沈黙した空気が爆発した。
「終わったあ!」
「疲れた・・・」
「今日どっか行こうか?」
それまでの淀んだような教室の空気が、鐘というたった一つの事でこうも変わるのかと驚くほどの変わり様だった。
それぞれ生徒達は友人達と楽しそうに談笑し、思い思いの話題に花を咲かせている。
そんな中、そのような喧噪とは関わり合いになりたくないとばかりに独り教室を出ていく姿があった。
「綾波・・・?」
シンジはその普段通りのレイの姿を見て複雑な心境になった。自分には、曲がりなりにも友人と呼べる人間がいる。が、レイのそういった存在など見た事がない。あれが自分だったらと思うとー実際前の学校では限りなくそれに近かったがー心が凍り付くような気持ちになる。
「ちょっとシンジ。」
シンジが席を立とうとした瞬間、背後から声をかけられて、思わずシンジは中腰のまま後ろを振り返った。
「何?」
アスカだった。
その燃えるような美しい赤毛と精気のある蒼い瞳、絶対の自信を表すかのように片手を腰に当て、軽く小馬鹿にするような〜人によっては小悪魔的と言うだろう〜笑みをシンジに向けている。
「アンタさ、明日暇?」
「明日?・・・別に用事はないけど、何?」
「ちょっとアタシに付き合いなさいよ。」
シンジは首を傾げた。
(何か買い忘れてる物あったかな?)
その心当たりはなかったが、押入の中身を思い出しながら、シンジは心の中で一つ一つチェックしていく。
「ゴメン。わかんないや。シャンプーやお菓子はまだあるよ?何切らしてたっけ?」
「アンタ馬鹿ぁ?そんな事聞いてないわよ。そうじゃなくて、明日遊園地に付き合いなさいって言ってるの。」
ざわっ
「おい、聞いたか?今の台詞どう思う?」
「くそ・・・やっぱ同じパイロットっていうアドバンテージか・・・」
「アスカって碇君みたいのが好みだったの?」
「意外ね・・・でも碇君も格好悪くはないわよ・・・」
教室が一瞬ざわめいた。
周囲にいた者は耳を普段の3倍に拡大して今後の展開を聞き漏らすまいとしたし、それ以外の人間も教室の空気が変わったことに反応して、その原因を探りにかかっている。
「なんや、デートのお誘いかいな?」
「違うわよ!」
アスカは怒鳴りたい気分だった。シンジに言わせれば十分怒鳴っているのだろうが、アスカから見れば、こんな程度は怒鳴っている内には入らない。全く一体誰のためにこんな事をしていると思っているのか。
アスカは人差し指をたてて、まるで相談でもするかのように身を軽くかがめて小声で話し始めた。
「あんた達さ、最近変だと思ったことない?」
「何がや?惣流なら十分・・・」
「コロスわよ。」
その迫力にさしものトウジも黙ってしまった。さしあたり余計なつっこみを入れる人物が黙ったのを確認して、アスカは再び口を開く。
「ファーストよファースト。最近やたら帰りが早いと思わない?ネルフに呼ばれてるわけでもないのに。」
「そうだな。そういや昔は暫く教室に残って本読んでたな。」
後ろから、ケンスケがさも当然と言った雰囲気で口を挟んできて、シンジの机の上に腰掛けた。
周囲のクラスメートもそのいつもの雰囲気に、アスカの言葉に取り立てて特別な意味はなかったのだと悟り、それぞれの世界を取り戻していく。
「でしょ?だからね、何やってるのかと思って付けてみたのよ。」
「そういうのは良くないんじゃないかな・・・」
「構わないわ。もしファーストが変な宗教にでもはまってたら拙いじゃない。これもパイロット同士の友情であり義務よ。」
シンジの忠告も、アスカの訳の分からない理屈で跳ね返される。
「で、それでどうなったんや?」
「どこ行ってたと思う?」
「どこだよ。まさか戦自の基地とか?」
「アンタと一緒にしないの。」
一瞬目を輝かせたケンスケだったが、アスカに一撃の下に否定されて落胆の様子を隠せない。
「それがなんと遊園地に行ってたのよ!」
「何やて?!あの綾波が?!」
「信じられん・・・」
皆一様に驚いていた。彼らのイメージでは、遊園地とは娯楽と笑顔の殿堂であり、ある意味もっともレイから遠い場所のように感じられた。
そのレイが遊園地へ。しかもわざわざ学校帰りに何をしに行っているのか。聴衆の視線は、アスカに「早く続けてくれ」と言っているようで、アスカにとってはこの上なく心地よい。
「ホント?」
「嘘なんて言わないわよ。しかも正門から入ったんじゃないのよ。従業員用よ。どう思う?」
「綾波がバイトしとる、そう言いたいんか?」
「そう考えるのが妥当ね。」
そこで皆黙ってしまった。アスカとしてはこのまま話を強引にでも進めたいところだが、急いては事をし損じる。明晰な彼女の頭脳はその事を理解していた。
「・・・今イチ信じられないな・・・。」
「そやな。あの綾波が遊園地でバイト?想像できへんわ。」
「お金に困ってたのかな・・・」
シンジはレイの部屋を思い出す。
あまりに殺風景な部屋。無論レイの性格もあろうが、第一に金銭的に余裕がなかったのが原因でなかろうかと思ってしまう。
「そこでよ。」
アスカは満足げに切り出した。そう、こういう状態でなくてはならない。自ら疑問に思っているとし向けなくてはならないのだ。
「明日休みじゃない。だから調べに行こうって訳よ。あんた達も来る?」
トウジとケンスケは顔を見合わせた。
二人とも特に用事はないし、休みの日にまで勉強するような殊勝さは全く持ち合わせていない。それにレイの行動が気になって仕方がないのも事実。
「そうだな。俺は行くよ。トウジは?」
「しゃあない。ワシも行くわ。時間は?」
「夜また電話するわ。ヒカリとも相談しなくちゃいけないし。」
「委員長も来るんだ。」
意外と言った表情で、シンジはアスカの顔を見上げた。ヒカリはそのようなゴシップめいたことには興味を示さないと思っていたので、シンジにとってはヒカリの参加は予想外であったのだ。
「あったり前じゃない。何が楽しくてあんた達に私一人混じらなきゃならないのよ。じゃ、そう言うわけでまた夜。」
そう言い残して、アスカは彼らの元を離れ、鞄を掴んでそのまま教室を出た。
(下準備は良し、と。)
アスカは何事もなかったように軽やかに扉を開け、そのまま喧噪に包まれた廊下へ出ていく。窓から差し込む夏の西日を浴びながら、道なりに進んで階段の側までやってきた。
「OKだってよ。」
「ホント?!」
ヒカリであった。周りの邪魔にならないようにと気を使っているのか廊下の角に隠れるように背をもたれて立っていたが、アスカの言葉を聞くと途端に表情を明るくして、アスカと一緒に階段を下り始める。
「ま、アタシにかかればチョロいもんよ。明日も一応お膳立てはするつもりだけど、そこから先はヒカリ次第だからね?」
「・・・うん・・・」
小さく俯いて頬をわずかに染める。そんなヒカリを見て、アスカ多少の羨望を感じてしまう。
おそらく自分はこういう風な顔は出来ないだろう。演技でもなく、義務でもない。作った美しさではなく、年齢相応の可愛いと思える表情。
だが、これあらばこそ演技した甲斐もあったというものだ。
ヒカリから相談を受けた物の、自分が直接トウジに言った所で信用されるはずもない。だからつい最近仕入れた情報を使ってシンジに話しかけ、お調子者の性格を利用して向こうから会話に乗ってくるようにさせた。一端乗った話を思うように進めるなど、アスカにとっては難しいことではない。
「ま、余計なのが二人ほどついてくるけど、そっちはアタシが引き受けるから。ヒカリは十分楽しんでね。」
「二人?碇君と相田君?」
「そうだけど?」
アスカは下駄箱から靴を取り出した。なんと言ってもあの三人は三馬鹿なのだ。三人ワンセットでようやく三分の一人前などとアスカは考えている。
「アスカ、ゴメンね。」
「何で?別に良いって言ってるじゃない。」
「だって、せっかくのデートのチャンスなのに。」
「なっ!」
まるで今朝の天気を話すかのような、当然という雰囲気の言葉。実際ヒカリは当然そうだと思いこんでいた。
「本当だったら・・・ダブルデートに出来たんだけど・・・」
「な、何を言ってるのよ、何を!」
「違うの?」
「大違いよ!ヒカリったらどうしてそう思うのよ。何でアタシがシンジなんかと。」
呆れたような声色で、アスカも地面に靴を投げ出し、上履きを脱いで靴を履き替える。そして、すぐさまその上履きを手に取って、自分の棚に納める。
「ふ〜ん。私、碇君なんて言ってないんだけど?」
「!!」
アスカはその場で固まってしまう。
そんなアスカをヒカリは楽しそうに見ながら、果たしてどういう行動に出てくるのかと期待して注視していた。
「ヒ〜カ〜リ〜?」
「な、何?アスカ?」
この瞬間、ヒカリは自分が猛獣の尾を踏んでしまったことに気がついた。その声は怒っているようにも感じられたが、むしろそれよりも更に深く、感情が付いていかないほどの心情であるのは容易に想像がついた。
が、時すでに遅し。
「美味しいケーキ屋見つけたんだけど、行かない?」
「いや、私今月は無駄遣いしちゃったし、明日もあるし・・・」
「その明日を準備したのは誰?」
「分かったわ・・・」
思った以上に処置が軽い。ヒカリはほっとため息をついた。おごるくらいは覚悟しなくてはならないが、それくらいは仕方ないだろう。
そこにはアスカもダイエットしている身、そう多くは食べないだろうと言う読みも当然ある。
が、ケーキと同じくらいその読みは甘かった。
翌日ー
生憎とその日は雲一つない快晴とは行かなかったが、さりとて雨を心配するほどの雲行きでもない中途半端な天気だった。
それでも娯楽の少ない町の事、休日と言うこともあり、この比較的外れにある遊園地は様々な人間の訪問を受ける。
「で、聞いてなかったけど、綾波ってどこで働いてるの?」
「知らないわ。それをこれから探すのよ。」
「なんやと・・・」
シンジ・アスカ・トウジ・ケンスケ・ヒカリの五人は、目の前の人波を見て、これからの苦労を思わずにはいられなかった。
入り口を通ったすぐ後ろ、大きな花時計の前という集合場所に全員が集まったのがつい2分前。ほとんど時間は経っていないが、今日もそれなりに込んでいるのがすぐに見て取れた。
第三新東京市は未だ完成しておらず、しかも名目上はともあれ武装迎撃都市である。それ故に絶対人口はそれほどでもないし、その人口に比してこの遊園地は過大とも言える規模を誇っていたが、それだけに人一人探す苦労は並大抵ではないように思える。
「惣流、本当に見つかるのか?」
「嫌なら帰ってもいいのよ?ま、言いたいことは分かるけどね。」
「アスカ・・・」
実の所、アスカも言うほどに自信があったわけではない。が、アスカにとって今回の目的は「ヒカリとトウジのデート」をお膳立てすることであって、レイの発見は二の次であった。
「大丈夫でしょ。ファーストの外見は目立つわ。まさかぬいぐるみの中には入っていないでしょうし。」
「裏方やってたら?例えば事務とか。」
「事務員に中学生雇う必要がどこにあるのよ?ましてあの、ろくにコミュニケーションも図れないようなファーストをよ?どう考えたって、表に出る場所、しかも接客を必要としない場所ね。」
アスカの言葉で全員が腕を組んで考え始めた。
学生を雇っても変ではなく、しかも接客を必要としない場所。乗り物や、アトラクションそのものには多少は知識はあったが、遊園地の組織構造など知るわけはない。
「しゃあない。適当にまわろうや。」
「そうだな。ついでに遊んでけば一石二鳥ってわけだ。」
「そりゃええわ!よし、今日は遊び倒したる!ついでに綾波も見つけたろうやないか。」
その言葉に、ヒカリは一瞬はっとしてちらりとトウジの方を見たが、別に嘘を言っている様子ではない。
内心ヒカリは心配だったのだ。トウジが今回参加したのは、本気でレイのことに興味があったからではないかと。だが、レイのことをついで呼ばわりするこの様子では、その心配は杞憂と言っていいだろう。
「鈴原ったら。そんなに調子に乗ってると怪我するわよ?」
「いいんちょの指図は受けん。ケンスケ・センセ、行こうやないか。」
「ちょっと待った。」
早速奥に向かおうと、皆に背を向けて歩き出そうとしたトウジだったが、アスカの呼び声でぴたりとその歩みを止めると再び正面を向いた。
「何や?」
「みんなでひとかたまりになって動いても効率が悪いわ。かと言ってバラバラに動いてもつまらないし、どう?二手に分かれない?」
「どうするのさ?一人足りないじゃないか?」
シンジのかなり間の抜けた発言に、アスカは深くため息をついた。元々それほど出来る人間だとは思っていないが、こうまでボケられると疲れてくる。
「何できちんと同数にする必要があるのよ。2・3でいいじゃない。」
「あ、うん。それはそうだけど・・・じゃあどう分けるのさ。」
「シンジ、そう言うなよ。惣流はシンジと二人になりたいんだとさ。」
アスカは内心笑いたくなった。
普段ならここで純粋に怒るところだが、今回はこれほど都合のいい展開はない。向こうが望む姿を見せてやれば良い訳で、それを演じきる自信がアスカにはある。
「何言ってるのよ!そんなに言うならアンタもこっちに来なさい!」
「冗談だって。そう怒らないでくれよ。」
「いーや、アンタはこっち。アタシとシンジとアンタ。これで文句ないわね?」
アスカが仕切りたがるのは散々見てきたので、シンジはまたか程度にしか思わなかったが、トウジとヒカリは目を丸くして事の成り行きに驚いていた。
が、ここでトウジがはっとしたように顔を上げて、一歩アスカの方へと前に出る。
「ちょっと待てい。それやとワシといいんちょになるやないか。ワシは認めへんで。」
「往生際が悪いわね。大体アンタの暴走を止められるのはヒカリぐらいなのよ?いい加減認めたら?」
「何言うとる!おどれを棚に上げてよう言うわ。」
「何ですって!」
「惣流、ちょっといいか?」
雲行きが急激に悪くなりかけたのを一端制したのはケンスケだった。
アスカに手招きして、少し離れたところに呼び出す。
普段ならそんな態度には絶対に乗らなかっただろうが、今回はトウジとの喧嘩を回避できそうだと踏むと、アスカはゆっくりとケンスケの方へ歩いていく。
「何?」
「なあ、やはり俺が向こうに行くよ。」
「駄目ね。アンタさっきからアタシとシンジ二人にさせたいようだけど、それだけはお断りよ。」
「俺には話は見えてるよ。」
アスカはとっさに言葉を失った。自分は何か感づかれるようなへまをしでかしただろうか?確かに高等なストーリーとは言い難いが、こいつら相手だったら十分だと思っていたが、甘かったのか。
「要はトウジと洞木を一緒にさせたいんだろ?俺だったら存在感を薄れさせられる。はっきり言って、無理矢理あの二人だけにしても、堅い空気のままで終わりだぞ。」
「・・・・・・・」
やはりばれていた。しかもアスカが心配していたところまで。
まさかトウジがあれほど二人きりに抵抗するとはアスカの計算外であった。多少は照れるだろうが、押し切ってしまえば後は何とかなると思っていた。
それがあの状態では、とてもではないが二人きりになどさせられない。最悪自分があの二人の方に行こうかとも思っていた。
「仕方ないわね。それが一番いいみたいね・・・」
「OK。ま、俺も馬に蹴られるのは嫌だからな。適当なところで迷ったふりして離れるよ。」
「借りが出来たわね。」
「何、大したことじゃないよ。」
それは事実その通りであった。今までケンスケがアスカ関連で得た利益を考えれば、これくらいは利息にも値しないだろう。アスカがその事を知らなかったのはケンスケにとって幸運と言う他ない。
「おーい。話がまとまったぜ。俺とトウジと洞木、アスカとシンジ。これでいいか?」
「なんや。結局惣流が二人きりになりたかっただけやないか。」
「鈴原。」
「わかっとる。これ以上ややこしくせんとくわ。」
(まあ、いいか。)
シンジは当事者の一人でありながら、完全に蚊帳の外におかれていたが、取り立てて文句もなくそう思っていた。
むしろシンジにとっては、どちらかと言えばどうでもいいことなのだから。
「それじゃ、十二時半に一回ここで集合しましょ?」
「そうだな。で、昼飯にしてから後のことは考えたいね。」
「賛成。じゃあ十二時半。ほら、シンジ、行くわよ!」
「あ、うん。」
(綾波、何してるんだろうな・・・)
小走りに進んでいくアスカの背中を追いながら、シンジはふと顔を上に上げて空を見た。
そこには薄い雲がかかっていて熱い日光を遮っている。
(空が・・・見たいな・・・)
薄皮一枚雲がかった空の色を、シンジはまるで遠い日の事のような心情で思い返していた。
無論その存在は、昨日見た夏空ではなかった。
「きゃ〜!!(ニコニコ)」
「!!(パクパク)」
ジェットコースターにて。
どちらがどちらかは言う必要はないだろう。
「見て見て!変な顔!」
「あ、ホントだ。」
「何ですって!!」
パンッ!
ミラーハウスにて。
シンジ、もう少し乙女心を理解する必要あり。
「どけどけ〜!」
「うわっ!こらっ、ちょ・・・」
「シンジ遅いわよ!」
ゴーカートにて。
アスカのドライビングテクニックは流石。
シンジは・・・彼の名誉のために伏せておく。
「あのさ。」
昼食を終え再び園内に飛び出した彼らだったが、予想通りと言うべきか、シンジはアスカの行動力についていけなくなり、現在ベンチに座って休憩を取っている。
アスカの希望に押し切られ、いつの間にかソフトクリームをおごることになってしまったが、シンジとしてはそれで休憩時間が買えるのなら安いものと言う心境にあった。
「・・・なによ。」
最後のコーンを飲み込み終え、ハンカチで口元を拭いてからアスカはシンジの方を向いた。
「あのさ、綾波いなかったよね。どこにいるんだろう?」
「そういえばそんな事もあったっけ。すっかり忘れてたわ。」
「忘れてたって・・・」
シンジは小さくなってしまったコーンを握ったまま、呆然としてアスカの顔を見つめていた。
「だって、今日来たのはそれが目的じゃなかったの?」
「そう言う説もあったようね。いいじゃない。いなけりゃいないで。」
そこまで言って、アスカはシンジに意地の悪い笑みを浮かべて指を突きつけた。
「それとも何?シンジ様としてはファーストのことが気になって仕方ないわけ?」
「そ、そんなんじゃないよ。ただ、今日はそう言う話だったから・・・」
「こーんな美人と遊んでるのに、他の子気にするなんて、アタシも立場ないわね。」
相変わらず、アスカの表情には笑みが張り付いていた。
が実際は、まさしく「張り付いていた」のだった。その仮面の下では怒りのマグマがたぎっている。
別にシンジに特別な感情を抱いているわけではないが、それでも敗北感に包まれる。少なくとも、レイに負けることなどあってはならないはずだった。
言葉には出さなかったが、流石のシンジもアスカの雰囲気の変化を感じ取ったのか視線をはずし、とにかくこの場を誤魔化さないと後が怖いと判断した。
「そんな事ないって。ちょっと気になっただけなんだから。それよりさ、もう休憩はいいよ。次行こう?あ、あそこなんてどう?」
特にシンジも意図してそう言ったわけではない。とにかくこの場にいては拙いという判断から、適当に視線に入った建物を選んだだけなのだ。
シンジの指さしたのは「お化け屋敷」だった。
中は薄暗かった。
無論お化け屋敷にさんさんと日光が当たっていては仕方ないわけで、人工的に作られた闇が、入場者に適度な緊張感を与えている。
空気は多少寒い。
もっとも、それはこの場の雰囲気がそう感じさせていると言う一面もあるわけで、入場者はいつの間にか肌と心の両面から冷やされていくことになる。
普通は。
「これよこれ!」
アスカは側に置いてあったざんばら髪のさらし首を、嬉しそうにパンパンと叩いてから、何事もないかのように平然と奥へと進んでいく。
「やっぱり日本のお化け屋敷はこうでなくっちゃ!」
「前は来なかったの?」
普段アスカが誰と遊んでいるかなどシンジはほとんど知らないが、確か昔知らない先輩と遊園地に行っていたと記憶している。
「前?ああ、あの時はすぐ帰って来ちゃったもの。」
「そうだったね・・・」
今更ながら、シンジとしてはその先輩に同情したくなる。が、これもアスカという人間を知らなかった不幸と諦めて貰うしかない。
そんなシンジを後目に、アスカはぐるりと周囲を見渡した。
「それにしてもこの雰囲気、これぞ日本の夏って感じよね。よく分からない戒名!手入れ一つされずに伸び放題の雑草!腐りかけみたいな色の卒塔婆!どこからか流れてくる謎のお経!オリエンタルって感じかしら?」
「そ、そうかな・・・」
何か違うと思いながら、シンジとしてはどこか引いた気がしてしまった。
別にアスカに怖がって貰って、あわよくば抱きついて貰おうなどと考えたわけではないが、まさかこうも平然とされるとは思っていなかった。むしろシンジ自身の方が雰囲気に飲まれている。
(何だかなぁ・・・)
前回来た時も別の意味でそうだったような気がしたが、その時とはシンジ自身の心境が違いすぎる。が、比べるのが間違いだとシンジも悟って、何度は首を横に振ってその考えを頭から追い出した。
「でもアスカこういうの平気なんだ。」
「全然!何が出てくるかっていう意味での緊張感て言うか、期待感はあるんだけどね。」
瞬間、何かを踏んだような感触がした途端、二人の目の前に何かが落ちてきた。
「ひっ!」
シンジは思わずよろめいて3・4歩後ろに下がってしまう。焦点はあまりの衝撃に合わなくなっており、幼稚園児がちょっと押しただけでも倒れてしまいそうであった。
「古典的ね〜。それにもし人に当たったらどうするのかしら?安全管理に無頓着なんじゃない?」
するすると上に上がっていく落ち武者の上半身を見上げながら、アスカは冷静に感想を述べてみせる。
「あ・・・うん・・・そうだね。安全がなってないよね。」
シンジにも一応男としてプライドのような物はある。
アスカが全く平気なのに、自分は恐怖におののいているわけには行かない。
「無理しない方がいいわよ。怖いときには叫んだ方が神経に負担がかからないんだから。倒れられたりしたらこっちが迷惑だわ。」
理屈ではそうかもしれないが、シンジとしても「ハイそうですか。では遠慮なく」と言うわけにもいかない。
だから話を逸らすことにする。
「アスカって昔からこういうの大丈夫なの?」
「昔っていうかね・・・」
一瞬アスカは言い淀んだ。それは別に言い難い内容だからと言うわけではなく、単にどこから説明すべきか考えたせいなのだが、とにかくアスカは歩みを進めながら簡単に説明することを決めた。
「アンタと違って私はドイツで正式訓練受けたでしょ?そのカリキュラムの中に載ってた写真とか標本ってこんな物じゃなかったわよ。」
「もっと残酷なのが載ってたの?」
「まあ写真だけならなんて事ないんだけどね。流石に化学兵器の授業の時には耐えられなかったわね。ビデオなんだけど、人の体が変色しながら、もがき苦しんだあげくに死んでいくの。その表情は忘れられないわ。」
シンジは何も言えなくなった。
エヴァの正式訓練とはいかなる物かは想像できなかったが、今の一件だけでこちらから遠慮したいところだった。
「それにねサバイバル訓練では自分で獲物をしとめて解体して、食べられるようにしなくちゃいけないしね、血飛沫を浴びながらの解体作業って結構生々しいものよ?だからこの程度じゃ何ともないわね。」
「凄いんだね。」
「もっちろん!今頃になった気がついたの?」
シンジとしては「訓練が」凄いんだねと言ったつもりだったのだが、アスカは「その訓練をくぐり抜けてきた自分が」凄いんだと解釈した。
「あと格闘訓練何かだと、ホントに生の人間相手したりする訳よ。武器持って。当然血は出るわ骨は折れるわで実体験で知るわけ。だから多分ここの制作者想像で作ったんじゃないかしら?あんな物。」
そこで一端つまらなさすに言葉を切って少し離れた方へ指を向ける。
「磔の人形だって全然リアリティないもの。本当の磔ってあんな綺麗には行かないのよ。呪いでもかかってそうな目をしてね、体中から出すものだしちゃうしとてもとても。」
そう言ってアスカはまるで日本の文化研究のような雰囲気さえ漂わせながら、ゆっくりとシンジと同じ歩調で歩いている。
実の所、アスカが合わせたわけでもシンジが合わせたわけでもなく、興味津々で観察しながら歩く速度と、おっかなびっくり歩く速度がたまたま一緒だっただけなのだが。
「それにしてももう少し何か出てこないかしら?」
「何かって・・・?」
「日本のモンスターよ。河童とか一反木綿とかすねこすりとか。」
(すねこすりだったらいいかな・・・)
一瞬そう思ってしまったシンジだったが、ふと気がついた。確かにそう言う妖怪が出てきてもおかしくないのに今まで全く出てこない。
「そう言えばそうだね。人がいないんじゃない?」
「あ〜あ。人間だけじゃなくて妖怪まで疎開しちゃったの?つまんないな〜」
頭の後ろで両手を組み、場違いなほどのんびりした物言いでアスカは愚痴る。
これは二人の知らぬ事だが、実は今までそれがいなかったわけではなかった。が、平然と続くアスカの生々しい話にエキストラの方が恐れてしまい、とてもこの場にいることが出来なくなってしまったという話であった。
「仕方ないよ・・・あれだけ町中で派手に戦ってるんだから。」
「何言ってるんだか。記録見たわよ。町壊してるのほとんどアンタじゃない?」
「な、何だよ。最近はそんな事してないだろ?大体ア・・・」
「しっ!」
急に口に指を当て、あたりを探るように険しい表情になるアスカ。シンジはその雰囲気に飲まれて思わず同じように黙ってしまう。
「出たわね・・・」
アスカは口の端をゆがめて、心の底から楽しそうな表情になる。シンジにはそれが、エヴァを発進させる時の表情とだぶって見えた。
「何がだよ・・・」
「あそこの井戸よ・・・」
シンジはアスカの言葉に従って、少し先の左手にある井戸の方に視線をやった。
その井戸はなかなか巧妙に出来ていて、一見しただけでは紛い物とは思えないような出来で、ここに井戸などあるはずがないという点からようやく偽物と分かるほど、重量感といい、年代を感じさせる点といい立派な物だった。
「いかにも何かいますっていう感じよね?」
「そう言われたそうだね。誰かいるかも。」
「いるのよ。気配で分かるわ。」
ますます悪戯っぽい表情を増すアスカの目。シンジは嫌な予感がしたが、それはあながちはずれてはいなかった。
「いい?アンタはそのまま歩いていって。」
「アスカは?」
「あそこから何かが出た瞬間こっちが驚かせるの。面白いでしょ?」
そう耳打ちするやいなやアスカはそっと道を離れ、セットを迂回しながら井戸の側まで近づいていく。
(本気?)
何故お化け屋敷でお化けを脅かさなければならないのか?どうしてそれに自分が荷担しなければならないのか?疑問は尽きることはなかったが、アスカが「早く行け」とでも言いたげなジェスチャーを繰り返すので、シンジは仕方なくゆっくりと道を進んでいく。
ひゅ〜どろどろどろ〜
すると、お約束の音楽が辺りに流れ、シンジは分かっていたはずなのだが身を固くする。
(さあ、出てらっしゃい。)
アスカも舌なめずりして井戸を注視した。
確かこういう井戸には女のゴーストが出てくるとアスカは記憶していた。おそらくアルバイトの人間だろうが存分に驚いて貰おうという気になる。
シンジもアスカもじっと井戸を見つめた。
おそらくそれは一瞬のことだろうが、集中している二人には数十秒のようにも感じられる。今か今かと二人ー少なくともアスカはーはお化けの登場を待つ。
とんとん
「煩いわね」
アスカは自分の肩を叩く存在を、煩わしそうに払いのける。
とんとん
「何よ、え?!」
(何で後ろに・・・?)
その事に気がついた瞬間、アスカは思わず振り向いてしまった。
「恨めしや・・・・・・」
「う、きゃあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
思わず後ろに飛びすさって尻餅をついてしまうアスカ。指を指して何か言おうとするのだが上手く声が出ない。
「アスカ?!・・・あ!」
そこに立っていたのは、なでやかな肩、純白の肌襦袢を着込んだ透けるような肌、薄闇に浮かぶ紅い宝石、真実この世の物ではないかのような蒼い髪・・・
「レ、レ、レ、レ、レ、レイ!」
「綾波?!」
探した人物がそこにいた。
「恨めしや・・・」
幽霊ポーズのつもりだろうか、レイがそれらしい格好をしてずいっとアスカの方へ踏み出す。
「恨めしや・・・」
「う、恨めしやじゃないわよ!」
アスカは慌てて立ち上がって、レイの側から一歩離れた。
「綾波、こんな所にいたんだ。」
駆け寄ってきたシンジとアスカを交互に一瞥して、レイはそっと手を下ろして黙りこくってしまった。
「何よアンタ!恨みでもあるわけ?!いきなり脅かすなんて!」
「お化け役だから・・・驚かせるのが任務だから。」
腰に手を当てて本気で怒るアスカに対して、レイはいつもの調子で軽く受け流す。
「だからって何で草むらから出てくるのよ!普通こういうのは井戸から出て来るんでしょ?」
「あなたがそこにいたから。背後が草むらだっただけ。」
「シンジを脅かせばいいでしょ!」
その言葉に反応したかのように、レイはゆっくりとシンジの方へと視線を向けた。
「な、何かな?」
シンジをしてはレイが何も言っていないにも関わらず責められているような気になってしまう。
「・・・・・・そうね・・・」
なおもレイはシンジの瞳をまっすぐに見据えていた。
(拙いな・・・)
先ほどまでとは別の意味で、シンジは背筋が寒くなるのを感じていた。確かに自分はレイを探していたが、果たしてこの状況で見つかったのは良かったのだろうかと。
「あ、あのさ。綾波がこんな所でアルバイトしてるなんて知らなかったよ。」
「言ってないもの。」
「あ、確かにそうなんだけど・・・」
(どうしよう・・・)
シンジとしては泣きたくなった。素っ気ないのはいつも通りだが、そこに今は冷たささえ感じるのは気のせいではない。
が、レイはシンジからすっと視線を逸らしてシンジの後方にやると、すたすたと井戸の方へと歩いていく。
「ん?」
「ほら、アンタも隠れなさい。次の客が来たのよ。」
「あ!」
アスカに裾を引っ張られて、シンジは慌てて草むらに飛び込んだ。
いつの間にかレイも井戸の中に入ってしまったようで、その姿は見えなくなっている。
『ねえ、あんまり大したこと無いわね。』
『ああ、どこも人手不足で仕方ないって。もっと派手になんとかしてくれりゃあ面白いんだけどな。』
一組のカップルが近づいてくる。
見た感じ高校生か大学生のようだが、二人ともさほどこの施設に感銘を受けた様子はない。
『近代的な墓地?ますます似合わないわ。』
『ま、墓地だけにぼちぼち何か出てくるだろ。』
『最っ低〜!そこまでつまらない事言うなんて信じられない。』
ひゅ〜どろどろどろ〜
二人ガイドの側まで来た瞬間、定番の音楽が流れた。
カラカラカラ・・・
『『!!』』
井戸の桶が落ちていく音。
瞬間、いきなりスポットライトが井戸を下から照らした。
「恨めしや・・・」
『うわっ!』
『きあゃっ!!』
二人はレイの姿を見て一瞬驚く。が、すぐに平然とした様子に戻ってすたすたと先へ行ってしまった。
『何よ今の。急に出てきて驚かすだけじゃない。』
『ああ、ちょっと驚いたけどそれだけだな。』
レイは既にその二人には全く興味がなくなってしまったのか、なにやら足下を操作して井戸に再び入ろうとしている。
「あんまり巧く行ってないのかな・・・」
「仕方ないわよ。あれだけあからさまに何か出てきますよっていう感じじゃあ。それにあんな台詞棒読みじゃね〜」
アスカは立ち上がって、まっすぐ井戸の方へと歩いていく。シンジも足下に何かを引っかけながらそれについていった。
「ファースト。上手く行ってないみたいね〜」
上機嫌のアスカは井戸の中を覗き込んで、勝ち誇ったような声でレイに話しかけた。
「そう・・・」
「あのさ、気にしない方がいいよ。それに幽霊が似合うなんて誉め言葉にならないからさ。」
レイは上を向いた。
お化け屋敷だけあって、井戸の外側とて明るくはないが、中に比べればまだ明るい。
円形の井戸口から隣りあって自分を覗き込む二人。その光景を見て、レイは言い様のない感情に包まれる。
「何しに来たの?」
「アンタを笑いに来たのよ。」
「嘘だよ!ただちょっと・・・」
シンジは横目でちらりとアスカを見た。他に言いたい言葉あるのだが、この場で言うのはとてもではないがシンジには憚られる。
「それでデート?」
「なっ!」
「「違う(よ)!!」」
(どうしてこんな・・・)
二人を見上げながら、レイ自身言うつもりのない言葉が出てくる。だが、後悔より先にむしろそれ以外の感情がよりわき上がってくる。
「そ、なら向こうに行って。仕事の邪魔。」
「む、むかつく女〜」
「綾波!誤解だからね!」
「当たり前でしょ!何でアンタと私がデートしなきゃならないのよ!」
井戸を覗き込むのを止めた二人の姿がレイの視界から消える。
「あ・・・・」
(何を言ったの・・・私・・・)
視線を下げて、レイは目の前に壁をじっと見つめた。
(あんな事・・・言うつもりなかった・・・)
途端に自分の行動が衝動的に思えてきて、レイはため息をついて背後の壁により掛かる。
「でも・・・」
シンジ達が並んで歩いてくるのに気がついた瞬間、今まで感じたことのない感情に包まれたのは事実。
それでもアスカの言うように、シンジの方を驚かせる気にはなれなかった。
「嘘つき・・・」
レイは再び上を向く。
シンジ達は既に先へ行ってしまったようで、その気配も全くなくなっている。
(今・・・何を考えているの・・・?)
遊園地と言うからには、ここが楽しく遊ぶ場所であるという認識はレイにもある。が、その光景を想像するのが無性に心を乱す。
「恨めしや・・・」
早く次の客が来て欲しかった。
決められた言葉。けれど本気で言いたい言葉。自分でも、次の一言は今までの物とは違うだろうとは予想できる。
「恨めしや・・・」
「ぎゃああ!!!」
「恨めしや・・・」
「きゃああぁ!う〜ん・・・」
「おい!しっかりしろ!」
「恨めしや・・・」
「恨めしや・・・・・・」
『お化け屋敷には気を付けろ。』
噂は第三新東京市中に広まった。
「う〜ん、面白かった!」
アスカは両手を組んで、思い切りその腕ごと身体を伸ばした。
「ホント、久しぶりよね、こういうのも。」
その隣を歩いていたヒカリもにこやかにアスカに賛同する。
「ホンマやな。けど綾波があんなとこにおるとは思わんかったわ。」
「同感。けどばっちり写真も撮れたし、言うことないね。」
トウジもケンスケも、当初の目的を達成できたと言うことも手伝って、晴れ晴れとした雰囲気になっている。
「ま、もうちょっと遊んでたかったけどね。」
「ゴメンね、アスカ。うち門限あるから・・・」
「ん〜いいのいいの。どうせアタシも今日食事当番だから早く帰らなきゃいけないし。こういう日に限ってミサトも早くて。」
時刻は夕方。
夏の国日本ではまだ十分明るい時間ではあったが、この二人の都合もあってここでお開きと言うことになっていた。
周囲にもこれから帰るとおぼしき家族連れが満足そうに駅へと歩いていく。
「なんや、惣流も飯作っとったんか?」
「当然じゃない。共同生活の基本よ。それくらい。」
「シンジも可哀想に。」
ケンスケがシンジの肩を組んでしみじみと呟いた。
「あの惣流の料理、聞けばミサトさんも下手だって言うし苦労するな。」
「あのとは何よあのとは。」
「調理実習の事やろ?」
「く・・・アレはたまたまよ!」
とは言った物の、アスカの歯切れはやはり悪い。万事において天才と思われていたアスカの弱点が料理だったと知れ渡った時、それがどれだけ影響を及ぼすかケンスケは身にしみていた。一つや二つ弱点のあった方が魅力が増すかと思って噂を広めたが、あそこまで売り上げが落ちるとは、その影響を完全に読み違えていた。
「そうでしょ!シンジ!」
「あ?え?僕?はは・・・それなりだと思うよ。」
「くっ、見てらっしゃい!今日は上手く作ってみせるわ!」
一行はゆっくりと駅へと向かう。この辺りまで来ると、遊園地帰りの人間だけではなく、会社帰りや近所に住む人間も加わって人混みと呼ぶにふさわしい様相を呈してくる。
「さて、惣流。シンジは借りて行くぞ。」
「ん?何よ。」
「ちいとばかしゲーセンでも寄って行こう思うてな。惣流といいんちょ時間なんやろ?ワシらもう少し遊んでくわ。」
アスカがシンジを見ると、いかにもゴメンと言いたそうな表情をしている。
「あっそ。それはいいけどさ。シンジ夕飯要るわけ?」
「いや、分からないけど・・・今日はいいや。適当にお茶漬けでも食べるよ。」
「あっそ、ミサトの分だけ作ればいいって事ね。」
「うん・・・もしかしたら遅くなるかも知れないけど、ミサトさんにもそう言っておいて。」
「何か夫婦の会話みたい。」
楽しそうにポツリととんでもない発言をするヒカリ。
「な、何言ってるんだよ!」
「ヒカリ!どうしてこいつなんかと!」
「ふふ・・冗談よ。ほら、アスカも拗ねてないで行きましょ?」
「全くヒカリったら冗談にも程があるわよ・・・」
ぶつぶつと文句を言いながらヒカリの横に並ぶアスカだったが、シンジの方としても同感だった。と、同時にメンバーがこうだったことに感謝もする。
「はな、また明日な。」
「うん。鈴原またね。」
「あれ?あとの二人には?」
「アスカ!じゃあね相田君、碇君。」
「じゃあな。」
「じゃあね。」
困ったような表情のトウジと含み笑いを見せるシンジとケンスケ。その視線から逃げるように、ヒカリはアスカの背中を押して駅の中へと入っていく。
暫くその後ろ姿を眺めていた男性陣だったが、完全にその姿が見えなくなるとトウジとケンスケはシンジの両肩に手を回してきた。
「さて、センセ。」
「邪魔者は消えたと。」
「な、なんだよ。」
シンジはあからさまに動揺してしまう。これでは何か考えてますと言っているのも同然だが、嘘の下手なシンジとしては仕方がない。
「隠さんでええって。ほれ。」
トウジはそう言ってシンジの手に、遊園地の自分の券を手渡す。
「これは・・・?」
「素直に受け取れよ。まだ閉園までは時間があるぞ。」
そう言ってケンスケは鞄からカメラを取り出してシンジに渡す。
「・・・?」
「なんやセンセ水くさい。ワシら友達やないか。」
「そうだぞ。早く行けって。」
ようやくシンジにも分かってきた。この二人が自分がどう行動するのを望んでいるのかを。
「なんだよ。どうしてそうなるんだよ。二人とも何考えてるのさ!」
その言葉に、妙な表現だがあからさまに意味深な表情になる二人。
「センセ、今更隠さんでええって。」
「そうさ。知ってるぜ、あの事?」
「何だよ・・・」
多少はシンジとて進歩している。自分から墓穴を掘らない辺り成長したものだが、今回に関しては全く意味がなかった。
ぼそぼそ
「なっ!!どこで!!」
シンジはこれ以上ない程驚いた。いくら嘘の下手なシンジとは言え、まさかばれているとは思わなかった。
「いや、だから、それは・・・」
これをどう説明すべきか、シンジはしどろもどろになる。
「別に何でもないんだよ。ただ・・・その・・・」
なおも弁解しようとするシンジを、ケンスケとトウジは呆れたように一度見合ってため息をついた。
「ほれっ!」
「行って来い!」
二人はそうかけ声をかけると思い切りシンジの肩を押して突き飛ばす。
「うわっ!とと・・・何するのさ!」
「ほらほら、あっち行った。」
「そうや。ワシら心が狭いよってな。幸せな奴は仲間に入れんのや。」
抗議の声を上げて近寄ってくるシンジを二人は手で追い払った。
が、その表情には微塵も悪意はない。むしろ悪戯っ子仲間と言ったようにも見える。
「・・・・・・・・・・・」
シンジは何も言えなくなった。二人の心遣いはシンジと言えど理解できる。多少余計なお世話という気もしないではなかったが、本音を言えばありがたい。
「ほな、行こか。」
「だな。」
二人はシンジの背を向けて券売機に歩いていく。
「あ・・・あのっ。」
シンジの声に二人は振り向いた。この期に及んで何を言い出そうというのか、そんな表情だった。
「あのさ・・・・・・ありがとう・・・・」
二人は一瞬ポカンとなる。そしてその直後、シンジの言葉を理解すると笑い出した。
「かあ〜っ!余裕かましおって!ほれ、ケンスケ行くで。一人モンはさっさと消えようやないか。」
「まさかシンジにあんな事言われるなんてな。そうだな。帰ろうぜ。」
それだけ言い残して、二人はシンジに再び背を向ける。が、思いだしたかのようにケンスケが振り返った。
「あ、何?」
「何、大したことじゃないさ。」
ケンスケの眼鏡が光った。
「綾波によろしくな。」
「なっ!」
「そりゃそうや。センセ巧くやるんやで!」
「ちょっ、何を言って・・・」
が、シンジの抗議も虚しく、言うだけ言った二人はさっさと人混みの中に消えてしまう。
「何だよ・・・勝手な事言って・・・」
そう呟いたシンジだったが、どことなくその表情は晴れやかだった。
(トウジも勝手だよな・・・もともと今日は誰のためだったと思ってるんだよ・・・・・・誰のためだろう?)
シンジはそう考えて苦笑した。
他人はいざ知らず、自分にとってはたった一人のためなのは自覚していたのだから。
「あ!綾波!」
どうしても我慢できずトイレに行って来たシンジが元の場所に戻ってくると、丁度視線の先に出口に向かう制服姿のレイを発見した。
レイの方でも駆け寄ってくるシンジを発見したようで、その場所に立ち止まってシンジの到着を待つ。
「良かった・・・間に合って・・・」
「帰ったんじゃなかったの?」
レイも驚いてる。
お化け屋敷でシンジ達と別れて以来、トウジやヒカリが来たりしておおよその事情は理解していたが、そのまま帰ってしまったものだとばかり思っていた。
「うん・・・駅までは戻ったんだけど・・・また来たんだ。」
シンジは照れ笑いしながらそう答えたが、表面上レイの方には変化はない。
「どうして?」
「その・・・やっぱり気になったから・・・」
「そ。」
二人の間に沈黙が流れる。
シンジは途絶えてしまった会話のとっかかりを掴みかねていたし、レイの方も暖かさと冷ややかさ両方ない交ぜになった感情を持て余していた。
「・・・あの人はいいの?」
「あの人・・・?」
(誰のことだろう・・・・・・まさかアスカ!?)
シンジは顔色を変えた。
「だから違うんだって!たまたまあの時は二人きりだったけど、ホントはケンスケもいる予定で偶然なんだよ!」
「言い訳はいいわ。関係ないもの。」
そう言い残してレイは再び歩き出す。
「だから信じてよ!」
置いて行かれないようにシンジもその隣に並んで歩き出す。
が、レイはあくまでシンジを無視するように黙りこくって歩いている。最初は自分が誤解を招くような行動をしてしまったと反省していたシンジだったが、一向に改善しない状況にだんだんと怒りがこみ上げてくる。
「綾波!そんなに僕の言うこと信用できないの?!僕のこと信用するって言ったじゃないか。」
怒りにまかせて、シンジはレイの方を掴んで自分の方へと振り向かせる。
レイもこの頃になってようやく感情の整理がついようで、強い調子でシンジの瞳をまっすぐに見つめた。
「仲、良さそうだったわね。」
「偶然だって言ってるじゃないか。・・・もしかして妬いてるの?」
「だったらどうなの?」
平然と言い放つレイだったが、実の所完全に開き直ったわけでもない。知識としては知っていたし、そうかもしれないとは思っていたが、実際他人に指摘されると落ち着かなくなる。
「いや、だからどうだってわけじゃないけど・・・」
内心シンジとしては嬉しい。が、表面上レイはまだ不機嫌なのだ。いかなシンジとはいえそれをこの場で言うほど馬鹿ではない。強く言いすぎたかと思い直し、普段の声に戻って静かに語りかける。
「ただ綾波のことが気になったから戻ってきたって言うのは信じてよ・・・これ・・・」
「これは・・・チケット?」
レイはシンジのおずおずとした表情と、しっかりと差し出されたチケットを交互に見比べた。
「うん・・・一日券だから。綾波が疲れてなかったらだけど・・・遊んで行かないかと思って・・・」
「帰らなくていいの?」
「うん・・・綾波さえ良ければだけど・・・」
レイは一端目を伏せる。それから後ろを振り返り所々ライトアップされ始めたアトラクションを5・6秒見つめ、再びシンジと向き合った。
「もし、私の仕事が閉園までだったらどうするつもりだったの?」
「あ・・・」
レイに指摘されるまで、シンジの思考からはそのような発想が抜け落ちていた。
何も考えずにお化け屋敷に入った物の、既にレイの姿が見えなくなっていたので慌てて出口に舞い戻り、従業員に聞いてまだ出てきていないことを確認すると、そのままこの場所で待っていたのだ。
「分からないけど・・・多分ずっと待ってたんじゃないかな?」
そこでシンジは一端言葉を切る。喉まで言葉が出かかっていたが、そこから先を言うには多少の勇気が必要だった。
「・・・綾波と一緒に帰れたらって思ってたんだ。」
「な、何を言うの・・・突然・・・」
「それで、どうかな?嫌なら・・・いいんだけど・・・」
特に理由はない。
普段のシンジがそこにいる。
だが、それだけでレイの表情は自然と緩んでしまう。甘いと思わないではなかったが、昼間の事は水に流すつもりになってしまった。
「・・・行く・・・」
その言葉に、まるで合わせたようにシンジも笑顔になるのだった。
(こういうのは苦手だよ・・・)
シンジは自分の肩口をしっかりロックしたセーフティバーを抱きかかえながら、引きつりそうになる顔を無理矢理押さえ込んだ。
レイ自身このような場所で余り遊んだことがないし、取り立てて好みがあるわけではなかったので、未だ未経験の物を適当に選んでみることになったのだ。
(それはいいんだけどさ・・・)
横を見れば普段通りのレイがいる。
ますますみっともない格好の出来なくなったシンジ。
シンジの予想では、アルバイトに疲れたレイはこの手の物には乗らないと踏んでいたのだが、完全に読みがはずれた。
「何?」
自分を見つめる視線に気がついたのか、レイが不思議そう中尾でシンジの話しかけた。
「何でもないよ。ただ、一番初めにこういうの選ぶとは思わなかった、あ。」
トゥルルルルルルッ
ガクン!
「うわっ!!」
「!!」
開始を知らせるベルの音が終わると共に、シンジ達の座席がすさまじい勢いで上昇する。
ガクン
(これはいきなり過ぎるよ・・・)
あっという間に頂上に到着し、シンジもほっと一息ついた。
「びっくりしたね。」
「そう?射出の時の方が早いわ。」
「それもそうか。」
ガッ、ガン
(ああ・・・来た来た。)
緊張の一瞬。
昼間は怖くて乗らなかったが、フリーフォールという代物が、一端前に出てから落下するというのは見て分かっていた。
が、その時は思ったより早かった。
「綾な・・・うわぁぁ!!」
「あっ!」
一度前で停止してから落ちるという予想を完全に裏切り、スムーズに座席は自由落下を開始する。
ゴォォォォ・・・ガゴン、ガゴン
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
時間にして僅か3・4秒か。
だが二人にはそれで十分だった。
シュ〜
座席が滑るように降車位置まで移動しセーフティバーが上がると、二人は何も言わず荷物を回収し、ふらふらと出口へと向かう。
「・・・・凄かったね。」
絞り出すようなシンジの声。
コク
レイの方は未だボーっとしているようで、直接には答えずただ一度頷いただけだった。
レイは自分の胸に手をやり、深く2回深呼吸する。
「心臓が落ち着かない・・・」
「僕もだよ。」
レイはようやく顔を上げシンジを見る。
「EVAに乗った時ほどじゃないと思ったのに。」
「確かにそうだよね。」
EVAに乗れば数十メートルの高さから飛び降りるなどしょっちゅうなのだ。いくら衝撃を吸収する構造とは言っても、フリーフォールごときとは桁が違う。
「でも嫌じゃない。この気持ち・・・心地いい・・・」
「そっか・・・気に入った?」
「多分・・・」
(僕はもう遠慮したいな・・・)
高さは大したことはないが、やはり直接大気に当たりながら落ちるのは恐怖感が強すぎる。そもそも余り気乗りがしなかったが、これではっきりと苦手だと認識できた。
「少し休む?」
「いい。それより・・・」
「それより?」
端から見ると何を考えているのか分からない紅い瞳がシンジを見つめている。
(嫌な予感がする。)
理由はないが、シンジは直感的にそう思ってしまった。
「もう一度。」
「あ・・・わかった。」
(そうなんだよ・・・こういう勘だけは当たるんだよ・・・)
シンジは心の中で涙を流し、ふらふらと列の後ろに向かうレイの更に後に付いていった。
「大丈夫?」
「うん・・・何とか。」
震える膝を押さえながら、シンジはようやくジェットコースターから離れることが出来た。
「休む?」
「いや、大丈夫だよ。」
そうは言った物の、その声ははっきり言って弱々しい。
レイはそんなシンジの状態を理解すると辺りをきょろきょろと見回し、近くにあいたベンチがあるのを発見した。
「こっち。」
「え?うん。」
「座ってて。」
シンジをその椅子に座らせ、レイはその目の前に立っている。
「綾波も座ったら?」
「ちょっと待ってて。」
そういい残して、レイは向こうへと走り去る。
(ジュースでも買いに行ってくれたのかな・・・情けない・・・)
一応シンジにも男としてのプライドも見栄もある。本来なら、それは自分の役目でありたかった。ところが実際には全くの逆。
「ふう・・・」
天を仰いでため息をつかずにはいられない。
「ホント・・・綾波があんなの気に入るなんて思わなかったよ・・・」
フリーフォール以降いくつか体験してきたが、どうやらレイの好みは絶叫系らしい。無論叫ぶことなどなかったが、終わった後は必ず興奮のためか頬を赤くしてにこやかな表情になっている。
もっともシンジにしても、それが「シンジの隣で」という条件が付いているのには流石に気づいてはいなかったが。
「お待たせ。」
「え?ああ、ゴメン。」
暫くボーっとしていたらしく、いつの間にかシンジの前にはレイが戻ってきていた。
「はい。」
「買ってきてくれたんだ。ありがとう。」
「構わないわ。どっちがいい?」
レイの手にはアイスキャンディー〜ミルクとチョコレート〜が握られている。
「どっちでもいいよ。」
「どっち?」
「じゃあ・・・ミルク。」
「はい。」
有無を言わさない強い調子のレイからシンジはアイスキャンディーを受け取り、ポケットから財布を取りだして代金を払おうとした。
「要らないわ。」
「でも悪いよ。」
「気にしないで。」
そう言ってシンジの隣に腰を下ろす。
「・・・うん。ありがたく貰うね。」
「ええ。」
居心地の悪さを感じないではなかったが、こうなってしまってはレイは決して代金は受け取らないだろう。そうシンジは判断した。
そのレイは、シンジが見ていることに気がつかないのかアイスキャンディーの袋を開け、先端を口に入れる。
(・・・・・・・・何か・・・なんかね。)
アイスキャンディーを口にするレイの横顔を見て、思わず妄想に走るシンジ。
色も色であるし、素直に囓らずに、遠慮がちに舐める様に食べるレイにも責任がないわけではないのだが、この場合はシンジの妄想が先走っていると言う他ない。
そんなシンジの熱い視線はレイにも届いたようで、レイはキャンディーから口を離して、ボーっと自分を見つめるシンジに向き合った。
(何かしら・・・)
レイも戸惑っている。
人に見られることは慣れていた。ネルフでは長い間、検査という形で見られていたし、町を歩けばレイの容貌に奇異の目を向けるものも多い。
が、今レイの感じる視線はどこか違った。
(見られる事がこんなに意識するなんて・・・)
自分の体温は上がっている。それは自覚していた。
「何?」
「あ、いや、何でもないんだよ。はは、綾波が美味しそうに食べてるからさ、ちょっと気になってただけなんだ。」
誤魔化すように一気に喋って、シンジは自分の分の袋を開け一口囓る。
「そう・・・」
レイは自分のとシンジのを見比べた。
自分はどちらでも良かったのだが、シンジの好みが分からないので2種類買った。
(碇君、本当はこっちが好きなのかしら?)
「食べる?」
「え?」
「こっちがいいなら、上げるわ。」
「・・・・・・そ、そんな事出来る訳ないよ!」
差し出されたチョコキャンディーを前に、シンジは顔を真っ赤にして首を横に振った。
(綾波わざとやってるのかな?)
「碇君、本当はチョコの方がいいから見てたんじゃないの?」
「ち、違うよ!それに・・・」
「?」
(困った・・・)
首を傾げるレイに、シンジはどう説明したものか思案に暮れた。わざとではないようだし誘っているようでもないので余計に苦労する。
「いいんだって。別に大したことじゃないから。はは・・・」
「食べたいなら言って。」
(ホントは食べたいけどそんな事言えるわけないじゃないか!)
軽く溶けたアイスキャンディーの表面に心臓を高鳴らせながら、シンジの脳の奧では理性と誘惑が戦っていた。
(駄目だ駄目だ駄目だ・・・)
この後も延々と間接キスの誘惑は続く。
「あ、っと・・・」
その内心を現すかのように、シンジは慌ててアイスキャンディーを囓り始めるが、最後の方で下の方が割れてズボンの上に落ちる。
(ハンカチハンカチ・・・え?)
体温で溶けかかるアイスを一刻でもふき取ろうとハンカチを出そうとしたシンジだったが、対応はレイの方が早かった。
「えっ?」
ぺろ
指ですくって口に運んだ。
(ホントにわざとじゃないの?)
シンジは泣きたくなった。このやるせない気持ちを、照れたような表情のレイへの邪念をどう解消すればいいのか。
が、なんとかシンジは全ての誘惑を耐え抜いた
後悔を代償に。
「うわぁぁぁぁ!!」
「大丈夫?・・・・・・碇君・・・・・・」
『そこの少年!彼女の前じゃもっと格好良くしような!』
(うるさいな!落ちたら訴えてやる!!)
バイキングにて。
シンジは昼間、アスカに引っ張られてこれに乗せられたのだが、今回不幸だったのはベルトを調節する間もなくスタートしてしまい、身体がほとんど固定されてないという点であろう。
果たして落ちて尚、訴える能力があるかどうかは疑問だが、今のところシンジは現世に片足のつま先くらいは乗っけていた。
一方レイの方はと言えば、目をつぶって俯いたままのシンジの姿にこそはらはらとする。
本来の刺激とは違うが、二人とも十分目的は果たしていた。
「よしっ!」
ぱちぱちぱち
ゲームコーナーにて。
(トウジからコツを習っておいて良かった・・・)
シンジとしては、今度ばかりは本気でトウジに感謝したくなる。
「上手ね。」
「軽いよ。」
照れたようにシンジは頭を掻いた。
やはりシンジも男。女の子の前でいい格好はしたい。
ゴールに5連続でバスケットボールが吸い込まれたときには、思わずレイの表情を確かめたくなってしまった。
結論として、期待したほどには感動して貰えなかったが。
「綾波もやってみる?」
「私?私は・・・いい。」
「教えて上げるよ。ほら。」
更に硬貨を投入してボールを手にし、シンジはそれをレイに手渡す。
「・・・こう?・・・」
「それよりこうやってさ・・・」
(ホントにトウジ、ありがとう!!)
常にない積極性を見せながら、シンジは今度、トウジに焼きそばパンをおごることに決めた。
「あれ?もうこんな時間だ。」
ゲームコーナーから出てみると、シンジの予想以上に夕闇が迫ってきていることに気がついた。
周囲は既に煌々とした照明に照らされている。明日からはまた平日と言うこともあってか客の姿も若者が中心となり、その若者達も昼間の喧噪とはまた違った雰囲気の中にいて、特にカップルなどが腕を組んでゆっくりと歩いているのがそこかしらに見受けられる。
シンジが時計を見ると、既に8時近い。
(3時間くらいか・・・もうそんなに経っちゃったのか・・・)
「帰るの?」
普段通りに言ったつもりだった。けれど胸の奥からは、昔は分からなかった想いが沸き上がってきてやはり今も胸を締め付ける。
「ゴメン・・・あんまり遅くなったらミサトさん怒るだろうし・・・」
「そう・・・」
レイはシンジから視線を外しポツリと呟いた。
(碇君には帰る場所があるから・・・)
シンジは自分とは違う。それは分かっていたことだった。
「綾波は大丈夫?アルバイト終わった後に連れ回しちゃったけど・・・」
「平気。そんなに弱くないから。」
「良かった。・・・あのさ・・・」
「?」
レイが不思議そうな表情をしてシンジを見ると、やはり予想通り照れながらシンジは頬を掻いていた。
「最後に写真撮りたいんだけど・・・出来れば何かで遊んでる所・・・」
シンジは鞄からカメラを取り出しながら辺りを見回した。
「写真?」
「うん。・・・綾波の写真・・・欲しかったから・・・」
手にしているのは無論ケンスケに渡されたカメラではない。売店で買った安い使い捨てカメラ。ケンスケの好意はありがたいし、その性能は遙かに及ばないだろうが、どうしてもそちらを使いたかった。
自分だけの写真を。
「・・・駄目かな?」
(調子に乗っちゃったかな・・・綾波も疲れてるだろうし・・・)
シンジはもう一度レイの目をおそるおそる見つめる。
(写真・・・私が今ここにいた証・・・ここに、私と・・・碇君がいた・・・)
こくり
が、シンジの心配とは裏腹に、レイは黙って頷いた。
「良かった・・・断られたらどうしようかと思ったよ。じゃあさ、そうだな・・・」
ぱっと晴れやかな顔つきになって、シンジは再び辺りを見回した。
ただ写すだけというのも芸がない。シンジなりに背景というのにも好みはある。
(それに綾波にも好みがあるだろうし・・・)
「どこがいいかな?」
「そうね・・・あそこは?」
シンジがレイの指さした方を見ると、そこには派手やかに周囲に存在感を示すメーリーゴーランドが回っていた。
「メリーゴーランド?いいよ?」
(それにしても綾波がメリーゴーランド・・・やっぱり女の子だよね。)
レイは絶叫系では関心を示した物の、それ以外では今一つ手応えの感じられなかったシンジだったので、そのような面を見せられるとどこかほっとする。
「何が可笑しいの?」
「え?笑ってた?」
「ええ。何?」
(やっぱり笑ってたか。)
意識はしていなかったが、やはりという気はする。
「別に何でもないよ。可愛いって思っただけ。」
「な、何を言うの・・・」
「え?あ・・・いやその・・・」
お互いに視線を逸らしてあさっての方を向く。
(可愛い・・・よく分からない・・・でも胸の奥が暖かくて・・・・・・そう、嬉しいのね、私・・・)
(・・・ちょっと調子に乗っちゃったな・・・軽い人間だって思われたらどうしよう・・・)
あくまで偶然だが、再び二人は同じタイミングで向き合い、それでまた頬を赤く染める。
第三者がこの場にいれば、おそらく目と耳が腐り落ちるだろう程甘い空間。けれど当人達にはそれがこの上なく心地よく感じられる。
「行きましょう。」
まるでその空気を誤魔化すかのように〜実際そうなのだが〜レイはメリーゴーランドの方へと歩き出す。
(今だ!)
「綾波!ちょっと待って!」
シンジの呼びかけにレイが振り向いた瞬間、その視界が白色に染まった。
(何?!)
2・3回瞬きするとようやくレイの視界が元に戻ってくる。
そこには・・・
「びっくりした?」
カメラを構えたシンジがいた。
呆然としたまま何も言えないレイ。
「綾波の驚いた顔、初めて見たね。しっかり撮らせて貰ったよ。」
楽しそうにフィルムを巻くシンジを、初めレイはただ呆然と見ていたが、その内滅多に涌かない怒りがこみ上げてきた。
「カメラを貸して。」
「え?どうして?」
「没収。」
「え?え?!どうしてさ!」
「今のはなし。」
シンジの元に立ち返って、その手のカメラに手を伸ばす。
「っと、駄目だよ。」
シンジは逆にカメラを死守しようとする。
「だから何で駄目なのさ。」
「いいから渡して。」
体捌き、フェイント、先読み。まるで訓練のような熾烈さで二人はカメラを奪い合う。シンジにとっては訓練以上に必死だった。
ただ、全く違うのは、二人とも心が軽かったと言うことか。
「捕まえた。」
「しまった!」
レイの手がとうとうシンジの手を掴んだ。
「さ。」
「・・・負けたよ。」
シンジは可笑しくなった。自分を真剣な表情で見つめるレイも可笑しいが、それに真面目に付き合った自分も同類だろう。
『何やってるんでしょうね?』
周囲の誰かの声は、おそらく聞こえないように言ったつもりだろうが、しっかりと二人には聞こえてしまった。
「だって?」
「・・・ええ。」
二人の顔に笑みが浮かぶ。
「ちょっと恥ずかしかったね。」
「碇君のせい・・・あ・・・」
「ん?あ・・・」
そう微笑んだ二人だったが、ふと気がついて、別の意味で恥ずかしくなってしまった。
先ほどから、レイの手はカメラを握ったシンジの手をしっかり掴んでいる。それを認識して尚、どちらも自分からは外そうとしない。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
(落ち着け、落ち着けシンジ。手を握られてるんじゃない、掴まれてるんだ・・・でも・・・)
(手が動かない・・・もう離してもいいのに・・・望んでいるのは私・・・?)
顔はお互い向けたまま、視線だけを外す二人。
「・・・綾波・・・離してくれるかな・・・」
「!・・・・・・ええ・・・」
(そうね・・・それが当然・・・)
レイの表情が僅かに歪む。自分で離さないのが悪いと分かっていても、シンジの方から言われると平静ではいられない。
レイは名残惜しそうにそっとシンジの手を離す。
が、そんな思いも一瞬のことだった。
(シンジ・・・今しかないんだ・・・逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ・・・)
きっちり3回空いた手を開閉させて、思い切ったようにシンジはその手でレイの手を握る。
「あ・・・碇君?・・・」
「嫌?」
緊張のためかシンジの手の平は汗でしっとりとなっていた。本音を言えばその力は強すぎる。
(でも・・・暖かい・・・)
「いいえ・・・」
レイもしっかりとシンジの手を握り返した。
(良かった・・・それにしても、女の子の手って柔らかいんだな・・・)
「行こう?」
「そうね。」
レイが自分の行為を受け入れてくれたことに小さく安堵の息を吐いてから、シンジはレイと並んでメリーゴーランドへ歩いていく。
だが、今の二人にはメリーゴーランドは関係なかった。周囲の全ても、実の所自分さえも。
ただ相手の手の温もりと自分自身の高鳴る鼓動だけ。
それだけが全てだった。
光が舞っていた。
既に周囲は夕闇に包まれ初め、気温こそ未だ下がらない物のすっかり夜の様相を呈している。
けれどシンジ達は、いや、シンジの達の視界は光に包まれていた。
目の前では派手な電飾のメリーゴーランドが回っている。流石に大人の男性は殆どいなかったが、乗っている人々は一様に楽しそうな顔をして、おそらくその外側に待っている人間がいるのだろう、時々そちらを向いて手を振っていたりする。
そしてもう一つ。
順番待ちの列に並ぶ二人が繋いだ手は、最初の緊張感こそほとんど消えた物の、ただでさえ口数の少ない二人をより寡黙にしている。
時折会話らしき言葉が口をついて出るが、それも二言三言で途絶えてしまっていた。
(変だな・・・)
シンジは不思議な感覚の中にいた。
(普段だったら、こんな雰囲気には耐えられないだろうな・・・)
無理をして喋らなくても安心していられる。例え少なくとも、思ったことを自然に話せばそれでいい。
それは初めての感覚。
「綾波?」
「何?」
「まだかな?」
「碇君、3回目。」
「そうだね。」
ゴメンとは言わない。
暖かな手の温もりと、自分を見るレイの表情。「微笑み」と言うほどではないが、その目には優しげな光が宿っている。少なくともシンジにはそう感じられた。
(碇君・・・)
レイの方も、初めての感覚、心地よい戸惑いの中にいた。
(もっと話したいのに・・・言葉が出ない・・・)
今の自分が普段とは違う。それは十分理解していた。
いつものように関心がないから無口になるのではない。もっと知りたくて、けれどそんな心が整理できなくて、結局無口になる。それはレイにとって未知の出来事。
「ん?」
「・・・何でもない。」
シンジの手を握る力を少し強くすると、その度にシンジが照れたように反応する。
「これで3回目だよ?」
「そう・・・同じね・・・」
取り立てて何があったわけではない。けれど自分の行動がシンジの気を引いていると言う事実。それだけで心がふわりと温かくなるのだった。
「あ、もうすぐみたい。」
シンジがレイにそう話しかけたときだった。
ゆっくりとメリーゴーランドの動きが減速していき、やがて回転そのものも、上下していた馬も、音楽さえもが停止した。
プシュー
ぞろぞろとそれに乗っていた他の客達が出口に向かう。二人とも、今まで夢に中にいるような雰囲気だっただけに、余りにも現実的なその光景が却って異様に感じられる。
(次だな・・・)
「やっとだね。」
「ええ。」
数えるまでもない。シンジ達の前には7人が並んでいるだけなのだ。加えて言えば、その後ろには4人しかいない。どう考えても乗れるだろう。
『はい、どうぞ。』
係員が出口を閉め、今度は入り口の扉を開けた。
「行こ。」
こく
二人は流れに乗って、チケットを見せてから中へと入る。
「どれか好きなの・・・ある?」
「特にないわ。」
(適当でいいのかな?)
目の前に並ぶ馬の列を見て、シンジは一瞬迷った。
レイにも特に指定はないらしい。自分も「絶対にコレ」という柄があるわけでもない。
(アスカだったら絶対赤って言うだろうけどな。・・・あ、あれがいいや。)
「じゃあさ、こっち来て。」
先ほど回っているときに見た馬を思い出し、シンジはレイの手を取って先導し、丁度入り口の辺りからぐるりと裏へ回った。
「どれ?」
「これがいいかなと思って。」
「そ。」
目の前には白と青のまだらにペイントされた馬があった。
「何となく綾波のイメージみたいだったから。いいよね?」
「構わないわ。」
「じゃ、乗って」
シンジは何気なく、と言うよりそれが一般的なのだが、自分は隣の馬に乗ろうとレイから手を離した。
(あ・・・)
電飾にライトアップされ気温もまだ十分に高いはずなのだが、シンジの手が放れた瞬間、レイの心はまるで闇の中に放り出されたように薄ら寒い物を感じてしまう。
或いはシンジの乗った馬が、赤茶色だったというのも影響しただろうか。
「よっと・・・どうしたの?」
(何か・・・気分が良くない。)
くいくい
「・・・碇君・・・こっち。」
「え?綾波がこっちに乗りたいの?」
(どうしたのかな?)
自分の袖口を引っ張って馬から下ろそうとするレイを、シンジは怪訝そうな顔つきで見下ろした。
(さっきはあっちのでいいって言ったのに。女の子って分からないな・・・)
「碇君『も』こっち。」
「え?僕・・・も?!」
(二人で乗るって?!)
確かに先ほどまでもそうやっていたカップルがいた。そして現在も二つ後ろがそうだ。どうやらここでは定員1名ではないようだが、だからといってまさか自分がやるとは思っても見なかった。
「とにかく降りて。」
(でも・・・チャンスかな。)
「う、うん。」
シンジとて思春期真っ盛りの少年、恥ずかしくもあるが興味もある。むしろ期待と言ってもいいかも知れない。
シンジはいったん馬から下りた。
「でも写真撮りにくいな。」
「大丈夫。」
(落ち着いて・・・)
シンジに自分の心音を聞かれないかと心配しながら、レイは軽やかに馬に飛び乗って、横向きに座ってから半歩身体を前にずらした。
「さ。」
「え?まさか僕が・・・」
(綾波が前?!)
確かに後ろのカップルのように、シンジが前ではレイの写真は撮りにくい。
(綾波って意外と大胆なのかな?)
馬自体からしてそう大きくはない。
落ちないようにするにはレイと密着せねばならないだろう。そして、その事をレイが失念しているとは思わない。
シンジは周囲を見た。
女性や子供が一人で乗っている馬もあり、その家族か恋人か、柵の周りには何人かのギャラリーが存在している。
それに加えて夕闇に浮かぶ電飾は、この一帯ではメリーゴーランドが一番明るく、出入り口への途中にあるため道を歩く大勢の人間がここを見ていく。
(やっぱり恥ずかしいよ・・・)
「・・・嫌なの・・・?」
「そうじゃないんだよ。ただ・・・」
トゥルルルルルル
レイの訴えかけるような紅い瞳。ずるいと思わないではなかったが、とにかく心がぐらついているところへ運行スタートの音。
「うん。乗るね。」
慌ててシンジもその馬に飛び乗った。
「ご、ごめんね。」
「・・・いいのよ・・・」
やはり握り棒を掴むとなると、レイを胸に抱きかかえる格好になる。胸にレイの肩が当たり、その体温を感じた瞬間シンジの心拍数は一気に上昇する。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
二人とも、その今までにない互いの瞳の近さに胸が詰まる。
ゴン
「ゴメン、こうしないと落ちるから・・・」
「・・・・・・」
ゆっくりと動き出すメリーゴーランド。軽快なBGMが流れ初め、回転に加えて馬が上下に揺れ始める。
「おっと。」
予想通りシンジはバランスを崩す。
だが、レイはシンジの手を引っ張って、そのまま前の方に引き寄せる。
「あ、ありがと・・・」
「注意して。」
「うん。」
(綾波らしいな。)
普通は「気をつけて」かも知れない。けれど、まるで作戦行動中のようなレイの言葉は、ある意味普段の様子に近くてむしろ安心する。
それきり正面を向いてしまったレイを見て、シンジは自然と落ち着いてしまった。
(それにしても、この馬綾波イメージしたんだけどなぁ)
自分の腰掛ける馬に向かっての感想を胸に抱く。余裕の出てきたシンジの心は、軽口すら発想できるようになっていた。
(・・・綾波に乗るのは2回目か、ってこんな事言ったら叩き落とされるかな?)
自分に抱きかかえられるような状態で、しっかりとシンジの手を離さないレイの姿を見て、そんな不埒な冗談も浮かんでくるのだった。
回転は3周目に入った。
(また同じ・・・)
正確には同じではない。
音楽も人の流れも順番待ちの人数も変わった。が、レイの思ったのは無論そんな事ではない。
(止まらない輪・・・閉じた世界・・・繰り返しの輪廻・・・まるで私・・・)
乗り手の意志とは無関係に続く世界。
レイがこれに乗ろうと言いただしたのは、単に写真を撮るなら明るいところがいいだろうと言う判断に過ぎない。
よもやこんな気分を味わうとは思わなかった。
「どうしたの?酔った?」
自分の手が更に強く握られるのに気が付き、シンジはファインダーから目を外してレイに尋ねる。
「違うわ。」
レイはシンジに向かって作り笑いを浮かべる。自分にそんな事が出来るようになったのが果たして成長なのかどうか、レイは今でも時々悩む。
(違うわ・・・私だけじゃないから・・・これからは碇君もいてくれるから・・・)
今はもう違う。
自分はその輪を、自分の意志で断ち切ったのだから。
レイは身体を傾けて、シンジにその体重を預けた。
「ただ・・・思い出してたの・・・」
「な、何を?」
シンジは再びファインダーを覗き、また一枚レイの写真をフィルムに収める。
「2週間前・・・二人でここに来た時の事。」
「そう。」
「まるで昨日みたい。」
「ぼ、僕もだよ。」
実の所シンジの方は会話どころではない。ただでさえ密着同然だったのがはっきりと身体を預けられてしまった。その胸にかかる軽さと、肩口にかかる重さで気絶寸前まで緊張している。
「あの時もこうだったわね。」
「あの時?あ、ああ。そうだね・・・・・・」
2週間前ー
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(どうしよう・・・困ったな・・・)
シンジは目の前の席で、じっとシンジの方を見つめるレイの視線にただ焦るだけだった。
熱っぽく見つめられている様子ではない。視線を逸らされないだけマシだろうが、シンジにとっては黙って見つめられるほど苦痛な物はない。
「あのさ、今日はゴメンね。一日中付き合って貰って。」
「いいのよ。」
「ここも何か無理に引っ張って来ちゃったみたいだし。」
「構わないわ。ここも悪くないから。」
ここは観覧車。
シンジはリツコも裏で絡んでいるのではないかと疑ってはいるが、直接的にはミサトに半強制的にここで一日二人きりで遊ばされていた。
「そう・・・良かった。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
(他に言うことはないの?)
シンジが口べたな自分をここまで呪ったことはない。原因はともあれ、これほどの機会に冗談一つ言えない自分が恨めしい。
ちなみに、それでレイが喜ぶかは頭から消え去っている。
「あのさ、やっぱり迷惑じゃなかった?」
「どうして?違うと言ってるのに。」
「だって・・・あんまり面白そうじゃなかったから・・・」
「そう?」
(違うのに・・・)
レイは首を傾げた。
確かに自分は感情表現が豊かではない。それでも今日は違ったつもりだったと思っている。
「いや、そう見えただけかも知れないんだけど。でも僕は楽しかったよ。今まで綾波のことよく分からなかったから・・・ちょっとだけ分かったような気がする。綾波の私服も見れたし・・・あ、ゴメン。図々しかったよね。」
3度沈黙が流れる。
が、今度口を開いたのはレイの方からだった。
「・・・・私も。」
「え?ホント?!」
「碇君を・・・少しだけ分かったような気がする。」
(何だ。)
『楽しかった』と言う台詞を一瞬期待したのだが、物の見事に肩すかしを食らったような気になる。
「コーヒーカップで必死になって速度上げて・・・」
「だって好きなんだ、ああいうの。」
「ミラーハウスで・・・頭をぶつけていたわ。」
「綾波ずるいよ。怪しそうな所全部僕に先に行かせたでしょ?」
「お化け屋敷で転びもしたわね。」
(お化けにびっくりしたなんて言えないな)
「潜水艇で、隣の子供に笑われてたの知ってる?」
「・・・・・・」
「お昼ご飯も、なんだかんだ言いながら私の分まで食べてたし、」
「・・・・・・」
「ジェットコースターをわざと避けてたのも知っているわ・・・」
「・・・・・・」
「?何?」
レイは話すのを止めて、どことなく幸せそうな顔で自分を見つめる少年に疑問を持った。
少なくとも、自分が話したことは名誉なことではないはずだ。悪意を持って言ったつもりはないが、喜ばれるような内容でもない。
「やっと笑ってくれた。」
「え?」
レイはハッとして、自分の頬に手をやった。確かに鏡で見たわけではないが、自分の顔がゆるんでいるのは理解できる。
「笑ってるの?・・・私。」
「うん。良かった・・・最後に綾波に笑って貰えて。」
レイは窓に映る自分の表情を見てみる。
外はまだ十分に明るいせいで、それほどはっきりとは写らないが、確かに若干目が細くなっている。
(私・・・変。)
手を当てた頬が熱い。平静を装おうとしても、再びシンジの方を向くことがどうしても出来ない。
(私、どうしたの?)
それどころか、窓にシンジの姿が映っていると気づいた瞬間、それすらも直視できなくなる。
(・・・・・・・・・・・)
ちらりと視線だけシンジの方へと向ける。
「ん?」
「何でもないわ・・・」
思わず目を逸らせてしまった。
(変な事言っちゃったのかな・・・)
自分に目を合わせないレイを見て、シンジはそう感じてしまう。
(僕は楽しかったけど・・・綾波はやっぱり僕といてもつまらなかったよね。自分だけ楽しんじゃって・・・仕方ないか、こんな人間じゃ・・・)
それなりの努力はしたつもりだったが、やはりという思いが心を占める。
シンジも視線を窓の外に移した。
(あ・・・この気持ちは・・・嫌・・・)
シンジが自分から視線を逸らしたと気がついた瞬間、レイは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。罪悪感ではない、寂寥感とも少し違う。
「碇君・・・」
「何?・・・どうしたの?」
レイの方から声をかけられたことに、シンジは意外という感想を抱きながら、再びレイの方へと顔を向けた。
(なんだろう、綾波・・・今日は普段と違うな・・・冷たい感じが少ないや。気のせいかな?)
「一つ聞いていい?」
「何を?」
「碇君、さっき楽しかったって言ったわね?」
「うん。ごめん、僕一人楽しんじゃったかな・・・」
「どうして?」
「どうしてって・・・」
(何が言いたいんだろう?)
シンジは混乱し始めた。そもそも「何が」どうしてなのかが分からない。
「どういう事?」
「どうして楽しかったの?ああいう遊具が好きだから?」
楽しいという感覚。それがレイにはよく分からない。
(それとも・・・あの感覚が『楽しい』という事?)
高鳴る心臓を無理矢理押さえつけながら、レイはじっとシンジの目を見て返答を待った。
「それは・・・」
シンジは返答に詰まった。言う「べき」言葉は分かっているが、果たしてそれが正解なのか。その奧にあった理由を問われたような気がする。
(本当はどうだったからなんだろう・・・)
「それは・・・」
「どうして?」
(僕を無視しなかったから?)
愛想は良くないが、少なくとも返事だけは返してくれていた。
(プライド?)
シンジとてこのような場所に詳しいわけでもなかったが、それでもレイをリードできた。
(自己満足?)
初めてのデートらしきもの。それ自体が面白かったのか。
(違う!)
シンジは頭を振って、その考えを否定した。
目をつむって下を向き、扉を蹴破ってここから逃げ出したくなる自分を必死に鼓舞して喉まででかかった言葉をようやく音に出す。
「多分、綾波といたからだと思う。」
シンジは言い切った。無論言うには抵抗があったが、言わなければ自分の疑念に押しつぶされそうだった。
「綾波のことが気になってて、でも普段は話すきっかけもなくて、だから本当は遊園地でなくても良かったんだ。ただ、綾波のことがもっと知りたくて・・・」
「パーソナルデータが欲しいの?」
「そうじゃないよ!そうじゃなくて・・・」
自分の顔の温度が上がっていくのを、シンジは十分自覚していた。
風邪で寝込んだときにもこんな気分にはならなかった。ちらりと今の自分の姿を想像してしまったが、そんな見栄もすぐに消し飛んでしまう。
「綾波の側にいたいんだ。クラスメートとしてだけじゃなくて、パイロットとしてじゃなくて・・・だから今日は楽しくて・・・そう気がついたんだ。」
シンジは膝においた手を2回開閉し、一度つばを飲み込み震える唇から最後の言葉を出した。
「だから・・・その・・・僕と付き合って欲しい・・・」
(言っちゃった・・・)
果たして言ったことが正しかったのかは分からない。けれど、とにかく言うべき事は言ったという爽快感は涌いてきた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
(碇君・・・)
レイの動揺は最高潮に達していた。
理性を総動員して平静を保ち、シンジの台詞の意図を理解しようとする。
(私は・・・)
今日一日のシンジの行動が鮮明に蘇ってくる。
一つ一つはどうでもいいことばかり。けれどその記憶が堪らなく暖かく感じられる。その前には、ネルフもエヴァの関係ない。ゲンドウとの絆も薄れていく。
目の前のシンジは耳まで真っ赤に染め、先ほどからずっと俯いている。
(私と居たい・・・けれど・・・)
が、果たしてシンジは真実を知って尚そう思ってくれるだろうか?
相手を傷つけるなら、自分だけ傷つけばいいとも思う。
けれど、捨てるにはあまりに甘美な言葉。そして絆。
(それなら・・・せめてその刻まで・・・)
「私には・・・分からない・・・」
「あ、いや、急がなくていいんだよ。落ち着いてから返事貰えたら。」
「でも・・・」
ようやく顔を上げ、失望と気遣いの入り交じった複雑な表情のシンジをレイはじっと見つめた。
シンジの顔、パーツ一のつ一つ。それを確かめるたびにレイの胸が締め付けられる。
(胸が・・・苦しい・・・)
先ほどまではこうではなかった。けれど、知らない感覚でもなかった。
(こんなに近いのに・・・)
二人の膝は50センチも離れていない。けれどレイにはその距離が10倍にも感じられる。
(どうして・・・)
見ていて貰うのは心地良い。けれど自分からも見ていたい。初めてレイはそう思った。
「碇君。」
「何?」
「私は・・・側にいても良いの?」
「もちろんだよ!・・・えっ!」
シンジは驚愕した。
断言するシンジに満足したかのようにうっすらと照れ笑いを浮かべ、レイが席を立ってシンジの隣に座り直したのだ。
「あ・・・・・・・」
自分の隣に座って、正面を向いている物の頬を赤らめているレイ。思わずシンジはその姿に見とれてしまう。
「碇君。」
「ん?」
「さっきの話。」
いくらシンジと言っても、レイが何について言っているのか今回はすぐに察しがついた。
ごくっ
「うん。」
ボックスないに響き渡るのではないかと思えるくらいに大きく唾を飲み込み、シンジは緊張の面もちでレイの言葉を待つ。
「信じてるから。」
「え、って事は・・・」
「いいわ。」
シンジの表情が見る間に明るくなる。今にも踊り出しそうな雰囲気のシンジを見るのは、レイのとっても悪い気分ではない。
「良かった・・・」
心の底から安堵のため息を吐くシンジ。おかしな姿を見せないようにとは思うのだが、どうやっても笑顔となってしまって締まらないことこの上ない。
「そんなに嬉しい?」
「もちろん!こんなに嬉しかったことないよ・・・」
見れば目尻に涙すら浮かんでいる。
トゥルルルルル・・・
ガン
「え?」
シンジもレイも、驚いて辺りを見回す。
信号音がしたかと思うと、突如観覧車が回転を止めたのだ。
『お客様へお知らせします。ただいま急病の方が出られましたので、少々停止いたします。』
それだけ告げるとインターフォンが切れた。
「病人だって。」
「そうね。」
「どうやって出るんだろう?」
シンジは窓の外を見た。
二人のボックスは最高位地にかなり近く、仮にどちらかが病気になったとしたら下まで行くのに暫くかかるだろう。
「問題ないわ。多分一番下、出入り口にまで降りている箱ね。」
「やっぱりそうなるのかな。」
二人が窓から下を覗いていると、やがてサイレンを鳴らして救急車がやってきた。
と、その直後、ボックスの中に係員らしき人が入っていく。
「あ、出てきた。ん?」
(何か変だな・・・)
シンジは疑問に思う。
距離があってよく分からないが、どうやら中にいたのは男女二人組らしい。それは良いのだが、何か妙に二人の距離が近くに感じる。
(まるでくっついてるみたいに見えるな、)
「あの二人、どっちが病気なんだろう?」
「どちらでもないわ。」
「え?どうして?病気だってアナウンスが。」
白布にくるまれる二人は、係員の担架に運ばれて救急車に運ばれていく。
「だって、病気でもないのに救急車だなんて・・・」
「箱、揺れていたもの。」
「は?」
「何でもないわ。」
(何だろう?)
相変わらず頬を染めるレイの横顔を見ながら、何かこれ以上聞いてはならないような雰囲気だったので、シンジはこの話を打ち切ることにする。
『お待たせいたしました。運転を再開いたします。』
トゥルルルルルルルル・・・・
ガン
(いったい何だったのかな・・・帰ったらアスカに聞いてみよう・・・)
動き始めた観覧車の中で、今日最大の失敗はこれだったということに、シンジはまだ気づいていなかった。
(照れるな・・・)
僅か二週間前、確かに自分が言ったこととはいえ、その相手に蒸し返されるのはどうにも照れる。
「あの時の碇君の顔・・・まだ思い出せるわ。」
「もう止めてよ。何か恥ずかしいよ。」
「どうして?嬉しかったのに・・・」
「そりゃあ僕だって嬉しかったけど・・・」
シンジの肩に頭を預け、握った手の指を絡めると、その心地良さに意識に靄がかかりそうになる。
心臓は未だに高鳴っている物の、その一方で、味わったことのない平穏と安心感も感じる。
「あの時も・・・こうやって頭を乗せたわね・・・」
「僕は凄く驚いたよ。」
(綾波っていろいろ驚かせてくれるから面白いな・・・)
その時を思い出すと、幾分この状態に慣れてきたシンジはふとそんな事を考えてしまう。
「あの時さ、綾波どうして僕の肩に頭預けようと思ったの?」
「ただの思いつき。」
「なんだ。」
(馬鹿みたいだったのかな。)
観覧車という密室空間で、シンジの隣に座るレイが更に自分に近づいて、その空色の頭を預けてきたときシンジは心臓が止まる思いがした。
思ったより思い頭。それだけ完全に寄り添っていると言うことくらいは理解できたし、加えて時折触れる肘の感覚が更にシンジを固くした。
「失望したの?」
「ちょっと。」
「そう・・・ごめんなさい。」
レイは僅かに身体をシンジから引いた。
(やっぱり・・・・・・夢の覚める時が来たの?)
あからさまに落胆の色を見せるレイの声。シンジとしては、そこまで気落ちされると逆に困惑してしまう。
「いや、違うんだよ。責めてるんじゃないんだ。」
「・・・そうなの?」
「僕が勝手にさ、『碇君に触れたかったから』とか都合のいい答えを期待してたから・・・ゴメン、綾波は悪くないよ。」
「・・・良かった・・・」
レイはほっとして、再び体重をシンジに預ける。
(まだ、夢を見ていていいのね・・・)
先ほどから、波うった光がレイの視界を幻想へと誘う。今までの人生とはまるで違う光景。未だにレイには信じられない。
(いつか来るその時まで・・・このままで居たい・・・)
レイは目を閉じた。
各所に触れるシンジの感触が心地いい。正直BGMもレイには必要ない。欲しいのはその温もりと言葉だけ。
「碇君?」
「何?」
「一緒に乗ろうと誘った理由・・・分かる?」
シンジは首を捻った。乗りたかったからと言うのが一番考えられるが、それでは答えになっていない。
「えっと・・・思いつき?」
「はずれ。」
レイは両手でシンジの手を挟み、優しくゆっくりと甲を何度も撫でる。
「正解は?」
「碇君に触れたかったから。」
「え?あ!」
ようやくシンジも気がついた。
レイが先ほどの自分の言葉に応えているのを。
嬉しさ半分恥ずかしさ半分。シンジは顔を赤くしながら頬を掻いた。
「あ、あのさ。写真撮っていい?もうちょっとで終わりだろうし。」
「いや。」
「でもまだ殆ど撮ってないし・・・」
「このまま。」
(後少しなら・・・少しでも近くにいたいのに。)
レイは無粋な提案をしてくるシンジに多少不満を覚える。
「最後まで・・・このままで居させて・・・」
(参ったな。)
シンジとしては、言われなくともそうしていたい。
けれど終わりが近づいているのは確かだし、終わった後の事を考えれば写真は多い方がいい。むしろこういう状態は偶然で、そもそもはそれこそが目的だったのだ。
(どうしよう・・・そうだ!・・・でもちょっと照れるな・・・)
「じゃあさ、これでいいよね?」
シンジはカメラのレンズを自分たちの方へと向け、適当に腕を伸ばしてレイがきちんと写るだろう様に調整する。
「上手く撮れるか分からないけど、何枚か撮れば一枚くらい撮れるだろうし・・・」
レイは顔を上げてシンジの顔を見た。
照れながらも嬉しそうな顔。春の陽気というものはレイには分からなかったが、ふわりと心が温かくなる。そんな思いがする。
「一緒なら。」
「そうだね。・・・これくらいかな、じゃあ笑ってー」
(笑う・・・どんな顔をすればいいの?)
今のレイにはまだ難しい注文。レイは姿勢を正し、口や目つきをいろいろと変えてみて、いわゆる笑顔を作り出そうとする。
パシャ
フラッシュが焚かれた。
「あ・・・」
「眩しかった?」
表情を作り終える前にシンジがシャッターを切ったのだ。
(駄目。)
どのような顔が写っているかは知らないが、その写真は、少なくともシンジに見せてはいけないような気がする。
「やり直して。」
「もう一枚?そうだね。一応沢山撮っておかないと失敗してるかも知れないしね。」
フィルムを巻き終わったシンジが、再びカメラを自分達に向ける。
「行くよ〜」
(きっと・・・こうかしら?・・・違う気がする・・・)
パシャ
「あ・・・もう一枚。」
「分かってるけど・・・どうしたの?」
「なんでもないわ。」
(もしかして、笑い慣れてないのかな・・・)
シンジも写真に向かっていい笑顔を見せられるタイプではない。そのシンジをして笑い慣れていないと思わせるレイの表情。
(でも、あれも面白かったよね。)
百面相のようにころころ変わるレイの顔つき。明らかに可笑しい物もあったわけで、思い出すたびに笑いがこみ上げてくる。
「何?」
「ん?綾波といると楽しいなって。」
流石に「レイの顔が可笑しかった」とは言いにくい。シンジにしてみれば誤魔化すための言葉だった。
「・・・そうね・・・私も・・・」
けれどその一言はレイには十分有効だった。
ふっと肩の力が抜け、再び完全にシンジに体重を預けた。
「無理しなくていいよ。普段の綾波でいいんだから。」
「そうするわ・・・」
「写すよ。」
パシャ
トゥルルルルルルルル
「これでいいかな?」
「駄目なら・・・また撮ればいいわ。」
(今なら明日を信じられるから・・・信じたいのね、私。)
「そうだね・・・」
ゆっくりと馬の動きと回転が収まっていく。
名残惜しそうに、レイは再びシンジの手を強く握りしめる。
(そう・・・きっと次があるから・・・)
やがて、完全に動きが停止した。
「行きましょう。」
レイはシンジの手を離し、ひらりと馬から飛び降りる。
「・・・っと」
シンジもそれに続き、鞄にカメラをしまい込む。そして二人は並んで出口に向かう。
「ありがとうございました。」
出口の柵を通る頃、自然と二人の手は再び繋がっていた。
「とんでもないです。ね?」
「ええ。」
係員に受けた挨拶は、あくまで形式的な物に過ぎなかったが、二人にとっては逆に感謝したくなるような乗り物。
係員が内心羨望の炎を燃やしていたとは露知らず、シンジとレイは再び手を繋いで出口へと向かうのだった。
「また来ようね?」
「あの乗り物は・・・好き。」
シンジははっきりと笑顔になり、レイも心持ち表情を緩める。
手を繋いでゆっくりと歩く二人の姿は、正真正銘普通のカップルだった。
週明けー
(で、碇シンジより、と。)
5時間目、シンジはようやく打ち終わったメールを最後にもう一度確認した。
(よし、送信・・・するよ・・・)
授業は全く聞いていない。
本当はこの作業は1時間目にやろうとしたのだが、どうしても文章がまとまらず何度も書き直していたのだ。
はっきり言って、今日の授業範囲をテストに出されたら、シンジには白旗を揚げる意外に手段はないだろう。
(良し・・・)
送信キーをやっとの思いで押したシンジは、既に授業が終わったかのような気楽な気持ちでため息をそっと吐くのだった。
『メールが届きました』
こちらは受信者。
(何?)
レイは顔には出さなかったが疑問に思った。
ここしばらく、自分は授業中メールを貰ったことはない。正確には一年生の初め、好意を示す文章が送られてきたことがあったが無視した結果それきりになった。それが唯一だった。
(発信者は・・・碇君。)
レイはすぐさまメールを開く。
『綾波へ』
から始まるかなり長い文章。
(そうね・・・そう・・・何を言ってるのよ・・・知らないわ・・・)
読み連ねるうちに、自然と頬がゆるんでくる。
それはデートの感想と、次の週末の予約。
(直接言ってくれればいいのに。)
自分のことは棚に上げ、授業そっちのけで返事を書き始めたレイだったが、元の文章に何かファイルが添付されているのに気がついた。
(・・・この形式は画像・・・あ・・・)
開いた瞬間、レイは頬の温度が上がるのを自覚した。
(完成していたの?)
ちらりと背後に位置するシンジを見ると、丁度二人の目があって、シンジは軽く照れ笑いを投げかけてきた。
レイは小さく頷いて再びディスプレイに目を戻す。
色は多少補正はされているだろうが、範囲としては全く問題ない。メリーゴーランドの煌びやかな電飾を背景に、レイがシンジの胸と腕に寄りかかって顔をこちらに向けている。そして、シンジの笑顔もはっきり写っている。
『これって笑ってるんだよね?』
(そう・・・きっとそう・・・)
自分ではよく分からない。けれど普段の自分と違うのは分かったし、あの想いの現れならば、きっとそうに違いないとレイは思う。
何よりシンジがそれを分かってくれたのが嬉しい。
『これが一番写りが良かったから、一応データ渡しておくね。残りは今日店で焼いて貰ってるからそれから渡すよ。』
レイは満足そうにその画像を保存した。
そして、その端末で今まで使ったことのない機能を呼び出したのであった。
キーンコーンカーンコーン
放課後ー
「さて、センセ。いい加減吐いて貰うで。」
「お願いだからもう止めてよ・・・」
「そうは行かないさ。あれだけ気を使ってやって、しかも授業中メールを使えるようにしてやったんだぞ。それぐらいは当然の権利だな。」
今日一日、シンジはトウジとケンスケの執拗な追求に逢っていた。
つまるところ「あれからどうなった?」というのが二人の論点なのだが、シンジとしては洗いざらい言うのも憚られる。
(どうせ言ったら言ったでまた何か言う癖に。)
シンジ正解。
もちろん二人はからかうためにシンジを追求しているのだ。勢いシンジの選択肢は「逃げる」しかない。
「ナニが『まあ・・・それなりに』や。ワシらの間でそないに隠し事せんでもええやないか?」
「それとも何か?ご丁寧にも俺が渡したカメラを使わなかったところを見ると、言えないようなことでもしたのか?」
「すっ、するわけないじゃないか!」
「なら何が問題なんや。」
ニヤニヤとしたトウジがシンジの肩を組む。
「トウジの方こそ二人きりでどうだったのさ。」
「ワシか?なんもあらへん。センセと違うて『それなり』もナニもなしや。」
(しまったな・・・あんな風に言うんじゃなかった・・・)
こうなったら強行突破して帰ろうかとシンジが考えた瞬間、窓際から甲高い声が突如挙がった。
「きゃー」
「これって本物?」
「何時からそうだったの?」
「大胆!」
何事かと思ってシンジ達がそちらへ振り向くと、逆に向こうの人間もシンジ達の方を見ていた。
「なんだ?」
「なんやねん。」
(綾波・・・何したの?)
窓際のレイの席。普段誰も寄りつかないその席に、今に限って人だかりが出来ている。
3人とも顔を合わせて不審に思い、シンジの席からレイの席へと移動する。
「碇、おまえって奴は!」
「な、何?」
「碇君やるぅ〜」
「は?」
人混みをかき分けてようやくレイの元へとたどり着く。
「なんなんや?」
「綾波一体どうし、あっ!」
「碇・・・」
3人は真実を知った。
「碇君・・・どうかしら?」
「ど、どうって言われても・・・」
ちょこんと首を傾げてシンジを見つめるレイから視線を外し、シンジはそのディスプレイに思わず見入ってしまう。
(・・・はっ!)
「あ、綾波!なんでこれが壁紙になってるんだよ!」
「まだ印刷したのはないから。」
「いや、そうじゃなくて・・・」
レイの端末の壁紙に、しっかりと先ほどシンジが送った画像が張り付いていた。
至近距離から写したため、握った手が写っていないのは幸いと言うべきだろうが、それでもレイに寄り添って笑う自分の姿が公開されるとは全く思っていなかった。
「おめでとー」
「おめでとう」
「悔しー」
「頑張ってね。」
「上手くやれよ!」
突如沸き上がる拍手の嵐。
それはとてもシンジに耐えられる物ではなかった。
「ゴ、ゴメン、本部に行かなくちゃいけないから!!綾波!先行ってるね!!」
すぐさまくるりと背を向けて、人混みをかき分けて鞄を掴んで出て行ってしまう。
「ほらほら、追いかけて!」
「碇君みたいなタイプは追いかけないと駄目よ。」
レイも端末の電源を切り、すっくと立ち上がって駆けだしていく。
歓声を上げる者、拍手を続ける者、手を振って激励する者。やっかみも56%はあっただろうが、その歓声は、シンジに追いついたレイが二人で校門を出て行くまで続いたのだった。
「そうなの。アスカもそう思う?」
「あったり前よ!大体さ、ってみんなどうしたの?」
ぴき
次の嵐がやって来た。
クラスメートは一斉に凍り付いた。
「ん?みんなでファーストの机囲んで何してるのよ?って、もうファーストいないんじゃない。・・・・・そう言えば、馬鹿シンジもいない?・・・・・・・・・ふふふふふ、アタシ一人置いてきぼりにするとはいい度胸じゃない・・・今日は模擬戦だったわね、楽しみだわ!」
それを聞いた瞬間、クラスメートの65%がシンジに同情したという。
そのころシンジとレイは・・・
「綾波があんな事するなんて思ってなかったよ。」
「迷惑?」
「迷惑って言うか・・・みんなに公表しなくても。」
「別に公表した訳じゃないわ。見られただけ。それと・・・なら今ならいいわね。」
レイは鞄から封筒を取りだした。
「はい。出来たから。」
「何?・・・写真・・・ええっ!!」
シンジの驚愕に、レイの方はといえば満足そうな光を瞳にたたえ、そうするのがさも当然であるかのようにシンジの手を握るのであった。
「い、何時の間に・・・」
「秘密。」
「参ったなぁ・・・」
後に地獄が待っているとも知らず、言葉とは裏腹にシンジの表情は緩みっぱなしになるのであった。
完