく隣のーを見た。

(碇・・・君・・・)

照れはあるが、迷いも気負いも感じられないシンジの横顔。そんなシンジの顔にレイの心拍数は上がる。

「・・・それにさ、」

レイがシンジの顔を見ていることは気がついているはずなのだが、シンジは尚も顔を鏡の方に向けながら、言いにくそうに口を開いた。

「僕が好きなのは隣にいる綾波だよ。」

ようやくシンジがレイの方へを顔を向ける。

(!・・・何?・・・胸が苦しい・・・でも嫌じゃない・・・碇君・・・)

湧き上がる気持ちをどう処理して良いか分からなくなるレイ。それを上手く言葉に出来るほどレイも器用ではなかった。

だが、黙っていることにはもっと耐えられそうにない。

自然と感じるままにレイの体は動いていた。

「あっ、綾っ、綾波っ!」

「碇君・・・」

(碇君、暖かい・・・)

レイは焦るシンジを尻目に、シンジに回した両腕の力を強くする。

(あ〜どうしようこんな道の真ん中なのにでも綾波をふりほどくなんて出来ないしこのままでも良いかなって気もするしあでも今の人ちらっとこっちを見てたし綾波の髪っていい匂いがするしそうじゃなくてあ〜どうしよう。)

一方、いきなりレイに抱きつかれたシンジの方は混乱していた。

さっきまではいかに言い慣れない言葉を言っていたとしても、あくまで自分の主導権下にあった。だが予想もしないレイの行動。思い切り危機(?)管理能力の欠如を露呈してしまったが、往々にしてこのような場合頭の一部は妙に冷静になる物。気がつかなくても良い周囲の視線をシンジは痛いほど感じていた。

だが、救いは現れた。

(ん?)

シンジは突然頭に感じた感触に気がついて、反射的に顔を空に向ける。

「んっ!」

空から落ちてきた何かが頬を叩いた瞬間、シンジはこれまた反射的に目をつむる。

「雨だ・・・」

「雨・・・」

レイもまた雨を感じ、シンジからゆっくりと離れて天を仰ぐ。

(良かった・・・一石二鳥かな・・・)

「綾波。」

「・・・ええ。ひどくならないうちに帰りましょう・・・」

それはレイにとっては無粋な乱入者に過ぎなかったが、まさしくそれはシンジにとって救いの雨。

どことなく嬉しそうなシンジに対して、レイは怒りさえ感じる雰囲気を漂わせて帰り道へと視線を向かわせる。

「そうじゃなくて、実は傘・・・持ってるんだ。」

恥ずかしそうに言いながらシンジは鞄を開け、中から紺の折り畳み傘を取り出した。

「持ってたの?」

毒気を抜かれたような顔つきでシンジを見るレイ。

「うん・・・持ってないとは言わなかっただろ?」

少しずつ強くなってくる雨の中、照れと自信とをごちゃ混ぜ感じながらシンジは急いでカバーを取り、手慣れた手つきで折り畳まれた傘を開く。

「・・・これでいいでしょ?」

シンジはレイの上に傘を掲げ、自分もその下に入る。

この傘は折り畳み式と言うこともあり傘はさほど大きくはない。二人も入れば当然はみ出すことになるが、シンジはレイを中心に傘を差した。レイもすぐさまそれに気がつく。

「濡れるわ。」

傘を持つシンジの手をレイはシンジ側に押しやる。

「僕は大丈夫。シャツ一枚だし濡れても大したことないよ。」

(結構自然に出来る物なんだな。)

傘を押し戻し、レイに微笑みながら、シンジは多少拍子抜けした気分を味わっていた。

朝、レイも傘を持ってきていないと聞いた時から、もしかしたらレイと相合い傘出来るかも知れないとは期待していた。あるいは今朝傘を持っていくよう言わなかったのもそのためだったかもしれない。

学校でもアスカの機嫌のことを考える一方、思わず天気に気が行ってしまうのを止められないでいた。

もし雨が降ったらどうやって自然に誘おうかとも考えていた。

(だけどこんな自然なシチュエーション。ついてるな・・・)

自然と顔がほころぶ。

「どうしたの?」

「え、いや、何でもないよ・・・それよりさ、これから買い物行くんだけど、付き合ってくれない?」

慌ててシンジは表情を元に戻し、傍らに立つレイにお伺いを立てた。

「・・・碇君ずるい。」

いかにも「仕方ないわね」といった表情と声色のレイ。意味合いとは裏腹に、言葉の調子にどこか楽しそうな感じを受ける。

「そうかな?」

「傘は一つしかないんだから・・・」

そう言ってレイは、傘を持つシンジの肘に軽く自らの腕を絡めた。

「え・・・」

「こうしないと二人とも濡れるから・・・」

そして更に密着し、シンジの肩に頭を預けた。

(嘘。仕方なくない。でも、これも・・・仕方ないわ・・・)

「綾波・・・」

腕と肩に感じる軽い重み、そして信頼。それはシンジにとって重圧にはならなかった。むしろ不思議と心が軽くなる。

『ヒトの言葉は、逆に傷ついた心を癒すことも出来る。』

(そうだね。僕にどこまで出来るか分からないけどやってみるよ。ね、カヲル君・・・)

シンジは数瞬、自らが手にかけた親友に黙祷を捧げる。

それが終わると自分の肩に乗る頭に、護るべき大事な存在に穏やかな眼差しを向けた。

「行こうか・・・」

「ええ・・・」

 

雨は勢いを増し続けていた。

地面との境が分からなくなるくらいの一面の灰色。

走り抜ける自動車の音とヘッドライト。傘代わりに鞄を掲げる人の駆け足。

寄り添った二人の姿はそんな町の中へと消えていく。

 

残された鏡にはもう、二人の姿は映らなかった。

 

 

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