「あの人と会ったのは、セカンドインパクトが終わって何年かたった春、私が一〇歳のときだった。そのとき私は、家族を全て失って施設に入れられていた」

 レイの声は、抑揚も感情も感じられなかった。それだけにシンジには、彼女の心のなかでどれほどの葛藤がうずまいているのか、容易に理解することができた。

「離人症という病気があるわ。

 人には五感とよばれるものがあるわ。視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚。そして、六番目の感覚が存在する。無知な人はそれを超常感覚と呼ぶけれども、医学的には、それとはまったく別のもの。

 人は意識してはいないけれども、自分の身体から、それが常にその瞬間どう動いていてどういう状態にあるか伝えられている。自分の身体が実際に存在していて、自分のものである感覚。その感覚が、六番目の「固有感覚」と呼ばれるもの。

 離人症は、その「固有感覚」が失われる病気。

 私は、その病気の軽度の患者だった」

 自分が自分である感覚がなくなってしまう。

 それがどれほど辛いことなのか、さすがにシンジには想像することすらできなかった。

「あの人は、そんな私をひきとってくれた。そして私に、身体を起こすとは、ものに触るとは、歩くとは、走るとは何かを、一つ一つ実際に私の身体に教えてくれた。私が「固有感覚」を取り戻すまで、二年以上かかったわ。それからあの人は、私に自分の持っていた技術を、全て教えてくれた」

 レイの言葉に、わずかではあるが温かい何かがこめられていた。それが彼女と「あの人」との間の絆であることを理解したとき、シンジは胸がかきむしられるようなせつなさを感じた。

 だが次の瞬間、その言葉はいっさいのぬくもりをうしない、シンジが校舎の屋上から「見た」のと同じ冷たいなにかに満たされていた。

「あの人が死んだのは、去年の十二月。「マーハヤーナ」との戦闘中だった。流れ弾にあたった民間人を救けようとして狙撃された、と聞いたわ」

 シンジは、ただレイの言葉に耳をかたむけているしかできなかった。

「……私がこの「力」を手に入れたのは、「固有感覚」が戻ってきたときのこと。

 私は、装填された銃みたいなもの。考えたわ、自分がなぜこの「力」を持っているのか」

「……答は、見つかったの?」

 レイは、笑っていた。それがどれほど凄惨で悲しみに満ちたものであっても、それは笑いでしかなかった。

「装填された銃は、引き金を引かれるためにあるわ。ならば私は、正しい方向にむかって銃口をむけなければならない。そして、そのための「目」と「力」をあの人は私に与えておいてくれた。

 だから、私は戦い始めた。結局二ヶ月以上もかかったわ。彼らは全て殲滅したはずだった。でも、まだ何人か残っていたのね。

 一昨日の事件は、私のミスの結果。取り返しのつかないミスだけれど、でも、つぐなわなければならないことにかわりはないわ」

「……まえに言ったよね、研究所に、命令されて来たって……」

「ええ。命令したのは、碇補佐官。あなたのお父さん」

「……そうなんだ」

 もう一度、二人の間に沈黙がおりる。

「行くわ。私には、なにもないもの」

 その横顔が、あまりにも哀しい。

「さよなら」

 レイは、顔をシンジにむけることすらせずに、歩き出した。

 シンジは、足がすくんだまま、動くことができないでいた。

 僕は馬鹿だ、大馬鹿者だ! 綾波がどれほど辛い思いをして生きてきたかも知らずに、かわいそうだ、力になってあげたいなんて、おもいあがって。僕には何もできやしないじゃないか。何も知りやしないじゃないか!

「綾波!」

 シンジは絶叫した。

 おもわず怒りが、悲しみが、やるせなさが、声になってあふれでた。泣きたいほど辛かった。くやしかった。

 だがレイは、その歩みをとめようとはしなかった。

 シンジは、ほとんど無意識のうちに「力」を使っていた。レイは、自分のまえに「壁」がはられたことに気がついた。彼女は一瞬たちすくむと、今度はゆっくりとふりかえった。

 その面から、いっさいの表情が消えていた。

「なぜ?」

 シンジは、おびえていた。これまで自分のなかで吹き荒れていた激情が、嘘のように消えてなくなっていた。レイが彼に向けてきた殺気は、冷たく肺腑の底までもつらぬきとおすような鋭いものであった。彼は緊張と恐怖で歯が鳴りそうになるのを必死にこらえ、つばをのみこみ話し始めた。

「だめだよ、それじゃあ、いつまでたっても、終わらない」

 うしろで、レイの「気」がゆっくりとたわめられていくのがわかった。だが、ここで逃げ出すわけには行かなかった。すでに選択はなされたあとであった。シンジには、自分がもう一度同じ過ちをくりかえすのだけは、許せなかった。綾波レイをこれ以上傷つけてはならなかった。

「綾波のしようとしていることは、ただの復讐だ。そうやって、殺しても、殺しても、いつまでたっても戦いは終わらないよ。復讐は、復讐しかよばないんだ。だから……」

 言葉の途中で、「それ」はシンジに襲いかかった。身体の奥深いところにまで「それ」ははいりこんできた。まるで内臓を直接叩きのめされたように、全身の力が抜けていった。

 レイはふりかえると、去ろうとした。だが、最初の一歩を踏み出したところで、もう一度ふりかえった。

 シンジは倒れなかった。

 「それ」が身体の中にはいりこんできた瞬間、全ての「力」を下腹の奥に集め、一瞬で全身にいきわたらせたのだ。だが、全身の力が抜けそうになっているのも、また事実であった。彼はなんども大きくあえぐと、うしろをふりかえった。

 そこでは、レイが黙ってシンジを見つめていた。その瞳には、彼が初めて見る表情、驚きと狼狽がありありと映って見えた。

「す、ごい、ね。こんなに、苦しいとは、思ってもみなかった。でも、行かせないよ、だって、苦しむのは、綾波だもの」

「過ちは、ただされねばならないわ。絶対に」

 レイは、一瞬で内心の驚愕を克服した。そして、間髪いれずに裂帛の気合いとともに二撃目を放った。「それ」は、これまで以上の質量と強さをもってシンジを打ちのめそうとした。こんどは「それ」は、彼の肉体にからみつき、全身の自由を奪いとろうとした。身体中の筋肉が、持ち主の意思に逆らって勝手気ままに収縮し、弛緩しようとする。

 だが、今度はシンジも準備ができていた。

 一瞬でぎりぎりまで高められた「力」が全身に満たされ、「それ」の圧力を押し返す。と同時に、颶風のような一撃が、シンジの下腹部に叩きこまれる。

「が、はっ!」

 突然の一撃にシンジは、胃の内蔵物を地面にぶちまけ、身体をくの字に曲げてうめいた。

 レイは、二度目の「それ」をシンジに叩きこむと同時に一瞬で彼我の間を詰め、左掌底をシンジのみぞおちに叩きこんだのだ。

 続けざまに、身体がくの字に曲がった彼の肝臓のあたりに、左ひざを叩きこむ。そして、とどめとばかりに左ひじを、延髄に撃ちこんだ。ただし、死んだりしないように手加減はして。

 ぐうとも言わず、コンクリートのうえに転がったシンジを見おろすと、レイはふりかえり立ち去ろうとした。

 が、まだ終わったわけではなかった。

 シンジは、それでも必死になって身体を起こし、やっとの思いで右手でレイの足首をつかんだ。ぜいぜいと息がきれ、内臓がひっくり返るような痛みをうったえている。だが、彼はまだあきらめたわけではなかった。

 だめだ、いまのままじゃ、綾波は、人形のままだよ。

 シンジの手を通して、彼の「思い」がレイに伝わってくる。それが彼女の心にとどいたとき、とうとう彼女の心は爆発した。

「私は人形じゃない!!」

 それからの攻撃は、まさにいっさいの手加減のない暴風ののごときものであった。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」

 嵐の終わりは唐突であった。シンジは、ただひたすら全身に「力」を満たし、「壁」を張って、その猛威に耐え続けていた。自分に襲いかかるレイの拳が、掌底が、ひじが、ひざが、足の甲が、かかとが、「それ」が、まるでレイの悲鳴のようにシンジの心に響いてきた。

 そして、嵐がやむのと同時に、彼はおそるおそる目をあけてみた。

 そこではレイが、両手をひざのうえにあてて、大きく肩で息をしながらあえいでいた。夕日に照らされて滝のように流れる汗が、まるで全身からしたたりおちる血のように見えた。

 いや、それは錯覚ではなかった。レイは、全身から血の汗を流しながら、あえいでいた。

「綾波!」

 シンジは立ち上がって彼女にかけよろうとした。が、身体は、そのこころみがどれほど無謀であるかを主人に知らせるために、痛みと痙攣をもってあらがってみせた。シンジは、そのままレイの足元にぶざまに倒れこんだ。彼女の足元の血の池に。

「あや、な、み」

 彼の声が耳に入ったのだろう、彼女は幽鬼のように身体をのばした。その瞳には、恐怖と、憎しみの輝きがこうこうと光って見える。全身を血で真っ赤に染めあげながら、それでもレイは「それ」をシンジに叩きこもうとした。

 シンジは、全ての「力」を振りしぼってレイを包みこんだ。「それ」すらもまとめて自分の全身でうけとめようとする。もはや何も考えていなかった。ただこれ以上「それ」を撃ちつづけることがレイの身体にどれほどの負担になるか、それしか思い浮かばなかった。

 自分の身体から「力」が破裂するように放出され、あたりで荒れ狂っていることが、ぼんやりと感じることができた。

 このまま死ぬのかな……

 うっすらとそんなことを感じながら、シンジは、自分が海に落ちたのを感じとった。不思議と恐怖はなかった。ただ、これで全て終わってしまうのが、ちょっとだけ残念だった。それから、口や鼻から塩辛く苦い水が身体に入りこんでくるのを感じて、心のなかで一言つぶやいた。

 ごめん……

 そして、意識は闇にのまれた。

 

 あなたは死なないわ。私が救けるもの。

 シンジの意識が最初に知覚したのは、その「声」だった。

 彼は全身の感覚が、少しづつ戻ってくるのを痛みとともに感じとった。それは最初はむずがゆく、だんだんと熱のようなものに変わり、最後にはうちつけるような痛みとなって彼の五感をうちのめした。

 だが、自分の五感が感じているのがそれだけではないことに、しばらくしてから気がついた。

 なにか温かく柔らかいものが自分の唇におおいかぶさり、温かな命の息吹とでもいうものを身体のなかに送りこんでくれている。耳に聞こえてくる潮騒が、意識を眠りの闇にいざなおうとする。

 なんだかとっても気持ちいいや。まるで、母さんに抱かれているみたい。

 母さん?

 シンジは、自分の意識がいっきに覚醒へとむかい、それにともなって全身のコントロールをとりもどすのを感じた。視界に光がもどり、すぐ目の前にレイの顔があることにびっくりする。そして、焼けるような全身の痛みにも。

「う、ああっ! 痛うっ!」

 悲鳴をあげて身体がのけぞり、痙攣する。しばらくそうやって地面をのたうち回り、どうにか痛みと折り合いをつけられるようになってから、シンジはあたりの様子を確認しようとした。

 周囲のありさまはひどいものであった。

 コンクリートの岸壁は、まるで数百機の爆撃機の攻撃を受けたかのように周囲数百メートルにわたって粉砕され、残骸をさらしていた。海岸道路も完全に崩壊しており、復旧にどれだけかかるか見当もつかない。かつて陸地であったところのかなりの部分がえぐりとられ、流れこんだ海水によって東京湾の一部となってしまっていた。

 シンジは、自分がびしょぬれで、ひかえめにいっても悲惨な姿でいることに気がついて、情けなくなった。これまでの自分の自制がなんの役にも立たなかったことが、このすさまじい破壊をもたらしてしまったことが、その惨めな気分をいっそうかきたてていた。

 ふとシンジは、自分のすぐ隣にレイが座りこんでいることに気がついた。夜闇にあたりはすっかりおおわれてはいたが、「見る」ことのできるシンジにそれはなんの関係もなかった。

 レイはぼろぼろになった制服のまま、ぺたんと地面に座りこみ、両手で口もとを押さえていた。

 全身は内出血でところどころ青黒く腫れあがり、もともとは月の光のように輝いてみせる透きとおるようなプラチナブロンドは、こびりついた血と海水で汚れ、ほつれてしまっている。ただ、紅玉のような澄んだ赤い瞳だけが、ずっとシンジを見つめていた。

 シンジは、ふと、レイがほほを上気させていることに気がついた。

 まるでそれがキーワードになったかのように、記憶がいっせいにもどってくる。

 レイが最後の瞬間、自分に「それ」を叩きつけようとしたとき、あえてそれを受け入れることで、レイの身体にかかるゆりもどしを自分にかたがわりさせようとしたこと。だが、それがうまくいかず、レイの耳や、目や、鼻や、口から血が吹き出て倒れそうになったこと。そして、レイを救けるために「力」をレイのなかに注ぎこみ満たしたこと。さらには、あふれた「力」が行き場をうしない暴走し、この破壊をまきちらかしてしまったこと。

 シンジは、レイのかたわらであおむけに寝ころがった。そうしていると、すこしは苦痛がやわらぐような気がしたのだ。

「なぜ?」

 静かにレイが尋ねる。

 さっきまで暴風のようにシンジに襲いかかり、彼を殺しかけたのがまるで嘘のようだった。

「……だって、生きていて欲しかったから」

 紅の瞳がわずかに潤んだのが見える。

「綾波は、綺麗だもの」

 静かに嗚咽が漏れる。レイは顔を両手でおおったまま、わずかに肩を震わせ続けていた。

 シンジは、そっと右手をレイに触れさせた。

 

一〇

 

 わずかに触れさせた手のひらから、レイの心がシンジのなかに染みわたるように「入って」きた。シンジはそれをせいいっぱい優しく受けとめ、いだいた。

 

 最初に「見え」たのは、夜空に浮かぶ満月であった。薄汚れた裏通りの夜空に浮かぶ蒼い月。

 シンジは、自分がレイの過去の情景にたちあっていることに気がついた。だが、それから目をそらすつもりはなかった。彼女が彼にそれを共有してもらいたがっていることに気がついていたから。

 レイはそこで、黒い戦闘服に身をつつみ、黒い雪山帽をかぶり、手に黒く鈍く光ってみえる自動拳銃をもっていた。彼女は、建物の影や、物影にかくれつつ、物音ひとつたてず動いている。その赤い瞳にはなんの表情もうかんでは見えない。

 と、建物の入り口に男が二人立っている。コートの襟をたて、はく息が白い。

 レイは、しばらくあたりを「見る」と、二人のほかには誰もいないことを確認して、「それ」を二人に打ちこんだ。硬直し、立ちすくむ二人。と、二人の身体が、本来ならばありえない形にねじれていく。恐怖に二人の目が見開かれ、必死に抵抗し叫び声をあげようとするが、その努力はむなしく終わる。打ちこまれた「それ」を通して彼女は、彼らの筋肉を好きなようにあやつり、二人をもとは人間であったものへと変容させた。

 地面にころがっている二つの肉塊を見おろしてレイはつぶやいた。

「まず二人」

 

「見事なものだな」

 閑散とした部屋の中央にゲンドウが立っている。あいかわらずダークスーツを一分の隙もなく着こなし、この夜の闇の中でもかまわずサングラスをかけている。両手の親指をズボンのポケットにかるくひっかけたまま彼は、あたりを見回した。

 周囲は、文字通りの血の惨劇とよぶべき状態にあった。

 壁という壁には血痕が、前衛芸術のようなあとを残してぶちまけられている。床には、もとは人間であったと思われる肉のかたまりがあちこちにころがり、その周囲に同じようにころがっている人の頭は、例外なく恐怖にゆがみ、正視にたえない悪夢のような情景を作り出していた。

 壁に飾られている梵字をあしらった紋章は、血でどす黒く汚れ、さらにおおぶりのコンバットナイフが突き立てられていた。

 漆黒の戦闘服を着こみ、手に手にサイレンサーつきの自動火器をもっている特殊部隊の隊員たちですら、その情景に顔色を青ざめさせている。いわんやゲンドウのお供としてついてきた背広の男たちは、胃の内容物を処理するべく、さっさと建物の外にでていってしまっていた。ただ、ゲンドウとレイだけが顔色ひとつかえずに互いの目を見ていた。

「綾波レイだな」

「はい」

「どうしたい」

「とくにありません」

「なら来たまえ。罪は償わなければならない」

「はい」

 レイは、手にしていた自動拳銃のスライドをにぎり、銃把をゲンドウにむけてさしだした。

 その赤い瞳には、やはりなんの表情もうかんでは見えなかった。

 

 霧雨がふっている。

 レイは、黒いワンピースを着て傘もささずにたちすくんでいた。

 彼女の目の前に白木の棺がよこたえられている。中に横たわっているのは、ほりの深いやせた厳しい容貌の男。周囲に濃緑色の制服を着た男たちが、彫像のように立ち並んでいる。男たちは全員例外なく、左胸に金色に輝く金剛石と落下傘をかたどった記章をつけている。

 男たちの一人が、レイに近づいた。肩の三つの桜と二本の金線が、雨にぬれてにぶく光ってみえる。その壮年の男の全身が、よろいのような筋肉でおおわれていることが、制服のうえからでもわかる、雄牛をおもいおこさせる容姿の男。だがそのつぶらな瞳は、安らいでいる牛のように優しい。レイに傘をかたむけ、そばに立つ。

「そろそろお別れだ。いいね」

「はい」

「彼とともにすごした時間は、決して君にとってマイナスにはならないと信じている。君が彼を忘れないように、我々も彼を忘れはしない。そして、そうであるかぎり、彼は我々とともにあり続ける」

「はい」

「いこう。生者には生者にふさわしい場所があるのだ」

「はい」

 レイは、最後まで涙を見せなかった。

 

「遅い」

 男の言葉があびせかけられるかられないかに、レイは背中から地面に叩きつけられた。

 肺からすべての空気が外に漏れてでていってしまったように感じ、あえぐようにして酸素を吸いこもうとする。ふりそそぐ陽射しが皮膚を焼くように痛く、汗とほこりで全身がむずがゆい。痛みで身体がいうことをきかないが、それでもよつんばいになり、なんとか立ちあがろうとする。

「体重の軽いのと、体格が小さいぶんは、スピードとタイミングでカバーする。攻撃のリズムを単調にするな。タイミングを合わせられたならば、いまのようにカウンターを喰らうことになる」

 太陽を背にして立っている男は、厳しい表情をしてレイのいまの攻撃のミスを指摘した。そのほりの深いやせた厳しい顔には、目の前であえいでいる少女にたいしてなんらの感情もいだいていないようにみえる。しかしその瞳の色は、かぎりなく温かく優しかった。レイはなんとか立ちあがると、男と間合いをとって対じした。

「はい。もう一度、お願いします」

「よし」

 身体が苦痛に悲鳴をあげ、視線の焦点がうまくあわない。だが、レイの心はかろやかだった。いま自分が自分の肉体をとりもどしつつあることを実感していた。緊張の一瞬一瞬が、彼女の肉体に自分が存在しているという感触を刻みこんでいった。

 身体を左右にふってリズムをとる。

 男がそれにタイミングを合わせ、間合いを詰めようとしたその一瞬の機先をとって、レイは男の足元に跳びこんだ。一回転してひざをつき、勢いを利用して身体を伸ばす。そのまま右のひじを相手の股間に叩きこもうとした。

 が、男は、レイが身体を伸ばすタイミングに合せて左足を引いて半身になり、右ひじのカウンターを叩きこもうとする。

 レイは身体が伸びる勢いのままにひざを伸ばし、上半身わずかにひねってそのカウンターをやりすごす。左ほほぎりぎりをかすめて打ち下ろされる男の右ひじをかわし、本当はこれを叩きこむつもりでいた左ひざを、男のわき腹に打ちこもうとした。

 その瞬間、世界が暗転した。

 レイは、一瞬何がおこったのかわからないまま、光を求めてもがいた。

「悪くはない。最後のひざで相手の金的ではなく脾臓をねらったところはほめよう。だが、攻撃のパターンが直線的だ。直線的な攻撃は、最初の奇襲の一撃か、間合いに入ってからの最後の一撃だけでいい。もっと動きに曲線的なものを取り入れれろ」

 男は最後のレイの左ひざが打ちこまれようとした瞬間、引いた左足をさらに後ろに引いてあおむけに倒れこんだ。そのときに軸足を左にシフトウェイトを利用して移し、あいた右足で彼女の右の軸足を払ったのだ。

 そして、突然の攻撃に一瞬パニックにおちいったレイよりも、一呼吸早く全身のばねをつかって跳ね起きると、ころがっているレイの背中をひざで押さえこんだのである。

「……は、い」

 苦しかった。だが、いまは苦痛が友であった。

 

「さあ、もう一度初めからやってみよう」

 男がレイの寝ているベットの右わきに座っている。濃緑色の制服と、そこに飾られた多くの記章が日差しにきらきら光ってにみえる。

 きれい。

 そうレイは思った。

 男はレイの右手を取ると、まず最初に小指をおってみせる。

「いまのが小指」

 つぎに薬指。

「これが薬指」

 そして中指。

「こんどのが中指」

 それから人指し指。

「さあ、人指し指だ」

 最後に親指。

「そう、親指だ」

 そして、そっと手を放し、自分の右手をレイの目の前にさしだす。ほりの深くやせていてととのった容貌の顔に、優しい温かななにかと、期待にみちたそれが浮かんでいる。

「さあ、握ってごらん。ゆっくりと、でもしっかりと」

 レイは、こくりとうなずくと、右手をあげた。

 最初に、互いの手のひらと手のひらをあわせる。

 そして、小指から折り曲げていく。

 つぎに薬指。

 そして中指。

 それから人指し指。

 最後に親指。

 最後に親指が折り曲げられた瞬間、男もレイの手をしっかりと握りしめた。

「よし。これで、握手ができるようになった」

 レイは、手のひらから伝わってくる、大きくて固くて温かい感触を、しっかりと覚えようとした。

 だがレイが覚えたのは、日差しのなかで微笑んでいるよく陽に焼けた男の顔と、目尻にできた笑いじわだった。

 

 レイは眠くて眠くてしょうがなかった。けれども、あしたから新しい学校と、先生と、友達ができるのがうれしくて、どきどきして、目をつぶっても眠ることはできなかった。

 レイはしょぼしょぼする目をもう一回あけると、あたりの風景がかわっていないか見まわした。

 あいかわらずそこはパパの狭い車のなかで、ママのとなりであった。車のそとから赤や白の光がなかに入ってきてちかちかする。

「ほら、レイ、もうお休みなさい。あした学校にいけなくなるわよ」

「だいじょうぶだもん、ねむくないんだもん」

 ごしごしと目をこすっておきあがる。

「そうだよな、レイにははじめての転校だものな。興奮しちゃって眠ってなんかいられないもんな」

「あなた。なにを言ってるんです、もう午前三時なんですよ。眠くないわけないじゃないですか」

「だいじょうぶだよ。それに次のパーキングエリアでガソリンを入れて、一休みしよう。そうすれば東京まであとすこしだ」

 レイの頭の上でパパとママの声がいったりきたりしている。レイは、両手でしっかりとママの手を握りしめた。そうしていると、何があってもこの手がレイを守ってくれる気がして、安心していられたのだ。

 レイはそのままママによりそうと、もう一度うとうとした。

 衝撃はその瞬間、やってきた。

 レイは最初何がおきたのか、全然わからなかった。ただ、車が、縦横上下左右にゆさぶられ、その中でレイがあちこちにぶつけられて痛い思いをしているのだけがわかった。レイは必死に両手でママの手を握りしめ、ぎゅっと目をつぶって歯を食いしばっていた。そうすれば、きっとママがレイを守ってくれるのだから。

 どれだけそうしていたのだろう。

 レイは、押しつぶされて狭くなってしまった車のなかで、ずっと目をつぶってママの手を抱いていた。おなかがすいて、のどがかわいて、さむくて、こわかったけれど、でも、そうしていればママが、もうだいじょうぶよ、さあ、ごはんですよ、そう言ってくれそうな気がしていたから。

「おい! 生きてるぞ!! 女の子だ!!」

 明かりがさした。

 何本もの手が伸びてきて、レイは車の外に連れ出された。レイは、さいしょお日さまがまぶしくて、目の前がまっしろで、何も見ることができなかった。何度か目をしばたいているうちに、あたりの風景が目に入ってくる。

 あたりはコンクリートの瓦礫で、何も見えなかった。まるで怪獣がやってきてすべてを壊してしまったみたいに見えた。

「おい!、まて!、その子の手を……」

 ママ、おなかすいたの、のどがかわいたの、ママ。

 レイは、ずっとレイを守っていてくれたママの手を見た。

 その手は、ひじから先は無かった。

 

 涙。これが涙。

 涙、あれから流すことのできなかったもの。

 私、泣いているの? どうして。心が痛いから。ちがう、心が痛いのではない、それはもっと温かいもの。何かが私の心のなかで動いている。

 誰かが、私の心のなかにいる。

 誰、あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰? あなた誰?

 あなたは私、もう一人の私。

 あの日から、ずっと心のなかにいた私。

 

 シンジは泣き続けていた。

 哀しかった。切なかった。胸が苦しくて、熱いものが次から次へとこみあげてきた。自分がレイに何もしてあげられないのが、悔しくて、悔しくて、それがたまらなかった。

 レイに触れているシンジの手に、そっと彼女の手が重ねられる。

「なに泣いているの?」

 その手は、温かく、優しかった。

「自分には、なにもないなんて、言うなよ」

 怒りで心が張り裂けそうだった。

 この運命に裏切られ続けてきた少女に、何も残されてはいないことが。自分を一個の凶器としてしまえるその孤独が。

 もし神が存在するならば、自分のすべてをもって弾劾したかった。

「別れ際に、さよならなんて、そんな哀しいこと、言うなよ」

 その歩いていく道は、凍てついた、悲しみに満ちたものなのだろう。だからこそ、行かせたくはなかったのだ。

 シンジは、なぜ自分がこれほどレイをひきとめようとしたのか、それがわかったような気がした。自分がこれまでのレイとの接触で、無意識のうちにそのことを理解していたからなのであろうことを。

 嗚咽をもらしているシンジを、レイはしばらく黙って見つめていた。

 レイは、両手でシンジの手を取った。

 シンジはその手を、力いっぱい握りしめた。

 そのこめられた力に、レイは同じように力をこめて握り返すことで、応えた。

「ごめんなさい。こんなとき、どういう顔をすればいいかわからないの」

 シンジは顔をあげた。

「笑えばいいと思うよ」

 蒼い満月のもとで、白銀の蕾がほころんだ。

 

十一

 

 リツコが二人が収用された研究所の付属病院にかけつけて最初にやったのは、二人のほほを張り飛ばすことだった。

 ぼうぜんとしている二人に、彼女はめったにない厳しい声で叱責をあびせる。

「自分たちがなにをしても許される特権をもっていると思ったら、大間違いよ。自分に何ができて、何ができないのか、それすらわかっていないのに、勝手なことをするのはおやめなさい」

 そして、リツコは二人をおもいっきりだきしめた。

 シンジは、初めて彼女がただ冷徹なだけの研究者ではないことを知った。彼女も、彼女なりに自分たちを思っていてくれていることが、うれしかった。

 やっと帰るところを手に入れることができた。

 それが、シンジの感じたなにかだった。

 レイは、シンジのとなりでいつもの通り、無表情なままでたちすくんでいた。だが彼には、彼女のほほが、わずかに上気しているのがわかっていた。「見る」までもなかった。

 

「全治三週間ですって?」

 老医師の前で、リツコはぼうぜんとしてつぶやいた。

「本来ならば、な」

 老医師は、薄い唇をわずかにゆがめると、その底光りする切れ長の目を細めてみせた。この痩せた老人がそういう表情をすると、いかにも酷薄で冷酷な雰囲気があたりにただよう。だがリツコは、そのようなものは完全に無視して先をうながした。この老人は、国内でも屈指の有能な医師であり、大脳生理学及び神経生理学の権威ではあったが、このどうみても悪の秘密結社の大幹部か、悪のマッドサイエンティストにしかみえない言動のせいで、もといた大学からていよくこの研究所に追い出されていた。

 もっとも、本人はこの研究所のことをたいそう気に入ってはいたが。

 かるく鼻を鳴らすと、老医師は言葉を続けた。

「二人とも、本来の受けた傷からすると全治三カ月以上であってもおかしくはない。

 綾波レイは、全身の毛細血管が破裂しておったのだ。場合によっては蜘蛛膜下出血をおこしていてもおかしくはないな。あれが無事なのにに関しては、まだ子供なのと、普段から身体をそうとう鍛えておるおかげだろうて。

 碇シンジも同様だな。

 彼奴の傷を見たかな? 全身打撲、内出血、それだけではないぞ。あちこちの骨にはひびが入っておるし、内臓だってそうとう痛めつけられているようだて」

「それで、なぜ全治三週間と?」

 にたり。

 唇の両端が弓なりにひきつっていくその笑いは、まさしくそう形容できる不気味なしろものであった。老医師は、きちんと折り目のついた白いタキシードの内ポケットから、白銀のタバコ入れを取り出した。そのまま不気味な笑みを浮かべたまま、なかのシガーをくわえ、マッチで火をつける。

「ここから先は、科学の使徒たる儂の意見ではない。「人類補完計画」に参加している一老人のたわごとよ。

 要すればだ、あの少年が、例の「力」で本来なら死んでもおかしくはない二人の傷を、せいぜい不愉快な程度のしろものにまで軽減させたのであろうな。実際、三週間もしないで二人とも元気になるだろうよ。

 ちなみに綾波レイの離人症だが、きちんと検査をしてみなくてはわからんが、たぶん相当なところまで回復している可能性が高いの。ま、これは、その効果の副産物といってもよいだろが」

「レイの離人症が! つまり……、神経細胞に対しヒーリングを!? たしかにシンジ君の能力ははかりしれないけれども、だからといって……」

 さすがのリツコが声を高める。彼女の面には、驚愕の二文字がありありとうかんでみえた。

 老医師は、めったに見ることのできないものを目のあたりにした喜びのせいか、さらに表情がゆがんでいく。

「そういえば赤木博士だったかの。彼女の能力のうち、対象の筋肉をコントロールする能力が、本来、離人症によって失われた固有感覚の代替能力なのだろうという説を唱えたのは。

 ま、安心するといい。あの娘の能力は失われてはおらんよ。むしろ固有感覚をとりもどすことによって、応用性が増すのではないかのう。ま、いまから楽しみなことだて」

 ふかぶかとシガーを吸うと、ゆっくりと紫煙をただよわせてみせる。リツコは、無性にニコチンが欲しくなった。内心のいらつきを押さえるには、いまはそれしか思いつかなかった。

「しかし、あの少年もたいしたものよ。

 半径四〇〇米だそうだな。なるほど、生きて歩いて感情を持つ核兵器というところか。大変だのう、博士も」

 けくけくと笑って、老人はシガーをもみ消した。

 リツコは憮然としたまま、部屋を出ていかざるをえなかった。

 

「あの二人、本当に大丈夫なんでしょうか」

「たぶんね。ああ見えても、あの先生はかなり優秀な医者なんだよ。あれだけ平然としていたんだから、たぶん大丈夫だと思うよ」

 もはや人のいない病院の廊下で、ケンスケと日向は、長いすに座ったままずっと同じような内容の会話をくりかえしていた。

 重傷をおい、疲れきって動けなくなった二人を助け出したのは、なんとケンスケであった。

 シンジが学校の昼休みに血相を変えて飛び出していったのを、すわ鎌倉と愛用のキャノンのEOS5を握って教室を飛び出した彼は、シンジのあとをつけて同じ列車に乗りこむところまではうまくいったのであるが、シンジと同じように五井の駅でレイにおいてきぼりをくらったのであった。

 さらにはシンジまでどこかに雲をかすみと消えてしまい、かといって、いまから学校にもどるわけにもいかず、途方にくれていたときにかの爆発が起こったのである。

 急いでタクシーに乗ってかけつけてみると、あたりはまるで核爆撃を喰らったかのような大惨事になっており、警察や消防署もどうするべきかわからないまま右往左往しているありさまであった。さらに混乱にまぎれて中心地に近づいてみると、そこではどこかに消えたはずのシンジとレイが、二人仲よくずたぼろになって手をつないでよりそって倒れている。さしものケンスケもあぜんとするしかなかった。

 彼は、とりあえず二人を人目につかない場所へ移し、研究所に電話を入れて迎えを呼んだのである。

 呼ばれてかけつけたのは、日向とあと何人かの「E計画」に参加している自衛隊から出向している研究者達であった。

 彼らは現役自衛官の強みをいかして誰にも気づかれることなく二人を回収し、この市内にある、見た目と普段の業務だけはまともな、研究所の付属病院に担ぎこんだのであった。

 ケンスケはどさくさにまぎれて一緒についてきてしまい、シンジとレイの二人が、まるで国務大臣なみの丁重さで扱われるのを目撃することに成功していた。もっとも、それについて、いつも通り他人にうわさを広めるつもりはなかった。まだまだ調べるべきことは多く、かんじんなところがどれも曖昧なままであったのだ。

「お疲れさま。全治三週間だそうよ」

 当の二人の実質上の保護者であるところの、リツコが部屋から出てきた。

「ああ、あなたね、二人を見つけて連絡してくれたのは。ありがとう、おかげで早めに処置をすることができて、とくに後遺症もなく元気になりそうよ。もう今日はいいわ、家へお帰りなさい。

 日向君、誰かに車を出してもらって、彼を自宅までお送りして。ああ、あなたが車を出す必要はないわ。話があるの、すぐにもどってきて」

「わかりました。いこう、家まで送るよ」

「はい。それでは、碇君と綾波さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。それでは失礼いたします」

「お疲れさま。おやすみなさい」

 ケンスケは思った。

 なぜ、碇のまわりには、こうも美人が集まるんだ。いつか真実を明らかにしてやる。

 あいかわらずケンスケの眼鏡は妖しくきらめくのであった。

 

「お疲れさま」

「いえ、赤木主任こそお疲れさまでした」

 もどってきた日向を、リツコは缶コーヒーででむかえた。そばの灰皿には、何本ものセーラムが赤い口紅をその吸い口に残して押しつぶされていた。二人ともそのまま長いすに座りこみ、缶に口をつける。

 しばらく沈黙があたりを支配したが、それもリツコが口を開くまでであった。

「一昨日のテロ、現場にいたんでしょう? レイは、現場にいたの?」

 日向は、横目で彼女を見た。その横顔は、静かな口調とはうらはらに、そうとうに厳しいものがあった。

「はい、いました。正確には、テロリストを発見し、確保し、我々に引き渡そうとして犯人に自爆された、というところですが」

「なぜ?」

「あそこにはレイの顔見知りがずいぶんいましたからね。例の男の同僚たちですよ」

「そうだったの。あすこにはレイの知り合いは何人いた?」

「たんに顔見知りというだけなら、半分は知り合いでしょうね。彼女の能力について知っていると思われる人間なら、たぶん一〇人まではいかないと思いますが」

「報告が遅れたわね」

「なにしろ警務隊と首都警につかまっていましたから。彼女のことを口裏あわせて隠すのでせいいっぱいだったんです。……もしかして彼女、インコの連中を「処分」しに行こうとしていたんですか?」

 日向の眉間にたてじわができる。その視線は、普段の彼からは想像もできないほど厳しい。

 だがリツコの答は、そんな彼の内心を知ってか知らずにか、あっさりしたものであった。

「たぶんね。あの子、見かけによらず責任感の強い子だから。自分が殲滅したはずのテロリストのせいで人死にが出たのが、我慢ならなかったみたいね」

「それとこれとは別でしょう。その仕事は、国家が国民から委託された権力をもってなすべき義務であって、一個人が感情のままに動いていいわけがないでしょう」

「そうは思ってないみたいね、彼女。でも、よかったわ。これ以上手を血でぬらして不幸になることはないもの」

「シンジ君様々ですね」

「ええ。おかげでレイは、やっと普通の女の子にもどる第一歩をふみだすことができたし、我々は非常に貴重なデータを手に入れることができるわ」

 それだけ口にするとリツコは、空き缶をゴミ箱に投げ捨てた。缶は見事な放物線をえがいてゴミ箱に突入し、その目的地へと到達した。彼女は、ゆっくりと立ちあがると、かるく伸びをした。

「さ、私たちも帰りましょう。子供らのいたずらの後始末をするのは、いつだって大人の役目なんだから」

 

「それで、政府の発表はどうなる?」

「原因不明。調査中につきノーコメント。そんなところだ」

「情報操作か? マスコミにかぎつかれるとうるさくはないか」

「連中には、真実は見えんよ。もしそれができるのならば、いま我々は存在を必要とはされてはいなかった」

「しかしな、なんらかの形で彼らを納得させてやらねばなるまい?」

「問題ない。そのためのシナリオは用意してある」

「隕石の落下か。そういえばむかし、そんな映画を見た記憶があるよ」

「なに、ニューヨークを破壊するほど巨大である必要はない」

「……さて、次はセカンドチルドレンだな」

「それも問題ない。予定通りだ」

「いいのか? 冷戦が終わってずいぶんと衰えたとはいえ、あの「ハウス」が相手だぞ」

「連中にはなにもできんよ。老人どもにはいい薬だ」

「「委員会」はどうする? 連日、矢のような催促だが」

「ほっておくさ。シナリオに変更はない」

 

 シンジとレイは、別々の個室に入れられていた。

 だが二人には、物理的な壁でははばむことのできないなにかでむすばれていた。それは、二人がお互いを必要としたときから、ずっと二人を結びつけていた。

 碇君。

 のばした意識のさきにレイのそれが触れてきた。

 シンジは、初めて彼女が自分の名を呼んでくれたことに気がついた。彼女からそう呼ばれると、なんだか無性に切なくて、温かい気持ちになれた。

 なに?

 はじめて碇君を「見た」とき、思ったわ。

 何て?

 寂しそう。

 うん。

 だから、次に会ったとき、あなたに触れてみたの。もっとよく「見る」ために。

 それで、あのとき倒れかかってきたんだ。

 ええ。

 なにが「見え」た?

 孤独、恐れ、不安、それから……、希望。

 希望?

 ええ。

 ……そうなんだ。……ごめん、よくわかんないや。

 そう。

 うん。

 しばらく二人はそうして黙っていた。どれくらいそうしていたのか、雲の切れ間から月の光が部屋に差しこんだ。その柔らかな光が目にはいってきたとき、シンジは思った。

 はじめて綾波を見たとき、思ったんだ。綺麗だって。それから、ずっと思ってた。月の光みたいだなって。

 レイのこたえはなかった。だが、彼女の意識が、しっかりと自分の意識にむすびつけられるのが感じられた。

 きっと、僕たちは歩いていけると思う。

 たぶん、暗くて辛い道だろうけれど、でも、この月の光が僕たちを照らしていてくれるもの。

 

 シンジは、レイと、ずっと夜空にうかぶ蒼い満月を見つづけていた。

 

終 


 あとがき

 

 やっと第一話が書き終わりました。予定よりも大幅に増えてしまいました。Partひとつ分(笑)。

 これは、私個人による、私個人のための、私個人の「新世紀エヴァンゲリオン」の補完です。

 エヴァを見ていて思ったのは、なんでかくも大人たちが無能なんだろう、と、そればっかりでした。基本的に私にとってエヴァは九〇パーセントまでがシンちゃんで占められていて(笑)、その無能な大人に振り回されて不幸になっていく彼が、不憫で不憫でなりませんでした。それがこの話を書こうと思ったきっかけでした。

 しかし、書いていてけっこう精神的にハードでした。

 私は、基本的にキャラクターには幸せになって欲しいと思っている人間なんですが、書いていて自分がここまで酷いことが出来るとは思っていませんでしたね。いや、EPartのレイの扱いですが、書いていて、すまなくて、すまなくて、泣きながらキーボードを叩いていましたね。シノプスを書いている段階では、いけいけゴーゴーだったんですが、実際に書く段階になると辛いのなんのって。

 ごめんねレイちゃん、きっと幸せにしてあげるからね。

 ちなみに、シンちゃんも扱いがけっこう酷いです。なんと言うか、へっぽこ、という形容詞は君のためにある、といった感じで。……うーん、私のエヴァに対する愛情の九〇パーセントは、シンちゃんの上に注がれているはずなんですけれどもねえ。まあ、その分彼の性格も、パワーアップしているから良しとしますか。

 大丈夫シンちゃん、君もきっと幸せになれるからね。

 ちなみに、この「EVANGERION 1999」には、まったく別の作品のキャラクターや、設定や、アイテムが登場するでしょう。舞台は完全にオリジナルですし、キャラクターの設定も、かなり自分に書きやすいように変えてあります。

 その際たるものが綾波レイですね。

 もう、完全に、レイじゃなくなっています(笑)。強い、強すぎるぞ綾波レイ! 考えてみれば、彼女はいくつかのキャラクターの複合体なんですけどね。ちなみに、なにが混ざったかは内緒にしておきましょう。書いている途中で私自身がそれに気がついて、おもわず笑ってしまったぐらいですから。ヒントは、あるフランス人の作った映画の女の子です。もう、ばればれ(笑)。

 トウジやケンスケも、なんだかパワーアップしちゃっているし、リツコさんは、作者のひいきがもろに出て、ミサトとゲンドウの分の役割までこなしちゃっているし。

 ちなみに、オリジナルのキャラクターもどんどん出てくるでしょう。だって、その方が書きやすいんですもの。もっとも、どっからこんなのひっぱてきた、みたいなキャラもぱくりでたくさん出てくるんでしょうが(笑)。

 次の話は、予定では、今回完全にお味噌になっていたミサト先生の話になるでしょう。

 あくまで、予定では、ですが。

 あと、「人類補完計画」や「E計画」ですが、一応設定は考えてあります。たいしておもしろい設定ではありませんが。まあ、このストーリーの基本的な性格から、それはたいして重要な点ではないので。

 ちなみに、このストーリーのテーマは、「ラブラブシンちゃん」です(大爆笑)。

 とにかく、シンちゃんを中心としたラブコメを書くことが目的であり、それ以外のいっさいは些末事であると、書いておきましょう。ほんとか、おい。

 さて、作者の他愛も無いご託はここらへんで終わりにしておきましょう。語るべきことは、作品によって語ればよいのですから。

 それではまた、機会がありましたら、次の作品でお会いしましょう。

H金物 拝 


 第壱号船渠へもどる

 衛兵詰所へもどる


 ご意見、感想はこちらまで

 rakugaki@alles.or.jp

 

  inserted by FC2 system