「シンジ、今日暇か?」

今は放課後、掃除時間。

箒を持ったケンスケが黒板を拭いていたシンジに声をかけた。

(確か今日は何もなかったな。)

「うん。どうして?」

シンジはネルフ関係の予定や、夕食当番が自分ではない事を確認すると、そう返事をする。

「いや、新しいゲームが入ったからさ。帰りにゲーセンでも寄ってかないかと思ってね。」

「別に構わないけど。二人で?」

「いや、もちろんトウジもだよ。」

シンジはヒカリにどやされて、ゴミを捨てに行ったトウジの姿を思い浮かべた。

(そういえば、最近付き合い悪かったな・・・)

シンジはほんの少し反省する。ここ暫くネルフの都合で忙しかった。いくら世界の平和を守ると言う大義名分があっても、数少ない友人を袖にするような事はシンジにとって悪い事に思えた。

「うん。わかった。」

お詫びの意味も込めて、シンジは努めて明るく返事をした。

「そうそう碇君。悪いんだけど、少し時間くれないかしら?」

「え?」

そんなシンジに、更にヒカリが横から声をかけた。普段は、掃除時間中には無駄話などしないヒカリが声をかけてきた事にシンジは驚いた。

「少し話があるの。悪いんだけど、」

ヒカリは一旦話を切って、周囲を見回す。

「掃除が終わったら屋上に来てくれない?大して時間取らせないから。」

シンジは思わずケンスケの方を見るが、ケンスケは何も言わず黙って頷いた。

「分かった。ケンスケ達は校門の所で待っててくれる?」

「OK」

「お、なんや。委員長もシンジ争奪戦に参加かいな?」

いつの間にか、ゴミを捨て終わったトウジが扉の所に立っている。もちろんその表情は、明らかに冗談を言うそれであるが。

「何下らない事言ってるのよ!」

そういい終えるが早いか、ヒカリは黒板消しをトウジに投げつける。それはもの凄い勢いで、一直線にトウジへ飛んでいき、見事に顔面にヒットした。

「うおっ!つつつ・・・・・・何さらすんじゃ!」

「そんな下らない事言ってる暇があるんなら机並べなさい!どうせ力余ってるんでしょ?!」

「そ、そないに怒らんでもええやないか・・・」

「はいはいサボらない!そっちから頼んだわよ!」

その勢いに負けたのか、トウジは額をさすりながら、しぶしぶと机を並ばせ始める。

ヒカリは満足そうにその光景を見ていたが、突然思い出したようにシンジの方を向くと念を押す。

「じゃ、忘れないでね。屋上だから。」

そう言うと黒板から離れ、掃除の続きを再開した。

(委員長の手。ぜんぜん見えなかった。)

シンジは先ほどの、ヒカリの黒板消しを投げた動きに呆然としていた。

(ミサトさんといい、アスカといい、委員長といい、何で人を叩いたり、物を投げたりする時の動きがあんなにいいんだろう?)

その問いに返答はなかった。


師走の街に 


 

「碇君お待たせ。」

屋上で手すりに手をかけて、ぼんやり中庭を見つめていたシンジは、ヒカリの声で我に帰った。

「あ、別に大して待ってないよ。」

初々しいカップルのような返答をしながら、シンジは声の方に振り向いた。

ヒカリはその自分達のやり取りが妙な物である事に気が付いたのか、表情をまじめな物に変え、少し間を置いてからシンジに話し掛けた。

「早速なんだけど、準備してる?」

「は?」

ヒカリにしてみれば当たり前の事なので、こういう聞き方になったのだが、シンジがそれで分かるはずもない。ただでさえ鈍い彼であると言うのに。

「もう。3日後の事よ。分かるでしょ?」

「・・・いや。ぜんぜん」

(3日後何かあったかな・・・宿題はないし、委員長とも約束なんてしてない・・・本部に行くのは明日だし、夕食当番はミサトさんだし・・・)

ヒカリには全く関係ない事まで想像しながら考えたが、全く心当たりがない。

「ホントに分からないの?」

「うん・・・何か約束したっけ?」

「・・・呆れた。3日後の12月4日。アスカの誕生日でしょ?」

「そうなの?へえ・・・アスカって12月生まれなんだ。」

「・・・アスカの誕生日ぐらい知ってるっと思ったのに・・・」

ヒカリはシンジのその呑気な返事に頭を抱えたくなった。

(これじゃアスカも苦労するわね。)

喉まで出掛かったその言葉を飲み込んで、一度深く深呼吸して気持ちを落ち着ける。

「そう。アスカの誕生日なの。だからお誕生日会をしようかと思ったんだけど。」

「いいんじゃないかな。」

シンジはあくまでマイペース。まるで他人事である。流石のヒカリも堪忍袋の尾が切れそうになった。

(駄目。相手は碇君。落ち着きなさい、ヒカリ。)

高ぶる気持ちを無理矢理押さえこんで、普通通りの態度を崩さずに続ける。

「でね。その会場として碇君の家を使いたいのよ。そこにみんな呼んで、パーティみたいな事をやりたいなって思って。」

「えっと・・・僕は構わないんだけど・・・あそこはミサトさんの家だから・・・」

「確かにそうね・・・碇君頼んでくれないかしら?」

やっとヒカリの言いたい事気が付いて、その事に気まずい思いをしながら、シンジは申し訳なさそうに小さな声で答えた。

ヒカリの声も少し不安な物が混じった。ヒカリの頭の中では、あそこは「碇君とアスカの」家であって、二人の上司の家であると言う感覚はすっぽりと抜け落ちていた。大体ヒカリは、遊びに行ったりした時もミサトの姿は3回と見ていないのだ。

「うん・・・聞いてみるよ。ミサトさんの事だから多分大丈夫だと思うけど。」

「お願いね。出来たら今日明日中に電話頂戴。」

「分かった。今日は帰らないって言ってたから無理だけど、明日本部で会うからその時聞くよ。」

「お願い。あ、それでね、アスカ驚かせたいから当日まで黙ってて。もしOKが出たら、出来れば準備が終わるまでアスカを家から遠ざけておいて欲しいの。私達がお料理とか準備している間。」

「黙ってるのとか、料理の方はいいけど、どうやって遠ざけるの?」

最適役のヒカリがそう言うのでは、どうしろと言うのか。

(僕が誘ったってアスカ怪しんで絶対来ないだろうし、用事押し付けるなんて理由がないし。)

「うーん。何とかネルフの方で出来ない?」

結構勝手な事を言うヒカリ。

「それこそ何とも言えないよ・・・」

「そうよね・・・ま、それは後から考えるとして、とにかく部屋の方お願い。」

「わかった。」

「じゃ、私アスカ待たせてるからもう行くね。じゃあまた明日。」

そう言い残して、ヒカリはくるりときびすを返し行ってしまった。

「誕生日・・・か。」

シンジは呟く。シンジは自分の事を考えていた。

(誕生日会・・・先生は毎年一生懸命やってくれたけど・・・あんまり好きじゃなかった・・・でもアスカはそういうの好きそうだし、僕に何が出来るのかな・・・)

ヒカリが出ていって、開けっ放しになっている扉に、シンジは考え込みながら歩いていった。

 

 

「綾波?まだ残ってたんだ。」

シンジが教室に帰ってきた時、既に残っている者はレイ以外誰も居なかった。帰るか、部活に行くか、別の場所に行くかしたのだろう。

「ふうん。本読んでたんだ・・・綾波って読書家だよね。」

レイは直接それには答えなかった。その紅い瞳でシンジを見つめ、少し間を置いてから質問を返してきた。

「話は終わったの?」

「え?うん。」

「そう。」

(何を言いたいんだろう)

シンジは疑問に思ったが、何故かそれを聞く事はためらわれた。

シンジが何も言わないで居ると、レイは視線を本に戻し、閉じて鞄に入れた。

「先、帰るわ。」

レイはそう言うと、席を立って教室の扉に向かう。

「・・・あ、綾波!」

その背中に向かって、シンジは声をかけ呼び止めた。

レイはそれに応え、表情を変えぬまま振り向く。

「何?」

何度か右手を握ったり閉じたりして、視線は外したままだったが、シンジは意を決するとレイに話し掛けた。

「あの、今度の4日・・・アスカの誕生日・・・なんだ。・・・まだ分からないけど、さっきもその話ししてたんだけど、もしかしたら家で誕生日会やるかもしれないから・・・その・・・来てくれないかな・・・」

そこまで何とか言い終えると、様子をうかがうようにレイの方を見る。

レイは何の感慨も受けていない様だが、かといって全く話に無関心と言う風でもない。

「人数が多い方がアスカも喜ぶし・・・皆も楽しいと思うだろうし・・・綾波の食べられる料理も用意するから・・・」

言い終えるとシンジは返答を待つ。

「・・・分かったわ。じゃ、また。」

レイは珍しく即答しなかったが、とにかく返事をすると再び背を向けていってしまった。

(なんであんな事言ったんだろう・・・)

残されたシンジは、頭の中をぐちゃぐちゃにしながら暫くそこに佇んでいた。

 

 

「遅いでシンジ。」

ケンスケ達との約束を思い出し、慌てて向かった校門だったが、そんなシンジを迎えたのがこの言葉である。

「ゴメンゴメン。ちょっと考え事してたから・・・」

「考え事〜?何やシンジ、委員長になんぞ難しい事言われたんか。」

「あ、いや。委員長の話しは大した事じゃなかったんだけど・・・」

思わず言いよどんでしまうシンジ。自分ですら良く分かっていないのに、他人に何を考えていたかなどと説明できるはずはない。

「じゃあ何や?」

「ま、とにかく歩きながらにしようぜ。」

ケンスケの言葉に3人とも頷いて、繁華街の方へ歩いていく。暗いと言う訳ではなかったが、何となく再び話し出すきっかけがつかめずに、暫く無言の時が続いた。

「で、委員長の話しは何やったんや?」

「大した事じゃないんだ。3日後にアスカの誕生日会やらないかって言う話だった。それで場所に僕達の家を使いたいんだって。詳しくは聞いてないけど、他の人の家は知らないけど、スペースとか台所とか多分ウチが一番便利だからじゃないかな。それに一応アスカがメインなんだから、どこかに呼び付けるのも変だし。」

その変な空気をこれ以上耐えずにすむ、と言う安心感がシンジを包んだ。思わず饒舌になってしまう。

「なるほどね。そう言う事か。で、OKしたのか?」

「いや、あそこは僕の家じゃないからね。ミサトさんに聞いてみないと。」

「大丈夫だろ、ミサトさんなら。シンジの家だったらリビングが広くて便利だし、なんて言ってもシンジは自分の家の台所が一番使いやすいだろ?」

「あ、うん。」

「何やその台所が便利ちゅうのは?もしかしてシンジ、お前がメシ作っとんのか?」

「そうだけど。」

シンジはさらりと言ってのけた。14歳という年齢を除けばこの時代、別に不思議でも何でもない。

「かぁ〜っ、情けない。男子厨房に入らずちゅう言葉を知らんのか。」

「知ってるけど、今時そんな事言ってる人いないんじゃないの?トウジだって少しはやってるんでしょ?」

「わしらんとこは男しかおらへんから仕方ないんや。妹はまだ小さいしの。シンジん所は女二人もおって、まあ惣流は別にしても、ミサトさんがおるやないか。」 

「・・・じゃあ今度トウジをミサトさんが当番の時に呼んであげるよ。」

シンジの脳裏に思い出したくもない、香りと味が鮮明に蘇える。悪い意味で忘れられない事も、この世には多く存在する事のいい例であった。

流石のトウジもシンジの言い方に少し腰が引けた。

「そんなに下手なんか・・・」

「リツコさんは化学兵器だって言ってた。ペンペンはそれで入院した。」 

「・・・シンジ、頑張れや。」

「うん・・・」

諦めに似たトウジの励ましは、シンジに何物ももたらさなかった。この事で流すべき涙は、既に枯れ果てていたから。

「で、誰呼ぶんだ?」

『憧れのミサト様』のイメージが、わずかばかり歪んでしまったケンスケだったが、これ以上夢を壊したくないので話を無理矢理先に進める。

「うーん。それも聞いてないんだけど、多分いつものメンバーじゃないのかな。主役のアスカと委員長と僕と綾波とトウジとケンスケ、仕事がなければミサトさんに加地さんにリツコさん。」

ケンスケのもっともな質問に、シンジは指折り数えて一人ずつ挙げていく。

「ちょっと待てい。何でわしがあの女祝わなあかんのや!」

いきなりトウジが大声を上げる。シンジの前に回り込んで、その歩みを止めた。

「トウジ頼むよ。まさか僕とアスカと委員長だけって訳には行かないよ。」

「あの女かて他の友達おるやろ!外面いいよってな。」

「それはそうだけど・・・」

「トウジ。落ち着けよ。」

ヒートアップするトウジの肩に手をやり、ケンスケが言いよどむシンジの助けに入った。

「惣流の他の友達連れてきたら、それこそ女の中にシンジ一人になるじゃないか。」

「確かにそうやな・・・」

トウジはそこで詰まった。まさか同居人たるシンジが出席しない訳には行かない。そしてシンジは、余り親しくない人間に囲まれるのは得意ではない事を彼は知っていた。彼は親友一人そのような状況に置いてきぼりに出来る人間ではない。

「トウジの気持ちも分からないではないさ、だけど惣流もエヴァンゲリオンに乗って頑張ってるんだ、誕生日くらい素直に祝ってあげても罰は当たらないさ。」

「ふーむ・・・確かにそうやな。」

「だろ?ついでに言えば、おそらく食事は委員長が何らかの形で加わるはず。委員長の上手さは家庭科で分かってると思ったけど。だろ?シンジ?」

「う、うん。確定してるって訳じゃないけど、予定では僕と委員長が作る事になってるみたい。」

「・・・よっしゃ!今回はあの女祝っちゃる。世界とシンジの為や。」

暫く腕組みをして考えていたトウジだったが、考えがまとまると切り替えは早かった。

「料理の為でもある、と。」

「余計な事言わんでええ!」

ケンスケの突っ込みにトウジが笑って切り返す。そのタイミングが余りに見事なので、シンジは自然と笑いが込み上げてきた。

「ははは・・・ケンスケ、トウジ、ありがとう。」

「ええんや。上手いもん食わせてもらうで。」

「そうそう。気にしなくて良いさ。別に義理で行く訳じゃない。行くからにはしっかり楽しませてもらうよ。」

とは二人とも言ったが、それがシンジを気遣っての態度である事は明白である。ここで逆にシンジが気にする事は、その行為を無にする事だと言う事はシンジにも分かっていたので、心の中でシンジは深く感謝していた。

「じゃあ、さっさと行こうぜ。」

「うん。」

「おう。」

もはや時間的には夕方に近いとは言え、今だ高い太陽は街路樹から伸びる影を長くする事はなかった。直射日光とアスファルトの照り返しを受け、うっすらと滲む汗を時折拭きながら3人は歩き始める。

「ところで気になっとったんやが、何でメンバーに綾波が入っとるるんや?別に嫌な訳やないで。綾波は絶対来そうもないと思うただけなんやが。」

トウジは手を頭の後ろで組み、前を向いたまま話を戻して、メンバーに付いての感想を言った。

「それは言えるな。エヴァのパイロット同士とは言っても、あんまり仲よさそうには見えないしね。」

ケンスケも同感のようだ。普段のレイを見ていれば、そう思うのが普通の反応と言う物であろう。

「僕も最初はそう思ったんだけど、誘ってみたら来るって言ってたよ。」

「「なにい!」」

「え?どうして?」

(僕何か悪い事言ったかな?もしかして誘ったのって拙かったのかな。)

トウジとケンスケはその歩みを止め、シンジの顔をまじまじと見ている。

それまで単に雑談の一つと言う雰囲気で話していた二人の変貌ぶりに、シンジは驚き、何か責められるのかと思ってしまった。

「いつ誘ったんや?」

「さっき、教室で。」

「どうやって誘ったんだ?」

「別に・・・その方が楽しいからって。」

トウジとケンスケはシンジの返答に、互いに顔を見合わせ大きく頷いた。

「なるほどね。そういう事なら協力するよ。」

「は?協力って何の事だよ。」

シンジは自分が責められるのでない事に安堵したが、それでもケンスケが何を言っているのかは理解できない。

「誤魔化さんでええって。綾波の事や。」

「綾波がどうかしたの?」

「隠す事あらへん。シンジが惣流の誕生日利用して、綾波とお近付きになりたいちゅうのは分かっとるんや。」

「え?え?え?な、何言ってるんだよ!どこからそうなるんだよ!」

シンジはやっと二人が何を言いたいのか理解したが、その内容に焦りまくる。別に隠し事をばらされたという訳ではないが、内容が内容だけにシンジには平然と受け入れられる事ではなかった。

だが二人は、そんなシンジにニヤニヤしながら肩に手を乗せてきた。

「どうして俺達に話す前に、最初に綾波を誘ったんだ?」

「それは最初に会ったのが綾波だったから・・・」

「委員長は綾波を誘えと言わなかったんやろ?どうして誘ったんや?」

パイロットが独りだけ仲間外れになるのは良くないと思って・・・

「綾波誘って場が盛り上がると思うか?」

・・・思わない・・・

「それでもシンジは『楽しい』と誘ったんや。」

・・・・・・

「「そういうことさ(や)。」」

シンジは何も言えなかった。『利用して』と言う表現に引っかかる物はあるが、トウジ達の指摘が全くの誤解とは言えなかった。ただ気が付かなかっただけで、嘘ではなかった。

「これでもう一つ楽しみが出来たな。」

「まったくや。期待しとるで、シンジ。」

その声でシンジは我に帰った。

「ゲーセン行くんだろ!早く行こうよ!」

赤面くしながら、シンジは二人を置いて歩き出した。

 

 

次の日。NERV本部。

チルドレンはシンクロテストを終え、3人管制室内に並んでいた。

「アスカ流石ね。今回もトップよ。成績4ポイント伸びてるわ。」

「あったりまえじゃなーい。」

リツコが手にした書類をめくってそう言う。

アスカはその言葉に満足し、腰に手を当て胸を張って自慢する。

「シンジ君とレイはこの前と大して変わらないわね。特にシンジ君はまだ伸びしろがあるはずだから頑張るように。」

「はい。」

(頑張るって・・・何を頑張ればいいんだろう?)

シンジはいつも思うのだが、毎回聞けずにいた。

「シンジはそれくらいが限界なんじゃないの?ここまで出来ただけでも大したもんじゃない。」

アスカの皮肉にシンジは何も言い返せない。もともと自分でも出来ると思っていなかったのだ。

「そんな事はないわ。突如伸びなくなったのよ。何か精神的なきっかけでもあれば跳ね上がるんじゃないかしら。」

リツコはそんなシンジをフォローした。別にシンジが可哀相になった訳でなく、精神的不安定によって、シンクロ率を下げられては堪らないと言う判断からだが。

「・・・そうなんですか?」

(僕は才能のあるアスカとは違うんだ。この辺が限界だよ。)

「そういう事。何か悩みがあるならカウンセラーに相談するのね。医務室にいるから。」

シンジはそう思って、疑わしげな視線をリツコに投げかける。

リツコは平然とその視線を受け止めると、逆にシンジを見つめ返す。

「そんな事言ってたら、シンジ医務室に住む事になるわよ。いつもうじうじ考えてるばっかなんだから。」

「何勝手な事言ってるんだよ。」

「だってそうじゃない。いつも『逃げちゃ駄目だ』とか言ってるだけで全然前に進んでないじゃない。大体シンジは・・・」

「アスカ。そのくらいにしておきなさい。」

ミサトはアスカの発言を中断させる。喧嘩させる為に3人を呼んだ訳ではない。

「ま、いいわ。先帰ってるから。シンジ、あんたも早く帰ってくんのよ。夕食当番あんたなんだから。」

アスカはそう言い残すと扉の向こうに消えてしまった。

「私もいいですか。」

続いてレイが右手も上げて、退出の許可を求めた。

「ええ、構わないわ。」

リツコはそれを承諾する。レイはそれを聞くや否や足早に部屋を出ていってしまった。

「全くアスカにも困ったもんね。」

「いえ、いいんです。慣れましたから。」

二人の消え去った先を見ながらのミサトの呟きに、シンジは自嘲の笑いで応えた。

(アスカの言う事って、気分が悪いけど間違っていないしね・・・)

シンジはそう思う。

「シンジ君、あなたもう少し自信持って良いのよ。使徒撃退のエースはあなたなんだから。」

「偶然です。最初からアスカがいて、綾波の零号機が使えたら二人に敵いません。」

シンジは謙遜ではなく、心の底からそう思っている。

「あの・・・そう言えばアスカなんですけど、明後日誕生日みたいなんですけど・・・」

「ありゃ?もうそんな時期なの?」

ミサトもすっかり忘れていたらしい。間抜けな声を上げて自分の腕時計を見た。

「それで、友達が家でパーティやりたいって言うんですけど、呼んでいいですか?」

「何よ改まって。あそこは私達の家なんだから好きになさい。私の部屋に入らなけりゃ何やってもいいわよ。」

おずおずとしたシンジの質問に、ミサトは当然と言った感じで答えた。

「ありがとうございます!」

(よかった。約束やぶらなくて・・・)

シンジは安心した。多分大丈夫とは思っていたが、万一を考えると心配だったのだ。

もっとも、企画者ヒカリにしてみれば、別に絶対葛城家である必要はなかったのだが・・・

「ぱあっとやりましょ。ぱあっと。飾り付けにおっ料理〜♪」

この手のイベント大好き人間のミサトは、今にもここを飛び出さんばかりの笑みを浮かべている。

「ああっ!料理はいいです!料理は。それは僕達の方でやりますから。」

「え?そう?悪いわねー」

(誕生会に救急車呼びかねない事できるわけないじゃないか。)

ミサトの台詞にシンジは背筋が凍る思いがしたが、なんとか最悪の状況は避けられた。

「それにアスカ驚かせたいんで、ギリギリまで黙っててくれませんか?出来れば準備が終わるまでアスカを家から引き離しておいて欲しいんですけど・・・」

シンジの追加要求に、ミサトは腕を組んで20秒ほど考え込む。

「黙ってるのはいいとして、アスカを家から遠ざけるねえ・・・・・・そうだ!リツコ、確か弐号機で実験したいとか言ってなかったっけ?」

「ミサト・・・あなたねえ、個人的な都合でスケジュール動かしていいと思ってるの?」

蚊帳の外に置かれていたリツコだったが、会話を聞いていなかった訳でもなかったので、ミサトの案にただ呆れるという当然の反応を示す事になった。

「いいじゃない。結果が同じなら細かい事はいいんじゃないの?出来るんでしょ?」

「・・・分かったわ。大して順番が狂う訳でもないし、それくらいの公私混同には目をつぶってあげるわ。18時まで引っ張ればいいわね。」

ため息一つ付いて、リツコは折れた。最近は使徒も現れず、それほど忙しくもないので、多少の時間的余裕はない訳ではなかった。

「その代わり、シンジ君には今度手料理の一つもご馳走してもらおうかしら。ミサトが誉めてたわよ。シンジ君の料理。」

「ええ、それくらいなら喜んで。あの・・・リツコさんは出席しないんですか?」

「私にも色々予定があるわ。もう明後日は埋まってるの。」

「そうですか・・・忙しいのに済みません、勝手なお願いして。」

リツコの表情は穏やかなままだったが、シンジは無理して頼んだような気がして頭を下げる。

「気にしなくていいのよ。それよりミサト見なさい。保護者がずぼらな分、シンジ君の礼儀正しい事。」

「うっさいわね!敢えて反面教師を演じてるのよ。」

「今日のゴミ出しサボったのもそうなんですか?」

とりあえずリツコは怒っていない事が分かると、シンジも気が楽になって軽口を叩く余裕も出てきた。

「シンジ君の裏切り者・・・」

ミサトの声に周囲からも笑い声が上がった。

 

 

「あ、もしもし、ヒカリさんのクラスメイトの碇と言う者ですが夜分済みません、ヒカリさんいらっしゃいますか?」

夜、シンジは自分のベットに寝転がりながら、使いなれない敬語を駆使して各家に電話をかけていた。

『はい、碇さんですね、暫く待っててください。ヒカリおねえちゃーん、碇って人から電話よー!』

受話器の向こうから可愛い声が聞こえる。

(お姉ちゃん・・・委員長の妹、確かノゾミちゃんだっけ・・・)

シンジは見た事はないが、ヒカリやトウジから話だけは聞いた事があった。トウジ曰く「将来有望」だとか。もっとも、その前置きに「ワシの妹には劣るが」と付くのがトウジらしかった。

『ハイ、もしもし変わりました。碇君?』

「うん、こんな時間にゴメンね。で、あの事なんだけどOKだって。」

『ほんと?!よかった。家でやる事も考えたんだけど、あんまり広くないからどうしようと思ってたのよ。』

「そうなんだ。それでリツコさん、あ、覚えてるかな、ミサトさんの昇進祝いの時に遅れて来た、金髪に染めた女の人。」

『ええっと・・・ああ、思い出したわ。確か加持さんて言う人と一緒に来た。』

「そうそう。あの人がアスカを6時まで本部に引き止めてくれるって言ってたから、7時くらいには用意終わらなくちゃならないんだ。大丈夫かな。」

『そうね、準備なしじゃ難しいかも・・・明日材料買って下拵えしておいた方がいいかしら。』

「でも委員長の家、ウチとは逆じゃないか。わざわざ取りに戻ってたら間に合わないんじゃないの?それに荷物持ってくるの大変じゃない?」

『あ、それは大丈夫。頼めばお父さんが、車で送ってくれるから。』

「・・・そうなんだ・・・」

シンジは少し寂しくなった。電話の先では親を信頼しきった人間がいる。親も娘に愛情を注いでいる。

(それに比べて僕達は・・・)

ゲンドウの顔を思い浮かべる。

サングラス。

シンジにとって、ゲンドウのサングラスは薄くはなかった。自分達の溝、そのものを象徴していた。

『デパートに勤めてるから変な時に休日なの。それより碇君の方は大丈夫よね。』

黙ってしまったシンジを、平日に親がいる事への疑問からだと誤解したヒカリはその説明をし、そのまま次の話題に入った。

「え?だからミサトさんはいいって、」

『そうじゃなくて、ちゃんとプレゼント用意した?』

「・・・すっかり忘れてた。」

(しまった・・・アスカの事だから『プレゼントありません』なんて言ったらなにされるか。)

考えただけで顔から血が引く。

『やっぱり。高価な物じゃなくていいから、ううん、買った物じゃなくてもいいから、気持ちのこもった物を忘れたら駄目よ。』

「気持ちのこもった物・・・ねえ、女の子ってどんなものあげたら喜ぶのかな?」

(どうしよう・・・何か作るなんて出来ないし、第一時間がない。買うしかないけどアスカの喜びそうな物なんて分からないや・・・)

『私からは教えられないわ。大事なのは碇君の気持ちだと思うし。でもあんまり男っぽいのは駄目よ。』

不安になって聞いてみたシンジの質問は、あっさりと拒絶された。

(アスカだったらボクシングのグローブなんて似合うのにな)

実行した場合、間違いなく自分がその被害者になる事請け合いな事を考えてしまう。

「分かってるよ。」

『明日一日しかないけど頑張ってね。』

「うん・・・」

『そんな声出さないで。じゃまた明日。』

「お休み。」

挨拶をしてシンジは電話を切った。携帯電話を握ったまま横向きに姿勢を変え、何がある訳でもないがジッと壁を見る。

「何をあげればいいんだろう・・・値段はともかく、思い付かないや・・・」

『私からは教えられないわ』

シンジの頭にヒカリの言葉がリフレインする。

(何で教えてくれないのさ・・・ん?『私からは』?そうだよ、他の人に聞けばいいんだよ。)

天啓の如く閃いたシンジは、襖の向こうの存在を思い出して上半身を持ち上げた。だがそれは、重要な事に気が付いて没となった。

(ミサトさんは・・・駄目だ、居間でアスカとTV見てる。それに絶対酔っ払ってるからマトモな答えが返ってくる訳ない。アスカ本人になんて聞けないし・・・)

落胆して再びベッドに寝転がる。

(ケンスケ達に相談しようかな・・・)

そう考えて、再びプッシュボタンをシンジは押した。

だが、シンジの願いはまたしても裏切られる。

 

相田ケンスケの場合

『プレゼント何がいいかって?実用的な物に限るよ。俺はもう買ってあるんだけどね、サバイバルナイフだよ。昔シンジの戦闘服見た時に、武器を持っていないのを思い出したからね。やっぱり軍人たる者これくらいは身に付けていなくっちゃ。この強度と切れ味。さすがは国連軍が正式採用しているタイプ。惚れ惚れするね。』

(ケンスケ・・・自分に使われない様に気を付けてね。)

 

鈴原トウジの場合

『何ごちゃごちゃ考えとるねん。嬉しいのは食いもんに決まっとるやないか。今日ワシはなけなしの小遣いはたいて、めったに手に入らんメロン買うてきたんや。惣流に文句は言わせん。』

(ゴメン。アスカは時々ジオフロントの畑からメロン盗んでくるんだ。)

 

シンジは電話を切った。

「はあ・・・どうしよう。やっぱり手帳とかハンカチとか定番の物にしようかな・・・でもアスカそう言うのには細かいし・・・」

確か二人でテレビドラマを見ていた時であったか、あるシーンで「男は女の10倍返しよ」と主張したアスカの言葉がシンジの頭の中に浮かんで来た。本気で10倍と言った訳でもなかろうが、それなりの物は贈らなくてはならないと思う。

「加地さんの電話番号は知らないし・・・後僕の話を聞いてくれそうなのは・・・」

呟きながら、短縮ダイヤルに自然と指が行っていた。

トゥルッ

『ハイ。』

「あのっ、碇だけどっ。」

ワンコールで繋がった事にシンジは驚き、思わず声が上ずってしまった。

『何?』

「あのさ。綾波に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

『何を聞きたいの?』

「明後日の事なんだけど、女の子に送るプレゼントって何がいいのかな?」

『あの人に贈り物?』

「うん。僕の時も貰ったし・・・綾波はどんなの考えてるのかな?」

『何も考えていなかったわ。』

「え?何だって?」

聞こえなかった訳ではない。シンジにとっては、信じがたい答えが返ってきたので聞き返した。

『何も考えていなかった。必ず誕生日には送るものなの?』

「それは・・・絶対って訳じゃないけど、普通はそうだよ。」

『そう。初耳だわ。』

「初耳って・・・綾波今まで貰った事ないの?」

『ええ。』

「そうなんだ・・・じゃあどんなの貰ったら嬉しいかな?」

これ以上聞いてはいけないような話だったので、シンジは話を元に戻した。

『良く分からない。本人に聞くのがいいと思う。』

「いや、それじゃ駄目なんだよ。」

『そう。』

あくまで淡々とした声が返ってくる。少なくとも、シンジの期待するような答えが返ってくるような調子ではない。

(どうしよう・・・綾波が最後の手だったんだけど・・・そうだ!)

「あのさ、明日暇かな?」

『別に用事はないわ。』

「じゃあ、買い物手伝ってくれないかな。丁度綾波もまだなんだし、一緒に買いに行かない?」

『・・・私と買い物?』

「!」

(しまった!これじゃまるでデートに誘ってるみたいじゃないか!)

客観的には『まるで』でも『みたい』でもなく、そのまんまなのだが、シンジにとっては買い物とデートとの距離は100万光年から開いていた。

「いや、深い意味はなくて、その、」

『放課後でいいのね。』

「え?もちろん。」

まるで焦るシンジを無視したかのように、レイはすんなりとシンジの提案を了承した。余りのあっけなさにシンジは一気に落ち着いてしまった。

『分かったわ。それだけ?』

「とりあえずは。」

『そう。じゃ。』

「お休み。」

Pi

レイの方で電話が切られた。シンジの方は暫くその電話機を見つめていたが、突然思い出したように電話を切り、それを枕の下に押し込み、寝転がって顔を枕に埋めた。

(何であんな事言ったのかな。)

思い出せば思い出すだけ恥ずかしくなる。

(綾波はどう思っているんだろう)

紡ぎ出されるのは目的語のない言葉。

(僕はやっぱり・・・)

『惣流の誕生日利用して、綾波とお近付きになりたいちゅうのは分かっとるんや』

トウジの言葉が蘇る。

「何考えてるんだろう・・・」

煌煌と部屋を照らす蛍光燈、居間から僅かに聞こえてくるテレビの音、窓の外から時折聞こえる酔っ払いの喚き声。

シンジにとってはどうでもいい事だった。

 

 

雲間から覗く僅かの月明かりと街路灯が、部屋を闇が支配するのを防いでいる。

音は、ない。強いて言えば遠くで野良犬が吠える声と、本人の呼吸音だけだった。

綾波レイは手にした電話をじっと見詰めている。

(プレゼント。贈り物。喜びを共有するもの。・・・碇君嬉しいの?)

レイの頭に表情豊かなアスカの顔が浮かびあがる。

(セカンドチルドレン、弐号機のパイロット。そして葛城三佐・・・碇君の同居人。生きていて嬉しい?)

答えは当然、ない。

『笑えばいいと思うよ。』

シンジの言葉が浮かんできた。

(私の願いは消滅、根源への回帰、魂の解放・・・だった。でも今は・・・分からない・・・こんな時、碇君にどういう顔をすればいいの?)

その時、雲が切れ、美しい満月が部屋をほんの少し明るくした。

それが意識を取り戻させたかのように、レイはゆっくりと顔を上げ、暫く月を見ていた。やがて携帯電話を枕元に置き、ベッドから起き上がると、机の引き出しからPDAを取り出す。

「検索・・・ショッピング・・・流行・・・」

慣れた手つきでPDAを操作する。一人暮らしを始めて二年間、コンビニエンスストア以外での全ての買い物はこうやって決めてきた。必要な物を必要な時に必要なだけ買う。それで十分だった。

『一緒に買いに行かない?』

レイは電源を切った。元の場所にPDAを戻して、自らは布団に潜りこむ。

(こういう時の言葉・・・そう、おやすみなさい・・・)

穏やかな寝息が聞こえてきたのは、それから一時間後の事だった。

 

 

「今日のHRはこれで終わる。皆気を付けて帰るように。」

「起立、礼、着席!」

ヒカリの声で、生徒達は担任に一礼する。

一旦席に着いた生徒達だったが、担任が教室の扉を出て行くや否や、一種の無秩序状態に陥った。背伸びをする者、立ち上がって教室から出ていこうとする者、友人と話をする者。

もちろん放課後にそうであったからと言って、責められるべきは何物もない。各々好き勝手な行動に身を任せていた。

「シンジ。帰るわよ。」

教科書やノートを鞄に詰めていたシンジが顔を上げると、いつものようにアスカが鞄片手に見下ろしていた。

「あ、今日はちょっと寄る所があるから先帰っててよ。」

(アスカのプレゼント買いに行くのがばれちゃ意味ないよね・・・)

シンジはそう思い、努めて普通の表情で返事をした。

「ふーん。買い物?」

(ドキッ!ばれて・・・ないよね。)

これ以上アスカの方を向いていると、確実にばれそうな気がしたシンジは、再び詰め替え作業を開始するという形で視線をそれした。

「うん。チラシに安売りの広告が載ってたから。ちょっと遠いんだけどね、」

(よし。悪くない言い訳だ。)

内心にんまりしたが、それをここで表に出す訳には行かない。碇シンジ一世一代の演技。

「あんたってホント主夫よね。」

「それって誉められてるのかな?」

「知らないわよ。あ、ヒッカリー。帰らない?」

そう言い残すとアスカはヒカリの方に行ってしまった。が、アスカはヒカリにも拒否され、更に別の友人と帰る事となる。

「シンジ。今の本当か?」

今度はケンスケが話し掛けて来た。

「ううん違うよ。プレゼント買いに行かなくっちゃならないけど、当日まで隠してなきゃならないから・・・」

「だろうと思った。だけどあの言訳で納得するなんて、シンジってどんな扱いを受けてるんだ?」

「・・・主夫かな・・・やっぱり。」

時々自分でもそう思わないではなかったが、ネルフに行ってエヴァに乗っている毎日よりはよほどマシだと思っていた。少なくとも、ゲンドウのあの目に射すくめられるよりは。

「センセも大変やのう。学生にパイロットに主夫かいな。二足どころか三足の草鞋、普通耐えられんで。」

「慣れだよ。」

トウジの同情にも、シンジはあっさりと言い返した。履きたくて履いている草鞋ではない。周りの状況がそうさせただけなのだから。

「碇君、行きましょう。」

ケンスケの後ろから、レイがシンジに声をかけた。いきなり上がった声にケンスケは飛び上がらんばかりに驚き、慌ててその場所をレイに譲った。

「あ、うん。行こうか。」

シンジも鞄を持って立ち上がる。

「お?綾波と行くんかいな。」

トウジんお発言は明らかに含みを持っていた。いかなシンジと言えどもそれには気が付いた。

「だって、綾波もまだ用意してないって言うんだ。女の子の好きそうな物僕分からないから、一緒に来てもらうんだよ。ケンスケ達も来てくれる?」

「・・・いや、俺はパス。今日中に取りにいかなくっちゃいけない写真があるんだ。」

「ワ、ワシもや。今日は妹に付き合うちゅう約束あるしな。」

「そうなんだ。分かったよ。じゃあまた明日。綾波行こう。」

「ええ。」

ケンスケ達の変化にシンジは気付かず、レイと並んで教室を出て行く。トウジとケンスケはそれをただ見ている事しか出来なかった。

「ケンスケ。写真云々ホンマか?」

「いや。トウジこそ妹がどうとか。」

「ワシのも嘘や。」

そう言って二人は顔を見合わせた。

「綾波を近寄りがたいと思った事は何度もあるけど、怖いと思ったのは始めてだよ。」

「同感や。シンジがワシらを誘った時の綾波の目、とてもやないが『ハイ行きます』と言えるもんやなかったで。冷や汗もんや。」

「・・・脈はあるみたいなんだけど。」

「シンジは幸せなんかな。あれで。」

彼らは級友の知られざる一面と、親友の将来に思いをはせる。それでどうなる物でもないのだが。

 

 

第三新東京市、中央商業地区。

平日とはいえ夕方ともなれば、様々な人間で街は一杯になる。

曇り空の為、それほど暑いという気はしないが、シンジなどにしてみればこれだけ人が居るというだけで、精神的に疲労が溜まって行くのを覚えない訳にはいかなかった。

「ねえ、どこかいいお店知ってる?」

「いいえ。歩きながら探しましょう。」 

シンジは何気なく聞いてみただけなので、レイの返答に失望はしなかった。むしろ「歩きながら探す」などというアバウトな答えが返ってきた事に驚いていた。

「そうだね。暫く歩いてみよう。」

人ごみの中、二人は歩いていた。本来は制服での寄り道は校則で禁止されているのだが、今となっては有名無実化した校則であったし、周囲も制服だらけであったので補導される心配はほぼなかった。

(昨日、何故検索を止めたの?いつものように調べておけば、こんな無駄な時間はなかったのに・・・)

レイは隣を歩くシンジの顔を見る。シンジはきょろきょろと周囲の店のウィンドウを物色していたが、そのうちレイが自分の方を見ている事に気が付いた。

「な、なにかな?」

女の子に見つめられるなど慣れていないシンジは照れ笑いを見せる。

「何でもないわ」

「?」

(無駄ではないかもしれない・・・)

レイはシンジのその表情に、思いを新たにしながら視線を前に戻した。

 

「待って。」

レイは急にその歩みを止めた。

「どうしたの?」

いぶかしがるシンジだったが、レイのその視線の先に、一軒の時計屋があるのを見ると得心した。

「時計か・・・」

(アスカ時間にルーズな所があるから気になってたのかな?でも確かアスカ時計持ってたはず・・・)

時計など時間が分かれば十分。ファッションアイテムにするという発想などまるでないシンジは疑問に思う。

もっとも、レイの方もそういう意図でここを選んだ訳ではなかった。単にシンジが考えたように、非常召集はともかく、普段の学校行事には遅れる事がしばしばあるアスカの事を考えての事である。レイにとってもどうでもいい事だが、周囲が良くないと言っているならそうなのであろうと思う。

流れに上手く乗って行くレイとは正反対に、シンジは人の流れをかき乱しながら四苦八苦してようやく店の前まで辿り着いた。

「なんか・・・凄そうな店だね。」

シンジはその店構えを見て呟いた。シンジも時計屋に、別に宝石店のような奇麗さは求めてはいないが、それにしても雑多という言葉がこれほど似合う店はそうはなかった。

「そう?」

気にも留めていない様子でレイは中に入って行く。シンジもその後を黙って付いて行った。

「いらっしゃい」

店の奥からいささか生気にかけた声がする。

店の中は窓が東向きに付いている事もあって薄暗く、風通しも良くない。そして壁一面には時計時計時計。まるでこのままホラー映画の撮影にでも使えそうであった。

各所に配置された陳列棚は、ただでさえ狭い室内を、意図的に狭く使おうとするようにごみごみと並べられていた。

中に並べられている物もごちゃごちゃで、値札を見れば、数十万円するような品物の隣に、そこらで売っている安い大量生産品が置いてあったりなど統一性のかけらもない。種類も置き時計から腕時計、懐中時計と雑然と並べられていた。

だが、レイはそんな事は全く気にする様子もなく店の奥、店主の下へ歩いていった。

「いらっしゃい。お嬢ちゃんに坊ちゃん。」

しゃがれた声の正体は白髪の老人だった。銀色の丸めがねをした、痩せて皮膚の乾燥した、真っ白な髭を貯えた老人。

(なんか・・・良く燃えそうだな・・・)

店の雰囲気に飲まれ、シンジはシンジらしからぬ感想を思い付いてしまった。

「どんなのを探しとるんだね?」

「時間を守るような時計を。」

レイが静かに返答する。外の雑踏が不気味なくらい遠くに感じ、シンジは片方がレイでなかったら、余りにもその場にマッチした二人の会話に逃げ出していたに違いない。

「ホッホッ、それは無理じゃて。時計は時間を示すが役目。守かどうかは人次第じゃよ。」

レイはそれには答えず、ただ店主の目をじっと見詰めていた。

主はそれを見て微笑むと、足元を漁り、15センチくらいの置き時計をカウンターに置いた。

「だったらこんなのはどうじゃな?セットした時間になると爆発する時計じゃ。死なない限りは起きるじゃろ?」

「じゃ、それを。」

鞄から財布を出そうとするレイを見て、シンジは慌てて止めに入った。

「綾波!いくらなんでもそれは拙いよ!怪我でもしたら大変じゃないか。」

「・・・そうね。」

怪我さえなければいいのかという疑問はさて置き、シンジはレイが財布を仕舞うのを確認すると、店主に言った。

「あの、友達の誕生日プレゼントに時計を贈ろうとしたんですけど、その友達が少し時間にルーズなんで・・・」

店主はその窪んだ眼孔をシンジの方に向けた。

「君は彼女の恋人かね?」

「ち、違います!そんなんじゃありません!」

「慌てんでもいい。責めとる訳じゃない。ほれ、見てみい。お嬢ちゃんが睨んどるぞ。」

「え?」

シンジが横を向くと確かにレイはシンジの方を向いていた。ただ、その深紅の瞳がいったい何を言いたいのか、シンジには読み取る事は出来なかった。

「綾波・・・」

だがレイは答える気がないのか、必要がないのか、ついと視線を前に向けて再び商談に入った。

「じゃあ、他のは?」

老人は顔をレイに戻す。

「その友達とはどんな人なのかね?」

「女性、14歳。赤い髪に、サファイアブルーの瞳。国籍はアメリカでドイツ人と日本人のハーフ。性格は勝ち気で行動的。頭脳明晰なるも精神的には年齢相応と推測される。体重は・・・」

「綾波、その辺で・・・」

余りの事務的報告に一瞬呆れたシンジだったが、それがプライベートな所に及ぼうとするに至って流石に止めた。

「ホッホッホッ。面白いお嬢ちゃんじゃ。さっきの対応といい気にいったぞい。」

(変な人・・・)

ますますシンジはその思いを深めたが、相手の上機嫌に水を差すほどシンジも馬鹿ではない。賢明にも黙っていた。

「わかった。特別割引で売ってあげよう。」

老人は再びカウンターの下を物色し、今度は15×5センチくらいの古い箱を取り出した。

「これはどうじゃな?」」

箱を開けると、中には箱の古さに似合わない奇麗なアナログ腕時計がしまわれていた。

茶色のベルトに黒の文字盤。かなり落ち着いた感じの時計だが、そのすっきりとしたデザインのせいか、決して年寄りくさい印象を与える物ではなかった。

「セカンドインパクト前の輸入品じゃ。これくらいでどうかの?」

そう言って老人が電卓に表示した数字は、シンジの予算よりゼロ一つ多かった。

「構わないわ。」

何の躊躇もなくその値段を了承するレイを見て、シンジは青くなった。

「綾波、高すぎるよ。そんなにしてくれるのはアスカも喜ぶと思うけど、そんなに無理させられないよ。」

「あの人はそれで喜ぶんでしょう?なら問題はないわ。無理もしてないから。」

そう言ってまた財布を取り出そうとする。

「駄目だよ。確かに高い物を貰えば誰だって嬉しいよ。でもそれが却って失礼だったり、相手を困らせる事もあるんだ。僕達は中学生なんだから中学生らしい値段の物にしようよ。ね?」

その調子とは裏腹に、懇願するようなシンジの台詞にレイの手は止まっていた。

「・・・分かったわ。もう少し安いのありますか?」

老人は即答しなかった。シンジとレイの顔を見比べて一人頷く。

「・・・お嬢ちゃん。いい人を見つけたね。大事にするんだよ。」

「え、だからそれは・・・」

「ハイ。」

焦るシンジを尻目にレイの声はハッキリしていた。

「うんうん。」

老人は電卓を4回押した。

÷、1、0、=と

「これで中学生らしい値段になっただろう?坊ちゃん。」

新たに提示されてた数字は、確かに高くないといえば嘘になるが、一応の許容範囲にあると思えた。

だがそのいきなりの値下げに、どのような意味があるのか分からないしシンジは黙っていた。

「それともまだ高いかね?」

そう言って老人は更に『÷』に手を伸ばす。

「あ!いえ!違うんです!あの、どうして僕達にこんなにしてくれるのか分からなくて・・・」

老人はその手を止めると、カウンターの上で手を組んでシンジの方を見た。

「おまえさん方が気に入ったから、では理由にならんかね?」

「ですが、それではお店の方の儲けがないんじゃ・・・」

シンジはその視線を受け止めきれず、更に俯いて答えた。

「子供は余計な事を心配せんでいい。それにここだけの話、今となってはそいつは一部の好事家以外には大して価値のないもんじゃ。昔は結構したモンじゃがな。」

シンジにはそれが本当なのかどうかは判別できなかった。

「でも・・・」

「坊ちゃん。さっきおまえさんが言ったように、相手がどう受け取るか分からない時は気を利かせるのが礼儀というもんじゃ。じゃが相手が好意を示してくれた時、余りに辞退するのは却って失礼じゃぞ。」

「・・・分かりました。ありがとうございます。何と言っていいのか・・・綾波も御礼言った方がいいよ。」

シンジは頭を下げながら、傍らのレイにも促す。

「あ、ありがとう・・・ございます。」

二人のぎこちない礼に、老人は表情を崩して手を振る。

「まあそんなにしゃちほこばらんでも良い。で、現金かな、カードかな?」

「カードで。」

レイは財布から金色のカードを取りだすと、老人の前にそっと差し出した。

提示された物に、老人の目に深い興味の色がよぎったが、その直後には何事もないかのように作業を進めて行く。

「ほれ、ここにサインを。」

レイもその指示通りにサインする。

「確かプレゼントじゃったな。」

「はい。」

老人はそう言うと、足元から奇麗な赤い紙を取り出し、慣れた手つきで包装して行く。

「最後にリボンを付けて・・・これでお終いじゃ。ほれ。」

レイは包装された商品を受け取り、カードとそれを鞄にしまう。

「あの、失礼します。ありがとうございました。」

「ああ、毎度。また来るんじゃぞ。もっともこれ以上はまけてやれんだろうがの。」

老人のその声を背にシンジ達は店を出た。

午後の西日は分け隔てなく人々を照らす。シンジ達は、薄暗い店内と外との光量差に一瞬目眩すら覚える。

「あの人いい人だったね。」

太陽の光から逃れるように、暗い店内に視線を振り返らせたシンジの表情は穏やかだった。

「そうね。」

レイもそっけない言いかただが、シンジの意見に賛同する。

二人は店内を眺めていたが、暫くするとどちらからともなく歩き始めた。

 

(さて、どうしようか?)

シンジはまだ何を買うか決めていなかった。心温まる人とのふれあいが出来たのは嬉しいが、今日の本来の目的はそれではない。

ここまでレイと、途切れがちな会話をしながらウィンドウショッピングをしてきたが、一長一短いまいち踏ん切りがつかないでいた。

(僕って優柔不断だからなあ・・・)

などと非建設的な事を考えながら歩いていたのである。

時計を見れば既に五時を回っている。日没まではまだ間があるとは言え、気がつけば夕日はビルの陰に姿を隠していて、ちらほらと電気を点け始めた店もある。

「だいぶ時間たっちゃったね。綾波は疲れてない?なんだったら少し休んで行こうか?」

「いいえ、疲れてないわ。休みたいの?」 

長時間レイをあちこち引きまわしている事に気がついて、シンジは罪悪感も手伝ってそう聞いてみる。だが、レイらしい言葉が戻ってきただけであった。

「いや、そんな事ないよ。ただ綾波に悪いなと思って・・・」

「どうして?碇君は悪い事はしていないわ。それに・・・」

「?それに?」

「・・・いえ、何でもないわ。」

そう言って顔を前に向けてしまったレイを不思議に思いながら歩くシンジの目に、デパート街が飛び込んできた。

(こんな所まで来ちゃうなんて、随分歩かせちゃったな・・・この辺で決めなきゃ。)

「あのさ、あのデパートで決めるから、もう少し行き合ってくれないかな?」

そう言った瞬間「なら初めからそうすれば良かったのに」と言われる危険性に気がついたが時既に遅し、その言葉に備えて身を堅くするしか術はなかった。

「なら、」

(来たっ!)

「そうしましょ。」

「え?」

予想外の言葉にシンジは驚きの声を上げてしまった。

(気を使ってくれたのかな?それとも気がつかなかったのか・・・もしかしたら最初からそういう人間だと思われてたのかな・・・そうだよね、こんな僕なんだしね・・・)

レイはと言えば先にすたすたと歩き始めたが、自分の後にシンジがついてこない事に気づくと、立ち止まって振替える。

「どうしたの?行かないの?」

「え、うん。今行くよ。」

我に帰ったシンジは慌ててその後を追って行く。

レイはシンジが追いついても今度は先に行かず、ぴたりとシンジの横に並んで一緒に歩き出した。

 

(プレゼントになりそうな物は・・・)

シンジは目の前の案内板を見て考えていた。この8階建てのデパートは、一般的にデパートで扱っている物なら何でもある様であった。それを特徴がないと言う事も出来るだろうが、選択肢が多いと言う事は悪い事ではなく、売り上げはそこそこある店であった。

8F―味の広場

(夕食にはまだ早いし、僕の分買ってからでもいいや)

7F―催事場・書籍・雑貨

(全国陶芸展は関係ないし、アスカの方が頭いいから本なんて駄目だろうし、雑貨は見るだけ見てみるか。)

6F―宝石・貴金属

(とても手の出る所じゃないし・・・)

5F―玩具・スポーツ用品

(アスカなんでも出来るけど、特にこれって言う物がないんだよなあ・・・ま、覗いてみよう。)

4F―紳士服

(こんなの贈ったら殺される・・・)

3F―婦人服

(ここになるのかな・・・メインはここだろうな)

2F―子供用品

(関係なし、と)

1F―化粧品

(僕には分からないや。)

B1―食料品

(こんな高い所で買出しなんてしたくない。)

B2―地下連絡路

(この地下鉄は関係ない)

一応の目星を付けると、シンジは意識をレイに向けた。

「じゃあ7階から回ってみようか。」

「本?雑貨?」

「本は無理だよ。僕の選んだのなんてアスカには簡単すぎるだろうし。雑貨で何かあるかなと思って。」

「そう。」

二人はエレベーターを待っていた。

 

7Fでキャラクター文房具セットをキープ。

5Fで一流メーカースポーツタオルをキープ。

そして今、シンジの予定ではメインと目される3階婦人服売り場に来ていた。

今まで来た事もないフロアに足を踏み入れたシンジは、流石にいきなりテナントに入る事は出来なかった。とりあえずフロアの中心に向かって歩いて行く。

「ハンカチにスカーフ・・・あ、パスケースにソックス・・・」

比較的値段の安い物に目が行くのは、主夫としての本能か。

(定番なんだけど・・・いまいち・・・)

財布にしてみれば嬉しい限りだが、『気持ち』と言うヒカリの言葉が引っかかってシンジにはそれらを選択する事が出来なかった。

しかしシンジも買い物自体は嫌いではない。迷うと言う事が面白く、手段が目的に変貌するのにさして時間はかからなかった。

(碇君、嬉しいの?)

自然取り残される格好になったレイは、笑みを浮かべながらあれやこれや品物を手に取るシンジを見て思った。

(笑う事。楽しい時、嬉しい時の顔。碇君が教えてくれた、私に分かるたった一つの感情。どうして今楽しいの?)

「う〜ん。これなんかいいんだけど、いまいちアスカの色じゃないんだよね・・・」

おそらく無意識であろうシンジの呟きに、レイの思考は方向性を見出した。

(そう。あの人の誕生日。それまで生きてきた事、これから生きて行く事への祝福。あの人がいる事、それが嬉しいのね。)

「ねえ綾波。これどっちがアスカに似合うと・お・・も・・・う。

美しいレースに彩られた二つのハンカチを、シンジは両手に持ってレイに質問するが、それを最後まで伝える事は出来なかった。

(こ、怖い・・・)

「綾波・・・どうしたの・・・?」

「どうもしないわ。」

言葉はいつもと変わらなかったが、その抑揚は冷静と言うよりむしろ冷酷さを感じさせる物だった。その分普段には見られない、刺すような光がその視線には灯っていた。

(しまった!つい買い物に夢中になって、綾波を放っておいちゃった。)

「ゴメン!一人にしちゃって。せっかく来てもらったのに、僕が買い物に夢中になっちゃうなんて馬鹿だよね。」

強烈なまでのレイの視線を受けながら、シンジは一直線にレイのもとへ戻って行き、必死に言訳をし始めた。

(馬鹿。相手を貶め、嘲る言葉。今迄は分からなかった。でも今分かった気がする。)

レイは新たな知識について考えていた。

「あのさ、向こう見に行ってみようよ。」

ここにいるのは拙いと判断したシンジが指差したのは、一軒のテナント。

そこはシンジでも知っているような有名ブランドだったが、『歳末記念価格』と張り出してあったのを見逃さないあたり大した物である。

「分かったわ。」

レイは頷いた。

(ちょっと高そうだけど、綾波の機嫌がこれ以上悪くなったら拙いしね。)

シンジは当面の危機を脱したと判断し安堵する。

二人は連れ立ってその店に入った。

店の中は、過剰なくらいの光量で照らされており、まるで影と言う影を追い出そうとしてるかのようであった。

店内は整然と品物が陳列され、今まで人の手が触れた事がないと言っても、おそらくシンジは信じたであろう。

「いらっしゃいませ。」

先ほどの時計屋との余りの違いに一瞬躊躇したシンジだったが、若い店員の声で覚悟を決めて中に入った。

「お客様、どのようなお品をお探しでしょうか?」

この時間に、明らかに中学生と分かる二人連れに対しても、全く営業スマイルを崩さないのは、訓練の賜物か実は慣れなのか。

「あ、いや、暫く見て回りますんで、何かあったら呼びますから・・・」

「左様でございますか。では御ゆっくりご覧ください。」

シンジのためらいがちな返事にも、一部の隙もなく返した、ミサトより少し若いくらいの店員は一礼して奥へと戻って行った。

「じゃあ見てみようか。」

店員が奥へ消えたのを確認して、シンジはレイに声をかけた。

「ええ。」

二人は店内を歩く事にした。

(高い・・・これの何処が記念価格なんだ?)

新字はその値札に書かれた数字を見てそう思った。もちろん予算内に入るものもいくつか見受けられたが、自身はスーパーで一組いくらの物を使ってるシンジの感覚からすれば、その値段は暴利以外の何物でもなかった。

(アスカって何処からこんなお金持ってくるんだろう?)

いくらなんでもアスカの持ち物が、すべてこんな高級品であるはずもないのだが、シンジの頭には「女物=高級」と言う図式が出来上がってしまった。

「あった?」

「いくつか候補はあったけど・・・綾波はあった?」

(さっきみたいな事は気を付けなきゃ)

丁度一回りした所で声をかけてきたレイに対して、シンジは彼なりの配慮で答えた。

「私?わたしは・・・こういうの分からないわ。」

「でもさ、アスカと出会って結構経つから、綾波なりにイメージってあるんじゃない?。ネルフに勤めてる人とかの服も参考にしてさ。」

(私のあの人へのイメージ・・・気にした事なかったけど・・・)

レイは自分に語り掛けるシンジの目、床、店内の商品と言う順番に視線を移す。

「やってみるわ。」

レイは今回った通路を再び戻って行った。

「これなんかいいんじゃない」「そう?」

「碇君これ・・・」「(げ、高い)ちょっと・・・」

「どっちがいいと思う?」「どちらも違う気がする。」「う・・・」

「これは?」「結構いいんじゃないかな。」

 

(なんだ、結構普通に出来るじゃないか。)

レイをアドバイザーとして連れてきた事へは一抹の不安もあり、加えてこういう状況で、レイに対してどのような態度を取ればいいのか心配していたシンジは、その順調な結果にまず満足していた。

シンジは選ぶ手を休めてふと後ろを振り向くと、そこにはほんの少し表情を柔らかくしたレイが、白とピンクのシャツを手に取って比較していた。

(何か・・・綾波の顔・・・どこかで見たような・・・)

記憶の箱をひっくり返してシンジは思い返す。何か忘れてはならない物だった様な気がしていた。

(ああそうだ。教室で雑巾搾ってる時に見た顔だ・・・)

得心してシンジはおかしくなった。その口から、思わず笑みがこぼれた。

 

(白。あの人の色じゃない。)

白いシャツを元の位置に戻し、ピンク色の方を持ってシンジの方を向く。

シンジは顎に手を当て、薄手のジャケットを手に考えていた。

いや口元が緩んでいる所から見て、考えていると言うより、想像の世界に飛び込んでいた。

そのシンジの姿を見て、レイの胸に、先ほどの忘れかけていた感情が蘇った。

(嬉しいのね。やっぱり。)

そう認識するだけで心が重くなるが、とにかく衣料品の選択の補助と言う任務を果たすべくシンジのもとへと歩み寄った。

「碇君、これ。」

「え?ああ、綾波。へえ・・・いいもの見つけてくれたね・・・ん?あ、駄目だ。サイズが合わないや。」

レイの持ってきたシャツをシンジも一旦は気にいったが、ふと首周りに付いている表示を見て首を振った。

「アスカはMサイズなんだ。これはSだし・・・サイズ違いってないのかな?」

シンジにとっては当たり前の発言だったが、レイにとっては、少なくとも今のレイにとってはそれは当たりまえたり得なかった。

「よくサイズ知っているのね。」

(どうしてこんな事言っているの?)

「まあね・・・洗濯も僕がやってるんだし、それくらいはね・・・」

「そう。あの人の事は何でも知っているのね。」

(こんな事・・・私・・・何故?)

「え?綾波どうしたの?」

「この服はあそこにあったわ。贈り物決まったのならもういいわね。先、帰るから。」

(これも私・・・?私の中の私?)

レイはシャツをシンジに押し付けると、そのまま店を出て、エスカレーターの方に向かってしまった。

(綾波・・・いったいどうしたんだろう・・・?)

突然のレイの変貌にシンジは呆然とするが、すぐさま気を取り直すとジャケットを元に位置に戻し、シャツを適当に置いてその後を追いかけて行った。

「ありがとうございました。」

店員の声もシンジには聞こえなかった。

「ちょっと済みません!綾波!」

下りエスカレーターを、人を掻き分けて進むシンジの目がレイの姿を捉えた時、レイはエスカレーターから降りて足早に先へ行こうとする所であった。

「済みません!通して下さい!」

他人の迷惑も顧みず、形だけは謝りながらシンジはエスカレーターを駆け下りて行く。

(どうしちゃったんだよ。綾波は・・・)

一階に到着し、勢いはそのままに、急速に近くなって行くレイの後ろ姿を追う。

「綾波!待ってよ!」

息を切らせてレイに追いついたシンジは、その華奢な肩を掴んでレイの歩みを止めた。

「何か用?」

その手の感触に、今までシンジの呼びかけが聞こえないかのように歩んできたレイが振り向いた。

「用って・・・一体どうしちゃったのさ。僕何か怒らせるような事した?」

不安げなシンジの表情。僅かに声も震えていた。

「いいえ、何も。碇君は私に選ぶのを手伝って欲しかったんでしょう?それが決まったなら、もう必要ないでしょ、私。」

「決まった事と綾波が帰る事なんて関係ないじゃないか。それともそんなにつまらなかった?・・・今日は迷惑だったの?」

自分が捨てられたという、過去の恐怖の再現の中にシンジはいた。

(震えている?そう・・・)

レイは自らの肩に置かれたシンジの手が、僅かに震えている事に気が付いた。それはレイに様々に溶け合った思いを引き起こしたが、レイの知識でそれを説明できる感情ではなかった。

肩に乗せられているシンジの手を外し、体ごとシンジと向き合う。

「分かったわ。」

その言葉と共に、今にも泣きそうだったシンジの顔に笑顔が戻ってきた。まさしくシンジにとっては、夜の闇を追い払う朝日のような一言であったのだ。

「ありがとう・・・綾波・・・」

「行きましょう。」

「うん。」

表面上何も変わらないレイに促され、シンジも上りエレベーターの方に歩いて行く。

通路には様々な化粧品が売られている。冬の新色と言う時期は既に過ぎたが、各社品物も出そろった所でそれぞれの宣伝競争に余念はない。

シンジにとってはそんな所に全く知識はなかったが、ふとあるカウンター奥の棚に並べられている小瓶に、昔見た記憶があったような気がして立ち止まった。

「綾波ちょっと待って。」

「何?」

「ちょっと気にかかる事があって・・・」

 

 

およそ2週間前、葛城邸。

土曜日、久しぶりに学校からも朝食当番からも解放されたシンジが目を覚ましたのは9:00の事であった。

カーテンの隙間からは夏の暑い日差しが部屋への侵入を試みており、その手段として部屋の温度を上げて行くと言う童話のような状況にあった。

「暑くなってきたな・・・起きようかな・・・」

そう寝ぼけた頭で考えるシンジだったが、休みの日の特権、惰眠を貪る事への誘惑には勝てず、次に意識を回復した時には時計は10:00を指していた。

カーテンと襖で締め切った部屋は、暑さで既に寝ていられる状況ではなくなっている。

「起きよ・・・」

のっそりと言う表現がぴたりと当てはまるような動作で起き上がると、カーテンを開ける。

「眩しい」

シンジは思わず手をかざして光を遮る。

雲一つない夏の日の快晴。左手上方には既に十分高くなった太陽が見渡す限りを照らしている。

「今日も暑くなりそうだな・・・」

外れようのない予想をしながら、シンジは窓を開ける為鍵に手をかけた。

 

「ん?」

部屋の換気を澄ませ、ジーンズとランニングシャツと言う服に着替えたシンジが洗面台に向かおうとした時、ミサトの部屋がの扉が開いている事に気が付いた。

「ミサトさん帰ってるのかな?」

『明日の昼過ぎになると思うから。』

昨夜のミサトの電話の声を思い返しながら、シンジは首をかしげた。

(早く終わったのかな?)

そう思って挨拶の為そちらへ向かう。

「ミサトさんお帰りなさい・・・アスカ、こんな所で何してんの?」

中にいたのは本来の住人たるミサトでなくアスカだった。

白のタック入りパンツにオレンジ色ののロゴ入りTシャツ。アスカらしい活動的な格好であったが、そのアスカがなぜここにいたのか。

「見たわね?」

鏡台に座り、怪談のような台詞をシンジを睨みながらアスカは言った。

「見たもなにも、アスカこそこんな所で何やってるんだよ。」

「あんたには関係ない事よ。」

そう言いながらも、シンジからは見えない所でこそこそ作業を進めるアスカ。

「?そっちで何やってるの?引き出しから何か取ったみたいだけど。」

「な、何言ってるのよ人聞きの悪い。私がミサトから何か取るなんてことある訳ないじゃない。」

「でも、鏡に反射して見えてるんだけど・・・」

シンジのその言葉に、アスカははっとなって鏡の方を向いた。

見れば確かに未だ開いている引き出しが丸見えである。と言う事は自分がそこから取った事もすべて見られていた・・・

(普段は鈍感なくせに、何でこんな時だけ鋭いのよ!)

アスカは理不尽にも怒りに近い物を覚えてしまったが、もはや言い逃れが出来ないと悟ると開き直る作戦に出た。

「これよこれ。」

改めてシンジの方に向き直ったアスカは、手にした小瓶の首を持ってシンジの前にちらつかせた。

「何それ?」

「香水よ。こ・う・す・い。ミサトが新しいの買ったからほんのちょっと拝借しようとしただけよ。」

「ふーん。でもそういうの良くなんじゃないかな。」

「そんなにたくさん使う物じゃないんだし、一回くらい構う事ないわよ。そんな事よりも。」

一旦話を切り、瓶を置き、立ち上がってシンジの鼻先に指を突きつける。

「黙ってなさいよ。」

「え?でも・・・」

「もしばれたら、理由の如何を問わずあんたの責任と見なすからね。後ろからパレットガン撃たれるぐらいじゃすまないわよ。」

そのアスカの表情と物騒な発言にシンジの目におびえに近い物が走る。

「なに、黙ってればいいのよ。黙っていればばれないし、ばれなければシンジが何かされる事もない。お分かり?」

こう言われれば頷くしかない。シンジはコクコクと頭を縦に振る。

「ヨロシイ。」

満足げな顔でアスカは鏡台の所に戻り、先ほどの香水を自分に吹きかけると元の場所に戻した。

「じゃ、ヒカリと遊んでくるから後よろしく〜」

アスカは固まったままのシンジの横を悠然と通りぬけると、そのまま玄関に向かって行き外へ出て行った。

 

 

(なんて事もあったけど、あの瓶、確かあんな形してなかったっけ?)

見れば回りにおいてある瓶とは形が違うようで、シンジには貴重な判断基準となっていた。

(あれでもいいかな・・・)

そう考えるシンジの頭には、先ほどのレイの態度やサイズの違いが思い返された。

(さっさとあれに決めてしまおう。)

「綾波。ここで買う事に決めたから。すぐ終わるから待ってね。」

「ええ。」

「済みません、あの香水見せて欲しいんですが・・・」

シンジはカウンター内の女性店員に声をかけた。

 

 

(・・・・・・・・・・・・・・・)

レイは再び放り出された。

ただ買うだけだったはずのシンジが話し掛けたのが、解説好き(?)の店員であった事も災いして、今年の流行から使い方、果ては効果的な渡し方まで延々とシンジに教授していた。シンジも口を挟むタイミングを掴めずに、しかし待たせていると言う罪悪感だけが時と共に増大して行くのであった。

(あの笑い方は嬉しい笑いじゃない。)

先ほどとは違い、現在のシンジの笑いが愛想笑いである事は、その概念を知らないレイでも見て取れた。

(でも、この感覚は何?もやもやして、ハッキリしない。)

自分の感覚に付いて行けないまま、レイは一度大きく息を吐くと、視線を上に上げた。

レイの視線の先には、口紅の宣伝であろうか、モノクロの、人々を魅了する笑みを浮かべた女性の顔写真で、口だけが艶やかな赤になってるポスターがはってあった。

(あなたは嬉しいの?どうして?)

経験した事ない感情に翻弄されながら、レイはただそのポスターを見上げていた。

 

「お客様。」

レイのその迷走は、店員と言う予想外の存在に破られた。

レイが視線をその声の方に落とすと、そこにはストレートロングヘアーの、若いが器量は十人並みより少し上程度か、が立っていた。

「あのポスターがお気に入りですか?あの商品はこの冬の流行でございまして、いかがでしょう?お客様もお試しになられては。」

「別にいいわ。」

レイはそう言ってシンジの方に視線を向けた。話は一向に途切れそうにもない。

店員はその視線の先にあるモノを理解すると、僅かに声を落としてレイに語り掛ける。

「あのお客様は今しばらくかかると存じます。その間、お時間は取らせませんのでいかがですか?」

「私は私。別の私を見る必要はないわ。」

顔をそむけたまま、煩わし気にレイは答えた。

「お客様のようにお若く、作りもよろしい方はそうお考えかも知れません。ですがお化粧は別の自分を造り、人を騙すのが目的ではございません。自分の新たな魅力を引き出し、人との心を繋ぐ一つの手段なんです。」

「心を繋ぐ・・・?」

初めてレイは興味の色をたたえて店員の方へ顔を向けた。

「はい。お連れのお客様にお試しになられます?」

店員は一度シンジの方へ顔を向け、すぐにレイに向き直る。

「・・・はい・・・」

「ではこちらへ。」

店員は俯いたままのレイをカウンター前の椅子に座らせた。

 

「本当にお客様はお肌が奇麗ですわね。何かお使いになられていますか?」

「何も。」

「そうですか。きめ細かくて白くて艶やかで・・・これでしたら、いま少し健康的に見えるよう薄くファウンデーションを使えば十分ですわ。」

「そうですか。」

コンパクトを取り出し、器用な手つきでレイに化粧を施してた。

「次に口紅ですね・・・」

これもお試し用においてあったのだろう、商品棚とは別の所から一本の口紅と紅筆を取り出し、キャップを外して紅筆を使って、レイの唇に桜色の口紅を塗っていく。

(私。どうして・・・)

唇に妙な感覚を覚えながら、レイは再び心の迷宮をさまよっていた。

(どうしてここ座っているの・・・関係ない事、無意味なのに・・・私達には・・・・・・そう・・・私はここに居たいのかもしれない・・・でも・・・)

自分の存在意義。全てはそこか問題であった。否、問題になった。

 

「ありがとうございましたぁ〜」

無理矢理押し込まれた知識にオーバーヒートしそうになるシンジが、やっと当初の目的を達成して解放されたのは、優に最初から15分以上は立ってからの事であった。

(綾波には悪い事したなあ・・・これなら服買った方が早かったよ。)

そう反省しながら周囲を見回し、間違えるはずもない空色を探す。

(あれ?あそこで何してるんだろう?)

化粧品売り場で抱くには馬鹿げている疑問を抱いたシンジだったが、たかだか数メール先の事、つかつかとそこに歩み寄った。

「綾波、待たせてゴメン。・・・化粧、してるの?」

目の前にくればシンジでも分かる。カウンターを挟んで店員と向かい合うレイ。店員は片手に口紅、片手にに紅筆を持ってレイに何やら施している。これで化粧以外の発想が出てくる方がおかしい。

「・・・はい、終わりました。いかがです?」

店員はそう言って、口紅と紅筆を置き、近くにおいてあった20×15センチ程度の鏡をレイの正面に持ってくる。

「これ・・・私?」

「ええそうです。お客様の一つの可能性。お客様の素顔の一つです。」

「素顔の一つ・・・」

「はい。女性の素顔は万華鏡のような物。千変万化させられる物ですから。」

レイは自分の頬に手をやり、さすっている。レイの反応に満足して、店員は暫く言葉を差し控えた。

「綾波?」

(どんなになってるんだろう?)

シンジの方からは角度の関係で顔半分しか見えない上、天井の照明が反射して、ほとんどその光景が見えなかった。

「碇君・・・」

シンジの声に、レイはためらいがちに振り向いた。

「綾波・・・」

その立ち振る舞いもさる事ながら、自分の視界に入ってきた映像にシンジは驚いた。

(可愛いのは知っていたけど・・・こんな綾波初めてだ・・・)

当たり前である。化粧は始めてなのだから。

普段よりほんの少し血色のいい肌、桜色に施された唇。たったそれだけの違いが普段のレイとは別の存在に昇華させていた。

「お連れのお客様、いかがですか?」

「えっ!ぼ、僕ですか?!」

レイに見とれ、呆然としていたシンジは店員の声に咄嗟に反応できなかった。

せわしなく店員とレイの顔を見比べ、二人ともシンジの発言を待っている事に気が付くと、シンジは恥ずかしさの余り俯いてしまう。

「どうって・・・僕はその・・・やっぱり何と言うか・・・その・・・奇麗だと・・・」

(違うよ。そんなんじゃんくて、もっといい言葉は・・・)

顔を赤くして、自分のボキャブラリーの貧困さを呪いながら、結局シンジは俯いている以外何も出来なかった。

一方レイは、そのシンジの答えの意味を理解しかねるかのように二・三度瞬きをすると、こちらも僅かに頬を紅潮させた。

「な、何を言うのよ。」

店員はその光景を微笑ましく眺めていたが、多少時間を置いてから、本題を切り出した。

「お客様。お化粧へ興味を持っていただけましたか?」

「はい。」

「それは良かった。私もお勧めした甲斐があったと言う物です。それで今回はいかがいたしましょうか?」

「?」

「何かお買い求めになられますか?」

あくまで下手に、押し付けがましくならない様に商品を勧める。テクニックの見せ所である。

「・・・でも私・・・やり方知らないから・・・」

「お時間さえよろしければ、今お教えしますよ。そんなに難しい事ではありませんから。」

「・・・碇君。」

「う・・・もちろんいいよ。納得するまで練習して。」

ただでさえ動揺を押さえ切れないシンジである。上目遣いに懇願するようなレイの瞳を見て、拒否など出来るはずもなかった。

「じゃあ、二つとも。」

「はい。承知いたしました。ではお連れの方は、こちらにおかけになってお待ちください」

 

レイの「練習」はその後一時間近く続いた。

 

「もう大丈夫ですわ。」

「はい。」

「良かったじゃない。」

店員のOKサインにレイは淡々と、シンジは開放感に満たされて返事をした。女の子の顔を眺めているのは失礼だろうと思い、シンジは大体の時間はレイから視線を逸らしていた為、退屈極まりない時間となってしまった。

レイはやはり自分でやった為、特に口紅の塗り方など先程よりも悪くなってしまったが、私語に店員の手直しでかなり近い所まで修正された。

「ところでお値段の方はこちらになりますがよろしいでしょうか?」

ミニ電卓に代金が表示される。

(化粧って結構するんだな・・・)

シンジは漠然と考えていたが、ふと、店員がシンジをちらちら見ているのに気が付いた。

(?)

シンジにはそれでは分からない。

(あんた男やろ。ここで「僕が出すよ」くらい言うてみんかい!)

と言う感じの店員のサインであったのだが、シンジはこの段階でそれに気が付くほど明敏な人間ではない。もっとも、普通中学生はそんな事は言えないが。

「ええ。構いません」

レイは鞄から財布を取り出した。そして再び金色のカードを出す。

が、ここに来てようやく店員のメッセージを理解したシンジはそれを押しとどめた。

「綾波、今日は付き合ってもらったんだし、御礼に僕が払うよ。・・・持ちあわせが少ないから口紅の分だけだけど。」

「気にしないで。私の方は余裕があるから。」

そう言われればシンジとて男、余計に引き下がれなくなる。

「いいんだよ。僕が綾波にプレゼントしたいんだ。受け取ってくれないかな?」

「いいの?」

「うん。じゃあこれ、口紅は別会計でお願いします。」

心の中で涙しながらシンジは代金を支払う。流れるのは悲哀の涙か感涙か。

(格好つけるって、こういう事なんですか?加地さん。)

あの無精ひげが、いつもより頼もしくなったシンジであった。

 

 

「うわ、ずいぶん暗くなったなあ。」

シンジ達がデパートの外に出た時、既に当たりは夕暮れ時の直中であった。空はまだ赤いものの、既にビルに挟まれたこの地域は完全に暗くなっており、まだ開店している店と街路灯には眩しいばかりの光が灯っていた。

時計を見れば6:30を回っている。

周囲には学生服を来た人間は幾ばくか減りはしたが、その分スーツを着込んだ会社帰りの姿が多くなり、一向に人ごみが減った様子はない。

「ゴメンね遅くなっちゃって。僕があちこち連れ回して。」

「いいのよ。」

「えっと・・・ありがとう。」

「・・・私も・・・」

初めはレイの方を向いていたシンジだったが、何となく見ていられなくなって顔を前に向けた。

それっきり二人の間に会話はなかったが、不思議とシンジはそれが苦にならなかった。

 

「なんだろう?」

二人が駅前に来た時。来た時にはなかった巨大な木が駅前広場の中央に居座っていた。

周囲には何やら人が輪を作っており、作業服姿の人間が忙しく走りまわっている。

「大きいね・・・」

「20メートルくらいね。」

口を開けて上を見上げる様は他人から見れば馬鹿以外の何物でもないが、少なくとも本人達にその意志はない。

「何が始まるんだろう?知ってる?」

「いいえ。」

周りを取り囲む野次馬に紛れて、二人は事の成り行きを見つめる事となった。だいぶ予定より遅い時間だったが、どちらも帰ろうとは口ににはしなかった。

『そっちいいかぁ〜』

『O〜K』

『配線は〜?』

『準備よ〜し』

『安全確認しろ〜』

『大丈夫です!』

『それじゃスイッチ入れるぞ〜3、2、1・・・』

瞬間、木が光だした。

「へぇ・・・」

そのイルミネーションにシンジは感嘆の声を上げた。周囲からも同様の声が上がる。

薄暗くなった周囲をひときわ明るく照らすその存在。これから闇が深くなるに連れ、より目立つ事は間違いないであろう。

そして、スピーカーからはクリスマスソングが流れてきた。何処からともなくサンタクロースも現れる。

「そっか・・・良く考えたら、もうちょっとでクリスマスなんだよね。」

「そうね。」

「クリスマス、イエス=キリストの誕生日か・・・神様は僕達に何をくれるんだろう?使徒って言うのは勘弁して欲しいよね。」

レイはそれには答えなかった。ただ、真ん中で行われているサンタクロースのパフォーマンスの方を見ている。

シンジはそのレイの横顔を見ながら話し掛ける。

「ねえ綾波。一つ聞いていいかな?」

「何?」

「綾波の誕生日っていつなの?次の時はみんなでお祝いしようと思うんだけど・・・」

「・・・分からないわ。」

「え?分からないって、誰も教えてくれなかったの?父さんもリツコさんも。」

流石に両親がいないと分かっていた為、それに付いては言及しなかったが、意外な思いでレイを見つめた。

(リツコさんはともかく、父さんならそう言うのやったと思ったのに。)

ケイジで、見たレイにだけ見せた、自分には見せた事のないゲンドウの顔が思い出される。あれも演技であるのかと言う疑問と共に、自分に対してでなくても、せめてゲンドウには持っていて欲しかった父親の役割と言う物の存在までが疑われる。

「でも、住民票とかで見た事ないの?」

沸いて出てくる疑問を頭を振って追い出し、レイとの会話に集中する。

「無いわ。本籍、両親、年齢、生年月日、全てが存在しない存在。それが私。」

レイはそう言ってゆっくりとシンジの方を向く。

「必要な時に存在し、不必要になれば死ぬ。それだけ。」

「そんな・・・死ぬだなんて。前にも言ったじゃないか。そんな事言うなって。」

「でも、私はそういう存在。」

シンジはレイも紅い目をじっと見詰めた。光り輝くイルミネーションを受け、その瞳は細かいガラス片が舞っているかのようにきらめいている。

「しゃあ・・・僕は君を・・・綾波を必要としている・・・だから・・・そんな事は言わないでくれないかな・・・」

「碇君が?・・・駄目。私は碇君の役には立てない」

レイがシンジから逃げるように視線を外す。シンジとは反対側の地面に視線を落とした。

「役に立つとか立たないとか、そう言う事じゃなくて・・・役に立たなくても居て欲しい・・・じゃなくて、その・・・僕の言ってる必要って意味は存在・・・って言うんじゃなくて・・・」

シンジは大きくため息を吐いた。

「ゴメン。僕は上手く喋れないけど・・・なんて言うのかな、今日は途中で綾波を怒らせちゃったみたいで、悪いと思ってる。でも、僕は楽しかった。学校でもなくて、ネルフでもない所で、いろんな綾波を見れて・・・ええっと・・・つまり何が言いたいかと言うと・・・またこれからもずっといろんな綾波を見ていきたいなと思ったんだ。何かに利用しようとか、して欲しいとかじゃなくて・・・わかりにくいと思うけど、そういう事なんだ。」

シンジが言い終えると、少し間があって、レイが顔を上げてシンジの顔を見る。だが、すぐに視線を元のイルミネーションに戻してしまった。

「・・・ゴメン。勝手な事言って、余計だったよね・・・」

レイの横顔はイルミネーションの光によって、その表情の判別は更に難しい。だが、その行動を拒絶の意思表示と理解したシンジは、落胆によって肩を落とし、やはり前に視線を移してパフォーマンスに目をやった。

「馬鹿・・・」

だが、レイはそんなシンジの腕を取ると、自らの腕を絡める。

(綾波?)

左腕に感じる暖かな感触に驚いたシンジは、驚いて自らの左手を見る。

レイは慣れていないせいか、シンジと腕を組んでいると言うより、抱き着いてると言う状況に近いが、頭まで預け、ぴたりとくっついていた。

「あの、あ、綾波・・・これからもよろしく。」

頭に血が上るのを認識しながら、慌てて明後日の方を向き、小声でシンジは呟く。

シンジの腕に込められた力が更に強くなった。

 

 

「ミサトさん、もう少し上、もうちょっと右、そうそう。はい、そこです。」

「おっけ〜、レイ、画鋲二つとって。」

「はい。」

12月4日、当日。

リツコに呼び出され、ネルフへと向かったアスカを除いたシンジ、トウジ、ケンスケ、レイは直接学校帰りに葛城家に寄り、ヒカリは材料と共に少し遅れ、5時きっかりに仕事を切り上げたミサトが更に遅れて集合した。

ケンスケ指揮の下、ミサト・レイは会場係、トウジは雑用、シンジとヒカリが調理係と無難な配置で準備は進められた。

このような小人数で、しかも中学生の予算の範囲内である。豪華などには行くはずも無いが、ここ数日の突貫作業の下準備が生き、まずまずの出来栄えとなった。

「置いてきたで。次の奴出来とるか?」

トウジが調理場で時間と格闘するシンジとヒカリの間に顔を出してきた。

「うん、じゃあこれ持っていって。」

「了解や。」

言いながら、トウジは皿の上からから揚げを一つ口にほうり込む。

「ああっ!鈴原つまみ食いは止めなさい!」

「ええやんか、一個や二個。減るもんやないし。」

「減るわよ!」

漫才をしながらもヒカリの手は止まらない。シンジという補助もあるせいか、とても中学生の物とは思えない手際の良さで料理を作っていく。

「分かった分かった。ところでシンジ、さっきから気になっとったんやが、メニューに統一性ちゅうもんが欠けとるように思えるのは気のせいかいな?」

トウジが背後の机とシンジの顔を見比べながら、シンジに聞いてくる。

「ゴボウの煮物やらほうれん草のお浸しとか、惣流あんなんが好きなんか?」

「あ・・・いや、綾波が肉は駄目なんだ。だけどあんまり僕達そう言うのレパートリー無くて・・・ついミサトさんのお酒のつまみみたいになっちゃったんだ。」

「ほか。綾波が肉駄目ちゅうのは初耳やわ。ならしゃあないわな。」

トウジはある程度納得すると、両手に皿を持って、居間へと行ってしまった。

「でも、よっ、碇君大した物じゃない。」

フライパンを揺らしながらヒカリが話を続けてきた。

「肉と魚なしでも結構作れてるわよ。ねぎのマリネとか山芋カナッペとか普通作らないわよ。」

「そんな事無いよ、本見て作ってみただけだし。凄いって言うのは委員長みたいな人の事を言うんだよ。」

「ありがと。そっちはどう?」

シンジはオーブンの中を覗きこむ。そろそろ時間のはずだ。

「そろそろ時間だし・・・頃合いじゃないのかな。」

「そう、じゃあクリームといちご用意しておいて、それからこっち交代ね。」

「うん、分かった」

ヒカリ料理長、なかなか楽はさせてくれない様だ。だが、シンジはこういう雰囲気は嫌いではなかった。

穏やかな時を刻みながら、歓迎の準備は着着と進んでいった。

 

 

「全くリツコも何考えてるのかしら」

アスカは不機嫌だった。ここ数日ヒカリの付き合いは悪いし、シンジは裏でこそこそやっている。ミサトは何か感づいているようだが自分から話そうとはしない。加持は仕事で数週間顔も見ていない。

そんな所へ自分一人ネルフの呼び出され、実験とやらに付き合わされたのである。

「いくら私が期待の星だからと言っても、プライベートくらいは確保したい物よね。」

チン

音と共にエレベーターの扉が開く。そこから突き当たりの自分の家まで二十数メートル。とても不満は言いきれそうにはなかった。

「ただいま〜」

(ん?)

めんどくさそうに扉を開けたアスカだったが、玄関にやけに靴が多い事に気が付いた。

(ひーふーみーよー・・・三バカ以外に誰か来たのかしら?)

「お帰りぃ。用意できてるわよん♪早くいらっしゃい。」

めったに出迎えなどしないミサトがニコニコしながら、玄関までアスカを迎えに来た。

(げ、今日ミサトの夕食当番だったの。)

それだけで玄関から回れ右をして逃げ出したくなったが、当人が目の前に居る以上もはやそれも出来ない。動揺は表に出さず、覚悟を決めて平静を装う。

「それはそうとして、誰来てるの?」

「いいからいいから。みんな待ってるわよ。」

ミサトはそう言い残して、先に居間の方へ戻っていった。

(何なのよ・・・?)

疑惑は増すばかりであったが、いつまでも玄関で突っ立っている訳にも行かず、アスカは靴を脱ぎ揃えて、自室へと向かった。

パン!パン!パン!

「アスカお誕生日おめでとう!」

「おめでとう。」

「おめでとう。」

「おめでとう。」

「おめでとさん。」

数ヶ月後、シンジはこれと似たような体験をする事になるが、それはさておき、居間に顔を出したアスカはいきなりクラッカーと拍手に出迎えられた。

突然の事に暫く呆然としていたアスカだったが、さすがに立ち直りも早かった。

「誕生日・・・覚えててくれたんだ・・・」

「もちろんじゃない。さ、早くこっちに座って。」

ヒカリに手を取られ、アスカはいわゆるお誕生席に座らせられる。

「相田君カーテン閉めて、シンジ君火点けて。」

ミサトの指示により、部屋は暗室となり、シンジが点けたロウソクの光が、エアコンディショナーによる緩やかな空気の流れと共に揺れていた。

(何かいいな・・・)

シンジはボーッとしてその焔の方を見ていた。

焔を、ではない。

ケーキに挿されたロウソク越しに、レイの顔が見える。今日のレイは化粧禁止と言うほとんど守られていない校則を守り素顔のままだが、その紅い瞳と白い肌が焔の揺らぎに応じて、何とも言えない複雑で多彩な表情を作り出していた。

(僕の知ってる綾波、綾波しか知らない綾波、父さんの知ってる綾波・・・少しでもたくさんの綾波を知りたいと思うのは・・・対抗意識なのかな・・・)

ある程度正しいと思うのだが、どうもシンジは自分を納得させられないでいた。

「じゃあお約束の行くわよ。」

シンジはミサトの声で顔をアスカの方に向けた。

「さん、はい!」

「「「ハッピバースデイトゥユウー、ハッピバースデイトゥユウー、ハッピバースデイディアアスカー、ハッピバースデイトゥユウー」」」

歌い終わった所で、アスカは一度大きく息を吸いこむと、今度は肺を空にするかのように一気に吐き出した。その勢いに焔は最後の揺らめきと共に姿を消した。再び拍手する参加者一同。

「感謝するわ。でも発音がいまいち。75点ね。」

アスカは暗闇の中でそう言い放った。ただ、発言の内容ほど声に力が無いのは照れているからなのかは、暗闇でその表情が見えない為判別しがたい。 

「けっ。漢字テスト20点がよう言うわ。」

「鈴原も同じでしょ!日本人として恥を知りなさい。」

「はいはい。喧嘩はそのくらいにして、相田君カーテン開けてくれる?」

「分かりました。でも二人はこれが大切なコミュニケーションなんですよ。」

「喧嘩するほど仲がいいって奴かしら?」

「「違います!!何でイインチョ(鈴原)と!!」」

(おお、見事なユニゾン。二人がマルドゥックに選ばれたら試してみようかしら?)

そんな事をミサトが考えていると、ケンスケの手によりカーテンが開けられた。

再び室内に差し込む夕暮れ。日中のように爽快な光ではなく、見ようによっては物悲しくもなる色だが、それまで暗黒の中にいた一同にとっては十二分に眩しい光だった。

「じゃあグラスにシャンパン注ぎましょう。ノンアルコールですよ、ミサトさんも。」

「分かってるわよ〜。」

ぱたぽたと手を振るミサトは、机の下に隠してあった瓶を足で押し込めた。

「いい?じゃあ改めて、惣流=アスカ=ラングレーの14回目の誕生日を祝って、」

「「「カンパーイ!」」」

ヒカリの音頭に続き、皆はグラスを高々と掲げた。

 

 

「アスカ、もうお皿無いー?」

「無いわよー。洗い終わったのー?」

「うん。やっとねー。」

「ご苦労様ー。」

(ご苦労様!?アスカが僕にねぎらいの言葉?)

夜もふけ、時間も遅いと言う事で会はお開きとなり、ミサトは他の子供達を送って行った。残されたシンジとアスカは奇麗に片づけられた料理の皿と飾り付けなどの片づけに追われていた。

手際の良さもあり、アスカ担当の飾り付けの方は早く片付いたのだが、シンジの皿洗いは今までかかっていたのである。

エプロンで手を拭きながら、シンジは台所を出て居間に戻る。

アスカは普段着に着替えて寝転んでテレビを見ていた。シンジにとってはいつもの格好。

普段に戻った事に一安心して、シンジは側にあった座布団に腰を下ろした。

「アスカ、今日は楽しんでくれたかな?」

「まあね。あんた達がこういう企画をしていたとは思わなかったわ。それに、あんたもなかなか気の利いたプレゼント選んだじゃない。」

「綾・・・怪しいかな?」

レイの名前が出そうになって、シンジは咄嗟に言葉を変える。

「まあ、あんたらしくないわね。加地さんかミサトに聞いたんでしょ?」

「いや、ちょっと前アスカがミサトさんの使ってるの見た事覚えてたから。」

「・・・あの事は早く忘れなさい。」

アスカはテレビからは視線を外さなかったが、その声には十分な迫力が存在した。

「うん。」

「よし。それにしても二馬鹿とヒカリはらしいけど、あのファースト、意外になかなかいいセンスしてるじゃない。こんな良い物見つけてくるなんてね。」

「だよね。」

シンジは別に何をした訳でもなかったが、レイの選択が誉められれば何となく嬉しい。声も自然と明るくなる。

「別にあんた誉めた訳じゃないわよ。もっとも、司令の入れ知恵かもね。」

「そんな事無いよ。綾波は自分で店を探して、自分で買ったんだ。アスカの為を思って。そんな言い方無いと思うよ。」

アスカはそのサファイアブルーの瞳に複雑な光をたたえて、初めて顔をシンジに向けた。

「ほほう。シンジ様は自分が言われるのは構わないけど、ファーストが言われるのは許せないと。大体どうしてそのような些事をご存知ですのかな?」

「ち、違うよ。綾波に聞いたんだよ。その、アスカが帰ってくる前に。」

「お仲のよろしい事。」

『・・駅にはクリスマスツリーも飾られ、もう街はクリスマスに向け一直線です。』

『へえ、奇麗ですねえ。光っているんですか?』

『そうなんです。電球が付いていまして、今その瞬間をお見せします。』

(あれは昨日の。)

視界の端に入っていたテレビに、見たような木が映し出された瞬間、シンジはアスカ越しにテレビに見入っていた。

シンジの様子にアスカも気が付いたのか、姿勢を元に戻して画面を見る。

『3・2・1・・・』

昨日と同じように、その声と共に木が輝いた。

だが、一つだけ違う事があった。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

我慢の端には、大映しになっているレイ。その向こう、レイの半歩前にシンジが映っている。

画面が元の女性記者に切り替わった。

『凄いですねえ。どれぐらい付いているんですか?』

『はい、1000個付いていると言う話で』

プツッ

アスカによってテレビの電源が切られた。

「これはどういう事でしょうかねえ?」

「いや、その、プレゼントを。」

「何かファースト、口紅まで付けてたわねえ。『あの』ファーストが。」

「だからそれは・・・」

「つまり買い物を口実に、おデートをしていた訳?それって私の記念日を利用したと言う事よね?」

もはやシンジは口をパクパクさせる事しか出来ない。アスカがじりじりと迫ってくる事にも、腰を上げかけた所で、ヘビに睨まれたカエルのように動く事すらままならなくなってしまった。

「この大馬鹿シンジー!!」

喧燥はミサトの帰宅まで続いたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(またおまけ)

日中でもなお暗いジオフロント内部。

少ない光を少しでも多く採ろうかとするような壁一面のガラス。

だが、その努力も、一見不必要に思えるほど広い空間には光を置くまで届かせる事は出来ない。

国連直属の非公開組織ネルフ。その司令室に二人は居た。

「・・・レイ。お前も化粧をするようになったか。」

「はい。」

「そうか・・・だがコンビニエンスストアで買ったのであろう?肌に合わないのではないか?」

「いいえ、デパートで碇君に買ってもらいました。」

その言葉に、ゲンドウの肩が僅かに揺れる。

「レイ、これでその化粧を落としなさい。」

引き出しから化粧落しを取り出すゲンドウ。それをレイの前に差し出す。

「拒否します。」

「何!?」

「失礼します。」

それだけ言うと、レイは司令室から出ていってしまった。

後に残されたのは敗者のみ。

(おのれシンジ。身の程もわきまえず、私のレイに手を出すとは。計画の為には排除する訳にはいかんが、必ず懲罰をくれてやるぞ・・・)

 

後にシンジがLCL圧縮濃度を上げられた時、人知れず歪んだゲンドウの口を見た者はいない。

 

 

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